第5章
時間遡行なんてのは何回やっても気持ちのいいものじゃない。古泉、この訳の解らない瞬間だけなら代わってやってもいいぞ。
「・・・うん?」
何だ?木が横に沢山倒れてるぞ。
「あ、気付きました?」
大きな2つの黒い瞳に俺の寝起き面が映っている。ああ、そうか。俺はまた朝比奈さんに膝枕をしてもらっていたのか。古泉、やっぱり交代はナシだ。
「はい?」
「あ、いや、ただの妄言ですよ」
イカンな。どうも最近無意識に思った事が声に出てしまう。
むくりと体を起こす。彼女の膝枕は惜しいが、今はそれどころじゃないからな。
「ちゃんと昨日、ええと、4月1日に来れました?」
朝比奈さんは電波時計を見て、
「はい。ちゃんと4月1日の午後7時です」
ベンチから腰を上げて辺りを見回す。どうやら4年前の七夕同様、あのベンチみたいだ。
しかし、朝比奈さんのいる前でハルヒに話をするのはどうも気が引ける。と言うか無理だ。内容が内容なだけに誰がいても無理だ。
「ふみゅう・・・」
こんな可愛らしい声を上げる彼女を除け者にするのはって・・・あれ?
「すう」
俺は後ろを向いた。
「ふふっ、久しぶりね。キョンくん」
予想外の出来事が2つ同時に起こるとリアクションに困るってのは初めての経験だ。
「朝比奈さん・・・」
振り返ったベンチには、今まで一緒にいた朝比奈さんが寝息を立てており、その隣にはその数年後の姿をした朝比奈さん(大)が魅惑の笑顔で座っていたのだ。しかし、何故ここに?
「この時間のわたしもそうだったから。それにこのわたしがいたら気まずくなっちゃうでしょ?」
それはありがたい。じゃあよろしくお願いします。朝比奈さん(大)は笑顔で承諾してくれた。俺の用事が終わるまで元の時間帯の長門の部屋にいさせてもらうそうだ。
「長門さんと2人きりじゃそれこそ気まずいんだけどね」
すみません。
「ふふっ、冗談よ。じゃあ・・・頑張ってね・・・」
微笑みながらそう言って彼女は朝比奈さん(小)をおぶって去って行った。その微笑みが少し哀しそうだったのは気のせいではないだろう。
さて、ハルヒを呼ぶとするか。ポケットから携帯電話を出し、ハルヒの番号へ掛ける。数回目のコール音の後、ハルヒが出た。
「・・・何よ」
ここでようやく思い出したのだが、この日俺とハルヒは言い争いと呼ぶには幼稚な言い争いをしたのだった。予想外の不機嫌ボイスに一瞬焦ってしまった。
「あ、えーとだな。今日の事で話す事があるんだが・・・」
こんなしどろもどろな口調でハルヒにものを頼める訳は無く、
「あたしはあんたなんかと話す事ないわ」
軽くあしらわれた。俺はこの先こいつに口で勝てる気がしない。と言うよりこいつに口で勝る人間がいたらお目に掛かりたいね。
「もう用無いなら切るわよ」
待て!と言って聞く訳ないし、こうなりゃ無理矢理にでも・・・!
「今から駅前公園に来てくれ!」
俺は早口でそう伝えて通話を切った。伝わったかどうかはまた別の話だ。
「やれやれ・・・」
どかりとベンチに座り、ため息交じりに呟く。
果たして、あいつは来てくれるのかねぇ。
数分後、ハルヒはやって来た。どうやら反論される前に電話を切った強行突破が功を奏した様だ。それにしても早いな。
「用があるならさっさと済ましてよね」
ううむ。不機嫌街道まっしぐらと言ったところか。俺を睨みつけてくる。
「まあ、座れ」
ハルヒは俺と目を合わさず、前を向いたまま座った。
言っていなかったが、このハルヒはポニーテールを解いている。別に何も思わないと言えば嘘になるな。
ハルヒは何も喋らなかった。木の葉が風にさらされ、ガサガサと音を立てる。
俺は沈黙を破った。
「今日は、と言うかここ数日はすまなかった」
「・・・・・・」
ハルヒは沈黙を通している。
「お前に謝るなって言われたが、俺の気持ちはそれじゃ済まない。罪悪感が残るんだ。昼間も言ったが、このままじゃ気まずいだろ?古泉や長門や朝比奈さんだって俺とお前が言い争っているところなんて見たくないはずだ」
「・・・・・・」
なおもハルヒは3点リーダを並べる。
「だから・・・今までみたいにお前らしく突然訳のわからん事にSOS団を巻き込んで過ごそう」
違うだろ俺!古泉や長門に言われ決心したのに何言ってんだ!
ハルヒが立ち上がった。
「・・・わかった・・・もう帰る。じゃあね」
その横顔は俺がハルヒと出会ってから1度も見せたことのない、悲哀に満ちたものだった。ハルヒはゆっくり歩き出す。
こんな中途半端なままでこの後どう古泉に報告しろってんだ?長門にどんな顔して会えばいいんだ?SOS団は?
だからそうじゃ無いだろ俺!ハルヒがあんな顔したってのにまだ躊躇うのか!?
言え!言うんだ!
「涼宮さんはあなたに好意を持っています」
「あなたには幸せになってほしい」
「じゃあ・・・頑張ってね・・・」
伝えるんだ!
「あたしはあんたに謝ってほしいなんて思ってないんだから!」
俺の気持ちを!
「ハルヒ!」
ハルヒは立ち止まる。間に合った。俺はハルヒに駆け寄り、肩を掴んでこっちを向かせた。ハルヒは俯いている。
俺はハルヒの小さな両肩を掴んだ。その肩がぴくっと震える。
「ハルヒ・・・俺、実はポニーテール萌えだったんだ」
「・・・・・・」
「その・・・何だ・・・今日のお前のポニーテールは反則的なまでに似合ってた」
「・・・・・・」
ハルヒは沈黙しているが、逆に恥ずかしくなってきたな。
「つまりだな・・・」
「・・・・・・」
くっ、決心が揺らいできたぞ!
「あー・・・明日もまたポニーテールにして来てくれ。不思議探索しよう」
すまん、ハルヒ。やっぱり俺はヘタレだ。今の俺にはこれが限界だ。心臓が張り裂けるぞ。
掴んでいた肩が小刻みに震え始めた。何だ?笑ってんのか?泣いてんのか?
ハルヒが顔を上げた。その表情は━━━
━━━両方だった。
「ぷっ・・・ばっかじゃないの?」
ハルヒは左手で涙を拭いて笑いながらそう言った。泣きながら笑うなんて器用なやつだ。その笑顔は百ワットには程遠い、二十ワットの笑顔だが今はそれで十分だった。やれやれ、やっと肩の荷が降りた気分だ。そのはずだった。
「で、それだけ?」
ハルヒはいつも通りの表情でけろりとしている。いや、まだ瞼が赤いな。
「それだけ・・・とは?」
内心、何の事かは解っているが、これ以上心臓を危険にさらすつもりは無いので誤魔化してみる。
「まったく・・・ほんとアホキョンね」
悪かったな。
「罰ゲームよ!」
ハルヒが俺を指差して叫んだ。いきなりか。
「何すりゃいいんだ?」
「あんたはこの高校生活中にあたしに告白しなさい!」
開いた口が塞がらないとはまさに今の俺の状態を指す。そう辞書に載ってても異論は無い。写真は載せるなよ。
「わかったの?」
ハルヒが顔を近づける。古泉あたりならここでさらりとキスをやってのけるのだろうが、ヘタレの俺にそんな根性は無い訳で、いつも通りに返事するしかできなかった。
「やれやれ・・・わかったよ」
「あんまり待たせるとペナルティだからね!」
ハルヒは笑顔で言った。六十ワットくらいにはなったか?
「じゃ、明日からSOS団の活動再開ね!9時に駅前集合!」
「わかった。みんなには俺から伝えとく」
「そう?頼むわね。じゃあ、今日はもう帰るわ」
そうか。あ、送って行くか?
「平気よ。あんたみたいな変態男が襲ってきても怖くないわ」
俺は変態では無いが、それもそうだな。俺は肩から手を外し、ハルヒの背中を見送った。ハルヒは大分遠くまで行った時、振り向いてこう叫んだ。
「エロキョン!明日は絶対来なさいよ!」
おう。奢りは俺って決まってるからな。声には出さず、手を上げて返答した。
俺の無言の答えを受信したハルヒは再び歩いて行った。
あの時とは違う、力強い、大きな歩みで。
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