545.劉千斤

  成化年間、荊州・襄陽の賊の劉千斤が反乱を起こした。千斤は名を通といい、河南省西華県の人である。県の門石の狻猊(獅子)は重さが千斤あり、劉通はこれを片手で持ち上げたので、千斤を号としたのである。ときに流民が荊州・襄陽に集まっていたので、劉通は不吉な言葉でかれらを扇動し、反乱を起こそうと謀った。石龍は号を石和尚といい、人々を集めて脅しかすめ取り、劉通とともに起兵し、漢王を偽称し、徳勝の元号を建てた。明の朝廷は尚書の白圭に軍務を提督するよう命じ、朱永・喜信・鮑政らを率いてこれを討たせた。白圭は南漳県で反乱軍を破り、勝利に乗じてその本拠に迫った。劉通は寿陽に逃れ、さらに退却して大市を保った。官軍はさらにこれを破って、その子の劉聡を斬った。反乱軍は退却して後巌に拠り、諸軍は四面からこれを攻撃した。ついに劉通とその衆三千五百人を捕らえ、子女一万千人あまりを得た。石龍は劉長子とともに脱出し、四川省を騒がせたが、白圭が兵を分けてこれを追い詰めると、劉長子は石龍を縛って降伏し、残党も全て平定された。(白圭伝)

545.劉千斤

  成化中,荊襄賊劉千斤作亂。千斤名通,河南西華人,縣門石狻猊重千斤,通隻手舉之,因以爲號。時流民聚荊襄者,通以妖言煽之,謀作亂。石龍者,號石和尚,聚衆剽掠,與通共起兵,偽稱漢王,建元德勝。朝命尚書白圭提督軍務,率朱永、喜信、鮑政等討之。至南漳敗賊,乘勝逼其巣。通奔壽陽,又退保大市,官軍又敗之,斬其子聰。賊退據後巖,諸軍四面攻之,遂擒通及其衆三千五百人,獲子女萬一千有奇。石龍與劉長子逸去,擾四川,圭分兵蹙之,劉長子縛龍以降,餘寇悉平。(白圭傳)


 前頁 『廿二史箚記』巻三十六  次頁
唐賽兒 545.劉千斤 李鬍子

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2021年09月02日 17:28