悪夢の中間テストも過ぎ去り、ようやく一息つける日々がやってきた。
…と思ったのもつかの間で、あの事件以来わりとおとなしかった
我がSOS団団長様の思い付きによりトンデモ野球大会に参加させられたのは
つい先日のことである。

古泉とその仲間達による活躍で、あの時の閉鎖空間も無事に消滅したらしい。
ご苦労なこった。
またこんな地域密着のスポーツ大会なんぞに参加して、これ以上SOS団の
怪しげなウワサが広まってしまってはこの先の学校生活にあらゆる支障をきたす
事が目に見えている。俺達はありとあらゆる説得テクニックを用いて
ハルヒにその他スポーツ大会への参加をあきらめさせた。

「ふうん…しょうがないわね。まあいいわ、まだまだあたし達SOS団には
他にやるべきイベントがいっぱい残ってるんだからっ」

あきらめてくれた事は奇跡に近いのだが…
そう言って目を輝かせたハルヒは、間違いなく何かを企んでいた。
頼むから、実現可能な範囲で疲れなくて皆が楽しめるイベントを持ってきてくれよ。
まあ、そんな事は無理だろうけどな。

ところで俺は今、早々に弁当を平らげて文芸部室に向かっている。
ちょっと話しておきたい人物がいるからだ。
ドアを開けると、窓際のいつもの席にいつもの無表情で長門が座っていた。
分厚いハードカバーを読みふけっているのは言うまでもないだろう。

「よお」
白い顔がこちらにゆっくりと向き直る。しかしすぐに読書に戻る。
こいつはちゃんと昼メシを食っているんだろうか。

「こないだはご苦労だったな。お前の魔法で勝てたようなもんだ」
「魔法ではない」
100メートル先で蚊が飛んでいるくらいの小声で長門は言った。
「あの場所における物理法則を一時的に書き換えた」
「なんにしろ、MVPはお前だよ」
「MVPってなに?」
また仏頂面がこちらを向く。疑問文を喋っていても表情が変わらないから困る。
「あー、確かmost……なんとかプレイヤーだ。要するに最優秀選手って事だ」
「そう」
「まあそれは置いといて、長門、日曜に何か予定あるか?」
これ以上自分の無知っぷりを実感させられても困るので、本題を切り出した。
「ない」
長門は即答した。ないと即答できるのも年頃の女の子としてはどうかと思うぞ。

「図書館、行かないか?」

ちょっと気にかかっていたんだ。あの夜、ハルヒと二人きりの学校で
長門がくれたメッセージ。
暗いパソコンの画面で交わした短い会話の最後で長門が言った一言。
「また図書館に」
俺に戻ってきてほしいと言ってくれた事は素直に嬉しかったし、
連れて行った図書館もどうやら気に入ってくれたようである。
長門にはいつも世話になってるし、命を救われたこともあった。
こうしてこっちの世界に無事戻ってこれた今、また長門を
図書館に連れて行ってやるのも悪くないと思ったからな。

「…行く」
少し間をおいて、長門は答えた。
「行く」
なんで二回言うんだ?
「じゃあ、十一時に駅前でいいか?」
「わかった」
長門はそう言うとパタンと本を閉じた。
同時に、昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴った。

そして日曜の朝、俺は約束の三十分前に駅前に到着した。
長門はすでに来ていた。来ていたのだが…すぐには発見できなかった。
何故かって?俺の中では長門=制服のイメージが定着していたからである。
まさか私服で登場するとは思わなかったからな。
背後の気配にビクッとして振り返ると、淡いブルーのワンピースをまとった
長門が立っていた。

「お、おう。もう来てたのか」
「……」

私服姿の長門はかなり新鮮だった。俺はつい見とれてしまう。
こいつも頑張ればかなりいい感じになるのにな、もったいない。
長門は少しうつむいたまま黙っている。かすかに落ち込んでいるようにも見える。
ひょっとして、気づかなかったから怒ってるのか?

「とりあえず、なんか飲むか」
「……」
俺が歩き出すと、長門は少し遅れてついてくる。
「あー、長門。私服も似合ってるぞ」
「そう」
やっと口を開いてくれた。長門は俺の横に並んで歩き出した。

後日聞いた話である。

「この前長門さんに頼まれたんですよ。お買い物に付き合ってほしい、って」
「へ?長門にですか?」
「うん」
小柄な上級生、朝比奈みくるさんはいつものエプロンドレスで
俺にお茶を手渡しながら言った。
「お洋服が欲しかったみたい。最初は戸惑ったけど…
土曜日に一緒にお出かけしてきました」

なるほど。あの服は朝比奈さんが見繕ったものだったのか。
道理でメチャクチャ似合っていたはずである。
朝比奈さんは長門の専属ファッションコーディネーターになればいいんじゃないか?
コーディネートされる側ばかりじゃいい加減ストレスが溜まるだろう。

ん、すると長門は俺と出かけるために服を新調したのか?

「長門さんって、お洒落するとすっごく可愛いんですよねぇ。
普段は無口で、その…ちょっと怖いんですけど」
やっぱり朝比奈さんは長門のことが苦手なようだ。
コーディネーターは無理そうだな。

駅前の喫茶店に入り、適当に飲み物を注文する。
「長門、何にする?」
「同じのでいい」
俺は運ばれてきたアイスティーにレモンを浮かべながら
目の前の自称宇宙人をぼーっと眺めていた。
こうして見ると普通の女の子と変わらないんだけどな。

「図書館は、少しでいい」
珍しいことに、長門の方から話しかけてきた。
「あなたはあまり本を読まない。前回も眠っていた。
長時間図書館にいても、あなたは退屈」
「気ぃ使わなくてもいいぞ」
「いい。私は本を借りるだけで充分」
「まあ…お前がそれでいいなら」
本好きの長門の事だ。一人で図書館に通っているのかもしれない。
わざわざ俺と行くこともなかったのかもしれない。余計なことしたかな。
なんて事を考えていると、いつの間に飲んだのか、アイスティーを
飲み干した長門が口を開いた。

「図書館の後どこに行くかは、あなたに任せる」

川沿いを図書館に向かって歩く途中で、長門に尋ねた。
「どこか…行きたいとこあるか?」
「……」
こうして二人で歩いているのを周りから見たら、俺達はデートしているように
見えるんだろうか。てか実際デートなのか?これは。

元から図書館に行く予定しか立ててなかったので、俺は悩んでいた。
俺としては、本を読んでいる長門を眺めてるのも悪くないな、と
思っていたし…さて、どうしたもんか。
うだうだ考えていても仕方ないので、ベタなところではあるが
俺は長門に提案してみる。

「映画とかはどうだ?」
現在見たい映画があるわけでもなく、何を上映しているのかすら知らないが、
長門にはあまりアクティブな場所は似合わない。
カラオケとか、ボウリングとか、ゲーセンとか。
そういう場所で長門が遊んでいる姿は想像できん。
「わかった」

俺達は図書館の自動ドアをくぐった。

書架コーナーに入るや否や、長門はふらふらと専門書とか何やらの
棚に歩いていった。俺が大学院に入って本格的に勉学に励もうなどと
考えなければ一生縁のなさそうな場所だ。
俺は空いている椅子に腰かけ、待たせて貰う事にする。

すると十分もしないうちに、本を数冊抱えた長門が戻ってきた。
「こっち」
そう言うと長門は俺のシャツの裾を引っ張りながら歩き出した。なんだなんだ。
たどり着いたのは、やっぱり俺の頭では到底理解できないような書物が
ずらりと並んだ棚である。
「とって」
長門は本棚の上の方を指差した。ああ、そういうことか。
長門、ちっちゃいもんな。
「どの本だ?」
「上から二段、左から十四冊目」
「えーと、これだな、ほら」
ぽん、と本を渡すと、長門はまた本の物色を始めた。

「ありがと、キョン君」
…なんて言ってくれたら可愛いんだけどな。期待はしないでおこう。

その後も俺は四回本をとってやり、長門は両手でやっと抱えられるくらいの本を
受付カウンターに運んでいった。…あれ全部借りるのか?

「…なあ長門」
「なに」
「この後またどっか行くのに、そんな大荷物だと大変だぞ。図書館は逃げないから、
何冊かはまた今度にしろよ」
「……わかった」

そういうと長門はまた本棚の方に歩き出した。そしていくつかを元の場所に戻し、
俺に何冊か本を渡してきた。

そしてうつむきながらこう言った
「…もどして」
はいはい、俺は背表紙の番号を頼りに、本を元の場所に戻した。

前に俺が作ってやった図書館のカードで本を借り、図書館を出る頃には
なんだかんだで昼過ぎになっていた。

「まず昼メシ食うか」
長門はコクリとうなずく。とはいっても、図書館の周辺には
食事ができるような店はない。駅前まで戻らねば。
「本、持とうか」
「へいき」
「遠慮すんなって」
俺は本の入った袋を長門から受け取る。ずしり――結構重いぞ、これ。

「長門って、普段は何食ってんだ?」
「いろいろ」
「好きな食べ物とかないのか?」
「食べる物は何でも良い。この身体を維持できれば」
実に長門らしい答えだ。だが俺はもう少し突っ込んだ質問をしてみる。
少なからず、長門に興味も沸いてきた事だしな。
「じゃあ、今まで食べた物の中で一番気に入ったのは何だ?
今からそれ、食いに行こう」

すると長門は、めったに見られない困ったような悩んだような顔をした。
そんなに悩まなくてもいいのに。ややあって、こう答えた。
「カレー」
よし、カレー決定。

てな訳で今俺達はカレーショップのカウンター席に並んでいる。
余計なことを言わなければ良かった。俺が
「長門ならどんだけ辛くても平気だろ?」
などと冗談交じりで言ったのが、まずかった。
長門は40倍激辛特盛カレーを注文し、顔色一つ変えずにパクパク食べている。
その様子を他の客はおろか、カウンター越しに店員さんまでもが
興味深そうに観察している。見世物じゃないぞ。

「お、お嬢ちゃん。平気なのかい?」
店主らしき人が口をあんぐりあけて話しかけてくるが、
長門は完全にそれを無視して10分少々で皿を空けた。
店中に拍手が鳴り響く。ああ恥ずかしい。

長門が食ったカレーは、どうやら完食すると賞金がでるらしい。
俺が会計を済ませると、長門は店主から封筒を受け取っていた。
「すごいね、お嬢ちゃん。じゃ記念に写真撮るよ。壁に飾っちゃうからね」
店主は奥からポラロイドカメラを抱えてきた。
「ほらほら、そちらの彼氏も一緒に!」
「は?いや俺は…」
パシャリ。反論する間もなく、シャッターを押されてしまった。
こうして駅前のカレーショップの壁には、俺と長門のツーショット写真が
飾られることになってしまったのだ。谷口とかに見られたらどうすっかな。

「うまかったか?」
「わりと」
気に入ってくれたようで何よりだ。長門は貰った封筒を開ける。
千円札が一枚入っていた。賞金って思ったより安いんだな。
「写真はもらえなかった」
「え?」
駅前の喧騒の中、長門の声は注意していないと聞き取れない。
「―――」

残念、微かだがそう聞こえた気がする。

映画館に着いた俺達はまた迷っていた。何を観ればいいんだろう。
アクションもの、アニメ、ホラー、恋愛…
現在上映している映画はこんなところだ。

「なあ長門、本当に映画でよかったか?」
「いい」
俺は長門の好みをほとんど知らない。長門はどんな映画が好きなのかも知らない。
だからここは長門に選んでもらおう。ズルイとか言わないでくれ。
「どれ見たい?」
「これ」
以外にも長門はすんなり答えてくれた。細い指が指したポスターは…
邦画のホラーだった。まじかよ。

チケットを買うのに少し並んだが、劇場に入るとわりといい席に座れた。
俺は売店でコーラを二杯買ってくると、じっと席に座っている長門に渡した。

「ホラー、好きなのか?」
「見たことはない。興味はあった」
さらに長門はこう続けた。
「一般的な人間が抱く恐怖という感情を、私は感じたことがないから」
「そうなのか?」
リアル怖いもの知らずって訳か。うらやましい限りだな。
俺は休日の朝にかかってくるハルヒからの電話が怖くてたまらない。

劇場が暗くなって、スクリーンに映像が映し出される。
実は、俺はあまりホラーは好きなジャンルではないのだが…
それに邦画のホラーというものは、洋画のそれと違って
独特の怖さがあるんだよな。なんというか、湿度の高い、じめっとした恐怖が。

そんなことを考えながらふと長門のほうを見た。
いつもと変わらない無表情でスクリーンを眺めていた。

しばらくすると、左手に何かが触れた。
ちょうど映画の盛り上がりもピークで、観客席からは
たまに女性客の小さな悲鳴が聞こえてくる。
自分の左手に乗っかっているそれは、隣に座っている長門の手だった。

長門の小さな手は、ほのかに汗ばんでいた。
その手はゆっくりと動き、俺の小指を握ってくる。
やっぱり宇宙人製有機ヒューマノイド・インターフェースといっても
姿形、おそらく心も一人の人間。読書好きの女の子である。
怖いものは怖いのだろう。

俺は長門の手を、そっと握り返してやる。体温は俺より低い。
握った手に、軽く力をこめる。正直に言おう、俺もかなり怖がっていた。

こめた力と同じくらいの力で、長門は答えた。

外はもう夕方で、東の空は薄暗い。
俺達は映画館を後にして、待ち合わせ場所だった駅前に向かう。
そろそろお開きかな。

「あの映画は…やばかったな。怖い」
「そう」
「お前は平気だったのか?」
「へいき」
明らかにウソである。お前、所々で目つぶってたぞ。最後まで
俺の手を握りっぱなしだったじゃねぇか。
それに怖くないのなら、そろそろ手を離してもいいんじゃないか?

「辛いのは平気なのに、怖いのはダメなんだな」
「……」
なんだか長門がいつもより小さく見える。俺に寄り添って歩くその姿は、
なんというか…無茶苦茶可愛かった。
「そろそろ帰るか」
長門はコクリとうなずいた。

はたから見れば、フツーに恋人同士に見られてしまうだろうな。
知り合いに出くわさない事を祈る。
そう思った矢先、角のコンビニから見慣れた顔がひょっこり現れた。
やばい、とっさに左手の力を緩めた俺だったが、長門は手を離さなかった。

「あれ?キョンじゃない。それに…有希?」
なんてこった。よりによってこいつに見られてしまうとは。
コンビニのビニール袋を提げたハルヒがそこにいた。

「お、おう」
情けない声で挨拶する俺をハルヒはまじまじと見つめ、
そして長門とつないだ手をちらっと見た。

「え…あんたたち、いつのまにそういう…」
俺はいくつか言い訳の文句を頭にめぐらせていた。
でも待てよ、言い訳?今日長門と二人で出かけたのは事実だし、
今こうして手をつないで歩いているのも事実だ。
言い訳する部分などどこにもないじゃないか。

「…ふーん、そうなんだあ。ふーん」
そういうとハルヒはくるっと向きを変え、じゃあね、と呟くと
雑踏の中に消えていった。

「…見られたの、まずかったか?」
「……」
長門は黙っている。
そろそろ俺の自転車が停めてある場所だ。
「まあ、あいつは誰かに言いふらしたりはしないだろうさ」
俺は立ち止まって、借りた本の入った袋を長門に手渡す。
「あ…」
「じゃあ明日、学校でな」

俺は自転車の方に向かって歩き出す。しかし二、三歩歩いたところで
ドキッとして立ち止まった。

「キョン…君」
今にも消え入りそうな声。しかし確かに俺の耳には届いた。
今の、長門…だよな?
振り向くと、長門はうつむいたまま立ち尽くしていた。

長門にそう呼ばれるのは初めてだった。
俺は長門を見つめたまま、軽く深呼吸をすると、
「待ってろ」
そう言って小走りで自転車を取りに行く。

自転車を押しながら戻ってくると、長門はゆっくり顔を上げた。
「ほら、行くぞ」
そう言うと俺は長門のマンションに向かって歩き出した。
意外と怖がり屋さんだって事も分かったしな。
夜道を一人で帰らせるのは忍びない。

並んでついてくる長門は、相変わらず無表情だ。
だけど俺には分かる。少しだけ、ほっとしたような安堵の色が浮かんでいる。

マンションへとたどり着く間、俺はいろんな事を長門に話した。
このあいだの野球大会の事、中間テストの結果がボロボロだった事、
借りている本が案外面白かった事、文芸部としての活動はしないのか?など。
長門は俺の話を静かに聞いていた。

そういうとりとめのない話をしていると、すぐに長門のマンションにたどり着いた。
「じゃあ、また明日な」
そう言うと俺は自転車に乗った。振り返った俺は目を疑った。

長門が俺に向かって、ひらひらと手を振っていた。
普段が普段だけに、すごく人間くさい仕草に見える。
俺も手を振り返してやり、帰路についた。
なんか今日は貴重な体験をした気がするな。

家に着くなり、携帯が震えた。古泉からだ。
「突然すいません。ちょっと困ったことになりまして」
「どうかしたか?」
「閉鎖空間が発生しました。これまでにない規模です」
俺はドキッとした。まさか原因は…さっきの、なんだろうか。
「我々も全力で対処していますが、空間の拡大を抑えきれるかどうか
分かりません。何か原因に心当たりはありませんか?」
「あー…ないと言えばウソになるな」
「あるんですね?でしたら涼宮さん本人への対処はあなたにお願いしたいのです」
どうしろというんだ。
「あなたにしか出来ない事です。僕はそろそろ神人狩りに戻らねばなりません。
それでは、頼みましたよ」
古泉はそう言い残すと、乱暴に電話を切った。あいつらしくもない。
相当せっぱ詰まっているんだろうか。

俺に何ができるのか?
とりあえず俺は、携帯の電話帳からハルヒの名前を探した。
ハルヒが閉鎖空間を発生させてしまった理由、それはなんとなく分かる。
でも、ハルヒに電話したとしてもなんて言えばいいんだ?
それにな、古泉、俺は自分の気持ちに嘘はつきたくない。
今俺の頭の中は、ある人物のことで一杯なんだ。
自分では気づいてなかったかもしれない。だが今なら胸を張って言える。


俺は、長門が好きなんだ。

だから、すまん古泉。今夜だけは役に立てそうもない。
俺は携帯をパタンと閉じると、今日一日の出来事を思い起こした。

そして次はどこに行こうか、などと考えていた。
もちろん、あの無口な宇宙人娘と一緒に。


-fin-

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