突然だが最近体の調子がおかしい。
昼間から突然眠くなったり、体の一部分に痛みが走ったり、
酷い時には自分が今どこに居て何をしているのか分からなくなった事もあった。

そんな様子の俺を見て朝比奈さんが心配してくれる。

「キョン君、最近調子悪そうだけど大丈夫?」

そういってお茶を出してくれた。
朝比奈さんが淹れてくれるお茶はこの部室に来る最大にして唯一の目的となりつつある。

「そうですねぇ…今更成長期という訳でも無いでしょうし、
 ありきたりではありますが一度病院に行かれては如何ですか?」

古泉が穏やかな笑顔でそう言う。コイツは特別に心配してくれているという訳でも無かろう。コイツは誰に対しても、老若男女かまわずこの調子なのだという事がその様子から伺えた。

「………」

長門は…別段変わらない。
いつもと同じ席に座り、いつもと同じ表情で、いつもと同じ速度で本のページを繰る。
もし明日俺が坊主になっていても長門は何も言わなそうだ。





バンッ!

俺が長門を眺めていたら大きな音を立ててドアが開かれた。というより蹴られた。

「出来たわよッ!」

ハルヒが何やら黒い物体を抱えて部室に入ってきた。
どうでもいいがコイツには大人しくしているという選択肢は無いのだろうか。

「一体何が出来たというんだ」

俺が呆れ気味にそう聞くとハツラツと答える。

「衣装よ、衣装! 満を持して我がSOS団が来年に公開する映画、魔法メガネっ娘マジカルユキの衣装よ!」

…色々とツッコミ所が多すぎてどこから突っ込んでいいのか分からん。

「あー…ハルヒよ」

「何!? ねぇ、ユキ、ちょっとこれ着てみてくれない?」

「なんだその、魔法メガネっ娘マジカルユキとやらは」

「だから言ったでしょ、来年の文化祭で上映するの! ほら、ユキ、立ってったら」

長門が本を閉じ、立ち上がる。

「それはさっきも聞いたが、正気か?」

「もちろんよ! 普段はただの女子高生、けれどもひとたび事件が起こると眼鏡を沿道に投げて魔法少女へと変身するの!」

今年の映画もそうだったが、ハルヒの超センスは俺のような凡人には理解出来ないようだった。
その後も長門に衣装を合わせたりしながら、魔法メガネっ娘マジカルユキのあらすじを嬉々として語るハルヒではあったが、
俺はその半分も聞いちゃいなかった。

「平和ですねぇ…」

古泉が窓から外を眺めながら呟いたセリフが印象的だった。

天下泰平、世はなべてこともなし。







次の日。
俺が気付いた時にはハルヒの顔が目の前にあった。

「な・ななななんだお前!」

「やっと起きた? もう夕方よ?」

ハルヒが呆れ顔で俺を見る。教室の窓からは夕日が見えた。

「あー…もしかして俺は寝てたのか」

「そう。午後の授業からずっと。そんなに寝てばっかり居ると頭が腐ってヨーグルトになるわよ」

教室を見渡すと既にまばらにしか人はおらず、何人かで集まって雑談していた。
俺が寝こけていた間に他の人間は部活に行ったか帰ったのだろう。
変な体勢で寝ていたからか、体の節々が痛む。
俺の机には少しヨダレの跡があった。…ハルヒに見られただろうか。

「ったく…部活行こうと思ってたのに…キョン、あんたが起きないからもうすぐ下校時間じゃない」

俺の心配をよそに彼女は渋い顔をする。
しかし俺にはもう一つ気になる事があった。

「ハルヒ、つかぬ事を聞くが」

「何よ?」

「…もしかして授業が終わってからずっと俺が起きるのを待っていたのか?」

「…そうよ」

少し間をおいてハルヒが答える。

「何故だ?」

「…ッ…あんたが居ないとホームページが更新出来ないじゃないッ! ほら、つまんない事言ってないで、今からでも部活に行くわよ!」

嘘だと思った。
ホームページの更新など、もう一ヶ月もしていない。それを今更急がせる理由が無い。
要するにハルヒは俺が起きるのを待ってくれていたのだ。それが少し嬉しくもあり、少し不気味でもあった。
今度は何に巻き込まれるのだろう。
いや、いかんいかん。
ハルヒが俺に優しくした後には大体不幸が待ち受けているとしても、ハルヒの極々珍しい親切心を疑ってはいけない。
そう、信じる者は救われる…ハズだ。

「それにしてもキョン。あんた最近ヘンよ。いっつも眠そうだし、たまに痛そうにしてるでしょ?」

「気付いてたのか」

「真後ろに座ってるんだから、イヤでも気付くわよ。病院には行ったの?」


「あぁ、古泉にも言われたんだが…。…ぐっ…! がっ…ぐあぁぁぁッッッッ…!」


俺がハルヒに体の調子を説明しようとした時、右腕に壮絶な痛みが走った。
最近たまに痛みが走る事はあったが、それはせいぜい筋肉が張っているとか、寝違えたとかその程度だった。
だが、これはそういう次元ではない。まるで右腕が破裂したかのようだ。
あまりの痛みに脳髄が火花を散らし、視界が急激に赤く染まる。

突然の痛みに驚いた俺は、気付けば椅子から転げ落ちていた。拍子に机が倒れて派手な音をたてる。
その音に教室に残っていたクラスメイトが怪訝な表情でこちらを見ていた。

「がぁッ…なん…だ…ッ…これ…ッ…!」

俺は教室の床を転げ回る。だが腕を体の下に回そうが、引っ張ろうが弾けるような痛みは一向に消えなかった。
それどころか痛みを増すばかりだ。血管が膨張し、ドクドクと脈打っているのを感じる。

「ちょっとキョン、どうしたっていうのよ!?」

ハルヒが心配そうに叫び、俺の側にかけよる。

「ハル…ヒ…ッ…俺の腕は…付いてる…か…?」

あまりの痛みに感覚が麻痺してきていた。急激な体の変化に体が知覚するのを止めたのか。
それとも既に俺の右腕はちぎれているのか。それすらも分からなかった。

「何言ってんの、ここにちゃんと生えてるわよッ! 一体どうしたっていうの!?」

彼女が俺の腕を取った。麻痺しているはずの右腕にハルヒの体温だけが伝わってくる。

「誰か! 先生呼んできてッ!」

ハルヒが残っていた生徒にそう叫ぶ。
彼女の声で様子を伺っていた生徒の一人が教室から急いで出て行った。

「キョン、どうしたの、腕が痛いの!?」

「い……や………痛みはもう…あまり…無い………というか……感覚が……鈍…く…」

「キョン、あんた目がおかしいわよッ!? ハッキリこっちを見て! 私を見なさい、キョンッ!!」

ハルヒが俺の体を激しく揺すり、俺に向かって何かを叫んでいる。
その必死な表情を見て、俺は朦朧とした頭でのんきにも、あの涼宮ハルヒでもこんなにも慌てる事があるんだなと考えていた。
慌てるハルヒを見たのはこれが初めてだったが、迂闊にも少し可愛いと思った。





…ベリッ




唐突に嫌な音がした。


教室中の時が止まった。


あれほど俺の体を揺さぶり叫んでいたハルヒも石化したかのようにその動きを止めていた。


そして俺は見た。


俺の腕が裂けたのを。


そしてその中から無数の触手が生えてくるのを。







「キャァァァッッッ!!!!」

クラスに残っていた女生徒の叫び声で全員が我に返った。
それまで当事者だった俺ですら考える事を止めていた。当然だ。
自分の腕が裂けてその中から触手が生えてきたら…どうしろってんだ。

「キョ…ン…」

あのハルヒですら怯えていた。
その表情から感じ取った訳ではない。
雄の狩猟本能とでもいうものが感じさせた。
このままではハルヒが逃げる。逃がしてしまう。
そう考えた時、触手は素早く動いた。

「ちょっとッ…! なんなのよこれっ!!!!」

俺が動かそうと考えた訳でもないのに触手は素早くハルヒを絡め取った。
他の女生徒達に大してもそうだ。その動きを次々と拘束していく。
真っ白なセーラー服とグロテスクな触手のコントラストが映えた。

「うわぁぁッッッ!!」

視界の端で男子生徒が教室から逃げて行くのが見えた。
しかし触手は反応しない。現金な触手だ。

「キョン! これどうにかしなさいよ!」

「そう言われてもな…俺がやってる訳じゃないし」

俺はと言えば、痛みも消え、妙に頭がスッキリしていた。
腕から突然触手が生えたら頭が狂うかとも思ったが、案外あっさりと俺はそれを認識していた。
人間どうしようも無くなると認めざるを得ないらしい。

「やだッ…これ…ヌルヌルして…気持ちワルイッ…!」

クラスに残っていた女生徒は多かれ少なかれ俺から生えた触手に絡め取られていたが、目の前に居たハルヒはそれが顕著だった。
ハルヒの瑞々しい、きめ細やかな肌に俺の触手が絡みつく。

「…ん?」

そこまで考えた時、俺には触手の感覚の全てがある事を認識した。
不思議な感覚だが、手が無数に分裂しているとでも言えばいいのだろうか。
女生徒一人一人の体温が触手を通して感じられた。

「ちょっとキョン…あんた自分の体がとんでもない事になってるってのに…ズイブン冷静じゃない」

ハルヒが恨みがましい目を俺に向ける。

「なんだかな…今回の不幸はとんでもなかったってそれだけの話だろ。モルダーもビックリだ」

「何言ってんのか…分かんない…わ…! なんでこれ…こんなにヌルヌル…してんのよ…ッ…!」

ハルヒが触手から逃れようと身をよじると、その柔らかさがダイレクトに俺に伝わってきた。

「ちょッ、ハルヒ、やめろっ」

「はぁ!? なに言ってんのよ、こんな気持ち悪いモノにずっと絡まれてろっていうの!?」

ハルヒの言う事はもっともだ。
もっともだが…ハルヒが身をよじるたび、色々な部分の女子特有の柔らかさが感じられる。
というかこれはヤバイ。
ただでさえ、何人もの女子の体を手でまさぐっている感覚だ。
俺も健康な男子。勃起するなという方が無理だ。
息子に血が集まり制服のズボンを押し上げる。

「いや、そうは言ってもだな…お前に暴れられるとこっちが困るというか…」

「んっ…なんの…はなし…? ってちょっと、キョン!? あんた、何おっきくしてんのよッ!!」

ハルヒに速攻バレた。

「あんた、神聖なる団長がワケの分からないモノに絡みつかれてるの見て興奮したって言うの!?」

「感覚はあるからな…お前にその…動かれるとツライものがある」

「感覚はあるって…バカ! 変態ッ!! そんな事感じてるヒマがあるならさっさと助けなさいよねッ!!!」

罵倒された。
ハルヒに罵倒された事は数知れないが、こんな状況に陥ってすら自分を見失わないハルヒに遺憾ではあるが尊敬の念を覚えた。
それと同時に、このハルヒが泣き喚き、許しを請う姿が見たいというような嗜虐心にも似た、よこしまな考えが微かに頭をよぎる。

そうして俺の思考に触手は素早く反応した。





「キャァッ! ちょっと…なんなのよこれッ…なんで…こんなに…ッ…!!!」

触手達は他の女生徒を飽きたかのように投げ出し、一斉にハルヒに群がる。
触手の束縛から抜け出した女生徒達が、乱れた制服もそのままに我先にと教室から逃げていくのが見えた。
きっと彼女達の通報により、特別機動隊か何かが送り込まれてくるのだろう。
あー…人生、終わったな。
右腕から大量の触手を生やした俺は何か全てが終わったかのように達観さえしていた。

「んっ…やめっ…バカ…っ…!」

俺がそんな事を考えていた時、ハルヒは更にひどい事になっていた。
全身を触手に這い回られ、白い肌はその粘液でヌラヌラと光り、
机に座らされ、両手を拘束され、足を開かれて固定されていた。
スカートに邪魔されその下着は見えなかったが、捲り上げられた制服からは可愛らしいブラが覗いている。

「バカっ…キョン、あんた目瞑りなさいっ…くぅっ…団長命令…よ…っ…!」

そんな姿になってすら瞳の輝きを失わないハルヒは偉大だとすら思った。

「あー…すまん、ハルヒ。何かコイツは俺の考えに反応するみたいだ」

「はぁ!? くぅっ…なに…? この触手が私の体を這い回ってるのも…んんっ…全部あんたのせいってワケ…!?」

触手がハルヒのブラの中に滑り込む。

「んぁぁっ! そこは…ッ…ダ…メッ…!」

ハルヒの胸は柔らかくしっとりと吸い付くようだった。
大きく膨らんでいる訳ではないが、その滑らかな質感は俺を感動させた。

「ばかっ…バカっ…ばかっ…バ…カぁっ…んぁっ……!」

触手がハルヒの乳首に狙いを定めねっとりと絡みつく。そこは既に勃起していた。

「…ハルヒ。お前、乳首勃起してるぞ」

「---ッッッ!!! 死ねっ! 死んじゃえっ! …ふぁっ…あぁんっ…やっ…やらぁ…!!」

白い喉をのけぞらせ、ハルヒが喘ぐ。
普段、聞き慣れたその声が官能をもらすのを聞いて、俺は今までになく興奮していた。

「…ハルヒ、すまん。我慢出来ん。犯す。」

「キョン!? あんた、なに…ふぐっ! じゅるっ…ぐぽっ…じゅぼっ…うぐぅっ……!」

ハルヒは何か言いたそうだったが、俺の触手のひとつがその口腔を犯す。
彼女の口の中は熱に冒されトロトロに火照っている。
触手は俺の意識に従順に従い、ハルヒを乱暴に持ち上げ俺の目の前に組み伏せる。
俺は触手の全てを制御下においたようだった。

「じゅるっ…キョ…! …ぐぶぅっ…ぐちゅっ…じゅぷるっ…れるっ…じゅぷっ…!」

ハルヒがもがくのも構わずに触手はハルヒの足を開いていく。
華奢な太ももの付け根にはブラとセットになった可愛らしい下着が見えた。
下着は触手の粘液で肌に張り付いていたが、その中心となる部分は他に比べても濡れているようだった。

ガリッ!

「痛ッ…!」

その時、口を犯していた触手に痛みが走る。ハルヒが噛んだのだ。
とはいえ、俺からしてみれば数ある指の一つが噛まれた程度。大した事は無い。

「はッ…はぁッ…んくっ…はぁ…はぁッ…!」

ハルヒが俺を睨む。汗にまみれた上気した顔で。髪が頬に張り付いているのがエロかった。

「はっ…はぁっ…犯すって…言ったの…?」

「…あぁ」

「どう…して…私なの…?」

彼女の決意したようなその表情は俺に何かを伝えているようだった。

「興奮…したから」

我ながら凡コメントだと思った。

「…そう」

ハルヒが目を背ける。

「…ハルヒ?」

「………好きに…しな……さいよ……バカ…ッ…」

ハルヒの瞳に涙が浮かんでいた。
…コイツの涙を見るのはこれが最初で最後だろう。
そう考えながらも俺はまだ人間の左手で、ハルヒの下着に手をかけた。






「こちらですッ! 急いでッ!!」

教室の外から誰かの叫び声がする。それは古泉の声に似ていた。
そんな事を思っていた矢先、何人もの足音が波のように近づいて来て、そしてその足音は勢いをつけたまま教室になだれ込んできた。
教室に入ってきたのはおよそ10人。年も格好もバラバラ。ただ、そいつ等に共通する事は全員手に黒光りする拳銃を持っているって事だ。
そうして、その銃口は全てこちらを向いて固定されている。

…触手を生やした俺が言う事じゃないが、なんというか非現実的だ。
そんな彼らを俺とハルヒが呆然と見ている中、あっさりと処断命令は下された。

「撃てっ!」

隊長らしき男がそう発すると無数の弾丸が飛んでくる。
俺は凄まじい衝撃にさらされながらも、日本の警察は対応が早いなとか、発砲早くね?とか、
人生短かったなとか、朝比奈さんのお茶がもう一度飲みたかったなとか、色々考えたが
最後に思ったのはハルヒの事だった。
こんな目に合わせておいて、恐らくこの距離では俺の返り血で血みどろになるだろう。
この触手病が伝染性でなければいいんだが。

「あ…れ…?」

そんな事を考えていた俺だったが、出血もしなければ、死ぬ事も無かった。
代わりに暴力的なまでの眠気が俺を襲った。

「すみません…少し眠っていただきますよ」

朦朧とした意識の中で教室のドアの所に古泉の姿が見えた。
あぁ、そうか…コイツらは古泉の…

「…ロクでも…無い事に…なるんじゃないかと……思ったが………スカリーも…ビックリ…だな…」

そう呟いた瞬間、俺は意識を失った。







―――本日夕刻、実験対象が学園内にて暴走。

一時は破棄も検討せざるを得ないほどの混乱となるが、古泉一樹とその属する組織がそれを沈静化。
涼宮ハルヒを含め目撃者多数なるも、前述の組織による大掛かりな記憶操作が行われた模様。
こちらにとっても好都合に働くと考えられる。

尚、実験対象の記憶操作は侵食が激しく不能と判断。
暴発した右腕を修復しただけに留めた。
再度暴走の危険が考えられるが、それも判断材料とする。







「はぁッ! はぁッ…はぁ…はぁ………はぁ…」

ベッドから飛び起きた所で、さっきまでの出来事が夢の中での事だと自覚した。
辺りはめっきり暗いが、どうやらここは俺の部屋のようだ。
全身に嫌な汗をかいている。お気に入りの寝巻きが、汗で肌にベッタリと張り付いていた。
そうして俺は思わず右手を確認する。そこには当然のように慣れ親しんだ右手があった。

「はっ…そりゃそーだ…」

…何かとんでもない夢を見ていた気がする。
俺の右手が破裂したかと思ったら中から触手が生えてきて、ハルヒをオモチャにする夢だ。

夢は願望だというが、俺はそんなどこに出しても恥ずかしくない誇大妄想狂でもなければ、Colorsの回し者でも無い。
そもそも俺に触手属性は無い。
…無いハズだ。
……無いと言い切れないのがツライ。

あんな夢を見た後では説得力は皆無だった。
誰に言い訳をする訳でもないが、あんなモノが俺の深層心理に眠っているのだと自覚すると軽くオチる。


「…ハルヒ。」

ベッドに再び横になると、口をついて出た。
夢の中のアイツはなんというか、セクシーであり、正直可愛かった。
だが、あのハルヒも言うなれば俺の中のハルヒな訳だ。
俺内ハルヒ像とでも言うべきか。
その俺の中のハルヒを、俺が凌辱した訳だ。
しかも触手で。
…自覚すればするほど、ゆっくりとヘコんでいける。

明日も学校がある。アイツにどんな顔をして会えばいいのだろうか。
ポーカーフェイスには自信があるが、凌辱しかけた女子に会って平然としている自信は無い。

「…ま、なるようになるか」

そうして俺はゆっくりと意識を霧散させていった。
今度の夢には朝比奈さんが出てくるといいな、とか思いながら。





「キョンくん、今日は調子、いいみたいだね」

そう言いながら朝比奈さんがお茶を淹れてくれる。
やはりこの乾いた砂漠のような部室において、彼女こそ俺のオアシスだ。
ちなみに今日の衣装はゴシックロリータ。全身にあしらったフリルが彼女の可愛らしさを更に引き立たせている。
ハルヒの趣味は時にとんでもないが、今日のセレクトはベストと言わざるを得ないだろう。

「あぁ、最近調子悪かったんですが…今日は体が軽いですね」

俺がそう答えると彼女は笑顔で返してくれた。
前言撤回。その笑顔はオアシスどころじゃない、オフスプクラスだ。

「みくるちゃん! 私にもお茶ちょーだい!」

この部室の空気を乾いた砂漠と化している元凶が言う。今日は朝から我らが団長の機嫌が悪い。
昨夜はどんな顔をして会えばいいのか迷っていた俺だったが、そもそもハルヒは朝から俺と目を合わせようとすらしなかった。

「ユキと古泉君は?」

朝比奈さんにお茶を淹れてもらいながらハルヒがそう聞く。
そう言えば今日は二人とも見てないな。

「古泉くんは用事があるって帰っちゃいました。有希ちゃんは法事があるとかで」

「ユキが? 法事? …なんか似合わないわね」

「ふふっ。ダメですよ、そんなこと言っちゃ」


俺はその会話を聞きながら軽く戦慄していた。
長門が法事? …ありえない。
長門の言う、情報なんたらには四十九日や、一周忌があるとでもいうのだろうか。
そして古泉の用事、ハルヒはどう見ても不機嫌。

―嫌な予感がする。

そうして嫌な予感はそのまま感覚を伴って、俺の右手から駆け上がって来た。


「痛ッ…!」

「キョンくん? どうしたの?」

「あぁ、いや…なんか急に腕が痛く…」

そこまで言いかけた時、今日、初めてハルヒと目が合った。
いや、目が合ったのではない。彼女がこちらを睨んでいたのだ。

そこに在ったのは、恐怖。

「キョン、あんた……まさか、またッ…!?」

また? ハルヒは何を言っているんだ?
それに…どうして俺を見て怯える?

「みくるちゃん、こっちに来てッ!」

ハルヒが叫ぶ。どうやら俺から朝比奈さんを遠ざけようとしているようだ。

「なぁ、ハルヒ、何言って…ッ…ぐっ…! がっ…がぁッッッッッ!!!!」

ハルヒに問いただそうとした時、途端、右手が燃えるように痛んだ。


いや。
実際に。
燃えていた。


「なッ…! なんだってんだよッッッ!!!」

「キョンくんッ!?」

「みくるちゃん、ダメッ!!」

俺に駆け寄ろうとした朝比奈さんをハルヒが止めた。
肉の焼ける嫌な匂いが部室に充満する。

「ハルヒ、なんだってんだこれはッ! お前、何か知ってるのか!?」

「あんたこそ何言ってんのッ!? 人にあれだけしといて、昨日の事、もう忘れちゃったワケ!?」

昨日? 昨日…って…。
ハルヒに関係する昨日の事…アレが事実だってのか!?

「人にヘンなのけしかけといて、撃たれて! 妙な人達はあんたの事連れてっちゃうし! その上、今日は燃える男ってワケ!?
 次は何!? ビームでも出す!? なんなら、はたもんばでも呼んできてあげよっか!? その右手がきっと更にグレードアップするんでしょうね!」

「そんな…嘘だろう…?」

どうやら昨日の事は事実らしい。被害者である本人が言うんだから、間違いないだろう。
とはいえ訳が分からない。アレが事実だとしたら俺は触手人間という事になる。
いや、それどころか今はバーニングだ。
今の俺の真っ赤に燃える右手ならリアルゴッドフィンガーですら可能だ。
爆熱だったりヒートエンドだったりするが、そんな事より気が狂いそうだ。
もしかしたら既に気が狂っているのか?
そうかも知れない。
現に右腕が煌々と燃えているというのに熱くない。


そう。
実際に。
熱くない。




―キィンッ―


俺が自分の燃える右手を呆然と見つめていると突然、回りの空気が変わった。

「ちょっとッ! 今度は何だってのよッ!」

「ひぇぇぇぇぇんっ…!」

ハルヒや朝比奈さんもそれを感じ取ったようだ。
凍るような冷たさでいて、産湯のようにぬるい。
独特の時が止まったかのような感覚。
これは…この空気は…

「朝倉の時の―」


バリィンッ!

突然、長門が窓を破って入ってきた。

地上三階の部室。

その窓からだ。


「ユキッ!?」

ハルヒが叫ぶが長門は聞いちゃいない。

それどころか真っ直ぐこちらに向かってくる。
その常人離れした瞬発力で、真っ直ぐこちらに―――

「だめぇぇぇぇっっっっっ!!!」

急に朝比奈さんが俺に抱き付いてきた。その充分すぎるボリュームの胸が当たる。あ、柔らかい。非常に柔らかい。特盛。
俺がそんな事を思っていたらそのまま床に押し倒された。

途端、さっきまで俺が立っていた空間が切り裂かれる。
そうとしか言いようが無い。その空間が、バックリと、裂けていた。
その【何か】に触れたのか、朝比奈さんのゴスロリフリルがハラハラと宙を舞う。

「有希ちゃんっ! 一体どういうつもりなんですかっ!?」

朝比奈さんがいち早く立ち上がり、長門に向かって叫ぶ。
そのスカートの一部がザックリ切れていてまるでスリットのようだ。健康的な太ももが眩しい。
俺はといえば、唐突な状況の変化に付いて行けず、そのまま地べたにへたり込んでいた。
ハルヒの方を見れば、彼女も俺と似たような様子だ。
地面に座り込んで、呆然としている。

「…涼宮ハルヒに対する、その倫理観と世界観を著しく破壊する存在として彼を抹消する」

長門が冷たくそう言う。
耳には聞こえたが、頭では理解出来ていなかった。
抹消? 誰が? 誰を? 俺か? オンドゥルがルラギッタンディスカ?

「そんなっ、どうしてっ!? キョンくんは、涼宮さんにとって―――」

「涼宮ハルヒに多大な影響力を持つ存在、故の抹消。
 彼が彼女にとって瑣末な存在ならば情報統合思念体の総意としての抹消は回避された筈だった」

あぁ、こんな時でさえ長門の話は相も変わらず超絶分かりづらい。

「…熱くないの」

ふと長門が地べたにへたり込む俺を見下ろしてそう言った。
そう言えばそうだ。突然の事に忘れていた。自分の腕が燃えていたというのに。
自分の右腕を見るとそれは既に炭化していた。
…自分の腕が燃えているのを忘れるものなのか?
というか、この状態って物凄く痛いんじゃないか?
だが、俺は確かに熱さも痛みも感じていなかった。

「…貴方の構成物質の28%は既に人間の物じゃない。火が上がったのも内部生体プロトコルのずさんな自己修復の所為。
 熱さを感じないのは、ある一定の痛みを感知すると痛覚がそれを認識するのを拒否するから。虫の神経と同じ」

長門が何を言っているのか半分以上分からなかったが、虫呼ばわりされた事には気付けた。

「あのな、俺だって突然の事でなにが何だか分からないんだ! 出来るだけわかりやすく、ちゃんと説明してくれ!」

俺がそう言うと長門は俯き何かを考えているようだった。
その表情は見えない。
そうして。顔を上げた長門は非常に分かりやすく答えてくれた。

「…死んで。」


―殺られる―
長門の無機質な瞳が、俺に強制的に覚悟を決めさせた時、絶叫が響き渡った。


「イヤァァァァァァァッッッッッッ!!!!!!!!」

ハルヒだ。

「おかしい…おかしいわよ、あんた達…なに…? この空間は何なの…? ユキ、あんた一体どうやって窓から入ってきたの…?
 みくるちゃんだって、何で驚いてないの…? キョンの腕はどうしたっていうの…? 殺すってなに言ってんの…ッ…?
 わかんないよ…全然……全然わかんない………わかんない…わかんない…わかんない…わかんないッ!!!」

ハルヒが壊れた。
部屋の隅で頭を抱えて見るからに取り乱している。
そりゃそうだ。この状況に今まで耐えていられたのが立派だ。
俺だって今までの様々なトンデモ現象に慣れていなかったら間違いなく一番にブッ壊れていた事だろう。

「ハルヒッ!」

彼女に駆け寄り、その肩を抱く。炭化した右腕のせいで、ハルヒの制服が黒くすすけた。
右手はうまく使えない。俺は左手だけで彼女を引き寄せた。

「キョン…あんた一体なんなの…? ねぇ、ここはどこなの…? 帰りたい…帰りたいよ…」

ハルヒの目には俺に対する怯えが微かにあった。
それでもハルヒは俺にすがり付く。
抱いた肩が細かく震えていた。

―――あぁ、そうだ。コイツも普通の女のコなんだ。

長門や朝比奈さんや古泉のせいで忘れかけていたが、ちょっと変わった力があるってだけで、コイツ自体はただのフツーの女のコなんだ。

…守ってやらなければならない。

震えるハルヒを胸に抱きながら長門を見る。
その瞳には何も映っていない。


「…させないっ」

長門と俺の視線の間に朝比奈さんが立つ。
その手には見覚えの無いオモチャが握られていた。

「これが…何だか分かりますか?」

「………」

長門は何も言わない。

「そう、未来の光線銃なんですっ! すっごい破壊力なんですよ? ビルなんか軽くばーんっってなっちゃうんですっ!
 普段は使っちゃいけないって言われてるんですけど、こんな空間ですし、使っても大丈夫ですよね?」

なんだか朝比奈さんが言うと、どんなに凄い殺人兵器だろうと深夜のテレフォンショッピングのCMのようだ。
というか、朝比奈さんが手に持ったその物体は、そもそも兵器にすら見えない。
せいぜい水鉄砲どまりだ。

長門が一歩一歩近づいてくる。

「そ、それ以上近づくと、本当に撃っちゃいますよっ!? どっぱーんってなって、ぐっちゃーってなっちゃうんですよっ!?」

朝比奈さんが長門に照準を向ける。だが、その腕はガクガクと震えていて狙えているようには見えない。

「…好きに…すればいい。私には役目が…あるから」

長門が呟いた。
それはとても静かなものだったけれど、ひどく心がキシんだ。
恐らく、俺が感じたのは、一方的な寂しさ。
腕の中のハルヒが震えながらも俺の制服をキュッと掴んだ。ハルヒも同じ事を思ったらしい。
見れば朝比奈さんも悔しそうな顔をしている。


「…ねぇ、有希ちゃん?」

朝比奈さんが震える声で長門に語りかける。
その表情は何かに強く支えられているようだった。

「本当にキョンくんを殺しちゃうの?」

長門は朝比奈さんの顔をじっと見ている。

「…それが任務」

全員が長門に注目していた。

「…じゃあ、どうして今すぐそうしないの?
 多分…だけど、この空間の中のあなたなら、その気になれば一瞬で私達全員を殺せちゃうんじゃないのかな?」

朝比奈さんが続ける。

「それに…どうして窓から入って来たの? ここはあなたの空間なんだから、普通に扉から入ってくる事も出来たはずでしょ?」

「…それは…」

長門が言葉に詰まる。

「…そうだよね。いっくら任務って言われても、顔を見ちゃったらキョンくんを殺しちゃうなんてこと、出来ないよね。
 だから、窓から襲った。…違う…かな?」

朝比奈さんが照れたように笑う。それは自嘲にも似ていた。
長門は何も言わない。何かを押し殺すように。まるで喋ることが禁じられているかのように。

「私は…帰りたい。みんなで…一緒に…」

すると俺の腕の中で震えていたハルヒが力無く呟いた。

「何にも無くてつまんない世界って思ってた…。…けど…こんなに色々な事が一辺に起きたら、私、おかしくなりそう…。
 …バッカで…エッロなキョンが居て…みくるちゃんが居て…古泉君が居て…ユキが居て…。
 そんなつまんない世界に帰りたい…。なんだか、みんな…ちょっとだけ普通じゃないみたいだけど…
 私だけが普通なのかなって思うとちょっと寂しい…、けど…
 それでも私は帰りたい…。…みんなで一緒に…楽…しく……、…一緒…一緒…に…ッ…」

最後の方は何を言ってるのか聞き取れなかった。
ハルヒが俺の胸に顔を押し付けたからだ。
俺の胸が微かに濡れている気がする。
その細く震える体は、まるで借りてきたネコのようだ。

…やれやれ。普段は虎のクセに。

女のコってのはズルイ生き物なんだな。

俺はハルヒの髪を撫でてやると優しくその体を離した。
ハルヒが俺の服の裾を摘んでいるのを外すのが心苦しい。

そうして俺は長門と向き合う。

彼女の表情は今までに見た事が無いものだった。
いつもの無表情に見えて、今にも崩れ落ちてしまいそうな―――あの、長門がそんな顔をしていた。

「…長門。」

俺は一歩彼女に近づく。

長門が一歩、体を引いた。

「………」

その口が何か動いている。それは小さすぎてうまく聞き取れない。

「…長門?」

「こな…いで…」

彼女は、怯えていた。
完全無欠のハンターたる彼女が、怯えていた。
…彼女も、女のコ、なんだろうか。

「…えー…あー、あー。」

俺は近づくのを止め、ノドの調子を整える。
一世一代の恥ずかしいセリフだ。噛まないように、裏返ったりしないように。
俺は心を落ち着かせると、なるべく穏やかな声を作り言った。

「……長門。一緒に、帰るぞ。」

「あ…」

その時、長門の顔に信じられない変化が起こった。
感情の爆発とでもいうのか、怒っているのか驚いているのか分からないようなものだったが、その時、確かに彼女に表情があった。

…ポタ

そうして長門の瞳から不意に水がこぼれる。
長門自身が一番その出来事に驚いているようだった。

「ナトリウムとミネラル…ビタミンの化合…物…。99.6%の確率で涙と認…識…」

「長門、お前…」


バタンッ!

俺達が長門の涙というサプライズに驚いていると突然、部室の扉が開いた。今度は襲撃者じゃないらしい。
そうして、その中から現れたのは―

「古泉!?」
「古泉君ッ!?」
「古泉くんっ!」
「………」

「あぁ、やっと入れました。流石ですね、長門さん。この空間はあちら側からは一切の介入を許さない。
 空間の綻びとでもいいますか、その存在を発見出来なかったら僕もこちら側に入ってくる事は出来ませんでしたよ」

そういいながら古泉がハルヒを見る。
…もしかして、コイツが帰りたいと、そう望んだからなのか?

「さて…っと」

古泉が俺達を眺める。
俺の右腕は墨。ハルヒは部屋の隅にへたり込んでいる。朝比奈さんのゴスロリ服は切り裂かれている。長門は…もう普段と変わり無かった。

「んー…流石。絶倫ですねぇ」

古泉が最大級の笑顔を浮かべてホザいた。

「違うっ!!」

なんだろうか、この急激に場の熱が冷めていく感覚は。

「ハハッ、済みません。思ったよりも状況が壮絶だったので」

悪びれず古泉が微笑む。
何だかその笑顔を見ていると、さっきまで殺すだの殺されるだのやっていたのがバカらしく思える。

「古泉、お前、今までどこに行ってたんだ?」

「それはお仕事ですよ。涼宮さんがこのような状態で、何も起こっていないとでもお考えでしたか?」

俺は部屋の隅のハルヒを見る。そうすると彼女も俺を見上げていた。
先程の様子からはだいぶ落ち着いて見えた。

「昨夜から発現した閉鎖空間は急速にその範囲を拡大。現在では南半球ほぼ全域が閉鎖空間に包まれています」

そりゃ大ごとだ。大ごとなのだろうが…スケールがデカすぎて全く危機感が湧かん。
それはそうだろう。例えば地球の裏側に住んでいるロドリゲスさんが総入れ歯にした所で全く俺に関係は無い。
言うなれば俺の知らない人間は皆、ロドリゲスさんであり、俺の知っている人間はロドリゲスさんではないという話だ。
だが、見も知らない他人だとしても、その本人の知らない内に存在を消されるってのは気分が良くない。
俺はそこまで考えて、張本人である所のハルヒを見たが、彼女は話に付いて来れず当然のように呆然としていた。


「さて、ここからが本題ですが…一体、どこまでを認識していますか?」

古泉が俺に向かって問う。
どこまでとは今までの経過を聞いているのか。それとも今の俺の心情を聞いているのか。
どちらにしろ、ロクでも無い答えしか出そうになかったが、ただ一つ、はっきりしている事は。

「少なくとも言えるのは、残念ながら俺が既に普通の人間じゃないって事だな」

苦々しく答える。

「えぇ、その通り。昨日の事件の後、我々も失礼ながらあなたの体を調べさせて頂きましたが…いやぁ、そりゃ凄いもんでしたよ」

「一体何がだ。これ以上何を言われても驚かんぞ」

俺が実は天上人の血を引いていたり、実は古泉の息子だったとか言われたら驚くかも知れないが。

「現在の科学ではおよそ解明不能。今のあなたは電子工学、生体科学の粋をその身に宿しています。
 我々の組織もあの触手事件の後、あなたを回収したのはいいのですが、正直に言って何ひとつ確かな事は分からなかった」

「お前達でも…分からないのか?」

「んー。そう…ですね。あなたは何か誤解されているようです。
 我々はちょっと特殊なチカラを持ってはいますが、あくまで普通の現代人の集団でしかありませんよ。
 そのようなオーバーテクノロジーの事なんて専門外だ。…そう、我々は、ね」

顔は微笑んでいたが、古泉の瞳は笑っていない。
言外に他の二人の事を指しているように思えた。

「のんびりしているように見えるかも知れませんが、これでも相当焦っているんです。
 こうしている間にも閉鎖空間は拡大し続けている。今は、僕の同志が食い止めては居ますが…それもいつまで持つか分からない。
 だから僕が組織を代表して、この状況を納めに来た」

古泉は一人一人の目をしっかりと見据えながら話す。

「でも、古泉くん、状況を収めるって言ったって…どうするの?」

そう聞いたのは朝比奈さんだ。
というか今までスルーしていたが、ハルヒに総てバレバレだ。
俺がどうやら普通の人間じゃないという事はともかくとしても、長門や朝比奈さん、古泉に対しても何らかの感情を抱いているだろう。
そういうのがバレるとマズイんじゃなかったのか?

俺がそう思い、ハルヒを見やると未だに彼女は呆然としていた。
あまりに専門用語というか、ファンタジー用語が飛び出しまくっているからな。無理もない。


「単刀直入に言います」

古泉が姿勢を正す。

「少なくとも、この事件には犯人が居る。涼宮さんの力、それだけでは説明が出来ない」

…俺もそれは思っていた。

「犯人? 犯人って?」

朝比奈さんがそう聞く。

「彼を物理的に…、ん…言葉は悪いですが、改造した人間が居る」

それはそうだ。ある日、森の中、クマさんに出会ったら改造人間にされたなんて事があってたまるか。
確かな目的を持って、俺を改造した奴が居る。

…そうしてそれは。

「古泉、せっかくのところ悪いが、次のセリフを当ててやろうか?」

「…えぇ、どうぞ」

軽く驚いた古泉の笑顔を見るに、とても焦っているようには見えなかったが、俺はそのまま台本どおりに進行した。

「…犯人はこの中に居るってんだろ」




ハルヒを除いた全員が互いに互いを見つめていた。
その裏側を覗くように。その真実を探るように。

古泉はいつもの笑顔だ。ちくしょう、見れば見るほどイケメンだな。
朝比奈さんはアワアワしている。こんな時に不謹慎だが微笑ましい。
長門の顔を見ても何ひとつ分からなかった。先程の表情を思い出そうとしたが、それもうまくいかなかった。

「現在の科学力では、あなたに施した手術は不可能。
 とすれば、現在の科学力というその制約に縛られない者。それが犯人と考えるしかない。
 そうして、それは今ここに居る誰かである可能性が非常に高い」

古泉が確認するように言う。
そして、ここに居る誰か、と言ったがその瞳は明らかに長門、そして朝比奈さんに向けられていた。

「ちょ、ちょっと待ってよ、古泉くんっ! どうして私達の中の誰かなの?」

朝比奈さんが反論するように言うが、古泉の答えは簡単明瞭だった。

「我々は我々が涼宮さんと共にある限り、常に三つの勢力に監視されていると言っても過言ではない。
 というか、それこそが本質的な任務、でしょうしね。
 そんな監視の中、重要人物である彼を他の勢力に悟られる事なく拉致、及び改造する事が出来るでしょうか」

どうでもいいが、改造改造言わないで欲しい。その内、変形合体とか出来るようになりそうだ。
出来る事なら、生身のままで可愛いお姉さんとパイルダーオンしたい。

「…無理」

長門がようやく喋った。涙のショックからは抜け出たようだ。
俺が彼女の様子を伺っていると長門は大きく二度まばたきした。彼女の長い綺麗な睫毛が揺れた。

彼女の言葉を受けて古泉が続ける。

「えぇ。我々以外の人間がそれを行うのは不可能に近いでしょう。
 しかし、それが我々となれば随分と事は簡単に運ぶ。
 なぜなら我々は友人というカテゴリーに分類されていますからね。
 友人を家に招いたりしたとしても、それは何ら不自然ではない」

「でも、だからって…!」

なおも続けようとする朝比奈さんを古泉が視線で遮った。
その目付きは鋭い。

「先程も言いましたが、あまり時間がありません。ですので、これを」

そう言い、古泉が手渡した物は小さなオモチャだった。

「あ…水鉄砲」

俺がそれを手にした時、先程それを構えていた朝比奈さんの姿がよぎった。
当の彼女といえば「…あ…あれ…?」などと言いながら体をまさぐっている。
どうやらスられた事に気付いていなかったらしい。

「ま、それでスパッと犯人を決めちゃって下さい」

古泉は今日の晩メシを決めるかのように、いとも簡単に言ったが、とんでもない事を言われた気がする。

「閉鎖空間は今なお拡大し続けています。あの数の神人を倒すのはもはや不可能に近い。
 となれば、この世界を守るには元から涼宮さんのストレスを絶つしか方法は無い。
 それでは、そのストレスの原因となっているものはなんでしょうか?」

古泉が俺を試すように見ていた。

「…あなたですよ。彼女のヒーローたるあなたが、実は知らない間に改造人間にされていた。
 これ以上のストレスがあるでしょうか。
 けれど、実際問題として今の我々の科学力ではあなたを元に戻すことは出来ない。そんな時間も無い。
 ゆえに…まぁ、今はそのストレスの元凶をいったん犯人に押し付ける、とでもいいましょうか。
 その許されざる存在を被害者であるあなた自身が倒す。かりそめではありますが、今はそれしか方法がありません」

古泉の話は分かるようで居てさっぱり分からなかった。

「待て。それは…お前達の誰かを撃てって事だろう? それに、そんなことして、本当に閉鎖空間とやらが収まるのか?」

俺がそう言うと、古泉は少し意外そうな顔をした。

「そう…ですね。僕も是非、選択肢に入れて下さい。先程は技術的に無理といいましたが
 あなたから見れば十分僕は彼女達と同じ存在だ。同じ土俵に立つ義務がある」

「…答えになって無いぞ」

「あぁ、済みません。閉鎖空間が収まるかどうかでしたっけ? それは…分かりません。これは一種の賭けです。
 だが、今、やらなければ確実に我々に明日は無い。これは既に決まっている事なんです」

古泉の話はバカげている。
そもそも現実味なんか欠片も残っちゃ居なかったが。
俺に? 撃てだって? 誰を?

「何故、俺がそんな犯人探しみたいな事をせねばならんのだ! そもそも犯人を探すというなら古泉、お前が探せばいいだろう!」

古泉が薄く笑う。

「僕ではダメです。僕は涼宮さんのヒーローじゃない。それにあなただからこそ意味が生まれてくるんです」

ダメだ。こういう時の古泉は何を言っても自分の言いたい事だけ伝えてきやがる。
そこで俺は黙って話を聞いていた他の二人に話を振ってみた。

「…古泉はそれでいいのかも知れんが、二人はダメだろう?」

俺がそう言いながら他の二人を見ると、反応の違いこそあれ、根底には似たようなものが流れているようだった。

「私は…キョンくんが決めた事ならそれでいいんですっ。キョンくんなら…ねっ」

朝比奈さんがそう言って笑った。

「長門、お前は!?」

長門は何も言わずに頷いた。
まるで「任せる」とでも言うように。

「さぁ、早く! もう時間がありません!」

古泉が俺を急かす。左手には水鉄砲。
先程のジャパネット朝比奈が本当だとしたら、本当にこの銃には人を殺すだけの力があるのだろう。
俺は…俺はどうしたらいいんだ?
古泉の言うままに誰かを撃つのか。
撃つとしても、誰を撃てばいい?

三人の顔を見渡す。

朝比奈さんは目を閉じて、両手を合わせ祈っている。時おり、まぶたがピクピク震えているのが可愛い。
古泉は涼しげな表情を浮かべている。コイツは本当に死ぬその瞬間までその表情のままでいそうだ。
長門はじっとこちらを見ている。そこには邪魔な意思や、余計な詮索は無く、純粋な信頼が映っていた。


そうして、俺は今までずっと黙っていたハルヒの方を見た。
ハルヒは先程に増して呆然としていた。口すら開いている。…虫が入るぞ。
というか俺もお前みたいに放心したい。
分かってるのか、ハルヒ。これは全部お前が引き起こしてる事なんだぞ?

俺がそんな事を考えながらハルヒを見ていると、不意に彼女の焦点が合い、俺を見た。
俺も見詰め返す。

彼女は色々な事に迷っているようだったが、やがてその瞳に、いつもの勝気な強い輝きが煌々と灯った。
俺が彼女の容姿の中で一番に気に入っている、その輝きが。

「…ハルヒ」

俺は彼女に声をかけて一体何がしたいというのだろう。
恐らくハルヒはこの状況の一割も理解していない。
その彼女に俺は一体何を求めているっていうんだ?

「…ふんっ」

唐突に鼻で笑われた。
そうして何をするかと思えば。

「…っんべーっ!」

急にアッカンベーされた。正直全く意味が分からない。
多分、ハルヒにだって全く意味なんか分かっちゃいない。
訳は分からないが、これはそういうものなのだと感じた。
そんなハルヒから確かに伝わる何かがある。
これが【涼宮ハルヒ】という存在なのだ。
そうして俺は遺憾ながら、そんなアイツのヒーローらしい。
…ヒーローなら、ヒーローらしくしなきゃならない。


俺は、決めた。

「…いいんだな?」

もう一度、三人を見据え尋ねる。

「どうぞ、ご自由に」
「キョンくん…っ…!」
「…コクン」

三者三様に答える。

「分かった…。もし失敗しても…恨むなよ…ッ…!」

そうして俺は水鉄砲の引き金をしめやかに引いた。








あの日から、二週間が過ぎた。
幸運にも世界は存続する事を許され、そうして俺達は今日も部室で無駄な青春を垂れ流す。
あれから色々な事が変わったし、変わらなかった。
この部室でのゆったりとした時間は変わらなかった事のひとつだ。


「お茶が入りましたよーっ」

朝比奈さんは少し変わったようだった。

「ねぇ、キョンくん、最近は大丈夫? カラダの事で何か困った事があったら私に相談して下さいねっ」

朝比奈さんに、カラダの事で困ったら相談してくれなんて言われると思わず良からぬ想像をしてしまうが、
最近、朝比奈さんはことあるごとに俺の心配をしてくれる。
俺はなるべくその好意にベッタリと甘える事にしていた。

「大丈夫ですよ、朝比奈さん。何かあったらすぐに言いますから」

「ホントに? 約束だからねっ」

そういう朝比奈さんの今日の格好は巫女だ。しかも赤袴。
ハルヒは本当に素敵に無駄なこだわりを持っている。
だが、そのこだわりや、良し!

「でも、未来には俺みたいな体の人も居るんじゃないんですか?」

そういうと朝比奈さんは決まりきったポーズで決まりきったセリフを言ってくれた。

「キョンくん? それはね、禁則事項ですっ♪」



長門は…何も変わらないように見える。
いつもと同じ席に座り、いつもと同じ表情で、いつもと同じ速度で本のページを繰る。
来年の今日になっても長門はそこに居て、そうして本を読んでいるのだろう。
そう思いながら俺が彼女を眺めていると、ふと顔を上げた長門と目が合った。

「…な、なんだ?」

長門が視線を外さないので思わず聞く。すると、

「…読む?」

そういって、今まで読んでいた本を軽く持ち上げて見せる。

「…念のために聞くが…それは一体何の本なんだ?」

俺が聞くと彼女は本の表紙をこちらに見せた。
そこには…人体解剖マニュアルとあった。

「…お、面白いのか?」

「…とても」

「…そうか、読み終えたら感想でも聞かせてくれ」

「…そう。楽しみにしてて」

そうして彼女は読書に戻った。
…長門も少し変わったのかも知れない。
心無しかその表情は微笑んでいるようにも見えた。



古泉は変わり過ぎだった。
いつも常に俺の事を監視し、付いてくる。
この前など、トイレの個室にまで押し入ってくる勢いだった。
俺が何故そんな事をすると問いただすと奴は真顔でこう言った。

「僕が側に居ない時、右腕が暴走したらどうされるおつもりですか?」

「うっ…それはだな…」

「安心して下さい。僕の目の黒い内は全力をもってバックアップさせて頂きますよ」

そう言って爽やかに微笑む古泉だったが、その視線の奥の光は以前よりも鋭く見えた。
俺は結局、あの時のカラダのままだ。直す手立ても無ければ、直る見込みも無い。
正直、古泉の組織とやらにおんぶにだっこなのが実情だった。

「しかし、あそこで自分の頭を吹き飛ばすとは」

古泉がふと、そうこぼす。

「なんだ、あの時の話か?」

「えぇ。どうしてあの時、あんな行動に出たんですか?」

それは…なんだか説明しずらい。
あれらの事がもしハルヒの望んだ事だとすれば、ハルヒは決して俺に人殺しなどさせないだろう。
そうして俺も死なせないハズだ。そう考えての行動だった。
結果、世界は平穏を取り戻し、同時に俺達は現実空間に投げ出された。
もちろん、その時、俺の首は付いていた。…変わり果てた腕もそのままだったが。

「なんていうか、あの時のハルヒの目を見てたら…」

「見ていたら?」

「まだ今の世界に絶望してる訳じゃないと思ったからな。現にアイツは帰りたがってたし」

「…だから自分の頭を吹き飛ばしたと?」

「…悪いか?」

「いえいえ。どうせ元から分の悪い賭けでしたしね。それに結果オーライって奴じゃないですか?」

どうやら世界は結果オーライで救われたようだった。

「それにしても、やはりあなた達は深い信頼関係で結ばれているようですね…。いやはや全く羨ましい」

古泉が爽やかに気色の悪い事を言った。

「信頼…ねぇ…」

最近のハルヒを見ていると信頼というか単純な興味を持っているようにしか見えないんだが。




「キョーーンッ!! キョーーーンッッ!! キョン、どこに居るのー!?」

俺が校庭の日陰で寝そべって休んでいるとハルヒの馬鹿デカイ声が響き渡った。
なんだ? アイツは大人しくしていると死ぬのか? サメか何かの生まれ変わりなのか?
俺がそんな事を考えていると、ハルヒが向こうから歩み寄ってきた。

「なんだ、こんな所に居たの。早く来なさい。今日の分の実験を始めるわよ」

最近のハルヒは実験と称して俺の右腕に様々な刺激を与える。
この間など、右腕にロウソクを垂らされ、部室はさながらSMルームのようだった。
なんというか、興味という範囲を超えて、趣味なような気がしないでもない。

その様子を見て朝比奈さんが軽く興奮していたのを思い出す。
…あれは垂らしたかったのか? 垂らされたかったのか?
……どっちもアリだな。

「ふむ。今日はまだわりかし普通なのね?」

そう言ってハルヒはベタベタと俺の腕に触る。

「普通じゃない日の方が遥かに少ないわっ!」


そう。ハルヒには全てバレてしまっていた。
あの時、起きた俺の体の事。
朝比奈さんや、長門、古泉達のことも。
記憶の操作も可能だったらしいが、それに反対したのが長門と古泉らしい。
ハルヒに対する下手な干渉は、返って反発を食らうというのがその主な理由だった。

俺もやばいんじゃないかと言ってはみたが、長門と古泉は声を揃えて「どうしようも無い時は何とかする」と答えた。
あの二人にそう言われると何やら納得してしまうのは不思議だ。
「それに涼宮さんの興味はいまや、あなた一人に向けられている。あなたの腕に、なのかも知れませんが。
 多少、宇宙人や超能力者が居た所で世界には何の反応も無いかも知れませんよ」
そう悪戯に話した古泉の爽やかスメェイルがよぎる。
冗談は止めてくれ、古泉。俺に世界中、全ての不幸を背負えっていうのか。


「何言ってんのよ、あんた、あの事件の時は二日続けて暴走してたじゃない!」

「いや、古泉の話によると、あの時は生体ユニットだか何だかが不安定になっていて…」

「あぁッ! そんな細かい話はどうでもいいの! とにかくあんたは私に付き合えばそれでいいのよッ!」

そう言いながらハルヒが俺の手を取った。
やれやれだ。
おとなしく立ち上がると俺はハルヒに連れられるように歩いていく。
ハルヒはその間、俺の腕をずっとペタペタと触っている。
というか、くすぐったい。
それに、くすぐったいのもアレだが、それよりも人に見られたら誤解される事、請け合いの光景だった。

うーむ。これはハルヒに少し警戒心というか、羞恥心というか。
そういう物を少しは思い出してもらった方がいいのかも知れない。
…というかここまでハルヒにくっつかれて、正直、俺の方が照れていた。


「それでお嬢様、今日はどんな実験が待ち受けているのですかね」

「今日のはスゴイわよ。もしかしたら手からビーム出せるかも知れないわ。ゾックみたいに! ビーム! ビームよ、ビームッ!!」

「…ハルヒ、惜しい所だがゾックの手からビームは出んぞ」

というかまた微妙にマイナーな機体だな。
そんなにビームを出させたいのか。

「そんな細かい事はどうでもいいのよッ! あんた、そんなに細かい事言ってると将来ハゲるわよ!」

「はははははゲてへんわ!」

思わずノッてしまったが、俺はフサフサだ。
…俺はフサフサだ。フサフサだからな?

「そぉ? ホントはちょーっとやばいとか思ってんじゃないの? ほらこの辺とか。こことか」

ハルヒがふざけて俺の頭をポンポンと叩く。
しまいにはジャンプしてまでペシペシと叩き続ける。

「なぁ、ハルヒ」

「んー? なにー?」

「少し思い出した事があるんだが」

「だから、何よ?」

「…正直な話。あの時、感じてたのか?」

「…あの時って?」

「…触手」

俺がそう言った途端、ハルヒの顔が耳までほんのりと染まった。
こういった反応は素直なもんだな。

「バ…バッ、バッカじゃないのッ!? っていうかなんで唐突にそんなコト言ってんのよッ!!」

「いや、今、お前がジャンプするのを見ていたんだが、見事に揺れてないなと―――」


ドゲシッ!


「おごふっ!」

「……ッッッ…このバカキョンッッッ! 死刑よっ!!」

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最終更新:2020年12月11日 15:54