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――十二月十八日、早朝。


 意識が覚醒する。
 顔面に違和感を覚えた。……あの時外した眼鏡が、頭にあった。
 わたしは今では煩わしさすら感じる眼鏡を外し――。


「…………」


 彼と――。
 もう一人の<わたし>がいるのを視認した。




 【The Blank of 3 Days】




 まずは今わたしが置かれている状況を理解することが先決だ。
「同期を求める」
 目の前にいるもう一人の――わたしの異時間同位体である――<わたし>に言う。
 ……<わたし>は答えない。なぜ?
 答えない“わたし”に、わたしは繰り返す。
「同期を求める」
「断る」
 拒否された。……理解不能。
「なぜ」
「したくないから」
 わからない。<わたし>はなぜそんな非効率的なことを主張する?
 ふと、視界の端に驚く彼の顔が映った。
「…………」
 <わたし>の視線はわたしをまっすぐに捉えたまま。
「…………」
 射抜くような視線を感じながら、わたしは<わたし>の意図を理解できないでいた。
 風が一陣、わたしたちを撫ぜるように過ぎ去った後、<わたし>が口を開いた。
「あなたが実行した世界改変をリセットする」
 そうだ。思い出した。
 わたしは、ほんの数分前にこの世界を改変したのだ。涼宮ハルヒの力を用いて。
 わたしの内部に蓄積したエラーデータを、“わたしごと”削除するために。
「了解した」
 頷いてから、わたしは焦りのようなものを覚えた。
「情報統合思念体の存在を感知できない」
「ここにはいない」
 <わたし>はわたしの思考を全て分かっているような口調で言う。
 ……それはそうだ。この<わたし>は未来から来たのだ。わたしを異常から復帰させるために。
「わたしはわたしが現存した時空間の彼らと接続している。再改変はわたし主導でおこなう」
「了解した」
 どのみち、統合思念体と接続できないわたしでは、改変された世界を更に改変した上で修正することはできない。
「再改変後、」
 再び<わたし>の視線がわたしを貫く。諭すような口調で、
「あなたはあなたが思う行動を取れ」
 わたしは何故か分からぬうちに、彼の方を見ていた。
 彼はわたしを見ている。
 ……なぜだろうか。わたしを見ている彼の顔を見たとき、わたしは安心感のようなものを覚えた。
 ……なぜなのだろう。なぜ彼は、あんなに優しい目をしているのだろうか――。




――十二月十八日、早朝。世界の再修正を完了。




――十二月十八日、正午。


 彼と、涼宮ハルヒと朝比奈みくると古泉一樹と共に部室棟の階段を降りる。
 涼宮ハルヒが上機嫌で何事か言い、古泉一樹が相槌を打ち、彼が文句を言い、朝比奈みくるはそれを苦笑しながら見ている。

――再改変後、

 世界は再改変された。しかし、まだ完全に修正されてはいない。
 わたしの仕事は、最終的な調整だ。

――あなたはあなたが思う行動を取れ。

 そう。わたしは終わらせなければいけない。この世界の異常はまだ続いているのだ。
 全てを終わらせるためには――世界は唯一であったという証明をしなければならない。
「…………」
 この世界でただ一人、二通りの記憶を持ってしまうかもしれない存在。
 わたしは、その記憶の多重化を防がねばならない。
 そのためには――。
「――――」
 わたしのすぐ横を、“何か”が通り過ぎる。
 鈍い音がして、その“何か”は階段の踊り場に崩れ落ちた。
「――キョン!?」
 涼宮ハルヒの叫ぶ声が聞こえる。
 “何か”ではない、“誰か”。
 それは、間違いなく彼だった。
「キョン、ちょっとキョン!」
 涼宮ハルヒが血の気の失せた顔で彼の体を揺する。
「……くん!キョンくん!!」
 朝比奈みくるが涙を流しながら彼の名を呼び続ける。
「…………」
 古泉一樹がいつもの微笑を消してその様子を見つめている。
 彼は動かない。
 わたしが、“今ここにいる”わたしが取るべき行動は――。
「…………」
 わたしは携帯電話を取り出して、119をダイアルする。

――ごめんなさい。

 電話を終えてから、わたしは心の中で呟いた。
 それは、彼に対する謝罪か、それとも――。




――十二月十八日、午後。


「後はあたしが見てるから……あんたたちは帰っていいわ」
 涼宮ハルヒが思い詰めた様子で呟いた。
「……涼宮さん」
「朝比奈さん、行きましょう。長門さんも」
 朝比奈みくるが涼宮ハルヒを心配そうに見つめるが、古泉一樹はその背中に声をかけて退場するよう促した。
「今は……そっとしておいた方がいい」
 古泉一樹が朝比奈みくるの肩を取って病室を出る。朝比奈みくるは何度も振り返り、彼と涼宮ハルヒの姿を見ていた。
 わたしも後を追うように病室を出ると、古泉一樹が疲れたような笑みで、
「……申し訳ありませんが、僕はこれで失礼します。少々ヤボ用ができたもので」
「古泉くん」
 立ち去ろうとした古泉一樹を朝比奈みくるが呼び止めた。
「何でしょう?」
「キョンくん……だいじょうぶでしょうか?」
 古泉一樹は幾分笑みを緩めると、
「心配いりません。必ず目を覚ましますよ。……涼宮さんがそれを望まないはずがありませんから」
 それだけを言って、手をついと挙げることで挨拶とすると、わたしたちに背を向けて歩き去った。
「……長門さん」
 朝比奈みくるがわたしを見る。彼女たち未来人の主張では、涼宮ハルヒに世界を改変する力はないということになっている。
 それが理由なのかは定かではないが、彼女の不安を拭い去るには古泉一樹の言葉だけでは足りなかったのだろうか。
「心配ない」
 彼は必ず目を覚ます。……その理由を、わたしは知っている。
 彼が今の状況にある、その全ての理由を。
「きっと、だいじょうぶ」
 それは身勝手な言い分。独りよがりな希望。
 なぜ――なぜわたしは、こんなことを考えるのだろうか。




――十二月十九日、午後。


「少し休んだほうがいい」
「ありがと、有希……。さすがにちょっと疲れたわ……」
 わたしの言葉に、涼宮ハルヒが応える。
 いつの間に用意したのか、寝袋に入ってすぐに寝息を立て始めた。
 ……なぜだろうか。その姿を見て、わたしは少し――羨望にも似た思いを感じた。
 わたしは彼の眠っているベッドへと歩み寄り、彼の顔を見る。
「…………」
 完全に意識を失っているため、呼吸は最小限で寝息すら聞こえない。
 決して苦しんではいない。その姿を見て、わたしはまた、安心感のようなものを覚えた。
 ……まただ。また身勝手なことをわたしは考えている。
 わたしのために倒れた彼を見て、なぜわたしは安心してしまっている?
 わたしはなぜ、ここにいる?




――十二月二十日、午後。


「分かっていても、何もできないというのは歯がゆいものですね」
 そう呟いたのは古泉一樹だった。
「今度ばかりは僕にできることはなさそうです。残念ながらね」
「そんな、あたしだって……」
 苦笑する古泉一樹に、朝比奈みくるは首を振って言った。
「あたし、時々この時間平面にいる意味が分からなくなる。どうして……あたしはこうなることを知らなかったんだろうって。知ってたら――」
「それは違うでしょう」
 古泉一樹が朝比奈みくるの言葉を遮る。
「仮に知っていたとしても――逆に、もっと辛くなったのではないですか? もしもこれが、あなた方の言う<規定事項>なのだとしたら」
「それは……」
 朝比奈みくるは古泉一樹を見上げた後、言葉を詰まらせて俯いた。
「……すいません。他意はなかったんですが」
「ううん……。いいんです」
 謝罪する古泉一樹に朝比奈みくるがまた首を振った。
「古泉くんの言うとおり。知ってても何もできないのが、あたしだから……」
 朝比奈みくるはそこまで言って顔を上げ、
「だから、早く……一人前にならないと」
「…………」
 わたしと彼は知っている。彼女がいずれ、この世界を救う一翼を担うことを。
 だけど、それは言えない。
 未来に対する現在の自分の責任をわたしに教えてくれたのは、他ならぬ彼女だ。
 だから彼女には――自分の意志と力で、全てを。
 己を縛る<規定事項>と<禁則事項>を打ち破る術を。
 それは――わたしも知りたいこと。




――十二月二十一日、深夜。


 宿直の看護士以外は起きている者はいないであろう病院の病室に、わたしは立っていた。
 彼に全てを伝えるために。
「すべての責任はわたしにある」
 彼がいつにない真剣な顔で、わたしを見つめている。
「わたしの処分が検討されている」
 彼は頭を抱え、大きく息を吸い込んだ後、その息を吐き出すように声を発した。
「誰が検討してるんだ?」
「情報統合思念体」
 何かを考え込むようにして彼が口を閉ざす。暫しの間があって、
「だとしても」彼が口を開いた。「お前がバグることは三年前に解っていたんだよな。なら、いつでも俺に言えばよかったじゃないか。文化祭の後でもいいし、何なら草野球以前でもいい。そうすりゃ俺だって十二月十八日の時点で素早く行動できたってもんだ。さっさと全員を集合させて、三年前に戻ることができたのに」
 彼の言うことは理解できる。しかし、
「仮にわたしが事前にそれを伝えていても、異常動作したわたしはあなたから該当する記憶を消去したうえで世界を変化させていただろう。また、そうしなかったという保証はない。わたしにできたのはあなたが可能な限り元の状態のまま十八日を迎えるように保持するだけ」
「脱出プログラムも残してくれただろ。充分だよ」
 彼がわたしを真っ直ぐに見つめて言う。
 いや――。
 彼が今、その鋭い視線で捉えているのは――。
「わたしが再び異常動作を起こさないという確証はない。わたしがここに存在し続ける限り、わたし内部のエラーも蓄積し続ける。その可能性がある。それはとても危険なこと」
「くそったれと伝えろ」
 彼がベッドに横たわったまま手を伸ばしてわたしの手を取った。
 握られた手から感じる、彼の温もり。そして、彼の激昂。
「お前の親玉に言ってくれ。お前が消えるなり居なくなるなりしたら、いいか? 俺は暴れるぞ。何としてでもお前を取り戻しに行く。俺には何の能もないが、ハルヒをたきつけることくらいはできるんだ」
 彼の視線から、わたしは二つの意思を感じ取った。
 一つはわたしに対する気遣い。そして、もう一つは――
「つべこべぬかすならハルヒと一緒に今度こそ世界を作り変えてやる。あの三日間みたいに、お前はいるが情報統合思念体なんぞはいない世界をな。さぞかし失望するだろうぜ。何が観察対象だ。知るか」
 統合思念体に対する、叱責。
 なぜ――彼はこんなにも優しいのだろうか。
 観察のための道具に過ぎないわたしのために、世界を作り変えることすらいとわないと、彼は宣言した。
 わたしと統合思念体を全く異なる存在として、わたしを一人の人間として見ていることの証明。
「伝える」
 彼の手の温もりを感じながら、わたしは頷いた。
「ありがとう」




 この日わたしは、初めて自分に対して観察すること以外の存在意義を見出した。




                                                                              【The Blank of 3 Days】_fin
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