198.後魏には家庭の異変が多い

  穆帝(拓跋猗盧)はその子の六修に殺され、昭成帝(拓跋什翼犍)はその子の寔君に殺され、道武帝(拓跋珪)はその子の清河王紹に殺され、太武帝(拓跋燾)は中常侍の宗愛に殺され、献文帝(拓跋弘)はその母の文明太后に殺され、孝明帝(元詡)もまたその母の胡太后に殺された。後魏(北魏)の諸帝を数えあげると、終わりを全うできなかった者が六人おり、禍はみな家庭の間から出ている。つまるところ意地っぱりな性質を形成していて、その風習ももとからそういうものなのである。


198.後魏多家庭之變

  穆帝爲其子六修所弑,昭成帝爲其子實君所弑,道武帝爲其子清河王紹所弑,太武帝爲中常侍宗愛所弑,獻文帝爲其母文明太后所害,孝明帝亦爲其母胡太后所害。統計後魏諸帝,不得令終者凡六人,而禍皆出於家庭之間,蓋剛戻性成,其俗固然也。

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最終更新:2007年04月07日 10:17