段々と退避壕の中が暑苦しくなってきた。無理もない、結局は備え付けの代物だしな。
長門は暗い表情で俯いたまま、何も喋ろうとはしないし、ハルヒは文句ばっかりで五月蝿い。
いやしかし、何だろうねぇこの状況は。
俺は茫漠とした時間の中で、只何も出来ずに壁にもたれ掛っていた。
そして、唐突にそれは訪れた。
突然退避壕が激しく揺れ、立ったまま着てる上着で自ら発せられている熱を発散させるように扇いでいたハルヒが、
体勢を崩し俺の方に向かって倒れこんできた。
「きゃぁ!」
成す術もなくその場に座り込んだままの俺の左頬に、倒れた拍子で張り手を食らわせてきやがった。
乾いた音が鳴り響き、俺とハルヒはそのまま床に叩き付けられる。
そして、電子機器がショートした後、電気系統がダウンし俺の眼前が闇に包まれた。
「いった…なんなのよ、もう!」
あからさまに不満を体現する様な声を上げるハルヒが、暗闇の中薄っすらと見える。
俺が文句を言ってやりたい。いや、もう本当に。
そして、突然退避壕の中に明かりが灯る。予備電力が働いたのだろう。
明かりが灯されたのは結構な事なんだが、俺の目の前にいる涼宮ハルヒの…そのなんだ。
む…胸がだな…。何でもない、忘れてくれ。
「涼宮さん!」
床にうつ伏せに倒れこんでいた長門が顔を真っ赤に染め、叫んだ。
いや、俺はもうそれどころじゃない。ただ一点を見詰めるのみだ。
自分の置かれている状況に気付いたのか、ハルヒが自分の胸元に目線を落した後、
頬を軽く朱色に染め、俺を見詰めてくる。その表情はなんとも言えないくらい不気味だった。
ハルヒは、ずり落ちたニットチュニックを左手で持ち上げ、胸元を隠しながら不敵な笑みを浮かべ俺を睨みつけてくる。
俺は呆然とハルヒを眺めていた、自分でも何が起きたかよく理解してないまま、ハルヒの振り上げられた右手により、
俺の左頬に肌が張り裂けんばかりの張り手が放たれた。はい、本日2回目。いや、殴られたのも含めば3回か。
何故俺はここまで殴られ役に徹しなければならないのか、誰か解る奴がいたらここにこい。変わってやってもいい。
「あたしの生で見たのよ!命があるだけ感謝しなさい!」
「んなっ…あれはどっからどう見ても不慮の事故だろうが!」
「うるさいうるさい!大体ねえアンタは何でいつもいつも…ってあれ?」
「ど…どうしたんだハルヒ」
「別に…なんでもないわよ。それより、卑らしい目で見ないでくれる?変態」
「誰が変態だ!まったく…もう好きにしやがれってんだ」
「何よ!いつもそうやってすぐ逃げるんだから!…あれ?また私…」
口篭る様にしてハルヒが表情を曇らせ顔を俯かせた。一体なんだって言うんだ?
「あっあの…お腹空きませんか?」
突然、長門が間に割り込んできた。
「わっ私、たまたまおいしい天津を持ってるんです。娘々名物のマグロ饅」
そして差し出されたそのマグロ饅とやらは、あれの形に似ていた。それが何に似ているかは言わせないでくれ。
こっちが恥ずかしくなる。ハルヒも同じく唖然とそれを眺めていた。
「やっぱり腹が減っては戦は出来ないというか…その閉じ込められたらマグロ饅というか…」
自分が何を言っているのか解らなくなってきたのか、長門が突然塞ぎこむように顔を俯かせていく。
それを見てハルヒが笑い声を漏らしている。俺もそれに釣られ急に笑いが込み上げてきた。

 

 「駄目だな。何度やっても復旧しない」
さっきから端末を何度か弄ってはみるものの、中々復旧の兆しすら見せない。思わず溜息が口から零れる。
「落ち着かないわねぇ…自分の運命が人任せってのは。キョン、早くなんとかしなさいよ」
「出来たらやってるさ。しかしなぁハルヒよ。お前までその綽名で呼ぶのか?」
「別にいいでしょ、何だか知らないけどなんかしっくりくんのよ」
まぁ慣れた事だから今更どうって事はないが、こうも情けない綽名がどんどん広まっていくのは勘弁してほしいものだ。
「あの…SMSの人…大丈夫でしょうか…?」
不安げな表情を浮かべたまま、座り込んでいる長門が唐突に喋りだした。
「誰か知り合いがいるのか?」
俺の言葉に、長門がこちらを見上げ言葉を続けた。
「おじさんが事務で働いているの。私もよく差し入れに…」
SMSか…。不意にVF-25に搭乗した時の光景が頭を過る。
「ねぇ…キョン。なんか空気悪くない?」
先程まで不満げに文句を言い続けていたハルヒが、不安げに俺に問いかけてきた。
それは俺への当て付けなのか?皮肉ならもうやめてくれ。
「違うわよ!本当に息苦しいような…」
ハルヒが口篭る様にして天井を見上げたその時、再び激しい揺れが俺達を襲った。
再び電灯が落ちた後、赤い非常灯が付きけたたましくサイレンが鳴り始めた。
端末を再び確認した俺の眼に映ったのは、循環器系が全て停止しているという有り難くもないお知らせだ。
「くそっ循環器系が停止していやがる」
その言葉に、ハルヒが声を荒げ怒鳴りつけてきた。
「ちょっと、なんとかしなさいよ!」
「簡単に言うなよ、出来るならとっくにやってるさ!くそっ!」
こんな所で死ぬのか?俺は。御免だね。まだ俺はやりたい事が沢山ある。
「冗談じゃないわよ!」
意を決した様な面持ちで立ち上がったハルヒが、端末を弄り始めた。まさか。
「おい、やめろ!外は真空かも知れないんだぞ!?」
「なら諦めてここで窒息するまで待てっての!?私は諦めない。運命ってのはね、自分の手で掴み取るもんなのよ!」
真摯な瞳で俺を見詰めていたハルヒが、そう言い残した後梯子を上り始めた。
俺はただ呆然とそれを眺めているだけしか出来なかった。何故か何を言ってもあいつは止められない気がしたんだ。
『その通りです。涼宮さん』
突然、内線を伝わり可愛らしい声が聞こえてきた。何故か聞き覚えがある様な気がしないでもないのだが。
そして、ハッチが開かれる音が聞こえる。これは…そうか。助かったのか俺達。

 

 無事、退避壕からの脱出を果たした俺達は、軍の案内の元暫く身体を休めていたのだが、ハルヒの迎えの車が到着したのをきっかけにそのままハルヒを見送る形になった。
開かれた後部座席のドアに手を置き、ハルヒがこちらを振り向く。
「さっき見たことは忘れるのよ。あんたがもしあの視覚データをネットに流したりしたら、社会的にも生物学的にも抹殺するわよ。いいわね!」
そう言うと、車に乗り込むハルヒを只呆然と眺めるしか術がなかった俺に、更に追い討ちをかける様に言葉を吐いた。
「そうね…ただの記憶として今夜一晩使うくらいは許してあげる」
何て事を言い出すんだこいつは!俺は思わずその言葉に赤面し、ハルヒから目を逸らす。
そんな俺を不思議そうに怪訝な面持ちで見上げている長門と目が合ってしまう。実に気まずい。
「バーカ。んなわけないでしょ」
このっ!人を玩具の様に弄びやがって!
込み上げてくる苛立ちを必死に抑えていると、ハルヒが再び口を開いた。
「ねぇ、有希」
「…はい?」
声を掛けられた長門が、ハルヒの目の前まで行くと。俺に聴こえないように何かを耳元で囁いている。
「こんなサービス、滅多にしないんだから!」
そう言葉を残した後、ドアが閉まり車が動き出した。まったく騒がしい奴だったな。
呆然としてる俺の側に近寄る足音が聞こえてきた。振り返るとそこにはあの時、俺を学校から連れ出した軍人。
確か…、森園生だったか?そういえば、退避壕から出た時ハルヒの側にいたっけか。
「随分ごゆっくりな救助でしたね」
「それに付いては謝罪します」
俺の皮肉にも顔色一つ変えず、言葉を続ける彼女の言葉を遮るように携帯が鳴り始めた。
「循環器系が停止しているのがもっと迅速な」
「言い訳はいいですから、電話に出たらどうです?」
少し申し訳なさそうな表情をした後、彼女は携帯を手に取った。
「はい…。こちらは完了しました。……新川少佐が負傷?」
何やら穏やかではない会話が成されている。その話を聞いていた長門が驚愕の表情を浮かべていた。
そして上空を低速で飛ぶヴァルキリーが視界の端に入る。
見上げると、そこには先程戦闘をしていたVF-25。まさか…あれに長門の叔父さんが?
いや、確か事務って言っていたはずだが。
「新川…!」
目の前の森園生の口から、搭乗者の名前が呟かれた。それを聞いた長門が、
「叔父さん!」
そう叫びながら、ヴァルキリーを追いかけるように駆け出す。
「何で!何で怪我してるの?どうしてこんな事に…」
泣き崩れるように地面に座り込んだ長門に駆け寄った俺は、嗚咽し小さな肩を揺らす少女を抱き締めた。
「長門…」
暫くの間泣き続けた後、疲れてしまったのかいつのまにか俺の腕の中で寝てしまっていた。
その寝顔を見て一先ず安心した俺は、駆け寄ってきた軍の人間に長門を引き渡した。
その中に居た森園生が、その場を去ろうとした俺の肩を掴み冷徹そのものの様な瞳で俺を見詰めてきた。
「何処に行くんですか?」
「あんたには関係ないだろ」
「そうもいかないんですよこちらとしては。貴方に付いて来て頂きたい場所があります」
そういうと、森園生は優しく笑みかけてきた。どこか含む様な笑みを浮かべて─────

 

 

 同行を強要され、着いた先は軍病院だった。何故この様な場所に連れて来られたのか説明もなしに連れてこられ、
挙句、理解する間も与えられずにある病室の前に立っていた。俺の隣に立つ森園生が中に入るよう促してきた。
俺はそれに仕方なく従い、中に入る。病室に入ると一番に視界に飛び込んで来たのが、古泉だ。その隣には佐々木がいる。
そして、ベッドに寝込んでいるのが長門の叔父だった。まさか、この人がな。
「やぁ、どうも」
いつもの様に、涼しい顔して佇むこの優男が俺の側に近寄ってきた。
「そんなに怖い顔しないでください。実は貴方を呼んだのは他でもない僕です」
「そうだよキョン。まずは落ち着いたらどうだい?」
ベッドの側で座っている佐々木が此方を見て微笑んでいる。
しかし、呼んだって何故俺を?意図が解らん。
「お前らには聞きたい事が山ほどあるんだが」
俺の言葉に肩を竦める古泉が、「解りました」と言い語り始めた。
「貴方は高等部に移る際に演劇コースからのパイロットコースへの転科をしましたね。実は中等部から高等部に移る際に選考が行われるんですよ。SMSではね。僕と佐々木さんはその選考を通ってこうしてSMSでパイロットをしている訳なんです。ですが、貴方は途中転科の為この選考は受けていない為、この事実を知らなかった。いや、実際知るべきではなかったのです。何せ、いつ死ぬか解りませんからね僕らは」
言葉を区切るように前髪を人差し指で弾いた。
「それより。実は貴方の腕を見込んでのお話が…」
「後は俺が話す」
言葉を続けようとしていた古泉の言葉を遮る様に、ベッドに横たわっていた新川が口を開いた。
「俺が古泉に頼んで呼んでもらった。それから、すまないな園生。もういいぞ」
ドアの側に立っていた森園生に新川が声を掛けると、一礼をした後病室を出て行いくと。
彼女が出て行くのを確認した後、目の前の初老の男性が再び口を開いた。
「彼女にお前を連れてくる様に古泉に頼んだんだ。私用で頼めるのはあいつくらいだからな」
「…それで、俺にどんな話があるって言うんだ」
俺の言葉にフッと鼻を鳴らし不敵な笑みを浮かべた後、新川は語り始めた。
「有希の事は感謝している。まさかあの場にあいつまで来ているとは思わなかった」
長門の事か。しかし、それだけなら軍人を使ってまで連れて来るなんて大袈裟な事は必要ないんじゃなかろうか。
「それだけじゃないだろ」
「ほう、意外に鋭いな。実はだな、お前あのときヴァルキリーに乗せろと言っていたな?あれを経て…バジュラとの戦闘を見てそれでもまだ乗りたいか?」
そう言葉を放つ新川に、俺は自分のやり場のない苛立ちをぶつけるように言葉を投げた。
「あぁ、変わらないさ。それより教えてくれ!そのバジュラってのは一体何なんだ!?」
その言葉と同時に新川の眼が変わった。狙った獲物は逃さない鷹の様な鋭い目だ。
「聞いたらもう元に戻れないぞ」
俺と新川の会話に割り込む様に古泉が語り始めた。
「貴方はご存知ですか?民間軍事プロバイダーである僕達の死は戦死ではありません。事故死扱いです。墓碑が建てられる訳でもなく、船団を上げての葬儀も行われません。それに、身内にすら詳細な事実が伝えられる事はありません」
「構わないさ」
俺の言葉に古泉は珍しく真剣そうな面構えをしていた。
そして新川がフッと鼻を鳴らし何処か含む様な笑みを浮かべた。
「解った。いいだろう、明朝0800までに宿舎に入れ」
「イエッサー!」
「それは明日からだ」
そういうと、敬礼をする俺に新川が微笑を浮かべている。
「キョン、本当に良いのかい?」
怪訝な面持ちで俺を見上げる佐々木に俺は「あぁ」と答えると、いつもの様にニヤケ面に戻った古泉が。
「推薦した以上、僕が責任を持って貴方を訓練致しますよ」
「推薦って何の話だ?」
「実は、バジュラ殲滅後病室に運ばれた新川隊長がお気付きになられた後、貴方をSMSに入れるよう推薦したんですよ。まさか、こうも急に事が進むと思っていませんでしたが。僕がその話をした後、すぐ連れて来いと申されたので。森さんにその旨伝えた次第です」
どうやらそういう事らしい。だがお陰で俺はSMSに入れる事になったんだ良しとするか。
「それより、キョン宿舎までの道は解るのかい?」
「いや…、知らないが」
「それでどうやって来るつもりだったんだい?まったく、君らしいというか」
クククと妙な笑い声を上げ、俺に向かって微笑みかけてくる佐々木に、取り敢えず明日の道案内を頼んでおいた俺は、そのまま一礼し、病室を後にした。

 

 俺は今日遭った出来事を思い返しながら、ある場所へと赴いた。何度か行った事がある、辺りを一面見渡せる丘だ。
俺は辺りはすっかり暗くなっていた。此処から一望出来る建物の光が心を落ち着かせてくれる。
微風が俺の頬を撫でるように流れている。ふと、耳を澄ますと何処からか歌声が聞こえてくる。
俺はその歌声に誘われるように足を動かす。そして、着いた先には長門有希がいた。
「長門?」
「キョン…君?」
思わぬ人物の登場に驚きを隠せないのか、口がパクパクしている。
それを見ると何故だか申し訳ないような気になってくるのは気のせいだろうか。

 妙な再会を果たした俺達は、二人並んで塀に寄りかかり景色を眺めていた。
「私ね、昔の記憶が何もないの。それに、自分が何者なのかも…」
唐突に自分の素性を話し始める彼女の横顔は何処か哀しそうだった。
「最近ね、記憶が途切れたりする事があるの。私どっか変なのかなって思うと、凄く怖いんだ…」
もしかして、あの時の長門がそうなのか?いや、しかし…あぁくそ、まったく解らん。
「そうか…。だが、自分の過去や自分が何者かだなんて、そんなに大事なんだろうか」
俺も、最近漠然とした曖昧な感覚に捕らわれる事がある。それに、昔の記憶が曖昧だ。
「そう…かな」
何かを訴え掛ける様な面持ちで俺を見上げる彼女の頭を撫で、
「今が良ければ、それで良いんじゃないか?」
と思い付きで言ってしまったのだが、その言葉に彼女は優しく微笑んだ。
思わず見惚れてしまいそうになったが、俺は目を逸らし景色を再び眺めた。
「自分が何者なのか…か」
その時、唐突にあの時の長門の言葉が頭を過る。
擬似世界、俺がいるべき場所ではない。

その時、ある光景が俺の脳裏に蘇るように映し出される。
其処は木造の部屋の中に綺麗に並べられた長机、パイプ椅子。団長と書かれた三角錐が置かれた机の上にあるパソコンのディスプレイが陰になり、其処に座っている人物の顔が見えない。

 「大丈夫?」
長門の顔が目の前にあった。思わず情けない声を上げた俺は、身動きしようと動く。
すると、自分が寝転がっている事に気が付いた。そして、俺の後頭部が感じる柔らかい感触。
そう、今俺は長門に膝枕をされている状態なのだ。いや、確か俺は景色を眺めながら…うーん。思い出せない。
「突然倒れたからびっくりしたよ」
そういうと微笑みかけてくる長門に、「ああ」と力の無い返事をするので精一杯だった。
どうやら俺は気を失っていたらしい。しかし…、あれは一体。
今自分が見ていた記憶の断片を思い返したが結局曖昧な事しか思い出せなかった。
「あの…そろそろ足が…」
「あっああ、そのすまない」
俺は急いで身体を起こし、立ち上がった。
長門は痺れた足を伸ばすようにしてから立ち上がると、俺の前に来て微笑んだ。
「そろそろ帰る?」
「ああ、送るよ」
この時の俺は、ただ目の前の事象に流されている事に気付いていなかった。


 翌朝、時間通りに着く様に佐々木に宿舎へと案内してもらい。俺は無事SMSに入隊する事になった。その後、数多に渡る古泉の猛特訓により、俺は耐え難い肉体の悲鳴を覚える事になる。
俺はその時誓ったのさ、いつかこのニヤケ面に一泡吹かせてやるってな。
事は順調に運び無事最終試験、模擬弾を用いた実戦テストを通過した俺はスカル小隊のメンバーとなった。

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最終更新:2008年08月06日 22:26