<<前回のあらすじ>>
 心の友、谷口の紹介でバイトを始めることを決意するキョン。とうとう彼は無職ではなくなりました。フリーターへと進化したのです。
 一部の人を除いて、みんなそれを祝福してくれました。キョンもそれがとても嬉しかったのです。
 不安と期待が入り混じる新1年生のような気分で、キョンは初めてのアルバイトに立ち向かっていくのです。

 

 

~~~~~

 

 

 バイトの面接を終えてから、もう2週間が過ぎた。面接と言っても谷口の口利きで99%内定していたようなものだったから、それは採用の可否を決めるための面接ではなく、仕事の内容を教えられるための説明会のようなものだった。
 そして説明会的な簡易な研修が終わると、俺を含めて10人近い新採用のアルバイターたちはフロアーで使用する作業着を渡され、その日は解散となった。
 その翌日から店が開店したわけだから、かれこれ俺はこの店で2週間働いている。最初はどれだけ続くか不安だったが、いざ始めてみると思ったよりも長続きしている。意外なことに、SOS団でコキ遣われてきた経験が活かされる場面も多々あった。人間、何が幸いするか分からないもんだな。

 

 仕事は辛い、苦しい、金を得るための手段でしかない、なんて世の中を斜めから見たようなセリフを耳にすることがある。
 確かにそういう側面はある。たとえばこの店でも集客率の高い昼間はテンテコマイの忙しさだし、ずっと動き回っている仕事だから体力的にも辛いものがある。接客業でもあるから、気も遣う。以前に比べて1日のうち、自分の自由にできる時間だって制限される。
 だが、あえて言おう。それでも、俺にとってはこの仕事は有意義で、とても楽しいものだった。

 

 俺のバイトの1日の流れは、朝の10時に仕事を始め、掃除、店内の開店準備、食材の下ごしらえなどをこなし、11時の開店に備える。それからひたすら雑務をこなし、午後の15時にお役御免というものだ。
 1日に5時間の労働だが、谷口が言っていたように時給はいいし、週6日働いているわけだから、けっこう実入りも大きい。
 給料がいいだけあって忙しい仕事だが、その大変さがこの店を盛り上げることに直結しているという感覚を肌で感じられたし、俺たち一人ひとりの働きのおかげでこの店が存続できているんだという自覚は、驚くほど俺に充実感を与えてくれた。
 テレビゲームで経営ゲームというジャンルがあるが、まさにそんな感じだ。俺たちアルバイターの力があるからこそ、店は繁盛する。デスクに座る経営者だけでなく、俺たち自身がこの中華料理屋を経営しているんだという意識も自ずと芽生えてきた。
 俺は必要な人間なんだ。俺の居場所はちゃんとここにあるんだ。そういう精神的な安定感は、今まで不安定な生活を続けてきた俺の心に大きな安心を与えてくれた。
 仕事を始めた最初の頃は、ただただ1日の流れや役割を覚えるのに精一杯だったが、少しづつ慣れて余裕が出てきたあたりから、俺は徐々にこの店に愛着を持つようになっていた。
 ずっと無職であることに負い目を感じていた俺が、バイトとは言え職を手に入れたんだ。その達成感は筆舌に尽し難い。俺の中の、悩みの大部分が一気に解消されたわけだからな。

 

 しかしそれとはまた別に、この中華料理屋で働き始めてよかったと思えたことがあった。
 それは旧友、佐々木との再会だった。
 中学時代に塾で仲良くなり、その延長線で学校でも交流することが多くなった女友達、佐々木。高校卒業以来、別々の道を歩いていた俺たちだったが偶然にも同じアルバイターとしてこの中華料理屋で働き始めていたのだ。
 突然昔なじみに出会うというのも新鮮な驚きがあったし、恐れと不安を抱いていた初アルバイト先で友人と一緒に働けるといのはとても安堵できることだった。

 

 


「キミは運命というものを信じるかい?」
 ゆすいだ食器類を食器洗い乾燥機に放り込みながら、隣で佐々木が愉快そうにそう言った。
「さあね。運命があろうがなかろうが、今の俺たちに未来のことなんて分かりゃしないんだ。そんなもの、あろうがなかろうがどうでもいいことだ」
 頭に巻いた三角巾を結びなおしながら、佐々木はのどの奥をゆらすような独特の笑い声をもらした。
「キミらしいね。そう。まさにそうさ。運命が存在してもしなくても、僕らにそんなことを知る術はない。僕たちは今という瞬間を感じ、過去を記憶の中にしまっているだけだ。僕らが感知できる未来とはすなわち今現在というこの瞬間だけであり、1日や1週間、1年先の時間なんて、無いも同然なんだ」
 佐々木にしても古泉にしても、こいつらはどうしてこうも小難しい話が好きなのかね。学のない俺には理解できないな。俺は適当に相槌をうちながらギョウザの皿を流しの中に放り込んだ。
「もう少しだけ、僕のイメージしている論点に近づけようか。僕らにとっての現実的な未来が、現在という瞬間的な時間なのだとしたら。キミは運命というものがあると思うかい?」
 こういうワケの分からないことを言うところも、昔から変わらないな。まあ、俺もそういうのが嫌いな方じゃないから、皿洗いの片手間にするにはちょうどいい話だが。
 それにしても、なんでいきなり運命だなんて。
「お前が何を言いたいのかは知らないが、俺にとって運命なんてどうでもいい物だ。どうでもいいということは、つまりあってもなくても自分には関係ない、信じる必要性がないということだろう」
「ふん。キミは、運命を信じないと?」
「お前は信じてるのかよ?」
 佐々木は薄く微笑むと、しゃがみこんで俺に背を向け、よごれた俎板に漂白剤をふりかけた。
「信じるか信じないかという話になると、返答に困るね。運命と一口に言っても、その解釈方法は多岐にわたる。安易にそれらをひとまとめにすれば、話し手と受け取り手の意識間にズレが生じてしまう危険がある」
 運命って言えば、あれだろ。明日の何時に誰それが足を滑らせて転んで入院するとか、近い将来どこそこの販売所で宝くじの1等賞が出るとか、そういう具体的な予知のことだろ。
「キミが頭に思い浮かべているような一般論的運命と予知とは別物だけれど、その区別は別の機会に譲ろう。いいかいキョン。僕はさっきも言った通り未来とは瞬間的な現在のこと、という路線で話を進めるよ。そういう意味ではね。運命というものは、存在するんだよ」

 

「僕とキョンは中学校時代からの親友だよね」
 まあ、友人でも親友でも何でもいいが、仲良くしてきた知人であることには変わりないな。
「そういう間柄であったから、今こうして僕とキミは皿洗いをしながら暇潰しの会話をしているわけだ」
 佐々木は話しながらもホースで器用に漂白剤を流し、布巾で俎板を軽くぬぐい、壁に立てかける。
「もし僕とキミが、過去を共有しない初対面のアルバイター同士だったとしたら、どうだい? 僕たちはこうして厨房で仲良く言葉を交わしていたと思うかい?」
 もし俺とお前が中学が別々で初対面のバイト同志だったなら、まあ仲良くしていたとはしても、こんな打ち解けた話はしてなかっただろうな。
 洗い場はけっこう狭い空間だ。俎板を流し終えた佐々木が立ち上がると、互いの肩がぶつかるほどだ。俺たちが過去の面識がなければ、今この瞬間も気まずい思いで食器を洗っていただろうことは容易に想像できる。
「つまりはそれが運命というやつさ。もっと俗っぽい言い方をすれば、縁というやつさ。僕らは過去という瞬間的現在を共有していた。だから今のこの、未来という瞬間的現在も共有できる。過去があるから今がある。今があるのは過去があるから。今があるということは、未来を共有しているということさ」
 おいおい。そろそろ詭弁くささが3割増しくらいになってきたぞ。
「だから、僕らが今ここで仲良く談笑しながら皿洗いをしているのも運命の一巻、というわけさ」
 詭弁で煙に巻くつもりじゃなかったんだけれど、と言いながら佐々木は泡にまみれた指先で俺の頬をつついた。
「ちょっとシャレた言い方で運命だなんて言ってしまったけれど、要するに、あれだよ。こんなところで会うなんて、僕とキミは縁があるねってことさ」
 なんのことやら判じかねている俺の顔をしばらく無言で見つめていた佐々木は、突然くすくすと含み笑いをもらしながら肩をすぼめた。
 相変わらずとはいえ、やはりこいつの言うことはサッパリ分からない。

 

「なあに。気にすることはないさ。久しぶりの旧友との再会が嬉しくて、ついついキミをからかってみたくなっただけのことなんだよ」
 からかわれたのだろか……などと薄っすら考えながら、俺は食器洗い乾燥機からほっかほかにゆで上がった食器類を取り出した。
 結局、俺は佐々木に皿洗いの退屈しのぎに弄ばれたのだと気づいたのは、あいつがエプロンの裾を正しながら給仕に出て行った後のことだった。

 


 食器洗いをあらかた終え、そろそろ忙しくなってきたフロアーに出たところで、俺は見たくもないものを目撃してしまうことになる。
 俺の見たくなかったものは、恐ろしいほどの存在感を持って店内のド真ん中のテーブル席に陣取っていた。
「遅いわよ、キョン! 何してたのよ、さっさと注文取りにきなさいよね!」
 ……あの仏頂面は、間違いない。ハルヒだ。それに、SOS団の面々も。何をしにきたんだよ。
「何をしにって、決まってるじゃない。中華料理屋に来る用事なんて、そういくつもあるわけないでしょ? 昼食を食べにきたのよ!」
 新しいイタヅラを思いついた悪ガキのように目を輝かせるハルヒ。それを見ただけで、どんどん俺のテンションは下がっていく思いだ。
 そりゃバイトが決まったのが嬉しくてあちこちに言いふらしたりはしたが、店に来てもらいたいなんてカケラも思っちゃいないぜ? まあ、ハルヒの耳にバイトの件を入れた時点でこうなることは確定事項だったのだろうが。
 恨むぜ、調子に乗ってた過去の自分よ。
「なかなかあなたの給仕姿も様になっているじゃないですか」
「キョンくん、なんだか見違えちゃいましたよ!」
 ハルヒ周りには、当然のごとく朝比奈さんや鶴屋さん、長門に古泉の姿も並んでいる。なんてこったい。これじゃまるで我が子の授業参観を家族総出で見に来た親バカ一家みたいじゃないか。素で恥ずかしいんだが。
「ねえねえキョンくん、注文いいかな? お姉さん、もうおなかペッコペコでさ~!」
「ああ、はい。すいません。ご注文を承ります」
 いかんいかん。どれだけ見慣れたバカ面 (当然、ハルヒと古泉の2人のことだ) が目の前に並んでいようとも、これはこれで客なのだ。お客様には誠心誠意の応対をするのが給仕の役目だ。
 俺はエプロンのポケットから伝票とボールペンを取り出し、注文を受ける体勢に入った。さあ、何でも頼むが良い。
「私は醤油ラーメンよ! ごちゃごちゃと単品をつけるのは好きじゃないから、定食でね!」
「私は酢豚と炒飯っさ! 活きのいいところを頼むよ!」
「えと、私は塩ラーメンと野菜サラダをお願いします」
「それでは、僕は塩焼そばとギョウザをいただきましょうか」
「野菜炒め」
 はいはい。ちょっと待ってくださいよ。数が多くて混乱しそうだ。ええと、麺類は醤油に塩に塩焼そばで、ギョウザがあって、酢豚……そういや酢豚って何て言えばよかったんだっけ。ええと……
「どうしたんですか、キョンくん?」
「いえ、何でもありませんよ、朝比奈さん……あはは」
 朝比奈さんの手前愛想笑いでごまかしてしまったが、いかん。酢豚の呼び名を忘れてしまった。あまり日頃使わないような名前だったからな。ええと、なんだっけ。豚、トン、タン、タツ……? なんかそういう感じだったと思うんだが……


「酢豚はタンツだよ、キョン」
 俺の苦悩が表に出ていたんだろうか。そっと隣に寄ってきた佐々木が、さりげなく俺にそう教えてくれた。そうそうタンツだった。思い出した。
「おや、見覚えのある方々と思ったら、涼宮さんたちじゃありませんか。こんにちは。ご無沙汰しています」
 ゆったりとした物腰で挨拶をする佐々木に、少々SOS団のメンバーは面食らっていたようだった。鶴屋さんと長門以外だが。
 この様子だと、直接の面識がない鶴屋さん以外のメンバーは、佐々木のことを覚えているようだな。
「皆さんは今日は、、キョンの働きっぷりを確認されるために当店にお越しいただいたのですか?」
「え? ええ、まあ、そんなところよ」
「そうですか。それはよかった。ご覧の通り、開店当初は何かと戸惑っていたキョンも、今ではすっかり立派な給仕として独り立ちしていますよ」
「その割には、酢豚の注文が伝票に書けてなかったようだったけどね」
 うるせえハルヒ。注文が終わったらさっさと黙って座ってろよ。

 

 なんだか針のむしろの上に座らされているような居心地の悪さに、「最近はようやく彼もレジが打てるようになったんですよ」と余計な情報をSOS団に吹き込む佐々木の腕を引っ張って、俺は早々にその場を立ち去った。
「余計なことは言わなくていいんだよ」
「え? だって、彼らは昼食を食べるよりもキミの働きぶりを見たくてにここへ来ていたんだよ。なら、それなりにキミの立派な勤労ぶりを報告してあげなくちゃ」
 くっくっと、佐々木はまたあの独特な低い笑い声をもらす。そんなに俺をダシに遊ぶんじゃない。
「そういうつもりじゃないんだけど。あっ、キョン。頬に泡がついているよ」
 お盆を持つ手の甲で、佐々木が俺の頬についていた泡を拭いとった。その泡は、あれだろ。さっき洗い場でお前が俺につけた泡だろ。
「まったく。身だしなみには気を遣わないといけないよ。客商売なんだからね」
 子供の悪さを優しく諫める母親のように、佐々木が俺をそう諭す。お前が言えた義理じゃないだろうと言ってやりたいところだったが、いかん。そろそろ厨房内の店長が厳しい目でこっちを見ている。ちと雑談しすぎたか。
 俺は覚えてろよ、と捨て台詞を残して注文を通すため厨房へ向かった。

 当然その後、余計なおしゃべりが多すぎると店長からお叱りを受けてしまったわけだが、それはそれとして、悪い気はしなかった。
 抜き打ちで俺の勤務状態を観察にきたSOS団のサプライズにはハラハラしたものだが、何のアクシデントもなく、ごくごく普通に帰ってくれたので俺としてもほっとしている。
 佐々木もご機嫌の様子だし、たまにはこういうやり取りもいいか、と言う気分になっていた。

 


 注文した料理をたいらげ、たっぷり1時間ほど雑談をしていた俺を除くSOS団メンバーたちは、俺の勤務が上がる半時間前にぞろぞろと帰り支度を始めたようだった。やれやれ。ようやく帰ってくれるのか。
 そんなことを思いながら食器の後片付けをしていると、そっと古泉が俺の隣にやって来た。顔近ぇって。
「佐々木さんとは、偶然アルバイト先が一緒になったのですか?」
 なんだよ、突然。別にお前が気にすることじゃないだろう。
 しかしまあ、偶然だな。2週間前のバイトの研修の時に会って、互いにビックリしたもんだ。で、それがどうかしたのか?
「二人で誘い合って、このバイトを始めたわけじゃないんですね?」
 だから、どうしたんだよ。妙なことを訊くやつだな。俺は谷口の紹介でここに来たんだ。それ以上でもそれ以下でもない。佐々木とここで一緒になったのは偶然だ。
「そうですか」
 古泉は微妙に真剣な顔つきで俺にそんなことを訊いてきたが、俺には理解不能な謎が解けたらしく、またいつものニコニコスマイルに戻ってようやく俺の耳元から身を引いた。
「それはよかったです」
 何がよかったんだよ。俺が中学時代の友人である佐々木と仲良くしてると、何か問題があるってのか?
「いえいえ。まったく問題はございませんよ。同僚同士でコミュニケーションを取り合い、仲良くすることは楽しい職場作りの第一歩です。客の前であまり店員同士がジャレ合うのも問題ですが、僕個人としては良いことだと思いますよ」
 佐々木と言いお前と言い、どうしてそんな遠まわしな物言いをするのかね。要点を言え、要点を。お前も俺をからかって遊んでるのか?
「あなたが誰とどう付き合うのかもご自由ですが、注文をとって厨房に戻る際、佐々木さんに頬についていた泡をぬぐいとらせていましたね」
 拭い取らせていましたねって、何か悪意のある言い方だな。友人の服についてた糸くずをとってやることに腹を立てるほど、お前は心が狭い人間なのか?
「いえいえ。先ほども言いました通り、僕個人はあなたがどういう交友関係を持っていようが口出しいたしませんよ。ただ、あのような行為は、涼宮さんの前では冗談でも自重していただきたい。一言、そうご注意したくてお耳を拝借しました」
 古泉のあまりの押し付けがましい言い方に、久しぶりにこいつに対して怒りを覚える。ハルヒの前で佐々木と仲良くするのはやめろ? 何を言ってるんだ、こいつは。客と店員という立場じゃなけりゃ、この場で問い詰めてるところだ。いろいろ納得のいかない思いを抱きつつ、俺は古泉に不機嫌に返答を返す。
「注意って。あのな。お前個人がどういう思いを持っているのかは知らないが、何故お前に俺と佐々木のことを注意されんといかんのだ? ハルヒの前で友達と仲良くするのは慎め? なんで俺と佐々木がハルヒに気を遣わないといけないんだよ」

 

 ハルヒが店のレジ前で、大声で古泉を呼んでいる。当の古泉は困ったような表情を浮かべ、「それではまた。休日にでもお会いしましょう」と言い残して足早に去って行った。
 俺はSOS団のメンバーが店の自動ドアをくぐって見えなくなるのを、少し呆けたような心持で眺めていた。

 

 使用済みの食器類を積み重ねてテーブルを布巾で拭きながら、俺はイライラしていた。
 古泉が何故、真剣な顔つきで俺と佐々木のことに口をはさんできたのかが理解できなかった。
 考えてみれば、古泉個人としてはどうでもいいがハルヒの前では佐々木と仲良くするな、という言い方は、取りようによっては古泉がハルヒへ責任転嫁をしているとも取れる言い方だ。まあ、古泉がそんな人間じゃないことは俺もよく知っているが。
 なのに、とにかく俺はその日1日を苛立った気持ちのまま過ごしたのだった。

 

 

  つづく

 

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最終更新:2020年08月14日 17:54