ここでようやく話は冒頭に戻る。やや寝不足気味の……いや、完全に寝不足の身体が悲鳴を上げていたが、あわよくば―――というあまりにも頼りない言葉が全身を縛り上げ、自由の利かない身体を学校へと向かわせた。一時間も寝られたかは定かではないが、そんなものは寝ていないのと同義である。眠気覚ましのためとはいえ、朝にシャワーを浴びるなど一体何年ぶりの奇行だっただろうか。

「……まだ寝ています」とは、昨日繁華街の隅のベンチでコーヒー缶と栄養ドリンクの山を作り、尚も目を半開きにしたままで寝ていた副団長の弁だ。主語に「鶴屋さんは」と付けなくてもあたしならば理解できると踏んだのだろう。簡潔極まりない報告の言葉だ。だがそれで十分。

 

「何か罰を考えなきゃね。キョンは高級中華料理奢りで、みくるちゃんは首輪をつけて町中引き回し、有希は一週間読書禁止よ。どう?」

実のところ、読書少女が今週になって一日も学校に来ていない事を知ったのは今朝の事だ。昨日廊下で突き飛ばした事にいちゃもんをつけてきたアホの谷口の口から「ったく、朝比奈さんがいなくなったってのは聞いた。でもそんな時にお前等の団は何やってんだよ?キョンはおろか、長門までずっと休んでるらしいじゃねぇか。いざって時にまとまりがねぇよな。それとも……長門まで何かあったのか?」という一連の言葉が出たからであった。
その事実に反論する事も忘れ、読書少女の存在を思い出す。そういえば昨日もその姿を見なかったと今更になって気付くが、鉄球付きの枷でも嵌められたかのように脚は全く動かなかった。……情けない。

「僕はこれで。……また放課後に」

そう言って教室を立ち去っていく副団長。恐らく……恐らくだが、副団長もあたしと同じ事を考えていたのではないだろうか……と思う。


『せめて、キョンがいれば』……と。


あたしは今日ただその一点にだけ期待して学校へ来た。昨日あれだけあたしを勝手に泣かせておいて、それでもひょっこりと学校へ来れるような奴だ。人の心にひっそり、けれどずけずけと入り込むのが異様に上手くて、居座らせるのが大得意な超の付くお人好し。実はSOS団はあいつを中心に回っているのではないか、と考えた事もある。団員の中でもコミュニケート能力がずば抜けて高いあいつがいるからこそ、あの共通点の欠片も見いだせない様な面々が文句も言わずに籍を置き続けているのではないか?と。まああたしが団長である以上、仮に誰かが団を抜けると言って来た所で全て却下なのは確実だが。


「(キョン………)」

心で呼んでみる名前。

「(…………助けて……キョン)」

縋りたい時に居ないなんて……失格だ。何をという問いには答えられないが、つまりはそう言う事だ。

 

不思議を探す事に存在意義を見出してきた我がSOS団を今まさに襲っている不思議。その正体どころか尻尾さえ掴めず、本日の団活への出席人数は団長、副団長のトップ二名に止まった。何も喋らず、何をするでも無く、作戦会議という偽りの看板を掲げた気まずいだけの時間が過ぎる。
……あたしは何をしているのだ。マスコットが何も言わずに何処かへと消え失せ、それがショックで名誉顧問は寝込み、読書少女は学校へ来ておらず、雑用係に至っては顔すら見せない。そんな状況で何故こうして肩を落としてばかりいる?あの爆発しそうな行動力は何処へ行った?何故みんなを取り返しに行かない?

―――取り返しに?

それこそ何処へ行けというのだ。大体、これで読書少女の家に行って中がもぬけの殻だったら……あたしはもう立っている事ができるかも定かではない。……そう、要は……これ以上物事がマイナスの方向へ動くのが……怖いのだ。
情けない。本当に情けない団長だ。


「涼宮さん……」

副団長が沈黙を破ったのは一羽の烏が遠くの空で鳴いたまさにその時だった。
今日も街へ出る・読書少女の家に行く・名誉顧問の家に行く・雑用係の家に行く。力のない声でこの四つの選択肢の内、どれか二つを選ぶよう提示してきたのはもう日も暮れかかり、下校時間もとっくに過ぎた頃だった。副団長の目の下は昨日よりも更に酷い事になっていたが、当たり前といえば当たり前の事だ。

「あたし……キョンの家に行くわ。その後有希の家に行って、街に出る。だから古泉君は……」
鶴屋さんの側に居てあげて。

……一応気を遣ったつもりだ。あたしだって女だ。名誉顧問の視線だって、副団長の視線だって、そしてそこに秘められた感情の表現だって、一応気付いているつもりだ。クレープ屋の前での副団長の視線なんて分かりやすいったらありゃしない。名誉顧問も嬉しそうにその視線を受け止めていたじゃないか。

「……ありがとうございます」

そう、拒否も否定もしなくていい。それをするときっと苦しくなる。……何処かの団長みたいに。

「もちろん家の人に迷惑かけちゃダメよ」

説教がましく言ったが、その辺を弁えない人間で無い事は彼を知る者全てにとっての共通認識だろう。今すぐにでも新卒の社会人として他をリードできるような我が団の誇るオトナ高校生だ。
それから一つ二つとやりとりを交わし、あたし達は部室を後にする。世界を大いに盛り上げる為に日毎ネットサーフィン、読書、編み物、ボードゲームを繰り返す我が団のアジトを。

 

校門で副団長と別れたあたしは一度家に帰る事にした。夕方の時点で十分肌寒いというのに、制服のまま動き回るというのはさすがに憚られると踏んだからだ。こんなモチベーションが低い状態で風邪をひいてしまったらもう完全にアウトだと自分でも分かっている。きっと身体が動かなくなるし、その時こそ団長としての権威が失墜してしまうというのも十二分に懸念すべき事項だ。
見慣れた我が家の門をくぐり、居慣れた自分の部屋へと直行する。台所から鼻孔まで一直線に届く匂いから今日の夕飯がカレーかシチューだと推察できた。ルーを入れる前のあの独特の香り。今日は昼食を抜いた為それだけで胃袋が唸りを上げようとしたが今は我慢だ。まずはする事がある。


自室で着替える途中、不意に机の上の大きなコルクボードが目に入った。そこに散りばめられているのはもう懐かしいと言っても何ら差し支えのない日々。けれど、まだ一つ一つを鮮明に思い出せる物ばかりだ。

砂浜で水着のまま読書をする小柄な団員が一人。

いつかの公園でメイド服に身を包んだスタイル抜群の少女が一人。

雪山でスキーウェアを華麗に着こなすモデル風の高身長団員が一人。

我らがアジトで制服のまま鍋をつついている太陽のような笑顔の名誉顧問が一人。

そして、フェリーの共有スペースで寝息を立てる至って普通の、だけど……あたしにとっては少しだけ特別な団員が一人。



まだ五割程しか埋まっていないコルクボード。




……まだだ。




……まだ……終わらせるわけには……いかない!

 






かの諸葛孔明でも三顧の礼には応えるものだというのに、平平凡凡を信条に掲げる雑用係止まりの男が今日も私を泣かせるつもりか。もう二時間程も待っているというのに……。いい加減声を聞かせるくらいの配慮は無いのだろうか?

「寒い……」

放射冷却と言う奴だろうか?昨日とは段違いに冷たい空気が身体を震わせる。万一に備えてこの時期にしては些か厚過ぎるかと躊躇したコートを選んだのだが、それでも尚足りないとは一体地球の異常はどこまで進んでいるのか。もういっその事季節が一つに固定化されるくらい狂ってしまえばいいのに。そうなったら………いや、ダメだ。夏の鍋は熱すぎるし、冬のプールは冷たすぎる。

「夏は夏らしく、夏じみたことをしないといけないんだもんね……。」

真冬に水浴びして喜べるのは白鳥とかペンギンくらいだし、と続ける。そして、そのセリフに続いて思い出すのはあの大きな背中だ。三人乗りだなんて無茶をさせたが、傍から見ればサーカスのような団体だったかもしれない。そう思うと少し、本当に少しだけ笑えた。



ブーーーーーーーーーー



その軽い重低音でほんの少し浮かんだ笑いが消える。そんな馬鹿な事があってたまるか。一体どんな間違いをすればこんな現象が起きる?

「そ、そんな?!」

慌てて音と振動の元をポケットから取り出す。今季は今日が初めての出番となったはずの白いコート。だがそれに突っ込んだ右手には数日前に行方不明となったはずの、そしてそれが理由で利用停止を申し出たはずの、おまけにサイレントモードにしていたにも関わらず振動を刻み続ける『それ』が握られていた。

「何でここに携帯があるの!?」

声に出さずにはいられない。先程までポケットには間違いなく何も入っていなかった。生憎あたしは手品師でも奇術師でもないし、何も無い所から何かを生み出す力など持ち合わせてはいない。おまけに間違いなくこれはあたしの携帯だ。
様々な憶測と考察が入り混じる脳ではあったが、恐る恐る開いたディスプレイに表示された文字を見て正常な動作が帰ってくる。咄嗟に通話ボタンを押し込み、あたしは携帯の受話部分を耳に押し付けた。

「もしも…し?」

通話時に於ける第一声目以外では殆どと言っていい程使用する事のない定型句を何とか口から押し出し、返事を待つ。やがて聞き覚えのある、しかし断じて五秒以上連続で聞いた記憶のない声が耳に届けられた。

『話がある』

それは、コルクボードに貼られた写真の中で色気のない水着を身に纏っていた小柄な少女の声だった。




赤色エピローグ 5章-2

 


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