注)5章最後から分岐、ハルヒ視点


 

別に大きな変化を欲していたわけじゃない。
そうじゃないけど、あまりにも変わらない関係に少し苛立ちが募る。
急激な変化、というのはあたしの性に合っているのかもしれないけれど、あいつは苦手なのかもしれない。
だから結局、あいつにとってあたしの立ち位置は変化がないままなのかも。
ねえキョン、あたしは好きだって言われたことも抱きしめてくれたことも忘れてないわよ?

その後、キスしてくれたことも────。

 

 


「今日、晩飯でも食いに行かないか」
 突然キョンがそう誘ってきて、あたしはとても驚いた。
 今まで、あたしからキョンを誘うことは多々あっても、キョンから誘ってきたことなんか1度もなかったから。
 だいたい、キョンは付き合いだしてからも変わらなすぎるのよ。いつもあたしが引っ張って行かなくちゃならないなんて、以前と何も変わらないじゃない。
 そんなことを思いながらも、あたしは嬉しさがこみ上げてくるのを禁じ得なかった。ただ食事に誘われただけだっていうのに!
「いいわよ。どうせ今日、親がいないし」
 自分で素直じゃないなんてことは分かっているわ。でも、やっぱり嬉しいなんて悟られたくなくて、出来るだけ素っ気なく返事をした。
「な、何なら家に来る? あたしが作るわよ」
 別に食べにいっても、どっちでもいいんだけど。別に、キョンと2人でゆっくりしたいとかそんなこと全然思ってないけど。別に、せっかくだから手料理を振る舞おうなんて思ってないけど!
 ……あたしは誰に向かって言い訳してるのかしら?
 キョンはあたしの提案に驚いたような顔をしたけれど、その後なぜかホッとした顔になった。
 え? ここ、安心するとこ?

 


 その日の放課後、夕食の材料をキョンと買いに行きながら、あたしはキョンの真意は何だろうと考えていた。だいたい、いきなり誘うなんてキョンらしくないじゃない? なんで今日に限って?
 それに、あたしが家に来る? と聞いたときの安堵した顔。焦るならまだ分かるけれど、なんでそこで安心するのかしら。
 さっぱり分からないわ。

 

 まあいいわ! とにかく今日は腕によりをかけてご飯作ってあげるからね! 覚悟してなさい!

 

 なんて張り切って作った夕食時には、特に何もなかったわ。キョンは美味しいって言ってくれたけど、そんなの当たり前じゃない!
 それより気になるのはキョンの態度ね。なぜか食事の間も、その後もやたら時計を気にしている。帰る時間を気にするなら、食事が終わったらすぐ言い出しそうな物じゃない? 一体どうしたって言うのよ。
 そんな疑問をため込むつもりは全然ないわ。

 

「今日はどうしたのよ」
 食後、クーラーの温度を下げすぎたかしら? と思って入れたホットコーヒーを持って居間に移動しながら、あたしはキョンに聞いてみた。
「どうしたって?」
 キョンはソファに腰掛けながら、わけがわからん、とでも言いたげな顔をして聞き返す。とぼけているのか本当に何でもないのか、どっちかしら。
「あんたから食事に行こうなんて誘うのは初めてじゃないの。熱でもあるのかと思ったわ」
 最初の疑問を口にすると、キョンはあたしから視線をそらして黙り込んだ。何よ、やっぱり何かあるっていうの? 言いたいことがあるならため込まないではっきり言いなさいよ!
 そんな風に言ってやろうとしたときキョンが口にしたのは、あたしには信じられない言葉だった。

 

「まあ、その、俺がお前と一緒にいたかっただけだ」

 

 あーもう、何なのよ、あんたは!
 いつもだったら絶対に言わないようなセリフなのに。
 なんで今日に限って? 本当に、今日はどうしちゃったのよ。
 付き合いだしたって全然変わらなかった癖に!

 

 あたしは動揺を悟られないために、コーヒーカップを見つめ続けた。
「あんたはさ、全然変わらないわよね」
 何を言っていいか分からない口が、沈黙は嫌だとばかりに話し出した。あたしが何を言う気なのか、自分でもよくわからない。なぜか心臓が勝手にドキドキ言い出すし、顔に血が集まってくるのを感じるし。
「……と思ってたんだけど。そうかと思えば今日はいきなり食事に行こうなんて言うし」
 あたしの気持ちを揺さぶることが目的だったのなら、悔しいけど大成功よ、キョン。こんなことで喜んじゃってるなんて、あたしはなんて単純なのかしら、って自分でも思うわ。
「確かにいきなりだったかもな。悪かった」
 ……まーったく、どうしてキョンはこうなのよ! もう、この鈍感!
「何で謝るのよ! あ、あたしが嬉しくなかったとでも思ってるの!?」
 ほんとになんでそこで謝るわけ!? どうしてあたしの気持ちが分からないのよ! って、悟られないようにしてるのはあたしなんだけど。
 それでも腹が立つわ。いつも平然としてるくせに、どうして突然喜ばせるようなことをするのよ! しかもそれに自分で気がついてないってわけ? どこまで鈍いのよこのバカキョン!
「え?」
 驚いた声を上げているキョンを無視して、あたしは続けた。自分の言葉でますます頭に血が上ってくる。
「あの時あんたが好きだって言ってくれて! あたしがどれだけ嬉しかったかわかる? 自分でもとんだ精神病だって分かってるわよ! でも嬉しいんだから仕方ないじゃないの! ただ食事に行こうって言われるだけでも嬉しいんだから!」
 自分でも何言ってんだかわかんないわ。しょうがないじゃない。精神病よ、本当に。口から勝手に言葉が溢れてくるなんて、精神病以外の何ものでもないわよ!
「それなのにあんたは、あ、あたしと一緒にいたいなんて急に言うから! あれ以来好きとかそういう言葉も言わなかった癖に!」
 もう、自分でも止められない。キョンの言ってくれた言葉が嬉しかったとか、キョンの鈍感さが腹が立つとか、いろんな気持ちがごた混ぜになって頭の中もグチャグチャ。

 

 それでも何も言わないキョンに、冷静さなんて欠片ほどもなくしていたあたしはまた本音を吐露してしまった。
「ときどき、本当にときどきだけど、あんたに取ってあたしが何なのか分からなくなることがあるのよ」
 って、もう、あたしは何を言ってるのよ! 何を嫉妬深い女みたいなセリフを吐いてるわけ? このあたし、涼宮ハルヒが。
 キョンに顔を見られたくなくて、あたしはキョンと反対側に顔をそらした。
 そのあたしの耳に、キョンの溜息が聞こえた。


「あのな。お前はそう言うけどな、俺はハルヒから俺のことが好きだなんて一言も聞いたことがないぞ」

 うっ……そうだった。急激に頭が冷える。
 そういえば、あたしは告白されたときすら、自分からは「好き」とか言ってないじゃない? 何だか言わなくてもわかるっていうか、そういう雰囲気だったよの! 仕方ないじゃない!
 それでも、あたしは自分が出来ないことでキョンを責めていたわけで……。
 何やってんのよ、もう!
「ハルヒ」
 そんなあたしにキョンは言葉を続ける。何よ、お前から言えとか言うんでしょ、どうせ。いいわよ、言ってやろうじゃないの!

 

「俺はハルヒが好きだよ」

 

 …………。
 何よ何よ何よ!! いつもは鈍感でボーッとしてて、自分からは行動を起こさないしあたしには文句ばかり言ってくる癖に、どうしてこういうタイミングでサラッとそんなことが言えるのよ!
「もう……あんたは! 何で人が決意したのに先に言うのよ!」
 分かってるわよ、素直じゃないことくらい。せっかくキョンが好きだと言ってくれたのに、こんな風に怒るしかできない自分が嫌になるわ。
「決意って何だよ。先に言うって、後も先もねーだろ。俺が言いたいから言っただけだ」
 今日のキョンは絶対おかしいわ。別人なんじゃない?
 ああ、もう!
 うるさい! もう! あたしだって……!
 やっとあたしはキョンの顔を見る決心がついた。顔が熱い。絶対真っ赤になってるわ。そんな顔を見られるのは悔しいけど、それでも面と向かって言わないのはあたしの主義に反するから。

 

「あたしだってキョンのことが好きなn……」

 

 最後まで言えなかった。
 次の瞬間、あたしはキョンに抱きしめられたかと思うと、そのまま唇を塞がれていた。

 

 ちょっと、いくら何でも急過ぎるわよ! いつか見た夢といい、キスするときは強引にしか出来ないの!?
 そうは思っても、あたしはその乱暴で強引なキスを受け入れざるを得ない。

 

 ごまかしても仕方がないわね。
 嬉しかったのよ。物凄く。
 キョンに抱きしめられているのが。
 キョンにキスされているのが。

 

 恋愛なんて精神病、何度も何度もそう思って、今でもそう思っているけど、あたしがここまで重傷になるとは思ってなかったわ。そのままソファに押し倒されても抵抗もしないなんて。

 

「ハルヒ、好きだ……」
 譫言のように呟いて、耳に軽く歯を立てられた。
 ビクッと身体が勝手に反応する。

 

「ちょ、ちょっと、キョン! ま、待ちなさいよ、ちょっと!」

 

 あたしが焦ったのはキョンの性急さではなく、あたし自身の反応だった。うまく言えないけど、まるで身体の芯に火をつけられたような、そんな感じ。
 それは火種としてくすぶり始めて、そのまま一気に燃え広がりそう。そうなったらもう後戻りは出来ない気がして、あたしは怖かった。

 

「す、すまん……」
 キョンは我に返ったのか、身体を起こすとあたしから視線をそらしながらも謝った。顔が赤いわよ。あたしも人のこと言えないでしょうけどね。
「いや、その……ほんとにすまん。理性がどっかに飛んでいってたらしい」
 意外にもキョンは正直に言った。何よ、もう、もっとまともな言い訳しなさいよ。死ぬほど恥ずかしいじゃないの。
「もう、いきなり何するのよ、エロキョン」
 一応責める権利はあるわよね。あたしに許可なくあんなことしたんだから!
「あたしだって、その、心の準備ってもんがあるんだから……」
「本当に謝るしかない。すまん」
 さっきまでの勢いはどこへ行ったのか、キョンは悄然として謝った。
「べ、別にいいわよ、もう……」
 あたしの中の火種はまだくすぶっていて、簡単に消すことは出来そうにないわ。もう、キョンの顔を直視できない。
「その、あたしだって、嫌じゃ……ないわよ。だけど……」
 すごく恥ずかしいけど、死ぬほど恥ずかしいけど、それでも。

 

「ここじゃなくて、あたしの部屋で……」

 

 あたしは再びキョンの腕の中に収まることになってしまった。
「その、多分、俺はもう止められそうにないけど、いいのか?」
「いちいち確認するなぁ! バカキョン!!」
 だから死ぬほど恥ずかしいって言ってるじゃないの!

 

 その後のことは正直言って、良く覚えていないわ。まるで夢の中にいるみたいな記憶しか残っていなくて。
 ただ恥ずかしくて、ずっと目を瞑っていた気がする。

 


 それでも、あたしは────

 

  重ねる吐息がどれだけ熱いかを知った。

 

  譫言のようにあたしを呼ぶ声にどれだけ胸が締め付けられるかを知った。

 

  触れ合う肌がどれだけ愛しいかを知った。

 


 そして────

 


  あたしがどれだけキョンのことが好きかを、思い知った。

 

 

 

────────────────────

 

 それからしばらく、あたしはキョンの顔をまともに見ることが出来なくなってしまった。
 もう、自分でもはっきり覚えてない癖に、顔を見るたびに思い出しちゃってダメ。
 キョンはそれを分かっているようで、仕方ないな、という顔をして必要以上にあたしに関わって来なかった。
 それはそれで寂しいような……って、ほんとに、どうしたいのよ、あたしってば。

 

 そんな風に自分の気持ちに整理がつかないまま1週間が経った。
 その日も何となくぎこちないまま過ごして家に帰った。キョンもこの1週間はあまりあたしと話さなかったから、突然キョンから会いたいと電話が来たのには驚いたわ。さすがに、キョンも業を煮やしたのかもしれない。
 そういえば、あらためて考えると1週間あんまりしゃべってないのよね。今までを考えると信じられない。みくるちゃんや古泉くん、それに有希までが心配そうにあたしを見ていたような気もするけど、それを気にしている余裕もなかったわ。
 あたしとしたことが迂闊だわ。この1週間、あたしはSOS団の団長であることを忘れそうになっていたかもしれない。団員に心配させるなんて!

 

 それもこれもキョンのせいよ! 顔を見たら文句を言ってやるんだから!

 

 これが言い訳なのを自分でも自覚しつつ、あたしはわざわざ家の外に出てキョンが来るのを待っていた。

 


 やがて現れたキョンに、わざと不機嫌そうに何の用よ、と聞いてみた。キョンはそれに答えず、突然あたしの腕を取るとそのまま自分の胸に引き寄せた。
「え? ちょ、ちょっと、どうしたのよキョン」
 まったく予想外のキョンの行動に戸惑って、思わず声を上げてしまった。文句言ってやる、なんて息巻いてたのにそんなのどっかに行っちゃったじゃないの。
 キョンは何も言わず、何も答えず、ただあたしの髪に顔を埋めるだけだった。
 様子がおかしいわ。何かあったのね。

 

 仕方ないわね。団員の心のケアだって団長の仕事なんだから。キョンがこうしていたいなら、気が済むまでさせてあげるわよ。

 

「ハルヒ」
 しばらくそのままでいたキョンは、やがて身体を離すと、妙なことを言った。
「SOS団をよろしく頼むぜ」
 これは前にも聞いた気がする。当たり前でしょ、それはあたしの団なんだから! あの時と同じようにそう答えるのは簡単だった。
 それでも、今はキョンの妙な態度の方が気になるわ。
「何かあったの?」
 久しぶりにまともに見たキョンの顔には、少し苦しそうな笑顔を浮かべていて、あたしはますます心配になる。団長にこんなに心配させるなんて、罰金物よ!
 キョンはわからん、と答えて、少し黙った。あたしも黙って次の言葉を待った。
「SOS団のこれからを考えていたら、無性にお前に会いたくなっただけだ」
 何よそれ。
 ちょっと、あたしは凄く心配したんだけど。
 まあ、あたしが自分のことでいっぱいいっぱいだったときに、SOS団のことを考えてたのは褒めてあげなくもないわ。
 でもね。
「SOS団のこれからなんて、あんたが気にすることないわ! 大丈夫、みんなちゃんと団長たるあたしが幸せにするんだから! あんたはあたしについてくればいいの!」

 

 そうよ、団長はあたしなんだから! 正直言って、キョンがそんな風にSOS団を心配してくれていたのは嬉しかった。もしかしたら、あたしの様子がおかしいと、古泉くん辺りに何か言われたのかもしれない。
 でも、雑用係にそんな責任を押しつける気はないわ。心配しなくても、ちゃんとみんな幸せな未来が開けているに決まっているんだから。もちろんあんたもよ、キョン。

 

 キョンは少し驚いたような顔をしてあたしを見つめていたけれど、その後やれやれ、とでも言いたげな苦笑に変わった。
 それはいつものキョンの表情で、あたしは安心した。

 

 結局あたしはこいつの感情に振り回されているのかもしれない。
 それも、仕方がないのかもしれないわね。

 

 

 それにしても翌日、今度はキョンがあたしから視線をそらすようになったのはなんでかしらね?

 

 

 

 

  おしまい。

 

 


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