白い手だった。
額に触れる、熱を冷ます繊細なてのひら。意識がぶつ切れに再生される中に、ちらついて見えた。暑さに魘されぬようにか、 そっと守るようにその手は添えられていた。柔らかな感触だった。茹だるような暑さの中に齎された束の間の癒し。
蝉の鳴き声が、遠くに聞こえる。
闇に落ちていた意識をふつりと浮上させ、重い瞼をどうにか開くと、綺麗な氷膜のような眼がこちらを見おろしていた。沈黙を守る、無機質な表情。常と変容のないまっさらな琥珀。
なのに――
そのとき心に極自然に浮かびあがった「綺麗だ」という感慨に、心拍が弾んだ。木陰、ベンチの上。どうやら馴染みの公園の一角。状況をあらかた把握すると、更に惑ってしまう。こうなるに至った経緯を思い出せないことも問題だが、何より、自分の頭が彼女の膝を枕にしていることに。

「……長門さん、その」
「あなたは浴衣買の出しに向かう途中に意識を失った」
訊ねることも既定事項と言わんばかりに、彼女は淡々と解答した。
「軽度の熱中症」
なるほど、それで倒れた僕に、彼女が付き添っていてくれたということは――
「……長門さんが、僕の体温調節を?」
「そう」
「そうでしたか。…どうやら、御迷惑をおかけしてしまったようですね」
身体を起こして、謝辞を述べる。長門さんは小さく首を傾ぐようにした。何故か、その折の瞳にある筈のない――感情の揺らぎが映ったような気がして、思わず彼女の相貌をまじまじと見据える。

「なに?」
「あ……いえ、失礼しました」
流石に、不躾に見過ぎた。身を引いて、付き添っていてくれたことに礼を述べようとしたところで、強烈な違和感が眩暈になって頭を強襲した。この夏、度々覚えている感覚だ。いつかどこかで同じ様を眺めたことがあるような既視感。そんな筈はないのだ、僕が倒れるという事自体、ましてや誰かに膝枕をしてもらうことなんてある筈がないのに。
「……う」
気持ち悪い。
立ち上がってふらついた身を、彼女の腕が支えた。
「す、みません」
「いい」
彼女の視線がすっと背後に固定された。何が、と振り向くまでもなかった。耳慣れた大声が飛び込んできたからだ。
「古泉くーん!有希ー!!」

涼宮さんは、朝比奈さんと彼を伴い、コンビニ袋を掲げていた。取り出されたのはいっぱいの氷、アイス、スポーツ飲料、タオル。僕が気を失ってから随分心配をしてくれたらしい彼女は、長門さんの「軽度の熱中症」という説明で救急車を呼ぶのは控えたようだが、その代替に身体を冷やすものを兎に角掻き集めてきたらしかった。
SOS団の人間として認めて貰えている、心配してくれているという意識は、くすぐったくも有難い。
朝比奈さんは涼宮さんの全力疾走に付き合った分の疲労が激しいようで、息を切らしてはいたが、体調が安定していることを告げると「よかったぁ」と微笑んでくれた。彼は汗を拭いつつ、いつもの飄々とした表情で「やれやれ」と呟きたがっているようだが、彼なりに案じてくれていたらしいことは態度でわかる。涼宮さんには「ちゃんと寝てなきゃだめじゃ
ない!」と叱り付けられたが、安静にするのが先と思ったのか、「今日はこれで終わりにしましょう。ちゃんと体調考えてね!」と念押しをされた。
SOS団の活動を、僕が妨げる形になってしまったことに申し訳なさを感じたけれど、そのことで閉鎖空間が発生するということはないようだ。――そっと、安堵した。 

「皆さん、今日は本当にすみませんでした。本日の埋め合わせは、後日に僕の方から責任を持って提供させて頂きます」
貰った厚意を考えれば、SOS団を盛り上げるための次回のサプライズ考案など安いものだ。僕の提示に涼宮さんは満足げに頷き、其の日は散会と相成った。

解散宣言の後、各々の方角に歩き出す帰り際に、僕は長門さんの姿を無意識下に追っていた。彼女は取り立てて変わりなく、相変わらずのペースで歩みを進めている。
真っ直ぐな横顔に一時、熱に浮かされたように見惚れた。そんな自分に気付いて愕然としたのは、彼女の姿が視界から完全に失われてからのことだった。
胸がざわついている。言い様のない感覚だった。
ひやりとした額の涼しさを思い出す。長門さんの、白い手の残像が、瞼の裏にいつまでも浮かんで、消えてはくれなかった。 


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