翌朝はすっきりと目覚め。小鳥のさえずる声や朝の強い日差しで起こされるのは、健康的よね。
ベッドの中で大きく背伸びをしてから、ベッドから抜け出た。
リビングに出ると、ソファにすわった親父がいた。バスタオルで頭を乾かしてるところをみると、シャワーでも使ったのかしら。
「おはよ。シャワー?」
「おはよう。さすがにちと暑いんでな」
「母さんもシャワー?」
「いや、母さんはまだ寝てる。じき起きると思うけどな」
親父が頭を乾かすのをやめ、あたしをみた。その瞬間、がっかりしたような表情を見せると、また髪を乾かし始めた。
「どうかした?」
「なんてだらしない格好だろうと思ってな」
「別に家族なんだし、いいじゃないの」
「年頃の娘がだらしない格好してれば、親としてはいろいろ心配だ」
「そぉ?」
「おはよう」母さんがベッドルームから出てきた。ちょっと眠そうね。夜更かしでもしたのかしら。
「あ、ハルヒったら、まただらしない格好して」
「なんなのよ、二人してぇ」
「ま、シャワーでも浴びてすっきりしてこい。せっかく可愛いのにもったいない」
「その通りよ。キョンくんが見たら、100年の恋だって醒めちゃうわ」
「はいはい、分かりましたよーだ」

まったくうるさいのよねえ、別にキョンは関係ないじゃない。ここにいるわけじゃないんだし、ここには家族しかいないのよ。
ちょっとぐらい大目に見るって気持ちはないのかしら。そういうとこだけ、二人ともうるさいんだから。
一度ベッドルームに戻って、水着と昨日買ったサンドレス、そしてバスタオルを準備して、バスルームに向かう。
シャワーで汗を流してさっぱりした。水着を着て、サンドレスを着た。鏡に移して見れば、結構ミニ丈。でも、制服のスカートよりすこし短いだけね。
夏はこれであいつを誘惑なんかしてみようかしら。みっともない格好するなって言われそうだけどさ。結局はあいつも男な訳で……
「ハルヒ~朝ごはん出来たわよ~」
「今行く~!」
あたしはバスルームを後にした。

TVによると、今日は風が強くて波が出るみたい。もっとも波は腰ぐらいまでしかないらしくて、サーフィンは楽しむってほどではないみたい。
親父は朝ごはんを済ませると、そそくさと出て行ってしまった。そんなに好きなら、日本でもやればいいのに。
「日本じゃ狭くてもうやる気しないみたいよ」
「ふうん」
「ハルヒは今日はなにをするの?」
「今日は砂浜でごろごろしようかな」
「そう。ボディボードで遊ぶって手もあるわよ」
「ああ、そうねえ。母さんは?」
「本読んだり、ごろごろしたり、散歩したりかな」
「え、コテージで? どっか出るんなら、付き合うわよ」
「いいのよ。父さん放っとけないし。これでも母さんは楽しんでるんだから、気にしないで」
「ああ、そお?」


朝ごはんを食べ終わって、砂浜に出た。昨日と同じ場所で親父は店を広げていた。

昨日とはボードやセイルの大きさが違うような気がするけど、気のせい?
「よく気が付いたな。風がでて波がでれば、それにあったやつを選ぶんだ」
「波あっても出来るんだ」
「出来るさ。難易度アップだがな」
ボディボードの話をすると、どこからか借りてきてくれた。
「これ、どうやって遊ぶの?」
「波乗ってくるくる回ったりして遊べばいい。乗るには小さいから、無理すんな」
「そんなことしないわよ」
「おまえならやりかねん。ま、できたら拍手喝采だな」
「やらないっての」

ボディボードで遊び始めた。波に乗るって感覚が最初わかんなかったけど、30分ぐらいで分かるようになってきた。すんごく楽しい。
親父はものすごいスピードでボードを走らせたり、波に乗ってジャンプして遊んでいる。
そんなことをしているうちに、お昼になってしまった。

お昼はまた近所のレストラン。
独特の味付けがおいしい。サラダは新鮮だし、パンはおいしいし、言うことはないわね。
親父は人一倍食べて、あたしもそれに負けじと食べた。
食後のコーヒーまで飲んだんだけど、なんか眠いわね。ちょっとうとうとしたい感じ。
午後は浜辺で優雅にお昼寝でもしようかな。
「ビーチパラソルあるかしら?」
「あとで借りてきてやるよ」ちょっとけだるげな表情の親父がいった。さすがに疲れてるのかしらね。
「ありがと。親父は午後もウィンド?」
「ああ。ちょっと一休みしてからだな」
「そう」

親父は借りてきたビーチパラソルを浜辺に設置してくれた。
「一休みしてくるよ」
「パラソルの下で寝ればいいじゃない」あたしはバスタオルを砂浜に引きながらいった。
「ちょっと太陽の光に当たり過ぎた。このままだと光合成を始めそうだ。もう若くないからな」
「親父はオヤジだもんね」
「それ、ひょっとしてギャクのつもりで言ってんのか……ま、サンオイルたっぷり塗って、火傷には注意しろよ」
「分かってるわよ」
親父はけだるそうにコテージへ向かう。

あたしはサンオイルをたっぷりなすりつけた。サンオイルの独特の香りで頭がくらくらしそう。
準備できたところで、バスタオルに寝転がった。もうバスタオル熱くなってる。その下の砂が結構灼けてるってことかしらね。

湯気が立ってるような空と海の境をぼんやり眺めた。急に決まった海外旅行だけど、なかなかいいものね。
TVなんかで連休に海外脱出組が、空港に押し寄せてる映像なんて見るけれど、気持ちは分かるわ。こういうんだったら、毎年行きたいって思うもの。
でも来年は受験か。まあ志望校受かるぐらいの学力はあると思ってるし、ちゃんと証明も出来てるけどね。でも、油断大敵よね。
それよりあいつの学力が心配ね。別にアホって訳じゃないはずなのに、勉強しないのよねえ。ちゃんとやれば、国木田程度にはなれる筈なんだけど。
一学期の成績如何では、塾通いになるかもしれないって佐々木が予言してたわね。そうならないように、ちょっと手を打つ必要があるかも知れないわね。
やっぱり補講が必要? あのやる気のなさをどうにかする方法ってないのかしら。
しかし、あいつったらなんであたしにこんな手を焼かせるの?
これまでそんな奴いなかったのに。

まあ、それを許してるあたしもあたしか。惚れた弱みじゃないのかって、親父に言われそう。
でも、そう言われても仕方ないわね。認めたくないけど。

少しだけ冷たい風が砂浜を渡ってくる。大きな鳥が何匹か空を闊歩している。
波の音が心地よく聞こえるのは、胎児のころを思い出すからだなんてこじつけが、本当のように思える。
記憶ってそんなに確かなもので、信用に値したっけ。
とってもいい気持ちで、あたしは目を閉じた。
こういうときにあいつが隣にいたらなんて考えてしまう。お互い恥ずかしがりながらも、手をつないでいられる関係のあいつ。
あいつの顔は目を閉じればすぐに思い出せるけど、それじゃ物足りない。今すぐ会いたい。会ったとしたらなにをしよう。一緒に遊ぶ……あれ、波の音がどんどん遠くなって…………


「おい、ハルヒ」
誰、親父? でも声が違う。誰?
「ハルヒ。起きろって」
え、キョン? なんでキョンの声が聞こえるのよ。目を開くと、真剣そうなキョンの顔が見えた。ジーンズにTシャツ姿。
「なんで、あんたがここにいるのよ……」
「それは俺が聞きたい」
「まだ夢の中なのかしら……」
なんか空の色が変な灰色がかってるし、海の色もなんかおかしいわね。
キョンは口の中でなにかつぶやいたけれども、風が強くてなにを言ったのか聞こえない。
「いつどうやってここに来たの?どうしてここが分かったの?」
「わからん。気が付いたらここにいた」
去年みた夢その2ってところかしら。現実感に富んでる癖に、すべてが作り物みたいに見えるし。

数学の環みたいに閉じた空間なんて現実には存在するわけないし、夢でなければ数千kmも離れた場所にいるはずのキョンが突然現れるわけじゃない。
キョンは落ち着かないように、あたりを見回している。なんかありえない事態に巻き込まれた気の毒な人に見えるんだけど。
夢の登場人物の癖にね。
「ちょっとどうしたのよ。落ち着きなさい。これは夢なの。だから、思う存分楽しめばいいのよ」
「ああ、そうだな」
口ではそういいながら、キョンはあたりを見回したり、砂をつかんで落としたりしている。そして諦めたのかため息をひとつついて、肩をすくめた。
「そんな格好だと暑いじゃない。どうせなら涼しい格好で出てくればいいのに」
「そうかもしれんが、聞いてなかったからな」キョンはそう言って、砂浜に座り込んだ。「出演を直前まで知らなかったんだ」
ふうん、予定外に登場したピエロみたいなものね。まあいいけど、出て来たんだから、あたしを楽しませてくれるんでしょうね?
「そうしないと夢は終わらないんだろうな」キョンはため息をつきながらいった。
「当然じゃない」あたしは答えた。「とことん遊ぶわよ」

コテージに戻ったけど、誰もいない。夢なんだから、当たり前とはいうものの、都合良すぎる気もする。ひょっとして世界に二人だけって夢なのかしら。
そういう中学生の男子みたいな妄想とは無縁だと思ってたけど、まあ悪い気はしないわね。夢が醒める前にちゃんとあそばなきゃ。
親父が脱ぎ散らかしていたショートパンツを見つけて、キョンに渡した。夢なんだから、サイズの違いは問題ない筈ね。
「ちょっと大きいぜ、これ」夢だってのにキョンは文句を言う。
「親父のだから。でも、ずり落ちたりはしないでしょう」
「どうだろうな」こわばったような笑顔が気持ち悪いわね。もっとリラックスしなさいよ。あたしの夢に出て来たこと、一度や二度じゃないでしょう?
「そうなのか? そいつは初耳だ」
そういいながらキョンはジーンズを脱いで、ショートパンツに着替えた。
そしてまた砂浜に戻った。

まずは海中散歩ね。キョンはショートパンツのまま泳ぎ出した。
昨日見つけた場所に連れて行って、その近くで大きなウニがいっぱいいる場所を見つけて、きれいな魚の群れに突っ込んで蹴散らした。
砂浜からずいぶん離れたけど、まだ足がつく。
「やっぱり南の海はいいな」一休みしながら、しみじみとキョンが言うのがおかしい。「日本とは大違いだ」
「いいでしょ。こういうところに将来家族つれて遊びにこれるぐらいの甲斐性はほしいわね」
「あーそうだな」まるで他人事のように言うキョンがちょっとムカつく。
あまりにムカつくんで、海水かけてやった。しょっぱいと一人で騒ぐキョンに、アカンベーしてやって、一人で泳ぎ出した。

すぐキョンに追いつかれるけど、気にせず泳ぐ。サンゴがところどころにあって、大きな石なんてのも転がってるけど、海の底は砂。その砂に波間のきらめきが映ってとってもきれい。
キョンがあたしの手をつかんだ。なにすんのよ、泳ぎにくいじゃない。そう思ったら、キョンがあたしをひっぱって泳ぎ始めた。
さすが夢だけあって、キョンも積極的じゃないの。

いつもこうだといろいろ助かるんだけど。現実はねぇ。厳しいの一言ね。
そのままキョンに引っ張られて、砂浜に戻った。小さな波が砂浜に押し寄せて、足首を洗ってるみたい。
コテージに戻って一度水分補給しようとキョンが言い出した。別に夢の中なんだからそんな必要ないのにと思うけど、キョンはあたしの手をひいてとっとと歩きだした。
まあいいか。夢の中でも喉乾くことはあるもんね。


コテージで喉を潤して、回りの探検に出掛けた。キョンは初めて見るといって、結構興奮ぎみね。
とても長いサーフボードを見つけたのは、コテージの裏だった。
「ね、これで遊ばない?」
「サーフィンなんかやったことねえぜ」
「あたしもやったことないけど、とにかく波に乗ればいいのよ」
二人でそのボードを抱えて、砂浜に戻った。よっこらせと掛け声を出しながら、ボードを浮かべた。
キョンは
腰の辺りまでの深さまでボードを引っ張って、あたしはボードに乗った。ぐらぐらするかと思ったけど、わりと安定してるのね。
とりあえずボードの上にぺたんと座りこんだ。
バシャバシャと水を叩く音に振り向くと、キョンが涼しい顔で上半身だけボードに乗せて、バタ足していた。
ゆっくりとボードが動き始めた。
「とりあえず押せばいいんだろう?」
よくできました。夢の中だと、積極的じゃないの。そういう姿勢を普段もほしいわね。
口元が緩んでいるのが自分でも分かる。でも、そんな顔は見せたくなくて、あたしは前を向いた。

始めは勝手の分からなかったサーフィンも、小一時間もやっているうちにコツがつかめた。波に乗って進む感触って、すんごい独特。すっと体が持ち上げられ、そのままするすると進んで行く。
二人で交替しながら、すくなくとも10往復はしたと思う。さすがに日もすこし傾き、また風が強くなってきた。
うねりが強く、大きくなってきた。満潮も重なってるのかしらね。
それでも5往復したところで、空の色がすこしづつ赤くなっているのに気付いた「変な色だけど、夕日かしら」
「変な色だが夕日だな」
「そろそろあがろうか」
「そうするか。体も冷えて来たしな」
最後に誰がボードに乗るかすこし揉めて、結局あたしが乗った。そのまま砂浜に到着。最後も二人でボードをかついで、元にあった場所に戻した。

足が重い。そもそも体も重い。でも、心地よい疲れを全身に感じている。ああ、なんか遊んだって感じね。
シャワー浴びて、着替えましょうとあたしはキョンに言った。
「先、入ってていいぞ」
キョンはバスタオルで体を拭きながら言う。あたしに異論なんかない。ただし、釘だけは刺しとかないとね。
「許可なく覗いたら死刑だからね」
「ああ、分かってる」
「いい? 許 可 な く 覗いたら死刑だからね?」
「何度も言わなくても分かってる」
全然分かってないじゃない。まあもともと鈍感だからこんなもんかもしれない。
こんなチャンス、早々ないと思うんだけどな。
あたしは小さくため息をつくと、ベッドルームに着替えを取りに寄って、バスルームでシャワーを浴びた。


シャワーで海水やらなにやらを流すと、すこし皮膚がピリピリ痛い。あとで薬用ローションでも叩いとくかな。
朝と同じサンドレスに着替えた。
バスルームを抜けたら、キョンはバスタオルを腰に巻いて、TVを眺めていた。
あれ?クローズキャプション出てるじゃないの。
「このボタンを押せば出たぞ?」キョンはリモコンのCCと書いてあるボタンをあたしに見せた。
「ああそう」がっくりくるわね。「あんたもシャワー浴びてらっしゃいよ」
ああ。それだけいって、キョンはバスルームに消えた。
ふと、リビングの外をみると、親父のショートパンツと、キョンのパンツが風にはためいていた。


オレンジ色だけになるはずの世界に、不気味なグレーが混じっている。
ジーンズにTシャツを着込んだキョンと、そんな夕焼けの中を二人で歩いた。

言葉はないけれども、二人一緒だし、この沈黙が結構心地よかったりして。
空の天辺は、いつかの夢で見たことのある不気味な色に染まっている。
あれも夢だったし、これもきっと夢。夢にしちゃやたら現実感があって、やたら長いのはどういうことなんだろう。
ゆっくりと暮れていく空の下、いつまでもキョンと歩いていたい。できれば、ずっと永遠に。
でもそれはかなわぬ夢。いつかは別れる時が来る。大きくなって、年老いて、その時あたしたちはなにか残すことができるんだろうか。
そんなことを思うと、すこし憂鬱な気分が戻ってくる。その空の不気味な色みたいに。
「そろそろ戻るか」キョンがささやくようにいった。
キョンはあたしの手を引いて歩いている。親父とは違う、暖かい手が心に家族とは違う安らぎを与えてくれるよう。
それが人を愛することなのかもしれないと気付かせてくれるように思う。
海から来る風が強くて、キョンのTシャツがはためいている。あたしのサンドレスも風に踊っている。髪が飛ばないように空いてる手の平で抑えた。

コテージの近く、ビーチパラソルのある場所まで戻ってきた。パラソルの場所まで来ると風は穏やかになっていた。
キョンは短いため息をついて、そこにしゃがみこんだ。
あたしもキョンの隣にしゃがみこんだ。

かすかに残る明かりは、まるでロウソクの炎のように海の向こうに揺らめいてるだけ。でも、すこしづつ薄気味悪いグレーに侵食されつつある。
ころんとあたしはキョンの肩に頭を預けた。空気読まないキョンにしては珍しく、あたしの肩を抱いてくれた。
「そろそろ夢、終わりなのかしら」とあたし。
「一日、十分遊んだだろう?」キョンは苦笑しながら言った。
「ひとつだけ、やり残したことがあるの」
振り向いたキョンの瞳はやさしくて、あたしを包んでくれた。

勇気なのか、それとも単なる本能なのか分からない炎が胸の中で燃え上がるのを感じた。
次の瞬間、あたしはキョンを押し倒している。女の子がこんなことしちゃいけないわよね。分かってる、二度としないから。


一度だけだから。今日だけだから。夢の中だけだから。


そんな言い訳を胸の中で並べながら、指でキョンの頬をなでた。火照っているのが、触れただけでわかる。
キョンの瞳はどこまでもあたしを包んでくれる。こんなことしちゃいけないと頭が思うんだけど、体は止まらない。
キョンの頬を両手で包む。火照っていて、とても熱い。普段だったら、憎まれ口のひとつでも叩くところだけど、言葉がつまって出ない。
キョンの両手があたしをやわらかく抱き締めた。まるで火に包まれたかのように熱くて、あたしの体まで火照ってくる。
キョンは何も言わず、あたしは何も言えず、ただ見つめ合う。鼻が触れて、近づいていることが分かるけど、もう止めようとも思わない。
波の音も風の音もなにも聞こえず、耳鳴りみたいな音が聞こえるだけ。そっと目を閉じて、唇を重ね合わせた。
このままひとつに融けてしまいたくて、体がそれを邪魔してとてももどかしい。
キョンがきつくあたしを抱き締めるのを感じて、体が急に存在感を失って。
そしてあたしもキョンもいなくなってしまった。

パチパチと木が燃える音がまず聞こえた。その次に虫の音が聞こえる。
そして、タオルケットに包まれている自分を感じた。
目を薄く明けると、たき火が目にはいった。夜の闇がすぐそこまできている。
あたしは起き上がった。風向きが突然かわって、煙をすいこんじゃって少しむせた。
「お、起きたか」
親父が事もなげにいって、手元の薪をたき火に投げ込んだ。パチパチと木が爆ぜる音がする。
「あなた全然起きなくて」母さんが心配そうにいった。
「え? やっぱり夢だったの?」
「なんだ、まだ寝ぼけてるのか」親父がすこし笑った。
「いい夢でも見てたんでしょう?」母さんが優しくいった。
思わず唇に触れた。あの口づけの感触は二度と忘れられないけれども、それも夢だったというのかしら。
「そろそろ気温も下がってきている。そろそろ、晩飯食いに行こう」
親父がたき火に砂をかけはじめた。

ぼんやりした頭で食事を済ませた。お風呂に入ってもすっきりしない。
ベッドルームに引き上げて、ベッドに飛び込んだ。
ふかふかのベッドにすこし心が晴れるけれど雲の方が多いわね。どういうこと? なんて、全部あいつのせいじゃない。
電話の子機をつかんで、キョンの携帯を呼び出した。
キョンとしばらく話をしたら、胸のつかえが取れて行くのが感じた。
「そういうわけで、とても変な夢を見たのよ。どう思う?」
「どう思うって言われてもな……」
「あんたが悪いんだからね」
「俺かよ」
「そうよ、あんたが素直だったらね、あんな夢なんてみないの」
「素直なつもりだがな」
「肝心なところで大事な事、言えない癖に」
「……おまえもな」
「あたしは、あんたの話をしてるのよ。意気地無し」
「………」
「たまにはさぁ、はっきりいったらどうなのよ」
「……きだ」
「え、なに?」
「ハルヒ、おまえが好きだ」
胸の奥にあるあたしの最大の弱点を撃ち抜かれたみたい。そこを撃ち抜かれるとまず息がつまって、心臓の鼓動が増して、全身が熱くなって……
とにかく大変な事になるの。
「………ばか」
「おいおい」
「夢でもいいなさいよ、そういう大事な事は……」
「おいおい、俺は夢の住人じゃねえんだぞ」
「分かってるけど。それ、夢で聞きたかった」
「まったくわがままだな」キョンがため息をつきながら言った。
「分かってるけど。でも、夢で聞きたかったの」
「満足か? お姫様は」
「満足してないもん。もっといっぱい聞かせてくれないとずーっとずーっと許してやらない!!」
それから後は、眠くなるまで話し続けた。

翌朝。いよいよ日本に帰る日。親父が帰りの飛行機を一時間遅く考えてたことが分かって、みんなで大慌て。
大忙しで荷物をまとめて、簡単に掃除して、チェックアウト。
鍵を返しに言った親父は、戻って来る時にやられたという顔を一瞬見せたけれど、なにも言わずに車を出した。
レンタカーを返して、出国手続きと税関を一気に通って、お土産物を物色した。
目が回る勢いで飛行機のゲートを通り抜けた。
ほっとしたのは、飛行機のシートに座ったとき。
なんか気が抜けたあたしはそのまま意識を失った。早い話が寝ちゃったってことね。

次に起きたのはやはり飛行機が着地した瞬間だった。寝ぼけ頭で入国審査と税関を通り抜けた。
日本に帰ってきたって実感より、朝のドタバタでかなり疲れた。これは全面的に親父のせいね。

親父はすこし反省したのか、空港から家までタクシーで帰ろうと言い出した。
でも、母さんに反対されて、さらにしょんぼりしていた。いい気味よ。

行きと同じ電車にのって、途中の駅まで戻ったときには、もうすっかり夜。そこで晩御飯を食べて、あとはタクシーで家まで帰った。
そのころはくたくたで、なんとかシャワーを浴びて、キョンに電話するのが精一杯。
あした遊ぶ約束をしたとたん、意識が途切れた。


翌朝。母さんは元気を取り戻していたが、親父はまったく起きてこない。いい年して頑張るからそうなるの。ま、好都合だけどね。
母さんの作った朝ごはんはやっぱりおいしい。日本人には日本食かしらね、やっぱり。
約束も場所もいつもと一緒。サンドレス着られるほど日本は暖かくないから、デニムのミニスカに長袖Tシャツにした。
待ち合わせ場所にいつも早く来るのはあたしのような気がする。すこしいらいらしながら、キョンを待った。
「待たせたな」
キョンの声に振り返って、あたしはとても驚いた。
「なんで日焼けしてるの?」
「あ、ああそうだ。いい天気だったもんでな、こんがり焼けちまったよ」
「ふうん。でも、えらく黒いじゃない。あたしに負けないぐらい」
「結構日差しが強くてな、いや大変だったよ」
なんかぎくしゃくした笑顔を浮かべるキョンがちょっと怪しい。
でも、ま。いっか。
こいつがいれば、この世界もすこしは楽しいもんね。

明日学校があるってことで、早目に家に帰った。
晩ごはんはハンバーグ。母さんは何作ってもおいしいわね。
親父は復活していて、発泡酒を飲みながらTVを見ていた。
「ただいま~」
「お、おかえり」
「あ、復活したんだ」
「さすがにちとこたえた。おまえの若さがうらやましい」
「ふふん。親父も若くないんだから、無理は禁物ね」
「ああ。肝に銘じたよ。ところでハルヒ」
「なあに?」
「レンタルした携帯、結局使わなかったよな?」
「ああ、そうね。部屋にあるわ。後で降ろしとく」
「それはいいんだが」親父は重々しく言葉を切った。
「なによ?」
「これ、おまえが掛けた国際電話の明細だ」
親父は紙切れをそっとテーブルに乗せた。ん? total $525って書いてあるけど、これってひょっとして、ひょっとして………
「ああ、約6万円だ。携帯にかけるなと言うのを忘れていたが、それでも長電話の罪は重いぞ」
「あ、あの、ひょっとして……」
「そう。当分、おまえに小遣いなし。どうしても欲しいものがあれば別途申請しろ」
「そ、そんな~あたしが一体なにしたっていうのよ!!!」
「国際的長電話でしょ」すこし険しい顔の母さんが台所から出てきた。

腰に手を当ててるってことは、説教モードに入ったって事ね。
あたしは説教モードの母さんに散々しぼられてしまった。



おわり

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最終更新:2020年03月07日 10:02