日本に帰ってすぐに準備した。銀行の金を下ろし、携帯を解約し、一通りの日用品をそろえた後、ある日の早朝『世界を見て回ってくる。後で必ず連絡するから待っていてほしい。』と書置きを残し、俺は日本を後にした。
 手始めにオーストラリアに行き、その後南米、北米、ヨーロッパ、アフリカとあちこちをまわり続けた。定期的に家族には手紙を送った。そのころには、俺は怖いものなしだった。もともと順応性は高い方だったので、新しい言葉や新しい文化にすぐに慣れ、日常生活くらいは問題なく、こっそり日雇いの仕事で路銀を稼いでいたくらいだ。そして世界5大陸を制覇してなお、俺は放浪を続けていた。しかし、そこで運命のいたずらが起こる。中東に入って数日後、俺はどうしようもない腹の痛みに襲われ、街中で倒れてしまった。そのまま町の人に病院に担ぎこまれ、目が覚めたときには病院にいた。医師の話によるとどうやら俺は盲腸になっていたようだ。しかしどういうことか既に手術は済んでいる。腹に傷跡もあったしな。これってもしかして…などと思っていると、案の定医師は
“いやぁ、助かってよかったですね。一歩間違えれば間違いなく死んでましたよ。これ、診察代と手術代と入院費の請求書です。”
と言ってにこやかに突き出した紙には法外な金額が書き込まれていた。と言ってもここの相場がどれほどのものか知らんが。結果的に俺は所持金のほぼすべてを失い、中東のど真ん中に放り出されたわけだ。近頃緊張が高まっているからさっさと抜けたい地域だったんだがな。ともあれ、出国するにも旅費はないし、何より泊まるところも無い。途方にくれていた俺の目に飛び込んできたのは町の一角に設けられた民兵の募集事務所だった。ここなら寝泊りするところもあり、飯も食えるし給料も入る。国際法で傭兵は禁止されているようだが、そんなの今は知ったこっちゃ無い。出国するのに十分なお金を稼ぐまでここでお世話になろうと考えていた俺だったが、またもや運命のいたずらが起きる。そこで書かされた誓約書だが、アラビア語で書かれたそいつはどうにも読みづらく、大方の意味だけ理解して書き込んでしまったのだ。割り当てられた宿舎のベッドの上で辞書を片手にそいつの本当の意味を知ったとき、俺は久々に大きなため息をついた。
大まかに訳すとこうなる。
『以上の誓約は最低3年間守らなければならない。途中でやめるには違約金を払いなさい。』

言うまでも無くこの違約金はとてつもない値段だった。ここはエリア88か?かくして俺の民兵ライフが始まったわけだ。

 

 翌日から訓練が始まった。4キロほどを走った後、筋トレや障害物を乗り越える訓練が1週間ほど続くと、いよいよ射撃訓練となった。これには結構期待していたんだ。初めて持ったAK47は重く、無数についた傷跡が数多くの戦闘に参加した証のようだった。しっかり構えて撃たないとまともに的に当たらない。フルオートを試してみたらひっくり返り、仲間からは失笑を、訓練教官からは罵声を浴びせられたな。その後もいろいろな訓練を繰り返した。室内の掃討、援護射撃、身を隠しながらの移動、無線の使用法、小銃以外の武器の使用訓練、武器のクリーニングなどなど…。RPGの射撃訓練も受けたが、あれはもう2度と撃ちたくないな。あまりにうるさくてしばらくまともに仲間の声が聞こえなかった。戦場では真っ先に狙われるらしいしな。そんなのはごめんだ。
 俺が訓練を受け初めて3ヵ月後、ついに隣国との戦争が始まった。何でも、敵の兵士はPMCとか言う傭兵派遣会社の社員らしい。見たことの無い最新の兵器を使ってくるとのうわさも立っていたが、実際この目で見なければ何とも言えないよな。
そして…俺は生まれて初めて、本物の戦場へと向かった。

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