くしくも山田くんが言ったとおり、僕らの教科書でのやり取りはまるで文通のように続いた。 大抵は僕から何の気ない話題をふり、長門さんがそれに短く答える。 極稀に彼女から授業内容から派生したような話題提供が会ったりもするが、基本的な流れは変わらない。 週休二日制で五日ある授業のうち、互いに四回ずつある日本史Bのたびに僕たちは教科書を行き来させ、互いにメッセージを残す。 それは殆ど毎日の光景で、まさしくそれは文通そのものだった。

 この長門さんとのやり取りは、朝比奈さんにも、涼宮さんにも〝彼〟にも知られていない。 僕と長門さんの秘密。
ただ単なる言葉の羅列の交換だと言うのに、こんなに毎日期待してこんなにもそれが秘密のやりとりであることに執着している僕はさぞや滑稽だろう。 笑いたければ笑うがいい。 僕は嬉しいのだ。 能力が目覚めてからこんなにも学校生活が楽しいと思ったことはない。

 勿論、僕が僕を無作為に超能力者にしてしまった涼宮さんを恨んでいるわけもないし、SOS団の活動が楽しくないとはいくら嘘吐きな僕でも言えるわけがない。 それでも、それ以上の期待と胸を打つ心臓のスピードに拍車をかけるものがこのやり取りにはあった。 強いて言うなら涼宮さんに選ばれたことに誇りを感じ、SOS団の活動を楽しんでいるのが「超能力者」、古泉一樹だとすれば、 長門さんの秘密のやり取りを楽しんでいるのは、ただの古泉一樹なのだ。 


――暦の上ではもう既に秋だというのに、まだまだ暑い日が続きますねぇ。

――あなたが言う暦上の秋の意味が立秋が過ぎたということであれば、
  その考えは、暦が太陰暦から太陽暦に移行した現代では無意味な考え方。
  今の現状を考慮し、梅雨のように気象条件を元に季節を決めるとすれば、9月上旬は夏と言える。
  暑い。

――おや、長門さんでもやはり暑いと感じるのですね。
  どうです? 放課後、団活のあとにでも冷たいものを食べに行きませんか? 長門さんの都合がいいときで構いませんよ。
  練乳いちごなんてどうです? まだカキ氷屋は健在ですし、クリームあんみつもいいものですよ。

――いちご練乳はあの甘い? クリームあんみつとは何? まだ口にしたことがない。 気になる。

――では、クリームあんみつにしましょう。 アイスクリームの乗ったあんみつです。 こちらも甘くて冷たいですよ。

――では、いつか放課後に。

 僕らの教科書文通はSOS団的には禁則時項なものなので、SOS団内での僕の長門さんの関係に表面上の変化は見られない……筈だ。 互いに教科書のやり取りのことは口外せず、態度にも示さない。 それは互いの暗黙のルールだった。

 しかし、長門さんにとっては、涼宮さんや〝彼〟に余計なストレスと与えないための処置でしかないであろうこの行動が、 僕にとってはまるで甘やかな秘め事のように感じて妙に気恥ずかしいのは、どうしたものか。 


 僕自身が知らなかっただけで、僕は相当おめでたい性格をしているらしい。 頭では、コレはただの友情の延長、仲間意識の延長だと解かっているのに、心はそう思ってはいないらしいのだ。 これが恋だったらいいと、恋愛感情ならいいと、妄想に近いことをぐるぐるさせている。 いつかの授業中の妄想のように、放課後、手を繋ぎ2人して肩を並べるビジョンをもやもやと瞼の裏に再生しているのだ。

 要するに、僕の気持ちは浮ついてしまっているのだ。

 僕が普段からニヤニヤしている、という設定はこんなところで役に立つ。 いくら僕が自分の理性とは違う性に表情筋の支配を乗っ取られようと、〝彼〟や朝比奈さん、涼宮さんにはいつものこと、としてしか映らないだろう。
……長門さんには、ばれてしまっているかもしれない。  それは困る、失望されたらどうしよう。
そんなことになったら、SOS団団員としても、良好な関係の友人としても、男としても立ち直れないかもしれない。

「おい、古泉! 古泉? こーいーずーみっ!」

 いつと同じSOS団の放課後、文芸部室。 はるか彼方どこかへ飛んでいた僕の意識を無理やりこちらに引っ張る声が聞こえた。 〝彼〟だ。 目の前には、いつものように繰り広げられる僕には劣勢な状況。 どうやら、僕の番らしい。

「お前、何ニヤニヤしながらフリーズしてんだよ。 とうとうどっかおかしくなったのか?」

どこか、気味の悪いもの、というよりは恐ろしいものを見るような目で僕を見る〝彼〟。 声がいぶかしんでいる。 いつものめんどくさそうに文句を言うような口調ではなく、わずかながら本気が入っている口調に僕は苦笑する。 

「そんな、ずいぶんと辛辣ですねぇ。 僕はただ次の手を考えていただけですよ。」

「15分もか?」

「……はい?」

15分? 僕の感覚では最後に僕が駒を進めたのは5分も前のことではないはずですが。

「さっきからお前、にやにやにやにやと今まで以上に笑顔だったぞ。 なんだ、何かあったのか?」

「別に、なにも、ないですよ。」

「何でそんなぶつぎりに言うんだよ。 ますます怪しいぞ。」

 どうやら僕は、本当におめでたい性格をしているらしいです。 鈍感の免許皆伝の実力を持っている〝彼〟に見抜かれているほどに浮かれてしまっている。

 だってしょうがないだろう? こんなこと、生まれて初めてなんだ。

 小学生の頃のことなんてもはや忘却の彼方、中学時代は神人退治。 同性の友人でさえ片手ほどしかいなくて、むしろ、あちらが閉鎖空間が発生するたび忽然と消える僕を友人とみなしていたかすら怪しい。

 部活に参加して、クラスに友人がいて、特定の友人と2人だけの秘密を共有する。 しかも、その友人が異性となると僕がせん無い期待を抱いてしまうのも仕方がないことだろう? 


「ハルヒがらみで何かあったのか?」

「いえ、別に。 特に何もないですよ。 ただ、平和だというのもいいものだなぁ、と。」

 身を乗り出して、こそこそと話しかける〝彼〟の視線は、ちらりと涼宮さんを追っていた。
なんだかんだ言って〝彼〟の世界の中心は涼宮さんなのだ。 早く素直になればいいのに。
見ているこっちがもどかしい。 山田くんも僕なんかをからかうよりこの2人をからかう方がよほど楽しいと思うのだけれど。 それとなく提案したら、谷口くん辺りがやってくれるであろうか。 今度計画を立ててみよう。

「最近は閉鎖空間は発生していないのか。」

「そうですね、ここ数週間は全く。」

 喜ばしいことです。
 朝比奈さんが淹れてくださったお茶をすすりながら〝彼〟にやっと聞こえるぐらいの声で述べると、〝彼〟はそうか、と安堵したようにまた涼宮さんの方を盗み見た。 そのようすでは僕の身の安全を心配したのではなく、涼宮さんの精神状態の心配をしていたみたいですね。 誰だって自分の好きな相手には、誰よりも幸せでいて欲しいと思うものです。
『機関』の超能力者としてや涼宮さんの友人としては喜ばしい限りですが、あなたの友人としては複雑ですよ。
皆結局、友情より色恋ごとですからね。 いいんですよ、あなたの友人としても応援しているつもりですから。 

……だから、早く素直になりませんか?

「べ、別にハルヒがストレスを感じてないかとか、お前が危ない目にあってないかとか、そんなことを心配したわけじゃないからな!
ただ単に、あいつの意味不明なイライラが原因で世界が崩壊しないかと、それをだな…!」

 この人、自分で自分の墓穴を掘ってますよ。 面白い人ですねぇ。 これだから、『機関』とは別にしても応援したくなるんです。 それになんですか。 僕のことも心配してくださったんですか。  これだから、僕は彼を憎めない。 

 正直に言えば、〝彼〟の一言が原因で発生した閉鎖空間で怪我を負ったり、怖い思いや痛い思いをしたことも少なくない。 だけれど、こうやって〝彼〟は素直ではないにしろ僕の心配をしてくれたり、涼宮さんのことをこうも大切に想っている。 基本的には、〝彼〟は酷くやさしい人間なのだ。

それに関しては、涼宮さんも同じで一見身勝手な理由で閉鎖空間を作り出しているように思えても、
実際は〝彼〟やSOS団メンバーをはじめとする誰かのことを想って心を悩ましていたりと、本当に慈悲深い人だ。
だから、恨めない。 彼女に超能力者として選ばれたことすら誇りに思う。 

 能力が目覚めてからこんなに楽しいと思ったことがないと言ったのは、きっとあの日の僕が憧れていたことが今目の前に全て転がっているからだろう。 毎日通える学校、クラスの友達、部活の友達、そして、気になる女の子。

 やはり、長門さんへの気持ちが今の僕にはlikeの延長線上なのか、loveなのかはわからない。
それでも、今、この世で一番気になる異性は誰かと聞かれれば僕は長門さんの名を上げるだろう。

しかし、SOS団のほかのメンバーや山田くんたち9組の仲間のことも僕は好きなのだ。

 朝比奈さんの淹れてくれるお茶は、例えその出来がどうであれ僕にとっては世界一の様に思うし、
極稀に僕のちょっとした言動が原因で喜んでもらえた時などは、すごく嬉しく感じる。
 涼宮さんが楽しそうにしていると、僕も嬉しい。 それは、〝彼〟もそうだろうけれど、そのベクトルは全く違う。
 〝彼〟が稀に見せる、素直じゃない優しさには本当に救われる。 もっと素直になればいいのにと思わないことはないけれど。 特に涼宮さんに。 それに一般的な範囲でのバカなことも〝彼〟となら何度かやってきた。 殆ど僕らが谷口くんに巻き込まれた形で、だけれど。
 変な時期に転入してきた僕を、すぐにクラスの仲間に入れてくれた9組の面々と一緒にいるときも僕は楽しい。

 笑顔は癖と言うよりも、本当に僕はいつも嬉しいのかも知れない。 だから笑っていられるのかもしれない。
 涼宮さんが、新しいことを思いついた先には必ず楽しいことが待っている。 〝彼〟が僕にきつい台詞を吐くのも、僕を気をおかずともよい人間として接してくれている証拠だし、 朝比奈さんは可愛らしいし、お優しい。 淹れるお茶は最高だ。 そしてなんだかんだ言ってあの人は、やっぱりSOS団一番のお姉さんだったりする。 困ったときにお世話になってるのは、実はSOS団全員だったりするわけだし。

そして今回の長門さんことで、僕の楽しいと言う感情のパロメーターが振り切れてしまったのだろう。
困ったものです。 

「はいはい、そういうことにしておきます。 ああ、僕の番でしたね。 ……これでどうでしょう?」

「そういうことってお前……。 大体、お前何故ここに?」

「おや? ルール上はおかしくないはずですが……。」

「ルール上はおかしくなくても、戦術としてはおかしい。 コレはねぇだろう。」

「じゃあ、待ったということで。」

「じゃあ、ってなんだ、じゃあって。」

 そんな僕らの会話を遮るように、かすかに西日が差し込む窓際の僕の心を破裂させそうな文学少女がぱたんとハードカバーを閉じた。 僕らの下校の合図である。 秋が確実に近づいているのは目に見えると言うのに風がそれに伴っていないと言うのは、まるで歌の逆である。

「あら? もうそんな時間? じゃ、帰りましょ。」

 その合図に団長閣下がPCに注いでいた視線を上げ、鞄を引き寄せる。 僕ら男性陣は麗しのメイド嬢の着替えを垣間見ないために、足早に古びたドアの向こうに向かう。 

それが、僕らの毎日である。
 
<続く>

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最終更新:2020年03月08日 17:31