109.晋の皇帝の多くは兄が亡くなると弟が嗣いだ

  晋の司馬師と司馬昭は相次いで魏の政治を専断した。これは開国のときにすでに兄弟で継承していたのである。後に恵帝の太子や太孫がともに薨去したため、弟の豫章王司馬熾が皇太弟に立てられ、即位して懐帝となった。成帝が崩御すると、同母弟の司馬岳が立ち、これが康帝となった(いずれも庾后からの出生である)。哀帝が崩御すると、同母弟の司馬奕が立ち、これが廃帝海西公となった(いずれも章太妃からの出生である)。安帝が崩御すると、同母弟の司馬徳文が立ち、これが恭帝となった(いずれも陳太后からの出生である)。後には北斉の文宣帝・孝昭帝・武成帝もまた兄弟で帝位を継承した。しかし孝昭帝は済南王を廃位して自ら立ったのであり、武成帝は楽陵王を廃位して自ら立った(正しくは楽陵王高百年が殺害されたのは武成帝の即位後)のであり、晋のように次の弟に託して立てたわけではないのである。


109.晉帝多兄終弟及

  晉司馬師、司馬昭相繼專魏政,是開國時已兄弟相繼。後惠帝以太子太孫倶薨,立弟豫章王熾爲皇太弟,即位是爲懷帝。成帝崩,母弟岳立,是爲康帝。(皆庾后出。)哀帝崩,母弟奕立,是爲廢帝海西公。(皆章太妃出。)安帝崩,母弟德文立,是爲恭帝。(皆陳太后出。)以後惟北齊文宣、孝昭、武成,亦兄弟遞襲帝位。然孝昭廢濟南王而自立,武成廢樂陵王而自立,非晉之依次而立也。


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東晉多幼主 109.晉帝多兄終弟及 愍元二帝即位

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最終更新:2021年05月25日 10:20