卒業式の日。
おれ達は互いの気持ちを胸に秘めたまま…別れた。
それからは何度かメールや電話もしていたが、それぞれの都合が合わないために会う事はなく、おれ達は疎遠になっていった。
もうこれから先会う事はないだろう。

 
 
 

 
 
数年後。
おれは無事大学を卒業して就職し、働いて、働いて、働いた。何をしても味気なかったから、とにかく働いた。
それは独り身だったからかもしれない。彼女がいればもっと楽しかったのかもしれない。
そんな事はわかっていた。おれだって色恋沙汰が全くなかった訳じゃない。
今まで何人かの女性に告白されたりもした。
だけどそれを全部断ってきたんだ。
「今は恋愛には興味はないんだ。仕事も忙しいしね。別に君に魅力が無い訳じゃないんだよ。…ごめん」
おれは毎回そう言って断っていた…このセリフはほとんど嘘だ。
頭の中にはいつもハルヒがいたから、心の中はいつもハルヒで満たされていたから…ハルヒに比べれば他の女性は魅力が足りなかった。いや、恋愛対象としてすら映っていなかった。
 

卒業式の日から、おれの目に灰色のコンタクトレンズが縫い付けられたんじゃないかと思うくらい世界が色褪せていた。
どんな人気のある映画を観ても、どんな音楽を聴いても、どんな人と話していても…気分が晴れる事はなく、ただ動作をしているという感覚。
何をしても楽しくないので、休日には外を散歩するようになった。
緑の木々やそこらへんを歩いている人々。
ただベンチに座ってはそれらをボーっと眺めていた。そうしていると少しだけ心が安らいでいく様な気がした。

 
 
日曜日。
いつもの様にベンチに座っていると、一つだけ色づいた物が目に飛び込んで来た。
オレンジ色のリボン、そしてカチューシャ。その姿はあの時と変わっていなかった。変わっている所があるとすれば背が伸びているという事くらいだ。
おれは餌を目の前にぶら下げられた犬がお座りをするぐらい反射的に声をかけた。
「あー!キョン久しぶり!」
「しばらくぶりだな。ちょっと話さないか?」
おれ達は二人でベンチに座り、昔話に花を咲かせた。下書きをした絵に色が塗られていくように世界が再び色付いた瞬間だった。
 

ずいぶん長い間話したんじゃないだろうか。時間を忘れるくらいに話したのはきっと高校の時以来だ。
一人で遊びに来ただけだから時間はあるらしく、おれ達は夕暮れまで話していた。
それでも卒業から今までを語り尽くすには短すぎる長さだったがな。
そして最後に、ハルヒはこう言った。
「実はあたし…もう結婚してるんだ」
家庭の事情でお見合いさせられたらしい。特に断る理由もないし親を安心させたかったから、と。
だけどおれはそう言われるんじゃないかと薄々感じていた。北高で別れを告げてから、ハルヒと一生を共にする未来はおれには無いという確信が…何処かにあったからだ。
今は後悔よりもむしろハルヒの幸せを願う気持ちの方が大きかった。
ハルヒが認めたんだからきっと良いやつに違いない。そう自分に言い聞かせた。
何不自由無く暮らしていると、ハルヒは笑顔で言う。
しかしその表情はどこか哀しげに見えてならかった。どうしてかはわからない。
おれはそれを尋ねる事をしなかった。
きっと聞いたところで何も変わらないとわかっていたからだ。
 

そして何もないままおれ達は別れ、世界がまた灰色に戻った。
 

今度こそ二度と会う事はなかった。

 
 
 

 
 
数十年後。
おれは病院のベッドに寝ていた。ガンらしい。
あちこちに転移していて、もう助かる見込みはないそうだ。
そして今側にいてくれているのはおれの妹とその旦那だった。
妹の旦那さんはなかなか良い人で、暇があれば必ずおれの見舞いに来てくれた…いつもおれの妹と一緒に。
勿論おれは独身だったから、他に見舞いに来てくれる人はいなかった。
妹は「良くなっているよ」と励ましてくれるが…おれにはなんとなくわかっていた、明日が命日だと。
 
 

次の日。
寝ている自分の体を目の当たりにしておれは唐突に理解した。ああ、死んだんだな、と。
妹は泣いていた。その旦那さんも。
しかし妹は少しだけ安心した様な表情だった。
きっと知っていたんだろう。おれが苦しんでいた事を。叶わないと知りながらもハルヒを想い続けていた事を。
「もう辛い想いをしなくてすむんだね、お兄ちゃん」
妹がおれに呟いているのが最後にこの世で聞いた言葉だった。
 

急に視界が真っ白になり、気がつくと真っ暗な空間。
おれは上も下もわからない状態でフワフワと浮かんでいた。まるで宇宙だ。
なんでだろうな…ここにいると自然と幸せな気持ちになってくる。
そうやって気持ち良く浮かんでいると、ふいにすすり泣く声が聞こえてきた。
どこか聞き覚えのある声だな。
 

その音源を探して右、左、上、下、そして後ろを振り返った時にようやく声の主を見つけた。
おれの視線の先では制服を着た少女が座り込んで小刻みに肩を震わせていた。
肩まで届くセミロングの黒髪。その頭にはめられたオレンジ色のカチューシャとリボン。
後ろ姿しか見えないが間違いない。
何で泣いてるんだ?ハルヒ。
だが今はそんな事どうだっていい。ハルヒが泣いている。早く側に行ってやらないと。
そんな義務がおれにはあるように感じ、必死に手足をバタつかせてハルヒの方に向かおうとしたが一向に進む気配はない。
目測でおよそ5mの距離は縮まる事は無かった。
 

くそ、進めよちくしょう!こんな時にすらおれは無力なのかよ!
進もうと必死になっていると突然ハルヒがゆっくりと立ち上がり、振り向いた。
おれは驚く事以外の事ができなかった。
泣いているとはわかってはいたものの、ハルヒの涙でグシャグシャにした悲しそうな顔を初めて見たからだ。
ハルヒ、何があった?何で泣いてるんだ?
そう問いただそうとしたが動いたのは口だけだった。声が出ない。
なんだよこれ。おい、何がどうなってんだ?古泉、説明しろ。
もちろん古泉はいない。
 

絶望と哀しみの混じった表情で泣きながら、今度はハルヒの口が動いた。声が聞こえる。
「キョン…。なんで……なんであの時言ってくれなかったの…?あたしは…ずっとキョンの事が好きだった…ずっと。あたしを幸せにできるのはキョンだけ。わかってたでしょ?なのに……酷いよ…。あたしは……幸せになれなかった…」
ハルヒはそう言ってまた泣き崩れ、すすり泣く声だけがこの空間に響き渡る。
おれには何も言う権利は無かった。声が出ないのはその表れなんだろう。
ハルヒの言う通りだ。
おれの躊躇いのせいでハルヒは心に大きな空白ができた。
その空白を埋めてやれるのはおれだけだったんだ。なのにおれは…おれは……。
後悔と自責の念、ハルヒへの申し訳ない気持ちで視界がボヤける。堪えようとして目を閉じてみたが駄目だった。
際限なく涙が溢れる。
おれの馬鹿野郎…。
やり直したい、やり直したい!
「やり直したい!」
 

急に重力を感じたので目を開けてみると、灰色の天井がそこにあった。見渡すとそこはおれの部屋。
今までのは全部…夢?
それにしてはやけにはっきりと記憶に残っている。
顔に手を当ててみると水滴が一筋の道を頬に作っていた。どうやら寝ながら泣いていたらしい。
 

日の光が差し込んでくる薄暗い部屋の中、小鳥のさえずりが聞こえる。
今はいつだ?何月何日?何年?
そこでおれは思い出した。
そう、今日は卒業式だ。北高の卒業式が今日行われる。
 

さっきの夢はきっとハルヒが見せてくれた一つの未来。
想いを伝えないまま別れたらこうなるって事を教えてくれたんだろう。
ちゃんと言いたい事は言わないと後悔するわよ!…ってか?
おかげで決心がついた…ありがとな。
 

おれはもう一度目を閉じて大きく深呼吸をした。
 

好きだと伝えるんだ、今日こそ。もう後悔なんて絶対にしない。
おれの為にも。そして…お前の為にも。

 
 

 
 
-Fin-


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