こちらは、教科書系列、水族館シリーズの続編になります。

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「……。」

「…………。」

 沈黙や静寂と言った言葉が脳裏を全力疾走していきます。なぜなら、僕と長門さんの間に漂うのはまさしくその二つだったのですから。

「………。」

「…………………。」

 この沈黙が恋い慕う2人に言葉は要らないというものなら、悲観することはないのですが、生憎と総ではないのが事実です。つい、先ほど男女としてのお付き合いを決めた僕達は、「恋人同士」たる者が何を如何様に話せばいいのか解らないで、ただ、ただ、ひたすらに2人の間に漂う沈黙に臥しているだけなのだから。

 一体、どんな話をすればいいのか、全く何も浮かんできません。もちろん、このデートが始まるまでにより合わせの知識をかき集め、話題に事欠かないよう努力に勤めました。しかし、そんなものはついさっき2匹のイルカに、弾かれて宙を舞った赤いボールの様にどこかへ飛んで言ってしまったのです。

 長門さんも、長門さんで何かを掴みかねているようで先ほどから、いつもの落ちついた様子からは想像も出来ないほどそわそわしていらっしゃる。何かを待っているような、何かをしようとしながら、戸惑っているような。そして、それは僕も同じだった。 

 僕らの沈黙は暫く続いた。互いに、やや俯き加減で、稀に相手を見て目が合うとまた伏せて。外見はどうであれ、小心者を自覚している僕ならともかく、長門さんまでそういう行動を見せるというのは少々驚きです。もしかすると、僕の不安が長門さんにより大きな不安をもたらしているのやも知れません。

 僕は、意を決して長門さんの目を真っ直ぐに見つめ、口を開いた。いえ、正確には、「口を開こうとした」が、正しいですね。何せ、僕の口が長門さんへの言葉を発する前に忌々しいことに僕の携帯電話が森さん専用になっている着メロを歌いだしたんですから。

 いや、森さん専用というより、閉鎖空間専用といった方が正しいかもしれない。 なにせ、森さんはプライベート用と任務用と二つの携帯を持っていて、今の僕の携帯が必死に歌っている「トッカータとフーガ」は、森さんの任務用携帯専用の着信メロディーなのだから。

 正直言って、今の僕の気分こそが「トッカータとフーガ」だ。折角のデート中に、しかも、これからの交際が確定になった矢先の気まずくも甘い沈黙の後に、言葉を発しようとしたところで閉鎖空間。いやいや、今日はあなた方2人揃って銀行みたいな名前のテーマパークへ意気揚々と出かけたんじゃないんですか。ってか、いつの間に付き合い始めてたんですか。教えてくれたっていいじゃないですか。それ以前に、5組にいるはずの『機関』の調査員何してたの? 

 ああ、付き合い始めてもやってることが変わらないから気がつかなかったのか。納得。 いや、そうじゃなくて。なんで、金曜の放課後にはあんなに仲よさそうにしてたくせに、そう簡単に喧嘩できるの、あなたたちは。 いくら鍵だからって鼻から牛乳ぐらいじゃ済まさねぇぞ、コラ。ああ、いけない、いけない。なんか違う自分目覚めそう。

 沈黙の中漂う「トッカータとフーガ」。ベタ、酷くベタ。いや、むしろベタ過ぎてシュールなのかもしれない。 とにかく、僕だって『機関』の構成員である以前に、ただの恋する高校生なんだ。 いくら閉鎖空間が発生したからって、そうそうとデートを抜け出すはずがないってものだ。 当然でしょう? ほら、長門さんだって少しじとっとした目でこっちを見ている。 いや、違いますね。摂氏マイナス273.15度の眼差しって奴でしょうか。 そうさ、一体どこの馬鹿が、デート中に、出たら即効勤務地へGOしなければならない仕事の電話に出るって言うんだ。

「はい、古泉です。」

 ここの馬鹿だよ。

「……はい。ええ、ここからは私鉄で5駅ほどですね。……はい。下手に車を使うよりその方が早いでしょう。ええ、休日の2号線に乗ったらアウトですからね。ええ、出来れば国道を避けて来てください。道は入り組んでいますが、殆どカーナビに乗ってますよ。……ええ、はい、では、閉鎖空間で。」

悲観的なメロディーを唄う携帯電話を黙らせ、必要な応答を繰り返してから通話を経ち、僕は恐る恐る長門さんの方へ視線をやった。もう、申し訳ないやら情けないやらでいっぱいだ。なんて言い訳しよう。しかし、そんな僕の心配をよそに、長門さんの反応は至極あっさりしたものだった。 

「……長門さん、あの……」 

「いってらっしゃい。」

「……はい?」

「……閉鎖空間の発生をわたしも確認した。あなたはそこにわたしを置いて向う。違う?」

「お、置いていくってそんな……!! ……いえ、確かにそうですね、間違いありません……。」

「……だから、いってらっしゃい。」

「…………!!」

正直に言えば、ショックだった。まさか、「仕事とわたし、どっちが大事なの?」と、問われるまでは考えていながったが、少しは残念がってくれるだろうと期待していたからだ。もちろん、それは僕の思い込みだったわけだけれど。

 しかし、僕は次の瞬間、先ほどのそれとは全く違うショックを受けることになる。 全く、彼女はいつだって僕を驚かしてくれる。教科書の相合傘然り、先ほどイルカショーでのこと然り。 しかし、それはいつだって僕を驚喜、そして狂喜させるものだ。

「そこで、神人を狩るのがあなたの超能力者としての役目。 涼宮ハルヒを観察することがわたしの対有機生命体用ヒューマノイドインターフェイスとしての役目。だから、あなたは閉鎖空間へ行くべき。……でも、どんなに巨大で多くの神人が犇めき合う閉鎖空間へ赴こうとも、必ずわたしの所へ帰ってくるのが、あなたの、わたしの恋人としての役目。そして、あなたの勝利を信じ、あなたの帰るべき場所であるのがわたしの、あなたの恋人としての役目。 だから、いってらっしゃい。……待ってる。」 

 鼻から牛乳ごときじゃ済まさないなどと、戯言を言ってごめんなさい。
僕には、帰りを待ってくれている人がいる。こんなにも幸せなことはない。

 僕は、もう一度改めて長門さんの目を真っ直ぐ見つめた。幼い頃、耳にタコが出来るほど、話すときは相手の目を見て話しなさいと言われていたことに今更ながらに感謝する。この癖があるおかげで、僕はこうやって真っ直ぐ彼女の瞳の美しさに気がつくことが出来たのだから。

「……では、いってきます。」

「……待って。」

 立ち上がり、出発の挨拶をする僕の首元に長門さんの白い手が伸びる。一瞬、どきりとした。体中の神経がそこに集中しているように感じる。ひんやりしたその手が、僕の私服のネクタイを摘んだ。そして、見つけているだけでうっとりしてしまいそうな2つの雲母の瞳が僕をいたずらに見上げる。

「ネクタイが、曲がっている。こんな状態のあなたを任務へ行かせたら、わたしが恥しい。 ……じっとして。」

 おそらく、ハルハルに水をかけられたときか、キスの際の騒動で乱れたのだろう。 自分でも気がつかなかったような衣服の乱れを、人、しかも恋人になったばかりの……、いや、長門さんに見つかったのはなかなかに恥ずかしい。 しかし、それ以上に長門さんにネクタイを直されているというこの状況の方が気恥ずかしい。嬉しくないといえば嘘になるけれど。むしろ、嬉しくて、おかしくなってしまいそうだ。

「出来た。……いってらっしゃい。」

ほんの数秒の出来事であったか、永久の出来事であったのかは、如何様にも取れる。しかし、肝心なのは長門さんが僕のタイを直したという事実と、僕を見上げる彼女の未だ少し不器用な笑顔だ。

「……行って来ます。出来るだけ早く、戻ってきますから……。」

 その後、僕は、赤面したまま長門さんに背を向け閉鎖空間へ向うべく歩き出し、目の前のゴミ箱に躓いて……コケた。

<水族館のその後に END> 
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おまけ

 

「森よ、折角のデートの最中の古泉を呼び出すほどの閉鎖空間ではないのではないのか?」

「新川。あんた、そんなんだから未だその歳で独り身なのよ。 女はね、確かに男の仕事と自分を天秤にかけて悶々と悩む生き物よ。 でもね、それ以上に働く男が好きな生き物でもあるの。 しかも、こんないい方したら驕りみたいだけど、古泉のあれは所謂ヒーローよ? 世界崩壊を防ぐために人知れず戦う光の戦士……まるで特撮ヒーローじゃない! そんな、働く男を支えて、帰りを待つのも女にとっては乙なもんよ。 まぁ、ただそれだけじゃダメだけどね。前時代的すぎるわ。 城を守るだけじゃなくて、自分で城をより堅固に、豊かにするのがこれからの女ってもんよ。 あの子になら絶対できるわ。むしろ、古泉の方が情けない感じなっちゃうかもね。 まぁ、それはさておきとして、コレもひとつもイベントなのよ! 2人の間がますます縮まること間違いなし!!」

「……解ったから、あまり車の中ではしゃがないでくれんか。折角の高級車が壊れる。」

「そんなわけないでしょ!! 失礼ね!!」

「はぁ……。しかし、お前も、人の恋愛につっこんでばかりおらんで自分のいい人を探せ。 今は美人だの、若いだの言われても、いつの間にか私のような規格外になるのだぞ。」

「……しょうがないじゃない、好きなのが〝鍵〟並に鈍感な自称「規格外」なんだから。」

「何か言ったか?」

「何にもー。」

<おまけ END>


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