あたしが彼の誘いに乗ったのは、面白そうだと思ったからさ。
恋人、か。
あたしには、あんまり縁の無い話題。
恋愛をしたことがないのは、縁が無かったからってのも勿論有るんだろうけど、あたし自身、避けてきたような所が無いとは言い切れない。
だって、どんなに好きになっても……、ね。
そりゃさ、別に決まった婚約者がいるとかじゃないよ?
でもなあ……、やっぱり、周りが五月蝿いんだよね。
両親はそうでも無いけど、親戚連中とかがね。
それ相応の相手、なんて言われも……。
正直に認めよう。
そのときのあたしは、恋愛に対してはかなり後ろ向きかつ投げやりな気持ちだった。
だってそうだろう?
あたしには、自由恋愛なんてものは最初からないに等しいんだから。
だから……、だからこそ、あたしはその誘いに乗った。
不謹慎だなんて思わなかった。
遊び……、じゃないけど、楽しい事だと思っていた。
そう、楽しいこと。
楽しくて面白くて、いい意味で思い出になってくれること。
最初は、そんな風に思っていたんだよね。
彼……、一樹くんの思惑は、最初に大体聞かされている。
あたしを選んだ理由はあんまり詳しく話してくれなかったけど、その辺りの事情はお互い言わなくても分かっていたから、あんまり問題なかった。
何だろうね、高校生同士のはずなのに、そういう事情が分かっちゃうって……。
……何か、こういうのってカッコよく思えるかもしれないけど、ちょっと寂しいものかもね。
それにしても、ハルにゃんへの話題提供かあ。
まあ、確かに引っかかってきそうだよね。
前に長門っちに告白してきた子がいたときの顛末は、みくるから聞かされているしね。
んじゃ、お姉さんも一肌脱いじゃいましょう!
そんな感じで、あたしと一樹くんの『恋人ごっこ』は始まった。
ごっこと言っても、すぐに見破られるようなものじゃ駄目。
だからあたし達は、何度か予行演習をすることにした。
何度かデートを繰り返して、それらしく振舞えてるなあと思ったら、そこでハルにゃんに気付かれるように仕向けるのだ。
うんうん、妥当な作戦だよね。
まあ、予行演習といっても何をするわけでもなく、一緒に楽しむわけだし。
ああしかし、同年代の男の子と二人っきりかあ。
それも恋人みたいに……、ううん、考えるとわくわくするなあ。
ん、それともここは緊張した方が良いのかな?
どっちかなあ……、ちょっとわかんないや。
ま、いっか。
当日それらしく振舞えれば良いんだもんねっ。
一樹くんから誘いを受けてあたしが頷いた、その週末。
その日があたし達の最初の予行演習、所謂デートの日だった。
ううん、わくわくと思っていたけど、さすがにちょっと緊張するね。
「おっはようー、一樹くんは今日も男前だねっ!」
あたしは手を振り上げ、待ち合わせ場所に既に待っていた一樹くんの所まで駆け寄った。
「おはようございます、鶴屋さん」
「今日は一日よろしく頼むねっ」
「ええ、こちらこそお願いします」
一樹くんが丁寧に頭を下げる。
いつも思うけど、一樹くんは礼儀正しいよね。
同じ敬語でもみくるやキョンくんとは違う(キョンくんは目上の人に対してのみ敬語ってことみたいだけど)、一本筋の通った物を感じさせる喋り方だ。
地であれ演技であれ、言葉遣いなんてのは日常的に使ってないと身につかない。
日常生活を敬語で過ごす高校生、か。
それはきっと、楽なものじゃないんだろうな、と思う。
一樹くんは、みくるとはタイプが違うだろうしね。
ただ、あたしが彼に同情する資格があるかどうかって言われると微妙な所だから、同情めいたことを言うようなつもりはないけどさ。
そうそう、あたしは今日はどこへ行くかを聞いていない。
こういうのは男が考えるもの、だそうだ。
一樹くんって、こういうところは結構結構古風?
それとも、本で読んだ知識そのままなのかな?
一応断っておくと、あたしは一樹くんが恋愛経験豊富だなんてちっとも思ってない。
あたしとはちょっと事情が違うけど、彼も色々事情が有っただろうからね。まともに恋愛をしている時間が有ったとは思えないさ。
そんなわけで、あたしは一樹くんとのデート自体は楽しみにしていたけれども、その段取りとか内容とかにはそんなに期待していなかった。
まあでも、内容なんて何でも良いんだと思うよ。こういうのは。
人生楽しんだもの勝ち、二人で楽しめればそれで良いと思わないかい?
まあ、それはあたしの方にもろくな経験がないからこそ言える言葉かも知れないけどね!
最初は、電車に乗って大きな町へ移動してから美術館へ行った。
渋いなあ……、美術部でもなんでも無い高校生の初デートで美術館か、いきなり外している気がしないでも無いよね。
でもま、そんな心配は杞憂だったんだけど。
一樹くんが、いろいろと解説をしてくれたからだ。
「……しかしこの画家は、生涯に渡って妻に頭が上がらず、財布の紐も何もかも握られっぱなしだったそうです。まあ、10年の間に5人以上の愛人を囲っていた過去が有ったそうですから、それも当然の報いなのでしょうが。しかしこの画家が最も評価を受けている作品がその愛人の一人の絵だというのは、まさに皮肉としか言いようが有りませんね」
なんていうマイナーな画家の豆知識に始まり、
「この彫刻家がこの作品を完成させたのは32歳の時ですが、その3年後、この彫刻には転機が訪れ、それ以降彫刻を一切残していません。それはですね……」
マイナーな彫刻家の面白エピソードを取り上げたかと思うと、
「この絵のタイトルですが、これと同様の韻を踏んだタイトルは彼方此方で使われていて、その代表とも言えるのは……」
という感じで、何故か完全に無関係と思われるSF作家の話を面白おかしく聞かせてくれたりもした。
いやいや、楽しかったね!
一樹くんの話が長いってことは知っていたけど、こんなに楽しく長く話せるんだったら大歓迎さっ。
ああしかし惜しむらくはここが美術館だったってことかね。
おかげで思いっきり笑えず苦しかったよーっ。
ま、半分くらい進んだ所で明らかに周囲から浮いていた上、館員にも厳しい目で見られていたみたいなんで、結局あたし達は自主的に退散することになったんだけど。
「あー、ごめんね、最後まで見られなくて……、け、けどおかしいよ。あはは、なにあの画家の話。ひっく、ふふ……。あの人画家よりノンフィクション作家の方が向いていたんじゃないの?」
作品の良さなんてちっとも分からなかったけど、一樹くんが教えてくれた人生顛末記みたいのは文句なく面白かった!
もちろん、一樹くんの語りが良かったってのもあるんだろうけどさ。
「僕もそう思いますよ。……楽しんでいただけたようで何よりです」
一樹くんが、控えめに笑う。
うん、めがっさ楽しかったよ!
美術館から出たあたし達は、ファーストフードで気軽に昼食を取った。
気合の入ったレストランとかは、高校生同士だとちょっと荷が重いからね。
ちなみにお代は一樹くん持ちだ。自分の分は自分で払うつもりだったんだけど、先に払ってもらっちゃったんだよね。
後から返すって言ったら良いって言われちゃったしなあ。
まあいっか、こういうのは別の機会に返せば良いよね?
そういうものだよね?
「ねえねえ、次はどこへ行くのさ?」
三つ目のチーズバーガーを食べながら、あたしは一樹くんに訊ねる。
もぐもぐ、美味いねえ!
ちなみにあたしは三つ目だけど、一樹くんは一つ目、というか一つしか食べる気が無いらしい。
うーん、男子高校生の平均からすると少なくないかい?
まあ、あたしの食べる量が多すぎるだけかもしれないけどさ。
「午後は映画館にでもと思っていますが、どうでしょう?」
と言って一樹くんは映画の宣伝用のチラシみたいなものを取り出した。
用意が良いなあ。
でもってそのチラシなんだけど、あたしには見たことが無いものだった。
「これってさ、もしかして単館上映とか?」
「ええ、そのようです。お気に召されませんか?」
「ううん、そんなことないって。ま、こういうのは見なくちゃ分からないだろうしね!」
あたしが5つ目のチーズバーガーを平らげてから、二人で映画館へ移動した。
駅前の繁華街からちょっと離れた、小さ目の映画館だ。
人が居ないってほどじゃないけど、ちょっと少ないかなー、くらいの人入りだったね。
館内が空いていたので、あたしたちは真ん中辺りの見易い席を確保する事が出来た。
「あははっ、何あれー!」
「うわ、マジでこの展開!」
「あー、ちょっと待って、お、おかしすぎる……。あははははっ」
「そ、そうくるの!? いやいや、びっくりだよ!」
……映画の上映中、あたしは殆ど笑いっぱなしだった。
所謂B級コメディ系映画っていうのかな? まあ分類的なことは置いておくとして、あたしの笑いのツボにばっちしはまっちゃったんだよね。
いやいや、お客さんがあんまり多くなくてよかった。幾らコメディ映画とはいえ、始終笑いっぱなしの客なんて、そうそう居ないだろうしさ。
そうそう、一樹くんはあたしの方に気を遣いつつ、あたしの振った話にもあわせてくれていたけど、時々周囲を見回していたみたい。
あー、やっぱりちょっと心配だったの、かな?
美術館みたいに追い出されることは無さそうな場所とはいえ……、ねえ。
うう、ごめんね、お姉さん暴走しがちで!
ああでも、映画は楽しかったよ、本当に!!
映画の後、あたしたちは近くの公園に移動した。
休日の割に人の多くない、静かな場所だ。
あたしたちは、空いているベンチに腰掛けた。
「映画楽しかったよー。けどごめんねね、ずっと一人で騒いでばっかりでさ」
本当、色気も何も有ったものじゃないと思う。
元々そういうのを期待しての選択肢でも無いと思うけど。
「いえいえ、楽しんでいただけたようで何より」
「でもあんな映画、一体どこから見つけてきたんだい?」
現代はインターネットの発達した情報社会なんだから、その気になればちょっと変わったもの、珍しいものなんてすぐ見つけられる。
でも、何となくだけど、あたしは今日見た映画は一樹くんが選んでくれたものじゃないような気がした。決めたのは一樹くん自身でも、どっかに、他の人の意見が入っているのかなあ、とかね。
まあ、直感なんだけど。
「……実は、森さんが教えてくれたんですよ」
一樹くんはあっさり白状してくれた。
何時もの笑顔がちょっと苦笑気味になっている。
「へえ、あのメイドさんがかい?」
ちょっと意外な回答だった。
あのメイドさんが本職メイドさんじゃないらしいってのはあたしも知っているけど、それにしても、こんな映画を見ているとはちょっと驚きだ。
「ええ、そうなんです。楽しい事が好きそうな女の子に喜ばれそうなものということで、相談に乗ってもらったんです。あ、鶴屋さんの名前は出していませんよ」
それはまあ、そうだろう。
勘付かれているような気がしないでも無いんだけど。
……って、その辺りは一樹くんも折込済みかな?
やっぱり、年の功には敵わないものだしさ。
……あっ、今の発言はさすがにオフレコだよ!
「そっかあ」
「一応森さんの名前も出さないつもりだったんですが……、もし次に彼女に会うことが有っても、映画のことは黙っておいてくださいね」
「りょーかい、そこは心得ておくよっ!」
あの偽物メイドさんには、きっとまた直接顔を合わせることになるのだろう。
何せ今年の夏もSOS団+αで合宿をするってことになっているからね。
「楽しんでもらえたらしいということについては、本人に伝えておきますけどね」
「そうだね、そうしてあげなよっ」
あたしはぽんっと一樹くんの肩を叩いた。
自分では軽く叩いたつもりだったんだけど、思ったより力が篭っていたのか、一樹くんがちょっとむせている。
「あ、ご、ごめんごめん……。大丈夫かい?」
「だ、大丈夫です……」
「あー、なんかごめんね、あたしばっかり楽しんで、おまけに迷惑かけっぱなしでさ」
美術館でも映画館でもあたしは笑ってばかりだった。
一樹くんも笑っていたと思うけど、それは、あたしが何時も知っている笑顔でしかない。
あたしも笑っていることが多い方だと思うけど、一樹くんの笑顔は、本当に『何時も』通りだから、あたしのそれとはちょっと種類の違うものだと思う。
何がどうってのを言葉で上手く説明できる気がしないんだけどさ。
「そんなことありませんよ、僕も楽しかったですから」
一樹くんは、そう言って笑った。
やっぱり、何時もどおりの笑顔で。
「……どうしたんですか?」
一樹くんが、ちょっと怪訝そうにあたしの方を見ている。
「あ、いや、なんでもないよ、なんでもないけど……」
あたしはさっと首を振った。
「そうですか、何も無いならよろしいのですが。さて、この後はどうしましょうか? 実はこれ以降は何も予定を決めていないので、解散でも別に構わないのですが」
悪戯っぽい笑い方。
何かを期待しているような、していないような。
そういう笑い方はちょっとずるいような気がするんだけど、あたしも、あんまり人のことは言えないかもしれない。
「んじゃ、こっから先はあたしに決めさせて。あたしの方が年上なんだしさ、そういうのも良いだろ?」
「では、お願いいたします」
一樹くんが、丁重に頭を下げる。
あたしは、その場で立ち上がり、彼の手を握った。
一樹くんがちょっと驚いたよう顔をしている。
「恋人同士っていうなら、このくらいはしないとね?」
正直あたしも恥ずかしい。
喋りながらも自分の顔色が気になって仕方ない。
だけど……、まあ、そのあたりのことは保留にさせてもらおう。
こういうのは、どっちもどっちってことで良い気もするしね?
「……そうですね」
「じゃ、次行こうっ!」
あたしは一樹くん手を取って、歩き出した。
行き先は決まってないけど、歩いていればそのうち思いつくだろう。
こういうときは、前向きに行かないとね!
一緒に居る時間、楽しい時間。
恥ずかしくてもどかしくて、何かがおかしい。
これはデートごっこ、ハルにゃんを楽しませるための予行演習。
知っているさ、そんなことは。
でも、ごっこでも何でも、楽しんだ方が良いと思わないかい?
そういうものだって、あたしは思っている。
そういうものだって……。だって、そうだよね?
でも、一樹くんはどうなんだろう。
あたしといて、楽しいのかな?
楽しくないってことはないと思いたいけど、そこのところ、どうなんだろう。
気になるなあ……。
だって、ほら、あたしだけ楽しんでいるなんて悪いしさ?
ああ、どうなんだろうな。
どうやったら、楽しんでもらえるんだろうな。
フィフティフィフティは無理でも、あたしだって、少しくらいは……。
――終わり