<<前回のあらすじ>>
 キョンの苦悩を知ってかしらずか、お泊り会に私も混ぜろ!と勢いよく乱入してきた涼宮ハルヒ。思いつきのノリだけで動いております。
 朝比奈みくるも古泉一樹も鶴屋さんも、それに反対しません。止めようとしません。止めても無駄であることは分かっていましたが、それ以上に自分も混ぜてもらいたいと思ったからです。
 なんだかんだ言って、まともに就職活動していない無職はヒマを持て余しているのです。
 そうこうしていると、キョンの妹が兄の着替えを長門宅へ持ってきてくれました。妹は兄のことがとても心配なのです。
 心配なので宵の時刻から深夜まで、兄の泊まるマンションを監視しているのです。心配だからこそ、交友関係にまでチェックの目を光らせているのです。
 『私は兄にとって必要な人間だから』。妹は、自分に言い聞かせるようにそう呟きます。でも、本当にそうなのかな?
 『兄は私にとって必要な人間だから』。こっちが本当。

 

 

~~~~~

 

 

 広いフロアルームには四人の女性陣が布団を並べ、二人きりの男性陣は台所の床の上に布団を敷くことになってしまった。何の因果でこんなことに。
 個人的には和室風の床の間で寝たかったのだが、床の間はSOS団の手荷物でいっぱいになってしまっていた。人の都合より荷物の都合の方が優遇されるなんて、世の中間違っている。
 まったくもって貧乏くじと言わざるをえないのは、俺が古泉と布団を並べて寝る格好になってしまったことだ。気分はまるで修学旅行だ。
「考えてみれば、僕とあなたがこうして同室で布団を並べる、というシチュエーションは初めてのことですね。合宿などで宿に泊まったことはありましたが、その時はホテルの個室でしたし。雑魚寝というのは初体験です」
 ああ。一生こんなシチュエーションがこなければよかったのにな。
「そうですか? 暗い部屋の中で布団をかぶり、お互いに好きな人の探りあいや武勇伝などを語り合いつつ夜を明かす。そんな好奇心旺盛な男の子的な夜更かしも楽しそうだとは思いませんか?」
 相変わらず本気だか冗談だか分かりづらい調子で古泉が嘯く。よせよ。この年になって、俺にそういう趣味はないんだ。
 俺は寝返りをうつように身体を反転させると、古泉に背を向けて目を閉じた。どこかの戸が開いているのだろうか、ひんやりとした隙間風が肌を撫でるように過ぎて行く。
 しばらくは細々と、古泉と背中越しの会話を交わしていたが、やがてそれも途切れてしまった。
 俺は、食後の片づけ中にこっそり部屋を抜け出して久しぶりに携帯の電源をオンにし、妹に電話をかけた時のことを思い出しながら、徐々に眠りの中へと落ちていった。

 

 


『キョンくん? キョンくんなの?』
 便座に腰をかけて携帯を握る俺は、なんだか自分が疲れてトイレに逃げ込むくたびれたサラリーマンになったかのような気分になっていた。
「ああ。今日は、ありがとな。俺の着替え持ってきてくれたて。それにしても、よく俺が長門のマンションに居るって分かったな」
『当然だよ。だって、キョンくんはいつも有希ちゃんのマンションにSOS団のみんなで集まってるじゃない。行くとしたら、そこが一番確率高いかなって思ったの』
 心底嬉しそうにしゃべる妹の声を電話越しに聞きながら、俺は太もものあたりまで下ろしたパンツの裾をいぢり続けていた。これは、あれだ。大リーガーが試合中にガムをかむようなもの。精神を落ち着けようとする行為なのだ。
 何と言って話を切り出そう。どんな話から、妹が毎晩深夜まで長門のマンションの前に張り付いているのかに持っていこう。自分に詐欺師なみの話術があればな、と歯がゆい思いがした。
「あ、あのさ。お前、最近よく眠れてるか?」
 え?という不審げな妹の声が聞こえた。そりゃそうだ。何の前フリもなくいきなりこんなことを言われちゃ、誰だって虚をつかれたように疑問を感じることだろう。
『うん、よく眠れてるよ。それがどうかしたの?』
 深夜までずっとマンションの前に立ってるんだろ? 寝不足なんじゃないのか? そう尋ねたい気持ちに駆られるが、それを口にするのは今一歩のところでためらわれた。
 そもそも家出した兄が潜伏しているマンションの前に、何をするでもなく毎晩毎晩、深夜遅くまでずっと立っているということは、はっきり言って異常だ。
 どうしてもそうしなければいけない理由が妹にあるのかもしれないが、ワケありだとしても客観的に見て、これは普通じゃない。普通でないことを問いただすのは、やはり勇気のいることだ。
 だから、直球には訊かず、単刀直入に尋ねるのではなく、遠まわしに聞いてみよう……。
「なあ。お前、今どこにいるんだ? もう、家に帰ったのか?」
『ううん。一度は帰ってたんだけどね。着替えてからまたそっちへ向かってるの』
「こっちへ? 長門のマンションへか? 俺に何か用なのか?」
 妹のあっけらかんとした笑い声が、車の通過音と共に受話器の向こうから聞こえてくる。妹は今、歩道を歩いているのか。
『決まってるじゃない。キョンくんを迎えに行ってるんだよ』
 俺の、迎え?
 さっき俺に着替えを持って来たくせに、その直後にお迎え? こいつは何を言っているんだ?

 

『今日はハルにゃんたちも有希ちゃんのマンションに泊まっているんでしょ? キョンくん、あの騒がしい人たちに囲まれてそろそろ疲れてるんじゃないかな。だから、そろそろ家に帰ってきたくなってるんじゃないかと思ってさ』
 俺の中に、奇妙な違和感が生じる。今までの俺の二十数年間の人生で、磐石だと信じて疑わなかった足元に、不意に亀裂が走るような、自分の中の常識にわずかなズレが発生する不審感。

 

 ───あの騒がしい人たちに囲まれてそろそろ疲れてるんじゃないかな

 

 そのセリフの語感から、妹がハルヒたちに対してあまり良くない感情を持っていることが窺える。こいつ、SOS団のこと好きだったんじゃなかったっけ?
 妹は昔からSOS団メンバーと親交があって、年は違えど小学生の頃からの親しい間柄だと思っていた。少なくとも、妹がSOS団を嫌う理由はないはずだが。
『だからね。私が、待っててあげるの。キョンくんを。マンションの前で。いつでもいいんだよ。家に帰りたくなったら、出てきてね』

 

『待ってるから』

 

 鈍感な俺だが、ようやくここに至って、気づいた。
 やはり、妹の様子が、おかしい。

 

 いや、本当は気づいていたんだ。長門に妹のことを聞いた時から。ただ、俺の知っている妹の行動とあまりにかけ離れた話だったから、にわかに信じられなかったんだ。だから「そんなはずがない」と胸中で一笑に付して目をそむけていたんだ。
 もう遠まわしなんてやめだ。俺は動きの鈍い舌で妹に問いかけた。
「なあ、お前、ひょっとして……マンションの前に、毎晩きてるなんてこと、ないか?」
 俺は心のどこかで妹に対して、妹の秘密を白日の下にさらすような、悪いことを訊いているような気がしてうしろめたかった。だから妹がそれを依然、平素と変わらない様子で明るく笑いながら肯定した時に、心底驚いた。
『なんだ。キョンくん知ってたんだ。そうだよ。毎晩お迎えに行ってるよ』
 どうして、こいつは、そんな尋常でないことを、こうもあっさりと?
「なんでだよ? お前……毎晩? 何を考えてるんだよ?」
『だって。キョンくんが家に帰りたくなってマンションを出ても、誰もお迎えがいなかったら寂しいでしょ? だから、私が待っててあげてるの』
 二人の会話がかみ合わないのは、僅かな意識のズレだと思っていた。だが、どうやらそれは違ったようだ。妹と話せば話すほど、俺と彼女の論点の相違が明白になっていく。
 妹が何を言っているのかワケが分からない。俺が帰る時にお迎えがいないと寂しいだろう? ボケジジイかよ、俺は!? 兄をどういう目で見ているんだ。そんなふざけた理由で、毎夜深夜の町をうろついているというのか?
 俺のお迎えの件を差っ引いても、女の子が一人で深夜の街をうろつくなんて、危なっかしいにもほどがある!
『そうだよ。危ないから、キョンくん一人に深夜の街を帰らせるわけにはいかないでしょ?』
 コメカミのあたりが熱くなってくる。言いたいことは山ほどあるが、何から言えば良いやら整理がつかないし、何を言えば俺の言いたいことが相手に伝わるかも分からない。
 分からない。電話の向こう側にいる女性は、本当に俺の妹なのだろうか? 確かに声は俺の妹の物だし、演技でこんな与太話をしているふうもない。正真正銘、こいつは俺の妹だ。
『着いたよ、キョンくん』
 ひょうひょうと、風のうなる音が電話のむこうから聞こえてくる。金切り声のような風音にまじって聞こえる女性の声が、電波を通した機械音とは思えないほどに生々しかった。

 


『今、マンションの前に着いたよ』

 俺は電話を切ると、走ってマンションの前まで降りていった。エレベーターの待ち時間さえももどかしかった。
 マンションの表には、塀にもたれかかり空を見上げている妹の姿があった。俺の中に、ひさしく眠っていた”兄の威厳”が自然と頭をもたげ始める。
 俺は妹の腕をつかみ、一喝の元、有無を言わせず彼女を家へ連れ帰ったのだった。

 

 

 

「俺、今日家に帰るよ」
 朝食の食器を洗いながら、俺は隣で牛乳のパックを冷蔵庫から取り出す長門に話しかけた。
 しばらくの間、手を止めた長門は俺の顔色を窺うように視線をこっちへ向けていた。
「そう」
 コップに牛乳を注ぎ、長門はその場でゆっくり牛乳を飲み干した。長いこと世話になったな。と言いながら、俺は手元の茶碗に目線を落とした。
 俺が家に帰らないかぎり、妹はあの無邪気な笑顔のまま、毎晩のようにあてどもなく俺のお迎えと称してマンションの前へ訪れ続けるだろう。
 原因は分からない。理由は不明だが、何故か妹は異常なほど俺の身を案じ、延々とマンションを監視し続けている。ただでさえ長門には迷惑をかけているのに、これ以上長門に余計な心労を強いるのは本意ではない。
 それに、長門のこともだが、妹のことも心配だ。昨夜の、「キョンくんのことが心配だから」と正常な目で訴える妹の様子は、あきらかに異常だった。
 家にいるのが辛いとか、そういう俺自身の甘えた理屈をこねている場合じゃない。いろいろと考えたが、このおかしな状況の対処法は、俺が帰宅することが一番に違いないのだ。
 静かに、ゆっくりと、俺の心の中に不安の暗雲が広がりつつあった。

 

「飲む?」
 それ以上何も言わず、長門はそっと牛乳のパックを差し出した。
 無表情な長門は、無言で俺に対して「まあ、これでも飲んで元気を出せ」と言っているようだった。
 俺はパックを受け取ると、手元のグラスに牛乳を乱暴に入れ、それを一気にあおった。冷たい甘みが口の中に広がる。少し、脂肪臭がする。
 グラスの中のミルクを飲み干して大きく息を吐いていると、不意に、家を飛び出した理由がバカバカしく思えてきた。
 両親が、家族が、俺の将来を嘆いている? 無職であることを悩んでいる? だから家出した? 馬鹿だな俺は。家族が俺に心配をかけているんじゃない。俺が家族に心配をかけているんじゃないか。なのにそれを家族のせいにして家から逃げ出すなんて。
 スーッと頭が冴え渡るような爽快感が、俺の思考範囲を押し広げていくように感じられた。
 家族に心配をかけるのもいいだろう。家でダラダラ無気力に過ごすのもいいだろう。いや、良くはないが、自覚があるならまだマシだ。本当に悪いのは、逃げ場を見つけてそこへ逃げ出すことだ。
 一度逃げてしまえば、絶対に立ち向かわねばならないはずのことに背を向け、視界を曇らせてしまう。だから、逃げるのだけはダメなんだ。
 長門のマンションにやってきて客観的に自分というものを省み、妹の異常な部分に触れ、ようやく俺はそんな当然のことに気づいたのだった。
 逃げ場を作り、そこに依存し続けていては、何も変化しない。進歩がない。堕落するだけだ。
 だから、俺は逃げない。考えると気が滅入ってしまいそうなことだが、再び家に帰り、意識的に自分自身と向かい合ってみたいと思った。
 俺はもう一度、長門に「ありがとな」と礼を言い、台所を出た。

 


  つづく

 

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最終更新:2020年08月14日 17:53