うとうとしていたら枕元の携帯電話が鳴ったので、寝ぼけながら電話を取った経験は誰しもあることだろう。
多分、相手はハルヒだ。何事かしゃべっているが、まるで内容がわからない。
ハルヒと似た声のウズベキスタン人が俺に国際的間違い電話をかけてきて、不慣れな英語で喋っていたと聞かされればそうだと信じる程度に理解できなかった。
何事か問いかけてきているのだが、まだ首までどっぷり夢に浸かったままの俺は、単にうんうん相槌を打つしかできない。
妙にテンションが上がってるなと思うのだが、それにいたった背景や経緯もわからない。
数億ドル分の援助を電話で申し込み、即答でOKが出て有頂天になっているどこぞの新米外交官かもしれないが、一介の高校生に間違い電話を掛けるほどのド阿呆は、とっとと首にすべきだろう。
相手がハルヒだという確証も、そもそもなんの話をしているのかもわからず、俺はなんどか相槌をうち、電話が切れたようだ。
俺はそのまままた夢の中に誘い込まれていく。
まるでルーベンスの絵をみていたら、うっかり寝ちまって、そのまま天使に運ばれて行くような心地よさを感じながら。

妹の気配を察して、目が覚めた。とびかかろうとする妹を手で制して、ベッドに起き上がる。
頭を振って、開いたままの携帯電話に目をやった。おぼろげながら誰かから電話がかかってきた記憶が蘇る。誰だ、一体?
着歴をチェックしてみれば、ハルヒからだった。しかしあまりにもハルヒからの着信が多すぎて、朝からゲシュタルト崩壊を感じるのは遺憾に思うよ。
だんだん頭が冴えてきて、まるで通話の内容を覚えていないことに愕然とした。
夢現つのまま相槌をうっていた記憶しかない。
一体俺は何を約束しちまったのだろうか。うっかり魂を差し出す契約でもしちまったのだろうか、それともどこかに連れてって、おまけに全部おごる約束でもしちまったのか。
まさか一生を誓ったり、愛をささやいたりはしていないだろうから、そういう方面では安心だろうがな。
「キョンくーん、どーしたの?朝ごはんできてるよー」
下から妹の大声が聞こえる。それにどなり返して、俺はベッドから降りた。
まあいい。古泉や長門、朝比奈さん…はどうかわからないが、前者二名ならばそれとなく教えてくれるかもしれん。
どうしようもなければ、ハルヒに恥を忍んで聞くしかないか。
ふつふつと火山口から流れ出る新鮮なマグマのように激怒するハルヒの姿が脳裏に浮かんだ。
それは出来る限り避けなければならないね。


学校に行きたくないとまるで駄々っ子のように思いながら、俺は早朝ハイキングコースを牛歩戦術で上り、チャイムギリギリに教室に入った。
ハルヒは当然のことながら席に座っていて、なにごとか雑誌をめくっている。
そのとなりには阪中その他が立っていて、あれこれアドバイスをしているかのようだ。ハルヒは頬杖をついて、考え事モードのようだ。
俺が入ってきたのを知った阪中その他は、まるで蜘蛛の子を散らすように、いなくなった。なにをしてるんだ、一体。
「よう、ハルヒ。元気か?」
「……まぁまぁね」ハルヒはなぜかそっけなく言った。
「それはなにより」
カバンの取っ手を机のフックに引っかけて俺は着席した。
ハルヒをみたが、面白くなさそうな顔で外を眺めている。いつの間にか雑誌は消えていて、机の上にはなにもない。
「ね、本気よね?」ちらりと目だけ動かしながらハルヒが小声で言った。
「ん? どの話だ」
「昨日、夜に電話したでしょ。覚えてないの?」かすかな落胆の色が声に混じって、胸にちくりとトゲが刺さるようだ。
「あ、ああ。そうだな」なぜ俺は『すまないが、あのときは寝ぼけていて実はよく分からなかった』と言わないのだろうか。
面倒事を自分からしょい込むことはねえだろうに。
「そ。よかった。…別によかないけど」ハルヒは独り言のように言う。
チャイムがなり、生徒思いで知られる岡部教諭が教室にご来場で、朝の会話はそれだけになった。

「そういうことはしていませんよ」
微笑みを浮かべ、肩をすくめ、それと同時に手のひらを上に上げるような欧米的ポーズを俺の目前で取るのは誰あろう、古泉だ。
昼休みの貴重な時間、携帯電話で古泉を呼びだしたのは、当然俺だ。
二人で自販機前のベンチに座っている。
「していないのか……」
「ええ。一部そう主張する向きもありますが、上層部はそこの必要性を感じてません。特にあなたが相手の通話の盗聴などとてもとても」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味です。あなたは涼宮さんに選ばれた人。いわば鍵。保護することはあっても、通話傍受する理由がありませんから」
「なんとなく気にいらんが、そういうことか」
「そういうことです。仮にあなたたちが現政府の転覆を図ろうとする過激派であったとしましょう。
それでも通話を傍受したいのは公安部であって、我々ではありませんよ」
「なるほどな。で、もしそういうことになったらどうするんだ?」
「まずはあなたを説得しますよ。それでダメなら……まあいろんな手があるでしょう」古泉は言葉を濁しつつ、微笑みを強めた。
「僕が気になるのは、なぜそういうお話を僕にしたのかなんですが……」
実はと前置きが必要だな。話せば話すほど、古泉の微笑みは増した。
「なるほど。お話はよくわかりました。直接、涼宮さんに確認されるのがよろしいでしょう」
「それに失敗しちまってな」俺は青空を仰いだ。「困ってんだ」
「それとなく聞き出すテクニックをお教えしましょうか? なかなか役に立つと言う話です。僕は教わっただけであまり使う機会がないのですけど」
古泉はニヤケながら俺にささやくように言った。
「ふん、それは遠慮しとこう。まだ手がある」
「長門さんですか」やれやれといった顔で古泉が言う。「教えてくれるかどうかわかりませんけどね」
「何故だ?」
「単に教えることができないという僕の想像ですが」古泉は立ち上がった。「早くしませんと、昼休み終わってしまいますよ」



長門の良いところというのは両手の指では数えられないぐらいあるが、一番はやはりいてほしい時にちゃんといてくれるということだな。
まるで部屋の備品のように、この昼休みも文芸部部室にいて読書に励んでいる。
俺が文芸部部室の扉をあけると、長門はそっと顔を上げた。逆光のため、きちんと揃えた膝に乗った本がなにかは見えなかった。
「ああ、すまん。長門。教えてほしいことがあるんだが」
「なに?」
「昨日の夜というか、早朝になるかな、俺の携帯にハルヒが電話を掛けてきたんだが、その内容が知りたくてな」
「……その通話へのアクセスは不可」
「え?どういうことだ?」
「統合情報思念体は言語による意志疎通を信じていないため、その観測はおこなっていない。ゆえに内容は不明」
「それなら、俺の記憶は残ってないのか?ほら、無くした記憶を戻すってことあるだろう?そういうのはできないか?」
「復元した記憶なるものの正当性はない。真偽の判定も不可能」
「できないということか?」
「私がそのような操作をあなたに施すことは可能。しかしそれによって、あなたが思いだす記憶が間違っていないことを私は保証できない。却って危険。
私があなたの正しい記憶を知らない限り、復元することは不可能」
「そうか」
「人は脳を100%利用しているが、その大多数は認知活動に用いられる。記憶に関連する場所は少数。感情その他の因子により容易に変化しうる」
「人は脳を1/3しか使っていないと聞いたぞ?」
「それは同時に使用される領域。認知活動に応じて、脳の違う場所が用いられる。あなたが、私を認知するときと涼宮ハルヒを認知するときでは違う場所が用いられる。その場所は特定可」
「すまん……邪魔したな」俺は頭を下げ、部屋を出ようと扉に手を掛けた。
「あなたの望みをたったひとつかなえる方法がある」
長門がぼそりといい、俺は振り返った。
「時間遡行」



時間遡行といえば朝比奈さんの領分になるのだろうが、そこまでおおげさな話になるとは思わなかったね。
もっとも、時間移動には許可がいるんじゃないのか。許可が出るような話ではないよな。ハルヒを激怒させる覚悟の上で、話をしてみるか。
そんな考え事をしながらとぼとぼ教室に戻っていると、元気な声とともに肩をたたかれた。
「おっす!」
輝くような笑顔は鶴屋さんのもので、そのとなりで奥ゆかしい笑みを浮かべた大和撫子は当然朝比奈さんだった。
「どうしたんだい?考え事なんてしちゃって」
「いや、ハルヒのことで……」いかん、ついうっかりいらんことを口走ってしまったっ。
「おおっ!キョンくんも隅におけないねぇ。お姉さんが相談にのってあげよー」
鶴屋さんは笑顔を日輪のごとく輝かせた。この笑顔の前にはどんな悪人でも懺悔してしまうように見えるね。
今回はぜひ朝比奈さんに相談に乗っていただきたく……
「そうかい、そうかい。いいね、みくるん。しっかり相談にあげなよっ!!!」
鶴屋さんは動じることも無く風のように去っていった。本当に元気な人だ。
「あの、わたしで分かるのかしら……あんまり恋愛とかしたことないけどぉ」
「いえ、実は恋愛相談ではないんです。ちょっとだけ、いいですか?」
朝比奈さんを中庭の隅の方にいざなった。ここなら誰の目も気にすることはない。
「お話は分かりました。でも……」朝比奈さんは困ったような顔をしながら、もじもじ体を動かした。
「そんな内容で、時間移動の許可が降りるとは思えません」
「そこをなんとか…だめもとで」
「まあ依頼だけはして見ますけど……ダメだと思いますよ」朝比奈さんは目を閉じた。
そのまましばらく10秒間が過ぎて行く。長い睫が小刻みに揺れているのを俺は眺めることしかできない。
「ええっ、うそ。通っちゃった」朝比奈さんはびっくりしたように目を開いた。
「通ったんですか?」俺は思わず朝比奈さんの肩をつかんでしまう。
何か物音がしてそちらの方向を見たが、なにもいなかった。猫か、あるいは鳥だろうな。
「さっさと済ましちゃいましょうか?」朝比奈さんがなにかいいたげな目で見つめ、俺は肩をつかんでいた手を放した。
「そ、そうですね」
朝比奈さんは柔らかい笑顔を浮かべながら、俺の手を取った。朝比奈さんは真剣な表情になりうつむいた。
「場所はキョンくんの部屋、時間は何時ですか?」
「今日の2:11です」
「では、いきますよ」
あの、時間遡行を行う気味の悪い感触が襲い、俺は過去に移動した。

目を開ると、真っ暗な部屋だった。何の物音もしない静かな部屋。ベッドに横たわる俺は横向きに眠っている。
「2:10です」朝比奈さんがささやくようにいった。「もうじき電話がかかってきますよ、で、どうします?」
「いかん、そこまで頭が回ってなかった」
「えーどうするんですか。1回だけの特例中の特例ですよ。二度とこんなことで時間遡行なんてできませんよ」
「そんなこといわれても」
「は、はやく考えてください」
電話が鳴った。起きている俺はすばやく枕元の電話をつかんだ。寝ている俺は枕元の電話の電話を探して、手を延ばしている。
確か俺は電話をつかんだはず……電話があればいいのか。
ポケットの携帯電話を取り出し、枕元においてやった。寝ている俺はそれをつかんだ。寝ぼけながら携帯電話を開く俺。
起きている俺は、寝ている俺とタイミングを合わせて電話を取った。
「もしもし」
『起きてたの?こんな時間に』
静かな部屋にハルヒの声がこだまするようだ。そうか、俺はこの声を聞いていたのか。
「まあな」
『起きてるとは思わなかったな』どことなくうれしそうな声が聞こえた。
「時間も時間だからな。どうしたんだ、こんな時間に」
『別に用ってわけじゃないんだけどね』
「そうか。俺に惚れたか?」
ハルヒに聞いたとっておきの冗談をここで使うあたり、俺もなかなかのセンスだろう? 反論は受け付けない。
電話口から息を飲む声無き声が聞こえた。ゆっくりとしたため息が漏れ出ている。
「やっぱりそうなのかもね」
全身が総毛立ち、顔に汗が吹き出すのが自分で分かった。驚きのあまり声がでない。
ハルヒが俺に惚れてるだと?いや、そんな地軸が逆転し南極と北極が入れ替わるような事が身近に起こるとはまったく予想外の出来事ではないか。
コペルニクス的転回なんてものは実際には無くて、単に教会の支配力が徐々に弱まっただけの話だと聞かされたような衝撃を覚えた。
『あんたも、実はそう……でしょ?』
マリア様は処女懐妊したのだから私にもできるはずという、乙女の切なる妄想もとい願いを聞いてしまった牧師の心境のようだぜ。
どうすればいいんだ、俺は。どうすれば……
そのとき、朝比奈さんと目があった。暗闇の中、おぼろげながら朝比奈さんの表情がわかる。
朝比奈さんはにっこりとうなずいた。まるで、後押ししてくれるかのように。
『ねえ、どうなの?』
「ああ。そうだな。ハルヒに惚れてるんだろう……な」
『ふふっ』いかにもうれしそうなハルヒの含み笑いが聞こえた。『よかった。すっきりしたわ。これで眠れそう』
「ま、これまでどおり仲良くやろうぜ」
『うん。でも、もっと遊びにいこ。でね、もっと一緒にいよ』
「ああ」
『これで彼女できたんだから、DVDとかそういうの見なくて済むわよね?』
「え?」
『バカ。変なこと言わせないで。……あした、また話そ。もう遅いから』
「あ、ああ」
『じゃあね』
「じゃあな」
電話を切った。なんてこった。一番ありそうになかった、愛をささやいてしまうことになるとは思わなかった。予想外にも程がある。
「帰りましょう。あまりのんびりしてるわけにはいかないから」朝比奈さんが俺をせかした。
「あ、はい」
俺は携帯電話を開いたまま枕元に起き、寝ている俺がつかんだままの携帯電話を取り返した。
携帯電話を確認してみれば、数字の2が打ち込まれているだけだった。
「いいですね、帰りますよ」
朝比奈さんが俺の手をつかんだ。
また、あの気味の悪い感触が俺を襲った。

次に目を開けた時には、また元の中庭の隅だった。どうもこの感覚は慣れないね。まああまり慣れたいとも思わないがな。
「きっと、これ規程事項の一部だったんだわ」考え込むように朝比奈さんが言った。「キョンくんと涼宮さんがひとつになるための」
あの、朝比奈さん。なにをおっしゃってるんですか。真っ昼間から。
「やだぁ、わたし、なんてことを~~~
あーキョンくん、みないで。お願いだからわたしをみないで~」
「あ、朝比奈さん、落ち着いてください。逆にみんな見てますから。
落ち着いてください。お願いですから」
「やだ、わたしなんてことを言っちゃったのかしら。もうもうダメ~」
「朝比奈さん、とにかくここからいきましょう」
これが上級生だとは、とても思えん。


朝比奈さんをなんとか宥めることには成功したものの、随分精神力を使ってしまった。いや、短時間の間にえらい事になったもんだぜ。
それにしても、ハルヒが俺に惚れてるとはね。ま、俺もやぶさかではないな。
もっとも恋人になったとはいえ、なにをすればいいのかね。まったくわからんが。
昼休みも残り5分。教室に戻ると眼光鋭いハルヒが待ち構えていた。
俺を見るなり、バンと机を威勢よくたたきながら立ち上がった。教室の全員がハルヒに注目した。
まるでパンサーのようにしなやかに俺目がけて走りだし、そのスピードをすこしも緩めずに俺のネクタイをつかむと、そのまま教室の外へ連れ出されてしまった。
俺もハルヒと一緒に全速力で廊下を駆け抜けた。そうしないと、ハルヒに殺されるという確信に近いものがあった。まるで一年前に戻ったときのようだが、あのときは殺意はなかった。いまは確実な殺意を感じる。
一体全体どうしたというのだろうか。さっき愛を-ハルヒにとっては今朝か-語り合ったばかりだというのに。

廊下を駆け抜け、またもや中庭に飛び出た。隅の方には誰もいない。当たり前だ、もうじき授業が始まる。が、ハルヒは一切意に介した素振りはない。
俺を見つめる目はどろどろと融けたマグマのように煮えたぎっている。
「どういうことよ?」
ハルヒの声には十分な殺気がこもっていた。
「な、なんのことだ?」
「とぼけないで。あたし見たのよ。ここらへんで、みくるちゃんの肩掴んでたじゃないの。どういうことか説明しなさい」
あの物音はハルヒだったのか。なにをしてたんだ、一体全体こんなところで。
「……相談に乗ってもらってたんだ」
「なんの相談よ」
「ハルヒと、うまくやってくにはどうしたらいいかってな」
「別に、いままで通りやろうってあんたが言ってたじゃないの」
「ああ。だが、こういうことは何分ハルヒが初めてでな。ちょっと教えを乞おうと思ってな」
「ふーん」いくぶんかマグマの動きが沈静したようだ。「じゃなんで、みくるちゃんの肩を掴んでたのよ」
「朝比奈さん、実はダイエットしてたらしくてな。昼抜いてたらしいんだ」
神様、俺の口から出任せがハルヒに通りますように。
「たしかにそんなこと言ってたわね、みくるちゃん。それで貧血ってこと?」
ハルヒの瞳からはどろどろのマグマが消えうせ、かわりにいつもの星雲のような輝きが戻ってきている。
へたり込みそうな安堵感を覚えたが、それに溺れている場合ではない。もう少しだ。もう少し頑張れ、俺。
「じゃないか? それで肩を支えていたんだ」
「そう」ハルヒはため息をついて、すこしだけ笑みを浮かべた。「分かったわ」
「そういうことさ。あ、授業始まってるな、どうするんだ?」
「5時間目は自習よ。問題ないわ」
「そ、そうか」
「別段、人に相談する必要なんかないじゃない」ハルヒはすこし上目使いで俺を見ながら言った。「あたしに言いなさいよ」
「ああ、今度からそうするよ」
「あたしって、結構嫉妬深いのね。あたしも初めてだから、いままで分からなかったけど」苦笑しながらハルヒが言った。
なんとなく、前からそうだったような気がしないでもないんだがな。
しかし、俺が仮に浮気でもしようもんなら、多分ハルヒは俺を全力で殺しにかかる可能性がある。
果たして、これでよかったのだろうか。
ハルヒと並んで教室に戻りながら、俺はやや後悔しはじめていた。



おわり

このお話の続きは、それは部活?です。


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