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255.李建成・李元吉の子が処刑されたこと

  謀反した者の一族を処刑するのは、秦・漢・六朝以来、みなこの法を用いた(崔仁師伝に見える)。太宗(李世民)が秦王のとき、李建成・李元吉を殺したのは、兄弟の間でたがいに殺し合ったにすぎず、そのとき太宗がまだなお皇帝とならなかったといっても、反論とすることはできない。このとき李建成の子の安陸王李承道・河東王李承徳・武安王李承訓・汝南王李承明・鉅鹿王李承義と、李元吉の子の梁郡王李承業・漁陽王李承鸞・普安王李承獎・江夏王李承裕・義陽王李承度は、ともに連座して処刑されて、その属籍から除かれた。そのときに高祖(李淵)はまだ帝位にあったが、その孫たちが刑法に反して処刑されるのを座視して、ひとりも救うことができなかったのは、高祖もまたきわめて危険な状況にあったからである。


255.建成元吉之子被誅

  謀反者族誅,秦、漢、六朝以來,皆用此法。(見崔仁師傳)太宗爲秦王時,殺建成、元吉,不過兄弟間互相屠害,其時太宗尚未爲帝,不可以反論也。乃建成子安陸王承道、河東王承德、武安王承訓、汝南王承明、鉅鹿王承義,元吉子梁郡王承業、漁陽王承鸞、普安王承獎、江夏王承裕、義陽王承度,倶坐誅,除其屬籍。是時高祖尚在帝位,而坐視其孫之以反律伏誅,而不能一救,高祖亦危極矣。
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