赤色エピローグ 4章-2
「昨晩古泉から頼みがあると連絡があったので、それから色々と動いていました」ワックスが幾重にも塗り重ねられたのを誇示するかの如く、ビカビカに煌めくフローリングの床に映る人影。あたしの物を含めてそれが二つ。つい数十時間前まで人が住んでいた(はず)などと誰が信じられるものか。「ここに……みくるちゃんが?」「ええ、住んでいたようです。それは間違いありません。昨晩から手掛かりを探していたのですが……正直芳しい成果は上がっていません。でも、先程このアパートの管理人と連絡が取れました。事情を説明して確認を取ったのですが、この部屋は今現在も朝比奈みくるさんのお宅で間違いありません」あくまで契約上は……ですが。と付け加える森さん。久しぶりの再会のせいか、はたまた事情を知っている人間と会ったせいか、先程までとは打って変わってあたしは妙に落ち着いていた。「みくるちゃん……」ポロリと口から零れ落ちる愛すべきマスコットの名前。今すぐにでも探し回りに飛び出したい衝動に駆られていたが、それをしたあの二人、そして目の前の女性の顔色を見ると足がそれを拒んだ。昔の自分ならばなりふり構わず探しに出たと思うのだが、今のあたしは……。「鶴屋さんと古泉は……」こちらの様子を察したのか、森さんが話し掛けてくる。その言葉で脳裏に浮かぶ二人の憔悴しきった顔。「鶴屋さんは……学校で倒れて家の方が迎えに来ました。古泉君は……」授業に出るのは無理だろうな……と勝手に推考する。実際、昼休み終了の予鈴が鳴っても教室に戻る素振りすら見せなかった。「そうですか」察したかのように言葉を紡ぎ出す森さん、実際そうなのだろう。
「前にお会いした時はあの……」「田丸です」ああ、そうだ。「田丸さんの下で働いてましたよね?」「ええ、アルバイトのメイドとして。しかし、もう退職しました」元々派遣のようなものでしたので、と続く。「事情があってその派遣会社は倒産……いえ、解散しました。つい先日の事です。古泉とはその会社に居た時に出会いました。実はもう数年前来の付き合いなんですよ」詳しい事は長くなるので割愛させて頂きますが、と丁寧な口調で話す森さん。副団長と森さんと田丸さん。何だか背後から怪しげな香りがする気がしたが、正直どんなバックグラウンドがあろうとなかろうと、深く詮索出来そうもない今となってはどうでもよかった。「結構親しいみたいですね」何せ電話一本の要請で一晩中走り回る程なのだから、恐らくそれは間違いないだろう。「ええ、個人的には本当の弟の様なものと考えています。あの美顔の横に立つと様々な方面から否定されてしまいそうですが。……特に本人から。去年田丸の別荘でメイド姿を見られた時には後で散々からかわれました」何かを含んだ言い方でそう苦笑を浮かべる森さん。しかし、すぐにその表情から笑みの部分だけが綺麗に消え失せる。「古泉……いや、一樹は本当に仲間想いなんです。付き合いが長いのでそれはよく分かります」今回もそう、と続く。「いつも冷静な一樹がかつてない程混乱していましたから……。必死で喋る向こうからは女性の泣き声も聞こえて……。ただ事では無いと思って事情を説明させるとやはり仲間絡みでした。朝比奈さんと鶴屋さん、二人分の心配で押し潰されそうだったのでしょう」発言の進行と共に沈んでいくトーン。自分とは直接関係のない人間にここまで感情を込めて他人の事を話せる物なのだろうか。いや、きっと森さんも一杯一杯なのだ。マスコットと名誉顧問の状態を心底気に掛ける副団長を、この人はまた同様に心の底から心配している。そこにあるのは……きっと紛いも無い慈愛だ。馴れ合いや付き合いの先にある特別な感情。それはきっと、あたしがSOS団の面々に対して持っている物と同じ。「涼宮さん」あたしは森さんの目を見つめる。「私は一樹の所へ行きます。一樹を家に送って、それからもう一度街に出る予定です」ついて来て下さいますか?という言葉に私は二回程頷く。それを見て森さんは軽く微笑むと、音も無く髪を揺らし、背を向けた。主の居ない、もぬけの殻と化したこの家に。
学校近くの駐車場。青いボディーと金のタイヤという何とも派手な出で立ちのスポーツカーの中で森さんの帰り待っていたあたしの目に飛び込んできたのは、バツが悪そうな顔で一人戻って来た車の主だった。要請してもいない私の通学鞄を持って、やや速足な気もする。「一樹は早退したそうです」運転席のドアを開けて鞄をあたしに渡した後、シートベルトを締めるのと同時にエンジンキーを回した森さんがそう言った。「もっとも担任やクラスメイトに連絡は入れていませんでしたが」無断早退か。今朝の事もあるし今度こそ停学にならなければいいが。「やっぱりみくるちゃんを探しに……」「そうですね、鶴屋さんが心配でそちらに向かったのかもしれません」どちらにしろ行先は決まった。「飛ばします」言った瞬間に轟音を伴うロケットスタートを森さんが決めていた。それはまさしく、この身体が丈夫で良かったと心底思った瞬間でもあったと付け加えておく。
午後八時、自宅前。車から降りたあたしに軽く礼をして森さんは走り去った。気絶するように眠る助手席の副団長を連れて。さて、結果だけ先に言ってしまおう。何の成果も上がりませんでした、以上!……だ。不思議探索で一緒に行った場所をはじめ、映画撮影や夏休みの行事で行った場所全て、それに加えて平日の昼間にも関わらずやけに賑やかな繁華街や、当然いつもの駅前にも行った。それら全てが徒労に終わったなどと口に出すにはあまりにも簡単だが、一時間程前にあたしも……というか特に森さんの体力がいい加減限界に来てしまったのだった。……こんなに自分がひ弱だとは思わなかった。最近運動をしていなかったからだろうか? そんな事を考えながらあたしは家の中に鞄を放り投げると、重い重い身体を再びアスファルトの上へと向かわせる。どうしても、今日はどうしても我慢できなかった。「お願い……お願いだから……」力無く呟きながら夜道を歩く。横顔辺りをなぞる冷風のお陰で昨日このくらいの時間に考えていた事を咄嗟に思い出したが、上着を取りに帰るという選択肢はあたしの中にはこれっぽっちも残っていなかった。帰ったら、ベッドを見たら、そこに崩れ落ちてしまいそうで。
何だ? 一体何だというのだ。私が何かしたのか? いや、身に覚えなど無い。だとしたら何故こんな仕打ちを受けなければならないというのか。やや風の強くなった秋の夜空の下。あたしは震える身体を腕で必死に抱き、時に掌を擦り合わせながら帰りを待っている。相手は……言うまでも無いだろう。堪え性のない自分にしてはよく頑張っている方だ。昼間の暑さと打って変わって急激に冷え込んだ寒空の下を何時間もこうして文句も言わずに待っているのだから。今気付いたが息も白いではないか。あたしの中では今年初のはずだ。覚えていないだけかもしれないが。まあ何だ、寒い。どれだけ身体を擦り合わせても、寒い。
「ぅ……く……」なんだ……?もう限界なのか?「………っく」ああ……これだから嫌だ。「ん………キョ……ン…………」
恋愛なんて精神病と公言していたのはやはり間違いではなかった。精神病でなければ自分がこうも弱くなる事など無かったであろう。あたしは弱くなっている。確実に。だって……。「は…ゃく……ひっく……がえって……きなさいよぉ………えっぐ…………バカキョン…ん……………」いくら事情が事情とはいえ、ただ会えないだけで泣くなんて……まるで少女マンガの主人公ではないか。こんな子供じみた思想はずっと昔に捨てたはずだったのだが、という冷静な思考を保てていたのは……あまり長くなかった。赤色エピローグ 5章
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