「古泉くん?」

ハルヒは困惑した様に自分よりも頭一つ高い古泉の顔を見上げた。
その表情はどこか拒絶する様な、そうだ。いつだったかあの灰色の世界のハルヒの顔に似ている様な気がしないでもない。
古泉はそんなハルヒにいつもの胡散臭い笑顔とは違う、幼い頃から可愛がってきた猫を見るような目で優しく微笑みかけて抱き締めた。


『少年は恋をしていた』

 


「一体何をしてるんだ」
声が震える。胃が縮むような思いさえ感じる。
まるでドッキリバンジージャンプを今まさに聞かされたようなそんな感じだ。
今、俺がどんな顔をしているかは全くもって見当がつかないが、俺を見たハルヒがビクリと肩をすくめたのだけは分かった。
イヤイヤするように古泉の腕から逃げようと身じろぐ。 
しかし、古泉はそんなことでは離すつもりは毛頭無いらしく腕をガッチリとハルヒの腰をホールドしたまま動かない。
いくらハルヒが信じられない程の馬鹿力だとしても本気を出した男に勝てるはずが無いのだ。
そう、ハルヒは神でも何でもない只の女の子なんだよ。

それを見て俺の心はまた言い知れぬモヤモヤで満たされる。
朝比奈さんはと言うと部室専用のメイド服に身を包んだままお盆を握りしめてうつ向いている。
震えているのは泣いているからだろう。時々漏れる阿咽が部室に木霊する。
長門は分厚いハードカバーを開いたままじっとその無機質な瞳で古泉を見つめていた。
その表情がほんの1ミクロンだけ悲しそうに歪んでいるのは気のせいでは無いはずだ。 

 

気まずい沈黙が目の前を横切っていく。
一体何が起こったのかって?
まず俺が聞きたいくらいだ。俺にだって全く分からないのだからな。
掃除当番を谷口に押し付けられて遅れてやって来たら古泉とハルヒが見つめ合っていて、冒頭に至る。

至ってシンプル。否、シンプル過ぎて話が見えない。笑えない。

ここは大笑いすべきところのはずなのに全くもって笑えないのは何でだろうね。ハハ。


「申し訳ありませんでした、涼宮さん」


沈黙を破ったのはハルヒの怒鳴り声でも無く、朝比奈さんの悲鳴でも無く、長門の本を閉じる音でも無かった。
もちろん俺でもない。俺はと言うと「一体何をしてるんだ」と言っただけでいっぱいいっぱいで、息をするにも辛い状況だ。
肺に回りきれてない息がヒューヒューと鼻から漏れる位だからな。


と、すると誰か。
まあ説明するまでも無いだろう。


古泉だ。

古泉はハルヒの髪に埋めていた顔をゆっくりと上げて、腰に回していた手を肩に置いて言った。
その瞳はどこか寂しげに揺れていて、俺は何故か胃が口から飛び出しそうなそんな吐気を覚える。
ハルヒが恐る恐る古泉の頭に手を伸ばし、その色素の薄い髪を細い指ですいた。

「ごめんね」

その声は意外にも凛としていて、胸が詰まった。
だんだんと二人の顔が近付いていく。
ハルヒがその長い睫毛を伏せる。
そして古泉の瞼もそれに習う様に閉じられた。
キス、するのか。
俺は何故かあの灰色の世界でのハルヒを再び思い出して顔を背け、そのまま部室を後にした。 

 



春とはいえまだ風は冷たい。
屋上のフェンスに身体を預けて空を仰ぎ見る。
楽しかった高校生活も後わずか。
この一年だってまあそれなりだったさ。
朝比奈さんのお姿を特別出勤デーの火曜日にしか見れなかったにも関わらず、ハルヒ大先生の教えを受けながら必死で勉強し、何とか第一志望の中堅私立に滑りこむことが出来たしな。
あの頃のような滅茶苦茶は無かった。けれどあの5人であの空間いれた。

それだけで十分だった。


正直、何か物足りなかった気がしていたのは事実だった。
それはハルヒの力が消えてあのハチャメチャ空間も只の部室棟の一部屋になったからかもしれないし、受験勉強で専ら忙しかったからかもしれん。

「なんか、現実見せ付けられたって感じだな」
心に浮かんだことをそのまま口にしてみる。
分かってたさ。ずっとこのままではいられない。
卒業式はもう間近まで迫っている。

「幸せにして下さい、必ず」


俺が俺自身でハルヒを選んだ時の古泉を思い出す。

すまん、と頭を下げた俺の胸ぐらを掴んで怒鳴り散らしたあいつは初めてその拳を振り下ろした。
流石に6年間分の拳は重く、俺の心にのしかかった。
古泉が選んだのはハルヒだった。ハルヒが選んだのは俺だった。
俺は古泉の気持ちを知りながら、ハルヒを選んだ。



なあ、古泉。ハルヒのことは任せておけよ。
俺じゃ頼りないかもしれないけどさ。
俺はあのニヤケハンサムを思い浮かべる。

そして、その時ふと、あの憎らしいニヤケ顔が嫌いではなかったことに気が付いたんだ。

fin


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