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鶴屋さんが銃をかまえて立っていた。これがアンチTPDDの効果なのだろうか。彼女の足が、爪先から足首へ、足首から膝へと徐々に上へ上へとフェーディングするように消えていく。

これで、全てが終わったのか!?

「まだ終わらないよ。谷口くん。アンチTPDDが涼宮ハルヒと同調して効果を発揮するまでにはまだ時間がかかるんだ」

すでに鶴屋さんの身体は、腰までが透明になっていた。彼女は勝ち誇ったように銃を足元へ向ける。

その延長線上には、涼宮ハルヒの身体が。

「もうやめてくれ!」

弛緩した古泉の身体を抱え、赤い血にまみれたキョンの悲壮な叫びも、鶴屋さんの動きを止めることはできなかった。

「みんな。これで、やっと。楽になれるよ……」

何かをふっきったように目を細め、誰へともなくそう呼びかけ、鶴屋さんはそっと顔をふせた。

消えていく中、顔を伏せ憂鬱気に眉をゆがめた未来人は、笑顔のまま涙を流し、涼宮を狙った銃の引き金を引いた。

 

 

確かに鶴屋さんはリボルバーの引き金を引いた。しかし銃声とともに弾丸が発射されることはなかった。

「鶴屋さん。もういいんですよ。それ以上、自分を追い詰めて、苦しまないでください」

か細い指が、リボルバーの弾薬に達する前の撃鉄をおさえつけていた。

徐々に掻き消えて行く鶴屋さんの背後に、朝比奈みくるが立っていた。

「もう十分ですよ。もういいんです。帰りましょう? 私たちの時代へ」

「……みくる」

朝比奈さんは赤子をあやす母親のように穏やかな表情で、鶴屋さんの肩に頭を乗せ、背後からその身体を優しく抱きしめた。

「離してよ、みくる。このまま元の時代へ帰るなんて、できるわけないじゃないか。私にはやらなきゃいけないことがあるんだよ」

「鶴屋さんも、本当はもうこんなことしたくないんでしょ? あなたは、優しい人ですから。人の命がどれだけ大切か、分かっている人ですから」

2人の身体は、もう腹部までが霧散するように消失していた。

「離してよみくる! 私は、みんなと約束したんだから! かならず世界をリセットするって。別の幸せな時代に生まれ変わってまた会おうって!」

鼻をすすりあげて肩をふるわせる鶴屋さんの頭を、朝比奈さんが慈しむように撫でてあげた。

「生まれ変わらなくたっていいじゃないですか。またあの世界で、みんなに会いましょうよ。鶴屋さんだって分かってるでしょう。あの世界だからこそ味わえない幸せもあるっていうこと」

「でも!」

朝比奈さんは、静かに頭をふった。

「ただいまって言ったら、きっとみんな、おかえりって言ってくれますよ」

「……でも」

「えらかったですよ。鶴屋さん。一人でずっとがんばってきたんですものね」

朝比奈みくるは涙で頬をぬらす友人の身体を強く抱きしめ、もう泣かなくてもいいんですよと囁いた。

 

 

もう、2人の身体は胸までが消えていた。アンチTPDDが完全に効力を発揮するまで、そう時間はかからないだろう。

「……かなわないな。みくるには」

朝比奈さんの手をとり、鶴屋さんはヤケ気味に微笑んだ。自暴自棄というよりは、開き直ったという感じだ。

「ごめんね。谷口くん。キョンくん。古泉くん。迷惑かけて」

俺は気がぬけて放心しかけていた脳みそを総動員して、古泉に目をやった。苦痛に顔を歪めながらも、古泉はキョンの肩を借りて起き上がっていた。どうやらあいつも無事のようだ。

 

ゆるやかにだが、徐々にアンチTPDDは未来人2人の身体を消し去っていく。

「ねえ、谷口くん」

鶴屋さんはもう、腕から先も消えている。古泉を撃ったリボルバーも、どうやら未来世界に強制送還されたようだ。

「金魚。大事にするよ。ちゃ~んと世話するから、安心してくれたまえ! 名前もつけてかわいがってるからさっ!」

大騒動の直後だというのに、この期におよんで金魚かよ。俺は少しおかしくなって苦笑いを浮かべた。

しばらく、俺と鶴屋さんは無言で見つめ合っていた。夏祭りの時から今まで、会うたびに俺を大事に引っ張り込んでくれた人だが、この人が相手だと、憎めないっていうか、まあいいかという大らかな心持になってくるから不思議だ。

「じゃあね。元気で長生きしておくれよ」

長生きしておくれって。定年退職した爺さまに子どもか孫か投げかけるような言葉はやめてくれよ。もっと気の利いたこといえないのかね。

「まあいいじゃないか。じゃ、ばいばい。ご先祖さま」

冗談とも本気ともつかないことを言って、鶴屋さんはゆらめく陽炎のように、部屋の中からふっと、消えてしまった。

 

 

「キョンくん、怪我はない?」

「ああ。俺は大丈夫」

「そう。よかった。鶴屋さんが気を遣ってくれたのかな」

「………」

「………」

「……あの」

「はい」

「……元気で」

「……うん」

「………」

「………」

「もう、行くのか」

「うん。もう、時間がないから」

「そう、か……」

 

「キョンくん」

「うん?」

「涼宮さんのこと、よろしくね」

「………」

「……じゃあ」

 

「みくる!」

「………あ」

「今まで、本当にありがとう! 俺、キミと出会えて本当に、よかった!」

「キョンくん……やっと名前で呼んでくれたね。うれしいな」

「………ああ」

「ばいばい」

「……ばいばい」

 

 

ぼうっとした顔で、キョンは朝比奈さんが消えた方をずっと見つめていた。

お互い伝えたかったことは、伝え合えたんだろうか。

俺が心配することじゃあないけどさ。

 

 

古泉は俺が引っ張っていくから。お前は、涼宮を担いでやれよ。

口ごたえするなよ。うるせぇよ、キョンのくせに。まったく。

 

 

 

 

涼宮を保護して帰ってから。あれから5日経った。

俺はというと、ずっとアパートの自室に閉じこもっていた。何もする気が起こらない。

ねばねばした思考の中で、ずっとあの日のことが回りつづけている。鶴屋さんの笑顔や床に寝そべる涼宮の姿、キョンの叫び声や古泉の倒れる様子。そしてすべてを包み込むように優しく現れた朝比奈さん。いろいろな出来事が、俺の頭の中で、鍋に放り込まれた食材のようにごちゃまぜになってグツグツ煮えていた。

ただ一つだけ、他の出来事とまざり合わず、強烈に俺の心につきささるように残っている想いがあった。

なぜ俺はさっさとアンチTPDDを作動させなかった。

余計な言い訳はしない。俺がやるべきことはただ一つだけ、あの部屋に踏み込んだ時点で屁理屈をこねず、アンチTPDDのスイッチを押すことだけだったはず。

 

アンチTPDDをさっさと作動させていたとしても、事態は何も変わらなかっただろうことは理解している。あれが発動したとしても、鶴屋さんが一瞬で未来へ帰ったわけじゃない。ヤケになった鶴屋さんは消える前に銃を取り出して涼宮を撃とうとしただろう。そして5日前と同じ結末を迎えていたことだろう。

だが何度思い返してみても、俺はやはりすぐにあの時、あの装置を作動させなかったことを後悔する。

結局俺だけが、あの日なにもできなかったんだ。古泉の拳銃、キョンの呼びかけ、鶴屋さんの笑み。全てのことに意味があるように思えるが、俺だけはそこにいる意味がなかった。アンチTPDDなんてスイッチを押すだけだから、誰が持っていてもよかったんだ。

俺がさっさとあれを使っていれば、少なくとも古泉が撃たれることはなかった。

鶴屋さんの懊悩が長引くこともなかった。

 

そうだ。結局のところ、俺はなにもできなかったんだ。鶴屋さんの心中を察してあげることさえ。

ずっと俺は、彼女の笑顔を見て、鶴屋さんは慈愛の人だの、優しい人だからきっと分かってくれるはずだだの、自分勝手な表面的なことばかり考えていた。本当は彼女も悲しくて苦しい思いをしていたのに、

鶴屋さんとは3度しか会ったことはなかったが、振り返ってみれば、彼女の内面に気づいてあげられる機会は何度かあったんだ。

何が 「人を見る目には自信がある」 だ。何もわかってないじゃないか。もし俺がTPDDを持っていたなら、すぐさま5日前にとんで行って、のうのうと勘違いしている俺自身の頭蓋骨に後ろから蹴りを入れてやりたい。

 

今となってはもう、全て過去のことだ。後悔したって仕方ない。

アンチTPDDのバリアは目に見えないが、きっと世界中に展開されて未来人のタイムトリップを阻止していることだろう。

もう鶴屋さんにも朝比奈さんにも会えないけれど。

これでよかったのか? 朝倉さん。

 

 

 

 

 

5日ぶりに太陽の下に出てアパートの階段を下りていると、駐輪場からこっちを見上げる長門と会った。

よう。ひさしぶり。しばらく見ないうちに、また大きくなって。

「………5日間も、どうしたの?」

返答に窮し、俺は結局なにも言わずに階段を下りた。何か気の効いたセリフでも言ってやろうと思ったが、やめた。モチベーションが足りない。

俺は手にしていた部屋の鍵をしばらく見つめた後、長門に投げて渡した。

「………兄貴、本当にどうしたの?」

怪訝そうな長門の視線がいやに痛い。なんだか悪いことをしているような気がして、俺は助手に背を向けた。

俺、これからちょっと田舎に帰るわ。その間、俺の部屋好きに使ってくれていいから。留守よろしく。金目の物はなにもないけど。あと、食料も。

「………郷里に帰る?」

背中ごしに長門の声が俺の胸に突き刺さる。どうも後ろめたくていけない。5日前のことは隠してるわけでもないんが……。

「………最近おかしいよ、兄貴。何か悪いものでも食べたの?」

ほっとけ。おかしいのは生まれつきだ。今に始まったことじゃないさ。

 

考えすぎだということは十分わかっているが、俺には鶴屋さんが、俺に助けを求めていたように思えてならない。

気づいてやりたかった。勘違いでもいいから。そして一言、彼女の気が楽になる言葉をかけてやりたかった。

 

俺、しばらく探偵を休業するから。後のことはお前に任すわ。

「………え?」

あっけにとられた様子で俺を見る長門にそれ以上なにも言わず、俺はバイクにまたがった。

 

 

 

  ~つづく~

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