神聖な日曜日。週休二日のはずが、俺にとっては唯一の安息日となる日曜日だ。
世界は眩しい光に満ちていた。雲一つない空に調子づいた太陽が、紫外線やら赤外線やら可視光線やらをガンガンふりまいている。
親は妹をつれ出掛けてしまった。目的は子供向けアニメ映画の鑑賞だ。誘われはしたものの、さすがに行く気にはならん。
シャミセンしかいない家の鍵を掛けて、自転車を引っ張り出した。
自重を知らぬ太陽のおかげでたいしたことをしていないのに、汗が流れ出してくる。
しかしこの程度のことでめげるわけにはいかない。
タオルを首にかけて、いざ出発しようではないか。
はるか彼方にあるホームセンターに。

自転車で20分も掛かるホームセンターに出掛けるのは訳がある。
シャミセン用キャットフードがなくなってしまったためだ。
キャットフードのストックを探したがない。親に聞いたところで、ないものはない。妹に聞いたところで知らないのは、当たり前か。
近所のペットショップまで歩いて5分。ショップでキャットフードと、ついでに涼を求めればよかろう。
そう思って出かけたが、店内改装のために休業、そんな突然すぎる張り紙を呆然と眺めただけに終わった。
他には入るのすらためらわれるようなペットショップしか知らず、近所にあったホームセンターは去年つぶれてしまった。
ちょっと離れたところに開店したホームセンターに、客を奪われたともっぱらの噂だ。
その新しいホームセンターはいわゆる郊外型というやつで、ホームセンターだけでなくいくつかのテナントが隣接している。
たしか、レンタルビデオ屋にドラッグストアにゲーム屋に……あとなにがあったっけ?
とにかく俺がしたたる汗をものともせず自転車で向かっているのが、そのホームセンターだ。

自転車で走れば風が生まれ、その風と太陽が汗を飛ばしてしまう。喉が渇く前になんか飲み物が欲しい。
とある公園の入り口で自販機を見つけ、自転車を止めた。
自転車を止めた途端に、汗が吹き出した。首に掛けたタオルで汗を拭いながら、自販機でスポーツドリンクを買う。
なんとなく汗の原料を仕入れてるだけにも思うが、熱射病で行き倒れなど御免だ。
ペットボトルのキャップを外し、一気に喉に流し込む。冷たいスポーツドリンクが食道を通るのを感じ、胃というものがあることを実感した。
もう一口飲もうとしたところで、ポケットの中で携帯電話が震え出した。
誰だ? まさかハルヒか? 日曜日は家庭教師だのなんだので忙しいはずだがな。
俺は携帯を取り出して、ディスプレイを眺めた。忙しいはずのハルヒからだった。

「今どこ?」ハルヒは常に挨拶をしない。
「おまえんちの近くにあるホームセンターに向かう途中だ」
「ああ、あそこ。便利よね。で、何しに?」
「シャミセンの餌が切れたんでな。調達しにゃならんが、行きつけの店が閉まっててな。遠征だ」
「ふーん」ハルヒの声はただ相槌を打ったというだけだ。
「家庭教師は終わったのか?」
「うん。あんたと違ってハカセ君優秀だから。……それに余計な勉強もしないし」
「前者は認めるが、余計な勉強に時間は掛かってない筈だぞ?」
だいたい30分ぐらいじゃねえか?もっともストップウォッチ片手に測ったりはしていないが。
「ウソ。一時間は確実に掛かってる」
「ホントか?」
「ホントだって。その後あんた寝ちゃうじゃない。だから一時間は鉄板。そうじゃなくても、ぐずぐずしてるときだってあるし……
そんな話は置いといて、あとどれぐらいで着くの?」
「あと10分、15分ってところだな」
「じゃあ、着いたら電話しなさい」
「なんか用でもあるのか?」
「まーねー」どっちともつかないような声が聞こえてきた。
「どっちなんだ」
「いいから着いたら電話しなさい」それで電話は切れた。
さて、もう一頑張りしないといかんな。
ホームセンターにたどり着けば、キンキンに冷えた冷房が待っている。
もうちょっとだ。頑張れ、俺。

自転車を漕くこと10分。最終コーナーを回って、あの横断歩道さえわたれば、目的地にたどり着く。
赤になった横断歩道をむりやり渡って、ようやくオアシスに到着した。
空きが見つからないほど駐車場は混んでいる。色とりどり、さまざまな種類の車が停まっている。
買い物で一杯のカートを押す父親らしき人、そのまわりをちょこちょこ回る子供。そして子供に注意しているような母親らしき人。
駐車場から手をつないでホームセンターに向かう若い夫婦。
いかにも日曜日の昼下がりという光景を見ながら、駐輪場を探した。
こじんまりとした駐輪場はすぐ見つかった。頼りない自転車の鍵を掛けた上で、チェーンロックをかけておく。持っていかれては困るからな。
汗は吹き出すように流れだしている。ポタリポタリと落ちて、コンクリートに小さな染みをつくるほどだ。

タオルで汗を拭いながら、色とりどりの花々が並ぶ屋外ガーデニングコーナーを抜けた。最近は家でハイビスカスなんて売ってるんだな。
ホームセンターのエントランスに入れば、ひんやりとした空気に迎えられた。これが心底うれしい。
エントランスの左右には自販機コーナーとフードコートがそれぞれある。
俺は自販機コーナーで500mlのスポーツドリンクを一本買って、近くの椅子に腰掛けた。
ペットボトルのキャップを開けて、喉に一気に流し込んだ。
冷えたスポーツドリンクが体中に染み込んでいき、失われていた水分が補給されていくような、そんな錯覚がたまらんね、こりゃ。
ふと足元をみると、知らないうちに靴紐がほどけ掛けてやがる。
俺は中身が半分に減ったペットボトルをテーブルに置き、靴紐を直し始めた。

「あれ? キョンくん?」
聞き覚えのある声に我が耳を疑った。なんでこんなところにいる? ここらへんに住んでいるのか?そんな話は聞いていないが。
顔を上げれば、微笑みを浮かべた橘が俺を見つめていた。
手を伸ばせば届く距離に立っている。何時の間にそこまで近づいたのか。まったく気がつかなかった。
白地にピンクのストライプが入ったポロシャツにデニムのミニスカート。スポーツブランドのスニーカーにショートソックス。
シンプルな装いは清潔感に溢れている。
ツーテールだったかツインテールだったか名称は忘れたが、そんな髪型と相まって初心で清楚な女子高生にしか見えねえ。
しかし、こいつは朝比奈さん誘拐未遂の実行犯であり、要注意人物の一人でもある。油断するわけにはいかない。
「やっぱりあなたね」橘は笑みを浮かべたままだ。
「よう。しばらくだな」他に言うべきことも見つからず、当たり障りのない挨拶をするしかねえ。
「そうね。ちょっと前に会ったっきりよね」
「ここらへんに住んでるのか?」
「ううん。今日は家族で来たの。ここって結構有名なのよ」
「ああ、みたいだな」俺はタオルで汗を拭いながら答えた。
「で、キョンくんはなにをしにきたの?」
「犯罪者にあだ名で呼ばれるとは、俺も落ちぶれたもんだな」
「こんなところでそういう言い方はやめてほしいわ」橘は憮然とした表情で言った。
「そりゃすまんな」
橘はくすりと笑みを浮かべた。年相応といっていい、実に自然な笑みだった。
「なにがおかしい?」
「意外に素直だなと思って」橘はにこにこと笑顔を浮かべている。「頑固者ってイメージがあったから」
「頑固だぜ、俺は。生まれつきの性分でな」
「頑固な性格を素直に認めるのって、頑固なのかしら?素直なのかしら?」
「さぁな」
橘は自販機でサイダーを買い、俺の隣の椅子に腰掛けた。
「……そろそろあの事、水に流してくれてもいいんじゃないかな?」橘は小声で言った。
「正義感に燃える年頃でな。不正はなかなか見逃せねえのさ」
橘はやれやれといった表情を浮かべながら肩をすくめた。缶のプルトップを開けて、口をつけた。
横目で俺を見つめている。白い喉がこくこくと動くのを俺は黙ってみていた。
橘はふぅとため息をつきつつ、缶をテーブルに置いた。
「自分の行為を正当化するつもりはないけど、涼宮さんがやろうとしたことは分かってる?」
「あれは夢の話だ。共感覚幻想ってのがあるらしいぜ。俺の中ではそういう結論が出てる」
「この世界があの晩以前から続いてることを証明することはおろか、否定することも出来ないのは事実。
あなたのいうように私たち全員が同じ夢をみてるだけかもしれない。それも証明も否定も出来ない。
でも、あの晩に世界は確かに崩壊しようとしていた。それも事実なの。あなたと涼宮さんは確かにこの世界から消えていた」

「俺にとっちゃ夢でしかねえがな」
「私たちにとっては現実。恐れていたこの日がとうとう来た。でも、何もすることが出来ない。とても歯痒い思いをしたわ」
「特に名を秘すが、俺の知ってる関係者も似たようなことを言ってたな」
「古泉くんはかなり恵まれているの。特別扱いね。外野である私さえ嫉妬しちゃうほどよ。あなたには分からないでしょうけどね」
「分かりたくもねえって話だがな。そもそも興味もねえよ」
だいたいお前が古泉に嫉妬してたんじゃ、パンジーがお前に嫉妬すんじゃねえのか?」
パンジーの名前を出したのは、単に話題を変えたかっただけだ。別段、素直に橘が答えるとは思っていない。
「まあそういうことがないとは、いえないけど」
驚いた事に橘は普通に答えた。すまし顔のようだが、心持ち頬を染め、目がすこし泳いでいる。
不覚にも可愛いと思っちまったが、ハルヒには内緒にしといてくれ。
「これからまだまだ暑くなろうってのに、お熱い事だな」
「何の話? だいたいあなた涼宮さんとラブラブなんでしょ。こっちもそういう情報はつかんでるから」
ラブラブ?一体なんのことやらさっぱりわからん。こういう話は流すに限るな。
「そうか。ところでパンジーとどんなきっかけで付き合うようになったんだ?」
「別に。強いて言えば、暇になったから」橘は素直に答えた。
こいつは基本的に素直な性格なのかもしれんな。善悪を問わず自分に素直ってところに、問題を感じるが。
「前から話ぐらいはしてたけど、突然暇になったし、こっちの世界を案内したげるってことで。よくある話でしょ」
実によく聞く話だ。が、それをいわゆるきっかけと言うのではないかと思ったが、それには触れないでおこう。
「まあそんなこんなで、付き合うっていうか仲良くしてるっていうか・・・そう言うあなたたちはどうなのよ」
「どう、とは?」
「だから付き合ってんでしょ、あなたと涼宮さん。ラブラブでしょ?」
「仲良く勉学に励んだり、息抜きに出掛けたりはしているがな。なにせ来年は受験だ」
「佐々木さんも中学三年ときはそうだったって言ってたけど」なぜか橘は楽しそうな表情で言った。
「あいつは塾で一緒だったってだけで、単なる友達だぜ」
「なんで佐々木さんとはそうで、涼宮さんとは付き合うようになったの?」
「さあな」
「佐々木さんともいい雰囲気だったって聞いたけど?」

橘はニヤリと笑みを浮かべた。知ってるのよといわんばかりの勝ち誇った表情に、イラっとくるな。
「あ、電話」橘は小声でそう呟き、立ち上がりながら携帯を取り出した。澄まし顔で二言三言携帯に話しかけている。
「母さんに呼ばれたから帰るね。また――ーー―ッ!」
橘は大きく目を見開き、口元は半開きのまま固まった。表情がまさに凍り付いている。
すこし視線を下げたことで、その理由が分かった。二つの手が背後から橘の胸を覆うようにつかんでいる。
ハルヒだった。ハルヒが背後から橘の胸を揉みしだいてやがる。
「元気だった?」ハルヒは大きな声で言った。「ひさしぶり〜」
周囲へのアピールのつもりか。久々に会った友人というフリのつもりか。しかし、ひさびさに会った友人に対する挨拶が、乳揉み。
何を考えてるんだ、ハルヒよ。
「は、放しなさい」橘は顔を赤らめ、声に力がない。「ひ、人が見てるでしょ」
なんと。人が見てなければいいのか? なら都合のいいことにエントランスには俺達しか居ない。
存分に楽しんでくれてかまわんぞ。世の中には百合好きな御仁もいるというしな。俺には良くわからん世界だが。
もっともハルヒはサービスを続ける気はないようだ。最後に一揉みしてから橘を開放した。
橘はあまりのことに呆然と立ちすくんでいる。まるで生まれて初めて痴漢にあった可哀想な女子高生を見るようで、なぜか罪悪感を覚えてしまう。
ハルヒはそんな橘を尻目に、俺の隣の椅子に腰を下ろした。
ピンクのキャミソールに、デニムのショートパンツ。かなりラフなスタイルのハルヒは腕を組み足を組み、実に尊大なポーズを決めた。
いつもの黄色いリボンつきカチューシャはどこへやら、紺のゴムで髪をなんちゃってポニテにまとめている。
ショートパンツから露出した白い太ももがけしからんな。キャミソールも体の線を見せ過ぎだ。実にけしからん。
「橘さん、SOS団に入りたいの?」
「な、なんですって?」橘はハルヒを見つめながら言った。
「団長であるあたしに絶対服従を誓うのが前提だけど。入団試験はかなり難しいけど、チャレンジさせてあげてもいいわよ」
「は?」橘はきょとんとした顔で聞き返した。「な、なんで?」
「だからSOS団に入る気があるのかって聞いているのよ」

橘は口を半開きにしてハルヒをじっと見つめている。ハルヒはどこまでも強気の表情で橘を眺めている。
「どうしたの? まあ即答できなくてもいいわ。その気になったら、古泉くん経由で言ってくれればいいわ。
こいつに言っても無駄だからね。なーんの力もないただの雑用係なんだから」
そういってハルヒはなぜか俺の頬を指でかるく突ついた。すこしくすぐったいだけだな。
橘はぱちぱちと瞬きを繰り返している。まさに茫然自失といった表情のまま立ちすくんでいる。
心配するな、橘。驚いているのはお前だけじゃねえ。
俺はお前以上に驚いている。
「返事は? 橘さん」ハルヒはじれったそうな表情を浮かべつつ言った。
「……あ、ああ。ま、またね………」橘は小声で返事をしつつ、足早にホームセンターから出て行った。
いやなら断ればいいのに、なに考えてやがるのかね。

ハルヒは心配させた代償として、ブルーハワイのかき氷を要求した。
「あたしに心配させたんだから、当然あんたの奢りで、当然大盛り」
「心配?」なんの話だか見えない。いつもの事ではあるが。
「電話するっていったのに、しなかったでしょうが」
電話をするといった覚えはないが、ハルヒの思考回路は、あらゆる意味で常人とは出来が違う。
あの電話で俺が約束したことになっていてもおかしかない。いちいち喧嘩を吹っかける気にもならん。
となれば、この一言で話を終わらせるのが最良だろう。
「ああ、悪かった」
ハルヒの機嫌はそれで落ち着き、つかの間の平穏が約束される。

俺はハルヒと共にフードコートに移動した。
ハルヒはいつものように空いたテーブルをとっとと確保した。携帯を取り出してどこか電話をしているようだ。
ブルーハワイとレモンのかき氷。大盛りなどあるはずもないが、シロップを多めにかけてもらった。
わずかなお釣りを財布にしまい、ハルヒが待つテーブルへと向かった。
ハルヒはじろりと俺を見上げ、こそこそと携帯電話をしまい込んだ。俺はテーブルにトレイをおき、ハルヒの対面に座った。
「なんでまた橘を勧誘したりしたんだ?」

ハルヒは鳩が豆鉄砲を食らった顔を実演した後、なぜか視線を逸らせた。その表情には焦りの色さえ浮かんでいる。
いつものハルヒらしくない。何か思うところありといった雰囲気を漂わせてつつというのは、初めて見る反応だ。
「あいつは古泉のバイト先でのライバルだし、朝比奈さんが苦手としてる。橘を団に入れてもぎくしゃくするだけだぞ?」
ただでさえ微妙なバランスで成り立っているのだから、これ以上の不確定要素はごめんこうむりたい。
「そ、そんなのわかってるわよ」なぜかハルヒは目を合わさずに答えた。「でもライバルを乗り越え、苦手を克服しないと、そこで人生終了じゃない」
「人生訓は後回しだ。なんか企んでんだろ? そうでなければ橘を勧誘したりはせんだろう?」
ハルヒはなにか思考回路をぶんぶんまわして言い訳を探しているように見える。
しかし、どうせまたろくでもないことを思いついて、それをどう切り出そうが迷っているだけなんだろう。
一年以上付き合ってきた俺には、まるっとお見通しだ。
「えーと、あーと、んーと………告白CDとかお叱りCDって知ってる? 妄想ボイスってシリーズなんだけど」
俺は知らなかった。ハルヒは得意げに説明を始めた。
なんでも告白CDやお叱りCDというのは、何人もの声優が愛をささやいたり、叱り付けてくれたりで妄想生活を豊かにするアイテムだそうな。
ドMやドS用のオプションや、あり得ないシチュエーションでの告白なんてのもあるらしい。妄想バンザイだな、まったく。
最新作は様々な委員長キャラによる委員長CDということだが、ナイフを構えながら殺しに来るクラス委員の台詞は収録されてはいなさそうだ。
そんなの喜ぶのはドMぐらいしかいないだろうがな。
俺は適度に相槌を打ちながらカキ氷を楽しみ、ハルヒは立て板に水の説明を続けている。
かき氷溶けてなくなるぞ、ハルヒ。そろそろ食ったほうがいいんじゃないのか?
「わ、わかってるわよ、そんなの」ハルヒは不満そうな顔をしながら、かき氷を食べ始めた。

「で、その告白CDとかお叱りCDってのと、橘をSOS団に勧誘する関係がどこにある?」と俺は訊ねた。
ハルヒは最後に残ったかき氷を口に運んだ。必要以上に時間をかけて咀嚼までしている。
「一体何を企んでいる?ハルヒ。まさかそのCDを俺たちで作って売ろうなどと考えているわけではあるまいな?」
ハルヒは鼻でそれを笑った。
「あら、教育の効果がちょっとは出てきたってことかしら。でもまだまだ甘いわ」
封印した台詞を呟きそうになったが、かろうじてこらえることができた。
「そのためにSOS団女子チームを強化しようとでも思ってんのか。別にその必要はねえだろ。声かけりゃなんだかんだで2、3人集まるじゃねえか」
鶴屋さんに喜緑さんは無条件に協力してくれるだろうし、あと阪中あたりに声かけりゃ手伝いぐらいしてくれそうだ。
「それじゃ足りないの。橘さんを見た? あのツーテールだかツインテールだか知らないけど、あんなガキっぽい髪型が普通に似合う女子高生なんて、そういないわよ? 
それにあの声。割と低くてクールな感じが新鮮じゃない。キンキンしたアニメ声じゃこれからはだめよ。豊かに響く低音の魅力ってのを見直すべきだわ」 

ツーテールだかツインテールだか正式名称不明の髪型なら、朝比奈さんも似合うぜ。豊かに響く低音の魅力なら長門がいるだろう。抑揚ないけどな。
「両方兼ね備えた人がいないから言ってるのよ」ハルヒは不服そうに言った。「橘さんなら一石二鳥じゃないのよ」
「第一、CD作るんだったら、髪型は関係ねえだろう? ツーテールだかツインテールだか知らないが」
「ジャケット写真につかえるじゃない」ハルヒはなぜか追い込まれた猫のような表情を浮かべつつ言った。
「そもそも声録るだけだったら、いちいち入部させる必要もねえだろう? ちょいと謝礼ちらつかせりゃいいだけのことだろう」
そこらへんは古泉にまかせりゃいい話だ。きっと不愉快そうな顔をするだろうが、なに気にすることはない。
「あたしは団長よ。団長の決定は絶対。やるっていったらやるの!」ハルヒは文字通り吠えるように言った。「黙ってあたしの言うことを聞きなさい!」
誰もいないフードコートに沈黙が訪れた。俺は頬杖を付いてハルヒから視線を逸らせた。
まったくこれだから、こいつと付き合うのは疲れる。

不意に顎をつかまれた。ハルヒの華奢な指が、強引に俺の顔を正面に向けた。
鼻がかすめるほど近くにハルヒの顔がある。その大きな瞳は爛々と輝き、挑戦的に俺を見つめている。
「返事は?」ハルヒの吐息を感じる。ブルーハワイの甘い香りを感じた。尖った唇までほんの数センチの距離。
ぶっ飛んだハルヒを現実に引き戻す最良の方法ならひとつ思いつく。それは今に至るまで有効であり、ひょっとすると将来に渡っても有効なのかもしれん。
しかし、場所が場所だ。誰もいないとはいえ、公共の場所である。そういう行為は自重しなければならない。
だが、まだまだちょっとした暴走も許される年だろう。別にここでいかがわしい行為に及ぼうとしている訳でもないし。
小鳥が餌をついばむように、ハルヒの唇にそっと唇を当ててみた。すこし音がしたのはご愛嬌だな。
ハルヒは大きな瞳をまんまるにすると、唇を手で押さえた。みるみるうちに顔が赤く染まっていく。ハルヒは無言で目を瞬きしている。
「これじゃだめか?」
ハルヒは俺を恨めしそうににらんでいる。唇に当てた手を離すと、実に悔しそうな表情になった。
「……行くわよ」そう言ってハルヒは乱暴に椅子から立ち上がった。「まったくもう、恥ずかしったらありゃしない」
そう言い残すとハルヒは一人ずんずんと先にフードコートから出て行ってしまった。

エントランスに出ると、ハルヒはカートをひとつ取り出したところだった。俺の顔をみると複雑な表情を浮かべた。
「誰かに見られた訳でもねえだろう?」俺はハルヒの隣に立つと、小声で言った。
「……奇跡的にね」ハルヒは不機嫌そうに言った。「まったくもうこんなとこで何考えてんのよ」
「すまん、ついカッとなってな」
「何がカッとなったよ」ハルヒは足下に視線を落としながら言った。「ばぁか」
そんなことより買い物だ買い物。買い物ににきたんだからな。
俺はハルヒをせき立てるように、ホームセンターの入り口をくぐった。

まずはペットフードコーナーだ。いろんな種類のキャットフードが売られていた。

しかし、シャミセンは元野良にしてはえり好みが激しくなんでもいい訳ではない。

猫とは元々そういう動物らしいが、なかなかに飼い主泣かせの動物でもある。
シャミセンご用達キャットフードは近所の店より安かった。日々消費するものではあるが、ネコ砂とは違う。消費期限というものがあるしな。
5秒悩んだあげくの結論は、二袋カートに乗せることだった。
ハルヒは、カートの持ち手に体を預けてそれを眺めているだけで、口を挟む気はいっさいないらしい。
「ふーん。こういうの食べさせてるんだ」ハルヒは呟くように言った。「次、いこうか」

ハルヒがカートを押して、家具コーナーに移動した。ここはいかにもホームセンター然とした家具もあれば、高そうに見えて高い家具まで揃えている。
ベッドシーツやピローケースも例外ではなかった。
ハルヒは実にうれしそうに品定めをはじめた。時に鼻歌交じりで、ベッドシーツやピローケースの手触りを確認している。
時間がかかるかと思ったがさにあらず。ナチュラルベージュにブルーのストライプが涼しげなピローケースと、シンプルな格子模様のベッドシーツをカートに投げ込んだ。
どちらもお手頃価格。赤札つきの処分品だった。
「これでいいのか?」思わず尋ねてしまった。
「うん。洗いがえだし」
「てっきり高いもん買うかと思ったが」
「ベッドシーツにピローケースなんて毎日取り替えるものだし、おつとめ品で十分じゃない」
「なるほど、それもそうか」
「つまんないことに感心してないで、次よ次」

なぜかカートを俺が押すことになり、文房具コーナーに向かう。特売の大学ノート5冊パックが目に入り、思わずカートに入れた。
後で山分けといこうぜ。1冊はジャンケンで所有権決めるか。
「その一冊を交換日記にするとかどう?」ニヤニヤ笑いながらハルヒが言った。
「小学生かよ」あまりの恥ずかしさに、声が裏返ってしまった。
ハルヒはくっくっくと声を殺して笑い出した。
「なんなら、あとでのたうちまわるほど恥ずかしいこと書いてあげるわよ?」実にうれしそうなハルヒの表情がムカつく。
「……そんな青春の恥ずかしい記憶はいらん」
ハルヒは肩を震わせて笑い出した。

家電コーナーは通りがかっただけで、カートが停まることはなかった。そのままレジに向かう。
レジは奇跡的にすいていて、おまけにめずらしくハルヒが財布を出してまとめて支払った。明日は槍が降ってもおかしかないね。
「なに言ってんのよ、あとできっちり1円単位でわけるからね。ほらとっとと荷物まとめるわよ!」
結局いつものハルヒがそこにいた。

結局荷物をまとめたのも俺で、その荷物を自転車まで運んだのも俺で、ハルヒの家まで自転車を押していったのも俺だ。
ハルヒはその隣で軽やかに歩いていただけだった。うれしそうな横顔をみると、愚痴ることさえできないのが困り者だな。
「親父たち出かけちゃって、誰もいないのよねえ」ハルヒがまるで秘密を明かすかのような口調で言った。
さっきかき氷食べたときに電話があってね、映画見に行くことにしたって。そうハルヒは付け足した。
「そうなのか」まるでアホみたいな返事しかできなかった。
「うん。夜には帰ってくるんだけどね」ハルヒは俺の視線を避けるように俯いた。「それまではうちでゆっくりしてけば?」
ハルヒは突然足を速め、俺は息を切らせながら自転車を押すスピードを上げた。

静かで、しかも冷房がよく効いたリビング。アイスコーヒーを飲みながらTVを眺めているなんて、まさに怠惰な日曜日の昼下がりではないか。
もっともTVが映し出しているのは、ハルヒが研究と称して録画した深夜アニメだ。そこに違和感は残るがな。
「オープニングは良かったのに、本編で絵が動かないのはなんでだ?」と俺はハルヒに訊ねたが、ハルヒは首をふった。
「これってギャク? 元ネタなんだかわかる?」とハルヒは俺に尋ねたが、俺は首をひねることしかできない。
ハルヒは無言のままリモコンで早送りを始めた。おお、さっきまでと違ってよく動くようになったが、ストーリーはよくわからん。
「これが今一番人気の深夜アニメか」と俺はハルヒに確認した。
「そうよ。人気爆発中」ハルヒは何の感情もこもってない声で言った。「主にネットでだけど。だからどんなもんかと録画してみたの」
「いろいろ知ってれば、面白いんだろうな」TVにはよくわからないエンディングが映し出されている。なんで演歌歌手が歌ってるんだ?
「そうね、きっと面白いのよ、これ」ハルヒはアイスコーヒーを啜りながら言った。「元ネタがわからないから、面白くないだけで」
最後まで早送りが終わり、自動的に録画リスト画面が表示された。ハルヒは頬杖を付きながら、さっきまで見ていたアニメを削除した。
「で、どの子に萌えた?」ハルヒが訊ねた。「いろいろ出てきたじゃない。女の子」
女の子しか出てなかったような気がするが、あれは女子校の話だったっけ? そもそもストーリーがよくわからんのだが。
「キョンくん、質問に答えなさい」ハルヒは小学校の先生のような口調で言った。
「特にいねえよ。そもそもあれはどういう話なんだ?」
「あらそう? オープニングでスカートひらひらしてんのガン見してたのは、誰」
見てたのか。見られてたのか。つい凝視しちまったのは認めよう。なに、白いものがちらちら映ってたんで気になってな。
「スカートの裏地じゃない、あれは」ハルヒはあきれたようにいった。「じゃああんたが萌えてたのはスカートの裏地ってことね?」
「俺はそんな変態じゃねえよ」
「どうかしら?」ハルヒは澄まし顔でアイスコーヒーのストローに口をつけた。

ハルヒがリモコンを操作すると、TVには通常放送が映し出された。日曜日昼過ぎの定番であろう競馬中継が映し出された。
「どれか見る?」ハルヒはそういってリモコンを操作してチャンネルを操作した。
ゴルフ中継、旅番組、通販番組……見るものがねえな……ああ、バラエティ番組の番宣やってる。これでも見るか。
しばし、バラエティ番組を二人で眺めた。同じところで笑い、同じところであきれ、同じところで飽きた。
「さてと」ハルヒはテーブルに手をついて立ち上がった。「あたし、シャワー浴びてこようかな」
「そうか」
「あんたもシャワー浴びれば? ちょっと汗臭い」ハルヒは俺を見ずに言った。「いっぱい汗かいたんじゃないの?」


自転車のかごに俺の分のノートとキャットフードを押し込んだ。太陽もようやくひっこむことに決めたようで、空は茜色に輝いていた。
昼間の熱気はどこへやら、涼しげな風がゆっくり流れるように吹いている。
「気をつけんのよ」Tシャツにショートスパッツ姿のハルヒが玄関先で言った。
そういう格好で外に出ることがいかに危険なことか、さっきたっぷり勉強したはずなんだがな。教育の効果が少しも見られないのはどういうことだ。
「ここはうちの敷地。それにあんたが帰ったらすぐ家に入るんだから、別段問題ないわよ」
「そうかよ」
「車には気をつけるのよ。これから暗くなるんだから」
昔、小学生の時母親にそんなことを言われながら家を飛び出した記憶が蘇る。まったく、俺はあの頃から成長してねえってことかね。
「分かってる」思わず笑ってしまった。
「なにがおかしいのよ」ハルヒは怪訝そうな顔で俺を見ている。「笑うとこじゃないでしょ」
「なんでもねえよ」
「ほんとにほんとに気をつけるのよ。家に着いたらまずあたしに電話なさい。絶対だからね」
「分かってるって」
ハルヒの唇は一直線に結ばれている。面白くなさそうな表情を浮かべたまま、俺ではなく自転車を見つめている。
「じゃあな、ハルヒ」
「………じゃね」ハルヒは軽く手を挙げた。「絶対、電話するのよ」
あんまりそんなこと言ってると、死亡フラグってのが立つ。ちょっとは自重しろ。帰り車に轢かれて帰らぬ人になったらどうするつもりだ。
「縁起でもないこと言わないの!」ハルヒは吠えるように言った。「このバカ!」
「いまの笑うところだったんだが」
「もういいわよ、行きなさい」ハルヒは右腕を水平にあげて人差し指を突き出した。それは多分正確に俺の家を指しているのだろう。
「じゃあな、また明日だ」
「また、明日……会えるよね?」
だから、寂しそうにそういうセリフを言うなっての。死亡フラグが確定するだろうが。
「バカいってないで、早く帰れ!」
俺はハルヒの怒号を背に受けながら、自転車を漕ぎだした。

家まではあっという間に到着した。とりあえずハルヒに電話を一本入れて玄関をくぐった。
「ただいま」
とたとたと廊下を走る音で妹だと分かった。
「おかえりーキョンくん」妹が出迎えてくれるのは悪いもんではないな。「どこいってたの?」
「ああ、シャミセンの餌が切れたって言っただろう。だから買ってきたんだ」俺は玄関で靴を脱ぎながら答えた。
「え?そなの?」妹は実に微妙な顔をした。「もう買ってきて、さっきシャミセンにあげたんだけど」
「な、なに?」
「だってキョンくん朝騒いでたでしょう? シャミセンの餌がねえ餌がねえどこだどこだって。だから映画見たあとで買いにいったんだよ」
「なんだと?」
「安かったからねえ、3袋も買ってきたんだよぉ」
偉いでしょう?褒めて褒めてといわんばかりの妹の笑顔を直視できずに、俺はため息をつきつつ、妹の頭に手をおいた。

おわり


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