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220.新唐書

  宋の仁宗は、劉昫らが編纂した『旧唐書』は卑弱で淺陋だとして、翰林学士である欧陽修に命じて、端明殿の学士である宋祁が各刊の編撰を行い,曾公亮が皇帝に上提するまで,十七年を要して、およそ二百二十五卷に及ぶ新唐書が完成した。本紀、志、表,列伝。故事,各書の筆頭には官に用いられた尊者一人を置き,唐書において功績が多いとされた先進の人々の伝記を宋祁が修正し,各列伝を編撰して進めたのである(そこで修伝と言われる)。宋祁が詔により唐書の修正に従事した十年間余り、宮廷内に寝起きし,原稿を納得ゆくまで推敲吟味して,列伝百五十卷を練り上げた(そこで祁伝と言われる)。論者は、「『新唐書』に記載された記事は『旧唐書』より豊富であるが,文は『旧唐書』より簡潔である」と言っている。このことは言うまでもなく、欧陽修が宋二公時代の古文の大家であるためである。とはいえ 文体は必ずしも一定でなく,文章により難易度には差がある。『旧唐書』は唐末五代の戦乱の影響で,記載の史籍が無稽の場合に,資料をすり合わせ、不足を拾い補うのは,大変困難だった。宋の治世となり、文治の大興とも呼ばれるこの時代になって,殘された歴史資料が次第に見いだされた。『新唐書』芸文志の記載を觀ると,唐代の史事はおよそ數十百種,これらはみな五代に編纂した『旧唐書』の時には見えない記事であり,參考文献の再発見によって,記載内容の精度も記述の詳しさも向上したと誇れるものである。また宋代初期の積学の知識人が、各地で見聞した記述をもとにして編撰が行われた。唐史記七十五卷を著述した孫甫の如くは、唐の君臣の言行や行ないによって,当時の政治や乱を描き出し、その要因を推し測り,孫自身の身も治乱の間に時をへた。当時の人は「一日中史書を読むのは、一日孫甫の論を聴くのには及ばない」と言った。また趙瞻は唐春秋五十卷を著述し,趙鄰幾は唐実録の會昌元年以來の日暦の二十六卷を追補し,陳彭年は唐紀四十卷を記述した(以上は宋史各本伝に見える)。諸人はみな博聞強記で勤勉に資料を集め,一書を作り上げ,不純物を除去して精密に選りすぐった。欧陽修は、宋代に得た文献の添削を行った。また呂夏卿は唐代の事跡に熟達しており,博学で数百家の伝記及び雜説に通じ,譜学にも明るく,『新唐書』において世系諸表を創設して最も功有りとされた(宋史夏卿伝)。宋敏求は唐の武宗以下の六世実録百四十卷を吟味して補い,王堯臣は敏求による唐代の研究の成果をさらに深く修めて,奏の編修官となった(宋史敏求伝)。この『新唐書』を刊修する時にあたっては,多くの名文家や史家の助手を得られたため、良史と称されるのも納得できることである。


220.新唐書

  宋仁宗以劉昫等所撰唐書,卑弱淺陋,命翰林學士歐陽修、端明殿學士宋祁刊修,曾公亮提舉其事,十七年而成,凡二百二十五卷。修撰紀、志、表,祁撰列傳。故事,毎書首只用官尊者一人,修以祁先進,且於唐書功多,故各署以進。(修傳)祁奉詔修唐書,十餘年出入臥内,嘗以稿自隨,爲列傳百五十卷。(祁傳)論者謂新書事增於前,文省於舊。此固歐、宋二公之老於文學,然難易有不同者。舊書當五代亂離,載籍無稽之際,掇拾補輯,其事較難。至宋時文治大興,殘編故冊次第出見。觀新唐書藝文志所載,唐代史事無慮數十百種,皆五代修唐書時所未嘗見者,據以參考,自得精詳。又宋初績學之士各據所見聞,別有撰述。如孫甫著唐史記七十五卷,毎言唐君臣行事,以推見當時治亂,若身歴其間,人謂終日讀史,不如一日聽孫論也。又趙瞻著唐春秋五十卷,趙鄰幾追補唐實録會昌以來日暦二十六卷,陳彭年著唐紀四十卷。(以上見宋史各本傳)諸人皆博聞勤采,勒成一書,必多精核。歐、宋得藉爲筆削之地。又呂夏卿熟於唐事,博采傳記雜説數百家,又通譜學,創爲世系諸表,於新唐書最有功。(宋史夏卿傳)宋敏求嘗補唐武宗以下六世實録百四十卷,王堯臣修唐書以敏求熟於唐事,奏爲編修官。(宋史敏求傳)是刊修新書時,又得諸名手佽助,宜其稱良史也。
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