土曜日。天気は晴れ時々曇り。そう、いつも通り合いも変わらず、不思議が目の前にあるのに不思議を探索すると言う、灯台元暗しを実現している活動日である。
「素敵な息ですぅ~」
あなたの方が素敵ないきですよ。朝比奈さん。むしろあなたの息があれば、酸素などいりません。
「いいじゃないあんた!」
ハルヒ、もう少し声を抑えた方がいいんじゃないのか?まだリハだぞ。何テイク取るかわからんが、声が枯れたら元も子もないだろ?
「にゃん」
長門のセリフはこの一言だけか。長門らしいっちゃ長門らしいが、なんでもう撮影用の猫ドレスとネコミミカチューシャつけてんだよ。本番だけでいいだろうが。
「いや~、SOS団の皆さんは、本当にカメラ映えしますね」
と、折りたたみ式のイスから立ち上がって、SOS団三人娘の演技を絶賛している人は、撮影監督である。
監督と言っても随分と若い。俺の主観ではあるが見た所、まだ30代前半くらいか。体格も細めだし、監督ではなく俳優にも見える。
「それでは三十分休憩取ります。休憩後に撮影入ります」
さて、いつも通り普通の土曜日であるが、ただ一つ、いつもとは違い、普通ではないことが目の前で繰り広げられている。
息をデザインするガム・ロッテACUO
そんなキャッチコピーを持つガムの販促CMが作られ、あまつさえSOS団女子三人が出演するなど、少し前の俺には想像もつかなかった。
「皆さん本当に楽しそうですね。朝比奈さんなんかは、絶対に恥ずかしがると思ったのですが」
「息が近い。顔を近付けるな。古泉」
お前もこのガム食え。そうすりゃ少しはお前の気持ち悪さが緩和するだろうしな。だからって息吹きかけんなよ。条件反射的に舌引っこ抜くからな。
「これはこれは手厳しい。どうせならあなたが出ても良かったのですよ?涼宮さんだってそれを望んだはずです」
「悪目立ちしてたまるか」
これだからツンデレは……やれやれですね。と聞こえるような小声で囁いた古泉の舌を抜こうとペンチを探してみたが、生憎、撮影スタッフにしか扱えないらしく、諦めることにした。
事件の始まりは、いつだって涼宮ハルヒである。
なおそのハルヒだが、今は休憩時間と言うこともあり、長門の猫ドレスを朝比奈さんと共に弄っている。
ハルヒ、わかってるだろうが、ここは往来の激しい街中だからな。
「……む、なによキョン。いつもみたく剥いたりしないわよ。有希だし」
朝比奈さんだったらするのかよ。
「ふん、まぁいいわ。撮影が始まったら、あたしの超女優っぷり、しっかり目に焼き付けなさい」
どこか不機嫌気味に、ハルヒは二の腕に装着した「超女優」と書かれた腕章を示しながら踏ん反り返った。
「SOS団のCMを作るわよ!」
ハルヒがそうやってのたまわったのは数日前だった。
「今までなんで気が付かなかったのかしら。そうよ!TVCMを全国、いや、全世界に流して、SOS団の知名度を上げてやるわ!」
何をバカなことを言ってるんだか。そんなCM誰が見るんだよ。見る以前に、どうやって公共の電波に流す。と言うSOS団ただ一人の常識人として、至極全うな意見を述べたのだが、
「CM……?……ああ!コマーシャルですね!……え、え、え、え、え、ええ!?」
「…………」
「実はですね涼宮さん。僕の叔父の弟の奥様の兄の斜向かいの家の息子さんがTV業界で働いておりまして」
「古泉君さすが!じゃあさっそくアポ取って」
「かしこまりました」
「かしこまりましたじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
そんな心の叫びを部室中に解放した事も、今となっては懐かしい。良いか悪いかは別問題だがな。
「それがどうして、ただの販促CMなんだか」
「おや?あなたはSOS団世界侵略の先駆けとなるであろう大変名誉あるCMの方がよかったですか?」
「そんなわけあるか。ただ、目的が変わってると思ってな」
古泉もとい「機関」がアポをとった人物こそ、ディレクターチェアで、撮影のためにスタッフと最終打ち合わせをしている監督だ。
機関がアポを取ったところ、その時彼が抱えている仕事の一つに、ロッテACUO販促CM作成があったらしい。
それならばと、彼は自身の作品にSOS団メンバーを出演させることを思いついたのであった。
本当は世界の中心人物であるハルヒだが、社会的には、どこにでもいる一般人。そんな奴をTVになんか出せるのだろうか?と思った。
だが、なんと彼は、その翌日、ハルヒがCM撮影を思いついた二日後に、東京にあるTV局からSOS団部室まで足を運んだのだ。
凄まじい行動力である。
監督はハルヒ達を一度見ただけで気に入り、すぐさま出演を依頼した。
最初こそハルヒは、自分達のCMを作らせるつもりであったはずなのに、なぜ彼が作るCMを手伝わなければならないんだと憤慨していたが、そこは根本的に騒ぐのが好きなハルヒである。
ハルヒは監督におだてられ、のせられるうちに、面白そうだと思ってしまったのだろう。その日の活動終了後には、CMのコンセプトまで話し合っていた。いや、、お前がCMを決めるなよ。そこは監督とスタッフに一任しろよ。
そしてあれから一ヶ月。本日はCM撮影当日である。
「手段が変わっただけで、目的は変わっていませんよ。涼宮さんはこうやって楽しく騒げればいいのですから」
あなただってそうでしょう?と繋げる古泉を無視し、俺は少し曇り始めている空を見て溜息を零した。
やれやれ。悪かったな、その通りだよ。
そのCM内容だが、まあ、その内お茶の間に流れるだろうから、わざわざ説明する必要はない。適当に確認してくれ。
概要だけ語らせてもらえば、なんたらなんたらとか言う俳優が、ガムを噛みながら服屋へ買い物に来る所から始まる。
だが目当ての商品が無く、彼が女性店員に溜息を吹きかけた時であった。なんとその女性が朝比奈さんに変化する。
それを見た他の店員が彼に詰め寄ると、今度はその店員がハルヒになる。
そして最後に、店の外にいる三匹の猫に息を吹きかけると、三匹全てが長門になる。
一応言っておくが、その三匹は長門が三人に増えたわけではなく、三回に分けて撮影した別撮りになる。分身ぐらい出来そうだが(むしろ本人はするつもりだった)そこは全国の茶の間に流す以上、派手なことはできない。
さて、SOS団女子三人が出演していて、俺と古泉が何故出ないかと言うと、単純に五人全員が出られるほどの尺が無かったからである。30秒だからな。
だが監督曰く反響があったら第二段第三弾と続編を作るつもりらしく、その時には出演するかもしれんな。
いや、俺は出たくないけどな。古泉は出るかもしれんが。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
いきなり撮影スタッフの輪の中から響く朝比奈さんの悲鳴。朝比奈さん!どうしましたか!?
「ちょ、ちょっとあんた!大丈夫なの!?」
ハルヒまで声を荒げている状況に、俺はただ事でないことを察知し、古泉と共にその人だかりまで駆け出していった。
「ハルヒ!どうした!?」
「キョ、キョン。これ……」
ハルヒが青い顔して指差す先にあったのは、頭から血を流してアスファルトに倒れこんでいる主演俳優だった。
わけの分からない状況に、俺は突発的に猫ドレス姿の長門に目を向けた。
「約五分二十三秒前。彼が涼宮ハルヒ及び朝比奈みくると会話を開始した。会話は撮影経験の無い涼宮ハルヒ達を心配する内容であり、重要性は無かった。だが」
「それで?」
「彼は会話中も、しきりに目を擦っていたり、肩を回していたり、とても疲労感を感じていたと思われる。そして着席していた席から立ち上がった瞬間、体勢を崩して地面に頭を強打した」
「おそらく過労による昏睡でしょうね。多忙な芸能活動が祟ったのでしょう。それでよろしいですか?」
「良い」
長門の状況説明が終わった頃、彼のマネージャーらしき人物が、電話を握り締めて救急隊を呼び始めた。救急車は後どれくらいで到着するだろうか。
「でもキョンくん……CMはどうなるんですか?主演俳優さんがいないんじゃ、撮影なんか……」
朝比奈さんは血の気を失せさせた蒼白な顔をさせながら聞いてきた。良い返事が思いつかない俺が恨めしい。
「まぁ、中止するしかないでしょ。言い方は悪いけど、せっかくSOS団の知名度を上げるチャンスだと思ったのに。残念ね」
「いや、中止にはしない」
監督が顔から重い空気を発しながらも、目だけ光を失わずに述べた。
「主演がいないのならば、主演が写らないカットだけを撮影し、主演が全快するまで撮影を進めておく。それがTVだ」
軽快なフットワークと行動力を持った監督であるが、発言からかなりの重さを感じる。こういう人がTVを作っているのか。
「しかし監督、いくらなんでも主演俳優が退場しては、撮影が」
「絵コンテを見る限り、主演が必要なのは最初の数カットと最後だけだ。彼が息を吹きかけて店員を彼女達に変身させる所は背面しか映らないだろ?そこにだけ代役を立てる……そうだな」
監督はスタッフや周囲の野次馬達を見回し、数秒後に俺に視線を向けた。
「君、確かキョンくんと言ったね。背格好も近いし、代役に立ってくれないか?」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
「はい、それでは本日の撮影は以上です。お疲れ様でした」
監督が撮影終了の号令を出した瞬間、津波のようにドッと疲れが押し寄せてきた。
「だらしないわねキョン。あんたなんかセリフ一個もなかったじゃない」
「誰だって、カメラの前に出されたら緊張するだろうが」
こういう華やかな世界は俺に合わないさ。もしやいつぞやの映画撮影の時は、朝比奈さんもこんな気分だったのかもしれない。
それにしてもこいつはさほど緊張した様子もなく、カメラの前でセリフを言っていたし、やはり性格によるのか?
「疲れたでしょうキョンくん。お茶です」
そう言ってペットボトルのお茶を手渡す朝比奈さんをただただ感謝だ。
朝比奈さん、あなたの手にはヒーリング能力があるのでしょうか?そこらへんの自販機から買ったであろう150円の緑茶でありながら、この充足感は素晴らしい。
ちなみに長門だが、撮影が終了した直後に、いつも通り読書をして背景に溶け込んだ。つーかそんなに気に入ったのか?その猫ドレス。
ああ言う衣装って、スタイリストさんに頼めば買い取りとかできた気がしたな。後で教えてやるか。
「素晴らしい役者っぷりでしたよ。これならSOS団による映画は、あなたが主演で決まりでしょう」
「古泉。いつから俺のイエスマンになったんだ。それと主演なんかお断りだ」
セリフ一つ無い代役でもこんなに疲れたんだ。30分だか1時間もカメラの前に立ってたまるか。
「まぁ、それはともかくとして、色々ありましたが、これで安心できます。……本当は主演俳優が退場したとき、涼宮さんは閉鎖空間直前までストレスを膨らませたのですよ」
「あいつは目立ちたがりだからな。ここまでお膳立てされて中止じゃ、仕方ないだろ」
「……やれやれですね。教えられるならば、教えてさしあげたいのですが。これはあなたが気付くことです」
なんかバカにされてる気がするのは、俺が疲れているからだろうか。
「しかし、このガムは爽快感がありますね。さすがはロッテと言ったところでしょうか。あなたもどうです?」
古泉が手渡してきたので、何気なく一粒、口の中へ放り込んだ。
「うお、なんかつめてー。シーハーする」
俺が食べたのはグリーンミント味。ミントの成分が配合されているため、口の中が爽やかになる。焼肉屋で食べるのど飴みたいだな。
「はぅ!」
「あ、すいません朝比奈さん。匂いましたか?」
呼吸を多めにしていたからか、そばに居た朝比奈さんに匂いが飛んで行ってしまったようだ。
「い、いえ、その……素敵な息ですぅ……ほへぇ……」
ん?朝比奈さんが急に頬を染めて、脱力したぞ。やっぱり朝比奈さんも疲れたのだろう。
「…………」
「うお!な、長門!?」
人の気配を察知して背後を振り向いた瞬間、数メートル先で読書をしていたはずの長門が、いきなり背後に現れた。びっくりした。心臓が飛び出るかと思ったわ。
「長門、どうかしたか?」
「何も」
それだけ言って、長門はまた読書に戻った。その場で。俺のすぐ目の前で。
だが俺の頭の動きに合わせて、少しずつ身体をずらしている気がする。立ちながら読んでるから、重心が安定しないのか?
「ちょっとキョン!みくるちゃんと有希に、なんてことすんのよ!」
「はぁ!?俺が何をした!ただガム喰っただけだろうが!」
わけがわからない。ガム食べただけで、なんでハルヒはこんなに頭に血が昇るんだ。こいつもこのガムが食べたかったのか?
「落ち着けよハルヒ。ガム喰えガム」
「いらないわよ!こんなの!」
とても自称「超女優」が発して良い言葉とは思えない。CM出てたのに「こんなの」はないだろ。
「つーか顔が近い!暑苦しい!放れやがれ!」
「うるさいうるさいうるさい!このエロキョン!」
「……はい、もしもし古泉です。やっぱりですか。えぇ、申し訳ございまさん。僕のせいです。僕が彼にガムさえ渡さなければ……」
古泉が機関の上司、おそらく森さんに電話で平謝りしている中、ハルヒの機嫌はいつまでも直らなかった。つーか顔近っ!