長門さんが、9組に教科書を借りに来てから二日たった。 今日の1時間目はあれから初めての日本史である。 僕の机の上には、一昨日の放課後、部室で長門さんに返していただいたそのままの日本史の教科書が。 やっぱり、長門さんは僕の落書きを見てしまったのだろうか。

 僕がした落書き。 それは、戦国時代末期の歴史が記されたページの隅にいつも使っているシャープペンで長門有希、情報統合思念体、TFEI端末と書いたものを同じシャープペンで塗りつぶして消したものの斜め下に、〝長門さん〟と、書き残してしまったもの。 ああ、勘違いを招きそうだ。 激しく勘違いを招きそうだ。 長門さんが気を悪くしないといいのだけれど……。

 あの落書きは、元はと言えば、歴史オタクで時代小説オタクの日本史教師のせいだ。 いや、全てを先生のするつもりはないのだけれど……。 しかし、トリガーになったのは、確実にあの日本史教師と、長門さんの読んでいた本のタイトルだったことに間違いはない。

 教師が授業集になぜか、授業とは関係あるのかないのか分からないトリヴィアとも言える無駄話を展開するのはどこの学校でも同じであろう。 あの日、長門さんが僕に教科書を借りに来た日の二時間目の授業でもその現象は起こった。 時代小説オタクらしく、今現在教科書で授業しているあたりの時代が舞台の時代小説について延々と20分語りつくし始めたのである。 まぁ、授業に関係ないとは言い切れないし、好きな人にとってはこの上なく楽しい話題なのだろうと、最初はあまり気にも留めていなかった。  
正直、週に4回ある日本史Bの時間のうち、三回に一回はこういうパターンになるのがこの教師の特徴だ。 今更、文句を言ったってしょうがないし、第一、試験範囲までは滞りなく進むのだから問題は無い。 正直、時代小説にあまり興味がない自分にとっては退屈ではあるけれど。 問題は、その日の雑談にも近い時代小説語りに出てきた作品名の中に、聞き覚え、否、見覚えのあるものがあったからだ。

 大して、センスのいい題とも、自分の好みに合うと思えるものでもなかったので題名自体はハッキリ覚えていないけれど、確かにそれは、長門さんがいつものように文芸部部室の窓際で寡黙に読み進めていたSFもののハードカバーに紛れて、もはや長門さん専用になってしまった白いミニテーブルに鎮座していた唯一の文庫本のタイトルと同一のものだった。 長門さんが文庫本、しかも時代小説とは珍しい、とぼんやり失礼ながら盗み見ていたのでよく覚えていた。

 そんな方向に思考が一瞬でも傾くと、退屈していた脳みそが一気に傾いた方向に倒れてしまうというのが人間というもので、あの時の僕もそんな人間に過ぎず、耳が日本史教師の時代小説語りをシャットアウトし始め、脳内思考を全く違う方向へと押しやって行った。

長門さんのことだ。

 長門さんは読書家だ。 それは、この学校唯一の文芸部部員であるという事実だけで充分その証明になっているだろう。 あ、そういえばある種、長門さんは兼部状態になるのかな。 でも、SOS団は学校非公認の団体なので、やはり学校側からの彼女の扱いは文芸部部長でいいのだろうか。 SOS団の大切な団員であることは、例え学校を出たとしても変わりはしないだろうけれど。  あ、そういえば、僕や〝彼〟、朝比奈さんや涼宮さんは帰宅部扱いになるのかな。

 

……何はともあれ、長門さんだ。 彼女が読書好きなのは、情報統合思念体がそう彼女を創ったからなのだろうか。 それとも、読書は、彼女が勝ち取った彼女自身の趣味なのだろうか。 

 

長門有希、情報統合思念体が創りだした、TFEI端末。 僕たちとは違う存在。 

 朝比奈さんもこの時代の人間でないというところを考えなければ、基本的にはただの地球人である。 しかし、長門さんは……。 そこまで考えてハッとした。 
教科書を見ると、やはりというべきか、なんと言うべきか、思考に合わせ勝手に手が動いたのだろう、 自分でも「ペン習字くらいやった方がいいじゃね?」と言いたくなるような、汚い筆致で長門有希、情報統合思念体、TFEI端末。 と、三連の語句が並んでいた。

 これではまるで、今の今まで散々世話になっている大切な仲間のことを、余所者の、人間じゃない、ロボみたいに思っているような書き方じゃないか。 端末って。 そんな。 今の今まで、「機関」が使用している言葉だからと鵜呑みにし、平然と使っていたが考えれば考えるほど失礼な話である。

 

 長門さんは、たしかに世間一般から見れば(このことに関して世間一般などという言葉が適用されるかは怪しいが)宇宙人と呼ばれる存在であるが、 それ以前に僕や、SOS団の皆からすれば、SOS団の団員であり、大事な仲間であり、大切な友人でもある。 それなのに、僕は、なんていう―― 

 僕は慌てて、それをいまだ手中にある愛用のシャープペンでぐりぐりと塗りつぶした。  何で消しゴムで消さなかったのかと、今になって後悔している。 まさか、長門さんが僕に教科書を借りにくるとは思ってもみなかったのだ。 しかも、塗りつぶした少し下に、今度は長門さん、などと書いた上で。

 

 この〝長門さん〟には、僕からの、親愛の意味が込められてるはず、である。 しかし、これも、本来に本人に見せるつもりはさらさらなく、僕自身の自己満足のようなものだ。 事実、この字を無意識ではなく、意識的に書き終えたときに僕は何かしらの満足感と高揚感、原因不明の鼓動の高鳴りを感じた。 なぜか、気恥ずかしさも感じたのだが、それは、今はどうでもいい。

 問題は、長門さんがこれをみて不快に思わなかったかだ。 知人に借りた教科書に自分の名前が落書きされていて、しかも、その右上に情報統合思念体だの、TFEI端末だの走り書いたのを塗りつぶしてあるなんて、何かしらの誤解を受けそうだ。 断じて今現在の僕は、長門さんを敵視したり、自分たちとは違う異質でおかしな存在だとは思っていない。 むしろ……。 いや、本当にこれはどうでもいいことだ。 

 他のページには全く落書きがない僕の教科書のたった一つの落書き。 他のページにない分、さぞや目立っただろう。 長門さんは、僕に失望しただろうか。 運良く、彼女が受けた授業範囲とずれていて、彼女の目に留まらなかったら万々歳なのだけれど、 僕が当たっている日本史教師と彼女が当たっている日本史教師は同一人物なので、そうは上手く問屋は卸さないだろう。 そういえば、教科書を返してもらって以来、僕と長門さんは全く会話をしていない。 やはり、嫌われてしまっただろうか。

 おそるおそる、教科書を開ける。 件のページを確認するためだ。 もし、何かしらの反応があったとしたらどうしよう。 なくても、この先、長門さんが僕と目すらあわせてくれなくなったらどうしよう。 そう思うと、手が震えた。 消しゴムや修正液で消されていたら、立ち直れないかもしれない。 

p.156 長門さん。

 あった! 反応はどうだろう。 消しゴム等で消されていない分マシだろうか。 否、完全無視を決め込むという意味での放置なのかも……。 ゆっくりと視線を長門さんの名前の周囲をなぞる。 しかし、なぞるほどの必要はなかった。 反応はすぐ隣にあったからだ。 しかし、これは、一体……

長門さん
古泉一樹

 縦書きに乱暴な字で書かれた彼女の名前の隣に、プリントアウトしたみたいに綺麗な明朝体(今度から、長門さんの字をお手本に字を書こう)でこれまた縦書きに書かれた僕の名前。 そして、その上に鎮座するように堂々と書かれた少し歪な90度、45度、45度の直角二等辺三角形、二人を分かつように縦に引かれた一本線。

 あ、相合傘!?

 しかも、ご丁寧に名前はシャープペンで書かれているのに、傘の部分はボールペン。 一体どういう風の吹き回しだ。 思わず、教科書を持ち上げマジマジとそれを確認する僕。 すると、持ち上げた教科書からぴらりと何かが舞い落ちた。 ノートの切れ端のような小さな紙が机上に一枚。

『隣の席の山田みさきに教えてもらった、図面上で傘を共有した相手と長期に渡り良好な関係を築いていけるという出来るというまじない。 私は、あなたと良好な関係でいたいと望む。 あなたは?』

 山田! 6組にも山田! なんですか、この学校の山田姓の人間はみんなおせっかいという法則でもあるんですか。 大体、おそらくだが、長門さんは「良好な関係」の意味を絶対に誤解している! いや、嫌われるよりは随分いいし、嬉しくないわけではないのですが。 いやしかし、これは、本人に言及するべきなのだろうか。 
 今回は僕だからよかったものの、もし他の、例えば〝彼〟にこんなことをした日には、また閉鎖空間……。 いや、それ以上に、僕や〝彼〟以外の彼女の事情を知らない男子が相手なら確実に誤解を招く。 それは危険だ。 

 しかし、それ以上に危険なのは自分自身の周りであることを僕は失念していた。 あまりの事態に、頭がいっぱいになって背後に近づいてくるもう一人の山田姓の人間の存在に、気が付かなかったのだ。 なにやら肩口に人の気配。 恐る恐るそちらを見ると、一昨日と同じようにニヤニヤした雰囲気を纏う、うちのクラスの山田君がいた。 

 か、顔が近い! ああ、いつも〝彼〟が言っているのはこういうことなんですね、これからは自重しよう。 うん、そうしよう。

「相合傘だな、古泉。」

「えっと、何かの間違いだと思います。 長門さんはあれで結構世間知らずなので、きっと友情のおまじないか何かと勘違いされているものと思われ……」

「だったら普通、涼宮たちの名前も書くよな。 しかも、メモの方にはあなたと、って書いてあるよな。」

「えっと、でも、しかし……。」

「おおーい! 皆見ろよ! 古泉の教科書に長門からのラブメッセージだぜー!!」

 僕の教科書と先ほどのメモを高々と頭上に上げ、クラス中に聞こえるような声で高らかに周囲の視線を集める山田君。 何言っちゃってくれちゃってるんですかぁああ!?  理系クラスはただでさえ男女比が大きく男子側に傾いていて、そっち系の話題があまりないから、かっこうのネタにされるじゃないですか! っていいますか、今現在されてるし! クラス中から浴びせられるニヤニヤとした視線。 ああ、もうこれで一週間はからかわれることが決定しました。 もう、どうにでもしてください。

 しかし、そのときの恥ずかしさと焦りで顔を真っ赤にしていた僕は予想もしていなかった。 この数日後に起きたちょっとしたトラブルが原因で、件の日本史の教科書が、僕と長門さんの間を行き来することになるとは。

<続く……かもしれません>


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