「あれ、そうだったかしら。あの時名前言わなかったっけ。……ていうかあなた本当にジョン?」
まだ少しだけ疑いの篭った目でハルヒが尋ねてくる。そりゃそうだ、いくら髭が生えていようと俺の平凡としか形容できない顔が変わったわけじゃない。
だが今この時、過去の俺が確かに存在している。そっちがキョンだ。この俺は間違いなくジョンなのさ。
「さっきから聞いていると俺によく似たヤツがいるみたいだな」
「似てるなんてもんじゃないわよ。同じ顔じゃない……でもキョンは知らないはずだし……」
つと目を逸らし思案顔のハルヒを見ているのも悪くないと思ったが、時間を浪費するわけにはいかない。
「まぁ何だかよくわからんが、さっさと名前を教えてくれよ」
催促するとハルヒはやたらと恥ずかしそうに、
「涼……むぅ……」
と口ごもったと思うとこう言った。

「……ハル・テイラーよ」

二人して噴き出しそうな顔になる。妙な所で対抗心を燃やすハルヒはいつもより幼く見えるな。中学時代のハルヒを思い出すぜ。

「じゃあハル、……ミステイラーと呼ぶべきか?」
「ハルでいいわよ、ジョン」
「そうか。積もる話もある、そこの喫茶店にでも入らないか?」
「……オッケー」

返事に少し時間がかかったのは俺(キョン)の事が頭をよぎったのだろうか。 
歩き出すハルヒの背中を追う。 


-さて、茶番劇の始まりだ。茶番とはいってもこの偽名を名乗る二人が演じるそれにはここ数日の騒動の結末が委ねられている。
……ハルヒの気をあの覚え書きから逸らす。今俺に出来るのはそれだ。

---------------

もう完璧に常連になった喫茶店に初めて来るような顔で入り、いつもの席に座る。

「アイスティーふた……あ、ジョンは何にするの?」
「アイスティーでいい」

こうして『他人向け』のハルヒを見るのも何か変な気分だ。出会った頃のような刺々しさがないから、このハルヒを見るのは初めてだな。

「……」
「……」

だんまりを決め込むハルヒに合わせていると程なくアイスティーが運ばれてくる。ウェイトレスが喜緑さんじゃなくてかなり安心した。

「ところで」
「あのさ」

……ベタな事をしてしまったぜ。
手で話の先手を譲るとハルヒはむぅと唸ってから言った。 

「あんた、一体何者なの?」
「さぁな」
「六年前に北高の制服着てたんだから少なくともいま22、3の筈よね。多めに見積もっても19、20にしか見えないわ」
「そうかい」
今更ながらコイツの鋭さには驚かされる。よくSOS団の秘密がばれなかったもんだ。
「真面目に答えなさいよ」
「謎が多い方が面白いじゃないか」
はぐらかすとハルヒは膨れながらそっぽを向き、アイスティーをちゅーっと吸う。そろそろ俺が会話の主導権を握ってもいいだろう。
文芸部の機関誌に覚え書きその一を書いたのは何でだった?-『SOS団を恒久的に存続させる為に』ってな感じだったよな。

「積もる話とは言ってもあの校庭での出来事くらいしかなかったなそういえば」
ハルヒがアイスティーをもう一口。
「あの時のお前は現状に不満タラタラのようだったが、今はどうだ?お前の世界は大いに盛り上がっているか?」
視線をこちらに向け、不満顔のハルヒが口を開く。

「盛り上がってたわよ。……楽しかった……」

だんだんと俯きながら言ったハルヒの言葉に予想通りという感覚と共に自責の念がわいてくる。ハルヒにとって朝比奈さんがいなくなった事は俺が思う以上にキツかったらしい。
それを察する事もせずおざなりな言葉でその場を逃れ、ハルヒの憂鬱を取り除いたつもりでいた。
しかしやはり、あの覚え書きその二を書いた理由は朝比奈さんが消えた事……か。
「あの時あんたが言ったその『世界を大いに盛り上げる』っての、高校でやってみたのよ」
こくりと頷きを返すと、ハルヒは独白を続ける。
「すっごく楽しかったわ。色んな事して……謎な物は見つからなかったけど、その……特別な人は見つかったし」
ハルヒの耳が赤く染まっていく。こっちまで赤くなりそうだが、ハルヒがジョンに対してはやたらと素直に心情を吐露する事に嫉妬心がわいてきた。その事が赤面を抑える。

「大学に進んで、毎日みんなと会うわけにはいかなくなったけどそれでも楽しかった。でも、最近ちょっと不安になる事があるの」
高一の時踏切で話したのを想起させる表情を見ながら、この時俺はもう少しで上手くいくなどと考えていた。楽天的な事にな。やれやれ、無自覚程恐ろしく、愚かなものはないね。 
ハルヒの次の言葉を聞くまで、俺は事の本質を間違って捉えていたんだ。人のせいにして、無意識ではあれど皆を『救ってやる』等と傲慢に考えていた。バカ野郎め。
皆に謝らなければならない。ハルヒ、長門、古泉……それに朝比奈さんに、藤原にも。くそ、いまいましい。

「キョンが……あ、キョンっていうのはあたしの……す、好きな人なんだけど、あんたと同じ顔の……」
「あたしに何か隠してるような気がして……付き合い始めてから……ううん、会った時からずっと」

絶句している俺にハルヒはトドメを刺す。

「だから不安で、あたし達二人……だけじゃなくてずっと皆で一緒にいる為にはどうすればいいか考えてたんだけどそれをまとめたノート忘れちゃったのよ。
よりによってそのキョンの家に」

-------------- 

        その言葉は俺の全く想定していないものだった。当然返す言葉などあるはずがない。

-俺のせいだったんだ。

俺がハルヒを不安にさせた。俺が朝比奈さんの存在を危ぶませた。俺が長門や古泉を……!
思えば当たり前だ。朝比奈さんはハルヒがあのノートの理論を完成させつつあるから未来に帰ったわけで、ってことは朝比奈さんが帰ったからハルヒがあの理論をという理屈は成り立たない。
そんな単純明快な事にすら気付かないなんて……どこまで鈍感バカなんだ俺は。
「何苦々しい顔してるのよ」
完全に謎の男ジョン・スミスから凡人キョンに立ち戻った俺にハルヒが声をかけてくる。俺はどうすればいい?
ハルヒにこれ以上あのノートの事を考えさせず、『答え』を見つけさせないためには何をすれば-


-違う。


……それじゃ駄目だ。ハルヒは今何て言った?俺が何か隠し事をしているように感じる。それが不安だから考え込んでいたと。

答えを見つけさせない?そうして俺はハルヒにまたもう一つ隠し事を作るのか?
ついさっきまでジョン・スミスとして俺は何て言うつもりだった?

『俺にだってまた会えたんだ、お前が見つけたかけがえのない仲間と二度と会えなくなることなんてないさ』
はは……なんて身勝手な思い上がりなんだ。かけがえのない仲間?笑わせるなよ。
互いの関係性について重大な隠し事をしてる連中が仲間だって言うなら、どんな汚い冷酷なスパイだって仲間だ。 

俺がやるべきなのは……隠す事じゃない。長門、古泉、朝比奈さん、もういいだろう?ハルヒの能力は失われたんだ。そろそろ全てをぶちまけていい頃合いだ。
ぶちまけても大丈夫なほどの信頼は築いたと思うぜ。いや、全ての真相を話さないと本当の信頼関係は築けないんだ。

俺はひと足先にフライングさせてもらうぜ。

ハルヒいわく苦々しい顔をしていたらしい俺は、噛み潰した苦虫を吐き出すように言った。

「……悪かった」
「えっ?何よ急に……」
息を深く吸い込み、戸惑うハルヒに言う。

「俺がそんなにお前を不安にさせていたなんて知らなかった。すまんハルヒ」

ハルヒが目を見開いて唾を飲み込む。

「俺は確かにお前に隠し事をしてきた。……俺の口から言ってはいかんと思うから全ては言わない。だが俺が俺自身の事でお前に隠していた事は全て言う」
お互い息を飲む。
「まず一番大きな隠し事だ……もう言っちまったも同然だが、俺がジョン・スミスだ」
「な、何言って……え?」
「もう一つ。今ここには俺が二人いる。もう一人の俺は何も知らずに自分の部屋で寝てるだろうさ」 
「意味わかんない……」

「高一の時俺は三年前にタイムスリップしてお前の地上絵描きを手伝った。今もある事情で時間遡航してきたところだ」
「…………」

信じられないのか(そりゃそうだ)、ハルヒは無言で喫茶店を出ようとする。伝票を持ってその背中を追うのはもはや俺にとっては自動化された動作だ。

店を出た所でハルヒの肩を掴むのに成功する。コイツがこんなに華奢で儚く柔らかい事を知っているのは俺だけだ。
不安を取り除けるのも俺だけだ。いや、そいつは俺の義務なんだ。他の誰にもやらせるわけにはいかん。

「俺以外のSOS団メンバーは確かに初めはある目的を持ってお前のもとに集まった。偶然集まったように感じるかもしれんが……そのへんの説明は俺より古泉か長門の方が得意だろう」
ハルヒは目を逸らしたままだ。喫茶店の扉の前で女の肩を掴んで何事かまくし立てる男、この風景だけ見たら痴話喧嘩でしかないな。
「だが今は違う。もうその目的は達成された。今のあいつらは純粋にお前の事が……いやお互いに好意を持っているから俺達と一緒にいるんだ」 

「そして俺は……最初は何も知らずにお前に惹かれていた。SOS団を作ってからお前には伏せなければならない色々な事を知らされた。だがな……これだけは言える。俺はお前に隠し事をしていたが……」
鼓動を落ち着かせる為、胸を撫でる。
「気付くまでは時間がかかったが……お前に対する気持ちについて嘘をついた事は一度だってない!」
半ば叫ぶようにきっぱり言い切るとハルヒはこちらを向いた。
「いつだかのお前のポニーテールは、反則的なまでに似合ってたぞ」

ハルヒが息を飲む音が聞こえた気がした。

「……夢の中でさえも一緒にいられたんだ。ハルヒ、俺達が離れる事など決してありえない」
ぽかんとしているハルヒを目覚めさせる為に俺が何をしたか。分かるよな?言うまでもない。

「……んんっ」

……?

「……っぷは!ヒゲが痛いのよこのアホキョン!」
俺を押し戻したハルヒは、泣きながら笑いながら怒っていた。その顔が何と言うか……もはやポニーテールとかどうでもいい程愛しく思えた。
思わずにやけるが俺にはまだ言わなければならない事がある。ハルヒにした『確認行為』をもう一度- 

「信じられないかもしれない……自分でも信じられんがハルヒ、お前が好きだ。誰よりも」
といういつか言った言葉に続け、
「俺はもう二度とお前に隠し事なんかしない。信じてくれるか、ハルヒ」
ハルヒは斜め右下に視線を落として、
「……あんたが今言った突拍子もない事が本当なら、信じてあげるわ」
そして顔を赤くしたままゆっくりと携帯を取り出すハルヒ。俺から目を逸らさず、そいつを耳に当てる。
少し間があって『俺』が出たらしい。一瞬だけびくっとし俺を見つめた後、表情を笑顔に変えたハルヒは『俺』を恐慌状態に陥れ俺を安堵させる言葉を通話口に向かって言った。すなわち、

「あ、キョン?思い出したんだけど…あ、あのこの前の火曜日にさ、あたしあんたの部屋にノート忘れちゃってさ」

「机の上」

「いいのいいの。もうそれ必要ないから。答えは見つかったし♪悪いんだけど処分しちゃって」

「そいじゃね♪」

その会話を聞き、俺は背を向け立ち去る。ハルヒが追ってこようとするが、すまん、もうここにいるわけにはいかないんだ。
ハルヒが見つけた『答え』は……俺が危惧していたものじゃない。電話しているハルヒの顔を見れば解るぜ。 

人が永遠に一緒にいる為に難しい理論なんていらないのさ。だよなハルヒ。必要なのは、信頼と……柄にもない事はこれ以上言いたくない。
分かるだろ?分からない?分かれ。

「世界を大いに盛り上げるためのジョン・スミスをよろしく!またなハルヒ!次にSOS団で集まった時、残り全て話す!」

走り去りながら振り返ると、ハルヒが『俺』から折り返しの電話を受けているのが小さく見えた。

……あとは、朝比奈さんと長門、古泉だ。

-未来を安定させ、SOS団を本物の『仲間』にする。
ハルヒにも言った通り、全員が全員お互いに好意を持っているはずだ。だから……いや、そんな事は関係ない。

俺があいつらと共に生きていきたいんだ。向こうの意思なんか知るか。文句はあるかい?

体感的には六日前、日付上は今日……
ハルヒが朝比奈さん(大)の傍らで倒れ伏し、その風景に長門と古泉が対峙していた場所へ。

最後の詰めの舞台へと疲労が蓄積した脚に鞭を打ち、俺は走っていく。


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