(この話は長編・涼宮ハルヒの恋慕の続編です) 
ハルヒに背後から椅子の下を蹴り上げられ、地震かと思って「うぇあっ!?」などと自分
自身でも訳の分からない叫び声を上げてクラス中の注目を浴びる……そんな爽やか且つ快
適な目覚めを体験したのは、午前中のこと。
もちろん、まともに眠れたわけもなく、そんな午前中の休み時間の何限目かは忘れたが、
眠気を吹き飛ばそうとトイレに向かったところで古泉と出くわした。

「お疲れのようですね、ご苦労さまでした」

労いの言葉なら、もう少し表情に気をつけた方がいいぞ。おまえの笑顔は円滑なコミュ
ニケーションの妨げにしかなってないような気がするんだ。

「そうですか、それは注意しておきましょう。ですが、あなたと涼宮さんが無事であるこ
とにホッとしているのは事実ですよ。新しいゲームも用意しておきました」

そういや、今日もゲームの相手をしてやると言った気がする。が、オレの体調を気遣っ
てくれ。今日はさっさと帰って惰眠を貪りたいんだ。

「おや、約束を破るというわけですか。嘆かわしいことです」
勝手に嘆いてろ。
「……試みに聞くが、用意したのはどんなゲームだ?」
「カルカソンヌです」
「そんな頭使うゲームなんかできるかっ!」

「やれやれ。おっと、これはあなたの口癖でしたね。まぁ、今日のところはゆっくりなさ
ってください。しかし……嘆かわしいと言えば、あなたにも涼宮さんにも、僕個人の気持
ちとして、残念で仕方がありません」

「何の話だ?」
「見たところ、お二人の関係にこれと言った変化がないことです。閉鎖空間で愛の告白…
…これほど、涼宮さんらしい告白のシチュエーションは他にないと思いますが」
「…………」

怒る気力さえ沸いてこないのは、オレが疲れているからだろうな。命拾いしたな、古泉。


どうせ学食にはハルヒがテーブルにすらかじり付く勢いで飯を食ってるだろうし、そん
なものを目の当たりにしたら、睡眠不足でただでさえ無い食欲が、完膚無きまでにたたき
のめされると思って購買に向かった矢先のこと。

「あ、キョンく~ん」

ちょっと遅れた時間に着いたため、あらかた強奪されて残っているのが味も素っ気もな
いコッペパンを手に取ろうか迷っているところで朝比奈さんと遭遇した。
ハルヒとのケンカで見せた涙も、未来に帰ると言い出した曇った表情もそこにはない。
ハニーフェイスの微笑みは、憔悴しきったオレの心に一番の栄養となりましょう。

おまけに「よかったぁ、ここに居てくれて」と、まるでオレを捜していたような一言は、
ラファエルの奇跡以上の癒し効果があるってもんです。

けれど朝比奈さんの表情は、すぐに曇った……というか、真面目な顔つきになった。

「キョンくん、ごめんなさい」

そんな朝比奈さんの第一声は、何故かオレに対する謝罪の言葉だった。何故にオレが朝
比奈さんから謝罪を受けねばならないのか、まったくわからん。

「ええと、あたし昨日、キョンくんに迷惑かけちゃったみたいで……」

ああ、そういや朝比奈さん(大)が言ってたっけな。ハルヒとのケンカ内容やその後の
混乱っぷりについては、長門に頼んで記憶を凍結してもらう、とかなんとか。

「あの……とってもひどいことしちゃったのは覚えてるんだけど、内容がちょっと曖昧で。
長門さんからも「キョンくんに謝っておくように」って言われたんですけど、詳しい内容
が思い出せなくて……」
「長門が?」

長門がそんなフォローを……ねぇ?

「こんなこと言うともっと怒られそうだけど……あたし昨日、何しちゃったんですか?」

それをオレに聞きますか、朝比奈さん。
頼むぜ長門。記憶を凍結するなら「何かやらかした」ってことも消しといてくれ。それ
どころか、朝比奈さんをけしかけるなんてあんまりじゃないか。
ここでオレは何を言えばいいんだ? ハルヒとケンカして世界消滅の危機を招きまし
た、とでも言えばいいのか?

「えーっと……その、たいしたことじゃないんですよ。あー、お茶が……そう、お茶がですね」
「お茶……ですか?」
「そう、お茶です。ええと、ハルヒの紅茶に入れる砂糖をオレの緑茶に入れちゃってです
ね、めちゃくちゃ甘い緑茶を口に含んだオレが思わず吹き出して、それがハルヒにかかっ
てちょっと派手な言い争いになって……それで朝比奈さんが「ごめんなさい」と泣きなが
ら出て行ったわけです、はい」

寝不足の頭だと、駆け出しペーペーの若手芸人でも使いそうにないベタなネタしか思い
浮かばん。いくら朝比奈さんがドジっ子だからって、いくらなんでも緑茶と紅茶の区別は
つくだろうし、そんなことするわけが……。

「あああああたし、ぶぶぶぶぶ部室でもそんなことやっちゃったんですかぁっ!」

……するわけがあったんですね、朝比奈さん……。

「お家でも、ご飯作るときに白砂糖と強力粉を間違えたりして……部室では気をつけてい
たんですけどぉ……ホントにごめんなさい」
「いえいえ、いいんですよそんなこと」

こんな言い訳で丸く収まるなら万々歳だ。

「あっ、涼宮さんにも謝らなくちゃですよね。えっと、今どこにいるか分かりますか?」
「えっ!? あー……大丈夫です、オレから言っておきますから。朝比奈さんは気に病むこ
とはありませんよ」
「でもぉ……」
「それなら朝比奈さん、今日もいつもと同じようにとびきり美味いお茶を淹れてください。
それで十分ですよ」

朝比奈さんが淹れてくれるなら、雑草を煎じた抹茶でも喜んで飲みますけどね。
とまではさすがに言わなかったが、それでも朝比奈さんはちょっと驚いたような表情を
見せてから、満面の笑顔を浮かべてくれた。

「ありがとう、キョンくん」


笑顔で会釈して去っていく朝比奈さんの後ろ姿を眺めつつ、ふとハルヒの方はどうだろ
うと気になった。
朝比奈さんは長門からケンカの記憶を凍結させられているが、ハルヒは手つかずのまま
じゃないだろうか。昨日のケンカのことを覚えていられると、厄介なことになりかねない。
朝比奈さんと話をしているうちに最後のコッペパンすら強奪された購買を後にして、オ
レは学食へ足を伸ばした。

すでに昼休みの残り時間は10分を切っている。その時間にまで学食に居座っているの
は、ハルヒくらいだろうさ。
なもんで、すぐにハルヒの姿が目に入った。鶏の唐揚げ定食をまだ食ってるが、食べるの
が遅いと思うべきか、それともそれで何皿目だとツッこむべきか、甚だ迷う所である。

「あらキョン、あんたが学食に来るなんて珍しいわね」
「おまえの意味不明な早朝からの呼び出しで、弁当を忘れたんだ」
「だから、あたしは知らないっての! でもまぁ、どうしてもって言うなら唐揚げの一個
くらいなら上げてもいいわよ」
「おまえの食いっぷりを見てたら、食欲がなくなったよ」

その不満たらたらな表情はなんだ。唐揚げを奪うことが申し訳ないと思って辞退したん
じゃないか。

「それよりもハルヒ、昨日のことなんだが」
「何よ、あんたもその話?」

あんたも、って何だ?

「さっき、有希も来てさ。昨日のことを覚えているか、みたいな話されたのよ。それで、
よく覚えてないからそう言ったんだけど、そしたら帰っちゃった」

長門のヤツ、ハルヒのフォローもしてくれていたのか。だとしたら大丈夫だとは思うん
だが……何も覚えてないと言う割には、妙に視線が泳いでる気がするんだよな。

「オレを朝っぱらから呼び出したことはいいとして……さっき、購買の前で朝比奈さんに
会ったんだがな」

憂いは今のうちに払っておいたほうがいいだろう。藪をつついて蛇を出すことになるか
もしれんが、そのときはそのときだ。

「朝比奈さんも昨日の記憶が曖昧なんだそうだ。で、どうもおまえに悪いことをしたって
思いこんでるらしい」
「えっ、みくるちゃんが?」
「オレもそのことについては思い当たる節がないんだが、おまえにもないのか?」
「うーん……でも、そうね。あたしもみくるちゃんに謝らなくちゃとは思ってるんだけど、
それがどんなことだったのか覚えてないのよね」

なるほどね。そういうことか。

思うに、昨日の閉鎖空間の中では、ハルヒはオレのことや「ジョン・スミス」のことも
覚えていなかった。てことは、朝比奈さんに悪いことをした、って記憶はあるかもしれな
いが、どんな理由でケンカしたか、ってことまでは覚えていないのかもしれない。

ただ単にハルヒが惚けているだけかもしれないが、本人がそう言って、今現在も閉鎖空
間が出来ているわけじゃない。だったらそういうことにしておいたほうが無難だろうさ。

「ちょっ、何よ! そんなジロジロ見られてると、食べられないでしょっ!」

仮定の話を頭の中で考えていただけなんだが、ハルヒには「ジロジロ見てる」と取られ
たらしい。こいつはオレの普段の顔を「ボケ顔」とも言うし、もう少しオレの表情につい
て熟考して発言できないもんかね。

「何が食べられないだ。クリスマスの鍋は周りの目なんて気にしないで、長門と鶴屋さん
とおまえのほぼ3人で食い尽くしていたじゃないもがっ」

口の中に、いきなり唐揚げを突っ込まれた。

「ああ、もう! 午後の授業が始まるでしょ! 仕方ないから、あんたも食べるの手伝い
なさいよ!」
「今、食欲がなふがっ」
「い・い・か・らっ! あんたが食べないなら、あたしが食べさせてあげるわよ!」

おいハルヒ、唐揚げは椀子蕎麦じゃないんだ。嬉々として次々口の中に押し込まないで
くれ。せめて良家の箱入り娘が恥ずかしそうに食べさせる素振りで頼む。

そんなヘヴィな昼を乗り越えた午後、寝不足の頭は大至急睡眠を取るべきだと警告して
いたが、それを無視してオレは部室へ向かっていた。
別に日頃のクセだから、という理由だけではない。オレが本当に礼を言うべき相手と、
まだ会えていなかったからだ。
部室のドアをノックして、返事がないことを確認してからドアを開ける。中にいるのは
分かっていたが、返事がないのがコイツの返事なんだろう。

「長門、昨日はいろいろ迷惑かけたみたいだな」

窓辺の定位置で文庫本に視線を落としている長門に、オレは謝罪と感謝を述べた。

「いい」
と、本を読んだまま一言。
「あなたは巻き込まれただけ」

そりゃ確かにそうなんだが、オレは結局、その場の対応で右往左往しただけで後々のフ
ォローは投げっぱなしだった。そのフォローまで考えて行動してくれたのは長門であり、
そのことについてはオレも感謝すべきところだ。

「でも」

本から視線をはずし、闇色の瞳がオレを見る。その瞳に宿る輝きは、どこか揺れている。

「無理はしないで」

…………。
正直に言おう。今のその瞬間、完全に思考が停止した。まさか長門がそんなことを言う
とは、まったく想像していなかった。
不意打ちにしては、見事としか言いようがない。

「あー……そうは言うが、オレは平凡なヤツだからな。無理のしようがないだろ」

我知らず、なにやら言い訳じみたことを言っている。その間、長門はずっとオレを見つ
め……というか、睨み続けていた。
まいったな。

「わかったよ、無理はしない」
「……そう」

どうもまだ疑いの念は抱いてるようだが、それでも視線は本に戻る。
なんだろう、この感じは。
いつもの長門なんだが、いつもとは違う感じがする。他のヤツが見れば、いつも通りだ
と言うだろう。SOS団の団員が見たって、そう言うに違いない。けれどオレの目から見
れば、どこかいつもと違う。

「なぁ、長門」
「なに?」

目は活字を追ったまま、オレの呼びかけに返事をする。やっぱりおかしいと思うのは、
オレが長門のことを穿った目で見ているからだろうか。
いつもだったら、言葉ではなく視線を上げて返事をするんじゃないか?
……いや、オレの考えすぎだな。

「今日はこのまま帰ることにするよ。ハルヒに「疲れたから帰る」とでも伝えといてくれ」

わずかに首を縦に振り、そのまま部室を後にしようとしたときのこと。

「待って」
長門の方から珍しく呼び止められた。
「ん?」

振り返ると、長門はオレがいつも座っているパイプ椅子を指さしていた。
何かあるわけでもなく、どうやら「座れ」という意思表示らしい。

「なんだよ」

椅子に座り、何がなにやら分からぬままでいると、長門の氷のような冷たい手が不意に
頬に触れる。その冷たさに鼓動が一拍ほど速くなったその直後、
「……え?」
スッとかがんだ長門は、その唇をオレの額に押し当てていた。

声が出ないまま、何秒……いや、何分かもしれない……ともかく、時間感覚が麻痺する
には十分な時間を経て、長門は離れた。

「前脳基部に存在する入眠ニューロンへの活性処置を施しておいた」
「……は?」

額へのキス後の第一声の意味がわからず、オレは自分でもマヌケとしか言いようがない
声を出していた。

しばしの沈黙。思うに、オレへどう説明しようか考える時間だったのだろう。その内容
は、長門らしくないものだった。

「よく眠れるおまじない」

前のセリフと今のセリフは、どう考えても真逆な説明の仕方だと思うのだが……長門が
そういうのなら、そういうことなんだろう。そういうことなんだろうが……。

「いやその、なんで額に……」
「脳組織へ処置を施す場合、脳に近い部位からの接触がもっとも安全かつ合理的」

はぁ、さいですか……。
どうも今日の長門と話をしていると、調子が狂う。睡眠不足も相まって、このままじゃ
マジでぶっ倒れそうだ。今日はもう、寄り道もせずにさっさと帰って横になろう。

有り体な感謝の言葉を述べて、オレは帰路についた。昨日、今日と何時にも増して疲れ
る一日だった。これで明日からは、ごくごくありふれた高校生らしいキャンパスライフが
送れるはずだ。そうだ、そうに違いない。

……そうだよな?



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最終更新:2007年01月15日 08:00