SOS団マフィア1 英雄達の横顔
「検索、涼宮ハルヒ提督の伝記」。「書籍で123件、テレビドラマと映画で12本。どれを表示しますか」?「やれやれ、即席英雄の私とは大違いだ」。「涼宮ハルヒ提督は、自由惑星同盟に於いて比類なき名声を手にした英雄である。彼女と名声を等しくするのはダゴン会戦のリン・パオ、トパロウルの両元帥だけである。 士官学校を卒業する時は、無論主席で、百年来の天才と騒がれた。3年の際2位に落ちた時は、「一生の恥辱よ」と叫んで大変悔しがった。「私なんか、毎年落第を免れたと喜んでいたなあ。一部の教科はぎりぎりだった」。「ハルヒは少尉の身でありながら、大佐より偉そうに見えたと言われている」。確かに、彼女には持つべくして持った、一軍の将たるカリスマ的魅力があったことは確かである。「即席英雄たる私には、見るからに人の上に立つ品格や、颯爽たる英姿は無いなあ」。ハルヒ提督の周囲は、730年6月の卒業生で固められていた。SOS団マフィアと呼ばれていた。ちなみにSOS団とは、ハルヒが中学時代に作ったサークルで、世界を面白おかしくする涼宮ハルヒの団と言う意味である。構成員のほぼ全員が関係しており、当時のエピソードにも事欠かない。表示しますか?「今度時間があれば見るよ」。青年はすげなくPCの提案を飛ばしたwしかし、士官学校の同級生が以後15年に渡り、軍の中枢を占め、有機的な連携により偉大な業績を挙げ続けた例は少なく偉大な集団であった事を歴史に示している」。ハルヒを中心に、キョン、谷口、古泉一樹、国木田、鶴屋、長門有希らがその幕僚団であり、全員大将まで昇進した。宇宙暦788年現在、存命なのは、キョン退役大将唯1名である。戦闘にしろ行動にしろ、ハルヒ提督は劇的であることを好んだ。名優ではなく大スターであった。彼女が参加した会戦は、それにより名会戦足りえたのである。」大げさだなあと青年は思う。ハルヒ提督の名は、当然帝国にも、知られずにはいられなかった。宇宙暦740年は帝国暦731年に当たるわけだが、同年の帝国軍務省の公式文章に、涼宮ハルヒなる叛徒どもの巨魁との表現がある。既に帝国にとっても無視できぬものになっていた。それは実績による物だが、宣伝の影響も否定できない。 軍事英雄がしばしばそうであったように、彼女にも覇気が有り、勝利する都度、敵に打電していた。742年のドラゴニア会戦に際しての通信文が残っている。ポチッ「今回あんた達を叩きのめしたのは、涼宮ハルヒよ。次に叩きのめすのも涼宮ハルヒよ覚えておきなさい」。「これには帝国軍も怒るだろうなあ、帝国の資料は有るかな」? 「公式のデータバンクにはありません。フェザーン発行の資料に掲載されています。433年に軍務尚書ケルトリング元帥が将兵を叱咤した時の映像です。それを表示させる。ポチッ「生死は問わぬ、涼宮ハルヒなる叛徒の身柄を陛下の前に打ち据えよ。叶えたものには、望むだけの恩賞を与えよう」。元帥の息子2人は両方ともハルヒ提督との戦闘で戦死している。元帥の怒りは激しかった。訓示は将兵を奮い立たせたが、結果は芳しくなかった。736年の会戦に先立ち、軍務尚書在任中に倒れ、見舞いに来た、甥のヴィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガー中将に対し、ハルヒを倒せと2回呻いた後に、その姿勢のまま死去した。「ハルヒが必要以上に憎悪を煽った感は拭えないなあ。もっともこの話は有名だけれど、フェザーンを経由して入ってくる間に、どのように変質したか、知れたものではない。予断はよくないな」。いったい実際はどういう人だったのかな。かなり凄いエピソードも聞いているけれど、それほど悪い話も聞かないし、人間である以上、欠点もあるはずだ。それを指摘しても彼女を誹謗する事にはならないはずだけど、何となく口にしてはならない、暗黙の了解が有るみたいだ。神話を打破するという目標の為、欠点だけを強調するのも不公平だ」。「ハルヒ提督が敵の憎悪を煽ったのは、敵に対し、心理戦を仕掛けたのかも。怒気や憎悪が理性を圧倒し、帝国軍の戦闘は、戦略的目標を忘れ、挙句SOS団マフィアに圧倒されるという事が少ない無い」。そうだとすれば、見事な演出家だな。自分の才能を最大限に生かす術を心得ていたという事だ」。「ハルヒ提督以外の提督のデータを出してくれ、キョン提督の回想録からの抜粋で良い」。「谷口提督は、成績はよくなかったが、軍人としての統率力を持った、精悍な男であった。勝つ時は派手で、負ける時も無論派手であった。彼には、KO以外の勝敗は無かった。彼の辞書に完勝はあっても辛勝は無く、惨敗はあっても惜敗は無かった。奇妙なジンクスがあり2度続けて勝つと3度目は必ず負けた。将兵はこの事を記憶しており、負けの順番が来ると、遺書を書いた、蒼白になり脱走を計る物までいたので、笑い話ではないのだが、彼は将兵に好かれる素質があった。バロンの異名を持つ、古泉提督は、無論貴族ではない、容姿や言動に芝居がかかっていたため、男爵と呼ばれていた。どう頑張っても、伯爵や、侯爵にはなれない、せいぜい男爵さと言う揶揄もこめられている。しかし、当人は自己紹介の際、ぬけぬけとバロンを姓名に入れて紹介している。古泉提督は英雄とまでは行かなくとも、有能な提督であり、ハルヒにとって必要不可欠であった。また男性陣の中では2枚目であり、女性の人気も高かった。私人としては多芸な人物であり、手品をやり、ギターやトランペットを吹き、スキーをやった。何をやっても、一流の寸前までは行けたと称されていた」。「キョン提督の回想録には、やや苦みばしった、好意があるように思える。多芸多才に甘んじ、真の一流たる努力を惜しんだ友人を惜しむ気持ちがあるようだ」。「私は、涼宮さんの下で良いです。最高責任者になるなど野暮な話です。双ですね、私は常に上手なアマチュアでいたいのですよ。」彼は韜晦していたのだろうか、職業軍人としてプロであった。いやだからこそ、苦い思いを冗談のオブラートに包んで飲み干していたのかもしれない」。彼は卒業時に次席であった。彼の前には常に涼宮ハルヒがいた。彼はまたSOS団の副団長であった。複雑な心理があったのかも知れない。国木田提督は、やや童顔の残る人物で、彼もまた女性からの人気が高かった。酒が飲めず、戦勝祝賀会の乾杯もジュースで開けていた。一度古泉提督がシャンパンと摩り替えていた事が会ったが、その直後全身蕁麻疹を起こして倒れ、大騒動になった。身から出た錆とは言え、古泉提督は同盟軍史上唯1名の、蕁麻疹を理由に始末書を書かされた提督となった。彼もまた、賞賛に値する提督であり、与えられた課題を良くこなし、特に敵を追撃して戦力を削ぐのが巧みであった。 鶴屋提督は実は730年ではなく729年の卒業生である。長身に濃緑色の髪を持つ美女である。戦いは献身的かつ勇猛で、同盟軍史上3名しかいない女性提督の中の1名である。飼っていた熱帯魚に、僚友達の名前を付けていたと言われるが定かではない。」長門提督は、英雄ではなかったが、堅実な用兵と、綿密な作戦準備により、大崩れすると言う事が無かった。味方が劣勢の中、唯1人戦線を維持し、ついには戦局全体を逆転させた事も少なくない。読書好きの寡黙な女性だが、士官学校以降は時折微笑も見せるようになった。それを一番喜んでいたのは、私だったかもしれない。ある時、知人から聞いた話を披露し、一同は大爆笑した、しかし、それが収まった後で「今の話は何処が面白かったの」と真剣に問われ、一同は返答に困った。政治家や、マスコミにリップサービスをするような、人物ではなかった為、上の人気はあまり良くなかった。しかし、ハルヒは彼女を最も高く信頼していたのかもしれない。そして、私である。私は、ハルヒのような偉才には恵まれなかった。私の役目は調整役で、個性溢れる面々の、言わば、生きた緩衝材として、効率よくハルヒの司令部を運営する事にあった。それぞれに異なった才能が存在し、集団として機能する為には、接着剤が必要であり、私は、自分の存在意義はそこにあると自覚し、実行して来た。私が指揮官として単独行動した時は、平均より多少マシと言う程度であっただろうと思う。だがハルヒの参謀長を務めること10年、その信頼は厚かったと自負している。宇宙暦745年3月にハルヒが宇宙艦隊総司令長官に任命されると、6月には私が総参謀総長に任命された。またSOS団マフィアだと言われた様に、やや強引な人事ではあったが、爾来の実績は周知の通りである」。「この人を持って言わしめるって所か。SOS団マフィアの中で存命しているのは彼だけなのだから、とりあえず彼にあって、話を聞いてみるかな」。青年が外を見ると、既に夕日が山腹に隠れようとしていた。こうして青年はキョン退役大将の自宅を訪問する事となった。宇宙暦788年10月4日の事である。
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