「……で、俺たちは今、ここで、何をやってる?」



 脱兎の如くというのは少々大げさすぎるかも知れないが、早足且つ病院のスタッフに見つからないよう気配を殺しつつ、ようやっとの事で病院を抜け出すことに成功した俺たちは、早々と郊外にある環状線道路まで移動していた。
 病室を出る途中、あるいは病院を抜け出した時には追っ手の心配もしていたのだが、それは杞憂に終わった。
 先程、俺一人が病室から抜け出そうとするだけで複数人の看護士医局員に回り込まれたりしていたのだが、橘と一緒に脱出した際は何故か人っ子一人見あたらなかったのだ。
 橘の『だから大丈夫っていったでしょ』という言葉は全く信用ならなかったが、結果としてセーフだったと言うことは事実である。ただそれはそれで大きな間違いを犯しているような気がするのは、こいつが持つ人徳の賜と信じてやまない。
 しかし……こいつがこう軽々とこの病院に侵入アンド脱出を果たせたのは一体何故だろうね。機関の人間が嫌いな匂いでも放っているのだろうか? 少し嗅いでみたい気もするが、我が身が心配なので計画するだけに留めておこう。

 ――ここまでは良かった。例え橘京子でなくともここから脱出の手助けをした人物に賛辞の言葉を贈りたと思うし、それが橘京子ならばようやくまともな人間になれたんだお父さん嬉しいぞと、我が子を慕う父親のような台詞を吐いても構わない。
 しかし、やっぱりこいつは橘京子だった。こんなまともな終わり方をしたら橘京子ではなくなってしまう。頑張れ橘京子。電波な行動をしてこそアイデンティティを発揮できるのだ。
 ……嘘だ。本気にしないでくれ。
 暫くは橘を先頭にして奔っていたのだが、彼女は立ち止まりやおら俺の方を向いて、
「さあ、ここで良いでしょう」
 と言って俺の手を強引に引っ張り、とある場所に強制連行されたのだ。
「ここが目的の場所です!」
 その場所にたどり着いてしばし。あまりの事に呆然としていた俺がようやっと口を開き、冒頭のツッコミへと繋がるわけである。



「何って……決まってるじゃないですか」
 何が決まっているんだろうか? 閣僚会議で国民の意見を真摯に無視する与党幹部のような決めつけは止めてくれ後生だ。
「決まってますよ。世界の異常を更正するためにあたしは遣わされてきたのですから。総理大臣でも大統領でも総書記でも、あたし達のする事に異を唱えることはできません」
 天命を受けて北狄南蛮を退治しに来た元帥みたいな、偉そうな口調である。むかっと来たぞ。
「そんな事言わないでください。あたしだって真剣なんですから今回は。いつもお馬鹿なことをやっているように見えますが、やるときは真面目にやります」
 お馬鹿なことをやっている自覚はあるんだな。
「ま、これがあたしの実力なのです」
 ほほう……なるほどなるほど。それが実力なんだな。そーかそーか。
 アホらしくてつっこむ気にもならん。だが話を正常化させる努力は必要だ。重い頭を振りつつ、俺はもう一度話を最初からし直そうと決めた。
「橘」
「はい?」
「ここは、お前の目的の場所か?」
「ええ」
 即答しやがった。
「俺の記憶が確かならば、お前は俺を閉鎖空間に連れて行くと思っていたんだが……」
「ええ。そうですね」
 そうですね、じゃないだろ。ならもっと言うべき事があるだろうが。
「で、ここはその閉鎖空間とやらなのか?」
「まさか。そんな訳ないじゃないですか」
「ああそうかいそうかい」もう何か投げやりな口調になってきた。「じゃあ何をしにここまで……」
「レアチーズケーキとシナモンティーをご注文のお客様ー」
「あっ! はーい! あたしでーす!!」
「お待たせしましたー」
「やったぁ! 久方ぶりの甘いものなのです! 気分はスイーツを訪ねて三千里って感じ! もう我慢できません! お先頂きますねー。あーん…………んんっ! おいひー!!!」
「……………………」


 ……俺の本質をズバッと突く、鋭利な刃物のようなツッコミをひらりマントを使ったかの如く華麗に無視し、このKYは自分の注文した物品を絶賛しながら食していた。
 深夜だというのに、がやがやと騒ぎ声を立てながらたむろしている連中。
 深夜だというのに、ドリンクバーのアイスコーヒー片手にペンを執る人。
 深夜だというのに、やたらと明るい店員さんの挨拶。

 もちろん閉鎖空間であるはずがなかった。
 ここはいたって普通のファミリーレストラン。24時間営業年中無休。最近では漫画喫茶にお株を奪われがちだが、今なお人気ある深夜の溜まり場である。




「いやあ、へいはくうかんひいこうとはおもっへわいるんへふえろ、きょうわあははらほとんろはにもはへてなくへ……それへここれはらほしらへしようろ……」
 顔を赤らめながら言い訳じみたことを言う。
 食べながら喋る癖は未だ治っていないのかこいつは? 言い訳よりもお子ちゃまみたいなその言動の恥ずかしいと思うのだがそれは俺の気のせいなのだろうか?
「ふええ……すひはへん」
 もういい。喋るな。

 橘の言い分はこうだ。
 朝から食事らしい食事をしていなかったこやつは、閉鎖空間に行くとは言ったもののお腹がすいて力が出ないと万一の時に大惨事となりかねない。これはやばい、腹ごしらえは必要なのです、どうしましょうかと思い悩んでいたそうだ。
 そんな折、タイミング良く『深夜のスイーツフェア』なる登りを立てていたこのファミレスに釘付けとなり、気が付いたらこの店に入ってしまった。
 以上。説明終わり。
 はあ……もうなんて言うか……
「別に腹ごしらえが悪いとは言わん。だがそれならそうと先に言ってくれ。そうしないとこっちも困ることがあるんだ」
 こくんっと音を立ててケーキを飲み込む音が聞こえた。
「困ること? あっ、お金のことなら心配しなくても良いですよ。今回ちゃんと組織からくすねて……もとい、予算承認されていますから」
「誰もお金のことなど言ってないわ。割り勘だろうが普通」
「ええっ! こういう時って、普通男の人が払ってくれるんじゃないんですか!? あたしずっとそう言うものだと思ってましたぁ」
「何でそうなるんだぁ! 俺はお前をデートに誘った訳じゃねえ!」
「えっ……で、デートぉ!? そ、それならもう少しおしゃれしてきたのに……」
「人の話を聞けぇー!!」
「……ま、冗談はこれくらいにして」
 うわぁ……こいつに話を流された……すっげえ悔しい上に人間としてのプライドをずたずたされた気分だ。
「いやぁ、ちょっとからかってみたくて」
 た、橘に手玉に取られているだと……? 俺、人間として失格? それとも今までのこいつのアホっぷり、実は演技?
「その話は何れ……それよりここに寄った理由を申し上げますね。理由は3つあります」
 フォークを置いて姿勢を正し、右手で親指人差し指中指を立ててアピールした。普通人差し指中指薬指だと思うのだが、ツッコミは止めよう。また流されそうな気がする。
「一つ目はこれから対策案を協議して計画を摺り合わせること。二つ目は……恥ずかしながら腹ごしらえのため。そして三つ目ですが、待ち合わせのためです」
 待ち合わせ? 誰と?
「もうじき来るはずです……ほら、あそこ」
 タイミングが良いと言えばタイミング良く入り口の鐘が鳴り響き、店員さんが対応のため近くまで寄っていった。幾ばくも立たないうちに店員さんに案内され、そいつはやってきたそいつは――
「こんばんは。深夜に呼び出しとは。少々礼儀を知らないようですね。橘さん」
「ふふふ、彼を軟禁状態で閉じこめて良しとする機関の方に言われたくないですね」
 ――二人の火花が散っているようにも見えた。
「そうか、お前か……」
「この姿じゃ、話を聞くまで誰か分からないでしょうね。そうです、僕です」
 本来ならニヒルな微笑みを返すのだろうが、姿が姿だけに可愛らしい笑みを浮かべた彼――橘(古泉)はそう答えたのだ。



「説明して頂きましょうか、橘さん」
 店員が水とおしぼりを用意し、席から離れた刹那、愛らしい目元を一転、容疑者を尋問する警察官の如く鋭い目つきを構えた。
 しかしその鋭い視線に橘は動じた様子もなく、ただくすっとだけ笑った。
「……僕の視線では、あなたをひるませる程の力は無いのは重々に承知しております」
 それが気に入らなかったのだろう、橘(古泉)は冷徹に言い放った
「しかし、今回の件は僕も真剣なんです。その姿を見て鼻で笑われるとさすがに僕も黙っていません。あなたの所望で機関の仲間には連絡しておりませんが、これ以上沈黙を続けなさるようであれば、早速にでも森さんに連絡を取ることに致します」
「ふふっ……勘違いしないでくださいね」
『勘違い?』
 俺と橘(古泉)の声がハモった。
「あたしはただ、自分の怒ってる顔がこんなに愉快なんだなーって思って見ていただけです。つい面白くて吹き出してしまいましたが、決して古泉さんを侮蔑したわけではないのです」
 微笑みを絶やさず語る本物の橘。どうしたことだろうか、今回の橘は意外にもまともな行動が目立つ。やっぱり今までの対応が演技だったとでも言うのか? いや、それは無いはずだ。多分。
「腹ごなしも大体終了しましたし、それでは今から何をするのか説明しましょう。とは言ってもそんな大それたことではありません。あたし達がやることは、涼宮さんの価値観を正常に戻すことです」
 正常に戻す……と言っても、それはかなり苦労すると思うぜ。ちょっと前までは大分正常に戻ったと思ったんだけど、ここ最近はまた変なことを言い出し初めて、そしてこの有様だ。
「ですが、それを実行しない限り世界は更におかしくなってしまう可能性があります。そうですよね、古泉さん」
「…………」
 意見を求められたもう一人の橘はしかし答えなかった。あたりのざわつきに対し、この空間は場違いに浮いていた。
「そんなに警戒しないでください。決してあなたや機関をを利用しようなんて思っていないですから。そのための会合ですよ」
 カチャンとスプーンで紅茶をかき混ぜた橘が、一口二口とこれまた場違いな程優雅に、啜るような音を微塵も立てずカップの中身を飲み干していく。
 相変わらずの沈黙を保ち、そしてカップの中身が半分以上減ったと思われる頃。ようやくもう一人の橘が喋りだした。
「……ええ、確かに。このままで良いという意見は微塵もありません。これは機関でも、そして僕個人の意見も同じです。ですが……」
「まだ、あたしが信用できないと?」
「今まで散々辛酸をなめさせられましたからね。あなたには」
 うむ。それについては俺も同意見だ。
「おかげで僕は日中深夜問わず閉鎖空間に行かされる羽目になりましたからね。20時間以上あの空間に閉じこめられたこちらの身にもなって下さい」
 瞬間、橘の顔が動いた。『うっ』と声を上げ、先ほどまでの優雅さは掻き消されてしまった。
 そして。
「ご、ごめんなさい……」
 意外にも素直に謝った。
「あたしだって世界を憂う気持ちは機関の方達と変わりありません。対象が異なるだけで。ですから力を貸して欲しいのです。お二人の力なくては世界は救えないと思います。お願います」
『…………』
 橘の言葉に再び沈黙し――
「取りあえず話だけは聞いてやる。それくらいはいいよな、古泉?」
「…………」
 しかし、元エスパー少年は首を縦に振らない。
 気持ちは分からんでもない。だが……
「お願いします。せめて話だけでも……」
「古泉」
 このままでは事態は何も変わらないぜ。徐々に悪い方向に向かっている以上、何かしらアクションをとらなければいけない。もちろんそれで事態がより悪くなる可能性だってあるが、だからといって現状維持では良くなるわけでもない。
 橘の奴もかなり反省しているみたいだし、ここは大目に見てやれよ。それにこいつは元の世界に戻る方法を知っていて、それを実行しようとしていることは分かったんだ。敵対している組織であるお前も呼んでな。だから罠って事はないと思うぜ。
 それに機関がその方法が分からず手をこまねいている以上、意見を採用しても良いんじゃないか?
「…………」
 橘(古泉)の沈黙は更に続くと思われた、その時。
「……わかりました。話を聞くだけなら構わないでしょう」
「古泉さん! ありがとうございます!」
「ただし」と続けた。「あなたにおかしな言動や行動があった場合、即座に森さんを呼び寄せますから。そのつもりで」
「大丈夫なのです。今回はちゃんとまともに動きます。決してキョンくんや古泉さんを陥れることはしません!」
「まあ……あまり期待できませんが、あなたの手腕を見守りましょう。それで、具体的には何をするんですか?」
「ああ、そうでしたね」といった後、こほんと咳払い。
「今から涼宮さんの閉鎖空間に行きます。そして今回の事件の発端となった、涼宮さんのコアを見つけ出します」
 ハルヒのコア? あの空間の中にそんなものがあるのか? と言うかコアとは一体何だ?
「涼宮さんの想いを、実際に改変させることの出来る因子……言うなれば、涼宮さんの本体。本心が具現化したものと考えても差し支えありません」
「おい」ちょっと待て。「姿は変われど、この世界にハルヒは存在しているんだ。それなのに閉鎖空間にもハルヒが居るってのはどういうことだ?」
「この世界の彼女は偽物。本体の涼宮さんによって創り出された存在です。本物の涼宮さんは、閉鎖空間にいます。そこで世界を操っているのです」
 彼女の説明はこうだ。
 ――閉鎖空間とは、人間誰もが創り出せる、夢の世界のようなものです。普通ならば、夢の世界を築き上げたとしてもその世界が夢であることは無意識的に自覚していますし、本人がそこに留まることなどありません。
 しかし、現実世界に絶望した、あるいはよほど強い願いがあって、その世界にあこがれていた場合、人は内面に自身の想像した世界を構築してしまい、そこに留まりたいと考え、出現します。それがコアなのです。
 ただ、普通の人であればここまでの能力しか持っていません。主に眠りから覚めることによって元の世界に戻ってしまいます。ですが涼宮さんは違います。彼女は創造世界を現実世界に塗り替える能力を持っているのです。
 それこそがあたし達組織が畏怖していることであり、その能力を移し替えようと尽力しているのです――

「……閉鎖空間の概念については諸説あり、どれが正しいのかは機関内でも意見の分かれるところで一概には言えませんが、橘さんの言いたいことは理解できます」
 うむうむと頷いた橘(古泉)は、彼女の意見を支持した。
「二年前の件を思い出してください。あの時は涼宮さんがあなたを引き連れ、世界の終焉と創成を今まさに実行せんと画策しておられました。その際、確かに涼宮さん自身が生まれ変わろうとする世界の中心にいました」
 二年前のアレ……面白くも何ともない世界に失望したハルヒが、もっと面白い世界に改変しようと暴走した、あの一件である。
「つまり、あの時と同様のことが起きているとお考えなのですね、橘さん」
「その通りです。さすが古泉さん、話が早くて助かります。閉鎖空間に入るためには古泉さんの力が必要です。あたしの能力は佐々木さんの閉鎖空間に侵入することであって、涼宮さんの閉鎖空間に侵入することではありません。だから協力を要請しました」
 ……なるほどね。
「そしてキョンくん。あなたには前回と同じように涼宮さんを見つけ出して欲しいのです」
 世界を元に戻すようハルヒに説得しろと言いいたいわけだ。
「ええ、そうです。概ねその通りなのです。それがあたしや、あたし達組織が考え出した結論です。異論はありませんよね、古泉さん」
「そう言うことであれば問題はないでしょう。ですが、一つ問題があります」
「問題?」
「前回、僕は新世界の卵とも言うべき涼宮さんの閉鎖空間に侵入することはできましたが、それはかなり不完全なものでした。今回もそれと同等の世界が構築されているとなれば、僕の力だけで侵入できるとは思えません」
「それは……多分、大丈夫だと思います。彼がいますから」
 にこっと笑って俺を指さした。
「新しい世界への扉を開ける鍵は、まだこちらにあります。前回のように、涼宮さんが鍵を持って自室に閉じこもったわけではないのです」
「なるほど……それもそうですね。了解しました。彼の力を存分に振るって頂くことにしましょう」
「ありがとうございます! それでは早速……」
 双子の如き同じ容姿を携えた二人はお互い握手し、そしてどちらからともなく席を立って――


「おい、俺はまだ賛成するとは言ってないぞ」


 戦争の終戦調停を最後の最後で破棄するようなセリフを述べ、二人を硬直させた。
『え……?』
 まさかの反対意見に戸惑うツインズ。二人とも俺が反対するとは思っていなかったようだ。さっきから俺の話題を無視しやがって。俺の意見はどうなるんだ?
「どうしてですか? 実績ありだから簡単でしょ? 何か問題でもあるんですか?」
 実績があるから反対しているんだよ。
「以前あの世界から戻ってきたときと同じ事をすれば元の世界に戻れるんですよ?」
 だから、それが嫌なんだよ。
「そっか、そんなに大変なことだったんですね。何なら手伝いますよ」
 いや、手伝ってもらうとかそう言うレベルじゃなくて……古泉。お前も何か言ってやってくれ。
「そうですね……」
 ニッと笑うその仕草。元のハンサムボーイと同質のものであった。何かやばいぞこれは。
「そうそう、すっかり失念していましたが、あの時どうやって戻ってこられたのか、その方法を未だ伺っていませんでした。後学のためにも教えて頂きたいですね」
「あ、それあたしも聞きたい。教えてください」
 待て待て待て。話が変な方向に曲がって来やがったぞ。今問題なのはそこじゃないだろ。
「いいえ。元の世界に戻る重要なことです。算段はつけていた方が良いのです」
「同感です。涼宮さんを見つけても、世界を戻した要因が分からなければそれまでの苦労は徒労となってしまいます」
『さあ、だから早く!』
 なんて普段はいがみ合ってるのにこういうときだけ同調するんだお前ら! 口が裂けても言わん!
「うーん、しぶとい」
 そう言う問題じゃないだろ!
「言葉だけで説得したとは思えませんね。あの涼宮さんが容易に人の意見を取り入れるとは思えませんし……」
「なら暴力とか? 服従するよう体に染みこませたとか。キョンくんって意外とサディストですし、涼宮さんもああ見えて結構マゾヒストなんです! ……女のカンですが」
 勝手な憶測で物事を進めるな! そして何だその根拠のない女のカンとやらは!
「あ! もしかして、『俺はお前がいないとダメなんだ』みたいなことを言ったとか!」
「あるいは、『俺は元の世界のお前が好きだったんだ!』なんて告白したり!」
「実はそこから強引に押し倒して!」
「そのままなし崩し的に操を奪って!」
『あちらの世界に希望を持てなくなった涼宮さんが元の世界に帰らざるを得なくしたんですね!!』
「馬鹿かお前らぁ!!」
 そんなことするかっ! 人の話を聞けぇ!!
『えー』
「声をハモらせて残念そうな顔をするな! そんな悪逆非道の限りを尽くしたりせんわ!!」
「じゃあ、何をしたんですか?」
「俺はキスしかしとらん!!」


 ――あ。


「へえ……キスですか……ふーん……へへへ……」
「なるほど……夢見るお姫様に、王子様は目覚めのキスをした訳ですね。だから涼宮さん……」
『ふふふーん』
 …………。
 くそ、見事に誘導尋問に引っかかった……
 裁判長。検察官の尋問は無効です。棄却してください。お願いです……




 もちろん請求棄却された。
 橘と橘(古泉)は二年前の事件について、事細かに閉鎖空間での出来事を聞き出し洗い出し、そして自分の知識へと還元していった。
 無論、喋りたくて喋ってる訳じゃない。自分の都合の悪いことは喋らないつもりだし、そもそも関係のないこいつらに話す義理もない。
 しかし、こいつらは何故か俺の嘘を嘘と見抜き、矛盾点を示し合わせ、俺の本当の答えを促していたのだ。検察官や弁護士もビックリの先見の明である。将来はそう言った職に就けばかなり有名になるかも知れないが、今は勘弁して欲しい。
 そして結局洗いざらい吐かされ……

「そうですかぁ……『実は俺、ポニーテール萌えなんだ』って、その時初めて公言したわけですね。組織でも語源については確証がなかったんですが、そうでしたしたかそうでしたか。ふふふふふ……」
「なるほど。あの日以来涼宮さんの深層心理が落ち着いていったのは、あなたに対する自分の欲求が満たされたからなのですね。いやいや。涼宮さんも可愛いところがありますね。もちろん、その欲求を叶えるあなたにもね。くくくくく……」
「…………」
 もはや羞恥プレイも良いところである。公衆の面前でなんでこんな恥ずかしい目に遭わなければいけないんだ俺は。


 ひとしきり見せ物にされ、もはや恥ずかしいものなど微塵もなくなった頃、二人はようやく本題へと移っていった。
「さあて、それでは閉鎖空間に行きましょうか。お姫様の」
「スリーピングビューティを目覚めさせるために、お供致しますよ、王子様」
 いい加減そのそのネタを引っ張るな。




「さて、どこにそのコアが居るかですが……心辺りはあるのでしょうか?」
「涼宮さんの関連の深い場所、恐らく北高の部室が一番怪しいと思います」
 それからおよそ一時間後、俺たち三人はようやくハルヒの閉鎖空間へとたどり着いた。
 閉鎖空間に来るまで結構な時間がかかってしまったのだが、これはハルヒの閉鎖空間を探し出すのに苦労したためである。
 古泉によると、ハルヒの閉鎖空間発生確率は確かに増えているものの、それでも閉鎖空間を常時発生させているわけではなく、そして今日発生させるとは必ずしも言い切れないとの事だった。
 それにコアが閉鎖空間に居る以上、夢を見ているときにしか発生させていないと言うものだから、ハルヒが首尾良く夢を見て、尚かつ閉鎖空間を発生させていなければ意味がないのだという。
 時は丑三つ時をやや過ぎた辺り。夢を見る可能性はなきにしもあらずなのだが、そればかりは運が左右する。暫くは様子見するしかないとのことでこのファミレスで待機していた。
 ……その間、二年前の出来事について散々詰られたことは言うまでもない。
 拷問に近い尋問を受けること30分、待ちに待ってました閉鎖空間の発生。ここぞとばかりに話題を変え、二人を引き連れて向かったまでは良かった。しかしその場所というのが少々遠い場所にあり、そこまで行くのにもう30分を費やしてしまったのだ。
 橘(古泉)が示した場所にたどり着くと、深夜と言うよりはもう早朝と言った方が早い時間になっており、もう少ししたら東の空が白み始めるのではないかって言う時間にまで差し迫っていた。
 朝が空ける前に事を終わらしたいと思った一同は即座に閉鎖空間に侵入した。幸いなことに、危惧されていた入場制限はかかっていないようで、閉鎖空間は古泉の力で難なく入ることができた。
 古泉は『あなたがいたから、難なく侵入できたのですよ。僕たちだけでしたら侵入することすらままならないでしょう』などと発言をしていたが本当か? 俺を買いかぶりすぎている気がするんだが、その辺どうにかならないものかね。
 そして、もう一つ良いお知らせが。
「この姿……3日ぶりでしょうか。決してナルシストではないのですが、自分の姿がとても愛おしく思えます。ずっとあの姿では行動の制限が著しかったですからね」
 ここではハルヒによって改変させられたまやかしの姿が一転、古泉は元のハンサムボーイの姿を取り戻していた。ここはハルヒのトンデモ能力の勢力外だったらしい。
「ひっどーい! あたしの体にケチをつけないでください!」
 ぷりぷり怒るオリジナル橘。
「そう怒るな。古泉の気持ちも汲み取ってやれ。四六時中お前の姿を見るはめになったんだぞあいつは。色々大変だったはずだぜ」
「あたしの体はそんなに迷惑なんですか!」
「いや、迷惑云々じゃなくてだな……」
 橘の肩にポンと手を当てる。
「よーく考えろ。あいつはお前の体のまま生活をしていたんだぜ。着替えるときも、風呂に入るときもな」
「え゛……」
 石像の如く固まった。
「橘さんの……その、生まれたての姿は、えー、……何と言いますか、それはもう十分堪能させてもらいました。思春期を謳歌している一男子高校生としては、むしろ刺激的でしたよ。ここはありがとうございましたと言うべきでしょう」
 ニヒルというよりは少々困惑気味のスマイルを浮かべる。本家の方は未だ身動きせず固まっているが……
「……う」
 ――うわわわぁぁぁん!! ――
「あーあ、泣いちゃった。どうするんだよ」
「別にほっとけばいいのではないのですか?」
「それもそうだな」
『はははははっ』
「笑い事じゃありません!! 古泉さん! 責任とってください!!」
「そうですね……では、お詫びに」
「お詫びに?」
「森さんとハニカミデートなんていかがでしょうか?」
「絶対ヤです!!!」



 暫く歩き俺はふと疑問に思ったことを口に出していた。
「なあ、なんで北高なんだ?」
「今までの人生の中で、涼宮さんが一番思い入れの深い場所だからです」
 確かにこの三年間、ハルヒの破天荒な行いに一番つきまとわされたのは他でもない、ここであろう。
 しかし。
「それは俺にだって分かっているさ。でもな、ハルヒがそこに留まっている理由もないだろう。他の場所に移っている可能性だってあるんだぞ。そっちの探索はどうするんだ」
「疑いが一番濃い部分から潰していくのがセオリーでしょう。それとも、もっと疑わしい場所があるのでしょうか? ならば是非にご教授願いたいのですが」
 言い出しっぺだし、仕方ない。一応ハルヒが他に行きそうな場所の案も出してみた。


 その一。ハルヒの自宅。
「無いとは言えませんが、この世界に来てまで引きこもりはしないでしょう」
「そうですね。却下です」

 その二。長門のアパート。
「うーん、それはないですね……」
「もっと真剣に考えてください、却下です」

 その三。俺の家。
「それは我々の中でも第二候補として上がっています」
「北高にいなかったそこを探すつもりなのでした」

 その四。もっと不思議そうな場所。
「どこですか? 具体的に仰ってください」
「単に意見を言うだけじゃ駄目なのです。もっと建設的な意見を仰ってください。却下です」

 その五。実は先ほどから橘京子の背中にぴったりとくっついている。
「おや、気付きませんでした。本当ですね。橘さんの肩から人の手が……」
「ひえぇぇぇぇぇ!!!」


 とまあ、こんな感じで本当にこのメンツで世界の危機が救えるのか訳分からん状態に陥りながらも、コアが存在しているとおぼしき北高の旧校舎へと足を運んだ俺たちだった。
 本当にここにハルヒのコアが居るのかどうなのかは未だに疑問だが、超能力者二人に『ここに間違いありません』などと迫られ、尚かつ他にハルヒが行ってそうな場所も検討が付かない以上、そこに向かうしかなくなっていた。
 それに、なんだかんだ文句を言いつつも、確かに北高が一番その可能性が高いのは火を見るよりも明らかであると俺自身思っている。
 裏付けもある。以前ハルヒと共にこの世界に閉じこめられた際、俺たちが居たのは北高であり、その区域から脱出することもできなかった。つまり北高を核にして閉鎖空間が存在していたと考えても良い。
 ただ、疑問点もある。今回のこの閉鎖空間。今までのものとは違い、行き止まりがないのだ。古泉曰く、『この世界は日増しに大きくなっている』とのことだ。
 現状では半径にして100km以上の空間が形成されており、この大きさは今までに類を見ない大きさなのだという。このまま行くと日本はおろか、世界中をすっぽりと包み込んでしまう可能性だってあるらしい。
 また、この空間の中心が北高と言うことも分かっており、そのことからも異空間発生源たる涼宮ハルヒのコアが北高にあるものと推測されるそうだ。
 さあ、さっさとハルヒの奴を見つけ出して説得しなきゃな。今回は口先三寸で何とかなるだろう。長門も朝比奈さん(大)も、アレを匂わすヒントは残していないし、前回の愚行を繰り返す必要がないのであればそれに越したことはない。
 ちゃちゃっと事を終わらしたいものだ。



 ――ハルヒのコアがいる場所。
 結果から言うと、俺たちの予想は間違っていた。
 いや、正確に言うと半分は正解だった。
 だが、もう一ひねりが足りなかった。
 そして、その原因探求が遅れたことによってさらなる惨劇へと導かれるはめになろうとは――




 北高の敷地内へと侵入した俺達が向かう先はただ一つ。即ち部室棟にある一教室。表向きは文芸部の部室、実質ハルヒの私室となっているSOS団専用部室へと向かっていた。
 部室棟に潜り込む方法は二つある。
 一つは本棟というか新校舎というか、つまり俺達が普段授業を受けている校舎から渡り廊下を伝って入るオーソドックスでオーディナリーな方法。そしてもう一つは部室棟の避難口から侵入する方法だ。
 前者は普段俺達が使っている方法で実績もあり、確実な方法ではあるものの、幾分時間がかかってしまう欠点がある。対して後者は早く侵入できるもののイレギュラーな侵入形態であり、且つ普段は内側から鍵がかけられている。
「さて、どうしますかね」
 迷うことなど無い。方法など一つだ。
「こっちだ。いくぞ」
 俺は皆を引き連れて向かった。
 ――部室棟にある、避難口へと。
 こっちを選択した理由はそれほど難しい理論が絡んでいるわけではない。単にこっちのほうが早く部室へといけるからだ。
 内側から鍵云々の話はあったが、深夜の学校なんてどの扉にも鍵がかかっているだろうし、それならば手っ取り早い方がいい。
 前回ここに閉じ込められた時は宿直室やら職員室に行って、鍵をとるなどの大回りをしていたのだが、今回はそんな面倒なことはしない。鍵がかかってたらぶちこわして侵入すればいいのさ。どうせ本当の世界には影響がないんだから。
 まあでも、できれば泥棒の真似事はしたくない。鍵がかかっていなければそれに越したことはないんだけどな。
 そんな思いを頭の片隅にしまいつつ、一行は避難口に立ち――
 ガチャリ
 普段空くことのない避難口のドアノブは、音を立てて回った。



 早朝といってもまだ空は暗闇に覆われており、且つ閉鎖空間は元々夕立の空のように暗い。そのため部室棟も大部分が闇に覆われている。
 ハルヒのコア――といっても、つまりはハルヒ自身だ――を探す目的で侵入したわけで、決して肝試しに来たわけではない。しかし暗闇の旧校舎というのはそんな場所にうってつけなわけで、何が出てきてもおかしくない。
 いや、むしろ何か出てきたほうが安心だ。ハルヒの考えていることだからこんな場面で魑魅魍魎の一ダースや二ダースくらい出てきてもおかしくないし、実際その気持ちで構えている。
 しかし、俺はこの空間における異常に気付き始めていた。
「おかしいです。アレがいません……」
「これは少々奇異と言うべきでしょう。普段ならもうそろそろ出てきてもおかしくないはずですが……」
 エスパーでもない俺が閉鎖空間に侵入した経験は殆ど無いわけだが、それでもここで何が行われているかは既知の情報として前頭葉だか脳髄だかに染みついている。況やエスパーをやと言ったところだろう。二人の超能力少年少女もそれに気付いていた。
 お化けや妖怪どころか、もっとも可能性のあるアレ――古泉曰く、『神人』と未だお目にかかっていない。
 閉鎖空間。涼宮ハルヒが生み出すこの空間は発生後まもなく、そしてもれなく『神人』を出現させる。『神人』はビルやら何やらを破壊するという、悪逆の限りを尽くす。
 事実、俺がこの空間に侵入した際にも『神人』は出現し、そして上記の通りの行動を行っていた。
 しかし今回に至っては、閉鎖空間発生後一時間以上が経っているのに未だ『神人』の姿を観測できない。辺りを見渡せど、蒼白く光る半透明の巨人は姿を見せず、空はいつまで経っても薄暗い色を保ち続けていた。
 この状況にエスパー部隊は面食らった表情をしており、先ほどから納得のいかないような顔つきで廊下を歩いていた。まるであの巨人と早くドンパチしたがっているようにも見える。
「争いを好むわけではありませんが、早く出現して欲しいものです。その方が正常な流れと言えますからね。それに他の仲間が参上仕っていないのも気になります」
 『神人』が出現しないからこないんだろ、きっと。俺としては出てきてもらいたくないね。アレが出現することは百害あって一利なしだ。定石通りではないからと言って災いを望むことは止めて欲しいものである。
 それにあの姿を見ると、どうしても二年前のあの一件を思い出してしまい、とても憂鬱な気分に浸れるのだ。世界を救うためだったとは言え、勘弁して欲しいね。だからこそ、俺の中での結論は決まっていた。このまま出てきて欲しくないと。
 出てきて欲しくはないのだが――しかし俺はこの閉鎖空間にあるデジャビュを感じていた。
 昔同じような場所に来たことがあった。その場所とここは多少の雰囲気の違いはあるものの、それ以外では全く同じ。
 誰も、『神人』すら存在しない。モノトーンの一世界。ハルヒの閉鎖空間と対をなすであろう、悠久なる閉鎖空間。
 そこは……
「ここ、まるで佐々木さんの閉鎖空間みたいなのです……」
 圧倒的な暗闇の前に、皓々と輝く満月をガラス越しに見ながら、橘は寂しげに呟いた。
 ……正確には、過去の、と付け加えた方が良いかもしれないな。今のあいつはハルヒと同じく閉鎖空間を生み出しているんだからな。
「そうでしたね……」
 答えた橘は、何故か悲しそうな声だった。




「本当に、ここにハルヒがいるのか?」
「間違いありません」
「間違いないのです」
 俺の一抹の不安を払拭すべく、声を潜めながらも二人はそう答えた。
 部室棟の廊下。ある部屋の前。俺たちはそこにたどり着いていた。もちろん俺たちの――SOS団の部室の前である。
 ドアの向こうは一見したところ誰かがいるようには見受けられないし、電気や明かりの類も一切ない。
 本当にハルヒがいるのかどうか。それすら疑わしい状況である。
 だが二人はここにいることを確信していた。どうしてかと訪ねてもこの二人のことだ。『何故かは分かりませんが、分かってしまうのです』と答えるだけだろうし、それ以上突っ込んでも無駄骨である。
 ならばこんなところで油を売ってないでさっさと入り込めばいいじゃないかという意見もあるのだが、それを制したのはまたしてもこの二人だった。
 曰く、『言いようのない不安を感じる』とのことだった。
 ドアを開けたとたん光線銃だかアサトライフルだかで砲撃されるわけでも人影に驚いて逃げ出す訳でもないのだが、二人はとにもかくにも慎重論を推し進めていた。
 さて……どうするかね。
「この場でしばし待機をして、場に流れるオーラが変化したら入り込みたいと思います」
 やれやれ、持久戦か。
「しかたありません。肌にまとわりつくオーラが異様なのです。涼宮さんがこんな嫌な空気を発散していたなんて」
 案外お前のせいだったりな。
「そ、そんなわけないです!! あたしはなんにも悪くないのです! 悪いのは――」
「おいおい、大声を出すなよ。古泉に叱られるぞ」
「あ……す、すみません」
 はて……橘は確かにからかいがいのあるやつだが、少し過敏な反応ではないか? ちょっとからかったみただけなのにここまで逆上するなんて。まさか本当に何かしたんじゃないんだろうな?
「いやあ、だから、なんにもしていないですって」
 両手を振りながら後ずさりをする。橘は平静を装って隠し通そうとするが、甘い。月の光によって照らし出された、一筋の汗を見逃す俺ではない。
「古泉。ちょっと待った。橘の奴何か知ってるみたいだぜ。洗いざらい吐いてもらおうか」
「ふむ……確かに様子がおかしいですね。平時から尋常ではないのであまり気付きませんでしたが」
 うむ。確かに。奇行で奇行を隠す。孫子にも載っていない新たな戦術かも知れんな。
「それはあまりにもひどくないですか! あたしがいかにも変な人みたいじゃないですか!」
『変な人だろうが』
「こんな時だけ一致団結なんてひどいです! 訴えてやるのです!」
「訴えるのはこっちだ。ハルヒに何をした? 早く言わないと……古泉」
「森さんの携帯電話番号は……と」
「あああっ! そ、それだけは!!」
「じゃあ早く言え」
「ううう……」
 かすれた声を上げながら、一歩、また一歩と言い寄る俺たち。
「あと10秒以内に言わないと、古泉の携帯の発信ボタンが押されることになるぞ?」
「ひいい……」
 それの同調するかの如く後ろに下がる橘。
「ちなみに機関の携帯電話は、閉鎖空間内でも使用できる特別仕様です。涼宮さんがこの空間でも電気を使用可能にしてくれたので助かります」
「えええ……」
 そして、この女をドアまで追いつめた。
『さあ!』
「うわぁ!」


 ――バタン――


『な……』
 更に追いつめようとする俺たちに気圧され、橘はドアに背中を突きつける予定だったのだろう。しかし、ドアには鍵がかかっていなかった。ドアノブを回す間もなくあっけない程簡単にドアが開き、橘はそのまま部室の床へと倒れ落ちた。
 以前、朝比奈さんの着替えの最中、俺がドアに寄りかかってそのまま倒れ込んだときと同じシチュエーションと言えばわかりやすいかも知れない。
 しかし。その時とは違い俺は――
「あいたたたたぁ……ううう、たんこぶができましたぁ。ひどいですぅ……」
『…………』
「ん? どうしたんですか皆さん、固まっちゃって。ははぁ、さてはタフなあたしを見てびっくりしたんですね。そりゃあ毎日鍛錬していますからね。これくらいの衝撃なんか佐々木さんのエメラ○ド・フロ○ジョンに比べたら何ともないのです」
『…………』
「れれ? そうじゃないですか?」
『…………』
「うーん。あたしもまだまだですね」
『…………』
「……もしもーし」
『…………』
「あの、なにか仰ってください。単なる痛い人みたいじゃないですか」
『…………』

 ――橘の相手をしている余裕など、無かった。
 俺の網膜に入ってくる情報を脳が解析するのに必死であり、余計なことにリソースを分配することなどできない。それは古泉とて然りで、そのために沈黙が長く続いたのは既定事項と言っても差し支えないだろう。
 見事に二人とも沈黙し、そこに突っ立っていた。傍から見れば確かに怪しい人に見えかねない。
「もうっ! いい加減にしてください! それとも喋られなくなったんですか!? ならジェスチャーするとかしてください。そこまで無視されるとさすがにあたしも怒っちゃいます!」
 なるほど。それは妙案だ。俺はぎこちない動きで腕を上げ――どうやら古泉も同じ動きをしていたようだ――転げた橘の向こう、方向的には部室の窓の方を指さした。
「ん……?」
 それに気付いた橘も振り返り……
「――ひぃぃぃぃえぇぇぇぇぇ!!!」
 ……予想通りに悲鳴を上げた。




「……ョン、……の…………ン――……」
 ソレは、壊れかけているラジオが奏でる雑音混じりの声色か、そうでなければ工事現場で作業中に会話をする現場監督者のだみ声のような、聞き取りにくい声を発した。
 しかし、いくら雑音だけでも、いくら元の声が小さくても、その声は間違いなくあいつのものだった。
「ハルヒ!」
「たす……け――……」
「どうしたんだその姿!!」
「分かん――……な………………あた…………り、から――……擦れ……て……消え――……そう、で…………」
 ハルヒの姿。俺が今見ているハルヒは、人間の、見た目女子高校生の姿形をしていた。
 肩まで伸ばしたストレートヘア。頭にはリボンの付いた黄色いカチューシャをつけ、北高の制服を纏っているその姿は誰がどう見ても涼宮ハルヒである。疑う余地もなければ別段驚愕するような言われもない。
「ここ……いれ……ば――キョン……来てくれる……――だから…………3日前から……」
 しかし、俺たちが絶句したのはここからだ。ハルヒの姿は確かに本人のものであるが、その構成要素は徐々に薄れつつあったのだ。
 体中が半透明になり、あちこちにスパイクノイズだかベリノイズだかみたいなものが現れては消え、一瞬ぶれたように見えたと思ったら今度は砂嵐のように光り出す。 テレビの映りの悪いドラマを見ているような、そんな感覚だ。
「キョ…………助け…………どう――……れば……………の……」
「ハルヒ! 気をしっかり持つんだ!」古泉! 「これはどういう事だ!? 説明しろ!」
 しばし俺の問いかけなど無かったかのように沈黙を続けていたが、それでも何か喋ろうと頑張っているのか、ようやく聞き取ることができた。
「……わかりません。こんな状況、今までに経験したことがありません……」
 いつものスマイルもとうの昔に消えている。よかったな、もしこんな状況で笑ってたらぶっ飛ばすところだった。
「原因は後回しだ、今は対策を優先だ! どうすりゃいい!?」
「……申し訳ありません」
 何でもいいから言いやがれなど短気になった俺の思いは、古泉の姿を見て頓挫した。拳で自分のズボンを握りしめ、悔しそうに顔を背けている。この場にいながら、何もできないことに対する自責の念に捕らわれている。
 ちくしょう。古泉にあたってもしょうがないが、こいつが何もできないとなるとお手上げだ。本気でどうりゃいいんだ?
「キョン……あた……消え――の……? いや……ああっ!」
「す、涼宮さんが更に薄くなっています! このままじゃあ――!」
 ハルヒ! ここはお前が構成した空間なんだ。お前が願えば存在し続けるはずだ!
「だめ……消えちゃう……別の――世界……呼ばれ――……そこに……」
「ハルヒ!」
「涼宮さん!」
「お願い――……助けに……き…………………て………………」


 刹那。
 ハルヒの姿は、電源を落としたテレビのように残像を残しながら消えていった。
 同時に漆黒の闇に亀裂が入り、世界は崩壊をし始めた――


「何と言うことでしょう……」
 夜明け前の、とある公園。濃灰色は青黒い空へと姿を変え、そこで俺たちは呆然と突っ立っていた。
 目の前で起きた、破天荒な出来事に皆目を丸くする。
 いくら閉鎖空間の出来事とは言え、エスパーマン並びにエスパーウーマンもこればっかりは想定外だったらしく、誰も何も話しかけなかった。もちろん、俺もその例に漏れることはなかった。
 ――ハルヒが消滅し、閉鎖空間まで消えてしまった。
 どうしてそんな事が起こりえる? この世界の創世神は涼宮ハルヒに他ならなくて、その神がこの世界に君臨し続けていくのは納得がいくし、破壊するのも構わないだろう。
 しかし、自分の世界にいる神がなぜ自分自身の世界を放棄して自身の存在を消してしまったのだ? この世界に飽きて、別の世界を創世してそちらに移住したとでも言うのか?
 それもない。あいつは俺に『助けて』と言ったのだ。雑音混じりとは言え、はっきりと、自分の意志で。あいつが望んで消えてしまったのではないはずだ。
 誰かの手によってそうさせられたとしか考えられない。
 だが、誰がそんなことができるというのだ?
 宇宙人か?
 未来人か?
 超能力者か?
 それとも――異世界人か?



「……別の、世界……」
 ぼそっと、そう溢したのは、他ならぬ橘京子であった。
「まさか……まさか! あたし達の予想は外れて……もしかしたら犯人は!!」
 その声は徐々に大きくなり、そしてついには叫んでいた。
「キョンくん!」
 手を捕まれた。
「ちょっと来てください!」
 ちょっ……袖を引っ張るな。どこに行く気だ。ハルヒがワープした異世界がどこだかわかったのか?
 俺の質問に橘は少し顔を引き、そして明朗な口調で答えた。


 ――ええ、その通りです! 涼宮さんが強制的に移動させられた世界。そしてその犯人。全て分かりました。だから……ついてきてください――




 単一色に染められたその世界は未だ日の目を見ることはなく、タイムスリップしたかのようなもの悲しさと異次元に来てしまったかのよな不思議な感触を生み出し、俺の心の不安を余計に仰いでいた。
 時は朝に向けて進んでいるというのに、空の色は明るくなるどころか、むしろ暗くなったような印象すら受ける。それも俺の不安の表れなのかも知れない。
 そして不安を感じているのがもう一人。そのもう一人は妙に急いでおり、いつもはこんなに能動的な行動をしないこいつがまるでハルヒのように俺を引っ張っていき、そしてある場所へと連れてきたのだ。
 この世界で地を蹴っているのは、今のところこの二人のみであった。
 先ほどまで一緒に行動していた少年は、こちらの世界に来ることが許されなかった。理由は分からない。分かりたくもない。俺たち二人だけが侵入できた理由などもってのほかだ。
 そうは言ってもその理由をあれこれ問いかける時間など無い。それよりも一刻も早く暴走した力を止めなければいけない。だから俺は引っ張られた手をふりほどきもせず、こいつに連れられていくままついて行った。
 しかし。
 目的地までもう少しというところでこいつの歩みは急にゆっくりとなり、現在進行形で進む速度が落ちていっているのが分かった。
「なあ、、この世界にハルヒがいるというのか? 本当か?」
 気を紛らわせようとした俺の言葉は、しかしどもってしまいこれでは逆に不安になるだけかもしれないと心の中で懺悔をしていたのだが、それでも張りつめた少女の心を解きほぐすくらいの役には立ったらしく、
「はい。ここに……異世界のこの場所に、召還されたんだと思います」
 そう……か。俺には何故そうなるのか良くわからんが、お前はわかってしまうんだったな。ならばその通りなのかも知れんな。
「ええ……」
 呟いた後、橘は空に映る月を眺めながら顔を下に背けた。
「橘?」
 そのままの姿勢で完全に歩くことを放棄してしまった少女は、
「ごめんなさい、あたしのせいです」
 等と言いやがった。「お前のせい?」
「あたしが……あたしが……あの時、もっと……ぐす……」
 ついには泣き出してしまった。おいおい、一人で勝手に泣き出すな。こっちが困るんだよ。
「うう……あたしが……ごめん……ぐっ……全然気づきませんでした……」
 このままではどうしようもない。仕方ないが……これはきっちりとケリをつけなければいけない。
「橘……お前が知っていること、全部話せ」
 好きな女の子をいじめて泣かしてしまった時のような、決まりの悪い雰囲気を醸しながら俺は言った。
「ここに来たってことは、お前が一番分かっているはずだ。一体何のためにこんなへんてこりんな世界を構築してしまったのか」
「…………」
「元の世界に戻るためにも、何が要因で何を直せばいいか整理すべきだ。だから教えろ」
「…………」
「お前だって、この世界を望んでいる訳じゃないだろ?」
「……はい……」
「なら、その理由を素直に言え。あいつだって分かってくれるはずだ」
「……でも……」
「でも、何だ? このまま黙ってたって事態が良い方向に転ぶ訳じゃないぞ。俺たちが動かないといけないんだ」
「…………」
「俺は、誓ったんだ。必ず元の世界に戻すって、あいつに」
「…………」
「自己嫌悪になるなよ。皆で協力して解決すれば良いんだよ。本人が言ってたから違いない」
「……本当、ですか?」
「ああ。それがあいつの望みだ。だからこそお前が頑張ってくれなきゃどうしよもない。相談には乗ってやる」
「……わかりました。全部言います。あたしが知っていること。組織での調査結果。そして、世界を元に戻す方法を」
 ――ああ、頼むぜ。異世界の超能力者よ。



 それから暫くは橘の暴露話の聞き手となっていた。橘は相当我慢でもしていたのだろうか、それまで口数が少なかったのが嘘みたいに喋りだした。
 どれくらい橘が喋って、どのくらい俺がじっと頷いていただろうか。感覚としてはそれほど時間が経って無いような気がするが、全域を覆い尽くす闇が、東の一部分だけ微かに薄くなったような気がする。
「ふう……すっきりしました。これが今回の真相なのです」
「なるほど……そういうことか」
「は、はい……あの、ごめんなさい」
 俺に謝られても困ることは困るんだが……しかし、これはどうしようもないくらいの勘違いだな。タイミングの悪さに間の悪さ運の無さ。悲惨な一件だな。
 だがこれで全て繋がった。
「お、怒らないでください。古泉さんには言わないでください。まかり間違っても森さんにも直接言ったら駄目ですよ」
 ちょっと涙目の橘。
『どうしようかな……森さんに話せば魔女狩りよりも厳しい拷問がリアルに見られるかも知れないな』
 等とからかうと面白いと思うのだが、如何せん森さんが本気でやりかねないし、黙ってた方がゆとり教育を受けてきた次世代の情操教育には良いと思う。
「じゃあ行くぞ」
「へ? どこにですか?」
「決まってるだろ。誤解を解くため、そして元の世界に戻るため。いくぜ。あいつらが……二人がいる場所へ」



 俺が今向かっている場所。
 その場所とは、俺のもっともよく知っている場所と言っても過言ではない。
 そこには平日の放課後、ほぼ100%の確率で集合し、部屋主の読書姿を眺め、メイドさんの美味しいお茶を頂き、暇つぶしのゲームをしながら、思いつきだけで行動する我が儘団長の命令を響かせる、そんな場所であった。
 早い話が北高の部室棟にある一教室。SOS団が乗っ取って最早2年が経とうとしている、文芸部室である。
 だけど。
 よく知っている、既知の場所ではあるが――実はここに来るのは初めてであった。
 なぜなら、ここは……




「どうぞ。鍵はかかってないよ」
 文芸部室までやってきた俺たちを、まるで来るのが分かってたかのように招き入れたその声は、編著の兆しなど微塵も感じさせない落ち着いたものだった。
 しかし、部屋の向こうから感じるオーラはまるで違っていた。威圧とか戦慄とか冷淡とか、そんな言葉を原子核サイズまで圧縮した後、それをおにぎりのように握りしめた状態で俺に向かって投げてきている。
 そう言えばこの場の空気の10分の1くらいは理解できるだろう。
 そして気持ち悪い。これは以前経験した時間酔いにも似ている。この部室では時間の流れすら変わっている。直感的にだがそんな印象を受けた。
 果たして、ここに入るべきなのかどうなのか。
 入ってしまえば最後。後戻りはできない。俺が説得を失敗したら一巻の終わり。世界は無に帰してしまうかもしれない。
 今ならまだ引き返して、あの世界のまま暮らすこともできる。少々勝手は違うが、ほぼいつも通りの世界と天寿を全うできるだろう。
 どうすればいいんだ――?



 ――なんてね。俺の答えは決まってる。そうしないと、
「キョンくん。お、お願いします……説得を、宜しくお願いします……」
 こいつに散々檄を飛ばしておいて、自分だけ逃げるわけにはいかない。
 それにみんなで協力した方が良い方向に向かっていんだ。ゲームや小説だけの話しかと思いきや、リアルにその現場に居合わせるとはな。まさに事実は小説よりも奇なりってやつだ。
 恐怖が身にしみて伝わってくるのか、橘は必死に俺の袖にしがみついてきた。
 その手がしっとりと感じるのは、橘の汗なのか、それとも俺の腕の汗なのか――
 だけど、行くしかない。俺は袖にまとわりつく小さな手を握り替えし、そして言ってやった。
「橘。行くぞ」
 湿った手を開き、ドアノブを握りしめ、そして部室の入り口を開放した。
 そこにいたのは――



「こんばんは。キョン。橘さん」
 劈くような、しかしいつもと変わらぬ穏やかな声が部室全体に響き渡った。
「いや、おはようございますと言った方がいいかもしれない。もうすぐ夜明けだ。朝日が昇ってくるだけの夜明けじゃない。新しい世界の夜明けが、もうほら、そこまで来ている――」
 俺たちは辺りを見渡すものの、声の主を発見することはできなかった。辺りが暗闇に覆われているから――ではない。むしろその逆。部屋に入ったとたん、夜だとは思えない程の閃光で埋め尽くされたのだ。
 蒼白い光によって視界は遮られ、中で一体何が行われているか知るよしもない。
 しかし、声だけははっきりと聞こえた。それは先ほど部屋の前で聞いた声と同じであり、そして今回の事件の張本人でもある声。
「涼宮さんの力は、望み通りわたしが引き継ぐことにしたよ。あなたの主張通りにね、橘さん」
 声のする方向を探り当て、手を翳して見渡す。されど誰かがいることすらわからない。
「これでめでたしめでたし、だね」
 そんなわけあるか。少なくとも俺たちはそう思ってないぜ。
「そうかな? キョンの友人知人が橘さんになったから、心の中では狂喜乱舞、あるいは踊躍歓喜たる思いではなかったのかい?」
 そこで欣喜雀躍の思いと言ってくれればお前の橘度もアップしていたのに残念だ。いや、そんな軽口をたたいている場合ではないことは十二分に分かっている。
「くくく……やはり橘さんに対して、ファンと言うよりはインターレスト、いやラブを捧げているんだね。キョンは」


 おかしいと思う点はいくつかあった。
 それは、橘京子の姿に変えられた人間である。
 俺との関わりのある人物が橘になったのは言うまでもない。しかし、『ハルヒ』が『俺との関わりのある人間を橘京子に変えた』とすると、どうしても矛盾が生じ、それが疑問点となって俺の脳内を徘徊していた。
 始めは宇宙人未来人超能力者からなる特殊能力者達がが姿を変えたと思いこんでいた。だがそう考えると俺の記憶上当てはまらない人物が一人いた。
 それは森さんだ。
 森さんは機関の一員であり、古泉曰く機関の人間は皆超能力者である。つまり森さん=超能力者という図式は成り立っており、これは最初にあげた仮定に反してしまう。この考えは正しくない。
 ならばSOS団に深い関わりを持つ人間と考えればどうだろうか?
 これならば合宿等で何度か一緒になっただけの森さんが対象から外れると考えても強ち間違いとも言い切れないし、最近関わりの多かった佐々木を始め、あのメンツが姿を変更したのも頷ける。
 しかし、この考えにもやはり矛盾点が存在していた。
 SOS団に深い関わりを持つ人が対象であれば、同団に多大なる貢献をしている名誉顧問、鶴屋さんだって姿を変えてもいいはずだ。しかし実際にはそれは叶わず、鶴屋さんは鶴屋さんオリジナルの姿を保っていた。
 ハルヒが事件を起こしたのであれば、鶴屋さんも、そして森さんも橘になっていてもいいはずだ。
 一体どの考えが正しくて、どの考えが間違っているか分かりかねていたが、ハルヒの閉鎖空間に侵入してハルヒのコアに合ったことでわかった。
 『ハルヒ』が『俺との関わりのある人間を橘京子に変えた』のではなく、『別の人間』が『俺との関わりのある人間を橘京子に変えた』のだ。ハルヒがやったように見せかけて。
 容疑者はうまいことやったつもりなのだろう。『俺との関わりのある人間を橘京子に変えた』に変えたのが如何にも『ハルヒ』であるように見せかけて。確かに、ころっと騙されたぜ。
 でも、全ての『俺との関わりのある人間』を『橘京子に変える』ことは出来なかった。

 ――森さんが超能力者と知らなかったから。
 ――鶴屋さんがSOS団と深い繋がりがあると知らなかったから。

 ハルヒの能力すら掻き消す力を持った人間。そんな奴らはざらにいない。相手が特殊能力者であっても、だ。
 もしかしたら長門や九曜、あるいはその親類であれば可能かも知れないが、彼女らは今のところ沈黙を保ち、ハルヒにちょっかいをかける姿勢は見えてこない。
 超能力者の能力では『神人』を消すことができてもハルヒ自身を消すことはできないだろう。それにコアを消滅させたら本人達の存在意義すら危ぶまれる。
 未来人に至っては自分たちの能力の範疇を超えている。時間移動が伴うのであれば別だが、今回は全く関連がない。だからこそこの瀬戸際になってもあの朝比奈さんはやってこないのだろう。
 ここまで来て未だ姿を見せない異世界人が犯人等と言うこともあり得ない。
 ならば、それら以外でハルヒの力にアクセスできそうな人物――消去法で一人しか残らない。


「お前が犯人だったのか……」
 俺の呆然とした一言に、今回の事件の首謀者……佐々木はいつものように喉を鳴らす音を響かせた。




 部屋中に溢れていた圧倒的な蒼色の光は部屋の中央付近で人型をとりつつ、それに伴い部室も元の色を取り戻しつつあった。
 やがてその光は一人の女性――佐々木の姿を形取った。その姿を見るに、俺の知っている佐々木と殆ど変わりなかった。
 殆ど、というのは他でもない。容貌こそ佐々木そのものだが、その表皮からは未だ閃光ののオーラが抜けきらず、蒼白く光っている。
 例えて言うなら、今にも能力を発揮する時の古泉や橘の姿に似ていた。超能力者が閉鎖空間に侵入して空間の破壊者たる巨人を倒すために紅い玉に変身するプロセスとは逆方向に進行している、って考えばわかりやすいかも知れない。
 ただ、このオーラだか気合いだとかが具現化したような光の塊は、本家本元の超能力者以上である。
 これが神の――この世界の創造神の持つ能力なのだろうか。

 佐々木は部室の窓側、団長席の真横に降り立つと今度は光を完全に遮断し、見た目も雰囲気も完全に俺の知っている佐々木へと変貌を遂げた。
「さて、ずいぶん待たせてしまったようだね、キョン。不慣れな力を自由に使いこなすまでにはまだ時間がかかりそうだ」
「それはともかく」一区切りつけて佐々木は「それじゃあ先の質問に答えよう」
 待ち合わせに遅れてきた彼氏を寛容な心でいなすように、ころころと微笑んだ。
「僕が犯人かどうか、だったね。その命題に基づく回答としては、真なりとも偽なりとも捉えることができる。何故ならば現在こうやって世界を変革しようとしているのは確かに僕だからね。でも涼宮さん本人がそうして欲しいと願った故のこと。本人の意志だよ」
 ハルヒの……意志?
「そう。僕は決して涼宮さんの意に反したことをしているわけじゃない。世界を改変しようとした涼宮さんの願いを実行すべく、その使命を忠実に遂行しているに過ぎない。」
「そして」と言い残した後、団長専用机に腰を下ろした彼女はそこに置いてあった団長専用の腕章を指でくるくる回しながらこう述べた。
「僕は涼宮さんが持つ、大いなる力を受け継ぐことに成功した。それはつまり――」



 ――彼女の力を自由にできるってことさ――



『な……』
 二人の絶句が見事にハモった。
「……何故だ。何故そんな事をするんだ佐々木!? お前は世界を自由自在に操れる能力なんてゴメン被りたいって言ってたじゃないか! 何でそんな危なっかしい力を手に入れたんだよ!」
「おや、そんな事を言ってたかな? とんと記憶に無いんだけどね」
 くくくっと音を立てるその声は、俺の説得を軽く聞き流した。
「佐々木さん! 止めてください! あたし達はこんな世界を望んでいません!」
 突如俺の後ろで声を荒げる橘。だがその叫びにも顔一つ変えず、ただにっこりと笑う。
「橘さんにそんなことを言われるなんて慮外千万たる思いだね。あなたは言ってたじゃない。本来この力を持つのは涼宮さんじゃなくて、わたしが持つべきだって。だからその通りにしてあげたのよ。あなたの希望通り。順風満帆な解決方法でしょ?」
「ち、違います! あたしが望んでいたのはそう言う意味じゃありません! もっと違う佐々木さんなのです!」
「そうだぞ佐々木。今のお前は橘やその組織が常日頃から望んでいたお前じゃない。ハルヒと何ら変わりがないぜ!」


 橘達が望むハルヒの能力の移譲計画。
 それは驚く程平和で穏やかな閉鎖空間の持ち主であり、そして世界改変能力をを行使することの無い人物――佐々木に委ねる事で、世界の平穏を築こうというものだった。
 組織や橘が少々アレな部分を除けばその説には一考の余地があり、そうした方がいいんじゃないかと思う時期も確かにあった。
 しかし、ある事件で事態は一変した。
 それは去年のこと。ちょっとしたことがきっかけで佐々木の閉鎖空間の中にも『神人』が発生するようになってしまった、あの事件。
 『神人』が生み出されるタイミングは、佐々木の不機嫌イライラが募ったときに発生し、閉鎖空間内にある建造物を破壊して回り、超能力者によって退治されるまで悪逆の限りを尽くす。
 これはハルヒの『閉鎖空間』と『神人』と何ら変わりない。せいぜい佐々木の閉鎖空間がずっと存在し続けていることがハルヒとは異なるくらいである。
 こんな状態では能力がハルヒから佐々木に移ったところで世界崩壊の危機という観点からすると全く平等であり、また自身の負担が増えるのにそんな面倒事を自ら進んでやろうとする奇特人間はいるはずもない。
 こうして佐々木神格化計画は終焉を、というよりは中断せざるを得なかった。
 だが、その計画を諦めていなかった奴が――よりによって本人が再会するなんて、予想外にも程がある。


「僕だってこの能力を持つことを良しとしなかった。過ぎた力でもあるし、万一暴走して取り返しのつかないことになったらそれこそどうしようもないからね。僕はこの世界を愛しているし、できればこのまま平穏に時が過ぎていて欲しかったね」
「なら……」
「だけど」佐々木は語彙を強めて、演説するかの如く言い放った。
「それを……その思いをご破算にさせたのは、他ならない君たち二人だよっ!」
 ――一瞬、世界が揺らいだように感じた。『神人』でも発生したのか、閉鎖空間がより一段と膨張してしまったのか。そこまでは分からない。
 だけど、確実に分かることはあった。


「佐々木さん……やっぱりあの時のこと……」


 ――説明しなければなるまい。
 俺と橘。そしてハルヒと佐々木の間に一体何が起きたのか。
 得意の回想シーンをご覧頂こう。

 ………
 ……
 …




 話は3日前。日曜日まで遡る。
 シャミセンとの睡眠時間勝負を恙なく信仰していた俺は、しかし一本の電話によって突如終焉を迎えた。
 これは負けではなく延期という形だぞ覚えとけと猫相手に必死になる必要もなく、いい加減起きないと受験生としての立場もへったくれもないかなと思い始めた俺はベッドの下に転がっていた携帯電話を手に取り……
「げっ!!」
 つい声に出してしまった。
「うみゃぁう!」
 その声に驚いたのか、シャミセンは俺のベッドから離脱し、テーブル横に置いてあったお気に入りの座布団の上で再び丸くなった。
 携帯の着信で思わず声を上げてしまうなんて事はそうそうない。せいぜい寝ぼけてた際、腰元で震えるバイブで目が覚めたときくらいだ。
 もっとも今回の場合、寝ぼけていた点については否定しないが昨日の疲れから深い眠りと疲労が全身を隈無く包み込み、携帯電話の着信如きでは驚いて悲鳴を上げるというより、不満の声を上げると言った方が正解に近い。
 問題なのは携帯の着信音やバイブではない。かかってきた人物が問題なのだ。
 ナンバーディスプレイに映し出された携帯電話の番号と名前は、寝ぼけ眼だった俺のありとあらゆる神経を活性化させた。


 ┌─────────────────┐
 |   着信 橘京子(Dangerous!)            |
 |                                      |
 |  ○○○―△△△△―□□□□       |
 └─────────────────┘


 何というモーニングコールだ。α波の放出がストップしたのが実感できたぜ。まあ嘘だけどな。だが比喩としてはこれ以上ないくらいフィット感だ。
「しまった、着信拒否の設定を忘れてたか……」
 過去の過ちを嘆いていても仕方あるまい。今この状況をどう対応するかが重要だ。そのためには俺の脳内人物を最高裁判所の判事並にそろえて議論し、判決を下さなければいけない。橘、ちょっと時間がかかるかも知れないがそれまで待っててくれ。
「よし、無視だ」
 0.2秒という長い時間をかけて英断した。
 橘の性格を鑑みるに、どうでもいい話だったらわざわざ付き合う必要はない。凄く重要な話だったら俺の部屋に侵入してでも話しにくるだろう。どちらにせよ携帯電話で話すことはない。それが結論だ。
 決してこいつの電話をとるくらいならシャミセンとの睡眠勝負を続けた方が174倍マシだなんて表向きは言えない。言わない。言ったところで無駄だ。
 俺ははあと溜息一つつき、着信拒否のボタンを押して再び携帯をベッドの下に置いた。
「さて」
 よーしシャミセン、さっきの続きでもするか。こっちに来い。
「うにゃあ」
 だがシャミセンはこっちに来る気配は見せず、俺の方をじっと見つめていた。何故か警戒しているようにも見えた。
「どうした?」
 こういう時こそ喋って欲しいのだが、叶わぬ願いならば無理に叶えてもらう必要もない。
 仕方ない、一人で寝るか。
 そう思って布団の中に潜り込もうとし――


 ドンドンドンドンドン!!


 突如、俺の部屋が揺れた。
「何だ! 地震か!」
 思わず辺りを見渡す。そして見てしまった。
『……! ……!!』
 うわぁ……
 今度は声にもならなかった。
 俺の部屋のガラス窓をガンガン叩く馬鹿。そんな人間はハルヒを除いて一人しか思い浮かばない。
 今にも泣きそうな顔をしたイカレツインテールのお出ましだ。

 俺は愕然と頭を垂れてさっき自身が述べた言葉を後悔していた。
 ――凄く重要な話だったら俺の部屋に侵入してでも話しにくるだろう――
 まさか俺の妄想を有言実行するとは……考えるんじゃなかった……



「ひどいじゃないですか! 起きてるんなら電話に出てください!!」
 ズズズと音を立ててお茶を飲み干した後、開口一番のセリフがそれだった。
 なお、お茶を用意したのは俺じゃない。というかお茶を出す義理も道理もない。玄関から入ってくるならまだしも、二階のガラスから入ってくる時点で不法侵入だ。客じゃない。
 だが幸か不幸か、俺の部屋のガラスをガンガン叩いていたその時に第三の人物が乱入した。うちの妹だ。多分俺を起こしに来たのだろう。理由は聞いてないがそうに違いない。
 妹はその姿を見て、俺が橘を外に連れ出して窓を閉めたと勘違いしたらしく、『女の子をいじめちゃいけません』と説教をし始め、俺の弁論など聞く耳持たず橘を家に招き入れたのだ。
 その上お茶まで用意して『ゆっくりしていってね』だとよ。
 前回も俺の家に不法侵入した橘を迎え入れたのは妹だった気がするが、何か勘違いしている気がする。もしかしたら知的レベルが同じだから友達感覚なのかも知れん。
 だがいつかちゃんと言ってやらんといかんな。こいつに関わってもろくな事がないってね。
「聞いてるんですか!」
 聞いちゃいねえよ、お前の与太話なんか。
「…………」
 ようやく黙ったか。さ、お茶飲んだらさっさと帰れ。俺は忙しいんだよ。
「…………」
 何だ? さっきまで寝てたのに何で忙しいんだみたいな顔しやがって。これから忙しくなるんだよ、これから。だからお前には構っちゃられん。わかったな。
「……う」
 う?
「うう…………うわわぁぁぁぁぁぁん!!」
 な……ちょ、泣くな!!
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁん、キョンくんがいぢめるぅ~!! あたし邪魔者のけ者扱いされたぁ~!! ひどいですぅ~!!」
 そんなことしてないだろ! いつもやたらとポジティブ思考なのにピンポイントでネガティブ思考になるのはやめてくれ!!
「どうせあたし要らない子なんです! 生まれて来ちゃいけないこだったんですぅ~! ふぇぇぇぇぇ~ん!!」
 大声で泣くな! そんなに声を上げたら……
「あーっ!! キョンくんまたいじめてる!!」
 ……あーぁ、見つかった……しかしいつもいつもタイミング良く入ってくるなあ我が妹よ。
「いじめちゃだめっていったでしょ。これ以上いじめたらハルにゃんに言っちゃうからね!『キョンくんがあの手この手で女の子を泣かせてる』って」
 橘を泣かせたくらいならハルヒは喜んで俺を認めてくれそうだが、うちの妹のことだ。誤解を生みそうな言い回しをするに違いない。
「それだけは勘弁してくれ。謝るしもういじめないから」
『本当!?』
 声をそろえて言う二人。
「あ……ああ」と心無げな俺。正直自身はないがこの場を切り抜けるのには仕方ない。
「わーい! やったぁ!」
「よかったね、きょこたん」
 きょ、きょこたん……?
「うん、わたしが名付けたの。可愛いあだ名でしょ?」
 そうか……? あまり可愛いとは思えんが……仕方あるまい。ミヨキチの命名もこいつがやったんだ。期待するだけ無駄だ。
「キョンくんもこれからそう呼んだらいいのに」
 絶対ヤです。




 とまあ演技なのか、はたまたそれが地なのかは分からないが、迷惑街道まっしぐら爆走中の橘京子とまたしてもかかわることになった。
 妹を部屋から追い出した後、橘が来訪した理由を教えてくれた。『今日、あたしと一緒にお食事をしてほしいのです』らしい。
 また変な場所に連れて行かれるのか疑心暗鬼にかられていた俺の表情を汲み取ったのか、
『ちゃんとした料亭です。もちろん食品偽装なんてしていない、正真正銘、200年以上の伝統の伝統を誇る日本会席料理、割烹屋さんです』等と宣って二杯目のお茶を飲み干した。
「あやしい。怪しすぎる。そんな店に俺が呼ばれる筋合いはないし、行く必要もない。ははぁ、お金を払ってやる代わりに何か働けって事だな」
「違います! そんな見返りを期待していませんし、ちゃんと組織のお金で支払われます!」
 なるほど。お前の組織がらみか。
「ぎくっ!!」
 ものすごく分かりやすいリアクションを取るんだな、お前。
「誘導尋問は卑怯です!」
 誘導も何も、お前が勝手に喋ってるんだろうが。ってかそれよりも何を企んでいる?
「別に企んでなんかいません。見返りもありません。ただ……」
 ただ?
「あたしの組織のボス……総司令が、あなたに会って話をしたいって言われまして」
 やっぱり裏があるじゃないか。
「裏なんて……そんなもんじゃありません。佐々木さんの『鍵』たる人物の人となりを見てみたいだけだって仰ってました。総司令は嘘をつきませんし、人をだますようなことをしません。多分本当に食事の席でお話をしたいだけだと思います」
 嘘じゃないな、今の話。
「はい。本当です。だから信じてください」
「…………」
 ……うーん、何か裏がありそうだがタダ飯か。今日は両親がいないし、妹も友達の家に遊びに行くから昼ご飯は要らないって言ってたな。昼飯をご馳走になるくらいならいいかもしれない。約束が反故されたら怒って帰ればいいだけのことだ。
「わかったよ、行ってやるさ」
「あ、ありがとうございます!!」
「ただし、一つだけ条件がある」
「何でしょうか? もちろんキョンくんを利用して何か企てようなんて思ってませんし、代金の支払いをお任せすることもありません」
「いや、それじゃない。それよりもっと重大なことだ」
「重大なことですか……?」
 息を飲み込んで俺の言葉を待つ橘。そして俺は口を動かした。
「時事ネタはほどほどにしておけ」




「さ、ここなのです。どうぞお入り下さい」
 橘に連れられてやってきた料亭は、純和風の平屋で、年代を感じさせながらも古くささを払拭した趣がある、大層立派な建物ものだった。
 さすがに鶴屋邸と比べると見劣りする部分もあるが、比較対象が間違っているのでそれをとやかく言うつもりはない。凡庸たる平民から見れば超ファーストクラス級だってことくらいわかるさ。
 店内にはいると装飾品や置物敷物が荘厳に且つ嫌らしくない程度に飾られ、煤けた柱がむしろ高級感を漂わせていた。仲居さんの対応も申し訳ない程丁寧だ。後からチップなどせがまれても困るぜ。今回は橘の組織のおごりなんだからな。
「大丈夫ですよ。ちゃんと後からお渡ししますから。それより早く行きましょう」
 橘と仲居さんの後をついて行くこと数分。離れにある一室へとたどり着いた。かなり大きい。もしかしてこのお店の一番良い部屋じゃないだろうか。向こうには庭園まであるし。本当に場違いだぞ。
 もしかして橘の組織のボス。かなりの大物なのかも知れない。そういや古泉の組織だっていろいろとコネクションを持っていたんだっけ。その機関に対局するコンペチターともなれば、これしきの力、あって然るべきだ。
 やばいな……ちょっと緊張してきだぞ。
「中に入る前に一つお願いがあります」
 小声で橘が話しかけてきた。
「総司令と会ったこと。決して誰にも話さないでください」
 何時になく真剣な顔で語りかける。「ああ……」と生返事の俺。そりゃそうだろうな。ふすまの向こうからでもモーストインポータントパーソンたるオーラが感じられる。命も狙われやすいんだろうな。
「ええまあ……そんなところです。それじゃあ……」
 と、その場に正座しだした。
「失礼します。例の人物を連れて参りました」
 柄にもなく凛とした声が廊下に響き渡った。このふすまの向こうにボスが……橘の組織の元締めがいる。
「入りなさい」
 重厚でかつ貫禄のある声は、ふすまの向こうからもクリアに聞こえてきた。声からして40~50代、俺の親父とそう変わりない年齢だろうか? ますます緊張してきたぜ。
「それじゃあ、開けますよ」
 返答を待たず、橘はふすまを開け、そして俺は橘の組織のボス。通称総司令と出会った。



「ふむ……君が……」
 高級割烹の一室。あたりの喧噪は微塵も感じられず、ウグイスだが何だかの鳥の声と鹿威しだけがBGMの代わりとなって周囲に響き渡る。
 組織のボス――総司令は、俺の予想とはそれほど異なる人物じゃなかった。見た目50前後。作務衣だか甚兵衛だか分からないが、ラフな和装が逆に威圧感を感じさせる。
 基本黒髪だが白いものも少し混じっている。なかなか渋い顔のおやっさんで、若い頃なら結構もてたんじゃないかっていう出で立ちだ。
 そしてその目線。
 温厚で気さくなおじさんといった優しさを備えつつも、獲物を狙う鷹のように鋭く研ぎ澄まされた眼光を併せ持つ、いかにも出来る人間の代表を絵に描いたような目線を俺に送っていた。
 暫くその目線と俺の目線がぶつかっていたのだが、『立ち話も何だし、座ってくれたまえ』との言葉にようやく金縛りがとけ、総司令の対面に腰を下ろした。続いて橘が俺の横に並んで座る。
「今日は忙しいところをわざわざすまなかった。呼び出したりして」
「いえ、暇でしたから」橘に言ったことと全く正反対のセリフを口にした。突っ込むかと思いきや全く突っ込まずその場でじっと侍る橘。
「本日呼び出した理由、彼女から聞いているかね?」
「一緒にお食事をと伺っていますが」
「それは建前の話だ。こういった場所でただ一緒に食事することだけが目的だと思ったのかね?」
 やっぱりか……橘、嘘つきやがったな。
「えっ!? あれ嘘だったんですか!?」
 気付いてない馬鹿が約一名。てかお前は本当にだまされてきたのか。
「……まあ、彼女の事はほっておこう。あれはああ言う性格でね」
 心中お察し致します。組織の運営も大変でしょうあんなのがいると。しかし何であんな馬鹿を雇ってるんだこの人は? やっぱり数少ない超能力者だからか?
 まあどっちもいいや。
「正直、裏があると思っていました。だけどあなた方が一体何を企んでいるか知りたくてここにやって参りました」
「罠だと知って単身乗り込むとは、褒められる行動ではないな」
 うるさい。
「だが……嫌いではない」
 ふっ、とその顔が若干和んだ気がした。
「では、私も包み隠さず呼び出した理由を語ろう。私が君をここに呼び出した理由は、君にあって直接聞きたいことが会ったからだ」
 ――正直、そんなことだとは思った。どうせ佐々木の能力云々、ハルヒは神の器じゃない云々って話を聞かされるんだろう。その話なら橘を通して言ったはずだ。俺には興味がないってな。
「残念ながらその話ではない。私が聞きたいのはだね……」


「君たち……いつ頃から付き合ってるのかね?」


『はあっ!?』
 次の瞬間、俺は……いや、橘も凍り付いた。
「いやいや、そんなに驚かなくても良いんだよ。組織の中ではその話で持ちきりだ」
「な、何ですかその話! あたし初耳です!」
「そりゃ組織の人間はプロだからな。うわさ話一つにしたって外部に情報流出することはないよ。それで、どうなんだね?」
「どうこうこもないですよ! そんな根も葉もない噂、どこから流れてきたんですか!!」
「どこから……って、彼女自身がそう告白したからね」
「橘ぁー!! お前一体何をしでかしたぁ!!!」
「え? え? あたし何も記憶がありません!」
「しょうがないな……ではこれを見ても、まだシラを切ることができるかな?」
 微妙に嫌らしい笑みを浮かべた総司令は、懐から一冊のノートを取り出した。金のラメがちりばめられた、ピンクの大学ノートである。
「ああああっ! それはっ!!!」
 橘の顔はブート・ジョロキアを一本丸ごと食べたかのように真っ赤に染め上がった。
「いやー、なかなか興味深いものだったよ。この日記帳。9割以上君のことを書いた内容だったよ」
 何!? まさか俺の悪口でも書いていたのかこいつぅ!?
「ちょっと見せてください!」
「だめぇー! 見ないでぇー!!」
 自分の日記帳を取り戻そうとテーブル越しに大ジャンプを敢行し、総司令の手前までひとっ飛び。勢いをつけてノートを引ったくる戦法か。
「そりゃ! ……って、あれぇ!!」
 ……勿論うまいこと行くわけもなく、ひらりと身をかわした総司令。橘の勢いは止まらず、後ろのふすまに突き刺さる。まるで漫画みたいだ。
「きゅうう……」
 そのままピクリとも動かなくなった。どうやら失神しているらしい。介抱に向かった方がいいのかもしれないが、橘だから全くのノーダメージ、大丈夫だと思う。
 ああ……そうだ、ここから見える光景を少しお話ししよう。
 橘の今日のファッション。薄手のブラウスにフリル付きのレイヤードスカート。
 ……そして、白と水色のストライプ。
 俺に詰られたのを相当気にしたのか、ア○パ○マ○だか食○ン○ンのヤツは身につけなくなったみたいだ。よきかなよきかな。
 予め断っておくが見たくて見た訳じゃないぞ。あいも変わらずスカート丈が短いのと、体勢的にバッチリ見えてしまうのはちょっと考えたら分かることだ。つまりは自分が悪い。俺には何の落ち度もない。
「さて、と……」
 のびている橘を余所に、俺は総司令から手渡された日記を手に取った。
 ちなみに日記帳の表には、『きょこたんブログ(パクリかよっ!)』と太字の油性インキで一文字ずつ色を変えながら書いてあった。センスねーな、おい。しかも日記帳なのにブログって……アナログで書きたいならダイアリーとして欲しい。
 文句を言っても仕方ない。気を取り直しページを捲ることにする。




 ○月○日

 今日こそキョンくんにお願いして、おっぱいを大きくしてもらいます。
 組織の人たちを見返してやるのです。
 大丈夫。彼ならやってくれます。
 ふぁいと、キョンくん! q(^Q^)p ガンバ
 なぁんてね! (‘∀^)``☆ エヘ////



 △月△日

 コンビニに入ったら、キョンくんがいてビックリ。
 これも運命かも知れません。
 だからあたし、キョンくんと旅に出ることを決意しました。
 ふつつか者ですが、宜しくお願いしますね、キョンくん。m(__)m



 □月□日

 今日、キョンくんに怒られちゃいました。
 あたし何も悪い事していないのに。ひどいです。
 でも、あたしはめげません。それがあたしの使命ですから。
 いつかキョンくんに認められるよう頑張っちゃいます。e(^。^)g ファイト~!!
 そして、認められた暁には……その先はまだ恥ずかしくて書けないっ! ><





「なんだこりゃ……」
 見ている俺の方が恥ずかしくなる。多分顔中真っ赤だろう。俺の顔を見て総司令の顔がニヤケ顔へと変化してることからも明らかだ。
「この日記、組織にある彼女の事務机の上に置いてあってね。多分しまい忘れたのだろう。最初は皆気付かないふりをしていたんだが、何日も何日もそのままの状態で放置されているから、好奇心に負けた組織の一員がついに中身を見たんだ」
 総司令は語ってくれた。
 この日記の内容を知らぬ組織の人間は本人を除けば一人もいない。あまりにも面白い……もとい、恋煩いを綴った日記だったから仕方あるまい。このままでは組織の士気に関わるし、私の好奇心も止まらなくてね。問いつめる日を待ちわびたのだよ。はっはっは。
 はっはっはじゃねーぞクソ司令。どう見ても組織のお荷物じゃねーか。何でこんなのを雇ってるんだあんたは?
「まあそう言わんでくれたまえ。こう見えても彼女は私のかわいい……」
「……あああーっ!!」
 むくりと起きあがった橘のせいで、総司令の言葉は掻き消された。
 しかし、この後とんでもない会話がここで繰り広げられた。


「パパっ! もしかしてキョンくんに見せたの!?」


 ぱっ……
「パパぁ!!??」
「ああ。そう言えば自己紹介がまだだったね。私は組織の総司令。そして、彼女の――京子の父親という仕事も兼務しているんだ」
「…………」
 開いた口がふさがらなかった。
「パパひどいっ! 人の日記を盗み見るなんて、例え親子でも許せない!」
「ごめんごめん、京子。確かに盗み見は悪かったよ。でも彼の告白しないといけないだろうから、その手伝いをしてあげようと思ったんだ。こう見えても父さん、京子と彼のこと、真剣に考えてやってもいいって思ってるんだよ」
「え……? 本当なの?」
「ああ、父さん嘘つかない」
「う……うん。でも、涼宮さんや佐々木さんのレベルにはまだ立てないし……」
「京子だって頑張って、対等な立場に行き着けばいいじゃないか。父さんできるって信じているぞ」
「分かった、京子頑張ります!」
「偉いっ! それでこそ我が娘だ。はっはっは」
 ……いや、もう何が何だか。剣を出さずにローパーと接触した如く体力が最低値まで減ったのが分かった。もう好きにしてくれって感じだ。勘弁してくれ。


 その後総司令――もとい、橘の親父殿との顔合わせを終えた俺たちは運び込まれてきた料理をたらふく食い上げ、これまた大量の酒をお召しになった親父殿にくだを巻かれ、その後二次会(?)と称してデパートやら住宅展示会やらに連れて行かれたのだ。
 結婚式の引き出物や家具を買わなきゃいけないし、初孫のおもちゃも用意しないといけないし、新居は二世帯住宅を頼まなきゃいけないなとか……俺は完全に無視していたけど。
 酒を飲んだ親父殿は初顔合わせの時の威厳など微塵も感じられず、ただの酔っぱらいじじいであった。『京子を宜しく頼む』だとか『俺は早く孫の顔を見たいんだ』と、口調や主張まで変化していた。
 散々引き回されて、解放されたのは日もとっぷり暮れた頃になっていた。珍しく橘が『ごめんなさい』を繰り返しながら泥酔している親父を引き摺ってかえっていったが、その姿を見てなるほど一つ理解した。

 ――橘のあのぷっつんな性格。父親譲りだったんだな、って。

 …
 ……
 ………

 はい、回想終了。今思いだしても忌々しい事件だった。




 ――あの日、どうやら佐々木さんが一部始終を見ていたみたいなんです――
 佐々木の閉鎖空間に入って早々、橘は話してくれた。
「月曜日の夕方、佐々木さんに会ったときにネチネチとその時の事を言われたんです。『そうか、橘さんの御尊父だったのか。デパートでキョンと一緒にいたのは。くくく、ご両親のお墨付きをもらえてともて喜ばしいことだね』って」
 確かに、あの光景を見る人が見たら勘違いするかも知れない。男と女。それらが赤ちゃん用品のコーナーや住宅展示場にいたらそれっぽい新婚さんとその親父のできあがりだ。
 その上酔っぱらって声が大きくなった親父殿が勘違いも甚だしい言葉を辺りにわめき散らしている。俺や橘の声よりも先に耳に届くだろうし、どうしても気になってしまうであろう。
 誤解を生みそうな人が過剰な発言をし、それを佐々木が大げさに解釈した。これが今回の事件の引き金となった。
 余談だが、橘が本日まで暫く顔を出さなかったのは、ひっきりなしに湧いて出る『神人』を退治するために東奔西走していたのだという。世界の調査云々は閉鎖空間の調査をしていたらしい。なら早く気づいて欲しかったぜ。
 ――結局、組織の奴らというか、橘親子の自業自得って訳だ。本当に忌々しい。




「二人が別れた後、僕は涼宮さんに連絡を入れたよ。『あの二人がついに婚約したらしい』ってね」
 佐々木は静かな口調で語りかけた。
「さしもの涼宮さんも動揺していたね。その後二人で対策を練っていたけど、ご両親まで話が進んでいる以上、どう足掻いても無理じゃないか。そんな結論に達し始めていた。僕は諦めかけていたけど、涼宮さんはそんなことはないって、ずっと主張していたね。自分に一体何が足りないのか。橘さんが持つ魅力は一体何なのか。脳内にレーダーを張り巡らせて自分の記憶を引き出し、解決方法を得ようとしていたよ。まず思いついたのが髪型。キョンはツインテールが好みなのかも知れないって考えて、次の日実行してみると言ってその日は別れたんだ」
 月曜日のツインテールの裏にはそんなことがあったのか……
「もちろんそんな簡単なことでキョンが靡くはずもなく、計画は振り出しに戻った。でもやはりどうして良いか分からない。電話で涼宮さんはぼやいてたよ。『自分が橘さんになればいいんじゃない』ってね。恐らくその願いを実現しようと涼宮さんの力が呼び起こされたんだろうね。と言っても、いきなり自分が橘さんになってしまう程涼宮さんは愚かじゃなかった。だからこそ段階的なチェンジを敢行したんだろうね。先ずは姿のみ橘さんへとチェンジのみに留まった。実はこのとき、僕にも同じような能力が身についていることが分かってね。だから僕は涼宮さん以外の、キョンと関わりのある人物を橘さんの姿に変えたんだ。容疑者をわかりにくくするために。初めてだったけど、意外にも上手いこと改変できたよ。でもその時の僕はまだ力を使いこなせず、姿を変えた人たちの記憶を上書きするまでには至らなかったけど、自分の姿を犠牲にしてまでの改変は操作をあやふやにするくらいの役には立ったみたいだ。でも、キョンには効果がないと思った涼宮さんは、今度は口調まで本人と同じにした。だけどやはり効果が望めない。となれば、次は何を変えるんだろうね。性格? 思考回路? もしかしたら全て等しく橘さんと同じになってしまうかも知れない」

『涼宮さんが橘京子の姿でいることを望んだ』
 一昨日、部室の外で古泉と交わした言葉を思い出した。古泉の推測通りの結果だったとは……たまにはまともなことを言うんだな、あいつも。聞き流さずに聞いとけばよかったぜ。
「 どうすれば……元に戻るんだ?」
「涼宮さんを失望させればあるいは助かるかも知れない。橘さんに変わって困ることを列挙すれば、そうなりたいとは思わないからね」
 わかった。ならハルヒに会って橘の悪口を言ってやる。こいつのダメなところを上げたら今日日が暮れるまで喋る自身がある。
「くくく……残念だけどそれは過去の話だ。涼宮さんは橘さん自身へと変化するために自分が持つその能力を解放し、今や普通の人間になってしまった。先ほど閉鎖空間を制御できなくなって崩壊させてしまったことからもお分かりだろう?」
「ぐ……なら、どうすればいいんだ!? お前はこの世界に満足なのか? 全世界の人間が橘京子になってしまうことを良しとするのか!?」
「全世界の人物を橘さんに変えるなんて、そんなナンセンスなことはしないよ。あれはただの練習さ。だけど、原因を生み出したのはキョンと橘さん、君達だよ。君たちの軽はずみな行動が無ければ、涼宮さんも、そして僕も……」
「さ、佐々木さん、あの……」
「言い訳なんて聞きたくない!」
 冷静沈着のイメージが強い佐々木が、感情を露わにした。
 それほどまでに、追いつめていたのか。ハルヒと佐々木、二人が二人とも、あの時の事をそこまで思い詰めていたというのか。
 ――いや、違う。
「……もっとも、あの件のおかげで二人の間により強い絆が生まれ、こうしてその能力を共有し受け継ぐまでに至ったんだけどね」
「佐々木。ならハルヒの能力を奪ってどうするつもりだ?」
「どうするつもり?」ふっ、と人を小馬鹿にしたような短い息継ぎをした。「せっかく手に入れた能力だ。好きに使わせてもらうよ。大丈夫。何も天変地異を起こそうってわけじゃない。涼宮さんとは違った方向で少し世界を変えようと思っている」
「何をする気だ!?」
「今よりもスマート且つインテリジェンスな世界にする。そのためには消えてもらいたい人物がいるんだ。約一名ね」
 おい、まさか……
「あ、あの……もしかして、その人物って……?」
「ええ。もちろんあなたよ。橘さん。あなたさえいなければわたしだってこんな愚行をしでかそうなんて思わなかったよ。決して悪いことに手を染めようなんて思わないけど、人間というのは不思議なものだね。簡単に自分の意志を反転させるんだから」
「佐々木! やめろ!」
 佐々木の暴走をこのまま黙ってみているほど馬鹿じゃない。ここで佐々木を止めなければ本気で取り返しの付かないことになる。淡い光を放ち始める佐々木に向かって駆けだし――
「キョン……」
 ――弱々しくも凛とした声が、闇と静寂に覆われた部室にこだました。悲痛且つ悲願たる表情と、それをアピールする瞳が俺の体の自由を奪い、佐々木の元に行くことを拒まれた。
「ねえ、まだ橘さんの味方をするの? こんなに空気読めないのに。こんなに単細胞なのに……」
 佐々木の声は先にも増して震えている。声もかなり涙声になっている。
「協力してくれるって、言ったじゃない。力を貸してくれることに、賛同してくれたじゃない。新しい世界の創世に協力してよ、キョン」
 囁くような声と哀愁漂う仕草が、俺の脳を刺激する。確かに俺はそう言った。でもな、佐々木。
「それは……できない。橘だからと言っても、それはやりすぎだ。お前だってわかってるはずだ」
「どうしてそんなに橘さんばっかり持て囃すのよ!!」
 佐々木は、崩れるように座り込んだ――


「すまない、佐々木」
 へたり込んで泣き続ける佐々木に、俺はこんな言葉しかかけられなかった。女性経験など無いに等しい奴が泣かれた女を慰めるなんて、スキップしながら綱渡りをするようなもんだ。古泉がいればもう少し気の利いた言葉もかけられたのだが……
 だけど、何か言わないことには始まらない。
「お前の気持ちは以前聞いたよな。俺に好意を持ってくれていることは分かっているし、俺だって嬉しい。しかもお前だけじゃなくてハルヒもそうなんだよな。俺みたいな奴に言い寄ってくれる才色兼備の女性が二人もいるなんて感極まりない」
「…………」
 佐々木は顔を伏せたまま、それでも文句を言うことなくその場でじっと聞き入ってくれている。橘も今回ばかりは空気を読んでくれたのか、俺の左斜め後ろでちょこんと腰掛け、成り行きを見守っている。
「でもな、そんな二人だからこそ、どっちかを選べなんて言われても選べないんだ。どっちも俺の連れ添いとしては役不足だし、完璧すぎて興ざめするきらいがある」
「……だから、橘さんを……」
「違う。それは断じて違う。あれはさすがにあり得ん」
「いくらなんでもそれちょっとひどく「黙れしゃしゃり出るな奥にすっこんでろ」」
 やっぱり読めないのかこのお馬鹿ツインテールは。頼むから出てくんな。せっかくの感動シーンが台無しだ。
「…………」
「いや、すまない。あいつの言うことは全て無視してくれ。それよりさっきの続きだ。橘はどっちかっていうとお前らの逆だ。今見たとおり、足りないところが山程あるし空気読まないし自己中で本気で迷惑なことしかしていない」
 この辺は間違いない。というか嘘をつくつもりはさらさらない。なのに何故そんな顔でにらみつけるんだ橘。無視だ無視。それより佐々木の説得だ。
「だけど、問題は橘じゃない。ハルヒはどうなるんだ? ハルヒは本当に良いと思っているのか? あいつの閉鎖空間が崩壊する前、俺は聞いたんだ。『助けて』ってな。これは、あいつが望んでいた事じゃない、そうだろ?」
「う……」
「ハルヒは確かにその能力をお前に譲渡したかもしれない。でもあいつは、橘を消去するためにその力を与えた訳じゃないと思うんだ。少々強引だけど、あいつは他の人間が不幸になる世界を望んではいないはずだ」
「確かに、涼宮さんは橘さんになりたいとは思ってはいたけど、橘さんの存在を抹消しようとまでは言ってなかった……」
「だろ? だからこそ俺はハルヒの閉鎖空間であんな事を言ったんだ」
「…………」
「佐々木、考え直してくれ。別に俺と橘は変な関係じゃない。前にも同じようなことがあった気がするけど、全くの誤解だ。それだけは信じてくれ」
「…………」
 ――沈黙は暫く続いた。
 ふと目線を佐々木から外の光景へと移した。空が少し明るくなっている。もしかしたら佐々木の心境の変化の表れかも知れない。廃れていた心が、元の暖かみを取り戻しつつある。そんな気がした。
「……わかったよ、キョン。僕が悪かった」
 ――ほら、な。




「佐々木さん、ありがとうございました!」
「橘さん、ごめん。色々とむしゃくしゃしたこともあってね。あんな結論に達してしまったよ。申し訳なかった」
「いえ、分かってくれればいいのです」
「そうだぞ佐々木。それにお前自身言ってたじゃないか。困ったときは一人で悩まずに、打ち明けてくれって」
「……くく、そう言えばそうだった。何だ自業自得じゃないか。僕もまだまだ精進が足りないな」
「ははは、そうかもな」
「佐々木さん、今度一緒に組織の合宿に参加しませんか? 精神が鍛えられますよ」
「それはちょっと遠慮させてもらおう、せめて僕は人並みに空気を読みたいからね」
「ええっ! それどういう意味ですか!?」
『はははははは……』
 どうやら万事解決みたいだ。佐々木が世界改変キャンセルボタンを押すことに同意したため、これで元の世界に戻れそうだ。3日間に渡るトンデモ世界も何とか終焉を迎える――


『なに円満解決を望んでるのよ、あんた達!!』


『!!』
 ――ことは、出来なかった。
 声は、佐々木の方から聞こえてきた。しかし佐々木が喋っているわけではない。第一声が違う。
 この声は……まさか?
「きゃああっ!」
 佐々木の悲鳴が部室内にこだました。先ほどまで佐々木の周りを淡く照らしていたオーラが復活し、しかもその気流だか分流だかが、佐々木の周りを激しく覆い囲んでいた。
「……あああ…………ぁぁ……――……」
 佐々木の悲鳴は、徐々に弱くなっていった。しかし声がやんだ訳ではなく、人が聞き取れる周波数を超過したような、そんな耳を突く衝撃波が今もなお続いている。
 そして、『彼女』は目を開いた。
『キョン、あたしは騙されないわよ!』
 『彼女』――佐々木に乗り移ったハルヒ。そうとしか形容の出来ない存在が、そこに現れた。
「ハルヒ……なのか?」
『そうよ!』
「そうよって……お前、どうしてここに……? さっきあったアレは一体誰なんだ……?」
『ああ、アレ? あれはあたしが創り出した世界と、ダミーのあたしよ。どう? 本物そっくりだったでしょ?』
『な……』
 俺たち二人の声がハモった。
「ハルヒ……お前まさか自分の能力を!」
『ええ、知ったわ。でもそれはちょっと前の日のこと。佐々木さんが能力を行使しているときに気づいたわ。あたしってそんなに便利な能力があったのね。これからは有意義に使わせてもらうわ。先ずはね……』
 『ハルヒ』は、俺と橘を指さしてくくくっと笑った。
『佐々木さんの望みでもあった、橘さんの消去。これにつきるわね』
「えええっ!!」
「止めろ! あいつは心を入れ替えたじゃないか! どうして話を蒸し返すんだ!」
『蒸し返したんじゃなくて、元に戻っただけよ。この体は佐々木さんのものだし、ここも佐々木さんが創り出した空間。だから佐々木さんの望む事をしなくちゃいけないのは当然じゃない?』
「理由がいまいちかみ合ってないし俺の質問に答えていない! 橘を消したところで事件の解決はされないぞ!」
『わかってるわよそれくらい。だからあたし達が橘さんと入れ替われば問題ないわ!』
『なっ』
『佐々木さんとあたし。二人の願いが合わさった結果よ。これで円満解決ね。いいわよね佐々木さん?』
 佐々木――だと?
『ええ……涼宮さんが、そう言うのなら――』
 『佐々木』の声は、『ハルヒ』が発した声と同じ場所から聞こえてきた。
『あたし達はこれで一つの存在になったわ。これならキョンがどっちを選ぶかなんて迷う必要もない。加えてオリジナルの橘さんが消え、あたし達が橘さんになってしまえばキョンはあたし達以外を選ぶなんて考えられない。それが結論』
『そう……ね。素晴らしい考えだと思うよ、涼宮さん』
『佐々木さん、ゴメンね。あなたを騙すような真似をして。こうするしか方法がなかったのよ。キョンや橘さんを出し抜く方法は』
『別に怒ってなんかないよ。その方法が最良だと今理解したから』
『じゃ、そろそろ世界をかえちゃうわね』
『アディオス、橘さん』
 『ハルヒ』と『佐々木』。双方が相互にしゃべり出す。佐々木の形を取った蒼いオーラはその輝きを更に増す。このままでは本当に世界が変わってしまう。ハルヒと佐々木が融合した、橘の外見の人間が誕生してしまう。
 意味不明な結論もここに極まれりだ。本当にそんな世界で良いのかお前ら!?
 何とかして説得しなければ。二人が納得する方法を――橘になって困る方法を――元の世界に戻る方法を――


『――戻りたい――そう思わせるのが……大事――』


 突如、俺の脳裏にそのフレーズが浮かび上がった。物凄い勢いで。
 こんな経験を以前したこともある。あの時は――
 ――なるほど、そう言うことか。
 昨日の昼下がり。機関御用達の病院で二周年パーティをしていた、あの時聞いたあの言葉――
『――彼女の……弱点――』
『鍵は――橘――京子――』
 アレか。アレをやれってか。
 九曜はこうなることは予想済みだったって訳か。だからあの言葉を残したんだな。
 よーし、いっちょやってやるか。




 ふぇぇぇ……ホラー映画がお笑いコントドキュメントに見えるくらい、今の空気は戦慄で覆われていますよ~。
 佐々木さんと涼宮さんが融合して、得体の知れない物体になっちゃいました。敵対してた、ってわけじゃないですけど、神がお互いの存在に同調し、力を合わせたってことですよね。
 以前言ったかも知れませんが、神二人の意見が揃ったとき、その効果も即効性も、指数関数的に増加します。つまりそれはあたしの存在が消えてしまうのは既定事項で……ええええええっ!
 こ、困ります! まだあたしはやりたいことがいっぱいあるんです! デパ地下に新規オープンした和菓子屋さん、頻繁に来るようになった移動店舗のクレープ屋さん、くだもの屋さんがプロデュースしたフルーツパーラー。全部行ってません!!
 こんな時に食い物の話しかよってツッコミはしないでください! あたしだってテンパってるんですよ! いっつもだろってツッコミも無視します!!
 どうするんですかキョンくん! あのままじゃあチョーやばいですよ!!
「ハルヒ。そして佐々木」
 すっくとあたしの目の前に立ったのは――もちろん彼。キョンくんです。
「お前達に見せたいものがある。重要なものだ。これを見れば本当に世界改変を――自分たちが橘になろうなんて考えないはずだ」
『ふっ、自信たっぷりね、キョン』
『そこまでして改変を望まないというのかい?』
「ったりめーだ。あんなのがそばにいたら俺の気が狂っちまう」
 ひどい……あたしそんなに魅力ないのでしょうか?
『そこまで言うなら見せてもらいましょうか。あんたの切り札を』
『それを見て僕たちの気が変わらなかったら、その時はこの世界ともお別れだ』
「わかったよ。おい橘」
 あ、はい、何でしょう?
「ちょっとこっちにこい」
 はあ……分かりました。
 あたしはキョンくんに呼ばれた位置に立ち、そのままじっとしていました。あたしがやることはこれで終わりだそうです。一体何をやるのでしょうか?
「ハルヒ、佐々木。よくみとけ」
 そう言ってキョンくんはあたしの後ろ――背中のあたりにピッタリとくっつくように移動しました。何だか凄く怪しいことをされそうな気がしてきました。あたし初めてなんですから、痛くしないでくださいね。
「余計なこと言うな。本当に元の世界に戻れなくなるぞ」
 小声で怒られました。
「さて、待たせたな。行くぜっ!」
 後ろから聞こえた声は、とても気合い十分で、そして……


「ひぃやぁぁぁぁぁ!!!!!」
 な……キョンくん! どこ触って……ああっ!!
「どうだ! これでもか!!」
 あはん……だめっ……そこ……あああ!!!
「オラオラオラ!!」
 いやぁぁ!!


 ――そうです。彼はあたしの弱点。例のあの部分を刺激してきたのです。
 何で、あたしの弱点を……!?
 まさか、あの時――冬の合宿のとき、遭難したあたしが雪の中で味わった屈辱。てっきりキョンくんは寝ぼけてやってたと思ったんですが……実は起きてたんですかっ!?
「ハルヒ! 佐々木!」
 あたしの言い分を無視して二人に話しかけました。
「これでもまだ橘京子になるつもりか! こんなところが弱点になりたいというのかお前ら!!」
『…………』
 キョンくんの悲痛なる訴えに、しばし沈黙していた蒼いオーラは、
『…………最っ低…………』
 侮蔑した声をあたしに向かって言い放ちました。
 何で……あたしが悪いんですか……?
『……さよなら』
 二人の声がハモり、蒼いオーラは徐々にその光を失いつつありました。


 パリン。


 空の上の方に亀裂が入りました。閉鎖空間の崩壊が始まったようです。古泉さんから聞いた話、閉鎖空間が終焉を迎えるときには特に音は聞こえないみたいですが、佐々木さんの閉鎖空間では本当に音を立てて割れてしまいました。
 まるでこんな世界に未練はねえよ、と言っているみたいにです。
 ショックな出来事でもあったのでしょうか? あたしのせいじゃないと信じてます。

「やったな橘。どうやら元の世界に戻れそうだ。これもお前があんな妙な場所に弱点を持っていたおかげだ。おかげでハルヒも佐々木も思いっきり引いてたぞ。あんな弱点があるんなら橘になんかなりたくないって思ったんだろうな」
「…………」
「どうした橘?」


 ううう、みんなひどいです……ひどすぎます……あたしの立場って一体……




「あなたなら、きっと帰ってくると信じていた」
 翌日の昼休み、文芸部室。元に戻った姿を俺に見せつけるかのように、そしていつもと変わりない定位置に腰掛け、長門は淡々と語りだした。
 閉鎖空間が崩壊を始め、辺りが白い光に包まれたと思った矢先、俺は自分のベッドから身を乗り出した。全くあの時と同じだ。
 ただ一つ違うのは、その時間。以前は深夜に目を覚ましたが、今回はベッドから滑り落ちるや否や、目覚ましのベルが鳴り出した。
 閉鎖空間の時間と実世界の時間はリアルに連動しているらしい。破天荒な場所の割りに妙なところできっちりしてやがる。神様ってのはあんなのばかりなのかね。
 などと頭の中では考えていたが、実は時間軸のずれは大きく異なっていた。
 それに気づいたのは朝ご飯を食べようとダイニングルームに向かったときの事。
 親父が読み終わった新聞を取り、三面記事でも読むかと新聞を裏返し、それと同時にテレビ欄が目に止まった。本日は気になるドラマもスポーツも無く、軽く無視してページをひっくり返そうとしたその時気づいた。
「あれ……日付が三日前のものになってる」
 親父は古い新聞でも掘り出して読んでたのか。仕方ない。新しい新聞を取りに行くか、と郵便受けまでとりに行く。
 が。
「ない……」
 おかしい。どこにやったんだ? 妹が学校で使うとかで持っていったのか?
 念のため妹に聞くと持っていかないよとの事。ならば今日の新聞を持ってきてくれないかと頼み、幾ばくも無い時間をかけて戻ってきたその手には、先ほどの新聞。おいおいふざけているのか、ちゃんともってこいと言った瞬間、いぶかしげな顔をされた。
 流石におかしいなと気づいた俺はテレビのニュースを見て絶句したね。なんと今日は三日前の月曜日。事件が起こる前日まで戻ってきたのだ。
 なんと時間まで操る能力があるのか、ハルヒには。……ああ。そういえば延々と夏休みを繰り返した事もあったし、別にいまさらか。
 ここまで日数を戻した理由は簡単だ。ハルヒと佐々木は、自分が一瞬でも橘になりたいと思った汚点をデリートすべきと願ったのだろう。でなければこの日に遡る事などありえん。
 しかし、何故日曜じゃないんだ? そこまで戻して、俺と橘を会わせないように仕組んだほうが手っ取り早かったんじゃないのか?
「それは、既に23556回試されている」
 なんと!!
「しかし、23556回中の全てにおいて、日曜日にあなたと橘京子が出会っていた。確率は100%」
 マジッすか……?
「マジ」
 長門さん、言葉遣いが粗いですよ。
「もう少し正確に分類すると、23556回の内で、午前中に遭遇したのは14635回。昼食後に遭遇したのは8901回。夕食後に連絡があったのは20回となっている。また、午前中に遭遇した中で、フランス料理の店だった回数は……」
「いや、それ以上聞きたくない」
「そう」
「なるほどな、それだけの回数を繰り返していたならそりゃ怒りたくだってなるよな。すまなかった、長門」
「いい。わたしが憤怒の対象としているのはそこではない。問題ない。それはまた後から」
 長門は続けた。
「過去のケースでも方法は異なるものの時間遡行は行われていた。しかし必ず日曜日に時間遡行をし、同じ事を繰り返しては世界がリセットされる。それをひたすら繰り返していた。だけど、今回は月曜日に戻ってきた」
 それは、俺が九曜のヒントをちゃんと思い出したからか?
「そう」
 あの時のデジャビュは強烈だったぜ。もしかしたら1年の時の夏休み以上かも知れん。俺の声が、じゃ無くて、こう行動しろと脳に命令されて、そしてそのまま動かされた、そんな感じだったんだ。
 やっぱり23555回リセットされた俺達の残留思念だかなんだかがそんな力を持ったのかもしれない。
「今のところ涼宮ハルヒに不穏な動きは見られない。日曜日の一件で若干不機嫌になっているものの、閉鎖空間が発生しているような兆候はみられない。恐らくこのまま時間軸がリセットされる事無く進みつづけると思われる」
 ハルヒの力が行使され、そして佐々木もまたその能力を使えるようになったのは月曜日の夜だった。でもあのトラウマを覚えている限り、あいつらは力を行使しようなんて思わないはずだ。
「あれ? でも時間が元に戻ったなら橘の弱点の記憶も残らないんじゃないのか?」
「大丈夫。あなたが23556回目のシークエンスにおいて強烈な意志情報を感じたときと同じ。彼女らの記憶には、橘京子の強烈なイメージがインプットされた。それが足かせとなって能力を無碍に使用することを拒んでいる兆候が見られる」
 つまり……橘が変態なお陰で、ハルヒは自身の能力に気づくこともなく、また佐々木への能力移転も行われない。ってことだな。
「そう」
 ふっ……どうやら上手く収まったみたいだな。
「そういや橘と組織はどうなったんだ?」
「彼らは今までと変わりなく活動を続けている。橘京子の記憶に関する条項は不明だが、恐らく情報改変を受けて一切の記憶を消去されていると考えられる」
 まあ……今まで通りってことか。いいのか悪いのか微妙だな……
 でも長門は朗報を教えてくれた。
 佐々木の閉鎖空間に、あの『神人』が全く発生しなくなったというのだ。一度閉鎖空間が破壊され、その後新しく発生したそこは、去年の春に経験した閉鎖空間と全く同じものらしい。
 長門が言うには、佐々木は橘京子を自分の深層心理を映し出すあの場所に入れさせたくないらしい。
 平たく言うと、乙女心をかき乱すような輩とお近づきになりたくないってことだ。違うかもしれないが気にしないでくれ。
 なんにせよ、これで本当にめでためでたし、だな。

「長門には苦労かけっぱなしだったってわけか。本当にすまなかったな。そうだ、良ければさっきお前が言いかけた、不機嫌だった理由も教えてくれ」
 長門はそれまで読んでいた本を閉じ、そして俺の目をじっと見つめて喋りだした。
「貧乳は、いや」
 は……?
「せっかく大きくしてもらったこのバストを大事にしたい。ペチャパイの橘京子の姿は、もうこりごり」
 あの……もしかして、それだけのことで苛立っていたと……?
「重要なこと」
「…………」
 ええっと……
「人の価値観は人それぞれ。自分が好きな事が、他人も好きとは限らない。自分が腹立たしくても、他の人には至極な気分に浸ることもある」
 いや、いいたいことはわかるが……
「彼も、同じ」
 彼……って、だれだ?
「あそこ」
 長門が指差したその方向を見ると――


 バァァン!!


 突如、部室のドアが開いた。
「貴様ぁー! せっかく憧れの『きょこたん♪』になれたのに、何故元の世界に戻しやがったぁ!!」
「げっ!!」
 そこには、気持ち悪い物体が存在していた。
 朝比奈さんの100000分の1の美しさのかけらもない、女装を施した某未来人パンジー藤原。まるで某二丁目のバーに出勤する猛者共みたいだ。
「僕はこの姿が気に入ってたのに!  いつも一緒にいられると思ったのに! 朝起きたらおぞましい姿がそこにいてトイレで3回位吐いたんだぞ!」
 知るかそんな事!!
「戻せぇ! 元の麗しき『きょこたん♪』に戻せぇ!」
 来るな! 近寄るな! 変態が移る!!!



 ――こうして、女装藤原という魔の手から逃れるべく、俺は午後の授業をブッチしたのだった。



 めでたくなしめでたくなし。




 おまけ。
「あのー、佐々木さん。昨日から変ですよ? あたしを見る度に冷や汗ダラダラかいてます」
「あ、ああ……橘さんを見ると言いようのない恐怖がわたしを包み込んでね。出来ればあまり顔を見たくない。昨日キョンと御尊父と3人で歩いていたことはもういいから、水に流すから。今はお願いだからもう少し離れてもらえるかな?」
「ううう……バイ菌みたいな扱いはひどいですぅ……」



 終わり。

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