※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

このお話は『マスターの憂鬱』の続編です。

 

 

カランコロン。
今日も今日とて店内に始まりを告げるメロディーが鳴り響きました。
迎え入れた客人は四名。
四人組、などと言うと涼宮さんからは累積で二枚目のイエローカードをもらう事になり、退場の危険性すら伴いますので、当然そんな事は口にいたしません。
いつもの「いらっしゃい」と言う声が、しかし今日は二つ重なります。
涼宮さんの大きな目が、見開かれました。当社比で言うとおよそ百二十パーセントほどに。
その目線の先には、クエスチョンマークを浮かべて当然の様に立ちはだかる長門さん。
店内に長門さんが居るのは別に驚愕するような事でもなんでもないのですが。
今日はその格好が問題でした。 
「ちょっと、マスター! これってどういう事よ?!」
そう叫びたくなるのも、わかります。
私も、涼宮さんの立場だったらそう叫んでいたでしょう。
すみません、ご挨拶が遅れてしまいました。
こんにちわ、私。喫茶店ドリームのマスターでございます。

   

 

◇ ◇ マスターの約束 ◇ ◇


 
「それと……」
あの日、長門さんの口から発せられた言葉。
いやいや、こうして見ると実際に私があの時耳にした言葉で本当に合っているのだと改めて実感いたしました。
タンスで何年か眠りこけていた、嫁が若い頃に着ていたウェイトレスの制服。
寸法が合っていて良かったですね。
黒の単色で背中にファスナーがついている膝下丈のワンピース姿の長門さんを、私はしげしげと見つめました。
しげしげ、と言いますが。実際にはジロジロに近いものだったのでしょう。
嫁から思いっきりグーで小突かれました。
「ほら、有希ちゃんが困ってるでしょ?」
おかしいですね……、私には困っている様には見えないのに。
当の長門さんは首を傾げるでもなく抗議の言葉を上げるでもなく、ただただ私たちのやり取りを見ていました。
嫁には長門さんの些細な表情の変化がわかるというらしいです、やはりそこは何か女同士通じ合うものがあるのでしょうか。
あの涼宮さんとすぐに打ち解けてしまうような嫁なので、さもありなんです。
「さて、長門さん」
それでは、実習と参りましょうか。
今度は、私にもわかるくらい大きく、長門さんは頷きました。
 
 
「それと……、私をここで働かせて欲しい」
それが長門さんからの嘆願でした。
あまり深くは踏み込んではいけない様子でしたので、私はあえて理由までは聞きませんでした。
断る理由も無かったですしね。
ちょうど私も一線を退いてもいいかな、なんていう事を思ったり思わなかったりしていましたし。
長門さんなら大歓迎ですよ、と。
二つ返事で了承しました。
そんな私が甘かったのでしょうか。
 
 
「長門さん」
「なに」
「う~ん……、やはり接客業ですからね。こう、なんと言いますか、もっとハキハキといいますか、明るさといいますか」
「メニューは全て暗記している、オーダーも聞けている、問題は無い」
「た、たしかに。そうなのですが、ね」
「?」
「え、ええとですね……」
「調理の方は、少し待って欲しい。練習が必要」
「そ、そうですね。あ、長門さん」
「?」
「それはカツサンドですよ、これがハムサンド」
「……協力、感謝する」
 
 
実習──最近じゃOJTなんていう略語があるそうですが──を始めてからというもの、ずっとこんな調子です。
どこか一本筋を違えているようなやり取りの繰り返し。
でも、きっと長門さんに悪気は無いのです。
だから私は語気を荒げるなどと言う無粋な真似は一度も致しませんでした。
なにより長門さんの目が、真剣だったからです。
そんな真剣な目を、私は知っています。
そんなこんなで、実習の日々が始まりました── 

 
「──というワケです」
「なあんだ、そういう事だったのね」
二杯目のコーヒーを一気飲みして、涼宮さんはテレビでお馴染みのどこかの名探偵のような衣装を身に纏いながら納得した様子でした。
何時の間に着替えられたのでしょう? お決まりのあの言葉を言われそうで少しばかりハラハラドキドキしてしまいます。
キョンくんが、すみません、という目線を送ってきます。
やはり私と同じ穴のムジナといいますか、類は友を呼ぶと言いますか、キョン君がとても他人とは思えない私でございました。
いやいや、構いませんよ。
それでは、ごゆっくり。
様々なBGMが交じり合って溶け合う、喫茶店ドリーム。 
 
 
月が闇に溶けて閉店の時がやってまいりました、OPENのプレートをひっくり返してCLOSEDにします。
箒をもってきて少し掃除をして、皿洗いを終えて、自分の為にコーヒーを淹れる。
ちょっとした至福の時間です。
今日は久しぶりに、自分と、もう一人の為に、ですがね。
長門さんは無糖を好むようなので、私もそれに倣いました。
それが私流の礼儀というものです、この歳になると変な拘りの一つや二つや三つ……。
いやいや、歳は取りたくないものですな。
繊細に、ふれると壊れそうな細い指でカップを持ち上げて、音も無くコーヒーが昇華されていきます。
きっと、それが長門さんのメロディーなのでしょう。
   
  
「長門さん」
だから、聴いてみたくなったのでしょうね。
「なに」
「長門さんの夢は、何でしょうか?」
長門さんのメロディーを、もっと。
「……夢?」
「えぇ、そうです。夢です」
「夢……」
 

 
少しばかりの、間。
 

  
「人に、なること」
 

 
その後に訪れたコーヒーを淹れるのに充分だというくらいの、間。
 

 
「マスターは?」
その声でやっと我に返った私でした。
私ですか?
長門さんはコクリと頷きます。
なるほど、注意深く見ると長門さんの表情の変化というものが私にもわかりそうな気がします。
実習中は、ずっと。
目が輝いて、楽しそう。
これで合っていますか? 訊ねる事は、しませんでしたが。
「マスターの、夢は?」
夢、という言葉に、胸が擽られる様な思いになります。
ニコリと笑って、私は古いアルバムを開くようにゆっくりと口を開きました。
 
 
「私がキョンくんや涼宮さん、長門さん達くらいの頃の話ですけれどね──」
 

 
長門さんは、爛々と目を輝かせて心底楽しそうに私の話に聞き入っていました。
だから、なのでしょうか。
私の昔話を話し終えた後に、私は長門さんにこう言ったのです、
「時間が、解決してくれますよ」
何を解決するのかは、聞いていない事にしました。
このアルバイトが、長門さんにとってプラスになるなら。
大いに協力しましょう。
きっと、私に娘がいたなら。
私は惜しみなくそうしたでしょう。 
 

 
あくる日。
 

 
「いらっしゃい」
「マスターっ! 長門いませんか?!」
藪から棒に、キョン君は私に尋ねました。
その様子が少しばかり、いや、尋常ではないくらいに慌てていたので、せめて私が落ち着いて対応しようと思いました。
「長門さんですか?」
「えぇ、長門です」
「長門さんなら先ほど、どこかへ走っていかれましたけれど?」
事実ですよ、嘘は言っていません。
嫁曰く、私の嘘は簡単に見抜けてしまうらしいので。
「なっ……!」
キョン君は慌てて出て行こうとしました。

何か思うところがあるのでしょうか?
私はそれを制止して。とりあえずカウンターを指差しました。
焦っても仕方ない事もありますよ、と。
急がば回れと言うでしょう?
「まあまあ。ちょっと、年寄りの小話でも聞いていきませんか? 何、そんなに時間は取らせませんよ」
「はぁ……」
そんな場合じゃない! と怒鳴るかと思っていましたけれど。
思ったよりも大人なのですね、キョン君は。
いつものでいいですよね。私はニッコリと笑いました。 
「私がキョン君や涼宮さん、長門さん達くらいの頃の話ですけれどね」
思い出すだけで、くすぐったくなるような記憶の一ページ。
確実に存在した日々、今はそんな微かな記憶でさえ貴重だったと胸を張って言えます。
「アルバイト先の喫茶店でね──」
 

   
 とある日、そこにやってきた、つんけんした女の子。
 スケバンって言うんでしょうか。あ、言い方が古いですよね。
 その女の子が、それはもう大変な女の子でしてね。
 コーヒーを持って行くだけでうるさいだの黙れだの言ったかと思ったら、次の日にとんでもない位に落ち込んでてね。
 構って欲しい! と、顔に書いておきながら、私が話しかけるとつっぱねるのですよ。
 何だこいつは! と、思いましたね。
 喜怒哀楽が激しいというか、単純と言うか。
 私などは、年頃の女の子は難しいものだ、俺はコーヒーしか挽けないが、見習いのお前はせいぜいしっかりと『気を挽く』んだな、などと当時のオーナーからからかわれていましたが。
 それだけならまだいいものを、その女の子はいっつも何かしらの問題を抱えて持ってくるんですよ。
 それにいつの間にか私は巻き込まれましてね? 休みの時間の間は良いのですが、こっちは仕事中だっていうのに、そんなの関係ないでしょ! の一言ですよ、それはもう色々と大変だったのです。
 それでも、きっと私はその時間が楽しかったのでしょうね。
 今思えば、なんでもないありふれた時間だったのですがね。
 
 ある日、私とその女の子は約束したんです。
 今度会ったら、結婚しようという、いわば婚約です。
 思えばバカな約束でした。
 「明日会うじゃないか」
 と、私が笑うと。
 「その時はその時よ」
 などと言って笑うのです、まるで、そう、ひまわりみたいにね。
 でも、次の日。女の子は店にやってきませんでした。
 次の日も、また次の日も。その次の日も。
 彼女が転校したらしいという話を私が聞いたのは、それから一ヶ月後の事でした。
 だから、彼女はあんな事を言ったのでしょう。
 気がついたのは、その時でした。 
 
 
「……それで、その後は、どうなったんですか?」
「後ですか?」
キョン君はコクリと頷いて私の話を促しました。
 
 
 当時携帯電話なんて便利な代物も無くて、連絡先も、家がどこにあるのかすらわかりませんでしたからね。
 学校も違いましたし。
 それっきり、ですよ。
 今と違って、世界はずっと狭かった。
 自分の足で動ける範囲のことだけが、世界でしたしね。
 私ができる事と言えば、待つ事くらいだと思って。ずっとここでアルバイトしてようかと思っていた、まさに矢先の事です。
 店が潰れちゃったんです。
 
 
「え?」
「はは、鳩が豆鉄砲くらった様な顔してますよ」
コーヒーを一杯。
いつもの、と言いながらこっそりとブラックにしてみました。
「もう、茶化すのは辞めてくださいよ」
彼は言いながら飲んで、苦さで顔を顰めました。
 
 
 それで、私は呆然としましたよ。
 そのあと一ヶ月くらいは何をしていたのかあまりよく思い出せません。
 ぼけーっと、ただ、学校へ行って帰るだけの日々を送っていたんだと思います。
 それだけでも、良かったんでしょうがね。
 普通に高校を卒業して、普通に可も不可も無い様な大学へ行って、普通に企業に就職して、普通に誰かと結婚して、普通に死んで、普通に墓に入る。
 そんな人生も、良いかなと思った事もありましたけれど。
 でも、どうしても女の子との約束の事が頭から離れなかった。
 だから、店が無いなら自分で作ればいい。そこで彼女を待ち続ければいい、って。思っちゃったんですよね。
 若さっていうのは、本当に恐い。
 その後はもう、思い立ったが吉日の勢いで高校を辞めて、仕事を始めました。
 「働かざるもの食うべからず」なんていう言葉がありますが。
 逆に言えば働いているものには等しく食べる権利があるという事です。
 飲食業者が口に出す言葉として、これほど可笑しい事はないと思いますがね。
 その言葉を合言葉に、なんとか頑張りましたよ。
 なんとか資金の目処が立ったのは、それから随分時間が経った後ですがね。
 
 
「なんだか、凄い、ですね」
「はは。そんな事は無いですよ。今でも親戚中から白い目で見られます」
「それでも、凄いですよ。少なくとも俺はそう思います」
 
 
 銀行から融資の話を受けて、借金をしながら、ですがね。
 なんとか今こうして一つの店がもてる様になりました。
 実はここの場所、私が昔アルバイトをしていた店をそのままの形で引き受けることができたんです。
 都合良く引き取り手が見つからない状態が長く続いていたみたいでね?
 店をやるならここしかない! 即決でしたよ。
 それからはもう、やっと開業したと思ったらトラブル続きでしてね。
 なかなか店は軌道に乗らない、難しい商売だと思いましたよ。
 こう見えて借金取りに三回は取り立てられましてね、はは、あの時は恐かったですな。
 それでも、なんとか続けることができました。
 店もだんだんと落ち着いてきた。
 そんな時です。
 ひょっこりと。まるで、その時の写真を切り取ったままの様な姿で、あの女の子がやってきたんです。
 彼女は何も言わずにコーヒーを注文しましてね。
 姿は僕の印象と同じだったんですが、仕草や雰囲気が随分大人になっていました。
 人違いかと思って声を掛けなかったくらいですよ。
 
 
「声掛けなかったんですか? どうして?」
「随分時間も経っていましたしね、時間というのは恐い、時間は人を変える。時間は記憶を掻き消す」
「……」
「それに、そんな昔の約束の事なんてどうせ忘れているだろうと思ったのですよ」
「……」 
 
 
 彼女はコーヒーを飲み干すと、ご馳走様とだけ言って帰ろうとしたのです。
 私は慌てました。
 いや、ちょっと待ってくれと。
 ここで声を掛けねば私は、一生涯後悔し続ける事になるだろうと。
 私を突き動かしたものは、遠い日の約束と、ちょっぴりの勇気でした。
 その時もこう、グーで小突かれましてね。
 「気がつくのが遅い」
 とね。
 向こうは最初から気がついていて、私の様子を見ていたようです。
 思えばその時から尻に敷かれる事は確定していた様なものですな。
 
 
 
「長門さんとの間に、何があったのか存じませんが」
はっ、と。
キョン君は顔を上げました。
いやいや、本当に私は何も知らないのですよ?
「謝るのなら早いほうがいいです、ひょっとしたらこの先何年も会えないかもしれない。時間は、恐いものです」
カランコロンという鐘の音がした方向に指を刺します。
キョン君が振り向いた先に居たのは、ウエイトレス姿の長門さん。
買い物袋を提げているのは、私がおつかいを頼んだから、なのですがね。
「長門。すまなかった……、俺っ」
「気がつくのが遅い」
キョン君は長門さんに思いっきりグーで小突かれていました。
二人が和解できた様子で、私はほっと胸を撫で下ろしました。
 
 
「キョン君」
「何ですか?」
「私は、ああは言いましたが、時間は恐いだけでは、ないのですよ」
私は二階から降りてきた嫁を差しながらニコリと笑いました。 
敵わないといった表情のキョン君。
はは、これでも歳の数だけ生きてきましたからね。  
 
 
さて、二人の間に何があったのか。
余計な詮索かとは思いますがそこは人間。
聞いておかない手はないでしょう。
 
 
「わたしのコーヒープリンを彼が食べた。買ってきてくれるという約束の期限になっても、コーヒープリンは届かなかった」
 
 
吉本新喜劇よろしく、私がずっこけたのは言うまでもありませんでした。
いやいや、二人ともまだまだ色気よりも食気、ですか。  
 
  
さて、喫茶店ドリーム。 

 
明日はどんなお客様がお見えになるのでしょうか。
 

夢を膨らませながら、お待ちしております。
 

「いらっしゃい」という、魔法の一言でお迎えいたしますよ。

 

 
  
 おわり。

|