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―――・・・。

「こんにちは!・・・ふうん、あなたが転校生の、」
また、この夢だ。
僕の記憶にある姿よりも随分と髪の短い、そして何故か北高校のセーラー服を着た彼女が、僕を上から下まで舐め回すように見つめている。
「うん、謎ね。長身のイケメンってところも謎の加点要因だわ!あ、ごめんごめん!自己紹介が遅れたわね!あたし、涼宮ハルヒ!あなたは?」
「古泉一樹です。よろしくお願いします。」
「古泉君ね!よし、行きましょう!」
「えっ、どこへですか?」
「我らがSOS団の活動場所となっている文芸部室へよ!特別に案内してあげるわ!」
そう言って、彼女は僕の手を取る。夢であるはずなのに、この手のぬくもりだけは妙にリアルだ。
「はて、SOS団とは?」
「細かい説明はあとあと!」
強引に僕の腕を引っ張ってずんずんと突き進む。そして、首だけをこちらに向けた彼女が、100万ワットの輝きを持った笑顔を僕に見せるのだ。
「あなたは即戦力なんだからね!」

僕の夢は、いつもそこで終わってしまう。

 

さすがに12月ともなれば朝は一苦労だ。僕の頭上に置かれた目覚まし時計がしつこく鳴り響いているにも関わらず、寒さ故に起き上がることができずにいる。
やっとの思いで体から布団を剥がし、温もりが恋しくならないうちに起き上がると洗面所へ足を進める。
少し寝癖の付いた髪の毛を整え、歯を磨く。朝食は最近取っていない。こうして一人暮らしをしていると、どうしてもきちんとした生活が難しくなってしまうものだ。
昨日アイロンをかけそびれたため少々シワのよった学ランに袖を通し、一通り準備を終えたところで一息ついた。
僕はここ数日、毎晩のようにあの夢を見ている。
見知らぬ教室。突如飛び込んでくる、聞きなれた(いつも聞いている声よりかは、若干トーンが高いのだけれども)声、そして、北高校のセーラー服を身にまとった、セミロングヘアの彼女。
涼宮ハルヒ。
僕の、好きな人。
元気よく登場した彼女は僕を上から下まで見回した後、なんとか団がどうたら・・・とか言いながら、強引に手を引いてどこかへ連れて行こうとする。
そして、いつもその辺りで夢から覚めてしまうのだ。
何なのだろう、この夢は。何故涼宮さんが北高の制服を着ているのだろう。なんとか団とは何のことを言っているのだろう。
そして、何故毎晩のようにこの夢を見ているのだろう。
確かに光陽園学院に転入してきた際涼宮さんが僕を「謎の転校生」と称し、少なからず興味を持ってくれた。今では、特に謎のない僕に飽きてしまっているようだが。
しかし、今まで一度だって、涼宮さんが僕に笑顔を見せたことなど無かった。

 

ピンポーン。
不意に、チャイムが鳴る。我に返った僕は時計を見るなり冷や汗をかいた。すぐに玄関へ向かいドアを開くと、いつもより不機嫌を二倍顔に浮かべた涼宮さんが腕組をしていた。
「今何時だと思ってんのよ?遅刻は罰金よ」
「も、申し訳ありません!つい・・・、寝坊してしまって」
「ふうん、古泉君でも寝坊するのね。てっきり何かあったのかと思ったじゃない」
腰まで伸びた長く綺麗な黒髪を後ろにはらい、
「行くわよ」
ムスっとした声でそう告げる。僕は急いで鞄を取りに戻り、涼宮さんと肩を並べてマンションを出る。
携帯を開くと、着信履歴は「涼宮ハルヒ」で埋め尽くされている状態だった。毎朝涼宮さんと待ち合わせている時間を裕に15分も過ぎている。僕はそんなに考え事に耽っていたのか。
しかし、待ち合わせ時刻を一分でも過ぎようものなら先に学校へ向かってしまいそうな涼宮さんがわざわざ遅刻してまで僕を迎えに来てくれるとは思っておらず、僕の胸は彼女の心情と裏腹に高鳴っていた。
『てっきり何かあったのかと思ったじゃない』
こうして、時々優しい涼宮さんが、僕は好きで好きで仕方が無いのだ。

だからこそ、思う。
この人を笑顔にしてやりたいと。
既に遅刻が確定的なためか諦めてゆっくりと歩みを進めている彼女の横顔を、気づかれないように見つめながらそう考えていた。 


今日も何事も無く放課後を向かえる。これ以上涼宮さんを待たせてしまうと本気で嫌われるような気がした僕は、いつもより急ぎ足で涼宮さんのクラスへと向かった。
「涼宮さん」
見慣れた後姿に一声かけると彼女は気だるそうに振り向き、そのまま無言で歩き出した。
「今日は、何かありましたか?」
「別に。宣伝用の飛行船がUFOに見えて一瞬のときめきを覚えたくらいね」
前を見つめながら、大きくため息をつく。今日「も」憂鬱なようだ。
「今日はこの後どうされますか?」
「帰る」
短く即答する。
毎日放課後どこかへ出向いているわけではない。ほんの時々だ。昨日は涼宮さんご愛読のUMA雑誌を買いに隣町まで出向き、僕は束の間のデート気分を堪能していたりもした。
勿論、彼女はそんなこと微塵も考えてはいないだろうけど。
下校中僕は彼女に度々声をかけるのだが、どんな話題を振ろうとも、やはり涼宮さんは気だるそうに短い言葉をポツリと返すだけ。僕の話など、どうでもいいのだろう。
いや、彼女にとっては僕などどうでもいいのだろう。わかっている。涼宮さんがこうして僕を隣に置いてくれるのは、単に僕が転校生だからなのだ。
「じゃあね古泉君。明日遅刻したら死刑だからね」
そうこうしているうちに、涼宮さんの自宅へと辿り着く。隣を歩いていた彼女は僕より一歩前に出て振り返り、そう告げる。
「今朝はすみませんでした。明日は、必ず」
軽く頭を下げると、彼女は小さくため息をつき僕に背を向けた。僕も、彼女に背を向け帰路につく。
「古泉君」
不意に数歩歩いたところで突然後ろから名前を呼ばれ、振り返る。
「・・・どうされました?」
言うまでも無く、涼宮さんが僕を呼び止めたのだ。彼女はやや悲しげな表情を浮かべながらアスファルトを見つめている。
既に沈みかけている夕日が、彼女の漆黒のブレザーをほんのり赤く染めている。人通りの少ない住宅街はほとんど無音に等しく、その重苦しい沈黙に、情けなくも僕は逃げ出したい衝動に駆られていた。
「―――自分がこの地球上で、どれほどちっぽけな存在だか、自覚したことある?」
やがて、決心したかのように小さく息を吸い込んだ涼宮さんが沈黙を破った。
投げかけられた突然の問いに、僕は返答を持ち合わせておらず、ただ沈黙した。涼宮さんは僕の答えなど待っていなかったかのように、言葉を続ける。
小学校6年生だった彼女は、野球場の大勢の人間を見て驚愕した。
しかし、そんな溢れんばかりの五万人程の人間も、日本の人口ではほんの二千分の一で。
そして彼女は、そのほんの一部の、ほんの一人の少女。
それに気づいた途端、何もかもがつまらなくなったと。
「高校に入学すれば、・・・少しは何かが変わると思ってた」
話し終えた涼宮さんは、肩を動かし大きくため息をついた。目線は先程と変わらずずっと僕の足元を見つめている。
僕は、ただただ絶句していた。彼女はそんな無言を貫く僕を一瞥すると、「じゃあ」とだけ短く告げ、僕に背を向けた。

しばらく、僕はその場に立ち尽くしていた。
何も言うことの出来なかった自分が、情けなくて、憂鬱だ。

―――これだけの人が居たら、その中にはちっとも普通じゃなく面白い人生を送っている人もいるんだ。そうに違いないと思ったの。
・・・それがあたしじゃないのは、何故?

家路を辿っている途中、彼女の言葉がなんだか酷く胸を締め付けていた。

 

 

―――・・・。

「あなたが転校生?」
腰まである長い黒髪をはらい腕組をした彼女が、意思の強そうな大きな瞳で僕を見つめている。
「こんな時期に転校してくるなんて、謎ね。謎の転校生ね。あ、自己紹介が遅れたわ。あたし、涼宮ハルヒ。」
「古泉一樹です。よろしくお願いします。」
彼女は深くため息をつくと、
「ちょっと放課後付き合ってよね。こんな時期に転校してきた理由を聞かせて頂戴。まぁ、謎の転校生が本当のことを話すとも思えないんだけど。どうせ親の転勤、とか言うんでしょ?」
「え・・・えぇ、まぁ、似たよな感じでして」
「そう。まぁいいわ。行くわよ」
気だるそうな声でそう言い、僕の腕を取った。

これは、僕の記憶だ。
涼宮さんと初めて出会った時の記憶。
そう、僕はこの瞬間から涼宮さんに恋をしていた。一目惚れだったのだ。

僕の記憶の中の涼宮さんは、笑っていない。
今までに一度だって、あの夢のように笑ったことなどないのだ。
僕は彼女を笑顔にしてやれない。
じゃあ、誰なんだ?
「あの」涼宮さんを笑顔にしたのは、誰なんだ?

 

 

アラームの音が僕の頭の中にうるさく響き、目が覚めた。今日の夢は、毎晩見ていたおかしな夢ではなかったが・・・何だか酷く目覚めが悪い。
今朝も朝食は取らずに、アイロンをぴっちりとかけてあるブレザーに袖を通す。時計に目をやると、今日は約束の時間までだいぶ余裕があるようだ。
最近の僕は何故夢に悩まされているのだろう。毎晩見ていた夢に出てくる涼宮さんは今日見たものと違って、おかしい。おかしいのだが―――・・・
何故だろう?今日見た、僕の記憶通りの涼宮さんの方が、違和感を激しく感じてしまう。
そして、彼女に握られた手。
何故あのおかしな夢の方が、こんなにも温もりがリアルなのだろう。


今日も何事も無く放課後を迎えた。涼宮さんは相変わらずの不機嫌で、僕は相変わらず彼女の機嫌取りを試みている。
何も変わらない、いつもと同じ放課後だ。このまま、何も起きることなく一日が終わるものだと思っていたのに。
それは、何の前触れも無く突然始まった。 


「おい!」
校門を差し掛かったところで、すぐ前方から声がした。俯き気味に歩いていた涼宮さんはその声に反応し顔をあげる。
「何よ。ていうか誰よアンタ?ナンパなら他をあたってくれない、そんな気分じゃないの」
目の前に居る、深緑色のブレザーを着た北高生と思われる男に、彼女は冷たい視線を向けている。僕もその男に、無感動な視線を向ける。
すると男は不意に僕へと視線を向け、
「お前ともはじめましてになるのか」
などと、不思議なことを言う。僕は肩をすくめて見せ、それを肯定した。
「どちら様でしたでしょうか」
「ここでもお前は転校生なのか?」
僕の質問は無視し、男は続ける。何故僕が転校してきたことを知っている?そして、「ここでも」とは?
「キカンという組織に思い当たることはないか」
「キカン・・・ですか?どういう字を当てるのでしょう」
わけもわからぬ質問に、僕は顔に微笑を浮かべながら思ったままを答える。すると彼は「やれやれ」とでも言いたげな顔をしてため息をつき、僕の隣に居る彼女へ目を向ける。
「ハルヒ」
彼女がピクリと反応する。
「誰に断ってあたしを呼び捨てにするわけ?なんなのよ、ストーカー?そこをどいて頂戴、邪魔よ」 
「涼宮」
「苗字だってお断りよ。大体なんであたしの名前を知ってるわけ?東中出身?その制服、北高よね。何でこんなところにいんのよ」
彼女はそこまで言い終えるとぷい、とそっぽを向き、
「行きましょ古泉君。こんな失礼なアホに構うことないわ。」
と、歩みを再開しようとした。
「待ってくれ」
「放しなさいよ!」
男が涼宮さんの肩を掴む。僕が彼を涼宮さんから引き剥がす前に、彼女は体勢を沈めて華麗にローキックを決めてみせた。
男は顔を苦痛に歪めたが、それでもひるむことなく涼宮さんを見つめている。何なんだ、この男は。
「一つだけ教えてくれ、三年前の七夕を覚えているか?」
歩き出そうとしていた涼宮さんがピタリと動きを止めた。
「あの日、お前は中学校に忍び込んで校庭に白線で絵を描いたよな」
「それが?」
その話は、僕も涼宮さんと同じ中学だった友人から聞いたことがあった。
「夜の学校に潜り込んだのはお前だけじゃなかったはずだ。朝比奈・・・女の子を背負った男が一緒に居て、お前はそいつと絵文字を描いた。それは彦星と織姫宛のメッセージだ。
内容はたぶん、『わたしはここにいる』―――」
彼がそこまで言うと、涼宮さんが僕の横を離れ、男のネクタイを掴み挙げた。勢いあまって彼女の頭に額をぶつけた彼は、再び苦痛を顔に浮かべ、
「いってぇな!」
と彼女を睨みつけた。 涼宮さんは怒った表情をし、かつ戸惑ったような声で、
「どうして知ってんのよ。誰から聞いたの?いいえ、あたしは誰にも言ってない・・・」
彼女はハッとし、至近距離で男の制服を凝視した。
「北高・・・まさか。あんた、名前は?」
「・・・ジョン・スミス」
彼は少しの沈黙の後、息苦しそうにそう答えた。
涼宮さんが彼のネクタイを放し、片手を静止させたまま男が発した名前を復唱した。
「・・・あんたが?あのジョンだって言うの?東中で・・・あれを手伝ってくれた・・・変な高校生・・・」
不意に彼女がよろめき、僕は咄嗟に腕を伸ばして肩を支えてやる。
蚊帳の外の僕はわけのわからぬまま彼の方に視線をやると、何故か激しく安堵したような表情を浮かべながら彼女を見つめていた。
・・・なんなんだ?これは。
「・・・詳しいわけを話したい。これから時間あるか?ちょっとばかり長い話になりそうなんだが」
彼がそう言うと、絶句していた涼宮さん僕から離れ、
「もちろんよ」
と、宣戦布告を受けたかのように言葉を返した。彼は頷き、次は僕に「お前も大丈夫か」声をかけてくる。もちろん、僕も頷いた。


とりあえず近くにあった喫茶店に入る。席につくなり彼は落ち着かない様子で語りだした。
「俺の知っているお前は北高にいて、入学式のあとにこんなことを言ったんだ・・・」
彼の話は、到底信じられるものでは無かった。正直、僕は素直に「何だこいつ」といった感想を抱いた。
彼の居た世界では、宇宙人に未来人、そして超能力者――は、僕のことらしい――が揃う団体に、僕達は所属していたらしい。
「世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団。略して、SOS団だ」
テーブルに置かれたホットコーヒーを握った手が、思わずピクリと動いた。
―――SOS団?
毎晩見ていた夢で、涼宮さんが発していた単語だ。
「SOS団が活動していた場所はどちらでしたか?」
「主に文芸部室だが・・・」
「僕はそちらでも転校生だったのですよね?僕が北高にやってきた当時の涼宮さんは、僕を何と称しておりましたか?」
質問攻めの僕に彼は一度驚いた表情を浮かべた。
「そうだな・・・即戦力の謎の転校生、だとか何とか言ってたな・・・。で、何だ?それがどうかしたのかよ」
手が、震える。それを悟られないようにと、手を膝の上へと戻し、ギュッと握る。
「ちょっと古泉君!自分の登場シーンが気になる気持ちはわかるけど、あたしはその先が気になってるの!中断させないでよね!」
「す・・・すみません」
彼は読み取れない表情で僕に視線を向けてくる。僕は、震える拳を椅子へ押し付けて「続きをどうぞ」、と微笑を投げかける。
正直、笑っていられる状況などではない。本当ならば現実だとは言いがたい出来事だが、それと夢が繋がってしまった。
いや・・・あれは単なる夢ではない、ということになるのだ。

一通り話し終えた彼は、続けてこう述べた。
「こう考えているんだ。俺は元の世界からこの世界へ、パラレルワールドに飛んできちまったのか。それとも、世界が俺を除いてまるごと変化しちまったのか・・・。
なぁ古泉、お前はどう考える?」
僕に話を振った彼は、小声で「俺の知っているお前はこういうことを考えるのが好きだったからな」と付け加えた。
相変わらず手の震えを止めることのできない僕は、一息置いて、思うままを告げた。
「前者の場合ですと、この世界に居た別のあなたがどこへ行ってしまったのかが謎です」
彼がうん、と頷くのを確認し、僕は続ける。
「後者の場合ですと、何故あなただけが放置されたのかが謎です。特に不思議な能力を持たないあなただけが」
彼は再び深く頷く。
「いかにも古泉らしい返答だ」
「・・・しかし」
僕の言葉に、隣の彼女も視線を僕に向ける。
「僕が考えているのは・・・、後者です」
「・・・ほう、何故だ」
言うべきか、言わないべきか。少し迷ったが、どうやら僕の夢は大きな鍵となっているかもしれないと気づいてしまったからには、言わない他は無い。 
「実を言いますとここ数日、僕は同じ夢を見ているのです。知らない学校で、北高のセーラー服を着たセミロングの涼宮さんが、僕を文芸部室に連れて行く夢を。
先程貴方が言っていた通り、その時の彼女は僕を即戦力だと言っていた。そして、確かにSOS団という単語も」
「本当か!?」
彼の大きな声で、僕の話は遮られる。僕が微笑を浮かべて頷いてやると、彼は天井を見つめながら深くため息をついた。
「世界が変化してしまったとしたならば、僕が以前の記憶の断片を見ていると考えてもおかしくはないと思うのですが」
「・・・ああ、そうかもしれないな」
不意に僕が彼女に視線をやると、驚くべきことに、彼女は目を爛々と輝かせていた。こんな彼女を見るのは初めてだ。彼女は僕の今の発言など聞いていなかったような様子で、
「その時のジョンが、あんたなわけか・・・うん、信じてみるのも悪くないわね!」
「やけに理解が早いな。」
「だって、そっちの方が断然面白いじゃないの!!」
僕は更に愕然とした。彼女が大輪の花を咲かすような笑顔を、目の前に座った彼に向けている。
あの涼宮さんが、とても楽しそうに笑っているのだ。
―――まるで、あの夢の中の彼女のように。
「その長門さんと朝比奈さんって人にも会ってみたいわ!それに、その部室にも行ってみたい。ねぇジョン、世界を変えたのがあたしだったら、そこに行けば何か思い出すかもしれないし!」
「ああ、反対する理由は無いな」
「じゃ、行きましょ!」
「どこへだ」
「北高に決まってるじゃない!!」
そう言うなり、涼宮さんはスキップしながら喫茶店を出て行った。

 


伝票を持ち、立ち上がろうとすると斜め前に座っている彼が僕の名を呼んだ。
「やったのはハルヒか、他にこの状況を生み出した奴がいるのか。どっちが正解だと思う?」
「・・・あるいは、あなたの言う涼宮さんが本当に神様みたいな力を持っているのであれば、その彼女がしたのかもしれません」
「他に該当者を思いつかないからな。でもな、そうだとしたらハルヒは古泉だけを側に置いて俺たちをほったらかしにしたことになるんだ。
自分で言うのもなんだが、ハルヒが俺たち以上にお前に執着を持っているようには見えなかったんだが」
そうでしょうね。彼の言葉に、僕はくくっ、と笑い声を漏らした。
「そちらの僕も、彼女に片思いでしたか」
「・・・今、何て?」
彼が少し目を見開きながら聞き返してくる。
「僕は、涼宮さんが好きなのですが・・・そちらの僕は違ったのですか?」
「正気かよ。向こうのお前はそんな素振り微塵も見せてなかったが・・・いや、ていうかありえない」
おかしな物でも見るようにして僕を見つめる彼を尻目に、僕はすっかりぬるくなってしまったコーヒーを飲み干していた。
少しだけ、胸が痛い。
「涼宮さんは、僕の属性にしか興味が無いのですよ。僕が転校生でなければ、隣に置いてもらえる事など無かった。
・・・貴方は、何の属性も無かったのでしたよね?」
彼が真剣な顔をして頷く。僕はそれに対し、力無い笑みを返す。
「だとしたら、貴方は本当に涼宮さんに気に入られたということなのですよ。」
・・・その理由も、わかります。
夢の中の――そちらの世界の涼宮さんも、僕の知っている、涼宮さんも。
彼女を笑顔にしたのは、貴方なんだ。
僕ではなく、貴方が。
「二人とも何してんのー!早く着なさい!」
開かれた自動ドアの向こうで、涼宮さんが実にいい笑顔で怒鳴っている。そんな彼女を見ていると、自然と頬が上がるのを感じた。例え笑顔の理由が僕でなくても、彼女の憂鬱が少しでも晴れるなら。
3人分の飲料代を清算しつつ、僕は外で待つ二人に目をやった。僕には決して見せない、楽しそうな表情を浮かべた涼宮さんが、彼と何やら話しこんでいる。
彼と涼宮さんの間を漂う白い息を見つめながら、僕は思った。
彼が言うように、本当にこの世界が改変されたものだったとしたら。彼の世界とこの世界が繋がって、それが元に戻されることになるのだとしたら。
―――僕のこの気持ちは、どうなる?

 


タクシーの中で涼宮さんが小声で話した北高侵入作戦は、北高生に変装するというものだった。
僕が彼の体操着を着て、涼宮さんが彼のジャージを穿き、ランニング帰りの運動部に見せかけてそのまま校内へ侵入する作戦だ。
僕は彼女がそんな大胆な作戦に出ることに驚いたのだが、彼は「お前らしいよ」と関心した表情を浮かべていた。彼は涼宮さんのことをよく知っているようだ。今更だが、僕は本当に涼宮さんのことを何も知らないんだなと痛感した。
北高に到着し、彼が教室へ体操着を取りに行く。二人っきりになった途端に、涼宮さんが口を開いた。
「ジョンって不思議。どうしてこんなに懐かしい感じがするんだろう。一度会ったことあるっていってもほんの数時間だけなのに・・・」
微笑を浮かべながら、涼宮さんが言う。彼女は今自分がどんな表情をしているのかわかっているのだろうか。それは、まるで・・・、いや、言うまい。
「彼の言うことが正しいとするならば、僕達は一度や二度顔を合わせただけの関係では無いということになりますからね。そう考えると、不思議です」
「ねぇ古泉君」
彼女が腰に手を当て、僕と向き合う。
「ジョンの言うことが全て本当で、本当にこの世界が作り変えられたものだったのなら・・・あたしたちが過ごしてきた今までの時間は、何なんだと思う?」
涼宮さんが僕に疑問系で言葉を投げかけてくるなど滅多にないのに、などと考えながら、僕は思いついたままに返事をした。
「僕達が今持っている記憶は、架空の記憶ということになりますね」
「やっぱりそうなるわよね。・・・でもさ」
涼宮さんは顎に手を沿え、付け加える。
「あたしはそれでもいいかもしれないって思える。だって、ジョンの言う世界のあたしの方が断然楽しいに決まってるわ!ね、古泉君もそう思うでしょ?」
「・・・」
思わず、押し黙ってしまう。
まだ見慣れぬ彼女の笑顔に、ほんの少し不安が混ざったところでまずいと気付き、思ってもない肯定の言葉を彼女に返す。
そんなの、いいわけが無い。
確かに僕だって、超能力を持った自分の方が今の平凡な生活よりはよっぽど楽しいかもしれないと思う。そういうものに憧れたことがないと言えば嘘になる。
だけど。
僕が抱いている感情でさえ、創られたものなのか?彼の世界の僕は、涼宮さんに恋愛感情など抱いていないのに。
涼宮さん。この世界を創ったのが、あなたならば・・・、
何故僕に、叶わぬ恋などさせたのですか?

 


「ほらよ」
彼が教室から体操袋を提げて戻ってくる。それを受け取った涼宮さんは、何の躊躇も無く着替えを始める。無防備もいいところだ。
この時期に半袖短パンというのは辛いものがあった。本当にこのまま校庭3週ほどして体を暖めたい気分だ。
そして、彼の要望でポニーテールにした彼女の大きな掛け声に合わせて、僕達はいとも簡単に北高侵入を果たした。
涼宮さんの無茶なデタラメによって書道部の朝比奈みくるさん――彼によると未来人の――を連行しつつ、僕は鳥肌のたった両腕をさすり寒さに耐えながら、僕達はついにSOS団の活動場所となる文芸部室へとたどり着いた。
彼が部室の扉をノックする。すると、僕は猛烈な既視感に襲われた。何だか嫌な予感がしたのだが、それこそ光陽園学院にもあるようないたって普通の部室だったからだろうという理由をこじつけておく。
「よう、長門」
開かれたドアの先に居る一女子高生に彼が声をかける。そこには、まさしく文芸部員とでも言わんばかりな控えめの眼鏡少女がパイプ椅子に腰掛けていて、僕を見るなり絶句した。無理も無いだろうが。
「こんにちは!」
僕が毎晩見ていた夢のように、明るく挨拶をする涼宮さん。一通り自己紹介を終えた後、
「ふーん、ここがそうなの。SOS団かぁ・・・。何もないけどいい部屋ね!」
と、目を輝かせながら部室全体を見渡していた。
「さぁ、これからどうする?」
突っ込むまでも無いのだが、ノープランらしい。即席で考えたであろう今後の事をマシンガンのように喋り倒す彼女を見つめながら意味ありげな表情を浮かべた彼が口を開いた途端・・・

ピポ

と、部屋の片隅にあったパソコンが音を上げた。 
彼がすばやい動作でPCの前に移動し、何やら落ち着かない様子でディスプレイを見つめている。わけのわからぬ我々も、とりあえず彼の後ろに回りそれを観察する。
ダークグレイのモニタ上に、白い文字が走る。

YUKI.N>これをあなたが読んでいる時、私は私ではないだろう。

彼の安堵したような深いため息が聞こえる。
「何?スイッチも押してないのに。びっくりしたわ」
「タイマーがセットされていたのでしょうか。それにしてもこのパソコン、えらく古いものですね。」
僕達が会話している間も、僕には理解し難い文章がディスプレイに流れていく。

YUKI.N>このメッセージが表示されたということは、そこには貴方、私、涼宮ハルヒ、朝比奈みくる、古泉一樹が存在しているはずである。

僕の名前がディスプレイに表示されているのを見て、少しばかり驚く。貴方、私とあることから、この謎のメッセージは長門さん――ここに居る彼女では無いようだけど――からのものなのだろう。

YUKI.N>それが鍵。貴方は解答を見つけ出した。

その文章は、先程のいやな予感を倍増させるものとなった。・・・まさか。

 

YUKI.N>これは緊急脱出プログラムである。起動させる場合はエンターキーを、そうでない場合はそれ以外のキーを選択せよ。起動させた場合、あなたは時空修正の機会を得る。
ただし成功は保障できない。また帰還の保障もできない。
このプログラムが起動するのは一度きりである。実行ののち、消去される。非実行が選択された場合は起動せずに消去される。Ready?

末尾で点滅しているカーソルが、文章の終わりを告げる。彼は画面を見つめたまま何やら考え込んでいるようである。
緊急脱出プログラム、時空修正。これだけでは到底理解には及ばないし、彼を問いただしたところでわかることでもないのだろう。だが、大体の状況は把握できる。
Enterキーを押せば、「元の世界」に戻れるかもしれないということだ。
僕の心臓が、悲痛な叫びを上げて高鳴る。おそらく、彼も同じだろう。僕とは違った意味で。
「ちょっと、何なのこれ?ジョン説明してよ。あんたやっぱりあたしをからかってるだけなんじゃないでしょうね」
僕の隣に居る涼宮さんの言葉を無視し、彼は眼鏡を抑えて驚きの表情を浮かべている長門さんに声をかける。
「長門、これに心当たりはないか?」
「・・・ない」
「本当にないのか?」
「どうして?」
長門さんがそこまで言うと、彼はもう一度PCに視線を戻す。わけがわからないと怒りに似た声をあげている涼宮さんを黙らせると、一旦沈黙し、やがてブレザーのポケットから何やらくしゃくしゃの紙を取り出し、長門さんと向き合う。
「長門、すまない。これは返すよ」
「そう・・・」
心底悲しそうな表情を浮かべた長門さんが、震えた手でそれを受け取っている。急ぐように彼が「だがな、」とつけたし、
「実を言うと俺はわざわざ文芸部に入部するまでもなく、最初からこの部屋の住人だったんだ」
と、言う。SOS団のことを言っているのだろうが、何も聞いていないであろう長門さんは顔を伏せたままで居る。

 

「・・・古泉」
彼は振り向くと、先程よりも少し低い声で僕の名を呼ぶ。
「お前なら説明しなくてもわかるんだろ」
「・・・ええ」
僕もそれに対して、控えめな声を発する。手が震え、拳をギュッと握り締める。―――寒さのせいか、それとも。
「これも、言わずともお前ならわかると思うが・・・俺は、」
「ええ、わかります」
現実とも言いがたい現実を逃避するように、僕は彼の言葉を遮る。言わなくていい。いや、言わないで欲しい。
「・・・俺が言うのも何だと思うのだが」
彼が僕の震える方を掴み、熱い視線で語りかける。
「これから先どうなるのかは俺にもわからない。もちろん最善をつくすさ。また『この部室で』お前達に会えるように。だが、『お前達』とはどうやらお別れのようなんだ」
「・・・」
「・・・古泉。一生の別れじゃない。ないが、お前には今しか伝えられないことがあるんじゃないのか?」
彼の遠まわしの表現を、理解するのは容易かった。僕は固く唇を結び、隣の涼宮さんに目をやる。どうやら彼女もこの状況を理解したらしく、大きな瞳には決意のようなものが浮かんでいた。
大きく息を吸い込み、もう一度彼に視線を戻す。ほぼ彼と同タイミングでゆっくりと頷き、今度は涼宮さんと向き合う。
「・・・涼宮さん」
「・・・」
これから僕が何を言い出すのかでさえ、もう彼女は気づいているのだろう。以前彼女が恋愛感情は精神病の一種だと言い放っていたことも、今まで言い寄ってきた男をバサバサと切り捨てていたことも、今は関係の無いことだ。
「僕は・・・出会った日から、貴方のことが」
目の前に居る彼女が、夢で見た北高セーラー服の彼女と被って見える。邪魔しないでくれ古泉一樹。あともう少しだけ待ってくれ。
「・・・好きでした」
言ってしまったという実感も無いまま、ほんの少しだけ目を潤ませた彼女に向かって僕は続けた。
「昨日貴方は・・・、自分は世界中のほんの一人でしかないと言いました。でも・・・僕にとって、貴方は誰より『特別』です。
世界中にたった一人しかいない貴方を好きになれて・・・よかった」
ここに居る貴方が、偽りだとしても。
僕のこの感情が、創られたものだとしても。
目の前に居る涼宮ハルヒを愛した古泉一樹だけは、本当だと思うから。
「・・・ありがとう」
優しい言葉と、穏やかな微笑。それを見遣った僕は、最後にカチ、とキーが押される音を耳にした。 

 


「―――とまぁ、大雑把に説明するとこんな感じだな」
リンゴの皮を向き続ける僕に、彼がため息交じりで今までの出来事を簡潔に説明してくれていた。
病院独特の匂いが漂う病室で、ベッドに腰掛けたままの彼が小さく声を漏らしながら伸びをしている。彼が目覚めたのは、ほんの数時間前のことだ。
「驚いたぜ。何せお前が、ハルヒのことを好きだなんて言うんだからな」
「魅力的な方だとは思いますけどね」
「それは前にも聞いたぞ。・・・で、」
彼が不意に声を詰まらせる。リンゴに向けていた視線を彼の方へ向けると、「察してくれ」とでも言わんばかりの表情で、目を落ち着き無く漂わせていた。
「・・・魅力的な方だとは思いますが、今の僕に彼女への恋愛感情というものはありませんよ。ご安心を」
「何で俺が安心しなくちゃならないんだよ。まぁ、お前がますます変な方向へ走っちまうんじゃないかと思っていた面では安心したがな」
ご冗談を。
そのうちほんのり頬でも染め出すのではないかと思う程わかりやすい彼に、僕はくすり、と微笑を向けた。

実を言うと、貴方が説明するまでも無く、僕にもあるのですよ。・・・あの数日間の記憶が。
勿論、涼宮さんや朝比奈さんには、その時の記憶は無いのだろう。何故僕にこの記憶が残されたのかはわからないが、僕が見ていた夢が鍵となったということが関係しているのかもしれない。
先程も言ったように、今の僕にはもう、涼宮さんへの気持ちは残っていない。それはあくまで「あの」古泉一樹が抱いていた感情であり、僕ではない。
でも、しっかりと覚えている。
この先もずっと忘れることは無いだろう。
涼宮さんに恋をしていた、僕を。
そして、彼女が最後に見せた、彼ではなく・・・僕がさせた、彼女の笑顔を。

見ていてください、古泉一樹。僕は超能力者として、これからもずっと守ってみせますよ。 

 

彼女が、笑っていられる世界を。

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