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ちょっと待てよ。
今は一学期。いや新年度のはずだ。
現に桜が咲いているし、うららかな春の日差しが小鳥のさえずりをうながしているし。
それは分かる。そのはずなんだ。

じゃぁどうして俺はここに座ってるんだ?
それでもって今俺の耳に飛び込んできている話は何だ?

記憶にある最新のものは長門が犬から宇宙的生命体を凍結圧縮してシャミセンに移したあの一件だ。
阪中家の極上シュークリームの味だってまだ忘れちゃいないぜ。


―入学式。


ちょっと、待てよ!
いやそんなこと言っても誰が待ってくれるというのだろう。
第一待ってもらったところでこの超現実が覆るとは思えない。

耳に飛び込んでくるのは1年前とほとんど変わりないように思える
テンプレートでダルダルな校長の訓示であり、目に入ってくるのは整然と並んだ北校生達。

いや学校に来るまでは普通だったんだよ。
今日は本当ならクラス替えがあるはずで、旧1,2年生はそれまでの教室で
新クラスの名簿を受け取った後で新しい教室に移動…そのはずだった。
しかるに、この現実はなんだろう!
席に着くと岡部がやってきて「入学おめでとう!」と言って俺達を整列させ、
そのまま体育館に引っ張られて今に至っている―。

他の誰が俺になったってこの状況には疑問がいくつも挟まれることだろう。

疑問その1:涼宮ハルヒはどうした?
回答:いるぜ。ちゃーんと俺の席の後ろにな。

疑問その2:ハルヒの記憶は?
回答:どうやら今のところ俺以外クラスの全員がこの状況に疑問を抱いていないらし。

疑問その3:ハルヒの髪は?
回答:いつぞやの髪型七変化以後の、あの肩にかかるくらいのショートカット。いつもの。

疑問を受けつけるぜ?
何しろ俺もまだ考えを整理できていないんだ。
できるだけ早くな。

疑問その4:SOS団の面々は?
回答:この入学式が終わったら即座に確認しに行く予定だが…。

疑問その5:ハルヒは満足してたんだろ?
回答:俺もそう思ってたし、こんなことになるとは夢にも妄想にも夢想にもフィクションですら思わないさ。
    だが起こってしまった以上…しょうがない。のか?

疑問は絶賛受付中だが、入学式はまだ続いている。
ハルヒは髪型以外は1年前の再放送を見ているような仏頂面と殺伐オーラで、
試しに一瞬話しかけようとしたらぷいっとそっぽを向かれてしまった…振り出しかよ!

不自然にならない範囲で首を回して辺りをうかがう。
右の方。隣のクラスの列に即座に誰だかわかる人物が座っている。
小柄でシャギーの入ったショートカット、これだけでもう十分だろ?
長門有希だ。俺より前の列にいるから表情は確認できないし、こっちを振り向いたりはしない。
妙に動悸がする。長門が俺を知らないなんてことは…少なくともないはずだ。

なぜって、初期設定に戻ったのなら3年前に2回ほど俺は長門に会っており、
その歴史は既定事項だろうからその理由によって長門が俺を知らないということにはならない。

まだ確認すべき人物が何人もいる。
古泉一樹。あのニヤケハンサム野郎は同じく初期設定だと仮定すればまだいないはずだ…。
9組の方を見たかったが3クラス分の人並みに紛れて、いるかどうかさっぱり確認できない。

朝比奈さんは2年生としてすでにここにいるはずだが、同じ理由によって未確認だ。
彼女はかように可愛らしく、小柄であるからなおさら現状での発見は困難である。
もはや事実上のSOS団準団員であった鶴屋さんは、特徴的なロングヘアなので
見つけられそうにも思えたが、俺の人物視認能力は思いのほか低いのか、
それとも今日は欠席しているのか、未確認…すまん。誰に謝ってるんだろうね。

そういえば谷口と国木田だ。俺の前と後ろにまさに今立っているが、
こいつらも明らかに俺をご存知でない。さっき知らない人を見る目を向けられたからな。

やれやれ。

ひさびさだが今回ばかりは言ってもいいだろ?
俺はハルヒが消えてしまったあの時ほど焦ってはいなかったがな…。
今までも何とかしてきたのだし、今度はとりあえずハルヒも長門もいる。
むしろ軽く興奮しているくらいなのを正直に告白しておこう。

…さて、そろそろ入学式も終わりそうかな?

さっき俺は再放送と言った。
まさにその通り。我ながらジャストフィットな例えをしたと思う。

教室に戻ってから自己紹介が終わるまで、どっかの映像倉庫から
まったく劣化のないテープをひっぱり出してきて再生したかのように、
俺を取り囲む連中の言うことや行動は、1年前の(いや、そう言っていいのだよな?)あの時そのまんまだった。

「ただの人間には興味ありません。この中に、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、
 わたしのところに来なさい!以上!」

俺の一年での名ゼリフダントツ1位のこの発言も、そっくりそのままだ。

唯一編集の手が加えられたのはハルヒの髪型、俺の設定くらいじゃなかろうかね。

さて、ならばハルヒに対しては過度の冒険心はつつしみ、
前回の態度のトレースを行う必要があるだろう。
俺がこいつに話しかけたのはもう数日後のはずだ。

放課の合図とともに、俺は教室を飛び出した。

即座に優先順位を脳内で組み立てる―。

真っ先に会うべきはSOS団の団員3人だ。
すなわち長門有希、朝比奈みくる、古泉一樹。

長門有希は宇宙人製の有機端末であったが、
今や俺はこいつをそんな風に扱うつもりは毛ほどもなく、同級生で大切な仲間だ。
それ以上の感情には俺の言語化能力もついていけないな。まぁそれはいい。
こいつが状況を把握していたなら部室で待機しているはずだから、
今は後回しでいい。

朝比奈みくるさんは俺の天使であり女神であり眼精疲労回復役でありメイドさんであり…
まぁ無限に続いてしまうので割愛するが、この中で唯一上級生なので俺達とは今日の日課が違うはずだ。
2,3年生は普通に授業があるはずで、今もその最中だろうから、当座は保留でいい。

残るは副団長こと変態超能力者、古泉一樹である。
俺の脳内マニュアルではまだ転校してきていないはずだが、
確認自体はすぐにできるはずなので、まずは9組に向かうことにしよう。

―と言うような事をおよそ7秒ほどで考え、直後に9組のクラス前にたどり着いた。
いつだったかみたいに、教室が丸ごと消失していたりは…しないぜ。

誰かに言伝を頼んだりなどという回りくどいことはぜずに、あいているドアから中をのぞく。
まだほとんどの生徒が残っている…帰ってしまった可能性はあるだろうか…。
俺は見落とさないようにつぶさに生徒を観察する。かつ早く。

…俺はにやっと笑ってしまう。
すごく面白い間違い探しをしている気分だ。

灯台下暗し。
かつてのハルヒいわく謎の転校生、古泉一樹は俺のすぐそばの席でこちらに微笑んでいた。
普段なら気色悪いことこの上ないが、こいつは明らかに事情を把握している表情だ。

ふう。

さーて、外に出ようか。
と、俺はアイコンタクトを送り、古泉は小さくうなずいて席を立つ。
場所はもちろんあの時のトンデモ発言第3弾が行われた場所だ、決まってる。

俺はかつてないくらいに脳内アドレナリンが分泌している感覚を覚えた。
誰の挑戦か知らないが、はたまたハルヒのわがままかも分からんが、受けて立つぜ。

「どこまで、ご存知ですか?」

古泉はわざとあの時のトレースを行った。俺は吹き出してしまうのを抑えきれない。
ついでに付き合ってやるか。

「この状況がただごとじゃない、ってことくらいか」
「それなら話は早いです。その通りなのでね」

二人して無駄に笑ってしまった。
おかしくてしょうがないし、俺は興奮に加え安心していた。大丈夫だ。

「さーて、これはどうしたことだろうな」
「えぇ、ひさびさに一大事ですが、あなたはちっとも慌てていませんね」
「お前も状況を分かってるんだからな、いつかに比べたら何十倍もましってものさ。
 それに他の設定は変わっていないらしいからな」
「これは涼宮さんの力によるものか、それとも他の何者かによる仕業なのか」
「推測はできるか?」
「その前に僕の状況をお話しておきましょう。
 転校生としてではなく僕がすでにここにいることに、疑問は持ちませんでしたか?」
そういえばそうだな。聞かせてもらうとしよう。

「機関の者も時間が再び逆戻りしたことを知っています」
「それは全員がか?」
「えぇ。僕の知る範囲の人員が、全員です。
 だから僕はすぐにここに送り込まれました。今朝目を覚ましてすぐのことでしたよ。
 状況認識も覚束ないままでしたからね、正直慌てました」

ちっとも慌てているようには見えない。こいつはいつもの微笑を保っている。

「その時に機関からひとつの仮説を聞かされました。
 『涼宮ハルヒに関わりのあるものの記憶は維持されたまま、時間だけが元に戻された可能性がある』とね」

俺は数秒ほどシリアスに表情を固めた。なるほどな。

「だから僕もあなたもこうしているわけです。
 すぐに導かれることとして、朝比奈さんや長門さんも、状況を知っているはずです」
「長門は部室だな。朝比奈さんは授業中か」
「えぇ、まずは長門さんに会いに行きましょうか」

俺と古泉は席を立った。この春の日差しのように、不安要素などまったくない。

さて、掃除やら何やらで昨日も来たはずなのに、この文芸部室は妙に新鮮に感じられるね。
かちゃり。

長門は平然と読書していた。もちろん眼鏡はない。
俺と古泉はつい目配せしてしまう。普段なら喜び勇んでこいつとアイコンタクトするなんかありえないけどな。

「よう、長門」

待ちきれなかった、と言わんばかりにというのは俺の言いすぎか?
いや、でもあながち間違ってないはずだぜ。長門の目には光が宿っている。

「涼宮ハルヒの力を知るすべての人間が記憶を持ったまま1年前に引き戻されている。
 涼宮ハルヒ本人はこのことを知らない、記憶抹消を受けている」
「あぁ、ありがとな」

俺は言いつつパイプ椅子に座る。お前も座れよ、古泉。

「えぇ、そうさせてもらいます」
「さて、どうしたものかね」

俺はゆったりと構えて、この複雑な状況を楽しんでいた。
こんな状況を楽しまないで、いつ笑えって言うんだ?

「朝比奈さんは放課になったら迎えに行けばいいな」
「えぇ。そうですね。僕もご一緒しましょうか?」
「好きにすればいいさ、俺はどっちだって構わないぜ」

ものすごく楽しいクラスの同窓会を、当時の年齢で行ったらこんな感じだろうか?

長門は読書を止めていて、静かな波がたゆたう瞳をこちらに向けていた。
こいつがこの一年で一番変わったんじゃないかね。もはや最初からは別人だぜ。

「話の続きだがな古泉」
「えぇ」
「これは誰の手によるものだと思う?」
「そうですね…涼宮さんは1年生であったことに未練を残していたかどうか。
 というのがまず最初の論点ですが、これは話し合うまでもないですよね?」

にこり、と笑って俺と長門に視線を向ける。
その通りだ。SOS団の中にあの最高の1年間に未練があるものがいるなんてのは、
いますぐ地球が爆発するより何倍もない可能性だ。

となると、宇宙的な何者かの仕業か?

俺はふたたび長門の方を見た。
長門も俺を見る。2秒ほど間があって、

「情報統合思念体とは違う一派がこの状況を仕掛けたというのはあり得る。
 思念体は現在その存在がいるのかどうかを探している」

長門の親玉が宇宙を捜索する様をイメージしようとしてみた。
が、即座に放棄。実体のない存在が動いてる姿なんぞを、だれが想像できるかい?

「なるほど。これが仮に広域宇宙体によるものなら、かなり奇抜なコミュニケーションですね」

全面的に同意だ。あの雪山より切迫してはいないものの、
挨拶の仕方ってものをまるっきり分かってないぜ。
統合思念体のようにインターフェースを作るとかしないのかね。

「他の意識体は言語による意思疎通を我々以上に軽視している。
 ゆえにヒューマノイドインターフェースを作らないのかもしれない」

かもしれない、とは長門にしては曖昧な表現だったが、
つまりそれは長門でも理解不能な連中が交流を図ってきてるってことか。

「まぁ時間はあるでしょうから、あまり焦っていてもしょうがないですね」
古泉は笑みを崩さずに言った。まったくだな。
こいつとこんなに意見が合ったのは初めてじゃないかね。

「お茶」

長門が出し抜けに言った。

「のむ?」

一瞬空気が固体化したように思えたが、すぐに元に戻る。
長門のお茶か、しばらくご無沙汰だったな。

「あぁ、とびっきりのを頼むぜ」
「わかった」

長門はとてとてと歩いて、いつもの朝比奈さんブースに立った。

「さて。また疑問なんだが」
「何でしょうか?」

古泉が楽しそうに言った。いや、実際俺達3人とも楽しんでいるな。

長門かいそいそとお湯を沸かしている間に俺は話す。

「どの程度の関わりを持った人が記憶維持をしてるんだ?
 例えば…そうだな、コンピ研の部長とか、あの辺の人たちはどうなんだ?」
「その答えは簡単です。涼宮さんの能力に気付いているかどうか、が分かれ道ですから」
古泉は解説を始める。
「彼女の能力を知っていれば、今この場に1年間の記憶を持って帰ってきているはずです。
 逆に知らない場合、完全に記憶は消されて元通りです。
 もちろん、ここで言う『能力』とは、彼女が世界を変えてしまうほどの力を持っている、という事ですよ。
 万能選手である、とか、そういう意味ではありません。
 なので、コンピュータ研の部長氏はもちろん、ENOZのメンバーや、あなたのクラスの阪中さんも
 記憶は元に戻っているはずです」

若干サービス過剰な古泉の説明を聞いて、俺は納得がいった。なるほどな。
同時に次の疑問が浮上する。

「あの人はどうなんだ?」
「と、言いますと?」

古泉はさらに微笑んだ。今日に限っては俺とこいつはテレパシーを使えている気がする。

言うまでもなかった気がするが、まぁ通過儀礼として発言しておこうか。

「鶴屋さんだ。あの人は漠然とハルヒの能力に気付いているし、
 お前や長門、朝比奈さんがただ者じゃないってことも知ってるだろ」

古泉は答えずに笑っていた。俺はこいつの考えをまたもや察知した気がした。

「ちょうどお茶が入ったようです、少し休憩しましょうか」

長門が急須と湯飲みを盆に載せて持ってきて、ことりと長テーブルに置く。
しずしずとお茶を注ぎ始め、俺はおよそ一年前のこいつのマンションを思い出した。
あの時はちっとも落ち着いていられなかったが、いまはお茶を入れるこいつの
姿から、立ち昇る湯気、薫る茶葉の香りまですべてを楽しむ余裕があるぜ。

「どうぞ」

と言って長門は俺と古泉の前に湯飲みを差し出した。いただきます。
春の空気が部室内にも充満していて、それは世界中のお茶会を束にしてかかっても
敵わないくらいじゃないかと思うほどだった。
長門のお茶も朝比奈さんのものとは違う味わい深さがあるな。
俺は黙って湯飲みを長門の前に置いた。こいつにもテレパシーは通じるか?

黙って長門はお代わりを注いだ。
何だろう、これまでもSOS団の変わらぬ日常は俺の安心材料だったが、
超常的状況に身を置いている今が、どの瞬間より安心できている気がした。

そしてすぐさま俺はその答えに思い当たる。にやけてしまいそうになるな。

SOS団の全員がここにいるからだ。
いやハルヒと朝比奈さんは部室にはいないけどな。そういうことじゃなくて。
あのハルヒ消失事件と決定的に違うのは、長門も古泉も朝比奈さんも、
ちゃんと記憶を持ってこの奇怪すぎる状況に立ち会ってるってことだ。
だから絶対に大丈夫なんだ。何が起ころうとな。
俺たちはかならずこの状況を打破してみせるし、ハルヒを元に戻してみせる。この世界もな。
朝比奈さんはしばらく当惑しっぱなしかもしれないけどな。

「何か楽しそうですね」

古泉が言った。やはり表情に出てしまっていたらしい。

「いや、何でもないさ」
「そうですか?ならばそういうことにしておきましょう」

この超能力者め。

しばらくまったりとした時間が過ぎた。
今日は普通に弁当を持ってきていて、はてさて家族の記憶はどうなっているんだろう?と思った。
お茶会がそのままランチタイムに移行して、俺と古泉はゲームをしたりした。
と言っても、部室には何にもないし、古泉が持ってきたオセロなんだけども。

「急いでいたもので、これくらいしか持ってこれませんでしたよ」

などと苦笑しているが、お前わざとだろ。今日は俺も超能力者だからな。
まぁ原点回帰…ひと月前も同じことを言った気がするがいいのさ、ここから始まったんだからな。
長門は読書していたが、30分ほど経過するとぱたぱたとこちらに歩いてきて、
俺や古泉と代わる代わるオセロに興じた。
絶対に覆せない司法決定のごとく、勝敗は長門>俺>古泉の順だったのは言うまでもないな。

かくして上級生の放課の時間になるが…昼休みを普通に遊んで過ごしてしまった。
それはこの部室でのひと時が生まれ変ったかのように新鮮で、楽しかったからなのだが。
朝比奈さんを早く招くべきだったな。

「さぁ、先ほどの疑問に答えを出す時がやってきましたよ」
古泉が言った事の意味を一瞬分かりかね、つと思案してすぐに思い出す。
鶴屋さんは記憶を残しているのかどうか。
俺としては五分五分で予想が出来ない。
「長門も行くか?」
「いく」
数ヶ月前なら頷きで返すような質問にも、今ではちゃんと言葉で返答する。
もうお前はアンドロイドでもなんでもないぜ。ちゃんと1人の女の子だ。

「よし、それじゃ朝比奈さんをお迎えにあがるとするか」

校内を、まるで昼下がりの散歩を楽しむように、俺達3人はゆっくりと歩いた、
今日は一日快晴のようで、桜が陽光に応えるように満開である。

思いのほか早く到着したが、それは誰かと話して歩いていると目的地にすぐ着いてしまう、とか
そんなのと同じ理屈だと思うね。

ここに来るのは何度目なんだろう。もう数え切れないな。
同じように、休日のSOS団待ち合わせや、長門のマンションに行った回数なんかももう数えられない。

がらっとドアを開けて、俺は教室を見渡した。

灯台元暗し―、本日二回目である。
今度はさっきの何倍も嬉しいね。

「キョンく~ん」

気がつけば俺は甘くやわらかな天使に心地よい体当たりをかまされていた。
朝比奈さんは予想通りと言うか、いや実感はそれ以上なアクションをしてくれて、
涙声になってぐしゅぐしゅしていた。クラスメートが見てますよ。視線が痛いですよ。

「キョンくん、わたし、わた、わたし…あの、その、時間があの…禁則が禁則で…」
相変わらず何を言っているのか分からなかったが、俺は大いに安心する。
「大丈夫です、俺も古泉も長門も事情を分かってますから」

朝比奈さんは、一瞬きょとんとして、クラスの時間も止まって、
それからさっきより大きく泣きじゃくった。視線がもはや貫通するレベルである。
直後に俺はまた当惑させられた、いや一瞬だけども。

「いやっほー!キョンくん、元気かい??」

鶴屋さんである。
この瞬間に俺は先ほどの疑問の回答を得る。
彼女はこの時まだ俺と出会っていないはずで、しかるに彼女には前1年間の記憶もちゃんとあることになる。
しかし鶴屋さんは朝比奈さんと違いまったく心配せずにはつらつとしている。

「鶴屋さん…お元気ですか?」

何か見当外れなことを言ってしまったが、それも分かってほしいね。
何せまだ朝比奈さんにしがみつかれているわけで、
そんな状況で俺がまともな試行形態を保っていられたことなどあったかどうか…定かでない。

さて、俺たちは鶴屋さんも伴って部室に引き返すことになった。
この2人にも説明しなくてはな。鶴屋さんがほとんど当事者になってしまっているが、
その点に不安はあまりない。一番万能なのは彼女ではないかと思い始めているくらいだしな。

「キョンくん、これはどういうことなんですか?
 私が登校したらクラス替えがなくって…また2年生だって…それで、それで…
 てっきり留年しちゃったのかなぁって…せっかく頑張ったのに…うぅっ…」

それからまた小一時間…数分ほど朝比奈さんは泣いてしまって、
ある意味留年と言うのは正しい気もするが、俺は一切を話すことにする。

今日はほとんどそのまま1年前に戻った時間であり、一部の人は記憶を保っている。

鶴屋さんがいる手前ハルヒの力とか古泉や長門の勢力に関しては話せないが…
というか、本当はそんな心配も杞憂である気がしたが、一応ね。

「というわけで、ここにいる人は全員ちゃんと記憶があるんですよ」

俺は全員を見渡した。鶴屋さんはさっきまでの俺達の何乗も楽しそうにしていた。
それでいて余計な口を挟むような気配はまったくなく、もう拝み倒したいくらいである。

朝比奈さんが落ち着くまでの間、俺は鶴屋さんに質問をした。

「鶴屋さんはこの状況に驚かなかったんですか?」
「いやー、そりゃ最初はびっくりしたけどねー、何だこりゃ!って。
 んでもすぐに元通りさっ。みくるも同じことになってるって分かったしねっ。
 キョンくんたちが何とかしてくれるのかいっ?よろしく頼むっさ。
 まー戻らなくなっちゃったって平気だけどねっ!」

何と頼もしいのだろう。なぜこの方でなく俺がこの立ち位置なのかさっぱりわからん。
SOS団に入る一般人として、この人以上に適性のある人物は宇宙規模で探したっていない気がする。

ようやく朝比奈さんは泣き止んで、その間古泉も長門も変わらぬ表情で大人しくしていたが、
やれやれ、これで最初にすべきことは一通り終わったのかな?

「とりあえず今日はこれで十分だと思いますよ。
 あとは涼宮さんですがね。慌てることはありません。
 彼女の能力がなくなっているようなこともないでしょうから」

なぜ分かる、とは言わないぜ。こいつはニキビ治療薬、だったっけ?
ふと思い出したがこの例えは今でもいただけないな古泉。

帰り道。女性陣はまとまって前を歩き、俺と古泉は少し離れて後ろ。
ハルヒのポジションに鶴屋さんがいるのは妙なショットである。
俺の脳内写真館に保存すべき一幕だな。

「先ほどの話の続きですがね」
古泉が話す、こういう時は空気を読んでくれないのかよ。
「すいません。ですが、どちらかといえば重要な話なので」

それで、何だっけ?
「涼宮さんの力に関してです。
 1年前の入学当時の状態とまったく一緒だと考えて間違いないでしょう。
 おそらく、あなたと話した瞬間にまた波を打つはずですよ。
 そうですね、またしばらく閉鎖空間へ行くことが多くなりそうです」
古泉は笑っていたが、この時だけはその笑顔も強張っているように感じた。
やっぱりあの空間へ行くのは気持ちのいいものではないんだな。それはそうか。

「でも俺がハルヒにコンタクトしないことには何も始まらないんだろ?」
「えぇ、時空を元に戻すためにも、涼宮さんとの接触は必要不可欠だと思われます」
「どうすればいいんだ?あの時みたいに何でもない話をすればいいのか」
「たぶんね。その辺りはあなたに委ねますが、よほど突飛なことを言わない限り大丈夫でしょう」

だがな…ここのあいつは髪をすでに切っているし、あの七変化をやらないんじゃないだろうか。
俺はどうやって話を切り出せばいいのかと思案していた。

あいつはこの時期に何をしていったか順に考える。
休み時間に校内を隅々まで回っていたはずで、それからは全同好会及び部活仮入部ツアーを敢行する。
そして俺がツッコミを入れて朝のHR前に会話か…。
約1ヶ月あるが、それまでに無理に話しかけてはまずいのだろうか?

「要は涼宮さんがSOS団を結成すればいいわけですから。
 そこへ至るまでのやり取りはあなたに懸かっています」

さらっと難しいことを言うなよ。それにお前は何も手伝ってくれないのか。

「僕は涼宮さんに連れてこられた転入生ですからね。
 そのあたりは抜かりなく手を回しますが、涼宮さんを焚きつけるには僕では役者が不足しています」

相変わらず軽やかに言い逃れやがる。
こいつなら多少悪い事をしても話術だけで無罪放免かもな。
…と、俺がハルヒをどうにかしなきゃならんのか。
まったく、どうすりゃいいのかね。

話もほどほどに俺たちは解散し、俺は妙に長かった気のする一日を終える。
いや、まだだな。家についてからも一幕ある。

俺は帰って部屋に直行し、ベッドに身を投げ出す。
楽しかったが疲れたな。無駄に頭を使いすぎた。慣れないことはするもんじゃないか。

にゃぁ。

おおそうかシャミセン、同意してくれるか。うんうん。


シャミセン?

俺は即座に身を起こし、声のした方を見る。
ベッドの下から三毛猫がぴょこっと顔を出し、まぶしいものを見たように目を細めている。
なぜこいつがもうここにいるんだ?プログラムではこいつの登場は7ヶ月も先のはずだが…。

俺は階下に降りて家族の一人を引っ張ってくる。
「ちょっとーキョンくーん、どうしたのー?」
妹だ。シャミセンと言えば妹。というくらいにここ最近は切っても切れない関係になっており、
ヒントを聞けるとして真っ先に思い当たるのはこいつだ。

「この猫はいつからここにいるんだ?」
俺は前置きもなしに妹に訊いた。妹はきょとんとして、
「なぁにー?シャミなら昔からこの家にいるもん、ねぇシャミー」
と言ってシャミセンを抱き上げる。

これはあの年末の事件とは微妙に違う展開だな。
あの時は海外に行った友達から譲り受けた、とかそんな設定だったか?

「この猫がしゃべった事なんかないよな?」
「キョンくん風邪でも引いたの?猫がしゃべるわけないじゃない、ねー?」

と言ってシャミセンと一緒に部屋を出て行った。
いくつめの間違いだろうか。大きく数えて3つ目か?

こういう異常事態においてそれまでと違うところを探すのは重要なことを俺は
数々の実体験から学んでいた。きっとシャミセンにも何か鍵がある。

すぐに古泉か長門に電話しようと思ったが…まぁあまり焦るのもな。
今回はあの時と違って明確な時間制限があるわけではないように思う。
一体誰の仕業かはまだ分からんけどもだ。

目覚める。ぼーっとする。
次に昨日起きたことをゆっくり脳内で映写して、即座に洗面所に向かって顔を洗う。

登校中に俺なりに考えを整理してみる。

―涼宮ハルヒに関心を持つ勢力の関係者が記憶を維持したまま1年前に戻ってしまった。
この現状を元に戻す鍵は俺が以後どうするかに懸かっている。

もし、戻らなかったらどうなるか?
そんな事は今は考えないぜ、とりあえず年末くらいまではな。

普通の日の記憶はそこまで確かなものではない。
事実この日の午前中の出来事が記憶にあったかというと、分からない。

俺は授業中にも考え続ける。
最初の授業でノートをとらない生徒というのもどうかと思うが、一度受けた授業だしな。

今日からハルヒを除くSOS団の4人は文芸部室に集まることになっていた。
それは昨日の話し合いの最中に決まったことであり、
長門の話ではハルヒが初めに部室に来るのは2週間後であるとのことなので、
それまでは集まっても別段問題はないとのことだった。

ハルヒが無事にSOS団を結成すれば、ビラ配り、PC強奪、古泉加入の後に市内探索が行われるはずだ。
そこまでを再現して、俺は朝倉に襲われ…朝倉。

俺は顔を上げた。朝倉涼子。俺を2度も殺そうとしたクラス委員。
しかしあいつはここにはいない。長門はこうも言っていた。

「思念体主流派は自体を察知した直後に急進派に指令を出して朝倉涼子の情報結合を解除させた」

なるほどな。あの一件自体はハルヒに直接的関わりはないが…。
それだと長門のマンションに行くイベントが発生しなくなるんじゃないのか?
俺はつい先のことを考えすぎてしまう。

その後は大人版朝比奈さんが現れる。
…だがこれも妙だな。朝比奈さん(小)は何も未来から指示を受けていないのだろうか。
昨日の様子を見るとそんな感じだった。
ひょっとしたらこのまま助けないつもりか?
誘拐事件からこっち、どうも朝比奈さん(大)に対しては懐疑的になっている俺だ。

そして古泉が俺を閉鎖空間にいざなうわけだが…断るか。
古泉にはすまないが、あそこに進んで行く気にはなれない。
ただでさえもう一度行く事が既定事項かもしれないしな。

時間はある、とは古泉の言葉。
どうなんだろうな。俺はちらとハルヒの様子をうかがう。
それじゃ首の筋をつるんじゃないかってほどにずっと窓の方を見ている。
もう何かしらの不満を抱いているのだろうか。
古泉は俺と話してから波が立つと言っていたが、すでにハルヒは仏頂面だ。
一瞬話しかけたくなったが、2日目でそうしてしまうのは危険であろう。
移行の予定が前倒しになってしまっては、土台が早々に崩れてしまうかもしれない。

昼休み―。
俺は国木田と昼食を共にする。
流れで谷口もこっちへやって来て、俺は懐かしいような会話をしばし楽しんだ。
まだハルヒについて話したりはしていないが、いずれ話題に上るだろう。

放課後になって、俺は部室に向かう。
すでに3人とも集合していて、特に朝比奈さんなんかは精神を安定させるがごとくお茶を淹れている。
そういえばお茶汲みセットだけ部室にあったことに気がつかなかったが、どうやら長門が持ち込んだらしい。
ハルヒが来る前に一度撤去すればいい、とかなんとか言っていたが。
ひょっとして長門、お前もお茶汲み係志願の気があったのか?
一瞬だけメイド服の長門をイメージしようとして、どうにもいびつになり頭を振った。
もちろん朝比奈さんも制服であり、ここで制服姿の彼女がお茶を淹れているのは
なかなかに新鮮な心地であったことを申し添えておく。

「古泉」
「何でしょう」
「あの生徒会長なんかも事情を知ってるのか?」
「いいえ、彼は厳密には我々の外の人物ですから」
そうか。機関の人間というわけではなかったんだったな。
思いつきで訊いただけだったが、ひとつひとつパズルのピースをはめるような楽しさがあった。

しばらくはこうして日常を過ごしていればいいということだろうか。
俺はそう考えて少しだけざわざわとした。
今まで異常事態には即対処が常識だっただけに、待機しろというのには若干の違和感がある。
俺と古泉は昨日に引き続きオセロをしていたが、
「数日ごとに新しいもの、いえ、すでにやったものですけどね。別のゲームを持ってきますよ」
そんなどうでもいいようなことに気を配らんでもな。

「お茶ですよ、どうぞ」
ありがとうございます。1年経とうとあなたのお茶のありがたみは変わりません。
それどころか強まるばかりですよ。と心でお礼をする。
「ふふっ」

朝比奈さんも落ち着いたらしく、嬉しそうに湯飲みを置いて回って、自分の定位置に座る。
メイド衣装が一瞬幻視できてしまった俺はもう依存症のようなものかもしれんね。

アニメーションの中に飛び込んだような、とは朝比奈さんの言葉。
あの市内探索ももうずっと昔のことに思える。1年経ってないなんてな。
お茶を爺さんよろしくすすりながら、俺はほっと息をついた。
まさにそんな感じだろうな、昔撮った映画のフィルムにもう一度出演しているような感覚だ。
そう言われてイメージできる人がどれだけいるのかは分からんけれども。

「何だか落ち着きがないようですが、大丈夫ですか?」
確かに落ち着かないさ。昨日はあんなに穏やかな気持ちだったのにな。
「あなたが焦るのも分かりますが、1年前のあなたはまだ何も知らなかったんですから。
 しばらくは休息だと思って羽を伸ばすのもいいのではないですか」
それが出来たら苦労しないし、今までももうちょっと余裕を持っていられただろうさ。

長門は淡々とページをめくっていた。今日は参加しないのだろうか?
そういえばこの長門はもうバグを解放したり世界を改竄したりしないのか…?
確信は持てないし、何となく質問をするのははばかられた。
まぁそうなる前に世界を戻せばいい話だ。

―日常と言えばその通りなのだが、肝心の団長机がなかったし、
パソコン群もコスチューム集も野球道具もその他雑多なハルヒ用品もない。
それらと共に団長の横柄な態度が戻る日が待ち遠しいね。

さて、翌日より俺のささやかな思い出トレースが始まるのだった。
俺は登校後にハルヒに自己紹介について尋ねる。
懐かしい会話だ。ハルヒの声も何となく久しぶりだな。
この仏頂面も登場頻度がだいぶ減っていたもんな。
だがまだ短い会話しかできないわけで、つかの間のやり取りは終了を迎える。

体育の時間には人目を気にせず着替えるあれをやりだしたし、
谷口は徐々にハルヒについてその奇行群を語りだした。

一週間も経つ頃には部活仮入部ツアーも始まったらしい。
文芸部はその後半らしかったが、俺はどうにも退屈だった。
部室ではがなり立てる奴もいないし、異能者集団ではあっても、空気は普通そのものだった。
古泉は一度閉鎖空間へ行ったらしく「これでまた仕事が増えてしまいますね」などと笑っていた。
朝比奈さんはやはり未来から連絡が途絶えているようで、そのことに触れると不安そうな顔になった。
なので一度言って以来もうこの話はしていない。
長門は読書が主であったとはいえ、こいつなりに退屈しているように思えたのは俺だけかね?

さて、ハルヒについて気付いたことがひとつある。
こいつは髪型七変化こそしなかったものの、あのヘアバンドのようなリボンの色を曜日によって変えていた。
すなわち月曜が黄色、火曜が赤、水曜が青で木曜が緑、金曜は金…と続く例のアレだ。
これでどうやらGW明けのとっかかりは大丈夫そうだと俺は胸をなでおろした。

家に帰っていつも思うのはシャミセンがどうしてすでにいるのかということだが、これはとっかかりがつかめない。
長門に話せば解決するように思わないでもないが、さて、そうするのはまだ早いような気がなぜかしていた。

長門が言っていたハルヒ仮入部の日、部室は完全に元の殺風景な部屋に戻されて、
俺と古泉と朝比奈さんはこの日だけ事実上の部活禁止令発布を受けるのだった。

このまま帰るのもどうかと思い、俺たちは3人で麓の喫茶店に入った。
年末には改変世界で朝比奈さんじゃなくハルヒと行ったあそこである。
折角だから古泉に奢ってもらいたいところだがそう言ったところで軽くあしらわれるだろうな。

「退屈でしょうがない、とでも言いたげですね」
そんなことはないぜ。と言ったが、自分でも分かるくらい空虚な響き方をした。
「涼宮さんがいないとこうも部室が穏やかになってしまうというのは、やはり寂しいものですね」
こんな時まで冷静に語らなくてもいいんじゃないか。
「私もちょっと…何ていうか、平和?」
朝比奈さんは朝比奈さんで物足りないらしかった。
やっぱりハルヒに無理矢理着せ替えされたり、バニー姿で商店街を走らされるほうがいいのだろうか。
「え…?それは…あの、あんまり恥ずかしいのは…その」
いえいえ、あなたを困らせるつもりで言ったのではありませんよ。
「何にしろあいつは団長なんだよな、やっぱりさ」
ふっと漏らすようにそんなことを言っている俺だった。
ちょっと早く5月病になってしまった。わけではないけどな。

「ですが、手がかりがありませんからね。現状をどうにかするための。
 僕に出来ることは、できるだけかつてのこの季節を再現する、それだけです」
そんな役者みたいな生活をずっとやっていて疲れないのか。
「今さらですね。あまり深くは言いませんが、誰でもどこかしらで仮面をかぶっているものではないですか?」
こんな時まで笑顔を向けんでいい。ヘタをすると葬式でも笑っていそうだなお前は。
「そんなことはありませんよ。ただ1年もSOS団にいるもので、すっかり慣れてしまったと言いますか」

朝比奈さんは窓の外を見てどこかぽ~っとしていた。
未来と連絡を取らない日々は、やはり彼女を不安にさせるのだろうか。
いつかの終わらない夏休みに枯れるまで泣いた後の朝比奈さんを思い出した。
いつか。それがいつなのか分からないが、この人は未来に帰ってしまう。
かぐや姫が育った家の夫婦は直前までそれを知らなかったんだっけ。
帰ってしまうことを知っているのと知らないのとでは、どっちが幸せなんだろうね。
「あ、雨…」
朝比奈さんがぽつりとつぶやいた。
そとは明るいのに雨が降っていた、静かに。
天気雨か。傘を持ってきてないな。
「さすがに1年前の天気まで覚えているのは無理というものですね」
古泉も窓の外を見ていた。3人して何をやってるんだろうな。

たぶん俺たちはハルヒの事を考えていた。
ハルヒが好き放題暴れだして、それで振り回される俺たちのことを考えていた。
天気雨は、しばらく降り続いて、夕方に上がった。

ハルヒは今日長門とどんな会話をしたのだろう、と自転車を家に留めながら考えた。
雨上がりの空気はむわっとして、少し先の夏を思わせた。

長門は間違いなく、まったく正確に再現をするのだろう。
だが考えている事はあの時とまったく違うはずだ。
俺には想像もつかないけどな。何かもっと特別な思いを抱いているかもしれない。
長門がハルヒと初めて話したのは、たぶんこの日だっただろうから。

3年の観測、止められなかった世界改変。
発端となった人物に対面して、あの時の長門と今の長門は何を思ったろう。

俺はシャミセンを抱き上げた。これまでに相違なく、こいつもオスだ。
長門はそういえばこいつに情報生命素子とやらを圧縮して移したんだったか。
それすらずっと前のことに思えてしまうな。元に戻されたからだろうか。


GWまでの長い日常。SOS団の休暇。
ハルヒがふたたび動き出すのを、俺はきっと待っていた。
長門も、古泉も、朝比奈さんも。きっと、待っていた。

谷口のハルヒについての話はすでに終わっていて、
朝倉はいなかったから生徒のランク付けで1位に浮上したのは他のクラスの生徒だったが、
俺と谷口と国木田もまたいつもの関係に戻っていった。

俺の中から最初の日のような楽しさはどこかに行ってしまい、
時折仏頂面のハルヒを眺めながら、目下の予定である親戚宅の訪問を考えた。
同じことをトレースするのは、あまり楽しいものじゃないかもな。

例えば、すごく楽しい期間があったとして、後につらい時期があったとする。
その時には楽しい時期に気持ちを馳せて、戻れればいいと思うかもしれない。
だが、そんなものに大した意味はないんだ。
記憶は記憶だから大切なのであって、そこにふたたび自分が立ったところで
見えてくるのはどこか色あせた風景、なのかもしれない。

俺が一番アンニュイになっていたとしたらここまでであって、
つと思ったこんな事柄すべてをすっ飛ばすのが涼宮ハルヒなのであった。

5月は始まったばかりだが、俺のえせ5月病は早々に終わった。と言っておこう。

「曜日でリボンを変えるのは、宇宙人対策か?」
―いっそ言わなければどうなっていたんだろうと考えもするが手遅れである。

そこから数日、俺は引っ張られていたとしか思えない慌ただしさで、
あっという間にハルヒ付きのSOS団部室に呼び込まれていた。

「これからここが、あたしたちの部室よ!」

1ヶ月以上のご無沙汰か。こいつの笑顔も。
やっぱりこの時が歴代でも上位の笑みである。

以降の展開はまったく賑やかで、モノクロ映画がカラーになったどころの騒ぎではない、
記憶にあれど生でハルヒパワーに直面するとやはり圧倒というか驚きと言うか呆れというか、
まぁ久々に巻き込まれて正直俺は喜んでいた…のだと思う。あぁ、嘘はつかないぜ。

朝比奈さんはハルヒに巻き込まれるたびにまったく同じリアクションをした。
これには申し訳ないが笑ってしまう。
絶対に思い出して演技しているとかのレベルではない、素のリアクションだ。

長門は眼鏡をひさびさに着用し、よく考えればそんな必要もないのだが、
これはこれで懐かしくかつ新鮮だったのでよしとしよう。

古泉は何食わぬ顔で転入してきた。
どうやらハルヒにだけ転入生と分かるようにそそのかしたらしいが、
よく今まで休み時間の校内探索で見つからなかったな。閉口するぜ。

そんなわけで第一回SOS団市内探索ツアーを敢行する。もちろん来なきゃ死刑。
死刑て。
俺はわざわざ遅刻してみた。その方がハルヒも奢りを言い渡しやすいだろ?

…そんな心配はまったくの無用だったけどな。
大いにつけ上がったハルヒは、なんの躊躇もなく俺に全額を払わせたし、
あの時に加えて自販機のジュースまで買わせやがった。

くじ引きの結果を訊きたいかい?
先に行っておくが長門に操作を頼んだりしなかったぜ、無意味だからな。
それでも結果はあの時と同じだった。古泉にでも解説を聞いてくれ。俺は無視するがな。

俺と朝比奈さんはなつかしのベンチでしばしゆるりとくつろぎ、
あの時のトンデモ告白のまねごとまでして笑いあった。もう帰ってもいいですよ俺は。

長門とは図書館に言ったが、ここで俺は思い出した話をすることにした。
「長門、ちょっといいか」
「なに」
「訊きたいことがあってだな」

俺はシャミセンが家にいたことをようやくもって話した。
とっとと話せばよかったのだが…まぁ許してくれ。

長門はこの話にかなり関心を示したようだった。
表情こそないように見えるが、その目には光が揺れている。

「どう思う?」
長門はしばらく何も言わなかったが、やがて口を開き、
「この状況を作り出した存在が凍結していた情報生命素子のデータを利用した可能性がある」
シャミセンの中のデータをか?
「そう。情報生命素子は、意識体によってデータの重要度が異なる」
何てことだ。つまりシャミセンが鍵だったってことか。もっと早く言うべきだった。
「どうすれば元に戻れるんだ?」
「その意識体と同じフォーマットで情報生命素子を利用する。
 意識体は都合のいい時に元に戻せるように素子を残しておいたと推測される」
「それで、お前の親玉にはこの状況を元に戻す力があるのか?」
「ない。起源が別である以上、彼らの情報系は思念体には理解できない」
それじゃずっとこのままなのか?
「方法はある」
「方法?」
「涼宮ハルヒの力を引き出す」

ハルヒの力を使うだって?あの時と同じようにか?
「思念体にはできない。わたしにもできない」
じゃあ誰がそれをするんだ?
「あなた」

…俺はあっけに取られていた。
ちょっと待て。俺は一般人だぞ。
変な組織もタイムトラベルも宇宙的仕様も何もない、純正の人間だ。
そんな俺にこの世界をまるごと元に戻せっていうのか?

「そう」
「…」
「今月の終わり」
「…何だ?」
「このままいけば今月の終わりに再び異時空が発生する」
あの時の特別製閉鎖空間か。
「その時にこちらの世界を構築しなおす」
…シャミセンはどうなる?
「あなたに連れて行く意思があれば、異時空にも転移は可能」
ハルヒが俺を連れてきたみたいにか。
「そこであなたが涼宮ハルヒが世界を再構築できるようにする」
…。
…指示が漠然としすぎてるぜ。つまりこういうことか。
俺はシャミセンと一緒にあの閉鎖空間に行くことを願い、
その後でハルヒに三毛猫の中の情報体を使って未来を戻してくれ、と言う。と?

「そう」
そう、ったって。んなこと出来るとは思えないんだが…。
「あなたは鍵。それは涼宮ハルヒが異常な情報フレアを発生させてからずっと」

長門は俺にあの宇宙人告白をしなかったことを補って余りあるほどに饒舌だった。
そのシャミセンの件で長話は聞いたから、目新しさはない…とはいえ。

「がんばって」

俺は一瞬心臓が凍りついた。もちろん恐怖じゃないぜ。
長門がそんなことを言うのを初めて聞いたからだ。
この1ヶ月においてすら長門は人間味を増しているのだ。
未来の自分と同期することをやめてからこっち、こいつは今の言葉どおり頑張っている…。

「わかったよ」

俺は短く返事した。怯えてたってしょうがないさ。
あの閉鎖空間が既定事項なら、行ってやろうじゃねぇか。
そこでハルヒに具体的になんと言えばいいのかは分からないけどな…。
俺は未来の自分に長門と同じエールを送る。頑張れ俺。

長々と話したせいであの時と同じように俺達は集合時間に遅刻した。
今度は居眠りしなかったのにハルヒに無闇にどなられるのはバツが悪いな。

「何か収穫はあったの?」
あったともさ。大アリだ。俺がアリクイだったら喜んで食べるだろうさ。
だがそんなことをハルヒに言えるわけもないので、俺はいつぞやのオートリピートを記憶に頼って行った。


―それからしばらく、ハルヒつきではあったものの平穏な日常が過ぎた。
去年の俺はここで古泉のエスパー発言を聞き、朝倉の襲撃を受け、大人朝比奈さんに会い、
その上でハルヒと長門の高級マンションに赴いたりしていたが、今回はどれもなしだ。
…まぁ、朝倉宅訪問イベントは代わりに別の行事に代わったりしたのだが…それはまた別の話だ。

ハルヒはやはりイライラを募らせ、俺はそれをあの時よりはっきりと感じる。
それはハルヒのイライラがあの時より強いのではなく、俺がハルヒをあの時より知っているからだと思う。

「一緒に行きませんか?」
…ある日の古泉。断るのは何度目だろうな。
「何度も言ってるだろ。どうせ冗談だろうがな、嫌でももう一回いかなきゃならんから、その誘いには乗らん」
1年前に行ったんだから、今さら誘う必要もないじゃないか。
「何だか同じことをしたくなるんですよ。なぜでしょうね。僕なりに当時を懐かしんでいるのかもしれません」
そうは言うが現在進行形だろこれも。さっさと行けよ、遅刻するぜ。

「いつでも招待しますよ。それでは失礼します」
古泉と入れ違いにブルー真っ盛りのハルヒが入ってくる。
お前の憂鬱が他の誰のものより俺を不安にするな。
いつか古泉が言っていたか。今なら少し分かる気がする。

「元気ないな」
こんなことしか言ってやれない。ごめんな。
「別に…そんなことないわ」
元気なフリすらしやがらねぇ。お前は笑ってればそれでいいのに。

一年前とは違う感情が俺を満たす。
あの時は何意味もなくイライラしてるんだ、とか思ったりしたな。

そう、今なら分かる。

こいつはもっともっと日常を楽しくしたかったんだ。
自分なりにもがき続けて、誰にも分かってもらえなかった。
裏目に出たわけじゃないが、ちょっと突飛すぎたんだ。

もうすこし分かってやれてたら、あの閉鎖空間は現れなかったのか?

でもな。今回もあれを作ってもらわないといけないんだ。
例え俺があの時よりこいつを分かってやれていたって、今のこいつにできることは…ほとんどない。
何か言ってやれたらいいのに…。

朝比奈さんや長門も何か思うところがあるだろうか。
未来を知っているってのは時に残酷だな。
長門。あの時のお前みたいに、俺はこのハルヒが世界をどうにかしちまうのを止められない。
涼宮ハルヒの憂鬱を、止められない。

恐らく例の閉鎖空間の発生は今夜だ。
俺は出来る範囲であの時の俺らしくふるまったはずだから。
一度やったことでも、お前がSOS団を作ってからの行為は、やっぱ楽しかったぜ。

俺にできることか。

あの改変世界でエンターキーを押した時や、長門を元に戻そうとした時もそうだった。
消えていく存在に、もう少し何かできなかったか、と考えていた。

あんまり時間はかからなかったかもしれないが、俺はひとつ決心をした。
今この場でハルヒに言ってやれることは、何もないけどもな…。
もっと未来の俺を見て、許してくれよな。

「キョン」
「起きてよ」
「起きろってんでしょうが!」

―あぁ。
そうか。そうだったな。
俺はあの時よりすぐに心構えを整える。
あの時何をしたか鮮明に思い出せたし、ちゃんとシャミセンも傍らにいる。

「その猫は…何?」
ハルヒが訊く。
「俺ん家の猫だ。名をシャミセンと言う。なかなか貫禄があるだろ?」
「あんた、何かのん気ね。大体、何であんたの飼い猫がここにいるの?」
「何でだろうな、俺にも分からない」
ここは堂々とすっとぼける。さて、ここからが正念場だな。

「とりあえず学校を出よう」
俺はあの時と同じ探索路をたどる。やはり校舎の敷地に沿ってあの透明な壁がある。
「…出られないか」
探索は続く。空は灰色、他に生き物のいる気配はない。
やがて校舎内に入り、ハルヒは記憶どおりに俺のブレザーの裾をつまむ。
「…」
俺は黙ってハルヒの手を握った。

「なっ」
ハルヒは一瞬何か言おうとしたが、やがていくつかの言葉を押し込めたように黙り込んだ。
俺は片手にシャミセンを抱きかかえ、もう片方でハルヒを引いて歩いていく。

「ハルヒ」
「何よ」

今と1年前が重なっている。
あの時とは違うことを俺はしている。

「…ごめんな」
「何がよ」

一瞬言葉に詰まる。
言いたいことがいくつかあって、それが同時に出てこようとしてつっかえるように。

「もう少し気付いてやれたらよかったかもしれない」
「だから何によ」

ハルヒは少しイライラしているようだったが、俺は気にしない。

「お前はもっともっと楽しく毎日を送りたかったんだろ」
「えっ…?」

ハルヒは不意を突かれたように立ち止まった。手が離れる。

「俺もいい加減鈍感だからな。今回ばかりは自分をちょっと恨めしく思うぜ」
「…」
「俺を今まで楽しませてくれて、ありがとう」
「…何を言ってるの?」
「お前が俺を引っ張りまわしてくれなかったら、俺はもっとつまらない毎日を過ごしてただろうな」
「だから何を…」
「聞いてくれ」

ハルヒは黙り込んだ。シャミセンも鳴かないで大人しくしている。

「お前が今までひとりで奮闘してきたことは、ちっとも無駄じゃない。
 これまでだってそうだし、これからもっと、ずっと楽しくなる」

ハルヒは何も言わない。半分疑い、半分戸惑っているような表情になる。

「気付けたことがいくつもあるんだよ。
 お前のいない日常はつまらないとか、SOS団の団長はおまえしかいないとか…」

ハルヒはぽかんとしてこちらを見ていた。伝わっているだろうか。

「あっちの世界に帰りたいと思わないか?」
「…」
「少なくともな、SOS団の連中はお前の帰りを待ってるんだ」
「…」
「もちろん俺もだ。
 俺はお前と一緒にあの世界に帰って、それでまた…
 …まだまだやりたいことがたくさんあるんだ」
「キョン…」
「いいか、ハルヒ」
俺はハルヒの肩をつかんだ。
「帰れたら俺はどんなことだって楽しんでお前に付き合うぜ。
 いくらでも面白いことを考えてやってくれていいし、俺はそれに加わりたい。
 だからな…この世界は必要ないんだ」

今までにしなかったことをする。
俺はハルヒを…そっと抱きしめた。

「一緒に帰ろう」

俺は元の世界に戻る事と、その未来を強く思った。
足元にシャミセンが寄り添ってくるのを感じる。

…目をつむっていたが、白い光があたりを塗り替えていくのが分かる。

大丈夫だ。


ハルヒ、ありがとうな。
これからも、よろしく頼むぜ。

 

―あの時と同じに、俺はベッドから落ちた。
違ったことと言えば、そのまま眠り込んでしまったことだ。

翌日がいつだったか、想像はつくだろうか?

「やはりあなたに一任して正解でしたね。あなたはSOS団の切り札と言ってもいいでしょう」
古泉が言った。桜をバックに無駄に絵になるのが腹立たしい。
「そんなもんはさっさとお前に譲る。俺はこの日常を守っているだけだからな」
古泉はなおも笑っていた。いっぺん頬をつねってやろうか。

朝比奈さんは珍しく静かに笑っていた。
彼女なりにこういう事態を乗り越える心構えをそろそろ体得したのかもしれない。

長門、今回も世話になったな。
1ヶ月前と変わらぬ風に読書をしているが、目の色は日に日に変わっていく。
もっと無駄な事もたくさん喋っていいんだぜ。…急にハルヒ並に喋っても困るけどな。

さて、団長はまもなくやってくるだろう。…約2ヶ月ぶりか?
俺は約束を果たすぜ。何だって言ってくれ。喜んで加担しようじゃないか。

外はまた快晴である。
新学年か。まだまだ日常とそれに付きまとう何やらかにやらは続くだろうが…。

俺は、そのすべてを楽しんでやるぜ。
ハルヒ、お前と一緒にな。


 おわり

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