「お前が惚れたという女の人相風体を教えろ」
 中河はしばらく押し黙ってから、
「髪は短かった」
 思い出しつつ話すようにゆっくりと、
「太陽のようなまばゆいばかりの笑顔だった」
 ほう。
「キョンの右手首をつかんで連れまわしていた」
 ううむ。
「そして、神々しいオーラをまとっていた」
 それはよく解らない。しかし、
「ハルヒか」
 まあ、これは予想の範囲内になかったわけではない。あいつは、見てくれだけはいいからな。一目惚れするヤツはいるだろう。
「ハルヒさんというのか」
 中河の声は妙に弾んでいた。
「どんな字を書くのだ? ぜひフルネームを教えてくれ」
 涼宮ハルヒ。涼しいの涼に、お宮参りの宮、そして、ハルヒだ。そう言ってやると、
「……いい名前だ。春の風を思わせる涼に、高貴さを彷彿とさせる宮、そして、春の陽か……。涼宮ハルヒさん……。まさに思った通りの輝ける未来の可能性に満ちあふれた姓名だ。まるで女神のような。俺のイメージ通りじゃないか」
 どんなイメージだ。一目見ただけで構築した独りよがりな妄想だろう。そういや内面がどうしたとか言っていたが、一目惚れのどこに内面が関係するんだ。
「俺には解ったのだ」
 いやに自信に満ちた断言である。
「これは妄想なんかじゃない。確信なんだ。外見や性格なんかどうでもいいんだ。圧倒的な意思の力なのだ。俺は彼女に見た。大いなる神のごとき意思の力をだ。あれほどのノーブルな女性に人生で二度と巡り合うとはないだろう」
 あとで、ノーブルを辞書で引こうと考えながら、俺の首のヒネリはまだ取れない。
「それで? そんな告白を俺に聞かせてどうしようってんだ」
「伝言を頼みたい」
 と、中河。
「涼宮さんに俺の言葉を伝えて欲しいのだ。頼む。お前しか頼りにならない。彼女に連れまわされていたお前だ。少しは彼女と親しいのだろう?」
 こき使われる雑用係の立場を親しいと呼んでよいものやら。まあ、団外の人間に比べれば、親しいとは言えるのかもしれんが。
 どちらにしても、問題はそんなところにはない。
「そんな重要なことならハルヒに直接言えよ。回りくどいことをしたって、ばっさり切り捨てられるのがオチだぜ。あいつは、そういう回りくどいことが嫌いだからな」
「それはダメだ」
 中河は不意に小声となって、
「今の俺ではダメなんだ。きっと涼宮さんの顔を見るなり卒倒してしまうだろう。実は最近も遠くから見たことはあるんだ。駅前近くのスーパーマーケットで偶然な……。
夕方だったんだが、その後ろ姿を一瞬捉えただけで、俺はそのまま閉店まで店内に立ちつくしていた。直接顔を合わすなんて……とんでもないことだ!」
 いかん、中河は完全に脳が桃色になる病気にかかっている。こりゃあ、相当の重篤だ。手の施しようがあればいいんだが、切った張ったの騒ぎに巻き込まれた日にはゴメンと謝って遁走するしか手だてがない。
 中河は少し考えるように間をとってから、
「では、こうしよう。俺が高校でアメフト部に入っているのは知ってるか?」
 初めて聞いた。
「そうか。実はそうなんだ。それで、今度俺の高校で他の男子校のアメフト部と対抗戦をするんだ。ぜひ涼宮さんと連れ立って見に来てもらいたい。もちろん俺はスタメンで出る」
「いつだ」
「明日だ」
 だからハルヒみたいなヤツは一人でいいと言ってるだろう。どうしてもっと余裕のある日程を考えないんだ。
「涼宮さんが回りくどいことが嫌いだというのなら仕方がない。かくなる上は、俺の勇姿を直接見てもらって判断してもらうしかない」
 なんちゅう短絡的なアイデアだ。それからこっちの都合も少しは考えろ。それでなくとも年末年始は色々あるんだ。
「何か不都合でもあるのか?」
 俺に不都合はない。何の予定もなくポッカリ空いた一日だ。ハルヒも空いているだろう。だから不都合なんじゃないか。このままではお前の勇姿とやらを見に行かねばならないハメになる。
「キョン、お前の予定なんかどうでもいい。涼宮さんだ。頼むだけ頼んでくれ。彼女がイヤだと言うのなら俺もあきらめる。だが千分の一でも可能性があるのなら俺はそれに賭けたいのだ。自らアクションを起こさないとどんな夢でもかないはしないものだからな」
「解ったよ。ハルヒにはこれから電話して訊いてみる」
 予感があった。ハルヒはノーと言わないだろう。
 アメフトの試合を生で見たことはないだろうからな。面白そうな暇つぶしのネタを見逃しはしないはずさ。
「お前の高校はどこにあったっけ? もしハルヒがオッケーしたらそこまで連れて行ってやる」
 ハルヒは、朝比奈さんも長門も古泉も引き連れていくだろうがな。
 まあ、余計なおまけがついてても、支障はないだろう。
「ありがとう。キョン、恩に着る」
 嬉々として中河は自分の高校への道順を告げ、試合開始の時間を教えてくれてから、
「お前は縁結びの神だ。結婚式では司会を頼んでもいい。いや、最初の子供の名付け親になってく──」
「じゃあな」
 冷たく言って俺は電話を切った。これ以上中河の言葉を聞いていたら脳に細長い虫が湧きそうだ。
 俺は家電の子機を床に置くと、自分の携帯を手にして登録してあるハルヒの番号を呼び出した。
 
 俺は、電話に出たハルヒに、事情を説明した。
「ふーん。まあ、いいわ。アメフトの試合なんて生で見たことないし、面白そうだから」
 予想通りの反応だな。
「なら、いつものところに集合ってことでいいか?」
「いいわよ。でも、あたしが、その中河くんと付き合うことになったら、あんたどうするつもり?」
「別にどうもしねぇよ」
 今はどう考えてもイカれているとしか思えないが、もともと中河は悪いヤツではない。
 めでたく付き合うことになれば、ハルヒも少しはまっとうな青春というものを送ることができるかもしれない。
 それは、悪いことじゃないだろう。
 俺としては、SOS団の活動に支障が出ない限り、反対する理由など微塵もないさ。
「あっ、そ」
 ハルヒは、なぜか急に不機嫌になり、一方的に電話を切った。
 
 
 
 そして翌日がやってきた。あっさりと。
「遅いわよ! 言いだしっぺのくせして最後にやってくるなんて、やる気あんの? あんた」
 ハルヒが不機嫌な顔で俺に指を突きつけている。お馴染みの駅前、SOS団待ち合わせの場所である。
 予想通り、他の三人、長門と古泉、朝比奈さんも俺を待っていた。
 三人ともよほどヒマなのかね? それともハルヒに一目惚れするような男に並々ならぬ興味があるのか。
 ハルヒ観察役の三人とすれば、後者の可能性が高いが。
「さっさと行くわよ! バスの経路は古泉くんが調べてくれたから」
 ハルヒは不機嫌そうな顔のままバスターミナルに向けて歩き出した。
 すまんな、中河。これはあまり脈がないかもしれん。
 
 民営のバスに揺られること半時、降りたった停留所から数分のところにその男子校はあった。そしてとっくに試合は始まっていた。
 俺の寝坊のせいでバスを二本ほど乗り逃してしまっていたから、到着したのは中河が言ってた試合開始時間の十五分後だ。
 どうやら校舎内には入れないようで、敷地に沿って歩いてるとすぐに金網フェンスに囲まれたグラウンドに出くわし、アメフトの練習試合はそこでやっていた。
「それで、中河くんってのはどれ?」
「ユニフォームに82って書いてあるヤツだ。白いほう」
 昨日の電話で聞かされた通りの説明をする。
「あれね」
 ハルヒは、その動体視力によって難なく目標をとらえたようだ。
 では、中河の勇姿をとくと観察してくれ。
 
 と思ったのだが。
 残念ながらつつがなくとはいかなかった。
 それから五分も経たないうちに──。
 
 中河は救急車で運ばれることになった。
 
 ヤツの負傷退場の顛末を記しておこう。だいたいこんな具合だ。
 敵味方が揃って腰を落とす最前列、その端っこに中河もいた。センターの真後ろにいた白ユニフォームのクオーターバックが何やら暗号通信めいた掛け声を左右に発して、それはまさしく暗号通信だったらしく中河は一列目のラインからつつつっと横に移動した。
その途端、ボールを受けたクオーターバックが二歩三歩とバックステップを踏み、敵チーム側のガードとタックル、ラインバッカーどもが野獣のような突進力で襲いかかる。
 中河はいったんダッシュして素早くインに切れ込んでターン、捕球を待ち受ける構えだがこれはフェイクだったらしく、ボールを構えた司令塔が手首のスナップをきかせて投じた相手は、中河のさらに外側にいたワイドレシーバーだった。
「あっ」
 声を上げたのは朝比奈さんだった。
 ライフル弾のように回転しながら飛んでいくボールは、しかし予定通りの軌跡を描くことはできない。
敵チームのラインバッカーが猛然とジャンプ、だがこれもインターセプトには至らない。かろうじて指先に触れるに留まってターンオーバーは回避、とは言え軌道の変更と減速を強制され、ふわーり、とボールは誰もが予想しなかった地点へと堕ちていく。
 その時だった。
 地蔵菩薩よりも動くことのなかった長門が手を動かすのを俺は見た。
「…………」
 長門はかぶっていたフードの端に触れ、ちょいと押し下げて目線を隠す。だが隠し切れない部位、唇が小さく動いたのを俺の視界は見逃さなかった。
「────」
 確かに長門は何かを呟いた。短く。
 それは目の隅での出来事だった。俺の目の焦点は目下のところグラウンドに合わされている。
「おっ」
 俺は身を乗り出して目を見張った。
 ボールの軌道がわずかに変化したような気がしたからであり、まさにその落下予測地点へ中河が素晴らしい瞬発力で走りこんでいたからだ。俺の視界の中心で中河は華麗に跳躍した。空中で漂っていたボールをしっかとキャッチ、やや体勢を崩したもののそのまま地面に着地──
 ともいかなかった。
 中河のジャンプと同時に、中河のマンマークについていた相手ディフェンスのコーナーバックも素晴らしい跳躍を見せていた。狙いはただ一つ、連中が命の次くらいに重要視しているボールである。
 その敵選手が幅跳び選手のように助走をつけて宙をとんだのは、中河がボールをつかむと同時のことだ。
空中ではいかなる方向転換もままならないのは羽の生えていない人間なら当然の始末で、結果その選手はジャンプの頂点にいてエネルギー量ゼロ状態、後は落ちるだけだった中河とまともに激突した。
その衝撃がいかばかりであっかは、二人ともその勢いのままに弾け飛んだことからも容易に想像できようというものだった。
 敵のコーナーバックは九十度回転して背中からグラウンドに落っこち、そして無防備な体勢でいた中河は綺麗に縦の半回転をおこなって頭から落下した。
 ゴガン!
 よくてヘルメット、悪ければ頭蓋骨にヒビが入ったんじゃないかと思えるような鈍い音だった。
 シャレにならんぞ、これは。
 主審の笛で時計が止められ、中河は担架に乗せられた。
 担架の上でメットを外された中河は、どうやら最悪の事態だけは免れたようだ。周囲の呼びかけに反応して目を開けているし、質問にうなずいたりしている。
 それでも、頭はヤバイ部分だ。今は大丈夫でも後で障害が出てこないとも限らない。そんな俺の懸念はチームの監督だか顧問教師だかも共通だったらしく、まもなく救急車がやってきて、中河を担架ごと乗せて走り出した。
 
 救急車が赤色灯を回転させて去っていくのを見送ったあと、
「さて、いかがなさいましょうか?」
 古泉がそう切り出してきた。
 これには、ハルヒが答えた。
「あたしたちも病院に行きましょ。一応キョンの友達なんだし、見舞いぐらいはしておかなきゃ、後味が悪いわ」
「ああ、そうだな。お前の姿を見れば、感激のあまりあっという間に回復するかもしれん」
 俺がそういうと、なぜかハルヒは不機嫌な顔になった。
 なんなんだ? 意味が解らん。
 その間に、古泉は携帯電話で何か話していた。
 通話を終えて、携帯電話をしまうと、
「搬送先が解りましたよ」
 どこにかけていたのかは知らないが119番でないことは賭けてもいいな。
「僕たちがよく知っている病院です。道順を説明するまでもないでしょう」
 怒涛のような予感が押し寄せ、シーツの白さとリンゴの赤が俺の目の奥に蘇る。古泉は俺に華やかな笑みをくれると、
「ええ、そうです。この前まであなたが入院していた総合病院ですよ」
 俺は古泉を睨みつける。偶然の仕業なんだろうな、それは。
「いや、本当に。奇遇ですねぇ。まったく、僕も驚いていますよ」
 そのわざとらしい口調が、ますます信用ならん。
 
 俺たちは、タクシーを拾って、病院に向かった。
 その途中、気になることが磯辺のフジツボ並みに俺の心臓に付着していた。ハルヒに一目惚れした中河が都合よく負傷したりするのも気がかりだが、それ以上に、長門と古泉だ。
 長門が呟いた謎の呪文。中河の事故が起こったのはその直後で、どれだけ鈍い頭脳の所有者でも、いままでのパターンを記憶していれば何かあると思うのは当然の流れだろう。
 そして、中河が搬送されていった先の病院は、古泉の「機関」の関係しているところだ。
 どう考えても偶然とは思えん。
 
 
 
 受付で事務員に尋ねたところ、中河はすでに治療と検査を終えて病室に移動しているとのことだった。
 さっそく病室に訪れる。
「中河、元気か」
「おお、キョン。ちょうどよかった。さっき検査が終わったところなんだ。様子見で一泊することになった。落ちたときは頸をやっちまったかと吐き気がしたが軽い脳震盪ですんだとも──」
 喋っているうちに俺の背後に気づいたようだ。極端まで目を見開いて、
「そちらの方は……ま、まさか……」
 まさかも何もない。
「ハルヒだよ。喜ぶだろうと思って連れてきた」
「おおおっ……!」
 中河は屈強な体躯をベッド上で弾ませ、いきなり正座した。元気そうで何よりだ。このぶんでは頭の中も無事だろう。
「中河ですっ!」
 怒号のような自己紹介だった。
「中原中也の中に黄河の河で中河です! 以後お見知りおきを!」
 信仰している神に実際に会った信徒みたいな平伏ぶりである。
 さすがのハルヒも、これには引いていた。
 
 そこで、俺は、ふと気配を感じて顔をあげた。
 長門の視線が中河に向けられていた。長門は、五秒ほど中河を凝視すると、いつもの茫洋な表情に戻った。
 
 すると、
「うん?……あー」
 中河が何故か怪訝な表情へと変化した。
「……キョン」
「何だよ」
「ちょっと……その、お前と二人で話したい」
 いきなりなんなんだ?
 そうは思ったが、俺は四人を人払いしてやった。
 中河はスライドドアが閉じられたの見て、ふっと息をつき、
「あれは……本当に涼宮さんか。本物の?」
 ニセハルヒなんかにお目にかかった経験はないな。
「せっかく連れてきてやったんだ。少しは喜んだらどうなんだ」
「ああ……なんというかうまく言えない……。ちょっと考えさせてくれ、キョン。すまないんだが……」
 それっきり中河はベッドに座り込んで頭を抱え込んだ。やはり頭を打ってどこかおかしくなっちまったのか? 反応が不可解過ぎるし話も続かない。どうにも間が持たないので、俺も退室することにした。
「中河。そのうちわけを詳細に聞かせてもらうぞ」
 
 退室したところで、ハルヒにいろいろと聞かれたが、俺もなんとも説明のしようがない。
 なんだか釈然としない感じで、その場は解散となった。
 
 
 
 自宅に戻った俺を待っていたのは、
「あ、キョンくんー、いいところに帰ってきたよ。電話ー」
 片手に電話子機、片手にシャミセンをぶらさげた妹の笑顔だった。俺は電話とシャミセンの両方を受け取って自室に引っ込んだ。
 予想していた通り、電話の主は中河だった。
「非常に言いにくいのだが……」
 病院の公衆電話からかけていると断った上で、中河は言葉通りに言いにくそうなニュアンスを声にこめながら、
「この話はなかったことにしたい、と彼女に伝えてもらえないだろうか」
 多重債務に苦しむ中小企業の社長が支払い日の延長を申し込んでいるような声だった。
「わけを言ってもらおうか」
 俺は機嫌の悪い債権者が無策な経営者に対面したような声で、
「たった一日でなかったことにしろってか。お前の半年間は何だったんだ? ハルヒと間近で会った途端心変わりかよ。説明の状況次第で俺のお前への対応も変わってくるぞ」
「すまない。俺にもよく解らないのだが……」
 本心からすまながってるように中河は言う。
「病院に駆けつけてくれたことはとても嬉しい。感謝したい。だが、その時俺は涼宮さんに以前のオーラを感じることができなかった。どこにでもいそうな普通の女の子に見えた。いや、どう見ても普通の女の子だった。いったいどういうわけなのか俺にも不思議だ」
 ハルヒをさして「普通」というのも普通じゃない気がするが、まあ、あのわずかばかりの時間の対面ならそういう感想もありうるだろう。
「キョン、あれから考え続けていたんだが、何とか思いついた結論は一つだけだ。俺は涼宮さんに一目惚れしたのだと思っていた。しかし今ではそんな感情はどこにもないんだ。ということは、俺は手ひどく間違ってしまったんだとしか思えないんだ」
 どこで間違ったんだって?
「一目惚れ自体が間違いだった。冷静に考えたら見ただけで恋に落ちることがあるとも思えない。俺はずっと勘違いをしていたらしい」
 ほう。では中河、お前がハルヒに見たという後光やエンジェルズラダーや落雷の衝撃ってのは何だったんだ。見るだけで硬直しちまうっていう妙な現象は?
「解らん」
 中河は百年後の今日の天気を予想せよと言われた気象予報士のように、
「見当もつかない。今となれば、すべて気のせいだったとしか……」
「そうかい」
 ぶっきらぼうに言いながらも中河を責める気は毛頭なかった。実のところそんなに驚いてもいない。だいたい予測した通りに物事は進んでいたからだ。中河が頭を打ったあたりから、俺はこうなるんじゃないかと思っていた。
「よく解ったよ、中河。ハルヒにはそう伝えておく。もともとたいして乗り気というわけでもなかったみたいだからな。一瞬で忘れてくれるだろう」
 溜息のような呼気を受話器が吐き出し、
「そうか。だと、ありがたい。くれぐれも申し訳ないと謝っておいてくれ。どうかしていたよ」
 きっとそうだろう。疑問の余地がないほど中河はどうかしていた。で、今は正常値に戻っている。誰かが状態回復系の呪文をかけてくれたのかもな。
 
 電話を切った俺は、すぐさまハルヒの番号にかけた。
 中河の伝言をそのまま伝える。
「あっ、そ。ひとを見てくれで判断する男なんてそんなもんでしょ」
 ハルヒは、特に疑問を呈することもなくあっさりと伝言を受け入れた。
 中河は内面云々を言っていたのだが、そのことはハルヒには言わない。その疑問をぶつけるべき相手は、ハルヒではないからだ。
 それはともかく、中河のことなどどうでもよさそうな雰囲気なのに、ハルヒはなぜか不機嫌なままだった。
 とばっちりを食らう前に、俺は適当な理由をつけて電話を切った。
 
 続いて、別の番号にコールした。
「今すぐに会えるか?」
 電話に出た相手と落ち合う場所と時間を指定しながら、俺はすでにマフラーとコートを拾い上げていた。
 あっち行きこっち行きを繰り返して多忙を極めた本日もこれでようやく終わりそうだ。
 
 
 
 ママチャリを走らせて行った先は、変わり者のメッカとして俺にはお馴染みになっている、長門のマンション近くの駅前公園だった。
 入り口付近に自転車を止めて公園内に踏み込む。
 ベンチに腰掛けて待っていたのは、ダッフルコートをサンドピープルみたいに着込んだ人影だった。
 そして、その隣には、まるでそこにいるのが当然だとでもいうかのように、ニヤケハンサム野郎が立っていた。
「あなたが呼び出したのは長門さんだけなのに、僕がここにいてもあなたはたいして驚いた様子でもないですね」
「予想はしていたからな」
「あなたにあっさり行動パターンを読まれてしまうとは、『機関』の一員の僕としては由々しき問題です」
 勝手に言ってろ。
「そろそろタネ明かしをしてもらおうか」
「ええ、いいでしょう。もとよりそのつもりでしたから。まずは、あなたの友人の中河氏ですが、彼は僕たちの仲間になっていた可能性があるんです」
 どういうことだ?
「彼も、三年前に涼宮さんの力の影響を受けた一人というわけです。ただ、閉鎖空間にも入れないほどの半端な能力しかなかったので、『機関』のスカウトの対象にはならなかったんですよ」
 まかり間違っていれば、中河が古泉のポジションにいた可能性もあるわけか。想像もつかないが。
「僕たちとしては、それでまったく問題は生じないはずだったのですが、彼には僕たちが把握してなかった能力があったようでして……」
 古泉は、ここで長門に視線を向けた。
 長門は、バトンを受け取ったかのように、あとを続けた。
「彼は、限定的ではあるが涼宮ハルヒの世界改変能力に直接アクセスする超感覚能力を持っていた。彼には自分の見たものが理解できなかっただろう。限定的なアクセスに過ぎなかったとしても、その圧力は彼を圧倒させたと思われる」
 勘違い、か。俺は嘆息した。中河がハルヒの内面だと感じたシロモノは、実はハルヒのよく解らん力の一端だったらしい。そんなもんにうっかりアクセスした日には、なるほど確かに呆然自失してもおかしくはない。
「中河はそれを恋だか愛だかと錯覚したんだな」
「そう」
「お前は、あいつのその感情を修正したんだ。アメフトの試合中だな。いや、あの病室でもだ」
「そう。彼が持っていた能力を解析し、消去した」
 と、長門は答え、
「涼宮ハルヒの力に直接触れ続けていれば、いずれ弊害が顕在化すると予想した」
 それは解る。ハルヒを一瞬見かけただけで忘我していたという中河のリアクションもさることながら、半年以上経ってからいきなり俺に電話をかけてきて熱烈に愛を語るようなイカレ具合だからな。放っておいたらどこまで暴走するか想像するのも恐ろしい。
 
「まあ、とりあえず、この件はこれで落着です」
 古泉が話を打ち切り、そして、いきなり話題を変えた。
「ところで、あなたは、涼宮さんが中河氏の告白を受け入れる可能性についてはどう考えてましたか?」
 いきなり何を訊いてくるかと思えば、そんなことか。
「中河が真正面から告白すれば、受け入れる可能性はあると思ってたぞ。あいつは、中学時代は、男からの告白を断ったことがないらしいしな」
「本当にそうですか? 僕には、涼宮さんが告白を受け入れないことを確信していたように見えましたよ。あなたが本当に今言ったとおりに思っていたとすれば、そんなに落ち着いてはいなかったと思うのですがね」
「お前が言っていることは意味が解らん」
「やれやれ。自覚がないのですか。困ったものですね。まあ、涼宮さんも涼宮さんというべきでしょうか。もうちょっと思わせぶりな態度でもとれば、あなたから望んだ通りの反応を引き出せたかもしれないのですが」
 お前の独り言は、意味不明だ。
「それはともかく、涼宮さんは今も不機嫌なままです。あなたにはアフターフォローをお願いしたいところなのですが」
「ハルヒのご機嫌取りはお前の役目だろ。だいたい、なんで、ハルヒは不機嫌なんだ? 理由がさっぱり解らん」
 古泉は、大げさに溜息をつきやがった。
「はぁ……。僕のアルバイトが完全に無くなる日は遠そうですね」
 
 そこに、唐突に、長門の静かで小さな言葉が風に乗って届けられた。
 
「……鈍感」
 
終わり

 


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