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 思わぬキョンの強引さに、あたしは少し眉をひそめつつ、諦めぎみに目を閉じた。いいわ、もう。煮るなり焼くなり、今度こそあたしの事をあんたの好きにしなさい、キョン――。


 布団の冷たさとキョンの温もりとの狭間で、熱気を帯びたあいつの吐息が降りてくる。心持ち尖らせたあたしの唇の先が、やがて包み覆われていく。

 なんだろう、初めてのキスなのに、初めてじゃない感じ。求めていたものが満たされていくような、そんな感じ。
 できる事ならずっと、こうしていてほしい。開けば生意気な言葉ばかりポンポン飛び出すあたしの口なんか、このまま塞ぎ続けてほしい。ねえ、キョ…んっ?


 わ、わ。キョンの奴、一度唇を離して息を吸い直したと思ったら、今度はさっきよりも強く、こするように押し付けて、あたしの唇の間を割って舌先を入れてきた…。
 いやあのその、あたしだって大人のキスがそーゆーものだって事くらい知ってるわよ!? でもちょっといきなりすぎっていうか、こっちだって心の準備ってものが、ねえ?

 う。あたしの前歯の上下の境を、キョンの舌がなぞってる。もっと奥にまで入り込みたいの? そうなのね?
 仕方がない。そう、仕方がないので、あたしはあいつをもう少しだけ受け入れてやる事にした。――その数秒後、あたしは自分の判断および見通しが甘かったのを思い知る事になる。


 ちょん、と先端と先端が触れて、それだけで怯えたように逃げるあたしの舌を、キョンの舌が追いかけて、押さえつけ、絡め取るように根元から舐め上げ、吸い上げて…。

 ちょっと、ちょっと何よこれ!? なんかこれエロい! エロいわよこのキス! なんとなく口の中の出来事をあたしとキョンに置き換えて想像してみたら、体の奥の方が大変な事になってきちゃったじゃない。
 あーん、前に見た夢だってリアリティありすぎだって思ってたのに! 現実はさらに凄いってどういう事よ!? もうっ、キョンのすけべぇ!


 ヤバい。いや本当に。これは少々ヤバいかもしんない。あたしは薄ら寒い恐怖さえ感じていた。キョンの事をあまりに過小評価していたのかもしれない。

 単になりふり構わずっていうだけの感じだけど、こうも一気呵成に攻め込まれたんじゃ…好きにしなさいどころじゃないわ、まるで抵抗できない。このままじゃ、あたしがあたしでなくなっちゃいそう。だいたい、キョンの奴にいいようにあしらわれっぱなしっていうこの状況が気に食わないわ。キョンのくせに、生意気よ!
 なんとか主導権を握り返さなきゃ、と焦燥感に追われるあたし。しかしながら…いつも古泉くんとやってるボードゲームの成果なんだろうか、あたしはまたしても、あいつに先手を打たれてしまったのだった。


 キ、キ、キスしながら耳を撫ぜるなあっ!

 



 あやうく、あたしは官能の波に飲まれてしまう所だったわ。けれどもその間際、頭の中にふっとひとつの疑問が浮かんで、あたしは精一杯の力でキョンに抗った。


「ぷはっ。ちょ、ちょっと待ちなさいよ、キョン!」
「あ…悪い、なんだか夢中になっちまって。息、苦しかったか?」
「それは別にいいのよ! いや良くないけど!」
「どっちだよ」
「だから、あたしが言いたいのはそういう事じゃなくて!
 …なんだかあんた、やけに手馴れてるじゃない。ひ、ひょっとして初めてじゃ…ないの?」


 訊ねてから涙目になりそうになってしまっている自分に気付いて、あたしは内心でひどく狼狽した。
 可能性として、あり得なくはない。でもキョンもあたしと同じように初めてのはずだと最初から疑って掛かりもしなかったのは、それは、別の答えを認めたくなかったからなんだ。知らなかった。あたしが、こんなに独占欲が強かったなんて…。

 そんなあたしの葛藤を知ってか知らずか、キョンの奴はあたしの問いに、憮然とした表情で答えた。


「バカ言え。何の自慢にもならんが、俺は正真正銘たった今が青い春と書いて青春真っ只中だ」

「嘘! 嘘よ、だってあんた…」
「なんだハルヒ、お前『門前の小僧、習わぬ経を読む』という言葉を知らないのか?」
「へっ?」
「つまりは、見よう見まねって事だよ。
 お前の朝比奈さんに対するセクハラ攻撃を、いったい俺が何度止めに入ったと思ってるんだ? あれだけ見せつけられりゃ、嫌でも目に焼きつくっての」


 そうしてあいつは、あたしの耳元に顔を近づけて「本当はずっとお前にこうしてやりたいとか思ってたかもな」なんて小声でささやくと、あたしの耳を、はむっと甘噛みしてきたのだった。もう。キョンの奴ったら調子に乗って、ここぞとばかりに! 

 でも安心感で満たされちゃったあたしの心と身体は、キョンの攻勢を受け入れざるを得なかったのよね。そっか。そこまであたしの事を見てるのか。うん。それならまぁいいわ。何が? 知らないけどまぁいい。
 ここはあんたのお手並み拝見と行きましょ。たまにはあたしの事をきちんとリードしてみせなさい。ねっ、キョン――。

 



 それからまあアレやコレやを経て、あたし達の最初のセックスは終わった。
 別にごまかすつもりはないんだけれども、この後の事は断片的にしか記憶がない。お互いに初めてだったせいもあって、何というかおままごとみたいな? そんなつたないセックスだったと思う。

 でもまあ、あたしは結構満足していた。右も左も分からない中を無我夢中で駆け抜けるような、あんな感覚って嫌いじゃない。誰かに手ほどきを受けるより、むしろその方が痛快じゃないの。

 当然ながら、反省点も多々あるんだけどね。


 えーと、ほら動物の世界で『マウント』ってあるじゃない。犬とかが自分の優位性を誇示するために他の犬にかぶさる、ってヤツ。
 アレの最中は、やっぱり人間も動物みたいになってるんだか――その、あいつがのしかかって来るたびに「ああ、あたしは今、キョンのモノにされてるんだ」って思えて…それが何故だか嬉しくって…。
 一個人としては「女の子をモノにする」っていうのはむしろ不愉快な表現なんだけども、でもあの時ばかりは不思議とあいつの体重を、ベッドのスプリングに分けてやるのが無性にもったいないような気がしたの。


 で、キョンの奴が「もう少し力抜いた方がいいぞ」って言ってるにも関わらず、やたらと四肢を踏ん張ってしまったあたしは現在、首から背中にかけてアンメルツヨコヨコの匂いを漂わせたりしているのだった。あと実は、お腹の中もちょっとヒリヒリ痛い。生理用の痛み止めでなんとか紛らわしてるけど。

 教訓。その場の感情に流されすぎちゃダメね。利用できる物はきちんと利用するべきだわ。そう日記には書いておくとしよう。


 それにしても。
 『涼宮ハルヒ秘密日記』のページ上にトントンと意味もなくペン先を振り下ろしながら、あたしは口をアヒルみたいにしていた。
 今更ながらに思うけど、キョンの奴ってズルい!


 ううん、あいつがズルいのは前々から分かってたのよ。毎度あたしの後ろからひょこひょこ付いてきて、美味しい所だけご相伴に預かろうとするような奴だものね。
 でも、今回ばかりはちょっと許しがたい。そうよ、あの行為の最中は気が付かなかったけど、こうして家に帰ってお風呂に入って夕食を済ませてから落ち着いて思い返してみるに――。

 キョンの奴、あたしに「好き」とか「愛してる」とか、まだ言ってないのよ!? あたしに散々アレだけの事をしておいてッ! あたしの初めてを…あんな風に奪っといて…。

 いやまあ、実はあたしの方も改まって告白したりするのは気恥ずかしくて、まだきちんと言葉にしてはいなかったりするのだけれども。ただ礼儀として、あーゆー事したからには男の方から言ってくるのが作法っていうか? 確かに『古泉くんとあたしがナニするのを邪推して嫉妬した』みたいな事はあいつも言ってたけど、でも「嫉妬した」と「好き」は微妙にイコールじゃ無いじゃない!?


 それとも…キョンはやっぱりあれは一時の対処療法みたいなものだとか思ってて、好きだの愛してるだのっていう形而上の言葉であたしを拘束してしまうのが嫌だったんだろうか。
 確かに胸の話とか、「行動に枷をはめられるのはイヤ」みたいな事を言ったのはあたしの方なんだけども。でもどっちにせよ、キョンの奴ってばやっぱりズルいと思う! うん!

 



 …そこを含めて、好きになっちゃったから参ってるのよね。

 机の上の小さな鏡を見ながら、左の頬を撫ぜてみる。あたしの頬をはたいた時のキョン…恐かったけど、格好良かったなあ。あんなに真剣に怒ってくれるのは、あたしの事が大切だから、だよね?

 まあいいわ、今回だけはキョンの無礼を見逃してあげるとしよう。一応、コトが終わった後に、


「ハルヒ…今のお前、反則的なまでに可愛かったぞ…」


なんて事は言ってくれたし♪
 あ、でも調子に乗って、汗やら何やらでベタベタした手で頭を撫ぜたりしないでよねっ? リボンが汚れちゃったじゃない!
 ちょうど替えがあったから良かったけど。あ~あ、これ割とお気に入りだったのにな。一度染み込んじゃうと、洗濯したってこの匂いはなかなか落ちな………

 ここは自分の部屋の中で、もちろん居るのはあたし一人だというのに、なぜだかあたしは左右をきょろきょろ見回して、それから机の引き出しに、そっとリボンをしまい込んだのだった。

 そ、そうよ、このリボンはもう人前じゃ付けられないから、ずっとこの中にしまっておく事にするわ、うん!

 …いったい誰に向かって言い訳してるのかあたしは。

 はあ、それにしてもまあ。たった一日の間にファーストキスから何から、我ながらずいぶんとコトを進めてしまったものだ。

 ついこないだまで、恋愛なんてのは交通事故みたいなもので、きちんと注意さえしていれば回避できるものだと思ってたのになあ。今はもう、四六時中あいつの事ばかり考えてる。キョンの奴には、出会い頭に思いっきりハネられちゃったって感じよね。ほんと、不覚だわ♪


 …って、あれ? ちょっと待って!? そういえばキョンの奴、昼間、喫茶店でこんな事を言ってなかったっけ?
『人間なんて明日どうなってるか分からないから、みんなもせめて事故とかには気をつけろよな。特にハルヒ』
 それからあたしに向かって『お前は直情径行の向こう見ずで、後先考えずに動くから』とか何とか言ってたような…。

 えっ、えっ? ひょっとしてアレって、いわゆる暗示って奴? キョンってもしかしてもしかすると、予言者!?


 なんてね。たかだか1回セックスしたくらいで、奴の事を特別に不思議な存在だとか勘違いするほど、あたしは愚かじゃないのだ。
 だいたいアレを『予言』だなんて言うんなら、あたしにだってそのくらい出来るわよ。そうね、たとえば――。

 



 言わせて貰うなら、セックスなんてのは単なる行為のひとつに過ぎない。少なくともあたしはそう思ってる。
 愛情がなくったって出来るし、何の証明にもならない。セックスしたから彼はわたしの物♪なんて、おかちめんこな考え方は噴飯物だ。一時の気の迷いで、そうひょいひょいと人の所有権を移動させないでほしい。

 結局その考えは、あたしこと涼宮ハルヒが実際にセックスを経験した後も、特に変わる事はなかった。だからやっぱり、セックスなんてただの行為なのだ。

 ただ、これだけは断言しておこう。
 客観的、一般的には単なる行為だけれども、このあたしにとってはあんなに痛くて恥ずかしいコトは、よっぽど好きな奴が相手じゃなければとても出来やしない、と。経験者として、それは確信できる。そして今のあたしにとって、その相手はただ一人だけ…。
 そう考えている内に、あたしは無意識に携帯の通話ボタンを押していた。


「(ピッ)もしもし、ハルヒか? こんな夜更けにどうし」
「分かってんの、キョン!? あんたは50億分の1、ううん、宇宙人やら未来人やらを含めても、世界中でたった一人の存在なのよ!?
 すごくありがたい話でしょうが! 選考委員のあたしにはもっともっと感謝するべきよ! 違う!?」
「…違うも違わないも。いきなりそんな勢いでまくし立てられたって、話の筋が全く分からん」


 ああ、もう。本当に理解力にとぼしい奴ね。手間が掛かる事この上ないけど、やっぱりあたしがリードしてやらきゃだわ。


「いいから! あんたはこれからもあたしについてくればいいの!
 それとすっとぼけてる罰として、次に逢う時の食事代から何からは、ぜ~んぶあんたのオゴリだからねッ!」
「いや待て待て。次ってお前、今日のホテル代も結局は俺が払わせられたし、そのあと合流した朝比奈さんと長門には、なぜか特盛りパフェをご馳走させられたし、さすがに財布の中身がだな」
「なに言ってんの! 今日のあんたはみんなに心配とか迷惑とか掛けまくったんだから、そのくらい当然でしょ!? 急用で帰っちゃった古泉くんにも明日、学校でちゃんとお礼言っとくのよ!」
「へーへー。って、お前は俺の母上様か」
「うっさい! 文句があるんだったら、あたしに有無を言わせないくらいの気概をまた見せてみなさいよ、このバカキョンっ!」


 ふふっ、気概を“また”見せてみなさいよ、か。
 はてさて、次の機会はいつになる事やら。まるで見当も付かないけど、それまではこの、肝心な言葉をきちんと口にする事さえ出来ないムッツリスケベ男の尻を叩き続けるとしましょ。
 そうして、携帯を通じてあいつへの叱咤を続けながら、あたしはこっそり今日の日記に、最後の一文を書き込んだのだった。


『初めての相手がキョンで、本当に良かった』

――ってね♪




涼宮ハルヒの不覚   おわり

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