§第一章§

――1――
「お茶です」
「あぁ、どうも」
いつもの風景。一年前から連綿と続いてきたSOS団団室こと文芸部部室での光景である。
「こないわねぇ……新団員。新入生、どうしてあんなに普通の連中ばかりなのかしら」
「そりゃお前が求める水準が高すぎるんだろうが。いきなり魔法を使ってみせろだとか、隣の校舎にワープしてみせろだとか言われて応えられるのは、プロのマジシャンくらいだ」
時は四月中旬。ハルヒは盛大にSOS団新団員勧誘を行い、その超新星爆発のごときエネルギーは全力を持って空回りし、結果この部室には想像もしなかったほどの静けさが訪れている。
「……」
まぁ、長門には静かな環境で本を読んでいてもらいたいし、そういう意味ではハルヒのオーバーヒート団員勧誘はありだったのかもしれん。
「ところで、古泉くんは今日も休みなの?」
ハルヒが両手を机に叩きつけながら言った。手が痛くなりそうな音である。
「らしいな。あんだけ派手に呼び込みすりゃ、反動がきてもおかしくねーよ」
と言いつつ、俺も相応に疑問に思っていた。去年の五月半ば、あいつはハルヒ言うところの謎の転校生という属性を持って北高に来て、そのままハルヒに引っ張られて強引にSOS団の団員となった。
間もなく自らが超能力者であることを俺に明かし、証拠までを見せて、今では俺にとってすっかり腐れ縁的な仲間と化している。その古泉が今まで連日放課後姿を見せないなどということはなかった。
今日でかれこれ三日になる。俺もハルヒも朝比奈さんも長門も理由を聞いていない。
普通は病欠なんかを心配するところだが、だとしても何も連絡をよこさないというのは古泉にしては不自然に思える。何せここにいる連中は俺以外の全員が尋常ならざる能力の持ち主である。普通の欠席をするほうが腑に落ちない気がするのも仕方がないと思うね。
「古泉くんは誰かと違って律儀だから、無断欠席なんかするはずないと思ったんだけどね」
焦点に穴を開けそうな眼光を飛ばしてハルヒは俺にそう言った。何の話だ。
「あんた、いつだったか無断で休んだじゃないの。シャミセンの病気がどうとかって。あれ、後になって考えてみたんだけどおかしなところがいくつもあるわ。猫って円形脱毛症になるわけ? それに、猫は散歩なんてしないでしょ。しかも冬よ冬。あんた、あの時ほんとは何してたわけ?」
即座にびびびくんとしたのはお盆を抱えた朝比奈さんで、長門に運ぼうとしていたお茶を入れた湯のみが小刻みにカタカタ震えていた。
「今さらその話を持ち出すのかお前は。シャミは確かに円形脱毛症だった。医者に珍しいって言われたからな。
お前がそう言うのも納得できるぜ。散歩の件は鶴屋さんのウソだ。言っとくけど悪気はないぜ。あの時散歩してたのは俺だけだ。あの人のことだ、俺と鶴屋さんが夜道でばったり出くわしたらお前が何か余計な推測をすると思って気を利かせたんだろ」
対ハルヒ用にイイワケをするのにも慣れてきた俺である。どうもこいつは最近嗅覚が鋭くなってきている気がしてならない。もともと犬じゃないかと思うほどなのに、それ以上となるとこの世にハルヒ以上に鼻の利く生き物はいないんじゃないか? そういえば坂中の犬を散歩させていた時も競い合うように走ってたしな。
俺がハルヒの前世は犬で決まりだと勝手な思い込みに判を押そうとしていると、
「まぁいいわ。所詮過ぎたことだしね。何か古泉くんがいないからイライラすんのよね」
おぉ、お前古泉のことが好きだったのかなどと俺は言わないぜ。たちどころに五十倍の威力のカウンターを喰らうからな。単に団長として団員全員が揃っていないことに不服なんだろう。

桜は一週間以上前に散り、木々は新芽を日に日に膨らませている。
実にうららかでのどか、平和なことこの上ない放課後だった。
昨日母親に予備校をそろそろ決めろと言われたことなど帳消しにしてあまりある和やかさだ。思うに、悟りってのは今の俺のような心境を指すんじゃないかね。宗教を開いたりするつもりは毛頭ないがな。

「古泉くん、風邪かなぁ……」
陽光で淡い輪郭をまとった朝比奈さんは、後世まで伝記として残しておきたいような抜群のたたずまいで無断欠席超能力者の心配をした。これで風邪なら四十度超えてようが三秒で治る。いっそ俺が風邪を引けばいいか。
そうすれば朝比奈さんが家に来て俺の看病をメイド服で「はい、あーん」などと言いながら――
「いでっ!」
『団長』の文字が書かれた三角錐が俺の額にすこんと当たった。危ねぇだろ!
「あんたがみくるちゃんを見てやらしい妄想してるのがバレバレだったからよ! ほんと分かりやすいわね、あんた」
イライラするのは勝手だが、その矛先を俺や朝比奈さんに向けるのは勘弁してくれ。ついでに長門にもな。それこそ今ここにいない古泉にすればいいだろうが。
「はぁ~あ、何かこう思ったほど刺激的じゃないわね。新学期」
ハルヒは溜息を吐いて机に沈み込んだ。俺は若干に冷や汗の心地となる。まさかこいつのせいで古泉は部室に顔を出せないのではあるまいな。今さらあの念仏ものの灰色空間を量産したりするとは思えないが……。
それに古泉はハルヒの力が弱まってきていると言っていた。ならば意識的であれ無意識的であれ急に古泉の仕事が増えたりはしないはずだ。
俺は珍しく隣の席で本を読んでいる長門に小声で訊いた。
「長門、何か古泉の欠席に心当たりとかないか?」
すると長門はすっと横を向き、
「ない」
とだけ言ってまた視線を元に戻した。明快な回答だがもうちょっと何かないのかね。推測とか心配とかさ。
「ん。それ、懐かしいな。……また読んでるのか?」
長門が読んでいたのは俺がこいつから初めて借りた海外SF大長編のハードカバーである。ひょっとしてこいつも読書する書物を一巡させたのだろうか。だとするとこれまで何冊読んだのか、考えるだけでも頭の中が文字で押し潰されそうになるな。
長門はこくと頷き、
「統合思念体は静観の姿勢を変更していない。古泉一樹の不在は思念体のせいではない」
と、俺が思いもしなかったことを言って読書を続行する。
なるほどね。とするとやっぱり体調不良だろうか。あいつも意外とナーバスなところがあるのかもしれん。ポーカーフェイスの代わりのようにいつも微笑しているが、それも心情を悟られないためだったりしたら俺としてもちょっとはあいつに同情してやる気にもなる。
あいつのクラス担任にでも欠席の理由を訊いてみようか。……そうそう、クラス替えの結果、俺とハルヒ、谷口に国木田、阪中、長門が同じクラスになったのだが、さすがに特進クラスの古泉まではハルヒの力でも巻き込めなかったらしい。朝比奈さんのほうはまた鶴屋さんと同じクラスになったとかで喜んでいたな。
そんなわけで古泉は別のクラスにいる。だから一昨日の放課後、帰り際にようやく古泉が学校に来ていないらしいことを知ったのだった。


「じゃぁね。明日、古泉くんが来たらすぐにでもSOS団のミーティングをするつもりだから、遅れちゃダメよ」
というハルヒの言葉を受けて俺たち四人は駅前で解散した。
俺は自転車に乗って家路をたどり、無事わが家に到着したが、そこに突然の来客があった。
「ご無沙汰しておりました」


――2――
「森さん?」
そこにいたのは森園生さんだった。二月に会った時と同じ、ぱりっとしたスーツ姿だ。
背後には例の黒い車が見え、運転手の新川さんが精悍な顔で目礼した。
「どうしたんですか?」
俺はチャリを玄関脇に止めて森さんの元に戻った。
「古泉のことについて、あなたに話しておきたいことがあります」


立ち話も何ですから、との森さんの指示で俺たちは新川さんの車の後部座席に乗り込んだ。
「古泉が行方不明になっています」
森さんは何も前置きをせずに重要事項を伝えた。あんまり突然だったので俺は言葉の意味を正確にとらえられない。思わず訊き返す。
「何ていいました? 古泉が……」
「行方不明なのです。この三日間、自宅にもおらず、連絡もつきません。思い当たる場所全てに問い合わせをしましたが、どこも古泉の行方を知るところはありませんでした」
あいつが行方不明? どういうことだ? 今さら機関の任務が嫌になったりでもしたのだろうか。
「それはないと思われます。機関に協力しないことは、遠因的に自分の首を絞めることになりますから。
どこへ行くにしても、その行き先自体がなくなってしまうようでは意味がないでしょう?」
森さんの言葉の意味するところを全て把握できたかどうかは自信がないが、まぁ俺もあいつが無責任に機関のエージェントを放棄してトンズラするとは思えない。だとすると、古泉はどこへ消えたんだ?
「それが、何の痕跡もありませんでした。持ち物や金銭、衣服などすべてが手付かずで自宅に残されていて、メッセージやどこかへ出立する計画を立てていた形跡なども見当たりません」
「ってことは、古泉は一昨日急にいなくなったってことですか? まったく、突然に?」
「そうなります。もともといなかったかのように、綺麗さっぱりです」
話の表層だけ聞けば、そりゃどこの怪談話だと言いたくなるが、今は夏じゃないし、もちろん幽霊など登場しないことは俺もよく分かっている。となると……
「誰かがあいつを連れ去った、とか、そういうことですか?」
「えぇ。私達もその可能性がもっとも高いと考えています」
森さんは神妙にうなずいた。前の席の新川さんからも、心なしかピリピリとした緊張を感じる。
「機関の他の人員にそのような消失現象は起きていません。古泉だけが突然に、姿をくらましたんです」
森さんの言葉を聞きながら、俺は考えていた。誰のしわざだ? 古泉だけを狙うってのはどう見ても作為によるものとしか思えない。そして、あいつは普通の手段で誘拐されるような奴じゃないとも思う。仮にも機関の人間だしな。どこかに幽閉されているなら、あいつ単独での脱出は無理でも、機関が色んな手段を使って古泉を救出するんじゃないだろうか。実際森さんは機関側で手を尽くしたかのような物言いをしている。
「二日間、我々は古泉を捜しましたし、今なお継続中ですが、芳しい結果は何一つ得られません」
なるほど。とりあえず、これで古泉が三日も学校とSOS団を休んだ理由は分かった。ハルヒに言えるようなものじゃないのがちと厄介だが、どうにかして古泉を見つけ出さなきゃならないらしいな。
「今日私達があなたに伝えたかったのはそれだけです。古泉の行方が心配なことには変わりないでしょうが、理由だけでも伝えておくべきだと判断しました」
「わざわざすいません。俺のほうでも、無理のない範囲であいつを捜せないか当たってみます」
俺は車を降りて会釈をした。暗くなった空の下を、真っ黒に輝くハイヤーが静かに走り去った。
……さて、まずは長門のところに行く必要があるだろうか。


「いなくなった古泉くんが心配?」
俺の背後から声がした。するはずのない声が。


――3――
「当たりまえよね。これまで一緒に困難に立ち向かってきた仲間なんだもの」
振り向いて凍りつく俺にそいつはあざ笑うように言った。
……どうしてお前がここにいる!?
「あら、驚いてるわね。ふふふ。無理もないわ。あなたが今推測できることなんて、たかが知れてるものね」
北高の制服、腰まで届く長い髪、整った目鼻立ち、不敵な笑み……。
「朝倉……涼子……?」
間違いない。俺がこいつの姿を間違えるわけがない。会うたびに戦慄の度合いが桁を増やしている。
たちまち嫌な汗が俺の表皮を伝う。
「覚えててくれたのね。ありがと、感謝するわ。転校して、だいぶ経つものね」
その笑みは、表の顔。かつて委員長として一年五組に滞在し、普通のクラスメートとして振舞っていた時のもので間違いない。なぜ、お前がここにいる。
「わたしの知ってる情報が正しいのなら、これで再開は二度目みたいね。もっとも、今のわたしにはデータとしての記憶しか残っていないけれどね」
「質問に答えろ! どうしてお前がここにいるんだ。お前は長門に二回も――」
「そう。消されたわ。情報結合解除。ねぇ、わたしは彼女に勝てない運命なのかしら。どう思う?」
意図的に俺の記憶を想起させるような台詞を使っている。教室、校門。夕方、明け方。
銀と赤のイメージ。鈍く、不気味な感触――。
どうして朝倉がここにいるんだ!? 幻なんかじゃない。だが長門がこいつを野放しにするとも思えない。
「不思議がってるわね。うーん。そろそろ答え合わせしてあげてもいいかしら? わたしが今まで二回も負けたことを考えると、これくらいじゃ甘い気もするけど」
くそっ。逃げも攻めもできん。こいつなら俺をあっという間に囲い込んでしまうだろう。こいつが俺に襲い掛かる瞬間に備えるくらいが関の山だ。……誰か、誰か歩いてないか?
「助けを求めようったって無駄よ。周囲20mに情報結界を張ったから。近付いた人間は急用を思い出して道を引き返すの。便利でしょ?」
朝倉は自分の姿を俺の網膜に焼き付けるかのようにウィンクした。こんなに突然現れるなんて、反則にも程があるだろう。もともとルールなんて意識してないような奴だったが……どうすればいい、絶体絶命だぞ。
「わたし個人の気持ちとしては、今すぐあんたを殺してしまいたいんだけどね? 残念なことにわたしに課せられた役割はそれじゃないみたいなのよ。ね、ちょっとは安心した?」
ちっとも安心できない。いつぞやみたく体の自由を奪われたりはしていないようだが、実質身動きできないのも同然だ。くそ。家の目の前なのに何てことだ。
「何しに来たんだ。そもそもどうしてお前が存在してるんだ」
朝倉はこの状況が楽しくて仕方ないかのようにその場を歩いて回った。
「わたしがいない間、楽しかった? 涼宮さんと仲良くなった? 長門さんとはどう? ふふふ。いいわねあなたは。
わたしね、自分の立場がうらめしくなったこともあるのよ。どうしてわたしはあなた達の輪に入る役じゃないんだろうって。でも、今さらそんなこと思ったってしょうがないでしょ? わたしは、急進派の対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースなんだから。命令には従わなきゃいけない。それは、今回だってそうなのよ。わかる?」
知るか。俺にとってのお前は殺人犯という印象しかない。それこそ、インターフェースの感情の概念が分からんという奴だろう。
「せっかくまた会えたんだから、挨拶のひとつもしてくれていいと思うのに、冷たいのね? まぁいいわ。じゃぁわたしがここに来た理由を教えてあげる。あんたに伝えるためよ」
「何をだ」
声が上ずってしまう。油断できない。警戒なんて無意味かもしれないがな……。
「あなたの大切な仲間、わたしが結合解除したわ。どう? 驚いてくれるかしら?」
「……!」
まるで、体中の感覚が夜の闇に溶けて出てしまったようだ。今、何て言った? こいつが古泉を消しただと?
「ふふふふ。驚いてるわねぇ。その顔が見られただけでも復活した甲斐があったってものね。いい気味だわ」
長門がどうして感知できなかったんだ? そもそも、こいつも長門も派閥は違えど同じ情報統合思念体の一端末だろう。こんな勝手な振る舞いができるはずがない。
「あんまりネタばらししすぎちゃうのもつまんないわよね。わたしがどうしてここにいられるのかは宿題にしておくことにする。今日のわたしは、あなたにもうひとつ、予告をしてここからいなくなるわ」
朝倉はずっと笑っていた。いつの間にか裏の顔。俺を二回も殺そうとした時の、邪気を思わせるイメージの違う笑いに変化している。
「もうひとり。あなたの先輩も、近いうちに消すわよ。ふふ、楽しみにしてなさい」
「てめぇ!」
俺が駆け出すと同時に朝倉は姿を消した。
瞬時に圧迫感も消え、元の静寂のみが俺を包む。
朝倉涼子……。もう会わないと思っていた。何か、何かが起きている。あいつが古泉を消しただと? そんな簡単に人ひとり消したとかいうあたりからして、もうどうかしているとしか言いようがない。さらに、あいつはこう言った。
……朝比奈さんを近いうちに消す。
古泉と同じようにか? だとすると俺が今まで会っていた朝比奈さん(大)のほうはどうなるんだ。消えてしまったなら大人になって超絶なスタイルとなった彼女の存在はあり得ない。
俺はしばらく道端に突っ立ったまま考えこんでしまっていた。
今日三人目の来訪者が、俺に声をかけるまで。
「こんばんわ」


――4――
まったく突然に、それこそ瞬きした間に、朝比奈さん(大)が俺の目の前に出現していた。
「久しぶり。って言っても、キョンくんにとってはふた月しか経っていないんですね」
俺の覚えているままの大人版朝比奈さんだったが、彼女の時間では前回会ったときから二ヶ月以上経っているのだろうか。だが、今はそんなことはどうでもいい。
「朝比奈さん! これは一体どういうことなんですか!」
つい大声になってしまう俺に動じず、朝比奈さんは艶やかな声で告げる。
「キョンくん……ここが分岐点です。以前わたしが言った、大きな運命。ここを正しく乗り越えないと、私たちのいる未来はわたしの知っている姿にならないの」
「朝比奈さん? 今朝倉が来て……」
「えぇ。古泉くんを消した。彼女の言葉に嘘はないはずです。彼女は古泉くんを跡形もなくこの時空から消してしまった」
大人版朝比奈さんの声に冗談の色は微塵もなかった。
いつだって突然だった非日常。それがまたとんでもない形で俺たちの前に立ちはだかろうとしている。
「一体何者のしわざなんですか!? 誰が朝倉を復活させたんです?」
朝比奈さん(大)は一瞬困ったように目を伏せてから、
「ごめんなさい。言えません」
「えっ」
俺は当惑した。どうしてだろう。
「キョンくん。これからのあなたの行動に変化が及ぶからです。今回、わたしが直接あなたにできることは、ほとんど何もないといってもいいくらいなの。あなたひとりでも解決できない。SOS団員全員の行動がうまく行かないといけません」
俺だけじゃない、って、それは一体……。
「詳しく言うこともできないんです。未来は微細な原因の集合で絶えず変化するものなの。いつだったか、わたしがあなたにわたしのホクロの位置と形を言ってしまったことがあったでしょう?」
そう言われて俺は一年近く前の記憶を掘り返した。……そういえばあったな、そんなことが。どぎまぎして身動きできなくなってしまった、入学して間もない俺の記憶。
「あれだけで、誰が初めにホクロのことを知ったのか分からなくなってしまった。それは、わたしがうっかりしていたから。既定事項だったはずの物事が、不明瞭になってしまうの」
分かるような、分からないような……。確かに、これまでどっちが原因か分からないようなことはいくつかあった。
鵜が先か卵が先か、って奴だ。例えば俺がハルヒに言ったあの台詞「世界を大いに盛り上げるための、ジョン・スミスをよろしく!」あれを俺はハルヒから聞いたが、ハルヒはそれを四年前に現れた俺から聞いたわけだ。どちらが先に言ったのか分かったものじゃない。そうか、知っているし、禁則事項と明確に決まってはいないけれど、言えないことってのもあるんだな。
「分かりました。何が待ってるのか分かりませんけど、俺はあなたも部室の朝比奈さんも、もちろんハルヒたちのことも信じています」
「ごめんね……キョンくん」
朝比奈さんは曇り顔になった。古泉がいつか言っていた。この表情や振る舞いは、言わば演技かもしれないと。
実際、俺は二月の誘拐の一件で、この朝比奈さんへの疑いを少なからず抱いてしまった。自分のいる未来のために、過去の彼女やこの時代にいる俺たちを都合よく操っているのではないか、と。だが、今回はSOS団そのものに攻撃が
仕掛けられている。そんな猜疑心は今はお預けにしておくべきだろう。
「朝倉涼子から聞いたと思いますが、次はわたしが狙われています」
朝比奈さん(大)は気を取り直して続けた。
「子どもだったわたしが消えてしまうと、その間、わたし自身がこの時代に来ることができなくなります。だから、わたしは今回キョンくんにできる事が本当にないのも同じ……。できることではなく、できないことを伝えにわたしはここへ来ました」
そういうこともあるんだな。未来人の優位性、だったか。過去に対して未来は万能だとどこかで思い込んでしまっていたが、どうやら必ずしもそうではないらしい。
俺がそう思っていると、温かく、柔らかい気配を感じた。初めてこの朝比奈さんと会った時と同じように、彼女は俺の肩に額を当てていた。
「がんばってね……キョンくん」
声が震えているように感じたのは気のせいだっただろうか。十秒ほどで大人版朝比奈さんはいつもの色っぽい笑顔に戻り、ウィンクをすると、俺が瞬きする間に消えた。時間跳躍にはどれだけか手間がかかるものかと思ったのだが、俺がそれを見極める暇もないなんてな。
我を取り戻すために、俺は深呼吸をする。古泉、待ってろ。必ずお前を元に戻して見せるし、朝比奈さんを消させはしない。まずは長門に連絡をとらなければならないだろう。あいつに負担をかけたくないのは事実だが、SOS団そのものの存続が危ぶまれる今は、その限りではない。ごめんな、長門。また力になってくれ。
俺は自宅に入って一言声をかけると、再び自転車に乗って、今度は長門のマンションを目指してペダルを踏み込んだ。


――5――
「入って」
耳馴染みとなったインターホン越しの声を聞いて、俺はエントランスをくぐる。
朝比奈さんが二人になったあの一件以来来ていなかったマンション。皮肉なことだが、ここに来ないことがSOS団の平和の証なのかもしれない。いつか、何も気にすることがなくなった日に、ハルヒや朝比奈さん、古泉と一緒に長門をびっくりさせるために来るのもいいかもな。あいつがどんなリアクションをするのか、興味深くもある。
俺がエレベーターを降りてドアの前に行くと、インターホンを押す前にドアが開いた。
「長門……」
「分かったことがある」
長門は俺を中に促しつつ言った。俺はコタツテーブルの向かって左側に腰を下ろす。
「情報統合思念体急進派が、秘密裏に自らの一部を独立させていた」
お茶を出したりなどの前置きを一切しない長門というのも珍しかった。自分から先に話すことこそ稀だが、こいつが単刀直入に重要事項を言うこともまた滅多にない。
「……まずお前の話から聞いたほうがよさそうだな。続けてくれ」
長門は顎を数ミリ引く特有の肯定姿勢をみせて、淡々と話し出した。
「急進派は長い間主流派の姿勢に異を唱えなかった。その間に、自情報の半分を分解し、再構成した。思念体は各派の意識が『ある』か『ない』かの意識しか持たない。流派ごとの意識は独立していて、一部が分離していても、他の流派は気がつかないケースが見られる。そうして思念体は意識を分け流派を分けていった。今回もそれに近いことが行われたのだと推測できる」
「……」
すぐに考えを整理するのは困難な、言わば抽象論だった。情報統合思念体ってのは、そんなアメーバみたいな増え方をする存在なのか?
「実体を持たないから質量もない。よって身体的感覚による存在の認知は不可。情報量を計測する概念もない」
俺はますます分からなくなる。これまでえらい高度な存在だと思っていたが、ある意味単純なことを平気で見過ごしたりするのだろうか?
「人類とは意識レベルが根本的に異なる。完全に理解しようとすることは無為」
長門の言葉に、俺は少し手前まで話を戻す。
「……それで、その急進派は、何でまた急に分離したんだ?」
「涼宮ハルヒは自らの能力を弱めつつある。このまま行けば、遠からず彼女の力は消滅しうる。おそらく、急進派は観測のみの現状を打破したいと考えた。そして、その考えに基づいて行動することを選択した」
ある意味人間的だな。欲望の赴くままに行動するか。だが普通はそんなこと許されないぜ。統合思念体にはそういう社会のルールみたいな物がないのだろうか。
「主流派は他派と共に急進派そのものを消滅させるか審議している」
聞けば聞くほど人間社会だな。
「ただ、仮にその決定がなされても、独立した方の急進派を抑えることは不可能」
長門は真っすぐに俺を見ていた。日数を重ねるごとに、わずかに増していく瞳の輝き。
「それはまたどうしてだ」
「急進派は、自らを構成する情報を一度素子レベルまで分解し、残った思念体側の情報を用いてアトランダムに意識体の再構成をした。そこに自らの意識を乗せるよう、あらかじめベースプログラムを仕込んで。それは、新しい広域宇宙体を生み出す行為に近しい」
自らをまっぷたつにして、その片方が反対の姿を基本脳思考形態を残してまるっきり変えちまったってことか? 
人間界だったら倫理感を巡って何年も議論になりそうな行為だな。そりゃ。
「普通はそのような行為をしない。わたしの知る限りにおいて、意識体の行為においても非常に稀有」
半分死ぬようなものだからな。それに、失敗するとか考えなかったのか? そいつら。
「涼宮ハルヒの力に、そうするだけの価値があるのだと判断したためだろう」
ハルヒの力のために半分自殺するような真似をするのか……すまんが俺には理解できそうにないな。急進派とやらは。
「ってことは」
俺はようやくさっきまで次々と俺の元を訪問した人たちを思い出し、
「あの朝倉涼子を作ったのは……」
「朝倉涼子……?」
俺は長門に森さんと朝倉と大人版朝比奈さんに会ったことを話した。朝倉のくだりになると、長門は驚いたように数度瞬きをした。
「わたしや情報統合思念体が感知し得なかった……」
つぶやくような長門の台詞に俺は仰天した。……何だって!?
「おそらく、その朝倉涼子は思念体が既知とする結合法則とはまったく異なる規則によって構成されている。ゆえに、わたしや統合思念体には存在の認識が困難。我々の認識方法に対するアンチプログラムを持っていると思われる」
それじゃまるでステルス殺人鬼じゃないか。いや、今回の朝倉が殺人鬼と決まったわけでもないが。
「我々に敵対する要素が確認できるだけで、危険度が含まれることはまず間違いない」
長門は鈴の音のような声で続ける。やっぱり平和的解決は無理なのか。
「わたしの対抗処置にも限界があるかもしれない。今回の朝倉涼子と急進派は、まったくの未知数。行動も予測不能」
長門。今は仮にも春なんだぜ。そんな心が凍りつきそうなこと、冗談だって言うものじゃないだろう。
「……本当のこと」
長門は顎をわずかに引いた。どこか後ろめたそうに見える。
「このままだと、朝比奈みくるも消えてしまう」
今やはっきりと分かる。長門は……動揺していた。



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