もういくつ寝ると春休みと浮かれていたのだが、恐ろしいイベントが予定されていることを、俺は今日に至るまで忘れていた。
何故この時期に行われるのか理解したがたいのだが、来年度は高2でもあるから、そういう意味では適しているのだろうか。
「ほんと、なんでこの時期にーって感じよね」
小さなテーブルを挟んだ向こう側ではハルヒが大口あけて、ドーナツを食べている。
小腹が空いたという理由で訪れたドーナツ屋で、かれこれ1時間近く二人で話している。
何が行われるかと言えば、三者面談。しかも俺達はそろって明日に予定されている。
「ハルヒは別段問題ないだろう。学業優秀だしな」
素行にはいささか問題あるように思うのだが、それを覆すだけの成績をキープしているからな。心配する理由などないはずだ。
「そっちはいいのよ。何言われる筋合いないし」
「なにが困るというんだ」
「親父が来たらどーしようってこと」
「『それにしても、この親父ノリノリである』って状態なのか?」
「ううん。そんなんじゃないの。母さんが行くって決まってんの」
「なら問題ないだろう」
「うちの親父を甘くみちゃいけないわよ」
「……おまえの親父さんはスパイかなんかなのか?」
「普通のサラリーマンな筈なんだけどね……よくわかんないわ」
ハルヒが言う普通の定義が普通と違っていることはよくあることで、そのまま鵜呑みにはできないな。
「まあ、この親にしてこの子ありって感じではあったな」
初対面で一風変わった挨拶をされた記憶が甦る。正直、それまでしていたことを思い出すと、どこか遠い国に亡命を申請しそうになる。
多分、すべて分かった上でやってるんだろうが、それがしっかりハルヒに受け継がれているのがまた恐ろしい。
「殴るわよ?」
ハルヒはドーナツのかけらがつけた唇をとがらせて、警告している。
しかし、進歩したもんだよな。出会ってもうすぐ一年経つが、昔なら殴ってからその台詞が出てただろうにな。
そう思いながら、俺はハルヒの唇についたドーナツのかけらをとってやった。


翌日は春うららという言葉がこれほど似合う日もないほどの陽気だった。
三者面談は放課後に行われる。俺は母親と玄関で待ち合わせることにした。
約束の時間になれば、迎えにいけばいい。携帯でアラームを設定したので、忘れることもない。
それまでは部室で暇をつぶすとするかね。
渡り廊下を歩いていると、見たことのある男性の後ろ姿が見えた。あれ?どこかで……
その男性は俺の視線に気づいたのか、くるりと振り向いた。胸になにか名札を下げているので、誰かの保護者なのだろう……
……って、ハルヒの親父さんじゃねえか?来ないと聞いていたんだが。
親父さんは俺の顔を見て、どこかの誰かと同じように眩しいほどの笑顔を浮かべて、こっちに向かって歩いてきた。
「こ、こんにちわ」
「こんにちわ。いや、偶然偶然。キョン君に会えるとは思わなかったよ」
こっちも会えるなんて思ってなかったですよ。本当に。しかし、この人も俺をあだなで呼ぶのか。本名知ってるはずなんだがな。
「ハルヒ……いや涼宮さんには来ないって聞いてましたけど」
「私も当然涼宮なので、あのバカ娘を呼ぶ時はハルヒでいいよ」
「あ……そう……ですね」
「なんだったら、私のことを父さんと呼んでもらっても構わないぞ?」
楽しそうに目を細めて親父さんが言う。リアクションに困るようなことを平気で言うのか、この人は。
「なんてな。冗談だ。母さんを送ってきたものの、ハルヒに会うと面倒なんでな、隠れて学校探検だ。なんか面白いことがあるかもしれんしな」
ああ、ハルヒだ。ハルヒがもう一人、ここにいる。
「そうですか…あの仕事は?」
「ん?フリーのサラリーマンだから、時間に融通きくんだ」
「そ、そうですか」意味はわからんが、流した方が無難だろう。
「あの子、君と一緒に部活を始めてるっていうじゃないか。もしよかったら、案内してくれるかな?」
ハルヒの有無を言わせないやり方は、父親から受け継いだのかとその時確信した。

 

親父さんを連れて、部室へ向かう。胃の辺りがなぜか重い。なるほどハルヒが嫌がる理由がよく分かる。こんな親、正直勘弁してほしい。
決して悪い人じゃないところが、ますます厄介に思える。
部室の扉を開けると、エプロンドレスに身をつづんだ朝比奈さんが笑顔を浮かべ、そしてキョトンとする。
部室を見回すと、朝比奈さんと長門の二人しかいない。古泉は三者面談なのだろうか?
「あの、キョン君のお父さん?」
朝比奈さんが声をかけてきた。
俺は思わず激しく首を振って答えた。
「いや、ハルヒの親父さんだ」
「別に遠慮することはない。それに、そっちのほうが面白い」
親父さんが俺にささやくように言った。いや、面白いとか面白くないとかは関係ないんですが。
「初めまして。ハルヒの父です」
そういって親父さんは片手を出した。朝比奈さんは戸惑いながらも片手を出し、握手した。
「あ、は、はじめまして。朝比奈みくるです。あ、あのこんな格好ですみません」
「いえいえ、よくお似合いですよ。我が娘がこうだったらと思わずにいれられません」
朝比奈さんは苦しい笑顔を浮かべている。親父さんは朝比奈さんに笑顔を返して、その脇をすりぬけた。
長門の前に立った。不思議そうに見上げる長門の視線と、親父さんの視線がぶつかった。
「はじめまして。ハルヒの父です」
親父さんはふと小首を傾げ、不思議そうな表情で長門を見つめた。
しばらく見つめ合う二人。親父さんはためらいがちに人差し指を長門に向かって出した。
長門は無機質な瞳のまま、その指を見つめながら、そっと人差し指を出した。
人差し指が触れ合い、パチリと静電気が飛んだように見えた。
「あの、なにをされているんですか?」思わず言葉が出た。
「いや、なんとなく」
長門はなにかを理解したような表情を見せている。親父さんも同様だった。
「あの、お茶いかがですか?」
朝比奈さんの声に、親父さんはにこやかに振り向いた。
「ありがとう。いただきますよ」

 

 

親父さんは古泉がいつも座っている椅子に腰掛けた。朝比奈さんが客用の湯飲みをそっと親父さんの前に置く。
親父さんは、満足そうに笑顔を浮かべている。こうしてみると、ハルヒの目は親父さん譲りだということがよく分かるね。
「では、いただきます」
そういって一口に飲み干してしまう。かなり熱めのお茶なのだが。
「いや、みなさんいい子ぞろいですね。……ハルヒがぶつくさ言う理由もわかりますよ」
「え?ぶつくさ言ってるんですか。ハルヒ」
「俺の口からは言えないぐらいのセクハラ発言だから、なに言ってるかは言えないけどね」
「仲、いいんですね」朝比奈さんが目を白黒させながら言った。
「険悪ですよ険悪」親父さんは湯飲みを手の中で遊ばせながら言った。「もう何年一緒に風呂入ってないのかな……」
「あの、もう、いい年ですから、お風呂はちょっと……」
朝比奈さんが恥じらうような表情で言った。
「いや、実際入るとなると面倒ですから、こっちからお断りですが」
こんな理不尽な事を平気で言うのは、世界広しといえどハルヒと、この親父さんだけだろうな。間違いなく、親子だ。
「………あの、お茶いかがですか?」
朝比奈さんは、ぎくしゃくした笑顔でお茶を勧めた。
「ありがとう」
親父さんは笑顔で湯飲みを差し出した。

 

 

「あの、涼宮さんの普段の様子って、どうなんですか?」おずおずと朝比奈さんが尋ねた。
「しがないサラリーマンですよ。悲哀でも聞かせましょうか?」
「えと、そうじゃなくて、あの……ハルヒさんの」
「ああハルヒですか。小生意気で親を親とも思ってないですね。対抗してこっちも子供だと思ってやらないことにしてますけど」
「いや、あの、親子関係じゃなくて、普段の様子なんですけど……」
「まぁ年頃の女の子相応なんじゃないですか? 彼氏とお茶したり、買い物行ったりしてるみたいで、ちっとも構ってくれませんよ」
ちらりと俺を見るのはやめて欲しいね。かなり後ろめたく感じて、肩身が狭い。そもそもハルヒとは、まだそんなんじゃないしな。
「でも構われると……」
「うっとおしいんで、勘弁してくれですね。親子関係はなかなか難しい」
「はぁ……」
どう考えても親父さんがわざと難しくしているとしか思えないのだがな。

 

 

「さて。そろそろおいとましましょう」親父さんは腕時計をちらりと見た。
「あ、お構いもしませんで」
「十分構われたので満足ですよ。バカ娘にバレたときはうるさいですからね。死刑だ死刑だって。いまどき小学生も言わないのに」
廊下をどたどた走る音が聞こえてきた。親父さんがすこし眉をひそめた。
扉が勢いよく開かれた。顔を赤く染め、息を切らしたハルヒがそこにいた。
「このバカ親父!!!」
ガラスが割れるんじゃないかと思うほどの叫びだったが、親父さんは顔色も変えず平然とした表情のままだ。
「騒ぐな、バカ娘。面談は終わったのか?」
「いけしゃあしゃと。どの口が言うのよ、今日こそは死刑よ、死刑」
ハルヒはそう言うと、体を低くして、じりじりと親父さんとの間合いをつめはじめた。
「悪くない動きだが、フッ、甘い」
親父さんはせせら笑いながら、やはり腰を落とし、逆にハルヒへの間合いをつめる。と見せかけて、距離を取る。変幻自在な動きでハルヒを翻弄している。
「キョン! つかまえなさい!」
「彼は俺の味方だよ。……おまえの 彼 氏 かもしれんがな」
ハルヒがハッと顔色を変えた瞬間のことだった。親父さんはネコ科の動物を思わせる俊敏な動きを見せ、ハルヒを躱して、戸口に立った。
「ではみなさん、ごきげんよう。ああ、キョン君、晩飯いつ食いにきてくれるんだ?いつまでも待ってるぞ?」
「ふざけんなー!!!!」
ハルヒの雄叫びのような怒号とともに、親父さんは戸口から姿を消すように逃げ出した。その後をつむじのようにハルヒが追う。
一瞬の出来事だった。

 

 

あっけに取られ呆然としていた俺は、袖をくいくいと引っ張られていることにしばらく気づかなかった。
振り向くと、長門が俺を見上げていた。
「どうした?」
「あれ」
長門が指さしているのは窓だった。窓の外にはグラウンドにかけ出た親父さんと思わしき人物と、それを追いかけるハルヒがいた。
陸上部の勧誘を受けるほど俊足のハルヒが追いつけないとは、どういう足の速さだ。
親父さんは全速力でグラウンドを横切り、視界から消えた。ハルヒもそれを追って視界から消える。
「あの人、速い」
なぜか長門の声がうれしそうに聞こえるのがとても奇妙に感じた。
俺のポケットでは、携帯のアラームがなり、三者面談の時間を知らせた。

 

胃がきりきりと痛む三者面談はどうにかこうにか終了した。
まあいろいろ頑張らないとどうにかなる希望が、どうにもならない現実になりそうというのが結論だった。
母親は用事があるとのことでそのまま帰っていった。家に帰ると説教確定だな、これは。
さて。気分転換が必要だな。部室に行くのはいいが、下校時間まであと少しだしな。
そんなことを考えていると、携帯がハルヒからのメール着信を知らせた。
『終わった? もし大丈夫なら、後で駅前のハンバーガー屋さんにいかない?』
『終わったが、いまどこにいる?』
そうメールを返した。
『部室』
即返事が返ってきたのにはちょっと驚いた。
『じゃあそこに行く』
『ダメ。ハンバーガー屋』
『なんでだ?』
『親父がいらんこと言ったから。今日だけ』
『わかった』
『じゃあね』
他愛もない一言なのだが、俺は度肝を抜かれた。ハルヒがこれを送ってきたとはちょっと信じ難い。
ピンクのハートが文末で踊っているなんて、どういう風の吹き回しだ?

 

これ以上ないんじゃないかというほどきれいな夕焼けが窓の外に見える。
そして空の底が急激に暗くなり、そして街灯が頼りなげな光を放っていた。
ここは約束のハンバーガー屋だ。客は俺達以外はいない。
「まったく親父にも困ったもんよ。母さんに二人して怒られるしさぁ」
「二人して?」
「そうよ。『あんたたち、何考えてるの!!!』って。親父が悪いのに、あたしまで怒られちゃったわよ」
「………」
「しかも15分もよ。信じられる?」
「それは大変だったな」
「ホントよ。いいかげんにして欲しいわ。年頃の娘は面白すぎるとかいって、なんだかんだ構ってくるんだから」
「親父さんが来たこと、いつ分かったんだ?」
「面談終わってから、母さんに『帰るから、父さん呼んで来て』って言われて。
で、『来てたの?』っていったら、『部室にいるんじゃないかしら』だって」
偶然を装って部室棟近くをうろうろしていたわけか。俺がくるだろうと予想して。すべて計算ずくの行動だったわけか。
「で、余計なこと喋ってないでしょうね?」
「喋ってないが……なんかいろいろ知ってたようだぞ?」
「カマかけてるだけよ。相手しちゃだめ。なんだっけ……あ、そう、コールドリーディングだ。そういうの知ってて使うの」
「なるほど」よくわからん謎のテクニックまで使うのか、あの親父さんは。
「あと……他になんか言われなかった? んで、なんか言わなかった?」
ハルヒは気持ち顔を赤らめながら言った。どことなく視線が泳いでいた。
「いや……あ、父さんと呼んでもかまわんとかいってたな」
「ひょっとして、呼んだ?」
「呼ぶ訳ないだろう?」
ハルヒはほっとしたような、それでいて残念そうな表情を一瞬見せた。
「ああ、ならいいんだけどね……」
「どうしたんだ?」
「いやね、あのクソ親父がね、『彼に父さんって呼ばれたよ。彼は真剣なようだな』なんて言うもんだから、ちょっと気になってね」
「…………」
驚きのあまり声も出ない。そこまでやるのか、あの親父さんは。
「まあ、あの親父は気にしないで。あとで締めとくから」
そんな物騒なことをいいながら、ハルヒはコーラのストローに口をつけた。

 

おわり

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最終更新:2020年03月07日 09:58