544.唐賽兒

  永楽十九年、蒲台県の林三の妻の唐賽児が反乱を起こした。石函の中から宝書神剣を得ており、鬼神を使役し、紙を切って人馬を作って、お互い戦闘させるだろうと自ら言った。衆徒は数千におよび、益都県の卸石寨に拠った。指揮の高鳳がこれを捕えようとして敗れ、反乱軍の勢いは盛んになった。反乱軍の仲間の董彦昇らが莒県や即墨県を攻め下し、安丘県を包囲した。総兵官の柳升が劉忠を率いて唐賽児を包囲した。唐賽児が夜襲をかけると、官軍は驚き潰滅して、劉忠は戦死し、唐賽児は逃げ去った。反乱軍はますます急いで安丘を攻撃したが、知県の張歩旟らが死守したため、下すことができず、莒県や即墨県の一万あまりの反乱軍と合流して来攻した。都指揮の衛青が倭寇に備えるために海上にいたが、これを聞いて、千騎を率いて駆けつけ、反乱軍を大いに破った。安丘県の城中からはまた太鼓を鳴らしながら出撃し、反乱軍二千人を殺し、四千あまりを捕らえ、全てこれを斬ったので、反乱軍の残党たちも逃げ散った。ときに安丘県の城中は一日も保たない状態で、衛青の救援が少し遅れれば、城は間違いなく陥落していた。唐賽児はついに捕らえられなかった。(青伝)

544.唐賽兒

  永樂十九年,蒲臺林三妻唐賽兒作亂。自言得石函中寶書神劍,役鬼神,翦紙作人馬,相戰鬭。徒衆數千,襲據益都卸石寨。指揮高鳳捕之,敗歿,勢遂熾。其黨董彦昇等攻下莒、即墨,圍安邱。總兵官柳升率劉忠圍賽兒,賽兒夜劫,官軍驚潰,忠戰死,賽兒逃去。攻安邱益急,知縣張歩旟等死守,不能下,合莒、即墨萬餘賊來攻。都指揮衛青備倭海上,聞之,率千騎馳至,大破賊。城中亦鼓噪出,殺賊二千,擒四千餘,悉斬之,餘賊奔散。時城中旦夕不支,青救稍遲,城必陷矣。賽兒竟不獲。(青傳)


   前頁 『廿二史箚記』巻三十六  次頁
明代先後流賊 544.唐賽兒 劉千斤

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2021年09月03日 01:16