毎日を怠惰かつ無為に過ごしながらも人生を振り返ったときそれが一番楽しかったという人間は何だかんだ言って多いんじゃないかと思えるわけで、そう思えるからこそずっと続いてはくれないかなんてことを考えたりもするわけだが世界には未来というものがある以上時間ってのは過ぎ去っていくものだし、過ぎ去った後に思い返すことこそが醍醐味なんじゃないだろうかとも考えたりする――。
 高校生活ってのは俺にとってそういうものであって何故こんなことを思うのかといえばつまるところ今日は卒業式なわけであり、楽しかった時間ってのは過ぎ去ってみないとよほどその大切さってのは分からないもんだなとJ-POPの歌詞みたいなことを柄にもなく感じてみたりしながら、俺は高校生活を締め括る為に――まあこれが締め括りってのもどうかとも思うだろうが、ここが俺の帰る場所の一つだってことはもう疑いようもないことだからこれが締め括りであることには文句のつけようもないし、俺にはそもそも文句なんかない――SOS団本拠地こと文芸部室の扉を開いた。
「おっそいわよ、キョン!」
「やあ、お待ちしていましたよ」
「卒業おめでとう、キョンくん」
「やあ、キョンくん!卒業めがっさおめでとうにょろっ」
 そこにはハルヒがいて、古泉がいて、朝比奈さんがいて、鶴屋さんがいて、
「…………」
 唯一笑みを浮かべていないながらも、感じていることは俺たちと一緒であろう長門がいた。






                   【The Girl Who Wanted To Be A Real Human】






「以前も言いましたが既に僕の帰属意識はこのSOS団にありましたからね。離ればなれになってしまうというのは寂しいですよ」
 そう言う古泉の如才ない笑みの中には確かに寂しさが見て取れた。
「まあSOS団が解散するなどということはないでしょうし、そもそもそんなことは涼宮さんも望んでいないことでしょうから心配はしていません。実際、また集まる予定も組み込まれていることですし」
 その理屈はおかしいな。ハルヒの能力はもう消えたんじゃなかったのか?
「ええ、そうです。<機関>内の能力者全員から涼宮さんの精神を感知する能力が消失したことで<機関>はそういう判断を下しました。閉鎖空間内における僕らの能力が消失したのかどうかまでは、もはや確認のしようもありませんがね。万が一の為に<機関>は一時的に活動を停止するだけですから、またいつ呼び出されるかも分かりません」
「……お前もけっこうな苦労人だよな」
「おや、あなたにそう言ってもいただけるとは」
 俺は古泉のニヤケ面に鼻を鳴らすことで応えた。
 そう、徐々に減退していったハルヒの能力は高校三年の冬、消失した。
 長門も言っていたことだし、これは間違いないんだろう。
「しかし、涼宮さんがその能力を消失する前にこのような未来を望んでいたのだとすれば話は別です。涼宮さんが望んだからこそ、今こうしてSOS団が自分の帰る場所なのだと思える僕たちがいる……。そういうことなのではないでしょうか」
 そうなのかもしれんし、そうじゃないのかもしれん。そんなのは今更つっこむことでもないだろう?
「ふふ、そうですね。しかし僕は当初もし涼宮さんの能力が消えるようなことがあれば僕も長門さんも朝比奈さんもそれぞれの役目を終えてそれぞれの場所に帰りそれぞれの生活を送るのだろうと、そんな淡白なことを考えていたんですよ。でもご安心ください。今はそんなことはありません。今となってはあなたたちと離れるのは名残惜しいですし、離れてもまた会いたいと思っていますよ」
 俺は古泉のやたらと爽やかな笑みから目を逸らすと鍋の具の取り合いをしているハルヒと鶴屋さんを見た。もちろん、この会話は二人には聞こえないようにしてるんだが、そんな説明はいらないだろうな。
 俺の考えを言わせてもらうとだな。
 そんな心配なぞ初めからしてなかったんだ。
 ハルヒがSOS団を解散させるようなことがこの先あるとは思えんし、俺たちの方から離れていったとしてもハルヒはそんなことは許しやしないだろう。
 そもそも、今更ハルヒのもとを離れたいと思うような奴がこのSOS団にいるとは思えん。古泉は言わずもがな、朝比奈さんもハルヒのことは気に入ってるようだし、長門だってそうだろう。
 俺がそうなんだから他の奴がそうじゃないってことはないはずだ。
「そうでしょうね。その証拠に朝比奈さんがこうしてこの場にいることですし。卒業したら未来に戻るのかとも思っていたのですがね」
 今の朝比奈さんは大学生ということになっている。自身が卒業した後も未来の固定化の為にこの時代に留まる必要があったらしい。ハルヒの能力が消失したのと同時期にその任務は終わったらしいのだが、やっぱり未来人のハルヒに対する理論は間違ってたんじゃないのか?
 まあ今更そんなことはどうでもいいんだが、朝比奈さんがこの時代にいるというのは歓迎すべきこと以外の何物でもないし、そんな面倒なことをするなら何でハルヒと同学年にしなかったんだとか別の未来人はいなかったのかとかそういう疑問すらどうでもいいことで、何より任務が終わるなり俺たちの記憶を消す、なんてことがなかったのは実に幸いだ。
 俺は朝比奈さんのことを忘れたいとは死んでも思わないし、朝比奈さんも鶴屋さんや俺たちとの関係を断ち切るなんてことは望んじゃいないだろう。
 まあ実際のところは未来に戻って、ちょくちょくこっちに来てるって状況なんだろうがな。ああ、また本当の年齢を聞きたくなってきた。
「このパーティが終わればしばしのお別れですね。まあそれまではこの時間を愉しむとしましょう」
「そうだな」
 俺は古泉の声を今日だけは爽やかな心持ちで耳に入れながら、煮える鍋の上で繰り広げられるこぢんまりした戦争に参加することにした。
 ハルヒと鶴屋さんが大笑いしながら行儀悪く箸を交差させる隙間からひょいひょいと具を取り上げていく長門は実にしたたかなものだ。
 しかし、と俺は思う。
 こんなことは本当は考えたくもないんだ。考えたくもないことなんだが……。


 本当に長門はこれからも俺たちの傍にいてくれるんだろうか?


 古泉や朝比奈さんと違って、ハルヒの能力が消えた今こいつがこの世界に存在する理由は、こいつの親玉から見ればもう存在しないだろう。多分、喜緑さんもそうだ。
 だが俺たちからしてみれば長門にしても喜緑さんにしても、むしろ消える理由の方が見当たらないんだ。
 ハルヒの能力が消えた今、長門が消えちまったらもはや対処のしようがない。
 それが心配で長門に聞いてみたこともあったが、あいつはいつもの無表情で「事後観察」だとか言っていたから少しは安心したのだが……。
 長門が消えることでハルヒの精神を不安定にさせないためってんならそもそもそんな必要はなかっただろう。何しろハルヒの能力はもう存在しないんだからな。精神に影響を与えないってことだけが目的なら情報操作でも何でもしてやればいいのに、それをしないってことは事後観察ってのは本当なんだろうが、それでもこれからのことが俺は気がかりだった。
「この肉もーらいっ!」
「あっ、やったわね鶴屋さん!」
 と、ハルヒと鶴屋さんの楽しげな声で俺は思考を中断した。
 ……やめよう。
 こんなことは考えるべきじゃない。考えてもしかたがないことだ。
 それよりも今するべきことは――


 こいつらと一緒になって、バカ騒ぎすることさ。






「ねえ、キョン」
「なんだ」
 何かしらのパーティを部室でやった後に団員全員で長門のマンションに突撃して二次会をやるってのはもはやお決まりのパターンで、二次会を終えてそれぞれが帰路に着いた後に俺はハルヒと二人で長門のマンションの前に立っていた。
 何故こんなことになっているかというと二次会の最中にハルヒが俺に宴会終了後に残るようにと言ったからであるわけだが、特に断る理由もないので俺はこうして寒空の下ハルヒと二人で突っ立っているのだ。
「ちょっと、聞きたいんだけどさ」
「だからなんだ」
 俺の顔を見ずに空を見上げたまま言うハルヒの横顔は、何故か不思議なほどに冴え冴えとした微笑で――どこか物憂げだった。
「あんた、有希のこと好きなの?」
「…………何でそう思う」
 突拍子もないハルヒの問いに応えるのに数秒の間を要した。一年のときの冬合宿を思い出したぞ。
 だがハルヒはその間を気にするふうもなく、
「有希はあんたのこと好きみたいだけど」
「……だから、何でそう思うんだよ」
「あたしは団長よ。団員が何を考えてるかなんて手に取るように分かるわ」
 そう言って振り向いたハルヒは、やはり笑顔のままだった。
 ただしそれは、口の端と同時に眉も吊り上げるあの独特の笑みではなく優しさすら感じさせるもので、
「あたしが気付かないわけないでしょ。有希っていつも無表情だけど、あんたを見てるときだけすっごく優しそうな目をしてるんだもん」
「…………」
 ハルヒの言葉に俺は無言を貫き通すしかなかった。
 長門の目が俺を見るときだけ暖まって見えるのはてっきり俺の勝手な思い込みかと思っていたのだがハルヒにもそう見えてたってのか。異様に敏感なこいつのことだ、見間違えってことはないだろう。だが、
「……それだけで長門が俺のことを好きだって証拠になるのか?」
「……ばか。この鈍感男っ!」
「うわ、なんだよっ」
 いきなりハルヒが持ってたバッグを振り回して俺の腹にぶつけてきやがった。大して痛くはないが、何なんだよ。
「あたしはね……キョンのことが好きなの!!」
「…………は?」
 思わず顎を垂らしてしまう。今の俺はさぞかし間抜けな顔になっていることだろう。
「確かに素直にならなかったあたしも悪いってのは認めるわよ。でもね!あんたが鈍感過ぎるのがいけないの!!」
「ちょ……待て、待て」
「うっさい!!」
 ハルヒが叫ぶ。気が付けば、その大きな目からはいつの間にかぽろぽろとこぼれ出していた。
「だから……気付いちゃったんじゃない……有希がぁ、ひっく……あんたのこと好きだって、ことにぃ……」
「あー、えー…………」
 あのハルヒとはいえ女だってことに変わりはない。この辺は昔と比べてかなり変化した俺の心境なわけだがそんなことは今はどうでもいい。
 俺は情けないことに目の前で、自分のことで女が泣いてるってのにかける言葉が見つからないでいた。
 しかしハルヒは俺の反応に構わず言葉を続ける。
「本当は……ずっと前から気付いてたの……、でも、有希はいい娘だからぁ……」
 ハルヒはよろよろと近寄ってきて両の握り拳を俺の肩に置くと、俺の胸に顔をうずめた。
「何も言わないけど、雰囲気で分かってたのよ……ぐすっ、有希は、キョンのこと……あたしに譲ってくれてるんだって……」
 泣き続けたままハルヒは言葉を紡ぐ。
「前に……見ちゃったのよ……、あたしがキョンと話してるとき……有希がこっちを見てたの……。凄く、悲しそうな目だった……。そりゃそうよね、……好きな男が他の女と、仲良さそうにしてるんだもん……。あたしだってそう。あんたが有希やみくるちゃんと仲良さそうにしてると……何だか凄くイライラして……悲しい気持ちになって……」
 涙声だったが、ハルヒは少しずつ落ち着きを取り戻しているようだった。俺はいまだに何も言わない。何もできない。正直自分をぶん殴りたくなってきた。古泉はいないのか。いるならちょっと今すぐ俺を本気で殴れ。……いや、やっぱいなくていい。こんなとこを見られたんじゃたまったもんじゃない。
「でもね……分かっちゃったのよ……あんたが好きなのはあたしじゃない。みくるちゃんじゃない。……有希なんだって」
 俺はハルヒのこの主張だけがどうも納得できなかった。確かに長門のことを嫌いだと言ったら嘘になるし、好きだって言って嘘はないんだがそれは恋愛感情だとかそういうものじゃないと俺は思ってる。何でそういうことになるんだ?
「女の子の気持ちに気付かない上に自分の気持ちにも気付かないなんて、あんたも鈍感の極致よね」
 ハルヒはずず、と鼻を鳴らしながら俺から体を離し涙を拭う。
「あーあ、何で有希もあたしもこんなのが好きになっちゃったのかしら」
 ……何とでも言ってくれ。今の俺には反論する余地なんてこれっぽちもありはしないのは自分でよーく分かってるからな。
「本当は有希をあんたみたいなのに任せるなんてすっごく心配なんだけど」
 ハルヒは横を向いてまた空を見上げた。俺も何となくそれに倣う。
「何となく、あんたしかいない気がするのよね。有希を幸せにできそうなのって。あんたなんかに比べたら古泉くんの方がずっと、ずーっといい男のはずなのに……何か違うのよ。キョンじゃなきゃダメなんだって。よく分かんないけど、そう思うの」
 古泉の方がいい男、か。悔しいが客観的に見たらそうなんだろうな。ま、今はそんなこと考えてる場合じゃないけどな。
「……はー……。なーんか言いたいこと言ったらすっきりしちゃった」
 言いながらハルヒは振り向いて――目こそ潤んだままなものの、ここでようやく口の端と眉を同時に吊り上げるあの独特の笑みを浮かべ、
「もういいわ。自分のことを好きじゃない男と一緒にいてもしかたがないしね」
 俺を指差し叫んだ。
「あんたなんか、全っ然あたしにはふさわしくないんだから!!」
「……すまん」
 俺は思わず謝ってしまう。ハルヒに対する申し訳なさでいっぱいだった。
 正直に言おう。俺はハルヒのことは嫌いじゃない。今更そんなことを言うようなら俺はただの馬鹿野郎だ。むしろ好きなんだと思う。だがそれは長門と同じように恋愛感情ではなく、多分朝比奈さんに対して抱いてる感情も恋愛感情とは違うものなんだろう。
 だが、恋愛感情じゃないとか、そんなのは今関係あるのか?
 ここまで真っ直ぐにこいつが自分の本心を伝えてきたのは初めてなのに、その告白はあまりにも悲しいもので、おい、ちょっとこんなのはねえだろう、俺。
 自分がこんなにヘタレだとは思わなかったぜ。今なら朝倉のナイフ攻撃も甘んじて受けられるような気分だ。
 ハルヒ、ぶん殴りたいなら思う存分ぶん殴ってくれていいんだぞ……。
「何謝ってんのよ、気色悪い」
 俺の心の声が聞こえたかどうかは知らないが、ぶん殴る代わりに俺の腹にバッグをぶつけたハルヒは笑顔のまま、
「あんたが有希にふさわしいなんてこれっぽっちも思っちゃいないけどね。それでも!有希のこと、幸せにしなかったら許さないったら全然許されないわよっ!!ギッタギタに叩きのめして冷たいプールに投げ込んでやるから!!」
 どうやら俺はあの元生徒会長氏クラスまで格下げされちまったらしい。ま、仕方のないことだけどな……。
「それから!」
「お、おう」
 ハルヒは俺のネクタイを引っつかむと、
「今度のパトロールの日!絶対来なさいよ!!来なかったら……」
 ことさらに顔を近づけ――満面の笑みを浮かべて俺の鼓膜が破れるんじゃないかと思うくらいに大声で叫んだ。


「死刑だから!!」






 ハルヒが去った後、俺はただぼーっとアホみたいに夜空を眺めていた。
 何故か今日はやたらに肌寒く、吐く息が白い。このまま雪でも降ってきそうだ。


 ……ユキ、か。


 いつかの古泉の言葉を思い出す。
 あの時、俺が見ていたのは、空から振るユキなのか、それとも――。
「…………ふっ」
 思わず微笑を漏らしてしまった。それは苦笑でもあり、自分への嘲笑。人から、しかも自分のことを好きだと言った女から言われて自分の気持ちに気付くなんてこんなヘタレ野郎もそうそういねえだろうなと思いながら心の中で言い訳する。
 ハルヒに命令されたから行くんじゃないぞ。俺が行きたいと思ったから行くんだよ。
 俺は早足で玄関のパネルの前に向かうと長門の部屋番号を入力し、続けてベルボタンを押した。
 若干の間の後に反応が会った。
『…………』
「長門、俺だ。少し話したいことがあるんだが、いいか?」
『………………………』
 長門にしては長い間だった。何故か俺には、そこに躊躇のようなものがあったのを感じた。
『入って』
 ようやく反応が返ってくる。玄関のドアが開き、俺は滑り込むようにマンションに足を踏み入れると早足でエレベータに乗り込み、エレベータが7階に止まってドアが開いた瞬間にはじかれたように長門の部屋の前まで辿り着いた。
 ドアの前に立って数秒。インターホンを鳴らすまでもなくドアは内側から静かに開かれた。
「…………」
「よお、何度もすまんな」
 ドアの影から顔を出した長門は、いつもどおりの静謐な二つの瞳で俺をじっと見つめた後、ついと振り返り部屋の奥に引っ込むという行動で入るよう促した。
 俺はドアを閉めると靴を脱いで長門の後に続く。
 客間に入ろうとしたところに、長門がお茶の用意をしようとしているのが見え、
「ああ、お茶はいいんだ」
「…………」
 俺がそう言うと長門は2ミリ程首を傾けた後、逆再生したような動きできゅうすと湯呑みを元の位置に戻した。
 長門は綺麗な正座で立ったままの俺を見上げている。
「なあ長門。俺、ずっと前からお前に言わなきゃならないことがあったんだよ。でもな、それに気付いたのがついだっきなんだ。おかしな話だろ?」
「…………」
 長門は応えず、ただじっと俺を見つめる。
「っと、その前に、実はさ。さっき、ハルヒに告白されちまったんだ」
 わずかに長門の髪が揺れた。ような気がした。
「でもな、あいつ自分で好きだって言ったくせに、俺が言い返す前に俺のこと振っちまったんだよ。勝手な奴だよな」
 まあ、一番自分勝手なのは俺なんだけどな。と俺は付け加えた。
 長門はいまだに無反応。
「それでな、まあ他にもいろいろ言われたんだがそれで気付いちまったんだよ」
 俺は長門の対面に正座をして、真正面から長門の顔を見据える。言いたいことがあるなら相手の目を見てはっきり言う。これがハルヒ流のセオリーだ。


「俺は、お前のことが好きだ」


「…………」
 ここでようやく長門は瞬きを一つ。黒曜石みたいな瞳は動くことなく俺を見つめたままだ。
「本当は気付いてたんだ。気付かないフリをしてただけだったんだよ。三年間、ずっと。ここまでヘタレた奴だとは思わなかったよ、自分でもな」
 俺は正面から長門の肩に手を置く。一瞬だけ、長門の視線が俺から逸らされたような気がした。
「それから、もう一つ」
 これは俺の自惚れなのかもしれない。だが、これはあのハルヒが言っていたことだ。間違いはないだろう。
 それに、あの改変された世界を長門が望んだ理由をここまできて悟れないほど俺は愚鈍じゃない。確かに俺はハルヒの言うとおり鈍感の極致だ。あれだけのアプローチを受けてたのにその想いに気付いてやることができなかった。
 ……いや、違うな。
 長門の場合と同じだ。ただ気付かないようにしていただけなんだ。気付いてしまうことで、今の関係が壊れてしまうことを俺は恐れていたんだ。
 まんまガキじゃねえか。情けねえ。
 本当に俺はどうかしてるぜ。だが今更だ。
 過ぎ去った時間は元に戻すことはできない。例え自由に時間遡行ができるようになったとしても、俺は歴史を改竄するつもりはない。


 未来における自分の責任は現在の自分が負うべき――


 いつか長門が言った言葉だ。未来が悪い方へ転んだとしても、それは一重に現在の自分の責任なんだ。
 過去の自分を恨むくらいなら、過去にそういう行動をとっちまった現在の自分を恨め。
 全ての責任は現在の自分にある。何故なら、『現在の俺』は『現在』にしか存在しないからだ。
 過去に戻れるからって、それで自分の行動を正すなんてのはそれこそ勝手だぜ。
 そうだろう? なあ、俺。


「長門は、俺のこと好きか?」
「…………」
 俺の言葉に、やはり長門は無反応――いや、
「…………、……」
「え?」
 長門はわずかに口を動かし何かを喋ったようだが、聞こえない。俺が聞き返すと、
「…………き」
「…………」
 今度こそかろうじて聞き取れるくらいの声量で、
「……すき」
「あ……」
 俺の目をじっと見つめて言った。


「わたしは、あなたが好き」


 時が止まったかのように思えた。何の音もない。部屋を支配する静寂が、やけに耳にうるさかった。
「あなたが、好き」
「……長門」
 静寂を破って長門の透き通った声が耳に届く。
 気付けば長門の黒い静謐な瞳は、ほんの僅か潤んでいるように見えた。
「長門……」
 俺は手を肩から離すと、そっと腕を長門の背中に回して抱き寄せた。
「長門、ありがとうな……」
「……お礼を言うのは、わたしのほう」
 長門は抵抗せずに、俺の腕に静かに抱かれたまま、
「やっと、言えた」
 背中に小さな手の感触を感じる。暖かく、柔らかい。
 長門の体は、想像していたよりもずっと小さく、そして暖かかった。
 長門は俺の肩に顎を乗せ、静かな声で俺の耳に囁いた。




「ありがとう」






「んぅ……ん」
 片手を布団の上に仰向けになった長門の指に絡ませ、もう片方の手で長門の控えめだがしっかりと女の子であることを主張している胸を愛撫しつつ、俺は長門の小さな唇と舌を貪っていた。
 長門の手は柔らかい。胸も唇も舌も、長門の全てが柔らかく、俺の体に吸い付いてくるみたいだった。
「ぅ……」
 離した唇を、今度は長門の胸に近づける。長門の匂いを吸い込みながら、舌で先端を優しく撫ぜると、長門は僅かに反応を見せた。
「……っ、……は」
 先端を口に含み、舌で転がし、吸い上げる。
 我慢しているような仕草がいちいち可愛い。そのほとんどないに近い反応に、俺はどうしようもなく興奮していた。
「長門……。長門、可愛いぞ……」
「…………ぁ」
 胸を責めていた舌を鎖骨、首筋と滑らせ耳の裏側まで這わせる。唇と舌でねぶるようにすると、長門の体がぴくりと小さく跳ねた。
「はぁ……ぅん、……ん、ぷぁ」
「我慢しなくていいんだからな。声、ちゃんと聞かせてくれ」
 もう一度唇を重ね合わせるだけのキスをし頬を撫ぜるてやると、長門は音もなく息を吐いて目をミリ単位で細めた。まるで懐いた猫のような表情だ。
 壊れ物を扱うように優しく焦らすような責めを長時間続けた甲斐があったか、長門はくたりと体を弛緩させ、ほんの僅か頬を染めて蕩けたような瞳で俺を見つめている。
「ん……ぅ」
 そっと太股の間に手を滑り込ませると、長門は足を閉じて初めて抵抗を見せた。
 俺は余った方の手で、すがるように俺を見る長門の太股を外側から撫でながら、
「やっぱ……嫌か?」
「あ……、ぁ」
 長門は何かを言いたげに口を小さく動かすと、足を静かに開いた。俺はそっと長門の秘所に手を進ませる。
 長門のショーツは見ただけで分かるくらいにぐっしょりと濡れていた。こいつでもちゃんと濡れるんだななどと呑気なことを考えつつ、俺は最後の砦となったその布切れを静かに脱がせた。
 そこには、確かに長門が女であることの証明が鎮座していた。
 毛がまるで生えていないそこは、剃ったというよりは元から生えていないといった感じで、綺麗なピンク色の縦の線があるだけだった。
「綺麗だな……」
「ぁ、……ぅ」
 長門は溜息みたいな声を漏らして身をよじらせる。
 長門は、恥ずかしがっていた。そういうふうに思えたことが、嬉しかった。
「ふっ、ぅ」
 俺が指で秘所を撫ぜると長門はぴくりと反応する。少しずつ長門の反応は明確なものになっていた。
「は、ぁ」
 秘所を撫でていた指を膣内へと進入させる。ぬるりとした感触。すんなりと飲み込まれたはずの指は、すぐにその狭さに動きを止めざるをえなくなる。
 さすがにキツイ、か。
 そんなことを思いながら長門の秘所に沈めた指を小さくかき回すようにくちくちと動かしてみる。
「ぃ、あ……ぁ、は」
 長門は僅かに口を開いて吐息を漏らす。いつもより虚ろに見える瞳は、天井よりももっと高いところで焦点を結んでいるようだった。
「ぅん、う、ふ」
 薄暗い部屋に水音と長門の喘ぎだけがやけにうるさく響いている。
 指を動かしながら舌で長門の首筋をなぞると、長門はぴくりと肩を揺らし身をよじらせる。
 俺は構わずに舌を再び耳まで這わせると、そっと息を吹きかけた。
「ふぁ、ぅ」
 長門は俺の責めから逃れるように首を回して横を向く。
 俺は長門の横髪に鼻先をくっつけて息を吸い込んだ。
 シャンプーの匂いも何もしなかった。ただほんの少しだけ、女の子の香りがした気がした。
「ぅ……ん」
 長門がくすぐったそうに頭を揺らすが、俺は長門の匂いを吸い込み続ける。
 何故かそれだけで涙がこぼれそうになって、俺はそれを悟られまいとまた首筋に口付けた。
「…………」
 不意に頭の上に重みを感じた。柔らかく暖かい。長門の小さな手が、俺の後頭部にそっと添えられていた。
 長門の手がそっと俺の頭を撫でる。
 頭を撫でられて喜ぶような歳じゃもちろんないが、今はそれがとても心地よかった。
 だが、いつまでもそうしているわけにもいかず、
「…………?」
 俺はそっと長門の首筋から離すと、視界の隅に不思議そうに首を傾けた長門を捉えてから頭の位置を下へ下へとずらしていき、
「ん、ぅ?」
 へその下辺りまで頭を持ってきたところで長門はぴくりと脚を動かした。
 俺は更に下へと頭を持っていき、一瞬だけ顔を上げて長門の顔を見てから、
「っ、あっ」
 そっと長門の秘所へと舌を伸ばした。
「ふぁ、あ、は」
 わざと音を立てて舐め、吸い上げる。長門は俺の頭に手を置いて脚を閉じようとする。
 しかし長門は脚を完全に閉じようとも、俺を払いのけようともしなかった。
 こいつなら俺みたいな一般人から逃れるなんていとも簡単にやってのけるだろうに、長門はそれをしようとしなかった。
「嫌なら、言ってくれていいんだぞ」
「………………ぃ」
 長門が小さく口を動かす。
「……いやでは、ない」
「……そうか」
 俺は長門の答えを確認すると、再び熱く濡れた長門の秘所に口付け舌で撫でる。
「んぅ、ふ……ぅ」
 長門はだんだんと喘ぎが漏れるのを抑えられなくなっているようだった。
 こいつでもちゃんと感じるんだと気をよくした俺は、割れ目に舌を捻じ込んだ。
「ひ、ぅ?」
 瞬間、長門の体が一際大きく跳ねた。漏らした声に困惑の色が混じる。
「は、ぁ……ひ、あぅ、んっ」
 捻じ込んだ舌を長門の膣がきゅうきゅうに締め付けてくる。
 さすがに苦しくなった俺は、舌を離して代わりに指を膣内に沈めた。
 そのままさっきよりも早く指を動かす。
「は、ん、ふぅっ……んむ、ぅ」
 指の動きを早めながら開きっぱなしの長門の唇を自分の唇で塞ぐ。隙間から舌を挿し込み、長門の小さな舌を捕らえる。
「む……ぅ、ん、ふぅ……ん」
 キスをしながら秘所を責め、空いた方の手で胸を刺激すると、長門は体を小刻みに痙攣させる。
「ふ、ちゅ、ちゅく……、……っは……?」
 唇を離すと長門は物問いたげな目で俺を見つめてきた。既に指も胸と秘所から離している。
 長門は我慢できないのか太股をゆっくりと擦り合わせている。その姿は普段のこいつの静謐な姿とのギャップで、酷く淫靡なものに見えた。
「…………」
 長門はもじもじと身をよじらせているが俺は何もしない。何もせず、ひたすら焦らす。
 それは一分にも満たない時間だったと思うが、今の長門にとってはひたすらに長く感ぜられたかもしれない。
 正直に言おう。
 俺の方が限界だった。
 つまるところ、俺は長門と一つになりたかった。
「……長門」
 長門はゆっくりと瞬きをして、
「……なに」
「その……俺も、そろそろやばいんだ。だから……」
「……そう」
 途中で切れた俺の言葉から察したのか、
「あなたの好きに、して」
 体を弛緩させて、俺を真っ直ぐに見つめてきた。
「……本当に、いいんだな」
 俺がそう言うと長門は僅かに顎を引いて、
「あなたの好きにしてほしい」
 直前の言葉を希望という形で繰り返した。
「それじゃあ……」
 くそ、今頃になって緊張してきやがった。
 ベルトを外す手が震える。やっとの思いでベルトを外すと、俺は、
「…………」
 長門の視線に気付いて制服のズボンにかけた手を止めた。
「……このままするの」
「……いや、全部脱ぐか」
 そういえばお互いに制服を着たままだったことを思い出した。このまましても構わない気もするが別に半脱ぎ属性があるわけでもないし、何より服を着たまましたあとの処理が分からないので全部脱ぐことにする。
 ひとまず長門のカーディガンと制服を脱がせると、その透き通るように白い肌が完全に露になり、俺は思わず見とれてしまう。
「なに」
「ああ、いや。綺麗だなと思ったんだ」
「そう」
 呟く長門の頬は、確かに赤らんでいた。誰が気付かなくても、俺なら気付く。そのくらいの微細な変化だったが。
 俺は長門にキスをすると自分も上着とYシャツを脱ぎ、肌着も脱いで上半身裸になる。
 続いて制服のズボンを脱いで――息子がありえないくらい張り詰めているのを確認してからトランクスも脱いで全裸になった。
 後ろを向いていたので膝をついて向き直ると、
「…………」
 長門が俺を、ではなく俺の息子を凝視していた。
「……あまり見なくてよろしい」
「……そう」
 と言いつつ、長門は目を離そうとしない。……まあ、いいか。
 俺は長門の秘所に指を伸ばして十分に濡れているのを確認してから、
「じゃあ……いく、ぞ」
「…………」
 返答がないので長門の顔を覗き込むようにすると、
「…………きて」
 ぽつりと長門が漏らしたその言葉に心臓が止まるかと思った。
 可愛いこと言うじゃないかこいつ、とかそんなことを思う余裕すらないほどに嬉しい不意打ちだった。
 ……可愛いこと言うじゃないかこいつ。
「……我慢しなくていいからな」
「…………」
 俺が二重の意味でこの言葉を使ったことを悟ったのかどうかは定かではないが、長門は顎を引いて応えた。
「…………」
 片手で長門の太股を持ち上げ、片手で息子を支えて長門の秘所に近づける。が、なかなか上手くいかない。
「…………んぅ」
 くちゅ、と音がしたと思った瞬間、長門が声を漏らした。
 はっきり言おう。やばい。
 まだ入ってもいないのに長門の愛液がぬるぬるで触れただけで気持ちいい。
 長門の漏らす溜息みたいな声を耳に心地よく聞きながらしばらくぬるぬるとした感触を愉しんでいると、ああ、そういえば生でしてよかったんだろうかとか今更になって情緒のないことを考えてしまい、余計なことを考えるなと自分で自分を心の中で小突きつつ、このまま擦り付けているとそれだけで達してしまうような予感がした俺はもう一度挿入に挑戦することにする。
「……と、この辺……」
「ふぅ……もう少し……下」
「あ、ああ」
 長門の言葉を聞きながら位置をずらすと、
「うっ、わ……」
「っ……く」
 突然息子がぬるりと吸い込まれ、同時に長門の秘肉がねっとりとからみついてくるのを感じた。
「……く、やべ」
「はぁ……っ」
 長門の胸の横に手をついて体を支えると同時、長門が悩ましい吐息を漏らすのが聞こえた。
 やばい。気持ちよすぎる。
 これは……動いたらまずい気がする。
「っ……長門、大丈夫……か」
「……へい、き」
 そう言う長門の姿に俺はまた心臓が止まるかと思った。
 長門が目を潤ませて、切なげに眉を寄せていた。
 いかん、可愛い。
「く……」
 だめだ。いくら尻に力を入れても柔らかく締め付けてくる長門の膣内の気持ちよさには敵いそうもなかった。
 頭がおかしくなりそうだ。
「だ、めだ。長門……動いても……」
「……いい」
 長門がそう言うと同時、俺はゆっくりと抽挿を始める。
 大丈夫だ。まだ長門を気遣う余裕はある。
「っく……ふぅ」
「ふぁ、ん、あっ」
 俺が少し動かす度に長門は敏感に反応する。もうあの無口で無表情な宇宙人製のアンドロイドはどこにもいなかった。
 ここにいるのは長門有希という名の、俺が愛すべき一人のただの女の子だ。
「あっ……」
 と、ぷつりという感触がして肉棒がじわりと熱くなるのを感じた。
「あ…………」
 結合部から血が流れ始めている。これは……処女膜が破れたってことか?
「長門……平気か?」
「んぅ、う」
 長門は応える代わりに弛緩させていた両腕を伸ばし、その何かを求めるような様子に俺が身をかがめると俺の首に腕を巻きつけ耳元で囁いた。
「へいき……続けて」
「長門……」
 俺は胸を合わせるように体を近付け、できるだけゆっくりと抽挿を繰り返す。
「長門……、手を」
「はぁ……っ」
 俺がそう言うと長門は首から腕を離し、俺は空いた長門の両手に自分の両手を重ね、指を絡ませた。
「な、がと……長門……!」
「ふぅ……っ、ぅ、んっ」
 少しずつ、少しずつ腰を打ち付けるスピードを上げていく。
 加速できても減速するのは無理だ。もうそんな余裕はない。
 絡めていた指を離し、長門の体を強く抱きしめる。長門も応えるように俺にしがみついてきた。
「はぁ……っ、はっ……なが、と……!」
「ふぁ、あ、あっ、ぁん……っ!」
 長門が切なげな声をあげる。何故かそれだけで俺の胸は締め付けられる。
 長門の反応が嬉しくて、また俺は泣きそうになる。
「あ……あっ、長門……俺、もう……!」
 ぴりぴりと電流のような快感が背中から脳髄に伝わってくる。
「は、ぁっ……だし、て……っ、なか……!」
 耳に届く長門の声も、まるで今にも泣き出しそうな色を伴っていた。
 意識が朦朧とする中で聞こえた長門の懇願するような声に、俺は限界を超えた。
「く、ぁ、なが、と……!!」
「はぁ…………っ!!」
 一際強く、長門の一番深いところに打ち付けた瞬間、長門の締め付けが強くなり俺はそのまま達した。
「う、あ……ぁ」
「あ、あ、あ……はぁ、あ……」
 どくどくと濁流が長門の膣内を満たしていくのを感じる。長門に締め付けられながらも俺の肉棒は脈打ち、何度も何度も射精した。
 俺は長門と自分の体が痙攣しているのを感じながら、きつく長門の体を抱きしめる。
 一分くらいは続いていたんじゃないのかと思えるくらい、俺の射精は長かった。
 搾り取られるようにして全てを出し切ったと感じて、俺はようやく長門に覆いかぶさるようにして脱力した。
「はぁ……はぁ……」
「は……ぁ、ん……」
 強烈な脱力感に襲われながらも俺はやっとの思いで長門の膣内から息子を引き抜く。
「う……わ……」
 その直後、長門の膣内からは射精したばかりの俺の精液が溢れ出し――どんだけ出したんだよ俺。
「は……はぁ、んぅ……」
 俺は肩で息をしている長門にキスをすると、
「すげえ気持ちよかったよ……長門……」
「…………そう」
 長門は蕩けたように目を細めて、
「……わたしも」
 俺はまた心臓が止まるかと――いや、これはもういい。
「……シャワー、浴びるか」
 俺が何となくそう言うと、
「……いい」
 長門は意外にも首をゆっくりと横に振って、
「このままが、いい」
 そっと俺の手に自分の手を重ねた。
「……そうか」
 長門が言うのならしかたないな。
 俺はティッシュである程度の後始末を済ませると、今度は自分が仰向けになって長門をそっと抱き寄せた。
 長門は俺の腕の中で静かに目を閉じる。
 まるで、俺という存在を少しでも強く感じようとするかのように、俺にぴったりとくっついて。




 そう、この時の俺には知る由もなかったのだ。
 何故長門がシャワーを浴びたがらなかったのか。
 それが――俺という存在を自分の中に遺す為だったのだということを俺が知るのは、このすぐ後のことだった。






 布団の上でお互い生まれたままの姿で俺たちは抱き合っていた。
 俺が仰向けになり、長門はその上に寝そべって俺の胸に頭を預けている。
 行為が終わった後、俺たちは抱き合って何度もキスを繰り返していた。お互いの存在を確かめる為に。
 今はとうとうキスを交わす体力もなくし、こうしてただ寄り添っているというわけだ。
 俺は自分の胸に預けられた長門の頭を何度も何度も梳くように撫でてやっていた。さらさらとした指どおりが気持ちいい。
 と、俺は長門が何かを言いたげな瞳で俺を見ていることに気が付いた。
「どうした、長門?」
「…………」
 長門はゆるゆると上半身を起こすと、上から俺の顔を覗き込むようにして、
「あなたに言っていなかったことがある」
「何だ?」
 俺が聞き返すと長門は俺の上から降り、立ち上がって一糸纏わぬ姿のまま窓辺へと移動し空を見上げる。
「これからのわたしのこと」
「……ああ」
 何故だろう。
 この言葉を聞いた瞬間、嫌な予感が俺の頭の中を渦を巻いて駆け巡り始めた。
「涼宮ハルヒという存在によって、統合思念体は自律進化の可能性を見出した。これは以前にも言ったこと」
「そう……だったな」
 俺も立ち上がって長門に並ぶように窓辺に立つ。月明かりが淡く部屋を照らしている。
「わたしの役目は終わった」
 長門の真摯な瞳が俺を射抜く。同時に頭の中を奔る嫌な予感が加速していく。
 ふと俺は部屋の時計に目をやった。


 ――午前零時、五分前。


 午前零時? 何だ、この感覚……。何かすげえ嫌な感じが……。
「わたしがここにいる理由はなくなった」
「な…………」
 何を、言ってるんだ?
 お前がここにいる理由がなくなっただと?
 誰だ、そんなふざけたことを言いやがるのは。統合思念体か。
「違う」
 長門はゆっくりと首を振る。そして、次の瞬間に長門の口から発せられた言葉に、俺の思考は完全に停止した。
「わたしの意思」
「は…………?」
 アホみたいに口を開けたままの俺に構わず長門は続ける。
「あなたは、涼宮ハルヒを選ぶだろうと思っていた。だから、涼宮ハルヒの観察が終わった以上、わたしの存在は不要なものになると――」
「待てよ!」
 俺は長門が言い終わる前に叫んでいた。
 ふざけるなよ。長門が不要な存在だと? 誰がそんなことを決めた?
 もし、仮に俺がハルヒを選んでいたのだとしても俺は長門のことを手放したいとは思わないし、ハルヒだって長門のことがいらないなんてことはこれっぽっちも思っちゃいねえ。朝比奈さんも、古泉だってそのはずだ。
 何で今更そんなことを言う? それこそ言う理由がねえじゃねえか。
「最後まで、聞いて」
 激昂する俺に対して、長門は静謐な瞳で俺を見つめながら、
「役目が終わって、わたしは不要な存在になると思った。だから――」


 ――午前零時、三分前。


「――わたしは、この世界から消えることを望んだ」
「長門!!」
 思わず長門の肩を掴む。長門は瞳を揺らさずに真っ直ぐ俺を見つめている。
「何だよ、それ……何なんだよ!!」
 俺はお前に消えてほしくないって言ったはずだよな。それなのに、お前――
「あなたが、涼宮ハルヒを選ぶと思ったから」
 長門は俺の言葉をさえぎって、
「それが耐えられなかったから。だから、」
 俺ははっとして長門の肩から手を離した。
「わたしは……消えてしまいたかった……」
 長門が――あの無表情な宇宙人製アンドロイドが、涙を流していた。
「最期に……あなたに会えてよかった」
 最期? 何だよ、最期って。


 ――午前零時、一分前。


「わたしは、あなたに会えて幸せだった。あなたが、わたしを選んでくれて……とても、幸せだった」
 長門の指がそっと俺の頬に触れる。
「もう、止められない。望んでしまったから」
 長門の言っていることが理解できない。長門の顔が近付いてくる。


「夢を――ありがとう」


 長門の唇が、俺の唇に触れた。


 瞬間、俺の頭の中に妙なフレーズが浮かび上がってくる。


 ――シンデレラは、十二時になったら魔法が解け、王子のもとを離れなければいけない――


 ――午前零時。


「……っ、長門!」
 長門の体が発光を始める。
 その光景に、朝倉が消滅する姿が思い出され、俺は叫んだ。
「だいじょうぶ……記憶は喪われないから」
 何が……何が大丈夫だってんだ!!
「わたしはあなたのなかにいる。あなたはわたしのなかにいる」
「長門!おい、長門!」
 俺は長門を抱きしめる。もう胸の辺りまで消えかかっている。
「でも、たったひとつだけ」
 俺は長門の顔に浮かんでいた表情を見て、固まるしかなかった。
 もう首まで消えかけた長門が――ほんの少し口の端を持ち上げ、目を細めていた。
 それは控えめで――だが、はっきりとした、微笑だった。
「願いが叶うのなら、あなたと、また図書館に――」
「なが――!!」


 一層強い光を放って、長門は――消滅した。


 俺は、力なくその場に崩れ落ちた。
 手をついて、やっとの思いで体を支える。ぽたぽたという音とともに、床にシミが増えていく。
 泣いた。子供のように俺は泣いた。
 何もかもが、遅すぎた。
 ハルヒを泣かせ、長門を泣かせ、そして俺は――




 最も愛すべき人を、喪った。








 大学に入学してから数週間が経った。
 表面上はいつもどおりの自分を装いながらも、あの日以来俺は塞ぎ込んでいた。
 俺のことを好きだったハルヒ、消えちまった長門。そして、そのどちらの想いにも応えることのできなかった俺。
 俺はどうしようもなく愚かだった。
 ハルヒとはあれから連絡を取っていない。次に会ったときにお互いの変化を見て楽しむ為にパトロールの日まで連絡を取らないようにというハルヒらしい主張もあったが、それがなくても連絡を取ろうとは思えなかった。
 今の俺には、あいつに合わせる顔がない。
 せっかくあいつがチャンスをくれたってのに結局長門は消えちまって、俺はいったいどんな顔してあいつに会えばいいってんだ?


 しかし――と、俺は思う。


 消えちまうのが分かってたのに、長門は何故俺たちの記憶を操作しなかった?
 また俺たちと会うことが分かってるのに、何故俺たちから自分の記憶を抹消しなかったのか。
 無論、俺は長門との記憶をどっかにやっちまいたいなんてことは微塵も思っちゃいない。ハルヒも古泉も朝比奈さんも、それ以外の長門に関わった連中もそんなこと思っちゃいないだろう。
 しかし、消えちまった以上もう会うことはできない。会う約束をしていたのにだ。
 ハルヒは約束をすっぽかされて黙ってるような奴じゃないし、あんなことがあった以上ハルヒの怒りは必然的に俺に向けられるだろう。長門に向けられるものは心配以外の何物でもないだろうが、そう思えることはある意味救いだ。
 ハルヒは長門のことを好いていたし、長門もまたハルヒのことを好いていたはずだ。
 こうなることが予測できない長門なはずはない。あいつなら何かしらのフォローを入れたはずだ。
 例え事情があって俺たちの前から姿を消したとしてもそれをハルヒが黙って受け入れるとは到底思えん。ならば方法は一つしかない。
 自分に関わった全員から自分に関する記憶を消す。
 何ともふざけんなと言ってやりたくなるようなむちゃくちゃな方法だ。もちろんこの言葉を言ってやるべき相手は長門じゃない。情報統合思念体の野郎だ。
 長門の親玉にはらわたが煮えくり返るような思いを感じながら、俺は自分自身に腹を立てていた。
 ハルヒの想いに応えてやることができなかった、長門を守ってやることができなかった、ふがいない自分に。


 ――なあ俺。そう、お前だよ。女を二人も泣かせたくせに、お前はどうしてそうやってのうのうと生きてやがる?


 ああ、そうだな。何でだろうな。本当なら自分で自分を殺してやってもいいところだが、情けないことに俺にはそんな勇気はねえんだ。もっとも、俺自身はそういうことをするような奴にはその勇気をもっと別なところに使いやがれと言いたいクチだがね。


 ――ああ、実に情けないね。だが自業自得だ。いつまでも煮え切らないでいたお前が悪いんじゃねえか。


 そんなことは重々承知してるともさ。だが、どうやって責任を取ればいいってんだ? こんなことを誰かに話したとしたら、十中八九そいつは死んで詫びろというだろう。実際、俺自身がそう思ってる。
 だがそんなことはハルヒも長門も望んじゃいないんだ。
 ハルヒは俺に長門を幸せにしろと言った。長門は自分の分まで俺に幸せになってほしいと言った。
 だったら、俺は生きなくちゃならない。
 俺がこんなことを考えるなんてのも、二人は望んじゃいないだろうがな。
「…………あ」
 そんなことを考えながらふと携帯を見た俺は、今日が俺にとって忘れちゃいけない日であることを思い出した。


 携帯の画面に表示されていたのは、三年前にハルヒが文芸部室に俺を連れ込み、俺が長門と初めて出会った日の日付だった。






 文学芸術研究会。
 気が付けば俺はその部室のドアの前に立っていた。
 何か理由があったわけじゃない。このサークルに入ろうとか思ったわけじゃなく、ただ何となく俺はそこにいた。
 まるで何かに導かれるように部室の前までやってきた俺は、何かに誘われるようにドアをノックした。
「…………」
 返事はない。もう一度ノックする。
「…………」
 やはり返事はない。更にもう一度ノックをしようとしたその時、
「…………」
 カチャリと音がして、扉の影から身を隠すようにして小柄な人影が顔を覗かせた。
「……あの、なんでしょうか……」
「あ…………」
 困惑した様子でか細い声をあげたその人影を見た俺は、頭を銃でブチ抜かれたような衝撃に襲われた。
 華奢な肩。白い肌。不揃いのショートカット。俺を不安げに見つめる瞳の持ち主は、間違いない。
「長門……?」
「え……」
 “眼鏡越し”に俺を見上げていた瞳が大きく見開かれる。
「どうして……」
 瞬間、俺はおかしなことをしてしまったと気付いた。
 突然、何の前触れもなくやってきた男が自分のことを見てこんな反応をするんじゃ困惑もするだろう。
 こんな反応じゃなくても知らない男がいきなりやってくれば警戒もするだろうが。
「あ、いや。その、知り合いに似てたもんでつい……すまん」
 そうだ、人違いだ。いるわけがないじゃないか。
 どちらかといえばあの世界の長門の方がイメージが近いが、どちらにしても長門がこんなところにいるわけはない。似た容姿の人間がいたとしてもそれは間違いなく他人の空似だ。
「わたしの名前……」
「え?」
 眼鏡をかけた長門似の少女の言葉に、俺は思わず聞き返した。
「名前……あんたの名前は?」
 少女はひゅうとツバメの風切り音みたいな息を一つすると自分の名を告げた。


「長門……有希」


「…………!」
「あっ……!?」
 少女――長門有希は驚いたような声をあげる。それもそのはずだ。
 俺は名前を聞いた瞬間に、長門を抱きしめていた。
「な……が、と……」
「あ、あ、あ……?」
 自分でももう何をしているのか分からなかった。もはや人違いだとは思えなかった。
 消えたはずの文学少女。長門有希がそこにいた。
「長門……俺だ……俺だよ……、お前は覚えてないかもしれないけど……。俺だ……俺なんだ、長門……」
 涙が、嗚咽がとまらない。もはや俺の口から発せられる言葉は支離滅裂としていて意味の通る文章になっていなかった。
「長門……会いたかった……。俺……」
「…………」
 長門が俺の腕の中でぴくりと動いた。
 てっきり突き飛ばされるのかと思った俺はふと我に返って腕を放そうとしたが、意外なことに長門の腕は恐る恐るといった感じに俺の背に回された。
「わたしも……会いたかった……。あなたが誰かは分からないけど……。ずっと、会いたかった……」
 背に回した手できゅっと俺の服をつかむと、長門は俺と同じように涙声で言葉を紡ぐ。
「不思議な感じ……。あなたが誰だか分からないのに……、ずっと前から……生まれる前から、あなたのことを待っていたような気がする……」
「ああ……ああ。ごめん。ちょっと遅れすぎちまった……長い間、待たせてすまなかった……」
 俺は長門を抱きしめる腕の力を強める。離したらすぐに消えてしまいそうで、不安だった。
「いい……ちゃんと、来てくれたから……。ちゃんと、わたしを見つけてくれたから……」
「長門……長門……!」
「んぅ……っ」
 長門がくぐもった声をあげる。俺が長門の唇を自分の唇で塞いだからだ。
 十秒、二十秒。どれくらいそうしていたのか分からない。気が付けば俺たちはどちらからともなく舌を絡ませ合っていた。
「ん……ぅ、ふぅ……っ、ちゅ、ちゅく……」
 触れ合わせた唇と舌が熱い。とめどなく涙が溢れ目頭が熱い。全身が熱病にでもかかったかのように熱かった。
「ふ……ちゅ、ちゅる、ちゅ……」
 苦しい。呼吸ができない。
 だが唇を離したいとは思わなかった。このまま時が止まってしまえばいいとすら思った。
「んむ……ぅ、ちゅ……ぷぁ」
 さすがに息が切れ、どちらからともなく唇を離す。舌と舌の間に銀の橋がかかり、重力に負けて切れ落ちた。
 長門は頬を上気させ肩で息をしている。俺は再び長門を強く抱きしめた。そっとその小さな頭を撫でてやる。
「本当に……すまなかった……。全部、俺のせいだ……」
「いい……あなたのせいじゃ……あなただけのせいじゃない。わたしも……」
 俺はこの長門を知らない。この長門は俺を知らない。
 だが、二人の間では、二人の間でだけは会話が成立していた。
 止まっていたはずの歯車が、再び音を立てて動き出す。
「幸せにする……。絶対、幸せにするから……あいつの分まで……」
「分かってる……誰のことかは分からないけど、でも分かってる……彼女の分まで……ちゃんと……」
 ここにいる長門はあの長門じゃない。でも、この長門は意識の深層の部分であの長門のことを知っている。そして、俺はこの長門があの長門のことを知っているということを、何となくだが分かっていた。
 だが、あの長門はこの長門だ。あいつはちゃんとここにいる。あいつは還ってきたんだ。俺に会う為に。
 だったら、俺がやるべきことは一つ。あいつの気持ちに応えてやることだ。それが――


 俺がここにいる理由。こいつがここにいる理由なんだ。


「……一つ、聞きたいことがある」
 目を潤ませたまま長門が俺の顔を見上げてくる。何だ。何でも言ってくれ。
「あなたの名前。まだ、聞いていなかった」


 ――ああ、そうか。そうだったな。
「俺の名前は――」






 必要なもの以外は何もない。いや、必要なものさえ揃っていないんじゃないかとすら思える殺風景な部屋に、俺は懐かしさを感じていた。
 かつて、読書好きの宇宙人、長門有希が寝床にしていた高級分譲マンションの一室。部屋番号は708号室。
 俺はその奥の寝室に敷かれた布団に横になっていた。全裸で。
「…………」
 仰向けになった俺の上には、やはり生まれたままの姿で俺の胸に頬を寄せてすうすうと安らかな寝息を立てる文学少女、長門有希の姿があった。
 出会ったその日に行為に及ぶなんてどこの色魔かと疑いたくなるだろうが、俺たちがこうなることに何ら疑問を感じたりはしなかった。
 そう。これは<規定事項>なのだと。
「…………んぅ」
 そっと頭を撫でてやると、長門はわずかに声を漏らしくすぐったそうに身をよじらせる。そしてまた幸せそうな寝息を立て始めた。
 頭を撫でているのとは逆の手で俺は一枚の紙切れにかかれた文章に目をやる。まるでパソコンで打ち出したように綺麗だが、どこか人間らしい丸みを帯びた文字だ。その紙切れには、次のようなことが書いてあった。


『このような伝え方しかできなかったことをまずはお許しください。これはちょっとしたテストだったんです。あなたと長門さんに対する試練。そしてその試練をあなたたちは乗り越えました。
 本当は長門さんはあの日、自分の有機情報連結を解除すると同時に、あなたたちから自分に関する記憶を消すつもりだったんです。あなたが考えていたとおりに。
 でも、その前にあなたが現れ長門さんに想いを伝えたことで、長門さんはとうとうこの世界から消えることを拒否しました。
 そして彼女は望みました。今度はインターフェースなどではなく、ただの一人の人間としてこの世界に留まりたいと。その望みを統合思念体は叶えました。ただし、その後の彼女自身の生き方は一切関知しないという条件つきで。
 それが長門さんがあなたの前から消え、あなたたちとの記憶を失った状態で再びあなたの前に現れた理由です。
 もちろん今の長門さんは自分がそのようなことを望んだということすら覚えていません。ですから彼女は自分からあなたに行くことも叶わなかった。つまり、全てはあなた次第だったのです。
 あなたが長門さんを見つけなければ、彼女は永遠に一人で生き続けることになったでしょう。それこそが統合思念体が彼女に対して下した<処分>でした。
 でも、あなたは彼女を見つけた。三度一人ぼっちになった彼女を、あなたはついに孤独から解放しました。これはわたしの望みでもありました。ですから、一言お礼を言わせてください。


                           ありがとう。


 長門さんを見つけ出してくださって、本当にありがとうございます。あなたになら、安心して長門さんをお任せできます。
 そうそう。文芸研ですが、あの日だけ情報操作をして長門さん一人になるように細工しておきました。独断専行ですけど、これくらいならいいですよね?
 実はわたしも文芸研のメンバーなんです。わたしは長門さんのお目付け役ですからね。ちゃんと見守っていてあげないと。ですから、少しお邪魔になるかもしれませんが――許してくださいね?
 一応わたしにはまだ観察任務が残されているのです。この惑星が統合思念体にとって興味深い存在なのには変わりはありませんし、いつまた涼宮さんのような存在が生まれるかも分かりませんからね。
 本当ならわたしに関する記憶も消す予定だったんですけど、もうその必要もなくなりましたし、これからよろしくお願いします。
 今度は、一人の先輩として。
 それから、もう一つ。
 あなたもご存知のように今の長門さんはほぼ記憶喪失といっても過言ではない状態です。ですから、涼宮さんたちにはちゃんと説明して差し上げてくださいね?
 説明の仕方は、あなたにお任せします。
 それではまた、文芸研の部室でお会いしましょう。


                                                       喜緑江美里』


「……やれやれ」
 喜緑さんが部室に書き残したこの文章を最後まで読んだ俺は、封印していた言葉を溜息とともに吐き出した。
 正直言って、あの長門が消えちまったことに未練がないわけじゃない。だが、今の長門はあの長門が望んだ結果なんだ。
 あの冬の三日間。あいつが望んだ、普通の人間としての生活。
 ようやくあいつは、自分の望みを叶えることができたんだ。それにこいつはちゃんとあいつであって、あいつじゃないわけじゃない。
 だったら俺がすべきことは、あいつの望んだ世界を一緒に生きてやることだろう。
 こいつの中にちゃんとあいつはいる。それはこいつ自身がよく分かってることだ。
 今更悩んだってしかたがない。俺はこいつを幸せにしてやるといったんだ。
 もしも、あの長門が俺のもとに戻ってくることがあるとしたら……その時はその時さ。
 さて。
 明日は長門との約束がある。今夜はもう寝よう。
「おやすみ、長門」




「ぅ……ん……」
 体を揺りかごのようにゆるゆると揺られ目を開けると、カーテンの隙間から光が差し込み俺は目を細めた。鳥の鳴き声が聞こえる。
 ……ああ、これが俗に言う『朝チュン』ってやつね。
 そんなどうでもいいことを考えていると、少し拗ねたような声が耳に届いた。
「おきて……」
 既に着替え終えた長門が俺の肩を優しく揺すっていた。
「……すまん、もう少し」
「…………」
 俺の言葉に少しだけ頬を膨らませる長門。ああ、新鮮な反応だ。可愛すぎる。
「…………ん」
 不意に唇に柔らかいものが触れた。さすがにちょっとばかし驚いたので目を開くと、長門は悪戯が成功した時の子供のような笑みを浮かべていた。
 それはどこまでも、無垢で、純粋で。
 その表情に見とれていると、小さな声が朝日のように優しく俺に降り注いだ。
「……朝起きたら、まず言うことがある」
 ……ああ、そうだな。
「おはよう、長門」
「おはよう……」
 長門は蕩けたように目を細めて微笑し、その表情に俺まで蕩けそうになる。
 そういえば、今日は長門との約束があったな――
「飯食って少し休んだら、図書館行くか。約束だしな」
「いく」
 長門は嬉しそうに頷く。本当に大学生なのかと疑いたくなるくらい幼い仕草だが、可愛いから許す。
 何よりこいつの微笑みは、いつかもう一度見たいと思っていたものの一つだからな。
 それが見られるなら、何だってするさ。そして、それが消えてしまわないようにするのもこれからの俺の仕事なんだ。


 ひとしきりじゃれついた後、朝食を作るためにぱたぱたと台所に向かった長門を見送ってから、俺は枕元に一冊の本が置いてあることに気付いた。
 それは、一番最初に長門が俺を家に呼んだ時、そして、あの改変された世界で俺にヒントを与えた時に使われた栞が挟んであったものと同じ本。
 俺は何となくその本を手に取ってぱらぱらとページをめくる。と、ひらりとページの間から一枚の長方形の紙が滑り落ちた。
 花のイラストが描かれたファンシーな柄の栞。
「…………ふっ」
 俺は反射的にそれを裏返し、そこに書いてあった文字を見て思わず微笑してしまった。




 ――長門。俺、ちゃんと約束守ったぜ。












                         YUKI.N>また図書館に












           This is a tale of the boy and the girl who wanted to be a real human....
              The girl became to a real human, but this tale is not the end....
                 Hereafter, the tale of theirs is going to be continued....

|