「ほらほら一樹くん、ちゃんと食べなきゃダメよ」
「は、はい……」
 お姉さんモード全開の涼宮さんと、それに合わせるしかない僕。
 携帯のメモリや履歴を確認する間さえなかったから、本当に、一体何がどうなっているのかさっぱりだ。
 学校は以前通り同じ学校みたいだから、多分登校も同じだろうし……、これは、学校に行ってから確かめるしかないかな。学年が違うから、学校に行けば涼宮さんからも解放されるだろうし。
「行ってきま~す」
「行ってきます」
 涼宮さんの母親に、涼宮さんと一緒に手を振って登校するっていうのも、変な感じだなあ……。
「ほらほら一樹くん、ぼーっとしない」
 なんて考えていたら、涼宮さんに強引に腕を引っ張られた。
 こういうところは、以前と変わらないみたいだ。……いやいや、そんなことに安堵している場合じゃないんだけど。
「そう言えばさ、昨日のことなんだけど、」
 出来れば事態がはっきりするまでは放っておいて欲しかったんだけれども、そうは問屋が卸してくれないらしい。
 何となく話を合わせながら、僕は幾つかのことを確認しにいった。
 先ず、この状態でもSOS団は存在しているということ。
 次に、僕は去年から涼宮さんの弟として、その活動に引っ張り回されていること。
 それと、去年の夏の合宿は、僕が学外の活動で出会った人達と共に企画したことになっていること。
 何だか、僕が涼宮さんの弟になったことを除けば、何もかもが元通りなような……いやいや、納得しちゃダメだ。そんなところで納得しちゃいけない。
 でも、元通りってことは『機関』や涼宮さんの力も、そのまま存在しているんだろうか……、とりあえず、後で携帯のメモリと履歴を確認してみよう。
「あらキョン、おはよう」
 なんてことを考えながら話を合わせつつ坂を上るところまで辿り着いたら、彼に出会った。

「よう、ハルヒに古泉か、一緒ってのは珍しいな」

「……は?」
 何時も通りの挨拶をする彼、ぽかんとする涼宮さん。
 えっと……。
 いや……。
 何でこう、肝心なところで……!!!!
「ちょっと来てください!」
 僕は安堵して良いのか慌てて良いのかさっぱり分からないというどうしようもない状態に陥りかけたまま、ただ彼の腕を引っ張った。彼をこのまま放っておくわけには……、行かない、だろう。
「え、あ……」
「一樹くん!」
「彼と大事な話があるんです。姉さんはそこで待っていてください!」
 苗字は却下、名前で呼ぶのもおかしい、だったら『姉さん』と呼ぶしかない。ああ、認めるのは嫌だけれど……、仕方ないか。
 僕は力任せに彼の腕を引っ張り、角を曲がったところまで連れ込んだ。
 言い訳は後で考えよう。多分、涼宮さんの性格が元のままなら、多少無茶な話でも何とかなるだろうし。
「おい、古泉、お前……」
 状況を理解しているのか居ないのか、彼が目を白黒させている。
 まあ、無理もないか。
 立場が逆だったら僕も多分似たような反応をしただろうし。
 逆だったら……、逆の方が楽だったかなあ何てことも思わなくも無いけれども、どうせどう状況が転ぼうとも、彼と二人で溜息を吐きあうことになるのは変わりないような気もするような……。ああ、いや、今はそんなことを考えている場合じゃないんだ。
 先ずは僕のことを『古泉』と呼んだ彼の記憶が一体どうなっているか確認しないと、説明も何も始まらないし、対策なんてもっと無理だ。
「あなたにとって僕は古泉一樹である。そのことに間違いはありませんね?」
「間違いも何も、お前みたいな変な奴他にいないだろう」
 変な奴って……。
「同学年で、去年の5月に転校してきた機関の一員で、SOS団副団長……、それで間違い有りませんね?」
 変な奴という言葉に反論したい気持ちをぐっと堪え、僕は質問を続けた。
「あ、ああ……、でも、何で今更……」
「……さっき僕が涼宮さんのことを何と言ったか覚えて居ますか?」
 ズバリ言い切るより、こういう風に確かめながら話した方が効果が有るだろう。
「え……、あ……、まさか……」
 僕の思惑通り、彼の顔に、理解とも納得とも言えない、微妙すぎる、でも、明らかに平常とは違う色合いが広がっていく。
「ええ、そのまさかです。……理由は分かりませんが、今の僕は涼宮さんの弟という立場にあります。古泉という名字ですらありません」
「……」
「先ほどのあなたの挨拶に涼宮さんが驚いたのはそのためです。今の彼女にとっての僕は、自分と同じ名字を持つ弟……涼宮一樹なわけですからね」
 自分で名乗るのには抵抗があるけれども、言わないわけにはいかない。ここで説明しないまま放っておくなんてことをしたら、それこそ何が有るか分かったものじゃない。
「……無茶な話だな」
「ええ、僕もそう思います……でも、事実です」
「……俺はどうすれば良いんだ?」
 異常事態に慣れて来ているからか、彼の切り替えも早い。
 良いことなのか悪いことなのか……。
「とりあえず僕のことを古泉と呼ぶのはやめてください、混乱の元です」
「じゃあ、名前で呼べばいいのか?」
「……お願いします」
 こんな形で彼に名前で呼んで貰うことになるというのも何だか釈然としないけれど、今は仕方がない。きょうだいの両方と知り合いなら名前で呼ぶ、それが普通だろう。他所様のことを苗字で呼ぶことが多い僕も、圭一さんと裕さんのことは名前で呼んでいるし。
「分かった、気をつける……一樹、だな」
「はい……、あと、それ以外の部分がどう変わったのかは僕にもまだよく分かっていません、何分今日の朝からのことですし、ここに来るまでほとんど涼宮さんと一緒でしたから、確かめるような時間も無くて、」
「ちょっと、男二人で何時まで内緒話なんてしているのよ」
「うわっ……」
 説明をしている途中で、背後から涼宮さんが現れた。
 びっくりした……。気配なんて全然感じなかった。それだけ、僕が焦っていたってことなのかもしれないけど。
「ハルヒ……、」
「すみません……」
「あのね、一樹くん、一樹くんも年頃の男の子だから、あたしに話したくないことの一つや二つ有ってもおかしくないと思うけど、何もこんな風に目の前で……」
「ああ、ハルヒ、こいつは悪くないんだ」
 何故かいきなり始まりそうになった涼宮さんのお説教を、彼が遮った。
 何か打開策が有るんだろうか? 下手に適当に喋って襤褸を出さなければ良いのだけれど。
「別に悪いなんて言ってないじゃない」
「いや、だからな……実は今日は、こいず……じゃなかった、一樹と一緒に、出会い頭にちょっとしたサプライズをする予定だったんだ」
「……サプライズ? どういうこと?」
「いや、だから、俺がそれをしくじったんで……まあ、そういうわけだ」
「ふうん……」
 全然具体的な単語の出てこない彼の説明に、流石の涼宮さんも首を捻る。
「……サプライズ、ねえ」
「すみません、姉さん……」
「まあ、良いわ、そういうことにしておいてあげる」
 穴だらけな説明だなあと思っていたけれど、どうやら、一応の納得は得られたらしい。後で追求される可能性は有るけれど、時間の猶予が出きるだけ幾らかマシだ。何か言い訳を考えておこう。……そういうことを考えるだけの時間的・精神的余裕が有れば良いんだけれど。
「じゃあ、そろそろ学校に行きましょう。遅刻しちゃうわよ」
 涼宮さんが仕切直して、それから僕らはイマイチ噛み合わない会話をしつつ登校した。
 このままじゃ、先が思いやられるなあ……。


 学校に行けば、僕は一年生ということになる。
 何だか変な感じだ。いや、朝から変な感じの連続だけれども、学校に来たとなるとさらにそれが倍増って感じかも知れない。
 ちなみにクラスは去年と同じ9組、理系の特進クラスだ。
 これで僕と同じクラスだった面子全員が一年生に逆戻りしていたら……なんて思ってもみたけれど、そういうことはないらしく、一年九組の教室には僕の知らない生徒達ばかりだった。……当たり前と言えば当たり前か。
 涼宮さんが、まあ、これを涼宮さんがやったかどうかはまだ分からないけれども、仮に涼宮さんのやったことだと考えた場合、彼女が、殆ど無関係の僕と同じのクラスの人間の背景事情まで弄くる理由は無いだろう。
 一応、学内で見かけたことがある一年生の姿も有ることだから、多分、僕がここにいるという一点を除けば、このクラスは元のまま何だろう。
 さて、クラスには来たものの、これからどうしようか。
 クラスメイトとの関係が云々以前に、今の僕には自分の座席すら分からない。
 自分以外の全員が席を埋めてから余った席に腰を下ろすという方法もあるけれども、それはちょっと不自然な気がするし、もしも今日このクラスに欠席者が居た場合、この方法は通用しない。
「どうしたの、涼宮くん?」
 なんて風に考えながら教室の入り口でつったって居たら、後ろから声をかけられた。
 涼宮……、一瞬、自分のことだと気づかなかった。そう、僕は今この苗字なんだ。納得したくは無いけれど、戻れるそのときまで、そういう風に振舞わないと。
「あ、おはよ……」
 振り返った僕は、挨拶を言い切らない内に、固まってしまった。
 何で、この人がここに……。ああ、どうやら、僕がここに居るという一点以外にも、違うところがあるみたいだ。

 何せ、朝倉涼子がそこに立っていたんだから。

「どうしたの?今日の涼宮くん何だか変だよ?お姉さんと何か有ったの?」
「あ、いえ、自分の席をド忘れしてしまいまして……」
 朝倉涼子が何でここにいるのかなんて僕にはさっぱり分からないし、当然、敵か味方か、それ以前に彼女が事実をどこまで知っているのかとか……ああ、うん、要するに、僕は何も分からないのだ。そして分からないなりに出した結論が、仕方が無いから、ここは素直に頼ってみようということだった。
 彼女が一体どんな理由でここに居るのか知らないけれども、人の多い教室で無茶をすることも無いだろうし、困っているクラスメイトが居たら席くらい教えてくれるだろう。
「あらら、涼宮くんでもそういうことあるのね」
「いえ……」
「涼宮くんの席はあそこ、窓際の後ろから二番目よ。あたしの前の席ね」
 あなたが僕の後ろの席ですか……。
 どういう因縁なんだろうなあ、これ。


 ホームルーム前に携帯のメモリくらい調べておこうと思ったけれども、後ろが朝倉涼子では、そんな気にもなれなかった。朝倉涼子が以前と同じTFEI端末なら、ここで僕が調べようが調べまいが大差ないだろうし、そうでないなら、別に見られてもどうってことも無いんじゃないかって気もするけれども……、気分がどうなんて思っている場合じゃないっていうのは、分かっているつもりなんだけれどなあ。
「涼宮くん、考えごと?」
「いえ、そういうわけでは……」
「お姉さんと何か有ったの?」
 そう言えばさっきもされたな、その質問。
「何もありませんよ」
「ふうん……、何も無いなら良いけど、何か有ったら言ってね」
 朝倉涼子は、まさしく委員長! というような、結構頼りになりそうな笑みを浮かべて、そう言った。


 授業は一年前に受けたものと同じなので、真面目に聞かなくたってその内容は殆ど理解できた。なので僕は、一時間目の授業中、片手間にノートをとる振りをしつつ、ずっと今朝からのことを考えていた。
 朝起きたら、いきなり、自分が涼宮ハルヒの弟になっていたということ。
 限定的では有るものの、起きてから今までに出会った範囲では、僕自身と彼を除いた全ての人が、この状態が、当たり前のことだと思っているということ。
 涼宮さんと出会ってから、主にSOS団で行ってきた出来事は、僕の立場が違っても、殆ど同じように行われてきたということ。
 そしてどうやら『機関』が有るかどうかはともかくとして、僕が『機関』を通じて知り合った人達とは、この改変されたらしい世界でも、知り合っているということになっているらしいこと。
 ……ああ、ダメだ。
 一人で考えていても、事実を確認する以上のことが出来ない。
 休み時間になったら……、とりあえず、動こう。


 教師が授業の終了を知らせるとほぼ同時に、僕は携帯を片手に教室を飛び出した。朝倉涼子のことを別にしても、教室で調べる気にはなれないことだ。
 僕は階段を上り、屋上に続く踊り場で携帯のメモリを確認した。
 有った!
 森さんも、新川さんも、圭一さんも裕さんも、他の人達も。
 みんなみんな、当たり前のようにメモリに残っている。
 良かった……。いや、良かったのかどうかは分からないけど、とりあえず、連絡が取れそうなことは確認できた。
 『機関』の人達の記憶がどうなっているかは分からないけれど……、うん、確かめてみよう。嫌な予感が当たる可能性の方が高そうだけれども。
 僕はとりあえず、森さんの携帯へ電話をかけた。
 呼び出し音が鳴り終わらないうちに、繋がる。早い。
『はい、森です』
「もしもし……」
 どうしよう、どう名乗ろうか考えて居なかった……。
『どうしたの一樹くん? こんな時間に……、お姉さんと何か有ったの?』
 ……。
 ……どうやら、森さんの記憶も書き変っているらしい。
「いえ、そういうわけでは……」
『だったらこんな時間に電話をかけないでちょうだい、こっちも忙しいのよ』
「すみません……」
 ああ、叱られた。
『……本当に、何も無いのね?』
 大有りと言えば大有りですが、それを電話で報告する気にはなれません……。話したら信じてくれるかもしれないけれども、面倒なことになりそうな気もするし。
 ここはまだ、保留にすべきところかな。
「何もありません。姉さんも普段通りですよ」
『そう、それなら良いわ。……じゃあ、大変だと思うけど、頑張ってね』
 叱られたと思ったら、今度は励まされた。
 そして、そのまま通話が切られた。
 ううん、同情されているのかなあ……。何だか変な感じだな。森さんはもっと仕事に厳しいって印象が有ったんだけれど。
 僕の立場が、改変前の世界とは違うからかな。涼宮さんの弟だし、年齢も以前より一つ下なわけだし。
 どうもこの調子だと『機関』は元のまま存在しているみたいだけれど……。
 そんな風にぼんやり考え始めたら、次の授業を知らせるチャイムが鳴った。まずい、早く行かないと!

 それから僕は四時間目の授業までを無事に過ごし、お昼休みになると同時に、生徒会室に向かった。文芸部室とどっちか少し迷ったけれども、教室のあるところからだと生徒会室の方が近い。
 階段を降り生徒会室のある階に降り立ち、生徒会室の方を見たら、ちょうど長門さんがそこに入ろうとしているところだった。
 好都合だ。
「待ってください」
 僕は駆け足で彼女の元に駆け寄り、閉まろうとしていた扉に手をかける。
「……何?」
「あの、長門さん。えっと……、長門さんは、一体どこまで……」
 ああ、困ったな。
 こういうとき、何をどこから話せば良いんだろう。
 長門さんの記憶がそのままだっていう保証もないし、かといって、書き換わっているという確証も無い。場所が場所だけに、ここで騒ぎを起こすようなことは……、まあ、今の僕の立場を考えたら、そのくらい何でもないことのような気もするけれども。
「……」
「あの……」
「有希ちゃんも一樹くんも、中に入ってください」
 無言の長門さんと何を言うべきかさっぱり分からない僕の元に、生徒会室の中から、優しげな声がかけられた。
 喜緑江美里さんだ。
 有希ちゃんって言っているってことは、彼女はやっぱり、長門さんの姉なのだろう。
「分かった」
 長門さん、お姉さんに対しては素直ですね……。
「すみません」
 僕は軽く頭を下げてから、生徒会室の中に入った。
 生徒会室の中には喜緑さんしか居なかったから、今は、彼女と長門さんと僕という三人だけだった。そう言えば、会長と僕の関係とかはどうなっているんだろう。……いや、そういうことは後で確かめよう。
「大変みたいですね、一樹くん」
「喜緑さん……」
「とりあえず、椅子に座って話しませんか? あ、お弁当、余分に作ってきているんで、良かったらどうぞ」
「あ、はい……、いただきます」
 喜緑さんのお弁当……、何だかちょっと不安な気もするけれど、多分、怪しいものは入ってないのだろう。第一、僕に何かしようとするなら、もっと直接的な手段をとるだろうし。
 しかし、宇宙人姉妹と一緒にお弁当っていうのも、変な感じだ。
 そう言えば、涼宮さんは学食組だっけ。僕もお弁当を持ってきてないし、通学路の途中で買出しもしていない。ということは、彼女は今頃、僕が来なくて……、ううん、どうなんだろう、そのあたりのことはさっぱり分からない。
 まあ、いいや、追求されたら長門さんとお弁当を食べていたと言おう。本当のことだし。
「あの、喜緑さんは……」
「大体のことは把握しています。もちろん、有希ちゃんも」
「……」
「昨日までのあなたのことも、今日からのあなたのことも」
「じゃあ……」
「ええ、これは、涼宮さん、いえ、今はあなたも涼宮姓を持つわけですから、この呼び方は不適切ですね。……これは、ハルヒさんによる世界の改変の結果です」
 喜緑さんは、さらりと、本当にさらりと、悪意も善意も何も無い、ただ、事実だけを告げるような口調でそう言った。
「改変、ですか……」
「ええ、改変です」
「でもなんで、僕が……」
 涼宮さんが、長門さんが最近部室に余り来ないことで機嫌を悪くしていたのは知っている。
 そんな彼女が、兄弟姉妹という関係に憧れを抱くことも、想像できないことじゃない。
 でも、何で僕なんだろう。
「ハルヒさんは、わたしに有希ちゃんを取られたと思っていた。わたしの方にはそういう意思は無かったのですが……。有希ちゃんも、そうでしょう?」
 長門さんに向ける喜緑さんの視線は、とても優しい。
 僕や他の人々に向ける上辺だけのそれとは違う、愛情のこもった眼差し。
「……わたしは、誰かのものではない」
 長門さんが、はっきりとした意思を感じさせる口調でそう言った。
「ですがわたし達の意志とは裏腹に、ハルヒさんはそう思ってしまった……。そして彼女は、自分にも、妹か弟が欲しいと思った」
「彼女の周囲で、きょうだいの居ない、同年齢以下の親しい人間が僕だけだった、とういわけですか」
「簡単に纏めると、そういうことになりますね。もちろん、それだけが理由ではないと思いますが」
「……」
 彼が候補から外された理由は、多分、きょうだいの有無とかじゃない。それくらいは僕にだって分かる。鶴屋さんと朝比奈さんは上級生、長門さんや、最近仲良くなった阪中さんには上のきょうだいがいる。……だから涼宮さんは、僕を選んだ。
「あなたがハルヒさんの弟になったことを除けば、世界はほぼそのままです。『機関』も変わらず存在し続けています。わたし達も、未来からの方達も……、だからこそ情報統合思念体は、今回の事態に対しては基本的に静観するという方針を選びました」
「……」
「とはいえ、完全な静観では、あなたとハルヒさんの間に情報の齟齬が発生し、それが破滅的な状況を引き起こす危険性もある……。そのため、わたし達はあなたに対する情報提供役を請け負っているという立場にあります」
「……僕や彼の記憶が書き換えられてない理由は、一体なんなんですか?」
「さあ、それはわたし達にも分かりかねます」
 喜緑さんは、食えない笑み、という表現がぴったりな表情でそう言った。
 長門さんの方を見ても、何時ものデフォルト無表情状態、それも、かなり以前に見た本当の無表情状態に近いような感じだ。
「……本当に分からないのですから、わたし達にもどうしようもないのです。それと一つ付け加えておきますが、情報統合思念体の力を持ってしても、今の状況を元通りに戻すのはほぼ不可能です。一旦涼宮さんの力によって決定されてしまった事項を覆すことは、情報統合思念体にとっても決して容易ではないのです」
「……」
「全てを信じていただくのは無理かもしれませんが、わたしから言えることはそれだけです」
 喜緑さんはそこまで言い終えると、僕に向かってそっと頭を下げた。
 ……喜緑さんを全面的に信じられるかといわれれば、答えはnoだ。多分、僕じゃなくて彼だったっとしても、同じ結論を出すだろう。
 けれど今、彼女の言葉以上に信じられるものが有るかと問われれば……、それもnoなのだ。
「ああ、わたし達がすべきことは、もう少しあるのですが……、よろしいですか?」
 喜緑さんが、椅子から立ち上がった。
「え?」
「あなたが昨日のあなたから連続して存在している有機生命体であるという事実に支障が無い範囲で、あなたに『涼宮一樹』としての過去を与える。……それが、わたしの役目ですから」
「……」
「そんなに怖がらないでください。これは所詮『記憶』ではなくて『知識』のようなものです。……そうですね、他人の人生に関する記憶の断片が、知識として流れ込んでくるようなものです。ちょうど、物語を読むような感じですね」
「……」
「よろしいですか?」
 喜緑さんの手が、僕の額に触れる。
「……お願いします」
 意を決して、僕は首を縦に振った。



 流れ込んでくる『僕』じゃない『僕』の人生。
 『涼宮一樹』という名前の作り物の人物が生きてきた、15年と少し。
 姉に振り回され続けた大変だけれども楽しい子供時代と、小学六年生の時を境にして変わってしまった、世界の風景。
 世界を壊そうとする姉と、それを守る弟。
 盛大な兄弟喧嘩の末とんでもない閉鎖空間が発生して、かといって僕が出動するわけにも行かず、後で森さんにこっぴどく叱られるなんていう、理不尽極まりないエピソードまで出てきた。
 理不尽なのは元々だけど……、どうやら『機関』の面々は、僕が小学校のときに学外でやっていたリトルリーグ関係で知り合った人ということになっているらしい。裕さんが臨時のコーチ役で、残りの人達はその家族や知り合い。
 都合が良いように、昨日までとの差異を出来るだけ埋められるようにして作られた、偽りのはずなのに、現実の色合いを色濃く残した、改変された世界。
 なるほど、この程度の改変だったから、情報統合思念体が静観を決め込んだのか……、というのは、僕にも何となく理解できた。
 本質的な意味で変わってしまったのは、僕と涼宮さんの関係。
 本当に、ただ、それだけのようだ。



「……理解できましたか?」
「ええ、大体は……。そう言えば、彼の方は、」
「二時限目と三時限目の休み時間の間にあなたと同じ方法で対処済みです。もっとも、したのは有希ちゃんですが」
「そうですか……」
 なるほど、これで僕らがこの改変世界を生きていく上で不都合なことは殆ど無くなったわけだ。
 記憶と知識の違いに注意して、彼が僕の呼び方を間違えさえしなければ、問題は何も無い。
 でも、だからと言って、
「わたし達にはこの状況を再改変する方法は分からない」
 僕と喜緑さんのやり取りを黙ってみているだけだった長門さんが、いきなりそう言った。
 予想通りと言えば予想通りの返答か……、あんまり、認めたくないんだけど。
「これからどうなるのか、どうするのかは……、あなたが自分で考えて、自分で決めてください。彼に相談してみるというのも一つの手でしょう」
「……」
「ああ、それと、朝倉涼子があなたのクラスにいるのは、情報統合思念体が、あなたの傍にわたしや有希ちゃんとは別のインターフェースを置くべきだと判断したからです。今のあなたは『涼宮ハルヒの弟』ですからね。今まで以上に、何らか危険が降りかかる可能性も有ります。彼女のことは、ボディガード兼知恵袋くらいに思っていただくのがよろしいかと。彼女も、事情は全て把握していますから」
 ……。
「あら、そろそろ休み時間が終わりますね」
 喜緑さんが、壁にかかった時計を見上げる。
 どうやら説明はここまでらしい。
 参ったな……、状況は理解できたけれど、解決の糸口になりそうなものは何もつかめていない。
 そう簡単にどうにかなるとは思っていなかったけれど、
「あ、一樹くん!」
 何て風に思いながら生徒会室を出たら、いきなり涼宮さんと鉢合わせた。
 何で彼女がここに……。
「え、あ……」
「もう、何でこんな所にいるのよ。学食に来ないから心配したじゃない! 一樹くんただでさえあんまり食べない方だし……」
 涼宮さんの顔が、ほんの少し上気している。
 この口ぶりからして、僕を探し回っていたんだろうか。
「えっと……」
「こんにちは、ハルヒさん」
 言葉に詰まったままの僕の横から、宇宙人姉妹コンビが顔を出した。
「えっ、喜緑さん、それに有希も……」
「今日、お弁当を作りすぎちゃったんですけど、有希ちゃんが、一樹くんを誘いたいって言い出して……、それで、無理を言って一樹くんに来て貰ったんです。心配かけちゃったようでごめんなさいね」
 喜緑さんが口からでまかせをすらすらと喋っていく。
 僕自身こういう風に喋ることは有るけど、他所様が同じようなことをしているのを横から眺めているというのは、何だか少し妙な気分だ。
「そ、そう、有希が……」
 そう言って涼宮さんは、長門さんを見る。
 長門さんは、何時もながらの無表情だけれど、特に不満があるようにも見えない。
 お姉ちゃんの考えたことだから、口を挟まない、ということなんだろうか。
「有希が、ねえ……、まあ、良いわ。そういうことなら今日は許してあげる」
「すみません、姉さん」
 何で昼食を一緒にとらないだけで謝らないといけないんだろうという疑問はあったけれども、僕はその気持ちをぐっとこらえて頭を下げた。
 とりあえず、こういうときはさっさと謝るに限る。
 僕が『弟』だからなのか、涼宮さんの僕に対する評価も、少し甘めになっているみたいだし……。仕方が無い、暫く様子を見ながら解決方法を探していくしかないか。
 タイムリミットとかが無いと良いんだけど……。


 第二章に続く


|