プロローグ

 

 ある家のリビング──普通の家の、よくあるリビングだ。
電気はついていないので薄暗いが、階段から明りが漏れ、わずかに中の様子が見え
る。ソファとテーブルがあり、ソファと向かい合うようにテレビが置いてある。そのリビ
ングに、何の前触れもなく、忽然と女が現れた。どこからか入って来たのでも、物陰か
ら現れたのでもない。ただ、ある時間から突然そこに存在したのだ。

 

 彼女は辺りを見回すと、ソファのサイドテーブルにおいてあるリモコンを手に取った。
それでテレビをつける。チャンネルを回し、あるテレビ局で固定すると、直ぐにテレビ
を消した。少し、耳を澄ますようにそのままじっと佇む。

 

 やがて、満足そうに微笑むと、女はリモコンを元に戻した。

 


 そして────

 

 

 

****

 

 夜中にあたしは目が覚めた。時計を見る──夜中の0時半を少し過ぎたところだっ
た。いつも就寝は夜11時くらい。思ったより時間が経っていないんだな、とぼんやりす
る頭で考えてみる。
 別に胸騒ぎがするとか、そう言う気分だった訳じゃないわ。ただ、やけに蒸し暑くて、
喉が渇いただけ。気怠い気持ちでベッドから起き、階下へ飲み物を取りに行った。
 今夜は両親がいない。父は出張、母は親戚の家に用事があると言っていた。1人で
家にいることは、あたしにとって珍しいことではない。

 

 今日もいつも通りの1人の夜を明かすだけだと思っていた。

 

 階下に降りて冷蔵庫を開ける。冷蔵庫の中を見てちょっとの間考えた。
「何がいいかしらね。ジュース……より、喉が渇いているから麦茶かな」
ジュースは却下して、コップに麦茶を入れて一気に飲み干す。渇いていた喉が潤い、
あたしは少しホッとした気分になる。
「なんか、目が覚めたわね……」

 

 一瞬、キョンに電話かけようかと思ったけれどやめておこう。さすがにこの時間じゃ、
いくらキョンでも怒るわね。こういうとき、考えが自然とアイツのことになるのは、もう仕
方がないのかもしれない。最初はあたしも何でアイツのことなんか……って考えたけ
ど、もう開き直ったわ。一応付き合ってることになってるはずなのよね。少なくともあた
しはキョンが好きだ。これは、もう誤魔化しようがない。キョンもたぶん、あたしが好き
で付き合ってるんだろうけど、最近の態度を見てるとどうかしら、と思うわ。いや、態
度は前からよね。最初から、キョンは全然変わっていない。変わったのはあたし?

 

 今日両親がいないの、なんて言ったらキョンはどうするかしら? いや、やっぱりあた
しもそんな勇気はないわね。

 

 もう一度寝直そうとも思ったけど、ベッドに戻っても眠れない気がして、リビングでテ
レビでも見ることにした。どうせ眠れないなら同じよね。少しくらい夜更かししたって構

わない。

 

 あたしは飲み物が欲しかったから、階下に降りるとまっすぐに冷蔵庫に行った。冷
蔵庫からリビングは、あまり見えない位置関係になっていて、あたしはテレビをつけに
居間に行くまで“それ”に気がつかなかった。テレビをつけようとリモコンを手に取り、
ソファに腰掛けようとしたとき、“それ”が目に入った。

 

 リビングの窓際、ソファを回らないと、テーブルの影になって見えない場所。そこに
あるべきでないものが横たわっていた。

 


「!!!!」

 


 とっさに声が出なかった。

 

「……っ……ひっ……あっ……」
 叫び声をあげたかったのかもしれない。自分でもどうしたいのかは解らない。ただ喘
ぐだけで、声が喉にひっかかって上手く出ない。身体がガタガタ震えている。

 


 不自然な形に下り曲がった身体。
 見開いた目は、既に何も映すことはできないのが、一目で解った。
 青白い、血の気の失せた顔に浮かんでいる表情は恐怖か驚愕か──。

 


 孤島の合宿で見た偽物なんかとは違う、本物が持つ禍々しい雰囲気。

 


 そこにあったのは、知らない女の人の紛れもない“死体”だった──。

 


「いやあああああああああ!!!!」

 

 始めてまともに出た声は、悲鳴となって家中に響いた。だが、家には誰もいない。助
けてくれる人は誰もいない。あたしは恐怖と混乱で取り乱して、部屋に駆け戻った。

 

 本来なら直ぐに警察に連絡するべきだったのだろう。だけど、あたしは怖かった。
誰に助けて欲しかった。

 

 気がつくと、携帯を手に取り、一番かけ慣れた番号を呼び出していた。

 


『なんだ、こんな時間に』
 しばらく呼び出した後、少し不機嫌そうな声が聞こえてきた。あたしは聞き慣れたそ
の声にすがりついた。
「キョン……キョン、助けて……!」
『どうした!? 何があった!?』
 あたしの様子がおかしいと直ぐに感じてくれたのでしょうね。声から不機嫌さが消え
て代わりに真剣味が加わった。
「あ、あたしの家で……」
 上手く言葉が継げないあたしは、唾を飲み込んでから続けた。
「誰かが死んでる! 知らない人が死んでる!!!」
『何だって!?』
「家には誰もいないの! お願い、家に来て!!」
 1人でいるのが怖かった。誰かに──キョンに、そばに居て欲しかった。
『わかった。直ぐ行くから待ってろ』
 キョンはそう言って電話を切った。

 

 キョンが来てくれると思うと少し落ち着いた。“あれ”について、少し考える余裕ができ
た。見たのはわずかな時間だったけど、目に焼き付いている。顔は青ざめていたし、
表情も普通じゃなかったけど──知らない人だわ。あたしには見覚えがない。誰かに
似ている気もする──誰?

 

 夜、寝る前には確かにそんな物はなかった。あたしは寝る前までテレビを見ていた
んだもの。あんな物があったら気がつかないわけがない。だったら、あれはあたしが
寝た11時から起きた0時半までに、あそこに来たことになる。

 

 誰かがこの家にあの女の人を連れてきて──
 そこまで考えてあたしは身震いした。誰かがあたしの家で人を殺したってこと!?

 

 あたしは家にいるのが怖くなって外に出た。祈りにも似た気持ちで、門の前でキョン
を待つ。

 


 キョン、早く来て!

 

 

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