【仮説4】その2


「長門皇女(ながとのひめみこ)」
Illustration:どこここ



 

人名など:

 

神功皇太后(じんぐうこうたいごう)
気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
大鷦鷯(おおさざき)
応神天皇(おうじんてんのう)
 
仲姫皇后(なかつひめ)
磐之媛(いわのひめ)
 
去来穂別(いざほわけ)
莵道(うじのわき) 莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)
八田(やた)
 
大隅宮(おおすみのみや)
住吉宮(すみのえのみや)
宇治宮(うじのみや)
高津宮(たかつのみや)
  



 
  それから二週間ほど、鶴屋さんちで世話になった。怪しまれない程度にさりげなく聞いてまわったところ、俺と朝比奈さんには自宅の館があるらしい。場所はオオスミノミヤとか言っていた。
 鶴屋さんが忙しいときや留守中は、俺と朝比奈さんが来客の相手をすることもあった。聞くところによると、鶴屋さんはこのへんの女王様みたいなものらしかった。お役人が毎日目通りを求めてやってきて、水路とか道路工事の相談を持ち込んでいた。
 
 どれくらいの広さの領土なのかは分からなかったが、外国から使いがやってきていろいろと貢物を差し出すくらいの偉い人らしい。日本語を喋っているのだからここが日本の領土なのは確かだが、どのへんに位置するのかは分からない。近所の町内地図みたいなものは見せられたが分からなかった。列島地図らしいものは持っていないようだ。
 
 長門を含む四人の行方はまだ分からなかった。あれだけ目立つ格好をしていればすぐにでも捕獲されそうなもんだが。あるいは向こうから探しにきてもおかしくない。
 
 ずっとここで待っていてもしょうがないので、俺たちは自宅とやらに行ってみることにした。まだよいではないかと言う鶴屋さんに何度も頭を下げて暇乞いをした。旦那と息子に先立たれてからというもの、独り暮らしは退屈なのらしい。孫をかわいがる気持ちが分かるな。
「いろいろとお世話になりました。このお礼はいずれ」
「うむ、気にするな。いつでも参れ」
鶴屋さんは腕時計をはめた手をふりふり、門の外まで見送ってくれた。
 
 俺たちの自宅から迎えに来たという大勢の従者と、それに続く二つの御輿という大げさな行列で、ゆるゆると道を歩いて進んだ。時期的に見て今は十月半ばくらいだと思うのだが、まだ暖かい風が吹いていた。心地よい揺れのせいか、朝比奈さんは御輿のへりにつかまってうとうとと居眠りをしていた。街道を練り歩いた大名行列ではないが、なんとものどかである。葦の生えた草っ原に続く細い道を一日かけて進んだ。行く手の両脇に海が見えてきたあたりで、目的のお屋敷らしきものが見えた。
 
 造りは鶴屋さんちと似ていたが、敷地内の家の数が向こうより多い。堀はないが塀はちゃんとしているようだ。
「ナカツヒメ様、オオサザキ様、ご到着、ご到着」
前を行く従者が歌うように叫ぶと、門が開いて家臣らしき人々がぞろぞろと出てきた。うわ、俺たちってこんなにたくさん召使がいたのか。
 召使らしい女の人が数人並んで、おかえりなさいませと言った。
「はじめて来るのにおかえりなさいって、俺たちってここに住んでるってことでいいんですよね」
「そうだと思うけど、なぜかしら。会ったことは一度もないのに」
俺だけ先に、離れた館に案内されて中に入った。朝比奈さんは正面のいちばん大きな館に連れて行かれたようだ。ひとりで大丈夫だろうか。
 
 部屋の中は鶴屋さんちとあまり変わらず、俺用の寝床らしいところは布で仕切ってあった。ここで寝るわけだな。竹簡といって、竹を細く切って作った巻物のようなものが並べてあった。何が書いてあるのかと紐を解いてみたが、漢字がぎっしり並んでるだけでわけ分からん。ところどころに米やら粟やら穀類の文字があるところをみると、どうやら農作物の作り方をまとめた文章らしいんだが、かなの当て字なのか中国語なのかそれ以上は難しくて読めない。ひらがなとカタカナが使われるのはもっと後っぽいな。
 そりゃそうと紙に書かれたもんがほとんどない。和紙みたいなごわごわした厚い紙があったが、丁寧に綴じてあった。紙がないってことは、トイレでかなり苦労するぞ。忘れてた、トイレはどこだ。
「すいません、トイレはどこでしょうか」
「はい?トイレとはなんでございましょうかミコ様」
「ええと、便所、カワヤ、いや雪隠、ええい御不浄」
 
 日暮れ前、ここでもやっぱり早めの晩飯らしく食堂に呼ばれた。夜になってだいぶ冷え込んできたので俺は寝床で布団にくるまっていたかったのだが、それでは皆が心配するというので引っ張り出された。飯はみんなで食うほうがうまいというのは古来も同じなんだな。最近じゃ家族がいても独りでぼそぼそと食ってるやつが多いようだが。
 家族は意外に多いようだ。朝比奈さんのまわりに召使らしき人が群れていた。俺の身内らしい人が食堂に飛び込んできた。
「いやっほーうぃ、館のご主人。帰りを待ちわびていたわよ。あんまり遅いんでこのままあたしが屋敷を乗っ取っちゃおうかと思ったくらいよ」
全員がそっちを見た。古代中華風な衣装をまとい、酒の入ったとっくりを抱えた女がいた。なんてかっこしてんだと言おうとしたが、俺もそれなりの格好をしてるわけでなんとも突っ込めない。
「ハルヒ!?こんなとこでなにしてんだ?」
「ちょっとキョン!なんであんたがここにいるのよ」
「す、涼宮さん」
「みくるちゃん、なにしてんのここで」
そばにいた家臣のひとりが怪訝な顔をして聞いた。
「ミコ様、いかがなさいましたか」
「い、いやいやなんでもない。二人とも昔の知り合いなんだ」
朝比奈さんが上座に、ハルヒが俺の向かい側に座った。なにか言いたそうにジロジロと俺を見ている。
 
 一同が揃ったようだが、誰も食べ始めない。中国みたいに鐘がゴワンゴワン鳴るとかないのかな。皆が静まり返ってなにかを待っているところで、痺れを切らした侍女らしい人が朝比奈さんにごにょごにょ耳打ちしていた。
「ええっ、ノリト?わたしがノリトを唱えるの?」
「はい、いつも唱えておいででございますが……」
「みくるちゃん、ご飯食べる前に神様に感謝するアレよ」
「ええっ、そんなのやったことないわ」
「むかし部活でやったでしょ」
そういやそんなこともあったな、って、あれは祝詞じゃなくて読経だろうが。
「しょうがなわね、ちょっと、これ読み上げなさい」
ハルヒが懐から南京玉簾のようなカンペを取り出した。竹簡のカンペってどういう時代錯誤ですか。
「か、かけまくもかしこき~いざなぎのおほかみぃぃ~」
これが数分続いて、そろそろ飯も冷めそうな頃やっと一同手を打ってから食べ始めた。俺たちの時代でもやってる、小学校で給食を食べる前に手を合わせるアレはここから来てるのかもな。
 
 手づかみで食うのはスナック菓子っぽくてラフでいいんだが、いちいち手を洗わないといけないのがどうももどかしい。
「すいません、箸はないでしょうか」
「ええっ、箸と申しますと折箸のことでございますか」
「箸があるんですね。貸してもらえますか」
「なににお使いなのでしょうか」
「ええと、これを食べるのに使いたいんですが」
「それはなりませんミコ様。箸をお使いいただけるのはオオキミだけです」
オオキミってのが誰か知らんが箸の使用権を独占するなんて偉そうだな。そんな慣わしがあったとは。生活習慣が違うとどうも調子狂う。
「わたしも箸を使いたんですけど……」
朝比奈さんが拝むようにして言った。やっぱそうですよね。
「箸は神事で使うものでございますゆえ……。でもお妃様が望まれるのでしたら」
侍女がまわりを見回した。ここで箸を使ったところで、とがめだてする人はいるまい。いったい日本人はいつ頃から箸を使い始めたんだろう。
「じゃあ妃であるわたしが決めます。皆さん、今後食事で箸を使うことを許します」
一同がおおっと驚いた。さすがは朝比奈さんである。神様に仕える巫女さんが許可するんだから間違いはない。
 
 箸が用意されたが、俺がふだん使ってる箸とはほど遠く、箸の片方がくっついたピンセットみたいな形をしている。パン屋でパンを挟むあれ、なんつったっけ。あんな形だ。
「これ、箸なの?」
「折箸にござります」
なるほど。俺は割り箸を割るようにしてパキリと箸を折った。それを見て侍女が真っ青になった。
「ミ、ミコ様、ああ……」
え、割っちゃいけないんですかこれ。
「キョン、ここじゃ箸は神聖にして不可侵の象徴たる存在なのよ。割るとか裂けるとかいう表現は禁句なのよ」
もっともらしいことを言うハルヒは、玄米ご飯をぎゅっぎゅっと固めておにぎりにして食っていた。器用なやつだな。俺はしょうがないので新しい箸に交換してもらってピンセットで挟みながら食うはめになった。後で竹を削って自作しよう。箸の歴史を書き換えてしまいそうだが、それくらいかまうものか。
 
 皆がガヤガヤと酒を酌み交わしはじめたころ、ハルヒがちょっと来なさいと言って俺の襟を掴んでずるずると引いていった。朝比奈さんが心配してついてきた。
「キョン、これってどういうことよ、説明しなさい」
「どういうことと言われても」
「タイムマシンの実験中に事故でタイムスリップしたんだと思うわ」朝比奈さんがフォローした。
「で、ここはいつの時代で、どこなの」
「俺もずっとそれを調べてたんだが、まだ分からん」
「もう、役に立たないわね」
こういうとき古泉なら歴史の知識を披露したんだろうけど。
「お前はここの屋敷にはどうやって来たんだ?」
「海で溺れてて助けられたのよ」
「まじか。それで大丈夫だったのか」
「大丈夫だったからこうやってあんたと話してるんじゃないの」
 
「ここじゃどういう立場なんだ?」
「どうやら誰かのお妃らしいわ。旦那は死んじゃったらしいけど」
死んだという話を聞いて、俺は鶴屋さんを思い出した。旦那を亡くして息子も亡くしたとか言ってた。
「死んだってのはお前の旦那だったのか」
「知らないわよ。顔も見たことないのに」
「待てよ、ハルヒが奥さんってことは、じゃあ朝比奈さんはどうなるんだ?ここの主人は朝比奈さんじゃないのか」
 俺は召使のところへ行ってこっそり聞いた。
「あの、つかぬことを伺いますが」
「なんでございましょうミコ様」
「この二人の関係ってどういうものなんでしょうか」
「どうと申されますと」
「この館の主はこっちのナカツヒメですよね」
「さようでございます」
「じゃあこっちは誰?」
「イワノヒメ様はお妃さまにございます」
「妃が二人もいるんですか?」
「はい、さようにござります」
一夫多妻なのか。こんな美人を二人も嫁にするなんて幸せなやつだ、早死にして当然だ。
「旦那って人はどういう人だったんですか」
「ホムタワケ様でございますか。お父上のことをお忘れになられたのでございますか?」
俺の親父だったのかよ。まあ当然そうなるわな。
 
「二人とも、同じ男の嫁さんらしいぜ。にしても朝比奈さんのほうが位が上なのはなんでだ」
「みくるちゃんのほうが見た目がいいからでしょ。第一夫人ってやつよ」
ハルヒは腕を組んでフンと鼻を鳴らした。
「そ、そんなことないわ……。涼宮さん、怒らないで」
「まったく、二人も後家さんにしやがって。幸せなのか不幸なのか」
「そんなことはどうでもいいのよ。だから、さっきからなんであんたがここにいるのかって聞いてるでしょ」
「俺は朝比奈さんの息子だからな。御曹子ってこった」
「な、あんた!いつからみくるちゃんの子供になったのよ」
うわ、ハルヒ、やめ、ネクタイがないからって冠のあご紐締めるな。ということはあれ、俺の母上の恋敵がハルヒってことになんのか。なんてややこしいんだ。
 
 宴は館の主人とその周辺がいないまま賑やいでいた。
「そうえば古泉と長門を見なかったか。あとハカセくんも」
「見てないわ」
「どこかにいるとは思うんだが。あいつらの顔を見ないと心配だ」
「タイムスリップってことは、あたしたち元の時代に帰れないの?」
朝比奈さんのTPDDさえ元に戻れば帰れるんだが、ハルヒにそれをどう説明するか。
「帰れるかどうか分からん。今のところは」
「そんな、なんとかしなさいよ。あたしの生活は二十一世紀にあるのに」
なんとかといわれてもなぁ、俺にはどうにもできん。長門ならなんとかしてくれるだろうけど。
「ともかくまあ、あいつらを探し出すことが先だな。タイムマシンの構造は長門とハカセくんしか知らないし」
「そうね……」
納得したらしくハルヒはうなずいた。
 
 翌朝、鳥の声で目が覚めた。俺は固い寝床の上で背伸びをしてから顔をぱしぱしと叩き、この夢のような生活が覚めていないことを実感として確かめた。なんと清々しい目覚めであることよの。
 部屋の外に出るといそいそと働く家臣たちが目に入った。この時代の人たちの朝は早い。日が暮れたらなにもできないからかもしれんが。俺は手ぬぐいを持って井戸に行った。当然水道なんかあるはずはない。
 
 木の桶に水を汲み、冷たい水で顔を洗っていると頭にボンとボールのようなものが当たって後ろを振り返った。
「あはははっ、避けなさいよキョン」
頭の後ろに目がついてるとでも思ってんのか。ボールだと思ったのは柿だった。
 ハルヒのそばには子供が三人走り回っていた。こいつは怒られそうだというふうに俺を見ている。俺は柿を拾って子供に投げ返した。
「いい?ちゃんと打つのよ」
「承知しました母上」
「は、母上って、そいつらお前の子供か」
「そうよ」
「よくまあ三人もぼこぼこ生んだもんだ」
「失礼ね、あたしが生んだわけじゃ、ないっ、わよ」
ハルヒが本気で柿の実を投げてきた。俺は受け取って布でごしごしこすってかじりついた。
「うわっ、これ渋柿じゃないか!ぺぺぺっ」
「腹壊すわよ」
ハルヒと子供たちがケラケラと笑った。子供ってことはええと、俺の義理の弟になんのか。まじっすか、妹だけでも手を焼いてたってのにちっこい弟が三人もか。
 
「育てるのたいへんそうだな」
「そりゃもう腕白の盛りだもの。喧嘩したり泣きわめいたりたいへんだわよ」
やれやれ、俺が親でなくてよかった。
「ほらっ、イザホワケ!いくわよ」
ハルヒが柿を投げて、七五三みたいな衣装を着た子が太い棍棒をぶんぶん振り回していた。野球やってんのか、そんなことをしたら日本の野球史が変わっちまうぞ。どこかの永世監督が存在しなくなったりしねえか。縄文時代か弥生時代か知らんが、古代人はおとなしく蹴鞠でもやってたらどうだ。
「ようし、見本を見せてやるからちょっとお兄さんにかしてみろ」
「はい兄上」
兄上ときたか、いい響きだな。俺はかつてのSOS団所有のバット並みにデコボコした棍棒を受け取って構えた。ハルヒは本気らしく、かつて上ヶ原パイレーツを下したときのような超剛速球で攻めてきた。俺は思い切り棍棒を振ってジャストミート、したと思ったのだが、ボールだった柿が真っ二つに割れて塀の向こうに分かれて飛んでいった。
「ホームラン!!」
俺はガッツポーズをしてみせたが、何のことか分からないようだった。
「お前ら、勝ったときはこう、親指を立てるんだぞ」
「は、はいっ」
お子様たちは不器用に親指を立てた。なに教えてんだろね俺は。
 
 そんなこんなで日が暮れる、まったりした生活だった。それから気温がぐっと下がり、俺たちは一冬をこの館で過ごした。長門が見つかるまでは慌ててもしょうがないので、とりえあずオオサザキという人物がやっていたという仕事をこなすことにした。俺の仕事には助役というか秘書というか先生みたいな人がいたので、まず文字の読み方を習い、それから各地から寄せられる書簡に目を通し、意味を教えてもらいながら返事を書いた。この時代に来てまさかデスクワークをさせられるはめになろうとは思ってもいなかったが。
 
 暖かくなった頃、鶴屋さんから書簡が届いた。話したいことがあるので会いに来てほしいとのことだった。たぶん退屈で寂しいから酒でも飲みに来いというのだろう。
 俺はもう御輿に乗ってまったり歩くのはいいかげん退屈なので、馬に乗って行ってみようかと乗馬を教えてもらった。衛兵の長で剣術を教えている武人だというガタイのいい男が、体を預けて馬と一体になれと教えてくれた。トナカイの気持ちは分かるつもりだったんだが、馬がなかなか強情なやつで、何度か落馬して踏まれて腹が立ったので馬の尻をぶん殴り、馬と気持ちがひとつになったところでやっと乗れるようになった。俺は道案内に従者をひとりだけ連れて屋敷を出た。馬は意外に揺れて、さらに車高が高くて最初は少し怖かった。馬の車高ってのも変だが。
 
 小一時間で鶴屋さんのお屋敷についた。そういえばこのお屋敷には船つき場があるが、船で来てもよかったわけだな。
「おーぅ、よう来たオオサザキ」
鶴屋さんは門のところで待っていた。
「オキナガ様、先日はお世話になりました」
「よきかな、よきかな。まあ中へ入れ」
馬を屋敷の人に預けて部屋に入った。
「ほかでもない、タイシのことであるが。長いこと病に伏せておっての」
「タイシって誰でしたっけ」
「忘れたか、弟君のウジノワキイラツコではないか」
俺に弟がいたとは。それにしても覚えづらい名前だ。流行ってるのか。
「たった今思い出しました、ウジノワキ君ね」
「余の代わりにあれを見舞ってやってはくれんかの」
「お見舞いですか、参りましょう。どこに住んでましたっけ」
「ウジノミヤである。船で渡るがよい」
なるほど、地名がそのまま名前になってるらしい。
 
 従者を十人ばかり連れて、土産物を持ってウジノミヤというところを目指した。小船で館の前から海まで出て、そこで漁船くらいの大きさの船に乗り換えた。
 船はしばらく荒れた海を進み、両岸が迫ってきたところを見ると河口に入ったようだ。ウジノミヤは川を遡ったところにあるということだった。途中には橋も堤防もなく、だだっ広い平地が延々と続いていた。まだ肌寒い季節だが川岸のところどころに黄色い花がぽつぽつ咲いていて、実にのどかである。
 川を遡っていくと少しずつ気温が下がってくるのが分かった。鶴屋さんちより標高が高いのかもしれない。平野だった風景に、だんだんと濃い緑の森が増えてきた。
 
 川を遡ること二日目、やや京都風のこじゃれた建物が川岸に建っているのが見えた。こっちの屋敷の造りは上品というか俳句のひとつでもひねりたくなるような景観だった。柱が赤く塗ってあり、草葺屋根ではなく杉の木の皮でできてる感じの屋根だった。中国の宮廷風なのかもしれない。
「これは兄上、遠いところをようこそおいでくだされました」
ウジノワキらしい若い野郎が出てきた。顔色がよくないが、感じがなんとなく国木田っぽいな。目ぱっちり系のおぼっちゃまみたいな。
「いやいや。おばあちゃんに頼まれてな。具合はどうよ」
「皆目よろしくはありませんが、兄上のお顔を拝見できるとあって今日はこのとおり床から出ることができております」
ウジノワキとやらは青白い顔をいっそう青くして、小さな咳をこほこほをしつつ口元を抑えた。
「あんまり無理するなよ。おばあちゃんから土産を預かってきたから、栄養のあるもん食って養生しろ」
「かたじけのう存じます。おばあさまにお礼を言っていたとお伝えください」
ウジノワキは椅子から立ち上がって外に出ようとした。侍者が抑えようとしたのだが、たまには日に当たりたいと言い縁側に座った。
 
 俺はウジノワキの隣に座り、出された白湯をすすった。青白い顔で風に吹かれると倒れてしまいそうなくらいふらふらしていたのだが、その瞳だけは妙に澄んでいて、遠くのなにかを見つめていた。
「兄上……」
「なんだ」
「折り入ってお願いがございます」
「俺にできることならかなえてやりたいが、言ってみろ」
ウジノワキは少し黙り、ふぅとひと息吸って、また吐いてから言った。
「わたくしはもう長くありますまい」
「なにを言う、まだまだこれからじゃないか。すぐによくなるさ」
なんてのは病人に対する建前なんだが。こんなことを言うくらいしか俺には能がない。
「わたくしは存じております。己に与えられた命を心してまっとうすること、それが生ける者の務めであると」
「……」
「わたくしの亡き後を兄上に継いでいただきたいのです」
俺はなんとも言えなかった。突然天から降ってきたようにこの時代に舞い降り、見も知らない人たちに世話になり、今度は家を継げとおっしゃる。
「まあそう悲観するな」
「いいえ。自分の余命は自分がよく知っておりますゆえ。兄上以外にこのアマツヒツギを譲れる者がおりませぬ」
アマツヒツギが何だかよく知らないが、こいつが大切にしている何かなのだろう。じっと見つめるそいつの瞳に、俺は気圧されるようにうなずいた。
「分かった、分かったから。ともかく今は養生してくれ」
「ありがたきしあわせ」
俺はウジノワキの肩にもう一枚布をかけてやった。すまんな、俺には医学の知識がないから、お前がどんな病気なのかもどうやって治療するのかも分からん。文明の進んだ二十一世紀に生きてても、俺はあまり人の役に立つことをしてない気がする。
 
「もうひとつ気がかりなことが」
「なんだ。なんでも聞いてやるぞ」
こうなりゃもう岩を砕けと言われようが川の水を飲み干せと頼まれようがやってやる。
「ヤタノヒメミコのことでありますが、あれのことが気がかりで」
「ヒメ?女か」
「わたくしの実の妹でございます。覚えておいででしょう、稚児のおり、よう三人でたわむれました」
「あ、ああそうだった」
妹と聞いて俺は未来に残してきた実の妹を思い出した。
「アマツヒツギに就かれましたならば、あれを妃のひとりにでもしていただけますまいか」
「な、なんですと」
俺はぬるくなった白湯を噴いた。
「あれは兄上をよく好いております。日ごろは無口なあれが、よく兄上の話をするのです」
「いくらなんでも妹を嫁さんにはできんぞ」
「なぜでございますか。もうお妃はいらぬと申されますか」
「いや、俺には妹属性はないから」
「属性とはなんでございましょうか」
気にするな、ただの妄言だ。
 
「あれの母親、ワニノミヤヌシヤカを亡くしましてからはほとんど人前に出ることもなく、ひっそりとヤマノミヤにて暮らしております。あれがあのまま独りで一生を終えると考えると、とても残してはゆけませぬ」
「え、妹ってナカツヒメの娘じゃないのか」
「いえ、母はナカツヒメ様ではなくワニノミヤヌシヤカにございます。わたくしと兄上は異母兄弟でございますゆえ」
なるほど、そういうことか。一夫多妻な上に、母親が違えば結婚もありなのか。
「やっと理解した。だがな、いきなり縁談の話をされてもな、」
「なにとぞ妃に」
これは困った。俺がこの時代で結婚なんかしたら長門はどうなる。歴史を書き換えるとかそういう話じゃない、俺には長門しかおらん。
「しかし、なんで俺なんだ。旦那候補はほかにもいるだろうに」
「なんと申しますか……兄上は昔から妙なおなごが好きですから……」
な、この時代でもそれかよ。ウジノワキが両手をついてなにとぞと何度も頼むので俺は無下に断ることができず、あいわかったと返事をした。
 
 家と継げと言われ、こともあろうに妹を嫁にしろとせっつかれ、俺は宴もそこそこに鶴屋さんちにとって帰した。はやいとこ俺の時代に帰らないとなぁ。こんなところに長居したら子供作って帰れなくなりそうだ。のどかで魅力的な時代ではあるが。
「ウジノワキに会ってきました」
「おぉ、大儀であったな。いかがであった」
「だいぶ顔色が悪いようですね」
「そうか。余も案じておる」
「アマツヒツギを継いでくれと言われました」
「そうか、そうであろう。お主をウジノワキイラツコのところへやったのはほかでもない、それが頼みだったからである」
「それから妹を嫁にもらってくれと泣きつかれましたよ」
「あはははっ、さようか。そりゃ果報者というよりほかないのう」
「いきなり縁談ですからね、困りました」
「でも、まんざらでもないのであろう?」
「どうでしょうね」
どこにいるのか分からないけど俺には付き合ってる人がいます、とは言えなかった。
「オオサザキ」
「なんでしょうおばあさま」
「今すぐにとは言わぬ。タイシの件、考えておくれ。世継ぎがおらぬと余も落ち着いて眠れぬのでな」
「ウジノワキさんは元気になりますよきっと」
「さよう、もちろんである。さようならばよいのだが……」
そう言ってうつむいた鶴屋さんは悲しそうな表情だった。
 鶴屋さんにも頼まれてしまったアマツヒツギってなんだろう。ウジノワキ氏の代わりに家を継げってことなのだろうか、妹を嫁にしろってことは。じゃあオオサザキとかいう俺の家系はどうなるんだろ。
 
 共通の父親を持つ、血が半分しか繋がっていないという弟と妹のことは気持ちのどこかで気にはなっていたのだが、当面の俺のやるべきことは長門と古泉を探し出すことだった。あいつらを連れてどうしても未来へ帰らないといけない。社長でもないのになんだかひとりで責任を感じていた。長門も古泉も朝比奈さんも、ハルヒを観察するとか守るとか発生した異空間なんかの後始末に追われるだけで、自ら運命を切り開くという態度を見せない。できるだけなにごともなく過ごそうとしている三人を見ていると、じゃあ俺が全員を先導していくしかないじゃないか、みたいな妙な任務意識があった。
 
 俺のほうでも方々に人をやってそれらしい人物を探してもらってはいたのだが、返ってくるのはなしのつぶてばかりだった。ハルヒにも朝比奈さんにも古泉風に肩をすくめてみせるしかなかった。
 
 仕事を手伝ってくれと頼まれて、俺はしばらく鶴屋さんの屋敷に留まった。仕事といっても今までやってたオオサザキなる人物のデスクワークと変わらなかったが。
 それから一ヶ月ほど経ち、鶴屋さんの支配する領土をくまなく探ったが、ひょんなことから古泉と再会することになった。
「ミコ様、捧げものが参りました」
「ああ、カシワデに渡しといて」
カシワデってのは厨房のことだ。たまに家臣や庶民からプレゼントが来る。たいていは地元で獲れた魚や肉なんかだが。
「それが、生きているのでございます」
「猪かなにかか?」
「いえ、大きな鳥でございます」
「鶏とか鴨?」
「もっと猛々しい、強き鳥にございます」
なんだろうかと見に行ってみると、竹で編まれた籠の中でバタバタやっているのは鷲か鷹のようだった。海が近いからトビかもしれんな。猛禽類独特の鋭い目で俺を睨んだ。
「かっこいいが、これを食うわけにはいかんな」
「養われてはいかがでしょう」
そうはいっても、飼い方知らんしなあ。昔セキセイインコを飼ったことがあるが、度重なるエサの補給忘れに嫌気がさしたらしく家出してしまったもんな。妹がキョンくんのせいだといつまでも怒ってたっけ。
「聞けば、鳥に詳しい百済出身の御仁がいるとのことでございます」
「ほう。じゃあそいつを雇おう。ぜひ呼んでくれ」
「かしこまりましてございます」
 
 五日くらいして、その御仁とやらがやってきた。謁見の庭で膝をついてかがんでいた。こういうのはどうも拝まれてるみたいで苦手なんだがな。
「オオサザキノミコ様におかれましてはご安泰をお祈り申し上げる次第にございます」
「うむ。まあ顔を上げてくれ」
「は」
そこでようやくそいつの顔を見ることができたのだが、
「あ……」
「え……」
二人とも固まったまま動かなかった。そいつの目がみるみる潤んでいく。
「あれれ古泉か、こんなところにいたのかよ」
「これはおなつかしう、」
と言いよどんだ古泉は髭を生やし、たぶん百済では流行っているらしい派手な色の服を着て、黒い冠を被って両手を袖の下で合わせている。そのまま京劇で劉備玄徳を演じてもよさそうな格好だ。
「お会いしとうございました、ミコ様。酒の君と申します」
「今は酒の君って名前なのか」
「さようにござりまする」
「ああ。呼んだのはほかでもない、この鳥だがな」
「クチでございますね。鷹狩りに使われるものです」
「献じられたんだがどう扱えばいいか分からんのだ。食うわけにもいかんし」
「わたくしが飼いならしてみましょう。動物には好かれますゆえ」
「じゃあお前を鳥甘部《とりかいべ》の長に任じるとしよう」
「謹んで拝領いたします」
「そりゃそうと古泉」
「何でございましょう」
「髭が似合ってるぞ」
 
 謁見の庭では庶民が偉い人に近づくことはできないので、酒を用意させて俺の部屋に通した。そばで見ると古泉は褐色に日焼けして腕っ節が太く、なんだかちょっと見ないうちにたくましくなっていた。
「よく生きてたなぁおい」
「あなたこそ、よくご無事で」
「それにしても、なんでそんなかっこしてんだ」
「ずっと百済にいたんですよ。あ、百済っていうのは僕たちの時代の朝鮮半島ですが」
そんなこた知ってる、歴史の授業で出たもんな。
「そこで王族の奥さんに気に入られて暮らしてたんですが、その旦那っていう日本人の武将にスカウトされましてね。で、逆輸入されたわけです」
「いつごろこの時代に来たんだ?」
「半年くらい前でしょうか。大陸は面白かったですよ。僕は武将のひとりとして戦場を駆け巡っていました」
なるほど、それでその格好なのか。俺は鎧に身を包んで剣を振り回す古泉を想像して、ちょっとうらやましくなった。
 
「鶴屋さん似のおばあちゃんには会われましたか」
「ああ、会った。今も世話になってる。ここはどういう時代なんだ?」
「ご存知なかったんですか?古墳時代ですよ。西暦でいうと三百年から四百年くらいですか」
「俺の知ってる日本史とだいぶ違う気がするんだが」
「それは日本書紀とか古事記の文献がだいぶ後になって書かれたからでしょう。この頃の地名や人物名は実際とかなり違っているはずです」
「ここはどこなんだ?」
「ここは確か、住吉宮ですね。当時の政府があったところです。大和朝廷の前身でしょうか」
なるほど。古泉の解説でこの世界がなんとなく現実味を帯びてきた。
「じゃあ鶴屋さんはその女王様?」
「そうです。彼女は確か神功皇太后のはずです」
な、なんだってー!!俺の頭の上にΩマークが四つほど並んだ。
「気長足姫尊が当時の本名で、皇后の称号で呼ばれるようになったのはずっと後のことだと記憶しています」
「なんてこった、皇族にタメ口利いてしまったじゃないか」
「よろしいんじゃないですか。この方は庶民的だったようですから」
「じゃ、じゃあ俺は誰なんだ」
今まで他人を装って召使をこきつかった手前、聞くのも怖いが。
「あなたは大鷦鷯皇子、後の仁徳天皇になる人です」
と、とんでもない話だ。こんなことなら某国営放送の歴史が動く番組でも見ておくんだった。
 
 これは困った。タイムスリップしただけならまだしも、日本の歴史の根底ともいえるこの古墳時代にしかも皇族のはしくれとして舞い降りたなんて、俺が政治を動かすようになっちまったら未来はどうなるんだ。いや待て、はしくれなんかじゃない、その中心人物じゃないか。
「まあ、歴史というのは流れていくものですから。一人で動かそうとしても動くものではありませんよ。流れに身を任せてみてはいかがでしょうか」
などと古泉は、悟りきったのか脳天気なのか分からないことを言っている。お前はまあはしくれだからいいだろうけど、もしかしたら韓国の歴史を書き換えちまったんじゃないのか。
「それはないと思います。いちおうアジアの歴史は教養としてありますから、それをなぞる以外のことはしていません」
教養がなくて悪かったな。
 
「ちょっと待て、じゃあ朝比奈さんとハルヒは」
「お二方は無事なんでしょうか」
「ああ。元気でやってるとも。朝比奈さんは俺の母親、ハルヒは俺の親父の愛人みたいもんになっちまってる」
「応神天皇のお妃様ですか。愛人とは言いえて妙ですね」
古泉はカラカラと笑った。
「ということは朝比奈さんは仲姫皇后ですか。涼宮さんは、ここでの名前はなんと言っていましたか」
「名前はええと、なんつったっけ。忘れた。親父はすでに死んじまったらしい。ここから北のほうに行ったところに俺たちの屋敷があって、そこに住んでる」
「なるほど、大隈宮ですね」
「長門だけがどこを探してもいないんだ」
「変ですね。長門さんならいちばんに探しに来そうなものですが」
「もしかしたら長門だけ二十一世紀に残ってるんじゃないだろうか」
「それも大いにあり得ます。思うに、今回の事故は僕の能力が原因です。実験で使った時空の泡の力場と反発したのかもしれません」
「それはともかく、どうやって帰るかだが」
「朝比奈さんの例のTPDDで帰れないんでしょうか」
「それがタイムスリップしたときに壊れちまったらしい」
「それは困りましたね。助けを呼ぶ方法はないんですか」
「今のところはないと思う。長門だけが頼みの綱だ」
「なんとか帰る方法を見つけないといけませんね」
二人はしばらく黙り込んだ。
 
「腹違いの弟で国木田に似てるウジノワキってやつに会ったんだが。これが具合悪そうでな。自分が死んだら後を頼むと言われた」
「莵道稚郎子皇子さんですか。太子を引き受けてくれというのでしょう。歴史ではそうなっていますね」
「アマツヒツギって何だ?」
「つまり天皇のまつりごと、政治活動のことです」
「俺にそれをやれってのか」
「あなたの今の立場なら、当然です」
「鶴屋さんにもそれを頼まれたんだが。困ったぞ……」
「鶴屋さんもお歳を召してますし、あなたがやらなければ、たぶんこの時代の天皇の血筋が絶えてしまうことになります。日本史の既定事項が壊れてしまいますよ」
「お前がやってくれるわけにはいかんだろうか」
「僕がですか?残念ですが、あなたはすでにその名で知られているので、あなたがやるほかはありません」
「あ、思い出した。ハルヒの名前、イワノヒメとか言ったぞ」
「ほんとですか、磐之媛命は僕の姉にあたる人ですよ。後の磐之媛皇后様、つまりあなたの奥さんになる人ですね。なんの因果でこうなったのか知りませんが、これも既定事項ですね、プッ」
この一大事を他人事だと思って笑ってやがる。古泉よ、お前もか。
 
 次期天皇である太子の位を引き受けるかどうかはともかく、俺は朝比奈さんに手紙を書いた。古泉が見つかったのでそのうち会いに来てくれ、と竹の書簡に書いて直接届けてもらった。もちろん郵便などという便利なサービスはない。
 数日して朝比奈さんから返ってきた手紙には、見つかってよかった、こっちでもちょっと大変なことになってるの、と書いてあった。
「古泉、ちょっと困ったことになった」
「なんでしょう陛下」
「その呼び方やめ」
「なんでしょう殿下」
「それもやめっちゅうに」
「失礼。何が起きましたか」
「ハルヒに言い寄ってる男がいるらしい」
「妃といっても後家さんですからね。涼宮さんのあの美貌、引く手あまたなんじゃないでしょうか。月夜の晩、帳の向こうからじっと見つめる熱い視線がひとつ、ふたつ、と」
お前はいつからハーレクインの作家になったんだ。
 
「ハルヒには三人の息子がいるんだ」
「そうだったんですか。いつ生まれたんでしょう」
「いや、正確には磐之媛の子供だが。ハルヒが生んだわけじゃないらしい」
「なるほど養子ですか」
「そいつらを育てるのもなにかとたいへんだから、父親が必要だろうと買って出た奇特なやつがいるらしいんだ」
「この時代、女性は男を選べませんからね。結婚してくれと言われたら予約がなければたいていは通ってしまいます」
「そ、そうなのか」
「ましてや妃など、自分の意志などは関係ありません」
「なんて社会だ」
「それが封建社会というものです」
古泉が澄ました顔で言うのが癪に障る。
「なんとかならないのか」
「なんとかとは?」
「ハルヒだ。あいつがこの時代で結婚なんかしちまったら俺たちの時代はどうなる」
「さあて、どうなるんでしょうか。それは涼宮さんが決めることですよ」
「意外に冷たいのな、お前」
「僕がどう言ったところでなにかが変わるわけではないでしょう。涼宮さんが誰かに惚れたら、それを止める術はありません」
 俺は想像した。ハルヒが三人の息子をかかえて、見も知らない旦那とこの時代のしきたりにのっとって暮らしている姿を。皇族ってのはいろいろと生活の作法が厳しいと聞く。そんな囲いの中でハルヒがやっていけるのかどうか。ハルヒがこの時代の趨勢に飲まれて消えてしまってもいいのか。いやいかん、それはだめだ。俺は頭を振った。
「いいや。俺たちは二十一世紀に帰らなければならん。俺には全員を連れて帰る責任がある」
「突然頼もしいですね。ではどうなさるおつもりで」
「ちょっと鶴屋さんと話してくる」
 
 キョンは単純な男であった。冠も被らずのそのそと館の中に入っていった。たちまち部屋の前にいた衛兵に抑えられた。
「頼もう、頼もう」
「なんだい大鷦鷯、騒がしい」
「折り入ってお話があります」
「さようか。皆、ちょいと外しておくれ」
「太子の件ですが」
「おおぅ、引き受けてくれる気になったかの」
「ひとつだけ条件があります」
「申してみよ」
「磐之媛皇女を妃に欲しいんですが」
「磐之媛か。しかしあれはお主の父親の妃であろう」
「今は違います」
「まあそれはそうであるのだが……。本人はどう申しておるのじゃ」
「男が言い寄って来ているらしいです」
「わはははっ。なんとまあ、お主の横恋慕か」
「子供が三人もいては独り身はたいへんかと」
「うむ。余もそれを懸念しておった。どこぞに身を寄せられる男がおればなと」
「俺が面倒見ますよ」
「さようか。大鷦鷯、ちょっと凛々しくなったの。余もあれを次の皇后に推したいと思うておる。本人に尋ねてみるがよい」
「ありがとうございます」
 
 俺と古泉はその日のうちに馬を走らせて自宅の屋敷に向かった。大隅宮と言っていたのは土地の名前ではなくて天皇の屋号みたいなものらしい。鶴屋さんが住んでいる住吉宮、弟がいる宇治宮もたぶんそうだろう。
「キョンく~ん、古泉く~ん」
庭で二人が手を振っていた。俺の護衛だとかいって豪勢な鎧に身を包み、剣を腰に下げて様になった古泉の乗馬姿はかなりうらやましかった。こいつはこのかっこうで戦場を駆け巡っていたんだよな。
「これはこれは仲姫様、姉上、ごきげん麗しうございます」
古泉は馬から下りて袖を合わせて礼をした。
「姉上?あたし古泉くんのお姉さんなの?」
「歴史上、そうです」
「そうだったんだ。あたしずっと弟が欲しかったのよねぇ」
ハルヒがニヤニヤ笑っている。もしかして今回のこれ、お前の仕業なのか。
「古泉くん、鎧姿かっこいいわ」
「ほんと、国を守る武人って感じね」
「お褒めいただきありがとうございます」
どうでもいいだろそんなこたぁ。長門がいたら男は見た目じゃないと言うに決まってるさ。とほほ。
 
「ハルヒ、お前に言い寄ってるおっさんのことだが」
「あら、会ったの?なかなかかっこいい人よ」
「結婚するつもりなのか?」
「あたしが?まさか。暇だから遊んでるだけよ」
「今のお前は後家さんだから、そのうち誰かに引き取られてしまうぞ」
「あたしはそんなことしないわよ」
うーん、どうも事の深刻さが分かってないようだ。
「俺は太子になろうと思うんだが」
「太子って聖徳太子みたいな?」
「太子ってのは次の王様とか次の天皇になる予定の人のことだ」
朝比奈さんとハルヒが「へっ?」という顔をした。目が点になっている。古泉、お前の出番だ、NHK歴史番組風に解説してやれ。
 
「な、なんであんたが仁徳天皇なのよ!」
なんでと言われても、降って落ちたところがそういう運命の人だったんだからしかたあるまい。
「ハルヒ、お前をこの時代で結婚させるわけにはいかない。だから俺の妃になってくれ」
「ほんとに……あたしでいいの?」
な、なんだその幼馴染が結婚を申し込まれて照れ隠しに下を向いてもじもじしてるような仕草は。
「だから、これは芝居みたいなもんなんだ。俺はお前を二十一世紀に連れて帰らないといけない。それに俺には長門がいるの知ってるだろ」
「知ってるけど……。あんた、ちょっとくらいムードってもんを理解しなさいよね!」
ハルヒはドスドスと足音を立ててどこかへ行ってしまった。
「あなたの無粋さにも困ったものですね」
「そうね」
古泉と朝比奈さんが苦笑していた。分かっているさ。相手がハルヒだからこんな風なんだ。
 
 ハルヒが子供を連れて戻ってきた。
「あたしはいいわ。この子達に父親になってほしいか直接聞いてみなさいよね」
ううっ。これは俺に対する大きな挑戦だ。
 やあキミタチ、俺と暮らさないか。違うな。やあ子供たち、お父さんが欲しくないか?なんかしっくりこない。やあみんな、パパだよ。違う、絶対チッガーウ。
「なにブツブツ言ってんのよ。さっさとキメちゃいなさい」
「なあキミタチ。お前たちの父親は俺にとっても父親で、いわば俺とお前たちは兄弟なんだ。知ってるよな?」
「存じております、兄上」
「俺が母上と結婚して父親がわりになるのはどう思う?」
三人は黙り込んでいた。長男の去来穂別皇子が手を上げて言った。
「兄上、わたしは父上が恋しいです」
「そうだよな。親父はいいやつだった」かどうかは知らんが。
「俺は父親にはなれないかもしれない。けどな、」
俺は腰に手を当ててみんなを見回して言った。
「一緒に野球をできるぞ」
三人はうなずいた。俺はハルヒを見た。野球を持ち出すなんてずるいわよ、といいたげだったが、男の子というのはそういうもんだ。俺はガッツポーズをしてみせた。子供たちもぐっと親指を立てた。
 
 俺はハルヒと子供たちを引き取ることになったことを二人に話した。
「ハルヒを妃にすることになったが、まあ芝居を演じてるみたいなもんだからな」
「おめでとうございます。ゆくゆくは涼宮さんが皇后様に、朝比奈さんが皇太后様になられるということですね」
「そうなるんですか?知らなかった」
「朝比奈さん、これも日本史の既定事項ですよ」
朝比奈さんは自分の専門用語を使われてポッと頬を染めていた。
 
 翌日、俺はひとりで鶴屋さんの住む住吉宮を目指した。もう数日泊まってからにすればと三人に止められたのだが、なんとなく待てなかった。ほかにやることもないしな。
「オキナガ様、オキナガ様」
「な、なんじゃ大鷦鷯か。戻ったのか」
鶴屋さんは玉座でうとうとといねむりをしていて、口から垂れていたよだれをずずっと拭いた。
「太子の件、承りたいと思います」
「おお、さようか。引き受けてくれるか」
「ですが、なにぶん未経験ですからおばあさまに助けていただかないと」
「もちろんである。余も家臣もアマツヒツギを支えるにやぶさかでない。だがお主がやる気になってくれたというだけでもう余は満足じゃ」
鶴屋さんはヨヨヨと袖で目元を拭ってみせた。
「お、おばあさま、まだ喜ぶのは早いかと」
「そうじゃの。磐之媛との婚礼の儀を取りはからうこととする。忙しくなるぞい」
 
 いくら鶴屋さんの取り計らいとはいえ、太子の莵道氏が病状おもわしくない手前もあって、俺とハルヒの婚礼の儀は親族だけでしめやかに行われた。
 翌週の晴れた日に屋敷の庭に祭壇と客席を並べ、客が揃ったところではじめられた。ハルヒが屋敷の中から付き添われて出てきた。てっきり十二単みたいなのを着せられて出てくるのかと思ったが、そういうのはまだなくて、大陸から取り寄せた仙女の羽衣みたいな儀式用の衣装を着せられていた。髪を頭の上で二つ丸く結ってしずしずと現れた。十二単は平安時代だったか。
 
 神式の結婚式みたいにふぁーんとか和太鼓が演奏を始めるのかと思ったが、そういうのもなかった。笛も鐘もなく、巫女衣装を着た朝比奈さんが長々と祝詞を唱え、鶴屋さんや家臣が祝辞を述べて終わった。その後に饗宴の儀とかいうのがはじまり、そこでやっとみんなが酒を飲み始める。
「太子、ご成婚おめでとうございます」
「俺はまだ太子じゃない」
「もう事実上太子じゃないですか」
「安易過ぎるぞ。莵道さんの家臣が聞いたら、いらん噂が立つだろ」
「そうですね、失礼しました。事が決まるまではなにも口に出さない、それが政治ですね」
 鶴屋さんが杯を持ってにじりよってきた。
「これ、大鷦鷯。そちももっと呑まぬか。祝いごとじゃ」
「あ、ありがとうございます」
今日は潰れるまで飲まされそうだ。
「ほれ、イワにゃんも呑め」
「いただきます」
軽く口紅を差してうつむいたハルヒは、ちょっと色っぽかった。
「おうおう、イワにゃんはいい呑みっぷりよ。ほれ、もっとやれ」
ハルヒはでかい皿に注がれた酒をゴクゴクと飲み干した。あとでぶっ倒れなきゃいいが。
 
 どの客もたいがいに酔いが回ってそのまま眠り込んだりしはじめたところで、宴はお開きになった。最後まで正気のまま座っていた二人は顔を見合わせた。
「ハルヒ」
「なによ」
「似合ってるぞ」
「そういうことはもっと早く言いなさい」
朝比奈さんもうんうんとうなずいていた。俺の心の底のどこかで、これが長門だったらと呟く声が聞こえたが。
 
 それからしばらくして、俺が太子を引き受けると聞いて安心したのか、莵道氏の訃報が届いた。俺は喪服を持って宇治宮を尋ねた。古泉の説明では、宇治宮というのは俺の時代でいう京都にあるのらしい。
 最初に行ったときには気が付かなかったが、俺が知っている地形とは違い、屋敷から宇治宮にはまっすぐ陸路を行けなくて、その方角には湾になった浅瀬の海がある。俺が住んでいる大隈宮も鶴屋さんちの住吉宮も、馬で行くときは一旦南に下るしか道がなく、遠回りしなければならなかった。海から船で川をさかのぼったほうが早いらしい。
 
 莵道氏に太子を継いでくれと言われたことは俺の努力次第でなんとかならないこともないが、その上に妹を頼むとすがられたのには参った。この時代は政治に結婚はつきものだからな。身内の中から支配階級につながりを持たせようとするのは、宮廷政治にはいつの時代にもあったと日本史で習った。藤原氏やら平家がいい例だ。でもあのときの莵道氏を見ていると、純粋に妹の幸せを願って頼んだようにも見える。根回しをするような男ではない気がするが、あるいは俺の人がよすぎるのか。国木田似の病弱な彼の顔が思い出されて不憫だった。
 俺は船の中で喪服に着替え、川岸の桟橋に着いて船を下りた。客室を借りてもよかったのだが、さっさと済ませてさっさと帰ることにした。妹君の屋敷は隣に構えてあった。すでに弔問客がひしめいている。
 
 館の客間らしきところに通され、莵道氏の妹が入ってきた。俺は体を腰のところで曲げて軽く手を握ったまま床について、社交上の挨拶をした。
「大鷦鷯です。この度のご不幸、お悔やみ申し上げます」
この妹君はめったに人前に出ないが、色白でかなりの美人だという噂だ。俺が上座に座っているとうつむいたまましゃなりしゃなりと手をついて伏せた。
「……ヤタノワキイラツメ。悼み入る」
顔をゆっくりと上げたそれは、長門だった。
 
「な、長門。こんなところにいたのか」
「……」
「ずっと探してたぞ」
「……わたしも、待っていた」
いつかのような再会のシーンに抱きしめたい衝動に駆られて長門の肩を引き寄せたが、弔問客の手前だ。嫁入り前の娘にそんなことまねをするわけにもいかず、慌てて手を離した。公式の挨拶はこれくらいにして、俺は個室に長門を呼んだ。
「この時代にはいつごろ来たんだ?」
「……約半年前」
「古泉もそのあたりだと言ってた。何が起ったんだ?」
「……閉鎖空間のゆらぎエネルギーが古泉一樹の能力に反応し、次元拡張装置がオーバーロードした」
よく分からんが、漏電みたいなものか。
「どうやって帰る?」
「……今のところ手段がない」
「前みたいに喜緑さんに助けてもらうことはできないのか」
「……それはできない。この時間線には喜緑江美里は存在しない」
「存在しないって、なんでだ?」
長門はなぜか、言ってしまってハッとしているようだった。それから理由を説明しようと口を開いたが、途中でやめて黙り込んだ。なんだか長門らしくない。
「……」
「喜緑さんがいないってことなら、まあ無理には頼めないよな」
長門は何も言わなかった。
 
「朝比奈さんとハルヒ、古泉には会ったんだが。ハカセくんがいない」
「……彼はこの時間平面にはいない」
「俺たちの時代に残ってるのか」
「……そう。彼は影響を受けていない」
そうか。ならよかった。俺たちと違ってあいつだけは一般市民だからな、できれば巻き込みたくない。
「そういや朝比奈さんのTPDDが壊れちまったらしいんだが、修理すれば戻れるんじゃないか」
「それは無理。TPDDは意識内の概念で構成されている」
「長門にもお手上げか。困ったな」
しばらく考えたが、長門に手の打ちようがないんなら俺がいくらがんばっても無駄だよな。
「ともかくこの時代を生き抜くことを考えよう。お前がいてくれて安心したよ」
「……そう」
「お前のことを莵道さんに頼まれた。いい兄貴だよな」
「……」
俺はつとめて明るく振ったのだが、長門は妙に悲しそうだった。
「すまん。仮の身分とはいえお前の兄だったな。あまり親しくはなかったが、純朴でいいやつだった」
「……気にしなくていい」
「喪が明けたらうちに来い。みんなで一緒に暮らそう」
「……分かった」
長門を見ていると、なんとなく独りにしてはいけないという気持ちが沸いて起る。妃にしてくれと言われたときに会ってやればよかったと少し反省した。
 
「実は太子になることになってな」
「……知っている」
「怒らないで欲しいんだが、ハルヒを妃にするはめになったんだ」
「……怒ることはない。立場上、当然のこと」
「ハルヒに悪い虫が付きそうだったんでな。それに子供が三人もいたんでほっとけなかったんだ」
なんだかすごくいい訳じみてるのは気のせいじゃないだろう。慌てて行動してしまって少なからず後悔しているところだ。
「……子供に父親は必要。あなたが適当だと思う」
「そうか。分かってくれて嬉しいよ」
「……これも、既定事項」
や、やっぱりそうなんですか。ここで俺がしくじったら歴史が狂ってしまうんだろうか。
「莵道氏と約束したとおり、お前も妃にしたいんだが受けてくれるか」
「……」
長門は俺の手を握ってコクリとうなずいた。
 
 葬儀はつつましく執り行われた。俺と長門を引き合わせてくれた莵道稚郎子皇子に別れを告げた。若くして生涯を閉じた、この人のなごりが京都宇治川に残っているのを俺が知るのは、だいぶ後になってからだ。
 
「あたしは絶対に嫌だからね!」
ハルヒは頑として譲らなかった。ハルヒが怒っているのも無理はない。ハルヒのことを気に入っている男がいるというので俺が半分やきもちを焼くような形でハルヒを横取りし、その挙句俺は長門まで妃にしたいと言い出したのだ。
 
 莵道稚郎子皇子の葬儀が終わって、だいたい三ヵ月の喪の期間が過ぎてからのことだ。それまで俺は鶴屋さんちでまつりごとにかまけていたのだが、即位する前にハルヒに言っておいたほうがいいだろうと考えた。
「お前を皇后の位にしたいと思うんだが」
「ええっ、ほんとに?あたしが皇后様になんの?」
ハルヒは例の、口を半月にした笑顔で言った。もしかして女王様願望があったのか。
「ただし、長門も妃にしたい」
「な、なんで有希を妃にしないといけないのよ」
「莵道さんが死ぬ前に、是非にと頼まれたんだよ。遺言みたいなもんだ」
「いそいそと京都に出かけてたのはそういうわけだったのね」
できるだけ穏便に口実を作って抜け出していたつもりだったのだが、長門に会いに行ってたのを知られてたらしい。
「俺と長門が付き合ってるのは知ってるだろう」
「知ってるけど……でも」
「お前を皇后にするのは芝居みたいなものなんだ。日本の歴史を壊さないためにだな」
「だったら最初から有希と結婚しなさいよ。二股かけられるなんて、あたし我慢ならないわ」
「俺もそう思ったんだが、この時代のしきたりじゃそうもいかないらしいんだ。ハルヒを気に入って次の皇后に推したのは鶴屋さんだから、そっちを立てないといかん。つまり政治だな」
「そんなのいやよ。あんたとならこの時代で一生を終えてもいいなと思ってたのに……。あんた、あたしと有希のどっちが大事なの!?」
そんな究極の選択みたいにいわれてもなぁ。
「どっちも大事だな」
「もう!あたし絶対にならないから!」
長門のほうが大事だ、とか言ってしまうとまたハルヒが切れそうなので曖昧にごまかしてしまったのだが、ハルヒはドダダダと足音を立てて走っていってしまった。いや待て、俺とならここで一生を終えてもいいとか言ったか。そんなことになったら困るぞ。俺は全員を連れて二十一世紀に帰らねばならん。ハルヒもだ。
 
「大鷦鷯にも困ったもんだのぅ。前から女の気持ちに鈍いとは思っておったが」
鶴屋さんが八重歯を覗かせながらケラケラと笑った。俺には「キョンくんにも困ったもんだねぇ」と聞こえていた。
「はあ。痛み入ります」
「実のところイワにゃんがここに参ってな、愚痴っておった」
「あいつ愚痴を言いにここに来たんですか」
「まあ、あれの気持ちも分からんでもない。元はといえばお主が無理をいうて妃として召したのだからのう」
「しかしあのままほっとくわけにもいきませんでしたし」
「お主が焦る気持ちも分かる。しかしの、イワにゃんも宿敵が現れて戦々恐々としておるんさ。女の世界というのはそういうものさね」
そうだったんですか。俺の知らない怖い世界だ。
「あれが言うには、もし大鷦鷯にめとられなければ自由に恋もできたであろうにと、誰にいうともなく嘆いておった。余も多少なり責任を感じておるところよ」
なんというか、ハルヒがそんな風に感じていたとは。自分の軽率さが少しショックだった。
「八田皇女とどっちが大事かと問い詰められました」
「そこはのう、嘘でもよいからイワにゃんのほうが大事だと言うんさ。女ってのは大事にされると嬉しいもんさね」
そうなんですか。さすが年の功というか、噂には聞いてますが鶴屋さんもいろいろと苦労なさってるようで。
「まあ今のところは磐之媛をおだてて、頃合を見て八田皇女を召しいれればよろし」
「そのようにします。おありがとうござい」
「歌の一首でも贈るがよろし、花一輪を添えてな」
歌?俺にラブレターを贈れとおっしゃるんですか。歌っていうか俺の時代でいう和歌だよな。古文は昔から苦手だったのに。しょうがないので古泉に頼んで手伝ってもらった。
 
「酒の君、ちょっといいか」
「なんでしょう殿下」
「ハルヒに和歌を贈りたいんだが」
「これはまた風流ですね。して、どのような歌を」
「ハルヒを皇后にするという話をしたらブチ切れてな。なだめたい」
「皇后様に?それでなぜご機嫌を損なわれたのでしょう」
「そのついでに長門を妃にしたいと言ったんだが」
「きっと二股をかけられたと思われたのでしょうね」
古泉はあははと笑った。なんでそう女心を読むのがうまいんだ。
「鶴屋さんから歌を贈れと言われてな。なんとかなだめる歌をたのむ」
「それは殿下ご自身の気持ちが重要かと」
「うーん。俺の古文の成績はずっと一とか二だったからな」
「殿下。この時代ですよ、歌のひとつやふたつは詠じることができないと文化人として軽んじられてしまいます」
「分かった。書くから手伝え」
「まず、皇后となられる磐之媛様のお立場はどうお考えなのでしょうか」
「ここではハルヒが主役だな」
「つまり、磐之媛様が主役で八田様が脇役ということでしょうか。二人が一緒にいても磐之媛様が色あせてしまうことはない、と」
「そうだな。それをなにかに例えてみると……なにがいいだろう」
「そうですね。百済の武人はいつも、主力の武器と予備の武器を用意しています。弓は必ず二本持っています。予備の弓を儲弦《うさゆづる》と申しますね」
そんな国語の授業っぽいやりとりをしつつ、以下の歌ができた。
 
 貴人の立つる言立て 儲弦絶ゆ間 継がむに並べてもがも
 
「俺は偉い人だから一度しか言わんぞ。主力の弓が切れたときのための予備の弓だが、あくまで予備として用意しておくだけだ。つまり長門はあくまで脇役で、ハルヒが主役であることに異存はないぞ」というような歌だ。庭に植えられている姫百合を数本包んでもらって、ご苦労だが早馬で届けてもらった。
 この歌、俺にしちゃあ“たいへんよくできました”のスタンプをもらってもいいくらいの出来のはずなんだが、かえってハルヒを怒らせたらしい。翌日ハルヒから手紙が返ってきた。
 
 衣こそ二重も良き 小夜床を並べむ君は畏きろかも
 
「予備があっていいのは服くらいなもんよ。女二人と寝るつもりなのあんたは!何考えてんのよ変態!」と、いうことらしい。この時代の俺たちはただ芝居を演じてるだけだから、まかり間違っても二人と寝るなんてことはありえんだろ。まったく、風流なのか妄想たくましいのか分からんやつだ。この歌を古泉に見せると困ったものですねと笑っていた。
 
 どうもこの時代に来てハルヒは長門を嫌っているようだ。喪が明けた頃に長門があいさつに来たのだが、ハルヒは会っても目を合わせようともしない。それもそのはず、この時代の衣装に身を包んだ長門はもう惚れ惚れするくらいの美しさで、家臣一同、野郎の視線を釘付けにしたほどだ。部活で巫女コスプレをさせなかったのが悔やまれる。ずっと短かった髪も、この時代に来てさらりとした長い髪になっている。
 しかも教養があっておっとりとした皇女らしい品格があり、臣下にファンも多いと聞く。それに長門の血筋は先代天皇に最も近く、いわば正統だ。ハルヒは自分を差し置いてそういう設定になってるのが気に入らないらしい。
 
 ハルヒがあんまり怒るので、長門のことはもう持ち出せなかった。ともかく皇后に就いてもらうまでは黙っていよう。こういうときはとにかくなだめるに限る。鶴屋さんが説得してくれたのが功を奏したのか、ハルヒはとうとう折れて皇后の位に就いてくれることになった。
 
 しばらくして、俺の即位の礼とハルヒの立皇后の礼が行われた。即位の礼といっても、中身がいろいろと複雑で儀式がいくつか重なっている。朝廷が内輪でやる儀式に、家臣にお披露目をする儀式、さらに国民にお披露目をする儀式まである。祝賀会はその後だ。
 なにせ俺にはまったく経験のないことで、宣誓を唱えるにも挨拶をするにもカンペを用意してもらわねばならなかった。このカンペがまた難しい漢字の羅列で、たぶん万葉仮名とかいうんだと思うが、読めなくて困った。早くひらがなを開発してくれ。
 国中から祝いの使いが訪れ、外国からも使節団がやって来て、俺とハルヒはいちいち面会に出ねばならなかった。そこで言うべきセリフも決まっていて徹夜で覚えさせられた。国事に詳しい古泉にはディレクター役としていろいろと助けてもらった。
 
 皇位に就いてから俺は高津宮という屋敷を構えた。朝比奈さんのいる大隈宮のすぐそばだ。屋敷の場所をここに決めたのは、ここからだとすぐ船を出して宇治宮に行けるという隠れた理由もあった。
 
 しばらくの間、ハルヒはおとなしく育児に専念していた。これはこれでけっこう楽しんでいたようで、寺子屋みたいな塾を開いたり、家臣の子供を集めて中国そろばんを教えたりしていた。
「ハルヒ、漢字はともかくだな、ひらがなとカタカナはまだ教えないほうがいいぞ」
「なに言ってんの、ひらがなは日本人のココロよ」
などとのたまい、俺たち四人が歴史改変しやしないかとオロオロ心配しているのもどこ吹く風だった。
「サッカーを教えるのはまだ早すぎるだろう。日本に伝わったのは千五百年後だぞ」
「これは蹴鞠よ蹴鞠。麿と蹴鞠をしませう」
ハルヒさん、蹴鞠は奈良時代におじゃる。
「あんたは歴史0点!蹴鞠は紀元前三百年くらいからやってんのよ」
「そうだったのか、知らなかった」
「といっても中国でだけどね」
子供たちは丁寧に巻かれた手鞠がボロボロになるまで蹴って遊んだ。稚児衣装の袖を振り回しながらゴールを叫ぶ様子を見ていると、サッカーが国技になってワールドカップ優勝も夢じゃない気がしてきた。がんばれニッポン。
 
 ほのぼのした宮廷の日々が続いたが、けして長門のことを忘れていたわけではない。俺はなにかと理由をつけて宇治宮まで遠出した。長門もあんな遠いところに住んでないでこっちに来ればいいのに、と思ったんだが、ハルヒを刺激しないほうがいいというので俺もまめに遠い道のりを通った。宇治宮を去るとき、長門が桟橋にぽつりとたたずんで、寂しそうにこっちを見ているのが正直つらかった。
 だがまあ、俺としてはこの二人の物理的な距離を楽しんでいないわけでもない。
「キョンくん、なにを書いてるの?」
「あ、朝比奈さん、なんでもありませんよぉ。きっと気のせいです」
「ちょっと見せて」
「いえいえ、なんでもありません。ただの落書きです」
「嘘っぽいですぅ」
うわっだめです、そんなに密着されては。仮にも俺たちは親子なんですから。
 
「あら、歌を詠んでいたの?そうならそうと言えばいいのに」
「とても人様に見せられるシロモノではないので」
俺は苦笑いをした。こないだハルヒに歌を贈ったところ酷評されて返ってきたので、少しでも腕を磨こうという俺のささやかなる向上心から柄にもないことをやっているのだ。
「枕詞とかぜんぜん覚えてなくて。学生の頃に古文の成績は教科一覧の中で最低でしたから」
「あんまり深く考えなくていいと思うわ。この時代の和歌は日記みたいなものだし、物語とか手紙を情緒を込めて書くときに歌にすることもあるわ。メモ書きみたいな感じ」
そうだったんですか。じゃあ俺たちの時代でちょっとメールを書いてるような感じですかね。
「そうそう、ギャル文字でちょっとメールする感じね」
朝比奈さんは笑って俺が書いた歌を読んだ。
「あら、あらら。これは、ごめんなさい勝手に見ちゃって」
「いえいえ、朝比奈さんならいいんですよ。ハルヒなんかに見られた日にゃ死ぬまでネタにされそうで」
俺が書いていたのは長門のことを詠んだ歌だった。清楚な女の子が宇治の片田舎でひっそりと暮らしているのがいとおしい、とかそういう意味のことを詠んだ。
「素朴でいい感じね」
いやぁ、ははは。朝比奈さんに誉められると歌人にでもなれそうな気がしますが。
「よかったらこれ、わたしにくださいな」
「え、これをですか?」
「ええ。いいかしら」
「こんな素人の歌でよければいくらでもさしあげますよ」
「ありがとう。長門さんにも見せてあげたいわ」
そ、それは勘弁してください。あいつにこんな駄作を読まれたりしたら凹んでしまいます。
 
 そんなある日、鶴屋さんに呼ばれた。
「大鷦鷯、八田皇女のことであるが、あまり待たせるのもよくない。約束は約束」
「ええ。でも磐之媛がなんというか」
「そこでな、磐之媛にはちょいと使いを言いつけたい」
「どんな用事でしょうか」
「近いうちに豊明《とよのあかり》という宴を催すのであるが、そのときに使うミツナカシワという木の葉を使う」
「ミツナカシワですか。玉ぐしみたいなものですか」
「まあ似たようなものだ。それを採ってくるのは皇后が最もふさわしい」
そんなしきたりは聞いたことがないが、鶴屋さんがたった今作ったのに違いない。
「そのミツナカシワはどこに行けばあるんですか」
「熊野岬というところにある」
「熊野岬というと……ええと」
「船で伊勢に渡る中途にある、熊野灘にあると聞く」
和歌山の最南端くらいか、けっこう遠いな。
「その間に既成事実を作ってしまえば磐之媛も無下に拒めまい」
「磐之媛がいない間に八田皇女を妃に迎えようって魂胆ですね、ひひひ」
「さようじゃ、きひひ」
鶴屋、お主もワルよのう、と突っ込んでしまいそうな策略であるが、ハルヒの目をかすめでもしないといつまでたっても長門を迎えることはできまい。
 
 俺はハルヒに宛ててうやうやしくミコトノリを送った。ミコトノリってのは天皇が出す命令書みたいなものだ。ハルヒは子供を連れて、ぶつぶつ言いながら船で熊野岬を目指した。
 その隙に俺は、古泉に頼んで長門を迎えに行ってもらうことにした。
「長門を妃にしようと思うんだが、迎えに行ってもらえないか」
「それはおめでたい。ですが、涼宮さんが荒れませんか」
「多少は荒れるかもしれんが、あいつもそろそろ大人になっていい頃だ。だいたい長門と付き合うきっかけになったのもあいつだし」
「そうですね。あなたなら涼宮さんをなだめられるでしょう」
「長門の兄貴に遺言で頼まれたってのもあるしな。まあこれは俺の希望でもあるんだが」
「さっそく行ってまいります」
「気をつけてな、お忍びで頼む」
「かしこまりました」
古泉はすべて心得ているというように片目をつぶった。
 
 この間に俺は、敷地内に長門のための館をもう一軒建てるとしよう。さすがにハルヒと同じ館の中じゃ火花が散る毎日だ。S極とS極は近づけないに限る。
 一週間くらいして長門のご一行が到着した。家財道具も一式持ってきたようだ。宇治宮には長門の妹というやつが後を継いで住むことにしたらしい。
 俺が出迎えようとすると、長門の取り巻きはそそくさと部屋の中に引きこもった。ああそうか、新郎は式の前には花嫁に会ってはいけないんだよな。
 
 翌日、よく晴れた九月のとある吉日。陽が西に傾いたころ、俺と長門の婚礼の儀が庭で執り行われた。屋敷の庭にはいくつものかがり火が焚かれていて、パチパチと燃える音に混じってコオロギやらスズムシの声が静かに聞こえている。
 司会の巫女さんを朝比奈さんに頼んだ。俺が神事用の礼服を着て祭壇の前でじっと待っていると、客室から長門が降りてきた。式場の両側に並んだ家臣と客人からオオッという歓声が沸いた。おしろいをつけていなくとも透き通るような白い肌に、長い中国貴族風の衣を身にまとい、銀細工の髪飾りをつけている。目の覚めるような真紅の衣装がひときわ映えていた。
 ごくごくゆっくりと、付き人と共に庭に敷かれた布の上を歩いてきた。この時代のしきたりらしく、祭壇のまわりを、俺が右から、長門は左から、ぐるりと回って真中で出会った。イザナギノミコトとイザナミノミコトに由来するらしい。
「長門」
「……なに」
「きれいだぞ」
「……ありがとう」
婚礼の祝詞を述べる朝比奈さんの目が少しうるんでいる。祝詞はカンペなしで、ちゃんと暗記したらしい。二十一世紀ならここでキスのひとつでもするといいのだろうが、これはまあイニシエの儀式、我慢するとしよう。
 
 神式というから杯を交わす三々九度というのがあるのかと思っていたのだが、この時代にはまだないようだ。古泉の解説だと神前結婚の様式が決まったのは明治以降らしい。
 朝比奈さんが玉ぐしを振って祝福し、全員が祭壇に向かって礼をした。チャチャッと拍手をして婚礼の儀は終わった。
「キョンくん、長門さん、おめでとう」
「ありがとうございます」
「お二人さん、おめでとうございます」
「……」
長門はコクリとうなずいて、古泉から大きな花束を受け取った。
「大鷦鷯、八田、めでたきかな」
「おばあさま、ありがとうございます」
「して、お主。磐之媛と八田のどっちを好いておる」鶴屋さんはこそこそと耳元で囁いた。
「そりゃ八田ですよ」
「憎いのう。よう、ご両人」
鶴屋さんはわははっと大声で笑った。今宵も酒がうまいようである。披露宴というか酒の席は館の中の広間で行われた。長門と二人で上座に座らせられ、ただニコニコして客人が食ったり飲んだりするのを眺めていた。ここにハルヒがいてくれたら、とふと思った。口には出さなかったが、たぶんみんなもそう思っていたに違いない。
 
 既定事項にのっとった芝居とはいえ、俺は新婚気分をまったりと過ごした。古泉に案内させて鷹狩に出かけたり、鶴屋さんを連れて生駒山に登ったり、船を出して瀬戸内海を回遊したりと、長門を連れてあちこち遊びに出かけた。
 
 屋敷の敷地に遠くが見渡せる高台を作り、陽が傾くと長門とそこに登ってじっと夕日を眺めていた。
「最近よく考えるんだが」
「……なに」
「このまま、二人でこの時代で過ごしてもいいかもしれんな」
「……そう」
もちろんそんなわけにはいかないんだろうが、長門は少しだけ微笑んでいた。俺は長門を抱き寄せて髪に頬ずりし、長門は目を閉じた。俺の生きていた時代とは違う、このゆっくりと流れる時間が好きだった。
 


人名など:
 
神功皇太后(じんぐうこうたいごう)
気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
大鷦鷯(おおさざき)
応神天皇(おうじんてんのう)
 
仲姫皇后(なかつひめ)
磐之媛(いわのひめ)
 
去来穂別(いざほわけ)
莵道(うじのわき) 莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)
八田(やた)
 
大隅宮(おおすみのみや)
住吉宮(すみのえのみや)
宇治宮(うじのみや)
高津宮(たかつのみや)



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