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555.徐鴻儒

  天啓二年(1622)、山東の妖賊の徐鴻儒がそむき、つづいて鄆・鉅野・鄒・滕・嶧を落とし、部衆は数万にいたった。巡撫の趙彦は、楊国棟と廖棟を都司に任じ、部下に触れ文を発して民兵を訓練させ、要地を守らせた。家居総兵の楊肇基に起たせて、兵を率いさせ討伐におもむかせた。しかし廖棟と楊国棟は鄒を攻めて潰滅し、遊撃の張榜が戦死した。趙彦が兗州に軍隊視察におもむいたとき、たまたま賊と遭遇したので、楊肇基が急遽迎え撃ち、廖棟と楊国棟に挟み撃ちにさせて、賊を横河で大いにやぶった。賊の精鋭は鄒・滕のあいだの道に集まっていたので、楊肇基は別働隊を賊の鄒城に繰り出した。しかも大軍で賊の紀王城を攻撃して、賊を大いに破り、紀王城を嶧山でたおし、そのまま鄒を囲んだ。楊国棟らはまた前後して鄆・鉅野・嶧・滕の諸県を回復し、そこで長い包囲線を築いて鄒を攻めた。三月、賊は食糧が尽きて、その一党は降伏し、ようやく徐鴻儒を捕らえた。


555.徐鴻儒

  天啓二年,山東妖賊徐鴻儒反,連陷鄆、鉅野、鄒、滕、嶧,衆至數萬。巡撫趙彦任都司楊國棟、廖棟,檄所部練民兵,守要地,起家居總兵楊肇基,使統兵往討。而棟、國棟等攻鄒兵潰,遊撃張榜戰死。彦方視師兗州,遇賊,肇基至,急迎戰,令棟、國棟夾撃,大敗之橫河。賊精鋭聚鄒、滕中道,肇基令遊兵綴敗鄒城,而以大軍撃賊紀王城,大敗賊,殪之嶧山,遂圍鄒,國棟等亦先後收復鄆、鉅野、嶧、滕諸縣,乃築長圍攻鄒,三月賊食盡,其黨出降,遂擒鴻儒。


 前頁 『廿二史箚記』巻三十六 次頁
曾一本 555.徐鴻儒 劉香
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