第5章・デートだよな?
 
 10時20分だ。
まるで、小学生が遠足の日の朝いつもより早く目が覚めちまったので待ちきれずとりあえず集合場所に来ましたって感じだな。俺は朝は超低血圧なのでそんなことは一度もなかったけどね。
そんなことを考えながら、CO-LARGEMAN前のコインロッカーとでかい本屋の入り口との間で、壁にもたれられる場所を確保して朝比奈さんの登場を待った。昨夜から大きな寒波が襲来してかなり冷え込んだ今朝だが、こういう時は寒くても気にならないもんだよな。
待つこと20分…来ない。いつもの朝比奈さんなら遅くとも20分前には待ち合わせ場所に来る几帳面さを持っているのに、いったい今日はどうしたのだろうか。
服を選ぶのに時間がかかってるのか化粧に時間がかかってるのか。女性の外出準備は時間がかかるだろうし、まだ予定の時間でもない。焦んな、じっとしてろ。
更に15分。朝寝坊だろうか? ドジっ娘朝比奈さんならあり得ることだが電話ぐらいは入れたりするだろう。少し心配だ。
気がつくと道行く女性すべてに視線を泳がせている。まだ5分ある。落ち着け。
約束の時間を2分ほど過ぎていろんな可能性が頭の中を駆け巡り、立っている足下の地下街にある噴水のように吹き上がる不安とイライラを押さえきれず朝比奈さんの携帯に電話をかけようと思った頃、危なっかしい歩調で階段を下りてくる人影を見た。
白いダウンの膝丈でちょっともこっとしたコートにピンク色のマフラー。そしていつか転ぶんじゃないかと見る者すべてをはらはらと見守らせる危ういオーラ。俺の朝比奈さんだ。間違いない。
「はぁっ、はぁ・・・あ、あのぉ、遅れてっ・・ごめんなさいっ・・・はぁっ、ふぅ」
息も絶え絶え、胸に手を当てうつむいて呼吸を整えている。電車を降りてから全力疾走してきてくれたのだろう。ヒールのあるブーツも走りにくかったに違いない。
あまりのいじらしさに抱え上げそうになった。しないけどね。
こういうときに言うセリフは一つしかない。たまらなくクサいがいつになっても変わらないお約束だ。
「いえ、さっき来たところですから。でも、朝比奈さんが約束の時間に遅れるなんて珍しいですね?」
「あのぉ…ホームのベンチで考え事してたらぁ…電車乗り過ごしちゃって」
てへっ、と頭を軽くゲンコツで叩き、可愛い舌をぺろっと出された。
「…マジですか? ひょっとして、寝てました? 朝比奈さん通学中の電車とかよく寝てますもんね~」
「い、いえっ、寝てないですよぉ。キョンくんのいじわるぅ~~。うふふ」
ぱっと笑顔の向こうに花畑が広がった。幻覚かもしらんが俺には確かに見えた。
「何か飲みませんか? 少し早いですけど、このままランチしてもいいっすね」
「あっ、はいっ! 走ったので何か飲みたいですぅ。 今日はわたしがお店にご案内しますから。こっちですよっ」
 朝比奈さんはくるりとコートの裾を翻して180度ターンを決めるとこちらに振り返り、微笑んで俺が横に並ぶのを待っている。俺はその見た者誰もが考え事などどこかに吹き飛んでしまう慈愛溢れる笑顔を眩しく目を細めて眺めると、横に並んで歩き始めた。肩が触れあうくらいの距離だが、今の彼女との心の距離もきっとこれぐらいなんだろうか。
初めて二人だけで並んで歩いた、未来人だと告白されたときだな、あのときは肩が触れたらはっと離れる。それはそれで萌えなんだけども、あのころはまだ距離を感じたよ。
手が握れる距離になるにはあとどんなフラグを立てればいいのかなあなどと考えながら、朝比奈さんの、こっちですよ、そこまっすぐです、と控えめに鳴る鈴の音のような可愛いナビゲーションボイスに従って歩いていた。
ああ、この時は本当に頭から吹き飛んで忘れちまってたな。彼女が誘ってくれた真意とか鶴屋さんとの電話の内容までな。
 
 朝比奈さんお勧めのお店は、駅コンコースと連結したビルの上方階にあるパスタ専門店で、休日の昼時ともなると行列ができることも珍しくない店らしい。結果的に早く行って混雑を避けられた形になったわけだ。
俺はカルボナーラのランチセット、朝比奈さんはハーフサイズのタラスパのケーキ付きセットをオーダーした。食事がくるのを待つ間、以前から思っていた軽い疑問を少し音量を落としてぶつけてみた。
「あっちの食事って、どうなってるんですか?」
「そうですねぇ、お食事は大きく変わっていません。こっちにはまだないものや、あっちではもうなくなったものもありますけど、メニューもレシピもそんなに変わってないんですよ」
なるほど、食生活にはあまり変化がないのか。
「それならこちらに来てもそんなに困らなかったでしょう?」
「ええ、これぐらいなら禁則にはならないかな? あっちではね、農作物は畑じゃなくて工場で大規模生産になっていたり、魚肉類はほとんどが養殖です。人工品も多いです。今みたいに、人の手をかけて育てたりした物や、天然物ってすごく貴重品なんです。だからね、こっちの食事はすごくおいしいですよ。実はね、こっちに来たときに最初に感動したのはお食事だったんです」
聞いて水産資源減少や森林破壊とか地球温暖化とか、普段ほとんど気にもとめないそんなニュース映像が浮かび上がっては消える。現人類における俺の責任なんて誤差にもならない程度かもしれないが、こちらの人間を代表して頭を下げたくなった。
「一度、そっちのご飯が食べたいな。朝比奈さんの手作りで」
食べたいなまでは普通に、そこから後はあくまでもぽろっとさり気なく小声でだ、言ってみた。
「あっ、はいっ、あのその、あっちにキョンくんを連れて行くことはたぶんできないから…。でもぉ…こっちの食材でなら…作るのは…言ってくれれば……いつでもぉ…」
うつむかれてしまわれた。最後の方は小声で良く聞き取れなかったが。別に悲しいわけではないだろう。だってな、髪からのぞく耳が明太子のように赤くなりましたからね。
「おまたせしましたー。タラコスパゲッティーとカルボナーラのセットです。タラコのほうは…はいこちらですね。ケーキは後ほどお持ちしますね」
下を向いたまま顔を上げない朝比奈さんを、促すかのような絶妙のタイミングで配膳されたパスタ。ほら、やっぱり照れておられました。顔が赤いなあ。作ってもらうのは今度お願いしてみよう。くれぐれもハルヒに見つからないようにな。
朝比奈さんは、目の前に置かれたタラスパにトッピングされてる刻み海苔をお皿の隅によけると、フォークとスプーンを使ってくるくるちまちまとかわいく食べ始められた。俺の倍くらい時間をかけて、キャベツをちびちびと囓るウサギのようにちょこちょこと口に運び、ケーキまで入れると結構な時間となり、食べ終わった頃には店は客で満員で入り口には行列ができており、食後の会話もそこそこに会計を済ませて店を出た。味のほうは確かに美味く、また来られるように店の場所をしっかりと記憶しておいた。
昨日のお詫びに支払いはあたしがとおっしゃったので、ここはお言葉に甘えることにした。それで彼女の精神的負担が軽くなるならと思ってな。
そこ、ケチとか言うな。ちゃんとこんな日のためにと隠しておいた諭吉を5枚ほど持ってきているぞ。ほらっ。
店を出て駅方向に戻りながら、これからどうしましょうか? 聞いてみた。
今日は朝比奈さんにとことん付き合おう。クリスマス直前だけに、キョンくんからクリスマスプレゼントが欲しいのってもアリだ。期待しています、朝比奈さん。儚くもその期待は5秒後には吹き飛ばされたのだが。
「レポート書くのに今は手で書いてるんですけど、ワープロ使ったほうがいいかなって思って。これからゼミに入っていったら、必需品らしいですし。でも、わたし、あんまり機械に詳しくないのでぇ、何を買えばいいのか判らなくって。一緒に選んでくれませんか?」
コンピ研からの戦利品のノートパソコンは、卒業時に3台はコンピ研に返還、残る1台は文芸部用として寄贈した。だので、既に俺たちの手元にはない。
セクハラ捏造写真で巻き上げたデスクトップの方は、ハルヒがちゃっかりと確保し今のSOS団部室に鎮座している。訳の解らないトップページしかないHPだの一歩間違えば妙な空間が発生するエンブレムだの電波な自主制作映画など作らされず、誰かのレポート書きなんかにまっとうに使用される機会も増え絶賛ご活躍中である。コンピューターもさぞ喜んでいるだろう。当時は高スペックだったが、今は並下ぐらいになってしまったが。
「お任せくださいっ。ここからなら大きい量販店も近いですし、品揃えも豊富ですからそちらに行きましょう。こっちです」
「はいっ!」
また肩を並べて歩き始めた。さっきより近づいたか。腕がときどき触れる。どきどきだ。すまん。滑った。俺が悪かった。
 
 そんなこんなでデジカメやら新型携帯やらに時々脱線しながらパソコンを選ぶこと約3時間、さんざん迷われたが最後は俺がリストアップした中から、デザインが決め手となったマシンとプリンター他一式をご購入され、配達手続きも済まされた。
支払いはカード一括払い。結構な大金が必要だがそのお金はどこから支払われているのか…はたしてあの領収書は未来へ経費として申請するのか…そう思うと未来組織も身近に思えるってもんだ。
ああ、セッティングは俺手伝いますから。そう言うと、うんお願いします。と上目遣いでにっこりと笑いかけてくれる。
はい、電話でも出張でも24時間即日無償サポートいたします。
ついでにフロア上がって家電コーナーも物色。お茶用だろう、温度設定が何パターンかできる電気ポットも購入され、これも配達してもらうことにした。
 店を出ると外はだいぶ薄暗くなっていたが、夕食にはまだちょっと早い時間。次はどこに行こう?
「あの、キョンくん…。あそこ、行ってみませんか?」
朝比奈さんが指差したのは、JR駅から北西方向の、空中庭園がある特徴的な外観を持った設計のランドマーク的高層ビルだった。ここからだと電気量販店の裏あたりにある貨物駅をくぐるガードを通れば一直線だ。
ええ、いいですよ、と二人並んで歩き始めた。
長い長いほの暗いガード下を歩いていると、少し怖いからと朝比奈さんは俺の腕に自分の腕を絡めてきた。柔らかい感触を二の腕あたりに感じるから夢じゃないな、このまんま死んでも悔いはないはないが、もうちょっと味わってからにさせてくれ。
 
 まず3階まで上って、入場券を購入。二人併せて1400円也。なんでこんな高いのかねー(これは俺が出したぞ)。そこから専用エレベーターで上昇する。ガラス張りで景色が綺麗だが、高所恐怖症なら目を開けてられないだろう。途中でこれまたガラス張りのエスカレーターに乗り換え展望室に降り立った。
展望室から眺める世界は、日はほとんど落ち西の空は地の境を濃いオレンジ色の帯に染め、色々の光の小花が咲いた低木の茂みのように広がる低層の建物の林から、いくつかの高層ビルが串刺すよう空に向かい、暗い宇宙に今にも飛び出しそうだ。
後ろに目を向けると、既に闇となった空から白と赤と青の光を明滅させ、淡い光の点線とトリトンブルーのストライプが側面を横切る、全長73.9mの白い巨鳥が羽ばたく代わりに翼を左右小刻みにユラユラ揺らせながら、グライドスロープという名の滑り台に乗って目の前を右から左へ滑り落ちていく。
これなら700円もしょうがないかと思いながら、南に面した窓際に朝比奈さんを誘って外を見つめ、あれはO阪城ですね、あれは映画のテーマパークですねとかしなくてもいい解説をしながら、きっと朝比奈さんも感動しているに違いないと勝手に考えていた。きらきらとした目でふわぁぁと眺めている、そんな姿を勝手に想像していたのだが…。
違った。
ちらっと横に目を向けたら、上目遣いでこちらを見ていたものの、俺の視線に気づいて慌てて外に顔を向ける。なんだろうと思うこと30秒。今になって鶴屋さんの言葉を思い出した。
男の子の仕事を。
「あーそうだ、少し座りませんか?」
「ふえぇっ? あっはい」
窓から離れている上に柱が陰になって外がよく見えないためか、ポツンと人気のないベンチがあった。俺はそこを指さして先に座る。遅れて朝比奈さんも並んで座った。間の距離は10cmくらい。そうだな、話し易い雰囲気を作ってあげないと。
「…今日は迷惑かけたお詫びだけ、ってわけじゃないですよね」
窓に張り付き、手をつなぎながら夜景を楽しむカップルをしばらくの間なんともなしに眺めながら、聞いた。
「………」
返事はない。
俺は前を向いたまま話してるので朝比奈さんの表情は伺いしれないが、おそらくうつむいて、じっと俺の次の言葉を待っているのだろう。
「俺たち、もうすぐ4年の付き合いです。いつもの朝比奈さんと違うことくらい、見てて判ります」
「………」
「昨日のこともあります。今朝のこともあります。何が朝比奈さんを悩ませてるのか、俺には正直判りません。それも俺のことに関係しているかもしれない」
「そんな…こと…ないです」
ちょっと間を置いて鈴虫の溜息のような小さな声で途切れ途切れに答えた。
「本当に?」
「…はい…」
 朝比奈さんの言葉と言葉の間にある『間』を考えれば、何かあることは誰でも判る。だが、このまま聞いても彼女は話してくれないかもしれない。
「…何もないならいいんですよ。ちょっと気になっただけだから」
「ありがとう。なんでもないの。気にしないでください」
俺は首を少し回して朝比奈さんに視線を移した。まだ下を向いたままだ。
「じゃあ、俺のお話を聞いてくれませんかね。実はちょっと困ってることがあって」
「あっ、ははい、なんでしょう?」
逆に、俺から悩みを打ち明けられるなんて思ってもいなかったのだろう。しっぽを触られて不思議そうに振り返る子犬のような顔をして俺を見上げた。
「えっとですね、恥ずかしいんですけど、朝比奈さんを見込んで言いますね」
「は、はいっ」
 ギリシア彫刻のように美しい起伏を見せる口をきゅっと引き締めて、俺の目を見つめながら瞬きもせず言葉を待っている。許されるならこのままずっと見ていたい。
「…………妹からお兄ちゃんって呼ばれるようにするにはどうしたらいいですかね?」
俺はさんざん引っ張ってから言い放った。
「………ぷっ、くっ、くすっ……もー、何言ってるんですかぁ。真面目に聞いて損しちゃった。うふふふ」
一瞬だけ目が点になったあと、口を押さえて小さく吹き出した。ウケてくれたらしい。寒くなったらここから飛び降りたくなるところだった。
「ありがとう、キョンくん。うん、やっぱり言います。今日はそれで誘ったんだもの。でも…恥ずかしいから、よく聞いていてくださいね」
はい。一言一句漏らしません。
俺は朝比奈さんに向き直った。彼女も俺に向き合って胸の前で両手を握ると、その吸い込まれそうな大きな瞳に何か決意のようなものを感じながら、ゆっくりと口を開いた。
初めて彼女と会った年に歩いた河川敷、未来から来たと告げた時と同じ目だった。

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最終更新:2020年04月13日 10:39