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廿二史箚記小引

  私は隠居して事件もなく、書物をひもといて日々を過ごしているが、生来粗鈍で経学を研究することは出来ない。歴史書は話が理解しやすいのでこれを研究するのを日課としてきた。気付いたところがあればそれをメモに書きとり、それが貯まったが、私の家には蔵書が少ないので、他の史料を見て参考にすることは出来なかった。だから稗史や小説で正史と異なるところがあっても、これを種に奇説を述べていない。大体、一代の史を史局で編修する時にそれらの記録は全て収集されたはずなのに放棄されて収録されなかったのは、必ず信用し難いところがあったからこそであろう。今になってそのような書物を種にして「正史が間違っている」などと言えば、ただ後世の人に物笑いの種にされるだけである。それで本書の多くは正史の本紀・列伝・表・志の中にあるものも突き合わせてみて、間違いと思われるところが出てきたらそれを指摘しただけである。更に博雅の君子が訂正して下さることを期待している。古今の風気の移り変わりや政治のたび重なる変化により、治乱興亡の原因に繋がるものについても、自分の見解を書き足しておいた。中年になってから平穏な日々を過ごし、人里を離れてのんびりと読書に浸って余生を送れるのは、書生としてはもっけの幸いである。本書を顧亭林の「日知録」になぞらえて「朝廷に仕えてはいないが、その言葉には治世の参考になるものがある」と言って下さる人がいるが、それはとんでもない買い被りである。
陽湖の趙翼が謹んで記した
乾隆六十年三月

廿二史箚記小引

  隠居無事,翻書度日。而資性粗鈍,不能研究經學,惟歴代史書,事顯而義淺,便於流覽,爰取爲日課,有所得輒箚記別紙,積久遂多。惟是家少藏書,不能繁徴博採,以資參訂。閒有稗乘脞説,與正史岐互者,又不敢遽詫爲得閒之奇。蓋一代修史時,此等記載,無不蒐入史局,其所棄而不取者,必有難以徴信之處。今或反據以駁正史之訛,不免貽譏有識。是以此編多就正史紀傳表志中,參互勘校,其有牴牾處,自見輒摘出以俟博雅居子訂正焉。至古今風會之遞變,政事之屢更,有關於治亂興衰之故者,亦隨所見附著之。自惟中歳歸田,遭時承平,得優游林下,寢饋於文史以送老,書生之幸多矣,或以比顧亭林日知録,謂身雖不仕,而其言有可用者,則吾豈敢。陽湖趙翼謹識。
乾隆六十年三月


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廿二史箚記小引 司馬遷作史年歳
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