雪が上がったので、かぶっていたフードを背中へ落とす。冬特有の乾いた冷たい風が顔にふきつけてくる。見上げた空は、まだ黒く厚い雪雲に覆われていた。
 ここ数日間めっきり冷え込んだと思ったら、この降雪。今年はずいぶん気候が荒れているように思う。夏は暑かったのに冬はこんなに寒いんだ。きっと来年のお米はおしいだろうね。
「寒いのは嫌だけど、雪がつもったら何だかワクワクしません? 見慣れたいつもの風景が真っ白になって、とても新鮮な感じですよね。鶴屋さんは雪、好きですか?」
 こないだ買ったばかりのチェックのマフラーを巻いたみくるは、毎日歩いているはずの通学路を興味深げにきょろきょろと見回して微笑んでいる。その様子が、降り積もった雪の合間に身をひそめて辺りを見回す白兎のようでおかしかった。
「私も雪は大好きだよ。雪国の人には悪いけど、毎日降ってもいいくらいさ! だって、とても面白いっしょ?」
 えいっ!と声を上げて私はガードレールの上に積もった雪をすくい取り、隣を歩く友人の頭上にふりかけた。みくるは小さくかわいらしい悲鳴をあげると、頭を白くしたまま首をすくめた。
「もう、鶴屋さん。酷いですよ。冷たいじゃないですか」
 私は胸の前で手を合わせてごめんごめんと謝ったが、みくるの鼻の上に乗っかった雪がおかしくて、我慢できずにふき出した。吐く息が白くくもって湯気のように消えていく。寒い日なのに、乾いた風がとても心地よくて、私は気づくといつのもようにお腹をかかえて笑っていた。最初は咎めるような表情をしていたみくるも、やがて私につられて笑い出した。
 控えめなクラクションとともに真っ白なバスが煙のように粉雪を撒き散らし、私たちの横を走り去って行った。私は風に舞い上がる前髪を押さえ、すっかり色彩をなくした木々の間から見える母校の校舎に目をやった。
 ちょっとした日常の変化で仲の良い友人と笑い会える平和な毎日。そんな日々が、私はとても好きだった。

 

 

「おはようございます」
 昇降口の前で上着についた雪をはらっていると、喧騒のむこうから鞄を脇に抱えた男子生徒が小走りに駆けてきた。頭についた雪の束を手で払いつつ、古泉一樹くんは息をはずませて涼やかに微笑んでいた。
「あ、古泉くん。おはようございます」
 すっかり白くなったマフラーを取りながら、みくるが古泉くんに会釈する。古泉くんはみくると世間話のような会話を二、三言かわした後、無言のままちらりと私に視線をむけた。
 罪悪感、といっていいのだろうか。非常に形容しづらい、鼻腔がムズムズするような感覚に苛まれ、私は古泉くんの視線から目を背けた。
 彼は残念そうに息をもらすと、結局それ以上なにも言わず、シューズを履いて再び雑踏の中へ消えて行った。


「……よかったんですか、鶴屋さん?」
 古泉くんは行ってしまったけれど、彼の悲しげな目がまぶたに焼き付いて、私の心の中からバツの悪さが消えることはなかった。
「いいんだよ」
 ひりひり痛む心を無理に隠すように、私はとびっきり明るい笑顔でみくるの背を押して玄関を上がった。
 何も関係ないさ。今のは後輩が顔見知りの先輩に挨拶しただけの、どこにでもあるごく普通の出来事にすぎない。別に私が心痛める必要性なんて一切ないのさ。
 もう私は、彼となんの関係もないのだから。

 

 

 

 私と古泉一樹が付き合い始めたのは半年前のことだった。私たちの交際に特別な理由や出会いがあったわけではない。彼が私のことをどう思っていたのかは知らないが(←質問したことはあったが、うまくかわされて結局聞けず仕舞いだった)、私の方はただ単純に彼のことが面白い人だと思っていただけに過ぎない。彼の口から語られる話はどれも哲学的であったし、自分の主張というか、他人に媚びることのない強い信念を持っていたこともとても魅力的に感じられた。その上、誠実でありながら二枚目の美形とくれば、好かれこそすれ嫌われることなんてないに違いない。
 しかしそれは平均的な女子高校生なら誰もが憧れるであろう恋愛対象となる男性像だから、交際を始める特別な理由にはなりえない。私は彼に惹かれるべくして惹かれたのだ。ただそれだけのことなのだ。

 そんな彼と別れたのは、つい先日。4日前のことだ。別れた理由については……実はこれにも特に理由はない。
 価値観の不一致。お互いの譲れない部分同志が抵触しあったから、別れる。恋人同士の別離の9割はこれに分類されるだろうから、つまるところ私と彼はごくごく普通に半年間付き合って、ごくごく普通に別れたのだ。
 これ以上、惰性で付き合っていてもお互いにとって良い結果にはつながらない。そう判断したからこそ、私から別れを切り出した。
 ただそれだけのことだ。

 

 

 教室に入り自分の席に着いて一息つくと、突然誰かが私の背後から首に腕をからめてきた。いきなりのことに驚いて目線を上げると、そこには見慣れたクラスメイトの顔が。
「鶴屋く~ん、聞いたよ? 2年の古泉くんと別れたんだって!? それってマジ話!?」
 スリーパーホールドの体勢で私の頭をぐりぐり撫でるのは榎本ちゃんだ。その横には、同じくニヤニヤ顔の財前ちゃんも控えている。
 嫌な予感に苦笑しつつ、私が 「2人とも耳が早いなぁ」 とおどけた調子で答えると、不気味な笑みをたたえた2人が電光石火のいきおいで私にしがみついてきた! うわ、やっぱり予想通り。2人は蜘蛛の足のような手つきで、わさわさと私の体中をくすぐりまわる。
「あはははは! やめて、やめて、ギブギブ。ギブアップだよ!」
「耳が早いだって!? 聞くところによると4日も前に破局を迎えていたそうじゃないか。どうして私たちに教えてくれなかったのかな、鶴屋くん!?」
「隠し事とはつれないよ、鶴屋くん。すぐに教えてくれたら、我々ENOZが心をこめて慰めの歌をうたってあげたって言う の に さ ! 」
「あははははははははは! いたいいたい、おなかが痛いよ! 笑い死んじゃうよぅ!」
「あんな美形の彼氏をゲットしておいて、それだけでも十分羨ましいっていうのに、それをたった半年でふっちゃうなんて! この女の敵め!」
「そ、そんなこと言ったってぇ! みくるぅ、見てないで助けてよ~!」
 こういう時はみくるに助けを求めるのが一番だ。あの子が止めに入ってくれれば、ジャレてる2人も容赦してくれるに違いないからね。
「榎本さんも財前さんも、気持ちは分かりますが鶴屋さんにもいろいろあったんですよ。それくらいで許してあげてください」
「う~ん、みくるがそう言うのなら仕方ないね」
「罪深き鶴屋くん。朝比奈みくる氏たってのお願いということで、特別にこれくらいで勘弁してしんぜよう。彼女に感謝するのだぞ!」
「へへ~。ありがとうございます、みくる菩薩さま!」
 曖昧に笑うみくるに頭を下げ、私はようやく席に腰を落ち着けることができた。この一悶着のおかげで、すっかり身体がウォームアップされてぽかぽかになってしまったよ。
 一息ついたところで改めて榎本ちゃんと財前ちゃんの2人が私に質問を浴びせかけようと詰め寄ってきたところで、始業のチャイムが鳴り響いた。今回はゴングに救われたってところかな?
「これからがいいとこだったのに!」 「お楽しみは後回し。昼に質問攻めにしてあげるから、期待して待ってるんだよ」 と言い残して2人は自分の席へ戻っていった。後が怖いけど、まあ仕方ないか。自分が2人の立ち場だったら、きっと同じことをしてただろうし。
「鶴屋さん、大丈夫だった?」
 隣の席のみくるが、ひそひそ声で私にささやきかけてきた。私なら大丈夫だよ。それにほら、あの2人もふざけてただけだし。本気で首しめたりなんてしてないよ。安心しなって!
「うん……そうじゃなくって……その……」
 伝えにくいことを言いよどむように口ごもるみくるの様子を見て、ようやく彼女が言わんとしていたことに気づく。
 大丈夫。本当に大丈夫だからさ、みくる。私、未練とか持ってるわけじゃないから。

 

 

 

 押し寄せる人ごみをかき分けて、私はようやくパンとコーヒーパックを購入することに成功した。昼の食堂って、本当に激戦区だよね。ここまで激しい戦いに巻き込まれたのは1年の頃以来だよ。まあ、お弁当を忘れてきた私が悪いんだけどさ。
 乱れた髪を整えながら私は階段を登り、意気揚々と屋上へ出た。さすがに冬の屋上は昼間といえど、身震いするほど寒い。しかも今日は朝から雪も降ったし、まだ溶け残った霜が日陰で固まっているほど温度が低い。それでも、もう空は晴れてお日様が顔を出しているから、陽光だけはうららかで暖かい。屋上から一望できる街の風景も、宝石のようにきらきらと光っている。きっとまだ溶けていない雪が太陽の光を反射しているのだろう。
 穏やかな日差しの下、胸のすくような景色を眺めるのは格別だね。肌寒い風が頬をなでるのも心地よいくらいに。こんなに良い気分になれるんなら、みくるもさそってやればよかったな。
「鶴屋さんじゃないですか」
 聞き覚えのある背後からの声に、私はパンの袋を開ける手を止めて肩越しにふり返った。


「やあキョンくん。キミもお昼かい? 好きこのんでわざわざ屋上へやってくるなんて。キミも通だねぇ」
 はにかんだような笑みを浮かべ、屋上に現れたキョンくんは私の隣にやってきた。一人でジオラマみたいな街並を眺めるのもいいけど、やっぱり誰かと一緒にこの快さを共有するのも格別だね。
「今日はいつも一緒に弁当を食べる谷口と国木田が、そろって風邪で休んでるんですよ」
 湯気の立つ紙コップをかたむけながら、キョンくんが手摺にもたれかかる。ひゅうひゅうと唸るように吹きつける風。たなびく髪を撫でながら私はそんなキョンくんのため息に声をあげて笑った。
「キョンくんは女の子みたいなことを言うねえ。いつも一緒の仲良しグループがいないから、一人で教室にいるのが寂しいなんてさ。ふっくくく。ナイーブなんだね、キミも!」
「そんなんじゃないですよ。たまたま、そう。今日はたまたま屋上に来たい気分だったんですよ。それだけです」
 少し困ったような表情でキョンくんが口をとがらせる。言い訳だって見え見えだよ、キョンくん。

 


「あの、鶴屋さん。つかぬことを訊きますが……本当につかぬことなんで、気を悪くしないでくださいね」
 しばらく沈思黙考していたキョンくんが、意を決したように口を開いた。この下級生は隠し事が下手な性分なのか、思っていることが顔に出やすい性質らしく、言いづらいことを口に出すべきか否かで悩んでいるのがバレバレだ。顔色を見れば一目瞭然だもの。彼が私に対して言いづらいことと言えば、あのことに違いない。そう当たりをつけることは実に容易いことだった。
 キョンくん、キミ分かりやす過ぎだぞ。
「古泉と、付き合っていたってのは本当なんですか?」
 ほら。やっぱり。思ったとおりの質問だよ。キョンくんは全く気づいてないんだろうけど、口に出す前から顔がそう言ってるよ。だから、私はそんな彼の初々しさが面白くて、また声を上げて笑ってしまった。でもきっとキョンくんは、あらかじめ自分の質問が読まれていたことになど思いも及ばず、口にした質問自体が私を笑わせた原因であろうと勘違いして不思議に思っているだろう。
「あの、俺、なにかおかしなこと言いましたか? 不機嫌にさせてしまうことはあるかな、と思いましたが」
「あっはははは! ごめんね、笑っちゃって。あはは。私が笑うなんて、意外だったかい?」
「意外って言うか……その……」
「いいよいいよ。気にしてないから」
 私は彼のセリフを手をふって制し、「それは本当のことだよ」 と言って、手にぶら下げていたパンの袋を開けた。

 キョンくんはまた考え込み、何を言うべきか思案をめぐらせている様子だった。
 私はまた、考え込む彼の顔色を読んでみることにした。一体彼はなにを考えている最中なのか。それにしても、これほど顔を読みやすい人も珍しいや。キョンくん、キミ本当に面白すぎだよ。まったく、SOS団の精鋭たちは揃いも揃って将来有望な人材ばかりだね。こんな人たちに囲まれて毎日を楽しく過ごせるなんて、ほんっとにハルにゃんは羨ましいよ。

 

 ふむふむ。このキョンくんの、己が内の迷いを全て吹っ切るために自分を奮い立たせて克己しているような表情。きっと当たり障りのないことを言って私を慰撫し、空気を和やかにしたところで本題に入ろうと思っているけれど、どんなセリフを口にしたものかと悩んでいるようだね。
 もしかしたら本題っていうのは、古泉くんと私のよりを戻そう、ってことかな? その可能性は大だね。私と古泉くんの別れを耳にしたキョンくんが、普段はソデにしている友人、古泉くんのために一肌脱ごうと買って出る。なんだかんだでキョンくんは面倒見のいい男の子だから、それも十分ありえる線だね。
 だが、そうと分かっていれば、あらかじめいくらでも対策は練れるものなのっさ!
 さあ、どうしてくれようかねぇ。彼が本題を切り出してきたら、話をうやむやに流して、逆にキョンくんとハルにゃんの間柄について話をふってやるのも面白そうだな。そうだ。そうしてあげよう! 私としてもそこは気になるポイントだしね!

「あの、鶴屋さん」
 きたきた。はいはい、なんでしょ~か?
「あの……今日の帰り、空いてます? 良かったら、2人でコーヒーでも飲みに行きませんか? ああ、もちろん俺のおごりですからご心配なく」

 キョンくんは目線をそらし、少し照れたふうにそう言った。
 カウンターパンチを狙ったつもりが、逆にそこにつけこんだフェイントをくらったような気がして、私は言葉を失った。

 


  つづく


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