部屋中がやけに酒くさい。それというのはテーブルの上ですでに中身を失ったビール瓶やワインがあちらこちらと散らかっているからで、ちなみに僕の前には小さい空のオレンジジュースの瓶が3個ほど転がっている。
「ほれ古泉、お前も一口呑んでみろよ。こんな美味いものを飲まないなんてどうかしてるぞ」
「未成年である僕にお酒を薦めるほうがどうかしてますよ。遠慮しておきます」
「つれないわね古泉。そんないい子ぶってて人生辛いと思ったことはないの?」
ないですね。特には。
「っそ」
もう1人で5本以上ビールを飲み干している森さんを含め、3人――僕と新川さんだ――が多丸さん宅にお邪魔している。なぜ多丸さん宅かと言うと……お解かりだろう、圭一さんの誕生日パーティとは名ばかりの宴会を行っているわけだ。
それにしてもいつになったらこの家のお酒は無くなるのだろう?
「安心しろ古泉、このまま朝になるまで呑んでもまだ余るほどあるからな」
そんな輝かしいばかりの笑顔で言われても僕は引きつった笑顔をつくることしかできませんよ、圭一さん。
「それじゃあ改めてお祝いいたしましょうぞ」
「そうね。じゃあ、多丸圭一くん!」
「「「「誕生日おめでとう!!」」」」
「ありがとう、我が戦友たちよ!」
そういえば圭一さんの歳は今いくつなのだろう? 今は訊ける雰囲気じゃないか。
「さあみんな! もっと呑め呑めー!」
「「「おーっ!」」」
今なら"彼"の気持ちが解かるような気がする。……やれやれ。
僕はコップに注いだオレンジジュースをちびちびと味わうように飲みながら、もう味も解かっていなさそうにお酒を胃袋に取り込む作業をやめない大人4人をただ眺めていた。
今でも耳がキンキンと響くほど騒いだパーティも終わり、解散の号令がでたことにホッとした僕は今、家までの夜道をとぼとぼと歩いている。
ふと気が付くと、長門さんの住むマンションが目の前にあることを知り、反射的に僕は腕時計を確認した。11時50分。……さすがにこんな時間にお邪魔するわけにはいかない。いや、最初からお邪魔する気はさらさらなかったけれど。
少し名残惜しさを感じながらマンションの前を通り過ぎようとすると、あるモノが目に留まった。
「……誰だ?」
光陽園駅前公園。その一角の隅にある古ぼけたブランコに、漆黒色の長髪の女性が鎖を両手で握りながら座っている。
少し寒気を覚えた。無理もないだろう、こんな深夜に髪の長い色白の女性がブランコで座っているのだから。だが、その時の僕はどうかしていたんだろう、誘われるようにその女性に歩み寄っていた。どこかに長門さんの面影を感じたからかもしれない。
「……! 誰?」
問われて初めて気付いた。あちらにとってもこんな深夜に男が歩み寄ってきたら恐怖の念を感じてしまう。僕は慌てて取り繕い、
「あ、いえあの、決して怪しい者ではありません……って言っても怪しいですよね」
彼女は目をぱちくりとさせて僕を注意深く観察している。やがてその警戒を解いたようで、
「あなた、どこか違うわよね。でも、怪しくはない」
僕をドキリとさせることを言い出した。どこか違うとは……なんのことを指しているのか? 僕の疲れ切った表情を見て言ったのか、それとも……
「あの、ここでなにをしているんですか?」
彼女は雛鳥に餌を与えている親鳥を見た時のような暖かな笑いをこぼし、
「別になにも。ちょっと公園で遊んでただけよ」
「こんな遅くに、ですか?」
「ええ。あなたは?」
「僕は……」
あなたの姿が目に留まったから、無意識の内にここへ。
「そうなんだ。それじゃあ……これからは暇?」
「えっ?」
「ううん、時間がないならいいの。……それはわたしも同じだけどね」
『残念ながら時間も遅いし……』僕が言おうとした言葉だ。けれど、彼女の哀愁を漂わせる表情を見て、とてもそう言える気分じゃなくなってしまった。
このまま、ほうっておいてはいけない。僕はそう直感した。
「……時間がないとは?」
「なんでもないの。わたしは1人で大丈夫よ。だから、ね?」
とても大丈夫そうには見えない。それに、彼女の言葉はここにまだ居て欲しいということを訴えている。仮にも僕は超能力者だ、それくらいは感じ取れるんだ。
「僕は真夜中に女性1人を残して立ち去るほど、薄情な男ではありませんよ」
僕は、とびっきりの笑顔で笑った。
「ここになにか思い入れがあるんですか?」
彼女の隣のブランコに腰掛け、僕は訊いた。
「……ええ。ちょっとね」
「そうなんですか……」
「訊かないの?」
「なにか深い訳がありそうですからね。それを訊くなんて、野暮でしょう? それとも、もっと訊いて欲しいのですか?」
彼女はきょとんとして、それから微笑した。
「やさしい人ね」
「……そんなことを言われたのは久しぶりです」
「そうなの? 意外」
「いつもいつも、『ニヤケ面』……とよく言われます」
「あはは、そうかもしれないわね」
少しの笑い声が通り過ぎて、静寂が訪れる。なんだか心地よい。
「愛し合えている人がいるのね」
「え?」
なぜ、それを?
「解かるわよ。だってあなた、恰好良いもの」
「……あなただって十分魅力的ですよ」
「照れるわ。……でも、ありがとう」
「こちらこそ」
彼女は粉雪のような吐息を漏らし、仰向いて言う。
「……あーあ、このまま時間が止まってしまえばいいのに」
その言葉で、僕は時間を忘れていることに気が付いて義務的に腕時計を確認した。11時59分。
「もうすぐ、明日がきますね」
「……ええ、そうね……」
彼女は揺らしていたブランコからすくっと立ち上がった。
「もう時間」
「お帰りになられるんですか?」
「ええ。あっちに」
彼女は星が輝く夜空を指差した。
「…………」
「あなたと過ごした時間……とても楽しかった」
「そんな、僕はなにも……」
「あなたはすごくやさしいわ。きっとあなたの彼女もそれに心惹かれてる」
秒針が11と12の間を通過していく。時間よ、もう少し待ってくれ。
「……ありがとう」
僕がそう言うと、彼女は雪のように儚く、小さな粒となって消えてしまった。
彼女の座っていたブランコが、ただゆらゆらと揺れいていた。
「いっくん?」
背後から呼びかけられる。僕の愛する人の声で。
「長門さん……!」
「さっき、あなたと一緒に女性がいなかった?」
僕は返答に困ったが、長門さんに変な心配はかけたくない一心から答えた。
「いいえ、誰も」
「うそ。確かにいた」
「…………」
「……わたし以外に、好きな女性がいる?」
「とんでもない! 僕はいつまでも……その、長門さんのことを愛していますよ」
「……そう」
長門さんは頬を赤らめたまま俯いた。たまらなく愛くるしい。
「さあ、部屋までお送りいたしましょう。なにかと物騒ですからね」
「ありがとう」
「いえ、礼に及ぶことはなにひとつ……」
「……やさしい」
「……!」
「どうかしたの?」
「……いえ。さあ、行きましょうか」
長門さんの小さい歩幅に合わせながら、僕はマンションの門をくぐりぬける。
彼女の座っていたブランコが、ただゆらゆらと揺れいていた。
真夜中 end
……これは、井上和彦さんの誕生日に掲載させていただいたSSです。
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