「あ、こんにちは、キョンくん」
俺の愛しの天使様、朝比奈みくるさんが今日も部室で出迎えてくれた。
俺はいつも言い過ぎとも言える表現で朝比奈さんを比喩するが、あながち言い過ぎとは言えない。
何故なら……俺は、完全に心奪われていたからだ。
あれは先週だったか?SOS団全員が俺の家に来たときだった。
ゲームに夢中になってる奴等から少し離れて、シャミセンと戯れる朝比奈さんの笑顔を見た時に俺は恋に落ちた。
穏やかで、かわいくて、それでいて守りたくなるような笑顔に俺は完全に惹かれたのさ。
ともかく、俺はいつものようにお茶をもらった。
今まではそんなに気にしていなかった距離、今じゃお茶を受け渡す距離でさえ俺の鼓動は早くなる。
本気で恋に落ちたのは初めてだ……。それを悟られないようにするのも一苦労なんだな。片思いの奴の気持ちがよくわかるぜ。
「あの……お茶、美味しくなかったですか?」
とても不安げな表情でこっちを見つめていた。
あぁ、俺の表情で不安にさせてしまったのか。
俺は、柔らかく微笑んだ。……たぶんな。
「大丈夫です。いつものように美味しいですよ」
朝比奈さんは『よかったぁ』と言いながら長門にお茶を持っていった。
今、俺はちゃんと笑えていたか?
朝比奈さんの前じゃ何をやっても不自然になってるような感覚だ。
自分をよく見せなくたっていいじゃないか。ありのままを見せればいいんだよ……。
などと、悟りを開くための自問自答をしていると、いつもの台風がやって来た。
「みんな、喜びなさいっ!あたしが素晴らしい企画を思いついたわっ!」
やれやれ、この満面の笑みはまた一苦労ありそうだな。
「明日は探索はおやすみっ!代わりに市内移動かくれんぼやるわよ!」

……最悪だ。よりによってかくれんぼか。確実に鬼は俺なんだろうな。
「ルールは簡単!逃げる人が鬼に3分ごとに現在地をメールする!それを元に鬼が捕まえに行くのよ!」
いや、まずは範囲を狭くするべきじゃ……
「制限時間は9時に始めて12時まで!明日は8時半集合!遅れた人は……死刑だからねっ!」
俺の提案は華麗にスルーされ、今日は疲れを残さないためにすぐに解散となった。
……ちなみに、やっぱり鬼は俺だった。やれやれ。


次の日、やはり最後に来たのは俺だった。
「遅い!罰金……はいいわ。その代わり全員捕まえれなかったら奢りね!」
わかったわかった。やってやろうじゃねーか。吠え面かくなよ?
「ほほーう。今日は雰囲気違うわね。やる気ありみたいだから始めちゃいましょうか!」
あぁ、構わないぜ。俺はどのくらい経ってから始めればいいんだ?
「ん~……5分でいいわ。それじゃ、はじめっ!」
ハルヒは猛ダッシュで、古泉はランニングペースで、長門は歩いて、朝比奈さんはオロオロしながら散り散りになった。
まぁ……意外に楽しめるかもな。


5分が経ち、俺はゆっくりと歩きだした。とりあえずメールが入るまではフラフラしておくか。
適当に歩き出すと、ボブカットの小柄な少女が狭い路地に立って、本を読んでいた。
……あまりに近すぎるぞ。それに背中を向けてても俺からは丸見えだ。
「……そう」
長門はそのまま、集合場所へ戻って本を読み出した。……やる気なんてなかったんだろうな。
3人からメールが来た。一番近いのは……朝比奈さんか。
俺は3人に長門を捕まえた旨と、了解のメールを送り、朝比奈さんがいる方向へと小走りで向かった。
休日の街なんてものはとても広いもので、3分ごとに送られてくるメールを使っても全然見つかりゃしない。
俺の楽しそうという感情はなくなり、早くもどこかでサボろうと考え始めた時だった。
「ふえぇっ、見つかっちゃった!」
聞き覚えのある声だ。朝比奈さんのかわいらしい声。
俺が辺りを見回すと、走り去って行く後ろ姿を見つけた。俺の大好きな人の背中が……な。
すぐに追いかけはじめたが、人が多くてなかなか追いつけない。
あと10メートルを保ったまま、しばらく走ると、横道に逸れて行った。
しめた、あっちは人が少なくなる道だ。
人込みから離れると、走るスピードを上げた。
あの人はとろいからすぐに捕まるはずだ。
10メートル……5メートル……3メートル……1メートル……。
「捕まえた!」
俺は声をあげながら朝比奈さんの腕を捕まえた。
「あうぅ~、キョンくん……はぁ、はぁ……早いよぉ」
走ったせいなのか、息をきらして涙目で俺を見上げてきた。……やべぇ、かわいい。
妙な感覚に包まれる。俺と、俺が腕を握っている朝比奈さんの二人しかいないような感覚……。
「キョン……くん?」

声は聞こえている……が、この衝動は止められない。
俺は、朝比奈さんの肩を抱いて少しずつ引き寄せた。
唇と唇の間隔が狭まっていく。
50センチ……30センチ……10センチ……5センチ……。
「あ……」
いつの間にか、俺の手に触れるものはなくなり、朝比奈さんは消えていた。
なんてことをしてしまったんだ……俺のせいで、消えちまった。
たぶん……いや、間違いなく未来に連れてかれたんだろう。
バカか、俺は。あの時に言われたじゃねーか。
『わたしと仲良くしないで』と。それは、こういう意味なんだと薄々感じていただろう?
自分の欲望だけで、朝比奈さんを消してしまったんだ。俺は。
涙が溢れてきた。
遠い所からだと近くに見えて、近付くと離れていく。それへと近付いても、近付き過ぎると消えてしまう蜃気楼。
朝比奈さんはそんな存在だったんだ。
「ははは……わかってたくせに、バカ野郎……」
3分ごとに送られてくるメールを無視して、俺は一人、人通りの無い横道で泣き続けた。

「やっぱりキョンはダメね。あたしと古泉くん、二人も残しちゃうなんて……ってあれ?みくるちゃんは?」
どうにか正気を装い、俺は集合場所に戻ってきた。

「朝比奈さんは……親からの緊急連絡で帰ったよ。親族に何かあったんじゃないか?」
よくもこんな嘘がつけるな……自分で消したくせに。全てが嫌になってしまう。
朝比奈さんのいない世界に何の意味がある?代わりに俺が消えればよかったのに……畜生。
ハルヒに一万円札を渡し、『体調が悪いから帰る』と伝えて逃げ出すように家へと走った。
その夜、俺はベッドの上で泣き続けた。
自分の失敗に、無力さに、抗えない《禁則事項》に対しての怒り……。
様々な感情を心に抱えて、明日からを生きていくことを決めた時、深い眠りへと誘われた。


朝、手持ちぶさたにハイキングコースを登っていく。周りには誰もいやしない。
何故かって?朝6時半に学校に来る奴なんていやしないからさ。
結局、眠りは深かったものの眠った時間は短くて、やることもなく早く学校へと向かった。
……部室に行きたかった。もしかすると、メイド服姿の朝比奈さんが笑顔で『ただいま、キョンくん』なんて言いながらお茶を用意してるんじゃないかと思ったからだ。
都合の良い妄想だ。だけど、今だけはこの妄想が現実になることを信じたい。
そう思いながらハイキングコースを早足で歩き続けた。
生徒のいない学校、校舎を一人で歩く。まるで色のついた閉鎖空間だな。
部室棟に入り、心臓が高鳴る。……居てくれ、頼む。
そして、部室のドアを開けると……誰もいなかった。
「都合がよすぎるんだよ……俺の頭は」
いつもの席に座り、辺りを見回す。
もういくら待ってもお茶はもらえない。こんにちはとも言ってもらえない。
また、涙が溢れてきた。
止まらないし……止める気もない。畜生……畜生……。

「あ、あれ?キョンくん?何でこんなに早く……」
あぁ、もうダメかもな。幻聴まで聞こえてきやがった。
「っていうか……その……ただいま、です」
ただいま……?
俺が顔を上げると、メイド服ではなく普通の制服だったが、確かに本物の朝比奈さんが立っていた。
「あ、朝比奈さん!」
俺は立ち上がり、抱き締めようとして……躊躇した。
『また、消えたら……』
そう思うと足が進まなくなってしまった。
「……もう、大丈夫です。消えたりはしないです。上から許可が出ました、涼宮さんの能力もだいぶ落ち着いてきたから……って」
そうは聞いても、俺は金縛りにあったように動けなかった。昨日の喪失感が蘇る。恐い……失うのが、恐い。
朝比奈さんがゆっくりと近付いてきて、俺の行動と同じことをしてきた。
腕を掴み、肩を抱き寄せて、唇と唇の間隔が狭まっていく。
50センチ……30センチ……10センチ……5センチ……。
「んっ……」
触れた。柔らかく、暖かい感触。近付くと、消えてしまうはずの蜃気楼に触れることが出来た。
「やっと……やっと言えるよぉ……。キョンくん、好き……大好きぃ……」

朝比奈さんは、泣きながら俺に抱き付いてきた。か弱い腕から伝わる、確かに強い力。
幻じゃない。近付いたら消える蜃気楼じゃない。やっと……捕まえた。
背中に手を回し、そっと抱き返す。
「俺も……大好きです。離さない、絶対に離さない。もう二度と……」
人差し指が俺の唇を制止した。その向こう側から微笑みが見え、大好きな声が聞こえる。
「言葉じゃなくて……行動で、わたしを離さないって教えてください」
涙を拭った。自分と、彼女の。幸せなキスをするのに涙は似合わない。
目を瞑り、俺を待つ彼女の唇にゆっくりと近付いた。
50センチ……30センチ……10センチ……5センチ…………0センチ。


おわり

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